京 綾乃と 3
三部作最後はいよいよ謎が解けて来た。私の正体は何と、平安の世では最も強いと言われた藤原基経を逆に影武者にしていた天下人であったようだ。
筋書きが進むに連れ・・謎が解けだして・・実に奇妙な事があったという事が分かった。
私と綾乃・小町は千年の変わらぬ愛を改めて確かめる事が出来た。
其れに、晴明の活躍・・作家の北も絡み話は盛り上がりを見せている。
京都に住んでから知人に会う為東京に。話が長引いてしまい気が気で無かったら・・やはり綾乃の夢を見た。
京都に住んでから知人に会う為東京に。
綾乃には東京で旧知の小説家に会うとは言っておいたが、意外に作家北との話が長引いてしまい気が気で無かったら・・やはり綾乃の夢を見た。
待ち合わせ場所はやはり・・「夢で申しますが、八坂神社の手前の西楼門で、朝、十時に。忘れいでね・・」。
四条通りを河原町通り四条大橋を越え花見小路まで来たら、西楼門で綾乃が微笑みを浮かべ此方を見ていている姿が・・。
通り掛かった舞妓が二人を見て頭を下げていく。綾乃はこの辺りでも顔が知れているからだろう。
「待たせて御免・・」
「まだ早いくらいやさかい、そないに急がへんでも良かったのに・・」
綾乃が馴染みの店に寄って行くから木屋町のカフェで待っていてくれという。
教えて貰ったとおりカフェの自動ドア―を開けると、和服姿の店員がお待ちしていましたと席に案内する。琴の音が流れる洒落た店のゆったりとしたソファに包まれるように身を沈める。
宜しかったらこんなものでもと店員が雑誌を持って来たから、手に取り如何にも京都らしいセンスの良い表紙を眺めたが小説などの文芸誌だ。
何もかも手配の良いのは綾乃の顔なんだろうと思う。何枚か捲ったら北の顔写真が現れた。私は今回北に会いに行った用件を思い出しながら更にページを捲っていく。
京都版の特別な雑誌などあるのだと感心しながら、其れでも北の作品紹介があるのは奇遇だなと思う。小説だけでなく詩歌なども載せてある。
歌については綾乃に聞いてみようと思ったが、幾つかの歌の中に小野小町作と記載されたものを見つけた時には、その必要も無いような気がした。
平安の都の歌は恋愛感情を詠んだものが多い。果たして、それ程男女の仲が複雑だったのかと思うが、自分もそれらの渦中の人物だったと聞かされているから満更他人事とも思えない。
それにしても、自分も何某として歌を詠んでいたのだから、その模様など何かしら綾乃から聞く事が出来るのではないかとも・・。
北の小説は、雑誌が京都版だから京都や奈良についての作品を取り上げているが、彼自身、勿論古都につき格別の関心を持ち合わせている。
東京での話の内容は彼が京都にやって来、綾乃をモデルに作品を書きたいと考えているという事だ。
綾乃との経緯については大まかな説明をするに留めておき、此方に来た時に詳しくと話してはあるが、察しの良い彼の事だから言外に何かを感じたのかも知れない。
丁度雑誌を読み終えた頃に自動ドア―が開いた。
綾乃を見た時私はまた別のイメージを感じたのだが、季節が変わる毎に彼女の姿も其れにあわせたように艶やかに変わる。
新しく浴衣をあつらえたようだ。着物の似合う彼女だけに和服はお手の物という事なんだろう。私も京の人間になったからには和服をと思ったら、彼女が私の分も揃えてあると言う。
サイズなどはどうなんだろうと思ったから其れを尋ねた。
「あんたとは長い付き合いなんどすさかい、なんも言わへんでも分かっとる」
其れもそうだなと思い、いや、私の分までとは悪かったねと言うと、綾乃は微笑みながら、この後店に寄り貰っていきましょうと言う。
「そうだね。ところでまだ話して無かったが、東京の作家が君をモデルに書き物をしたいという事になってね・・良かったかな・・?」
綾乃は微笑んだまま。
「うちの事やら書いて役に立ちはるんやろか・・私はいっこもかまへんけど・・」
考えてみれば、綾乃の美しさに北の一文の味わいとなれば、似合わない訳はないなと思う。
テーブルに置かれたままの雑誌を手に取ると先程の歌のところを開き、詠まれている歌を見せ綾乃の表情を窺うが・・どんな反応が期待できるかと・・。
「いややわ恥ずかしゅうなる。其れはあとでいな、まだ明るいうちよりは夕ご飯の時にでも・・」
と、綾乃が紅の口に白い手の甲を添える。
コーヒーカップが空になった頃二人はカフェを出た。
途中、店に寄り片手に荷物を持つと歩き出す。
先ずは、私が山科から随心院に行ってみようかと持ち掛けた。
山科に近付くに連れ、綾乃が懐かしそうな顔をする。
やはり、山科が小町にゆかりの地なのかと思う。
続いて随心院まで行く事にした。
此処は小町伝説で一番有名な、九十九夜・百夜通いで有名な「深草少将」伝説の舞台となった地。
小町が此処に住んでいたとされていて、小野小町を慕い少将が九十九日通い詰めたと言われている伝説の地。境内には深草少将を含む小野小町あてへの手紙が千束収められていると伝わる文塚、小野小町が化粧に使用したとされる化粧の井戸などがある。
小町を慕っていた少将は九十九夜目・百夜目に願いが実らず此処で倒れて息を引き取ったとされている。
小町は少将を好いてはおらず、百日通いをさせたと言う説もある伝説の地である。
私が其の話をしたが、綾乃はとんと覚えがない様子だ。この地に住んでいた事は何となく懐かしがっている事から、どうやら住処があった事は本当の様でもあるが、少将の伝説は後世に世阿弥などの能作者たちが創作した逸話のようだ。
地下鉄を降りた頃には茜色の夕闇が迫っていた。
綾乃は、そろそろ晩にしましょうかと言い、鴨川の畔の料亭に案内してくれた。
鴨川の畔の料亭で、二人が店に着く前に女将が顔を出し迎えてくれていた。何時も思うのだが、私達の行く先行く先と人々は何もかも知っているかのように労ってくれる。
閑静な個室に案内して貰ってから女将に山科に行って来た事を話したら、一度綾乃の顔を見る様にしてから口に手をあてながら笑いだした。
「ひょっとして少将はんの事どすか?其れやったら、能のお話で面白おかしゅう作った言われてます。京では皆知ってる事どす」
という。
女将は、今、すぐにお持ちしますと言い奥に・・。
綾乃の事は都中で知っているようだが、やはり千年の昔からの言い伝えなのだろうか、其れであれば腑に落ちない事も無い。
何せ、絶世の美人なのだから・・。
間も無く料理などが、四角い大きなテーブルの上で二人を眺め始めたように並ぶ。
見た目だけでも楽しませてくれている色取り取りの料理は食するには勿体ないような気もするのだが。
きっと、厳選された食材を用い京都風に鮮やかに仕上げたのだろう。
膝を崩し楽な姿勢になった綾乃が、早速私の手にした小ぶりのぐい飲みに酌をしてくれ、私もお返しに綾乃に酌をする、気持ちが良い程一気に飲み干している間に二人のペースは同じになった。
料理にも詳しい綾乃が先ずはどれから先にと説明してくれ、私の箸は言われた通りに料理を摘まめば其々の美味を堪能できる。
綾乃の真白き顔がほのかな紅を帯びてくる頃、約束通り一つ歌を詠んでくれた。
「花の色は移りにけりないたづらに我が身世にふるながめせし間に」
此れは、正に、小町が素晴らしく美人であったことを窺える有名な百人一首の歌だ。
私は、自分が一体誰だったのかが分からないからと、謎かけをしてみる。
小町が歌を贈った相手とし三人の男性がいると言われているが・・それと私は一体・・。
綾乃は微笑むと。
「千年前の事どすさかい、何やら、いろいろ言われてるようどすが、真実は、うちにしか分かりまへん」
では、一体、私は誰だったのかと・・綾乃の瞳を期待するように覗き込む・・君にしか分からない事だとすると・・。
「うちが貴方の事をほんまに愛していた事は間違いおまへん・・其れで・・その名は・・?」
私は身を乗り出すように、「その名は・・」。
綾乃は私の目を見ると。
「うちがほんまに愛した人ん名は、うちしか・・今の世では誰も知らへんどっしゃろ。私は愛さればこそ幸せやったの・・それがあなたは、他の女性の恨みを買い・・ちゅうのも前にお話しした通りおす。その女性とつきおうていたのに・・私と互いに愛し合うようになってもうたさかい・・」
と、綾乃は瞳の奥まで懐かしそうに・・。
「以前二人でその女性の墓参りを致したさかい、怨霊もいっぺん手ぇかけてもうたあなたに、再び憑りつきはしいや・・」
私が、自分の名を聞けないと一瞬沈んだ表情を浮かべた時、綾乃は・・、
「実は歌を詠んだのは六歌仙ではなおし・・もう一人おうた、それが貴族の長であらしたあなた・・」と。
私は思う。千年も前の事。綾乃とこうしていられ、綾乃は私の事を限りなく愛していてくれる。其れに、私を殺めて自らも命を絶った女性の事も憐れならば・・名を知らずして・・其れで充分ではないか、綾乃はそのあたりを全て承知の上で・・私を傷つけまいと・・其れは、有難い事だと思うが。
ただ、六歌仙の筈が更に七歌仙だったとは・・今では誰も信じないだろう。確か、小町と歌を交わした相手は三人となっている。
その内、在原業平は随分女遊びで有名だが小町は近付かなかった。そしてもう一人も、三河迄一緒に行かないかと小町を誘ったのだが小町ははっきりと断っている。更に、一人には気にも留めなかった様で、あくまでも歌を詠む会で親しくなったと、今はそう言われている。
そうなると、貴族の長でありながら密かに歌を詠みあい、小町と恋仲になった人物が人知れずいた事になるのだが・・。
貴族の長であれば、当時、最も権力があったのだろう・・。
其の時、スマフォが僅かに振動した。
作家の北からで、明日京都に来るつもりだという。
そうなれば綾乃をモデルにし、素晴らしい話を語るべく・・。
其の晩嵯峨野の庵に到着する頃時空が歪みだした。
私は、綾乃と共に千年の昔に戻っていった。
江戸の世に尾形光琳が描いた『三十六歌仙図』を持ち出したような光景は三十六歌仙の歌会の真っ最中であるが・・二人は宙に浮かび其れを見ている。
其の中に小町がいる筈だが姿が見当たらない。
綾乃が此処にいるから小町が姿を現さないのかと思ってみたりもする。
三十六歌仙と言えば正月の百人一首を思い出すのだが、一部屋の中に皆揃い所せましとばかりに熱心に歌を詠んでいるようだ。
しかし、江戸の世の光琳の描いたものは、時代が異なる者を混ぜて実際には同じくして歌会に出ていた様に描いているとも思われ、何処までが真実なのかは分からない。
綾乃が其の中にいる二人の素性を説明してくれた。
清原元輔と言う人物を指し示し、あれが清少納言の父親だと言う。小町と別の時代に生きた清少納言の姿が浮かんできそうだ。
更に、綾乃が在原業平を暫く見つめてから、六歌仙であり料亭で話をした人物である事を話す。私は歴史上小町と歌を交わした三名のうちの一人に嫉妬の様なものを感じた。
というのも、頗る美男であるから、しかも、年代も小町とほぼ同じ時期に生きていたとされている。
業平は其の美男故に近寄ってきて関係を持った女性が三千人とも、確か伊勢物語に書かれていたような気がするが、其れも誇張とはいえ満更嘘とも言えなく女遊びにうつつを抜かしていたのだろう。
此れだけの美男であり、しかも六歌仙でも同席し年代も同じだと聞き及べばあるまじきか?・・と私がそう思うのも当然だろう。
一説によれば小町は歌は交わしても、はっきりけじめをつけ物申したとなっている。綾乃は、そんな私の顔色に気付いたのか口元をきりりとさせ。
「あの男は女狂いで名を売ったほど。あたしは、いずこの女性にも鼻の下を伸ばす様な殿方に興味を示す事はおまへんから・・」
そう言われれば、小町は世界の三大美女とまで言われているほどの美女故、並みの興味は示さなかったと申してもおかしくはないのかと思う。
まあ、綾乃の言葉に嘘は無かろう。
三十六歌仙の中にひょっとしたら、自分も混じっているのではとも思ったが、綾乃からそういう事は聞いていないから少しは気が楽になった様な気がする。
問題は、三十六歌仙で無く六歌仙以外にもう一人の人物が誰なのかという事だ。歴史など真実ばかりを後世に残している訳では無いのだから、暫し、宮中などを廻ってみたいと思う。
以前、スマフォで調べた折に、小町の生きた年代は定かでは無いから、おそらくであるがほぼ同年代の「謎の人物」がいた筈・・。
何れにせよ綾乃が三十六歌仙に興味を示さなかったとは、事が一つ前進したような気がする。
以前調べた中で権力があった人物となればそれ程多くは無かったような気がした。只、史実は今となっては分からないから、意外な人物がそうなのかも知れない。
例えば、現在では把握していないような者で実際に権力を持っていたり、年代がかなりズレていた可能性も大いにあり得る。
当時最も権力があった人物は、藤原では北家の系統の藤原基経で、史上初の関白となった人物。
小町の生没は定かでは無いが、大体は、先程の在原の業平と同じ生まれとなっている。基経は更に十五年程後に生まれているという事になっている。
基経の先代となると、謀略に長(た)けた藤原義房で摂政の身で、娘を天皇の皇后にさせている。
そのあたりで人物が決まった様な気がするのだが・・。
実際に現代では存在しないとされている人物である。
つまりは、歌を詠む事に関しては二枚目の業平だろう。
権力では基経という事になる。
此処で、私は基経の史実を顧みる事にした。
⦅藤原 基経(ふじわら の もとつね)は、平安時代前期の公卿。藤原北家、中納言・藤原長良の三男。摂政であった叔父・藤原良房の養子となり、良房の死後、清和天皇・陽成天皇・光孝天皇・宇多天皇の四代にわたり朝廷の実権を握った。陽成天皇を暴虐であるとして廃し、光孝天皇を立てた。次の宇多天皇のとき阿衡事件(阿衡の紛議)(宇多天皇は先帝の例に倣い大政を基経に委ねる事とし、左大弁・橘広相に起草させ「万機はすべて太政大臣に関白し、しかるのにち奏下すべし」との詔をする。関白の号がここで初めて登場する。基経は儀礼的にいったん辞意を乞うが、天皇は重ねて広相に起草させ「宜しく阿衡の任を以て、卿の任となすべし」との詔をした。阿衡とは中国の故事によるものだが、これを文章博士・藤原佐世が「阿衡には位貴しも、職掌なし」と基経に告げたため、基経はならばと政務を放棄してしまった。
問題が長期化して半年にも及び政務が渋滞してしまい宇多天皇は困り果て、真意を伝えて慰撫するが、基経は納得しない。阿衡の職掌について学者に検討させ、広相は言いがかりである事を抗弁するが、学者らは基経の意を迎えるばかりだった。結局、広相を罷免し、天皇が自らの誤りを認める詔を発布する事で決着がついた(上述の阿衡事件)を起こして、その権勢を世に知らしめた。御門(天皇を更に敬った名称で天皇に同じ。)よりも藤原氏が強いとしたのは基経。天皇から大政を委ねられ、日本史上初の関白に就任した。これ以降藤原氏が関白を勤めるが、基経から五代後の藤原道長は関白では無かった。更に、関白となった者は藤原氏以外では豊臣秀吉まで歴史を飛ばさなければ見られない。平安時代の華々しく朝廷を賑わせた藤原氏の繁栄。それを加速させた人物が藤原基経であり、その五代後が藤原道長となる。事実上、平安時代最強の男といっても良いだろう。此れに絡み、菅原道真も登場するのだが、其れは、上述の阿衡事件により藤原氏の権力が天皇よりも強い事をあらためて世に知らしめる事になった。(上述に同じ。)これを所謂「正式の関白就任」と呼ぶ事もある。基経はなおも橘広相を流罪とする事を求めるが、菅原道真が書を送って諫言して収めた。この事件は天皇にとって屈辱だったようで、基経の死後に菅原道真を重用するようになる。⦆
つまりは、二人をあわせたような人物がいた事になる。
影武者の逆の様なものだが・・基経を超える遥かな人物と言われてもおかしくはない事になる。
では、其れは誰だったのだろうか・・?
綾乃に、君の好きだった相手の正体が大体わかってきたと言う。
「あんたも頭が宜しいやさかい、やっとわかってくれましたか、そやし、名はあたししか知れへんという事になってます。あんたの名は今の名どす。澄夫、つまり藤原澄夫・・あんたは実際には基経と同じ権力を持っていて、尚も業平と同じ様な二枚目で歌が詠めたと言うたら如何思うて・・?」
そんな人物は三十六歌仙にも六歌仙にもいない訳で、尾形光琳の描いた絵の中には見られないが、光琳は江戸時代の人間だから、絵はごちゃ混ぜでいろいろな人を勝手に想像だけで描いている事になる。
歌だけは存在しないとおかしな事になるが・・。
綾乃は、掌を口元にあてるとそっと息を吐きながら。
「そやし、あたしは業平は好きで無い理由は出鱈目そやしどす。伊勢物語のおなごを三千人というのも考えてみればあり得ない事でしょう?業平の歌はあんたが詠んだ歌が如何にも業平が詠んだ様にされとるだけどすよ・・つまり・・あんたが詠んだ歌は業平の歌と同じ物がある。そやけれど、あんたはそないなに歌については返してこなかった。殆どはあたしが一方的にあんた宛てに詠んだのどす・・」
貴族の中から、自分を探しに行く事にした。
突然、晴明が何処からともなく現れると案内してくれた。
時代そのものが本のページを捲るように風景が変わっていき、晴明が指で指し示したのが藤原の澄夫だと言う。
関白として権威を奮っていた、基経よりは大人しそうな感じに見える。
晴明は間違いなく関白の貴方だと言う。
晴明が言うには、長い間に人の言い伝えなど宛にならなくなってしまうものだと言う。実際に晴明が生きていたとされる時代は小町は存在しないし、晴明を慕っていた紫式部にしても和泉式部や清少納言も同じ時代とは言えない程年が離れすぎている。
晴明でこそ何時の世にも現れる事が出来るのが、晴明が超人である証拠。
晴明が、自分の例を挙げて、貴方が史実では違って解釈されている事も何となく分かるでしょうと言う。
晴明が念じてくれて、二人は嵯峨野の庵に着いていた。
庵で二人が横になってから、綾乃が、
「明日、晩になってからあんたと私の歌を詠んで見せます」
と言い、私が「夢の歌人」と呼ばれているのも、私の歌が夢のような事ばかり詠んでいると言われているのも、そんな事情があるからでしょう。実際にあんたと言う方がいたから、あんた宛てに詠んだ事が、夢だと言われている。其れと、あんたが他のおなごと良い仲になったと言うのも、納得できるでしょう?貴方は二枚目でモテたから。でも、私に近付く殿方は、私は好きで無かったから、あなた以外にいなかったのです、互いに愛し合う事が出来たのは、そんな訳があったからです・・」
私は、晴明と言え、綾乃と言え、寧ろ本当の事を言っているのだと確信できた。
添い寝をしてから、世界三大美女の身でありながら、はにかむ綾乃が余計に可愛らしく感じられた。
二人は、あっという間に、共に、眠りの底に辿り着いていた。
翌日、北から連絡が来て木屋町のカフェで待ち合わせをした。
先日、綾乃が出掛けた間に私が待っていたカフェ。
綾乃を北に紹介した。
「綾乃と申します、どうぞ宜しゅうお願い申し上げます」
北は、一瞬眩しそうな表情をし・・綾乃を眺めるようにしてから目で挨拶をし、私達の向かいの席に座っていたのだが、暫し間が開いたから、私は横のラックから先日の京都版の冊子を取り出して見せた。
北は、ほ~う、と、言うと暫しページを捲っている。
自分の紹介が載っているのを見て笑い出した。
「本人が見ても恥ずかしいもんだな・・」
「ところで、北先生は綾乃をモデルにして何か小説でも・・?」
「うん、綾乃さん、やはり君の話のとおり・・十分に小説にはなると思ったんだが・・只のものでなく・・歴史物と現代を混ぜて・・と思っているんだが・・」
北がコーヒーを飲んでから、此れはなかなか美味しいね、まあ、京まで来たんだから、夜は何か美味しいものをと・・。
ああ、其れはそのつもりでいますから、ご心配なく。
晴明の話もしたら、其れも何か物語に加えられそうだと言う。
北は、コーヒーカップをテーブルに置いてから、タブレットを取り出して何やら調べ物をしている。
北は、店に入るなり綾乃の美しさに驚いていたのだが、機嫌が良くなったのもモデルにするには、それなりのイメージが湧きやすい方がという事で、北のお眼鏡に叶ったようだ。
物語だから、書き手が如何様にも出来るとは言え、北程の大先生になれば其れなりのストーリーを考えているのかも知れない。
北には千年の事は話をしてある。其れは綾乃だけでなく私にとっても同じ事で、以前、時空が歪んだ際に東寺で起きた出来事(二話に記述。)も話をしてある。
其の時に晴明が現れてくれた事も。晴明については最高の陰陽師という事で北も良く知っているから、何処で何時晴明が現れてもおかしくはないと了解をしている。
北がタブレットをしまって三人で取り敢えず京の都を散策しようという事になった。北にとっても久し振りの京都だった様で観光を楽しみにしている様だった。
先ずは、北の希望で、バスと地下鉄のフリー切符を購入する事にした。京都は一か所だけならまだしも幾つも廻れば渋滞に引っ掛かる事も、増してや夕方や朝は車が繋がって動かなくなる。
元の藤原氏の屋敷跡が幾つかある辺りを通り、北野天満宮の辺りでバスを降りた時だった。
時空が歪み始めている。俄かに暗くなってきた時。晴明の顔が現れた。綾乃も何かを思い出している様だった。
晴明が話し始める。
「応天門の炎上(応天門の変)により事件は基経に不利のようだったのが、基経は養父義房に相談をし、その尽力により基経は無罪となり、結局中納言を拝するようになった。更にその後の阿衡事件(あこうじけん)により、基経は宇多天皇(うだてんのう、867 - 931年)との間で起こった政治紛争であるが、菅原道真が基経宛にこれ以上争う事は藤原氏の為にならないと書を送り、基経の怒りがおさまった。この事件により基経は藤原氏の権力の強さを世に知らしめ、天皇は事実上の傀儡であることを証明した・・」
此れを聞いていた綾乃は、私の顔を見ながら言う。
「やから、あなたは、貴族やて天皇より力が強かったと、うちがえらい前お話どした通り、天下を取る身にならはったのどす。うちは其れを見てやはったから・・あなた・・と言うても・・基経は寧ろ影武者であなたが実質的な基経やったんどす・・」
そう言われて、実感として・・事実上の天下を取った貴族・・が、自分だとの記憶が蘇っては・・半分程度、其れでもそんな事があったかのような体感は残っていたようだ。
北は目の前で晴明が話し、綾乃が付け足した事について、綾乃を主役とする、私と綾乃の恋愛をストーリーにしようと考えているような気がする。
小町の事については、歴史上不明な事が沢山ある。逆に言えば、綾乃が主張する私の権力と地位には直接関係無く、綾乃が私を愛していた本当の事をテーマに持ってこようというようだ。
そう考えている時、目の前にバラバラと基経の家臣らしき武装した集団が現れた。基経からの依頼に相違なく、自分が影武者では無く、私が影武者だと決めつけ暗殺をしようと計画か・・?
此れに、私と歌で知り合った女性が絡んでくる。女性は私との仲が次第に離れていき綾乃を恋するようになったことに殺意を抱いた。しかし、現代に於いては女性を憐れみ墓参りにも行っているのだから、何も因果関係は無くなり応報は消えている。
結果的には私はその女性に殺害されるのだが、其れに基経の陰謀が絡んでいて、私の死が、歴史上では基経が天下をとる事に繋がったと記録されている。
しかし、一方、歌を詠んでいたというのは在原の業平で、此れも史実とは異なり、業平の歌は私が詠んでいたという事なら納得が出来る。
そのあたりの基経・女性・業平達の恨みを買い私が殺害されたという事になる。業平にしても頗る二枚目となっているが、伊勢物語の三千人の女性との関係というのは嘘であろう。
そうで無ければ、私の方が業平より女性にモテたという事にならない。業平は大ぼら吹きだけに真面に恨みを抱くものはいなかったとなっているのだから、そう考えた方が素直だと言える。
しかし、そうなれば、私は其のままこの世のものとして存在していない事になり、さすれば、綾乃との話も途絶える事になる。
其処で、晴明が何時の世にも現れる事が出来た彼で無ければその謎は解けない。其処からは彼の話に頼るしかない。
北が、その辺りから物語を其れにあわせるように創り出すつもりのようだ。かなり、立て込んだ歌舞伎もののような様相を呈してきた。
此れが、江戸の太平の時代に実際に起きたいつの世にも人気がある「忠臣蔵」とは異なり、史実と物語が交差し何方が真実でと言えば史実は実はまがい物という事になる。
北としては忠臣蔵並みの面白さを表現したいと思っているようだ。
晴明が其処から話を続けた。
先ず、基経が影武者の私を暗殺した。其れは、私を一時は愛していた女性の行為を利用した末の事。
業平は此れに関しては直接は何も係わりが無い事になる。
其れでは、どうして殺害された私が今日まで存在しているのかという事になる。
其れについては晴明が説明をした。
一旦は亡くなった私は、小町の懇願により晴明が蘇らせたという。女性は加害者故に其れは叶わぬが、私は女性というよりも其れを操った基経の計った通りになった事を鑑みて陰陽道の生命の復元を試みたと言う。
晴明もカエルを潰すくらいの事は経験があったのだが、流石に人を殺す事は出来ないと思っていたらしい。
其れが、増してや亡くなった人間を蘇らせるなどは難しい事と試そうとも思わなかったのだが、余りの小町の思いに試みる事にしたという。
果たして、私は見事この世に生還したのだが、再び基経は影武者という事になり、その間、基経は企みで養父義房の力で無罪となった経緯があり、其れから最高の地位を築いたとなっているのは、実は澄夫が実力で権力を手にしたという事
天皇を傀儡と嘲笑い、私を経略を持ち殺害した張本人である基経を、身代わりにして、死国に送る事になったという。
其れで、その後基経に変わる実は澄夫が全ての権力を手にし正式な関白となった。晴明が言うには、澄夫を計りごとで落とそうとした罪と小町の祈りが天に通じたとの事。
そうで無ければ晴明と雖も徒な生と死を産み出す事は出来なかったと言う。人間離れした陰陽道の達人だからできた事とは言え、決して道理を無視し天地をひっくり返す事よりは、容易かったと。
私は晴明に感謝をする一方、願いの程が晴明をしてその力を発揮させる事となった小町・綾乃に只管感謝をすると共に、愛情の深さを改めて感じ、自らもだからこそ綾乃を千年も愛した。
その場にいたのは、三人だけではなかった。北は、それらの話が正に自らが語ろうとする物語に値するものと盛んに顎髭を撫でつけるように、脳裏に浮かんできた実感を感じていたようだ。
実は、小町のところに小野の少将が通い続けたという能の逸話は、真相は、実は小町が澄夫の為を思い、今でも二人の待ち合わせ場所である八坂神社の手前の西楼門は、女性に殺害された場所であるし、通い詰め神社に願を賭けたと言うところから人知れずの事実で、其れを知っていたのは晴明と綾乃だけだったという事になる。
雪が降る日も暑さの中でもめげずに只管私の事を思い、一日も欠かさずに只管通い続けている美面が見えない、その背を何回も見ている内に晴明も、此れがあの世の中に名を轟かせた美女の成れの果ての姿かと、遂に極まる程に感じ入り願いを叶えてあげたくなったと呟いた。
私は、晴明の神秘的な力に恐れにも近いものを感じると共に、其処までしてくれた綾乃に只管感謝をし、だから、夢を詠った歌が多いと言われた素晴らしい歌人だったのだと思う。
北が、その辺りを心得ていてくれるように顎をしゃくる。
「こりゃ、随分、大胆な展開だが、正にいろいろな要素を含んでいて神秘性や悲しみ・・そうだな・・愛の深さをとでも・・いうところかな・・まあ・・」
晴明は超人だが、物書きはどうなのかと思ったのだが、天賦の才の持ち主にしては遠慮がちに。
「・・小町さんを始め、香子(かおりこ、たかこ)~紫式部・清少納言「諾子(なぎこ)」や他にも本名が違う歌人のように、歌を詠んだり物語を書くなどは・・私よりも・・」
そうは言ったものの、彼も、十二天将を出現させる時にすらすらと書いては息を吹きかけるという才能は、言葉が違えば何事も起き得ないだろうと思えば、天賦・文才の持主である筈だが、只、天と地に言い聞かせる程の才能であるから・・。
宙に浮かんだように立ち話をしていた一同は、綾乃の控えめな声で、我に返ると、夕食を鴨川べりでという事になる。
晴明が歪ませた空間の向こうには鴨川に架かる四条大橋が見えた。北が、先程の話を思い出し、是非八坂神社の手前の西楼門から神社までを廻ってみたいというから四条通から花見通りを通り過ぎ祇園を西楼門まで向かい、北が辺りを見回すように空気を味わっている時に、数名の芸妓が軽く頭を下げながらちらほらと通り過ぎていく。
一人が突然立ち止まると北の顔を見て摺りようように近付く。
「あら、北せんせどすなぁ。うちんせんせんファンで、此処にサインをしいや貰えまっしゃろか・・」
北も、慣れたものではあるが、楼門の方に気を取られていたから、芸妓の姿に気付くと、すらすらとサインを・・。
芸妓でも舞子とどちらが余裕があるのかは分からないが、稽古に明け暮れるだけでなく本も読むのだろう。
暫くは其れを見つけた辺りの通行人の内からサインをという声が途切れそうもない。陽が鴨川の水の飛沫に輝きを与えると、次第に跳ねる様な赤色を祇園一体に振りまいてからすっと西に沈み、青い惑星を少しだけ回転させたように紫色の薄闇に後を譲ると、すっかり都の宵は出来上がっているようだ。そんな情緒に、北が、何か感じた様で、静かに頷いては物語に色を添える絵画のような風景を脳裏に刻み込んだようだ。
彼方此方の街の灯りがぽつぽつとつき始める頃、一同は綾乃が導くように川べりの料亭に。女将が相変わらずの愛想良い挨拶を・・。
何時もより幾分広めの個室に、車座を描くように思い思いに座ったまま、メニューを見たり綾乃の勧める京料理を注文する。
間も無く襖が開くと机に料理や酒が並んでいく。北は、珍しく笑みを漏らすと、これこれと呟く。
女将が重ねて置いた取り皿を綾乃が片端から手にすると、手際よく其々の前に料理を並べる。女将も高級料亭にはつき物の愛想を振りまきながら手助けをする。
女将が退いてから、銘々が好きなものから箸をつけていく。二人の時よりやや広めの部屋には通常なら芸妓が揃ってもおかしくはないようだ。
襖には平安時代のような古風なちょっとした絵が描かれている。空気のような晴明も一緒にお相伴をと全員が肩の荷を下ろした様に寛いで場を賑わす。
私は思った。
「考えてみれば、皆、秀でた才能や美しさをひけらかす事は無いが、大したものだと・・」
北に、筆の心つもりはどうでしょうかと尋ねれば、京料理に上機嫌に見える表情に秘めている才能が彼をして言霊を転がさせる。
「・・うん?そりゃ、先程の景色そのものが大方の絵になっていたから・・しかし、君・・今日は随分と稀少な語り部もおったし・・いやあ・・きっと、思い通りのものが・・」
綾乃が一言断って膝を崩すと、私も北も、其の風情が感にいった様に、一息改めて呼吸をする。
其れを、晴明が笑っている。
上座には北のほかに晴明も。
命の恩人であり、正に貴重な物語を産み出してくれた本人である。
北が、
「ところで、君達二人が知り合った時の情景は・・?」
と何気なく聞くから。
「薄暗い路地に、和服姿の女性が、少し大きめの和傘を持って立っている。
私も、疲れてイライラしていたから、多少、ぶっきらぼうに、女性に声を掛けてみた。
「何処かこの辺りで、落ち着いて飲み食いできる店は無いですか?」
女性は、傘越しに此方を振り返ると、微笑んだような表情でぼそっと言った。
「お困りのようどすなぁ。うちん知ってるところで良かったら案内させて貰えるけど・・」
私は、京都の人に案内して貰えるならと期待して、
「そうですか。何処かありますか。助かります、お願いします」
と、縋るように女性の顔を見ようとした。
丁度傍らにある、京都らしい風情の建物の表の薄灯りで、女性の顔が浮き上がって見えた。
小野小町の顔は謎だが、ひょっとしたらこんなでは無かったろうかと思った程、私は驚いた。
実に、美しく、何か神秘的な感じのする、京女性の細面が、目の前に。
私は、全身から今までの疲れが何時の間にか消えて行くのを感じた。
雪はさほど振ってはいなかったし、私は傘を持って来るのを忘れていた。
女性の後を少し間をおいて歩き出すと、女性は振り返って、
「一緒に入ったらどないどすか。寒いし、濡れるやろう」
というと、傘を私の身体がおさまるようにと、私の小雪が積もっている肩越しに傾けた。
と、声にならない気を送った。
察しの良い北も晴明も、頷いては酒を組み交わしている。
綾乃が其れが二人の再会だったと思い出し紅の口から・・。
「小町ちゅうおなごは、かな時からあんさんとん幸せをもっかい味わう事が出来やはった・・」
綾乃は、笑みを浮かべながら品を作ると。
「秋の夜も名のみなりけり逢ふといへば 事そともなく明ぬるものを」
「秋の夜長、何て言うけど名前だけね。愛しいあなたと一緒にいればあっという間に朝になってしまうわ… 」
(小町にしては唯一の恋の成就の歌と言われている。)
鴨川の鳥が囀(さえず)るような流れの音、そして、水面の波に躍らせるように揺れながら映っている真ん丸な月は、遥かな都の時代から普遍の柔らかな光を漂わせてきたのだろう・・。
芸妓が二人で歩いてくる後ろから、
「夢で申しますが、八坂神社の手前の西楼門で、朝、十時に。忘れいでね・・」。
そんな可愛い声が・・皆の心に響いていた様でもあった・・。
京 綾乃と 3
元の作品に若干の筋書きというか、平安の世ではもっとも権力のあった最強の藤原基経の歴史上の活躍を付け加えた。
私は、綾乃は承知の上だったが、まさか、天下人だったとは思われぬが、どうやらそうのようである。
三十六歌仙に六歌仙が七歌仙だったことやら、案外、面白そうな都の話が窺えた。