許可
ショートショート二。
宮下礼は天才曲芸師と言われている。
今、千代田区のビルの屋上にいる。
建物の前は桜田通りだが、観客人が何千人と集まって、礼の綱渡りを見ている。
此の通りを挟んだ反対側の建物まで太いロープが張ってある。
此方の建物から反対側の建物までロープの上を歩いて渡ろうとしている。
ロープの長さは、つまり建物同士の距離は三十メートルばかりある。
今日は、特別サービスで、万が一落下した時用の網は張って無い。
だから、落下すればどうなるかは子供でも分かる。
礼はバランスを取る為に長い棒を持って渡っている。
幾ら慣れているとは言え、必ず成功するとは限らない。
観客は其のスリルを楽しんでいるが、本人にとっては、曲芸とは言え命懸けだ。
礼は、顔全体を覆ていたマスクを取り捨て、宇宙服の様な服を脱ぎ、曲芸用の衣装を着た。
少しづつバランスを取りながら慎重に歩いて行く。
綱は揺れて、礼の邪魔をする。
揺れればバランスがとりにくいし、大きく揺らしたら、バランスをとれる限度を超えて、真っ逆さまだ。
観客の中には、礼がプロだから何とか無事渡れるものと思っている人間と、落下したら面白い事になると、楽しみにしている人間もいる。
礼は、神も悪魔も信じてはいない、人間が心の中に造ったものだと思っている。
この世は実力次第、運は自分で創るものと思っている。
礼の心の中に悪魔の姿が浮かんだ。
突然、風が吹き始めた。
ロープは揺れが激しくなって、危うく足を滑らせて落ちそうになった。
まだまだ、十メートルくらいしか渡っていない。
礼の心の中に神の姿が浮かんだ。
風は止み始めた。
半分程渡った辺りで、疲れが出て来た。
天才と雖も、人間だから、神経は使うし、体力的にも疲労が襲って来る。
此の辺りからが根性だが、力んでは駄目、バランスを取るには、気を紛らわす柔軟性も必要だ。
観客の数は次々と増えて来る。TV中継車もアップで、礼と、ワイドで見ている群衆を映している。
生中継だから、家にいながらTVで見ている人間も含めたら、東京中の何分の一か分からないが、相当の数の人間が見ている事だろう。
礼の額からは汗が落ち、棒を握っている手にも汗が。
ロープを三分の二くらい渡った辺りで、また悪魔が心の中に現れて来た。
礼に不安と恐怖をもたらすのだ。
バランスがとりにくくなってきた。
神が現れて来た。
礼は、目を瞑り、恐怖から逃れようとする。
動揺し始めた時には、目を瞑った方が雑念を掃える。
真下のモノは見たら最後だから、目を開けた時には正面しか見ない。
もうじき反対側に辿り着く。
そう思ったら、バランスが崩れるから、先の事は考えない様にする。
おっと・・拙い!不安がきた、成功の確率は・・など、余計だ・・。
身体が揺れ始めた、礼の身体が落ちる。
辛うじて、ロープを両手で掴んだ。
悪魔は、「どうだ、もう限界だろう。諦めるんだな」と、神が、「足を使え!」。
礼は、あらん限りの力で、思い切って身体を振り子の様に振って、足をロープに引っ掛けた。
何とか、ロープに跨る様に座れた。
神が、「其のまま力まないで、立ち上がれ」と言った。
ゆっくり・・ゆっくり・・立ち上がれ。
かなり時間が経った様な気がしたが、何とか反対側のビルの屋上に足を踏み入れる事が出来た。
冷汗が流れて、衣装はびしょびしょだ。
観客は礼を神様扱いして、拍手喝さいをするモノ、悪魔の様にがっかりするモノなど様々だ。
屋上にもTVカメラが用意されていて、インタビュウワーがいろいろ質問をして来る。
「どうして、こんな凄い事をやろうと思ったんですか?」
「途中でどんな事を考えたんですか?」
屋上から一階に降りる。
観客の歓声の中、塊の中を掻き分けて何とか自分の車まで辿り着くと、笑顔を見せながら車を運転して行く。
礼は運転をしながら呟いた。「だから・・奇跡の曲芸の許可を出してくれるよう頼んだのに・・」
礼が渡る前に屋上に上がっていた建物の住所は、「東京都千代田区霞が関2丁目1-1」
建物には「警視庁」の表示がある。
翌日の各社新聞の一面を飾ったのは下記記事であった。
「Majic!一体?」
「宇宙が落ちて来た・・?生存者は一人もおらず。死因は人類史上極めて不可解且つ全く謎と言える瞬間大気欠亡死とみられる・・」
許可