Lost days 邦題 失われた日々

Lost days 邦題 失われた日々

大東亜戦で離ればなれになり・・戦死していった男女。

 記憶の彼方から自分を呼ぶ声がする。


 あの年も暑い日が続いていた。
 京都は盆地だから夏は暑くて冬は寒い。
 大本営はあいも変わらず帝国軍の快進撃を伝えていた。
 加賀綾は只管恋人である立山剛の生還を願っていた。
 京都は空襲は無かったから、直接の被害は無かったが、胸を患って神社詣では、剛の無事と自分の病の回復を願っていた。
 他県は空襲の被害が酷く、数少ない親族の安否も分からず、綾は一人だったから気を紛らわすために、奉仕活動に従事している。
 広島に大きな爆弾が落とされ、街が消滅したと近所の人達の話す声が聞こえてからは、増々剛の事が気になったが、何も出来ないという口惜しさが込み上げてくるばかりだ。
 


 剛は、戦地で森に逃げ込みUSA・UK同盟軍と戦っていた。かなり前にミッドウエイ海戦で空母を失ってからは、後退の一途で仲間が次々に亡くなっていった。
 沖の敵艦船からの艦砲射撃はネズミ一匹生きられぬと思われるほどの凄まじさで、却って花火のように華やかに見えたのが不思議だった。
 周りに誰もいなくなると、国の綾の写真を見る事があった。自分の事よりも彼女が病気持ちだった事が思いやられる。
 もう長くはないかも知れないと言った医者の顔が浮かぶ。自分も此処から生還する事は無理だろうと思った。
 森の枝から落ちてくる大きな蛭が血を吸って剣で其れを削いだ時に流れる血を見ては、其れで生きているのだと気付く。
 森の奥からは原住民たちの声が聞こえる。落ち武者狩りに来たのだろう。
 森の入口では敵兵の火炎放射器の炎が猛威を奮っている。もう、逃げ道は無い。
 捕虜になれば、国に帰れるかも知れないと思った時、一斉射撃が始まった。
 何か所か撃たれたような気がして、目の前が真っ暗になると猛烈に眠くなり、地面が心地良く感じられた。
 意識が遠のいていく寸前、何故か丁度十二時のような気がした。

 



 玉音放送が流れている。ラジオの前に集まって涙を流している人々に混じっていた綾は、急に咳き込むと屈みこんで地面に大量の血を吐いた。
 其のまま、意識が遠のいて行く。仰向けになった時、一瞬、剛の顔が見えたような気が・・何故か丁度十二時のような気がしてから何も見えなくなった。
 首が折れるように地面に唇が付いているのを見ながら、周りの人達が綾の身体を揺り動かしたが、綾の目は二度と開く事は無かった。
 綾の簡単な葬儀が行われて、墓に綾の名が刻まれた。



 戦地では、亡くなった兵士の死体を山と積んでオイルが撒かれると火炎放射器が放たれた。
 腐る寸前にせめてもの処置だった。燃えていく死体の胸ポケットからはみ出していた写真が瞬時に灰になった。


 終戦から七十五年が経った頃だった。
 丸の内の新丸ビルから女性が出てくる。彼女は商事会社で営業事務の仕事をしている。
 空が茜色に変わる頃、ホームに滑り込んできた山手線のドアが開き乗客が降りた後、押されるように一斉に乗り込んでいく人。
 紺野美沙は暇潰しに車内で広告を端から見ている。大学やデパートの宣伝、其れに・・印象派絵画展の案内と見ていき、思いついたのは、偶には趣味でもないけれど絵画でも見に行ってみようかなと。
 明日は休みだからと、出掛ける事にした。
 美沙は上野の西洋美術館のチケットを購入して、館内を見て廻りだした。
 絵が沢山並んでいる近くに説明書きが書かれている。
(写実主義においては、ミレーのように働く農民など、辛い生活を描いたが、</span>
「ミレーの晩鐘」
 (此処に画像を入れなくてはならないのだがシステムが無理のようだ。)
 ルノワールはそういった写実主義からの変化を促した。
 印象派の画家たちは決して、辛い労働などを主題にしなかった。パリの中流階級の、都会的な楽しみ、余暇の余裕に溢れた人々を描いた。
 余暇の楽しみは、我々の生活に欠かせないものでもある。充足に満ちた時間を我々はどれほど焦がれるか。ルノワールは、こういった近代的な光景に美と魅力を感じたのである。
 モネが絶え間なく変化する自然というものに目を向けたのに対し、ルノワールは人間に魅せられ、友人や恋人を描いた。 t="309" alt=""></a>
「ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏場」
 (画像入れられず。)
(ほとんど毎日であった。ルノワールはコルト街のアトリエからキャンパスを運んで、モンマルトルのムーラン・ド・ラ・ギャレットに通った。ルノワールの友人たちを総出演させている。)
「確かに人が多くて明るい感じがするな」
 更に説明書きが。
(色彩を追求するあまり、輪郭線がはっきりしなくなる。1880年代の後半からは、輪郭線と色、両方を生かす真珠色の時代の様式へと変化した。
晩年の20年もの長い間、慢性関節リューマチに苦しみ、車椅子の生活で、筆を手に縛り付けて、最後まで、陽気で美しい絵を描きつづけた。
 ルノワールは言った。
「芸術が愛らしいものであってなぜいけないんだ?世の中は不愉快なことだらけじゃないか」)
「確かに、世の中なんてそんなものかも知れないな。色彩の魔術師と言われた彼は、そういうつもりで綺麗な絵を描いていったんだ」
 美沙は次の絵をと移動する。
「舟遊びの昼食」 
 (画像無し)
 更に説明が。
(食べかけのおいしそうな料理。若者たちの魅力。日よけの外の、まぶしい光が輝いている。まるで、地上の楽園のごとき楽しさである。こういった瞬間があるからこそ、働く価値があるのである。
 右の若い男性は、女性に熱心に話しかけている。皆それぞれが話す相手を持っている。
 しかし、ルノワールは忘れていない。こういった楽しいパーティに参加すると誰もが、瞬間でも、感じる孤独感をも描いているのである。
 犬を抱く女性。その後ろに立っている男性。手持ち無沙汰なのが伝わってくる。しかし、二人とも、何か楽しい夢にひたっているだろうと、見るほうも安心できる。) 
「忘れていない・・感じる孤独感を描いて・・」
 其の時、美沙は急に頭痛がし始めた。
「孤独感?男性は何を思い孤独なんだろう・・?」


 美沙の頭の中で何かが起きている。
 其れは、男性の孤独感の正体を知りたがっているような気もするが、少し違うようでもある。 
 
「記憶の彼方から自分を呼ぶ声がする」

 次の絵を見ようとして・・立ち眩みがした。
 身体がふらっと崩れると、隣の男性にぶつかってしまった。

 男性は、思わず「大丈夫ですか・・」と声を掛けて美沙の腕を掴んだ。
 美沙は、慌てて男性に「済みません・・ああ、どうも・・」と、謝りながら、其の顔に視線を移す。
 電気が走った様な衝撃がした。
「あれ・・この人・・」
 目に見えない大きな時計の針が凄いSpeedで回転しだした。
「しかし、一体?・・針は逆回転をしているようだが・・声が聞こえる、次第に大きくなっていく・・」
 男性は、顔色が悪そうな美沙が気に掛かるようで、美沙に何かを話し掛けているのだが、その声に聞き覚えがある。
 男性が館内の喫茶で休んだらどうですかと話し掛けて来たから、謂われるままに二人ですぐ傍の喫茶に入る。
 テーブルを挟んで改めて互いの顔を見た時・・男性が美沙の顔をじっと見ながら。
「・・今何時ですか・・?」
 二人が、柱の時計を見た時、時計の針は長短二本とも真上を指している。
 二人、同時に呟いた。
「・・十二時?」



 全ての・・恰(あたか)も時計仕掛けの光景が、一瞬浮かんで消えた。
 しかし、随分と重い荷物がどさっと落ちて来たような気がしたのは美沙だけでは無かったようだ。
 
 男性は、「貴女・・いや、綾・・?」
 美沙は、「剛ね・・」

 其れからの二人は、七十五年前の世界に入り込んでいるような気がした。
 剛は内地にいる綾の事を心配しながら・・綾は戦地の剛の帰還を信じて・・。
 互いに思いを遂げられずに・・遭えなく・・玉砕といっても良かっただろう。
 二人にどうしても分からなかった事は、記憶は定かであるが断片であり、どう考えても現在には結びつかない。
 只、愛情というものが時を超えて息を吹き返す事があるようだという信念が、何ものにも道を譲らなかったとしか考えようが無い。




 あまりにも長過ぎた男女の失われた日々・・。
 二人は、其れに敢えて解釈を・・という意図など毛頭ない。
 既に、世代は変わってしまっている。
 
 二人が館内の売店に置いてあった絵画の本の中におかしな絵画が存在している事は知らない。

 ダリの絵に「記憶の固執」更に「記憶の固執の崩壊」というものがある。
(画像)
 ダリ自身は前者を評して、「噂された、アインシュタインの特殊相対性理論とは関係がない。(形の歪んだ時計は陽光の中で溶けていく真ん丸なカマンベールチーズだ)」と述べている。
 只、後者については、評論されている事は、「量子力学に関連がある」という事。
 また、死については、メキシコの女性画家フリーダ・カーロによる「死を考える」というものがある。
(画像)


 そして、二人は、何事も無かったように・・あの忌まわしい記憶も忘れ去られた街を歩きだす。
 如何にもマルク・シャガールらしい「街の上で」・・仲睦まじい男女を描いたもの・・。
 (画像)
 


 二人が歩いている町並みには・・スマフォを見ながら歩く者・・現代では見慣れた様々な光景の中で人々はひしきめきあうように群衆と化している。
 勤め帰りの者・・数人のグループは、これから何処かに繰り出すかのように和気藹藹とした表情の笑顔を浮かべている。時代、世代、社会も
全く変わり、この国で、且て、何が起きたのかなど・・誰もが関心を持たず・・知ろうとしないのも無理はない・・老若男女を問わず・・。
 如何にも安らぎに満ち溢れている顔また顔・・
 二人も・・同じように並んで歩いているのだが・・。



 二人は・・顔を見合わせ・・まるで、脳裏に何かを浮かべているかのよう・・。
「・・過去を知っている事って・・どういう事なのかしら・・?」
 互いに視線を合わせた彼女の目は何を語ろうとしているのだろう・・。
「・・本当の安らぎというものを知っているのは・・僕たちだけなのかも知れないね・・?」



 二人の背は・・今度こそ離れる事も無く・・雑踏に紛れると・・やがて見えなくなった・・。



 
 

Lost days 邦題 失われた日々

二人は、奇跡が起き・・出会う事が出来たのだが・・?

Lost days 邦題 失われた日々

二人の出会いが・・奇跡だとしても・・世は変わり・・遥か彼方に・・失われた日々とは・・。

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  • 全年齢対象
更新日
登録日
2022-11-26

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