I Will Wait For You
ショートショートの典型作一。
神田良子は、地下街の喫茶店に勤めている。
新宿の駅から長く伸びている地下街。
途中で幾つかに分かれるが、その最初の分かれ目の角に店がある。
店は総ガラス張りになっている、地下街だから採光を考えてそうしたのだろう。
天気が良い日より雨の日の方が人通りが多い、増してや週末となると余計に。
良子は勤めてから三年になるが、つい最近、一人辞めたので今は水野千絵と一緒に働いている。
開店の午前十時から閉店の午後十時まで、良子と千絵が客の応対をし、シャッターを開け閉めする。
二人共、頭から被る白いエプロンをして、脇にトレンチを挟んで来客を待つ。
店主の池上一は毎日は来ない、週に三回くらいと、良子と千絵のどちらかがお休みの時に来る。
昼休みは良子と千絵は交代で取り、時間も大体は決まっているのだが、来客で忙しい時には時間をずらす。
今日は暇だから十二時前後に交互に休んだ。
千絵が昼休みの時、男性が来店した。
今日は女性と同伴だ。
二人は一番奥のテーブル席に座った。
良子が挨拶をしてオーダーを聞く、コーヒーを二つ。
女性は指に立派な指輪をしていて、キラキラ輝いている。
歳は、男性は30位だろう、女性は年上に見えるが。
男性も女性も、うつむき加減で、何か深刻そうに話をしている。
会話の端々に「家」という言葉が混じって聞こえる。
千絵が戻って来たので、交代で良子が昼休みに出掛けた。
50分くらいして良子が戻って来ると、千絵が男性と話をしている。
女性は帰ったのかいなかった。
男性も帰った後、千絵が言うには、男性から飲みに行こうと誘われたと言う。
千絵は、次の水曜日が交代休みだから、前の日の火曜日に行く事を承諾したようだ。
良子は、何故か先程の女性が気にかかった。
千絵が男性と飲みに行った翌々日、明るい顔をして出勤して来た。
夜中まで新宿で飲んでいて、結局、男性とタクシーで一緒に帰ったんだけれど、男性は途中で降りて、運転手にお金を渡して千絵はそのままタクシーで家まで帰ったらしい。
千絵は笑みを浮かべて、「来週も行こうという話になったんだ。あの人滝田武という名で家は成城にある大きなお屋敷だったわ」
それから何度か千絵は滝田と飲みに行くようになった。
そして、或る日千絵が、「昨日、あの人の家に泊まちゃったんだ。家も立派だったけれど、中も豪華だったわよ」
何時か滝田と一緒に来た女性は、あの時一回だけで、以降来店する事は無かった。
半年もした頃、千絵は少し躊躇いがちに、「滝田と結婚の約束をしたんだ。という事は、私はあそこの家の奥さんて事になるわけ。結婚式には、あなたも呼ぶつもりだから宜しくね」
千絵は結婚をして勤めを辞めた。替わりに新しい女性が入って来た。
昼休みに千絵から良子のスマホに電話が入った。
電話の向こうで千絵は、「ねえ、私、勤めを辞めて、昼間は一人で暇だから、遊びに来てよ。ご馳走するからさ」
良子は無表情に、「ええ、いいわよ」
その日、良子は休みだったから、千絵の家に遊びに行った。
昼御飯をご馳走になって、店の話をしたりして、二時間くらいはいただろうか。
豪華な家に相応しい立派な家具が並んでいる。
良子はその内の一つの箪笥を見つめながら、ふと思い出したように呟いた。「ここに、こんなに大きな箪笥なんてあったかしら?」
千絵は、何の事か、良子が何を言ってるのか分からなかった。
突然、大きな地震があった。
かなりの震度らしい。テレビも緊急放送を続けている。
二人のいる部屋も家具は倒れるし、食器棚からは食器が飛び出して、足の踏み場も無い程だ。
倒れた大きな箪笥の背後の壁紙が破れていて、大きな穴が空いている。
テレビのアナウンサーが、再三、「余震に気をつけて下さい。また同じくらいの地震が起きる可能性がありますから、くれぐれも余震に気をつけて下さい」
すぐに余震がきた。
二人は、驚きのあまり声も出せずに、部屋の一点を見つめている。
穴から片腕がだらんと垂れ下がるようにはみ出し・・。
指には・・立派な指輪がキラキラと光っている・・。
I Will Wait For You