クルミの杖
純粋なファンタジー どうぞ。
森の中で、倒れた大きな木に腰掛けたじいさんが、杖に向かって何か言っている。
ぶつぶつと。鳥のさえずりで聞き取りにくいが、どうも、今度はかわいい茸が生えてこい、とかいっている。山の帽子をかぶり、茶色のシャツに、茶色のコットンズボンをはいているじいさんは、姿形ではぼけている様子はないが、何を言っているんだ。
じいさんを木の上から見ているのは木鼠の夫婦である。
あの杖はクルミの木の枝でつくったものだな、
木鼠の夫がいうと、
そうね、昔ずいぶんおいしくいただいたわね、
妻の木鼠はなつかしいようなくちぶりだ。
樹齢三千年のクルミの木は、何世代にもわたる木鼠たちに、おいしいクルミを提供してきた。
それが、三年前、どーっと倒れた。全く風のない時だ。まるで、もう生きるのがいやになったように。
倒れた木の周りには、まだまだ千年にもなるような大きなクルミの木が何本も生えていて、木鼠たちにクルミの実を提供し続けているから、木鼠たちに大きな問題はない。回りの木というのは倒れたクルミの木の子どもたちだ。
クルミの木が倒れると、いずこからかあのじいさんが鋸をもってくると、何日もかけて一本のいい形の枝を選びだし、切り落として磨いた。それを自分の杖にした。それから、毎日のように、その杖を持って、森の中を歩き回り、疲れると倒れたクルミの木に腰掛けて杖に話しかける。
どうしてクルミの木が倒れるのをじいさんは知ったのだろうか。
木鼠夫婦が不思議に思って見ていたら、山鼠のだんながやってきて、俺が教えたのさ、と言った。山鼠の旦那はじいさんの丸太小屋に居候している。じいさんは足が疲れると言って、長年楽しんできた森歩きを躊躇していた。雪の降る日も森の中にでかけていっていたのに、半年ほど無沙汰になっていた。このままじゃじいさんぼけちまうと、山鼠がクルミの木がたおれた、枝を杖にしなよ、と教えたそうだ。それで、じいさんは森にやってきたわけだ。木を切ったりするのは、じいさんのお手の物、時間をかけて気の合った枝をみつけて杖にしちまったというわけだ。
おかげで、じいさんはまた毎日森を散歩することができるようになったのだ。
木鼠が眺めていると、じいさんのもっている杖の枝のところから赤い茸が生えてきた。
よしよしとじいさんが立ち上がった。
赤い茸をどうするんだろう。木鼠の夫婦が気にしていると、山鼠がじいさんの山小屋においでよと言った。
じいさんが森の中を歩いているうちに、杖の表面はびっしりとかわいい赤い茸でうまってしまった。
じいさんを追いかけて木鼠と山鼠は木から木、器用に飛び移っていった。
森の入り口に広がる草原を横切ると、ちいさな湖の畔にじいさんの山小屋が見えてきた。
「あの家さ、いいすみごこち、ってとこさ」
木鼠は山鼠に言われて草原の中から顔をあげた。
「たしかにいいね」
じいさんはあけっぱなしの山小屋にはいると、靴を脱いで杖をもったまま居間にはいっていく。
木鼠は山鼠の通り道を通って家の中に入ると、居間の上に張り出している梁に腰掛けた。
山小屋に居間一つしかない。あと小さな倉庫とトイレがあるだけだ。じいさんが寝るベッドも、食事をするテーブルも、椅子も、それに料理をするところもみんな一つの部屋だ。
じいさんは椅子に腰掛けると杖を両手でもった。
「さーたのむな」
と声をかけるた。すると杖の枝から赤い茸がぞろぞろと床に降りてきた。赤い茸たちはテーブルの上に飛び乗った。
木鼠夫婦が目を丸くした。
「茸はかじって食うものかと思ったら、あの茸はなにをするんだい」
「まあ、みていなよ」
山鼠は見なれているらしい。
赤い茸はみんなしてテーブルの上をごろごろ転がって、テーブルから落ちそうになるとまたもどった。
「準備体操か」
つぎにぴょんぴょんとはねた。
「さあ、今日の料理はなにかな」
ちょっと大きめの赤い茸が、傘をふにょふにょ動かして、
「ラズベリーソースをかけたカンゾウタケのステーキ、野菊の酢の物、白いご飯」
「たのむよ」
じいさんはそう言うと、ベッドに腰掛けたままいびきをかきはじめた。器用なもんだ。
赤い茸が山小屋からとびだすと、森に行ってカンゾウタケや材料を頭の上に載せて戻ってきた。あっというまだ。
「あいつ等、手も足もないのにどうしてできるんだ」
木鼠の夫婦は不思議そうだ。
「クルミの枝の杖だからねー、そこから生えた茸はよく訓練されているから」
山鼠はため息をついた。
と、ため息をききつけた一つの中でも大きな赤い茸がからだをそらすと、上を向いた。「おーい、居候う、おや、今日は木鼠も来てるな、手伝え」
山鼠はほらきたと、見つかったじゃないか、下に下りるしかないよ、木鼠夫婦をうながして、梁からおりた。
「なべに水いれて、米いれてくれ」
言われたとおりに山鼠がすると、赤い茸がたくさんあつまってきて、キッチンの上で、ぎゅうぎゅう押しくら饅頭だ。
「のっけてよ」
赤い茸が言った。山鼠と木鼠のだんなが集まった茸たちの頭の上になべをのっけた。
赤い茸たちの頭がぐーっと膨らんで熱くなってきた。
米はすぐさまぐつぐつとにえはじめた。
「さて、木鼠の奥さん、ミルクパンにグズベリーいれおくれ」
赤い茸に言われて、木鼠のおくさんが、立派なグーズベリーだことといいながら、ミルクパンに入れた。
赤い茸が三匹、ミルクパンに飛び込むと飛び跳ねた。
あらあらあら、奥さんが驚いていると、ジュースになった。
新たに三つの赤い茸が集まった。
「ミルクパンをのっけておくれ」
奥さんが三つの茸の頭にのせると、すぐにぐつぐついいだした。三つの茸は頭をゆっくり動かした。中のグーズベりーがとろりとしてきた。
グーズベリーのソースができるのだ。
山鼠が野菊の葉っぱと花を器にいれると、木鼠のだんなが酢をいれた。
器に一つの赤い茸がはいってかきまわした。
野菊の酢の物ができた。
大きな赤い茸が一声「さーできた、はこんでくれ」
みんなで、テーブルの上に料理をならべた。
用事の終わった赤い茸は、ぞろぞろとベッドの上に上ると、じいさんの上に飛び上がって、「おきろ、おきろ、めしだ」
と飛びはねた。
「ふにゃ、そうかい」
じいさんが目を覚ました。目を開けてテーブルの上をみて、「おーー、うまそうだ」
そのうえ、「おや、山鼠のだんなにお客さんかい、いっしょにやろうや、テーブルにすわれや」
と椅子に腰掛けた。
でもじいさんのぶんしかない。
じいさんが自分の前においてあるク皿や器に、杖でふれると、あら不思議、山鼠と木鼠夫婦の前に同じものが現れた。
木鼠の夫婦は目を丸くしたが、山鼠はおどろかない。毎日のことだからだ。
「いただきますよ」
じいさんが食べ始めると、山鼠もカンゾウタケのステーキにナイフを入れた。木鼠夫婦もまねをして食べ始めた。
「あれ、おいしいこと」
木鼠の奥さんがおどろいた。
赤い茸たちは、壁から梁の上に上がって、床に落っこちて遊んだり、窓際でハミングしながら、外をながめたり、好きにしていた。
木鼠のだんなが、「茸は手がないのに、どうやって、カンゾウタケやグーズベリーを採ったのだろう」と不思議に思っていたことを、山鼠にきいた。
「見てなかったのかい、手足はあるじゃないか」
と答えた。
何のことかわからなかった木鼠の夫婦は、「わからない」と言った。
「森の中に俺たちのように働く奴がいるんだよ」
山鼠がそういうと、大きな赤い茸が「カンゾウタケは山ざるが採ってくれたし、グーズベリーはクマンバチが摘んでくれたんだ」と説明した。
「森の連中は、クルミの木の茸のことは何でも言うことをきくんじゃ」
食時をおえたじいさんがナプキンで口をふきながら言った。
ようするに、茸は森の生き物にやらせて、自分のできることしかやらないわけだ。だけど、頭で料理を暖めるなんて、おいそれとできるわざじゃない。
うまかった、じいさんは水を一杯飲むと、さて、月見をしようかの、と丸太小屋をでて、湖畔の草原に椅子をだし腰掛けた。
月が森の上にでている。星がまたたいている。
山鼠と木鼠も草の中から空を見上げた。
赤い茸たちは草原が好きさ、草のなかにもぐったり、とびはねたり、だけど音がしないので、ちょっとそよいでいる風の音だけが聞こえる。
じいさんが立ち上がった。
「ほれ」
そういうと、赤い茸たちが草むらからぴょんぴょん飛び跳ねて、杖にくっつくと中に消えていった。
茸が全部杖にはいってしまうと、
「さて、わしも寝るかの」
じいさんがもどろうとしたとき、木鼠のおくさんが、
「おじいさん、おやすみなさい」
と声をかけた。
「おお、はじめて声をかけてくれたのう、森の連中は一度も話しかけてくれなかった、ありがとよ」
そういったじいさんは自分のもっている杖の中に吸い込まれた。
「あっ」
杖だけたっている。
「あれれれれ」
杖もぱっと消えた。
山鼠の旦那と木鼠はあたりをみまわした。
山鼠はあわてて木の家に入った。
だれもいなかった。
「消えちまったぞ、じいさん」
「おーい、じいさーん」
三人いっぺんに湖に向かって叫んだ。
「じいさんなんかいないぞー」
大ナマズが顔を出して返事をした。
「あら、おじいさんの杖があったところに、ほらクルミよ」
じいさんが消えたところに、大きなクルミの実が二つ、ころり。
山鼠は一つ手にとった。
「ずいぶん大きいな、実がたっぷり入っている、うまそうだな、じいさんがくれたんだよ、食べようよ」
山鼠は拾った実を木鼠に渡すと、もう一つを拾った。
「ほんとうにくれたのかい」
木鼠のだんなが首をかしげた。
「ちょっと冷えてきたわね」
「家の中にはいるか」
三人はじいさんのいなくなった丸太小屋にはいった。
テーブルの上にクルミの実を二つならべた。
「もしおじいさんが食べるようにくれたのなら、二つというのはおかしいわね」
木鼠の奥さんがいうと、だんなは
「俺たちには一つ、二人で分けなさいと言うことだ、山鼠のだんなは、ずーっと一緒だったんだから、一つ食べていいんだ」
「そうね、それならわかるわね」
木鼠の奥さんがうなずくと、今度は山鼠のだんなが、「じいさんらしくないよ」と首を傾げた。
「じいさんは、みんな同じくあるべきだ、などといつもぶつぶついってたよ」
「じゃあ、この二つのクルミの実どうしたらいい」
三人は考えた。夜も更けてきた。窓から月の光がさしてきた。湖に写った月もきらきらひかっている。
「あの大きなクルミの木は、ずいぶん沢山の実をつけたもんだよな」
「そうね、おいしいクルミで、みんなでいただきました」
「でもどうしてあんなに沢山の実を生らしたのだろう」
山鼠が言った。
「私たちに食べさせてくれたのよ」
木鼠のおくさんがあの香ばしいクルミの味を思いだしていた。
「クルミはなんで実を付けるのだ、おれたちに食べさせてくれるためではないだろう」
木鼠の夫がいいことを言った。それで、山鼠がきづいたんだ。
「そう、子どもを残すんだ」
三人は一緒にひらめいた。
「森の生き物に食べてもらうのと、子どもを残す、二つだよ、だから二つなんだ」
そう気がついた三人は、一つのクルミを半分に割った。細い木の枝でかきだすと、山鼠が食べた。
「なんとうまいクルミだ、おたべよ」
の夫婦が残りをほじくって食べた。
「おいしいこと、うまいね」
残りのもう半分を三人でほじくって食べた。
「おいしかった」
山鼠の旦那と、木鼠の夫婦は残りの一つをもって、湖の畔にくると穴をほって埋めた。
来年の春には芽がでて、のびて十三年たてば実がなるんだ。
「じいさん、これでいいんだよな」
山鼠は月に呼びかけた。
「さて、俺たちは森に帰るよ」
「あした遊びにくるだろ」
山鼠が声をかけた。
「うん」
木鼠夫婦がふりかえった。
山鼠は家に入ろうとしたが立ち止まった。
「今日は泊まりなよ」
木鼠の夫婦は顔を見合わせて、
「そうしようか、明日、森でたおれたクルミの木の枝で、一緒に杖をつくろう」
と、山鼠について丸太小屋にはいっていった。
森の中の倒れた大きな大きな胡桃の木から、真っ赤な茸が幹一面に生えてきた。
クルミの杖