京 綾乃と 2
三部作の二作目には、千年の都を行き来する二人の周囲の空間が時とし歪む事もある。更に晴明との出会いもあるし、やっと見えて来た京の都の大内裏の更に内裏という御門の住いの周囲の光景に二人と晴明も加わり、其の光景が覗けてきた。
千年の恋の謎が次第に解けていく・・。
さて、最後の三作目は如何様に展開していくのか・・。
京都に行ってから一か月も過ぎた頃、綾乃の夢を見た。 やはり、私の事を忘れないでいてくれたようだ。
京都に行ってから一か月も過ぎた頃、綾乃の夢を見た。
やはり、私の事を忘れないでいてくれたようだ。
夢の綾乃は微笑んで、
「あんた、あたしの事忘れいでいてくれました?」
と言ったが、私としては忘れる訳は無い、古からの友人というよりも永遠の恋人と言った方が表現としては正しいかも知れない。
綾乃から古の出来事についてほんの少し聞いただけで、何百年の間に二人だけで無くいろんな人達を巻き込んでどんな事があったのか。
今回、更に詳しく知りたいと思った。
しかし、何故か、ひょっとしたら私がこの家に帰って来る事はもう無いかも知れないという気がした。
過去に亡くなった自分が単純に生まれ変わって来たのでは無いと思う。
輪廻転生という言葉は聞いた事があるが、私は輪廻転生では無い様な気がするのだ。
今回の京都行きは、前回とは違う何かが起きそうな気がした。
今回は使うかどうかは分からないが、一応パソコンの入ったバッグと簡単な衣服が入ったバッグを二つ持って行く事にした。
今迄は、パソコンは大いに役に立ったのだが、今回は必要が無い様な気もした。
前回と違い新横浜のホームは空いていた。
今日は木曜日、ビジネスマンの姿が目立つ。
指定席も取れたから二時間座って考えた。
「安部晴明でも現存していれば、何かしら、教えて貰える事もあったかも知れないが・・」
綾乃と二人でただ会う訳では無い。過去の出来事迄遡りそれがどんな事だったのか、関係する人間はどんな人達だったのかを少しでも知りたいと思った。
綾乃にある程度頼るしかないが、綾乃とて真相を全部把握しているのかどうかは分からない。
そんな事を考えている内に京都に着いた。
電車の時刻を綾乃に伝える必要は無い。綾乃との約束を忘れる訳は無いから。
「八坂神社の手前の西楼門で、朝、十時に。忘れいでね」
兎に角、私は待ち合わせ場所の八坂神社の手前の西楼門に向かった。
果たして、綾乃はこの前とはまた違った薄紫色の生地にに何かの枝とその間に蝶が待っている様な柄の懸衣(かけぎぬ)を着、微笑みながら四条通りを歩いて来る私の姿を見ている。
やはり上品な京女性のままで、絵にも現わせない程の美しさは変らない。
まるで平安朝がそこにあり、御門を待っている様な風情が窺える。
私が楼門に近付きながら、
「やあ!時間は十分少し前だが間に合った」
と言うと、
「丁度おす。お待ち申しておりました」
と、笑窪を付け足した。
私は綾乃と共に四条通りから木屋町の着物を商っている店に向かう。
如何にも京都らしい店で、女将は綾乃の事をかなり前から、あたかも平安の時代からの知り合いであったように話しをしている。
更に女将は綾乃を敬うような態を見せている。
私は店内の椅子に腰を掛け乍ら二人の会話に耳を傾けていた。
店は平安時代から代々続いて来たようで、女将も綾乃の事を「こんな方もいらしたよ。その子孫が綾乃というお得意さんだから大事にするように」と先祖から伝え聞いているようだが、まさか目の前にいる綾乃が千年もの時を隔て存在しているとは思ってもみないだろう。
何とはなしに、綾乃はとんでもなく上級の貴族であったような気がするが、宮廷での御門主催の歌合や歌会などにも登用されていたようで、公の場に少しも臆せず次から次へと歌を詠み、自らの多才さをあますところなく披露していたというような事が語り伝えられているようだ。
私はそれだけの地位にあったから、さぞかし政治権力を持つ男達との恋も多かったのではないかなど彼是思い浮かべる。
それらの恋がさらに綾乃の感性を豊かにする共に、一層の才を育ませれば、時の頂点に君臨する女性としての地位を築き、人としての幅を広げ質を高めていったのではないかとの気がした。女将との会話の彼方此方にそれらを感じさせるものが窺える。
綾乃は新しい懸衣(かけぎぬ)を注文したようだ。
二人店を出ると四条のレストランで昼食をとる。
綾乃が食事の合間に何処か行きたい所はあるかと尋ねる。
「そうだね、何となく東寺なんか行ってみたいと思うけれど・・」
綾乃が微笑むと、
「やはり。あんたには想い出があるとこね。五重塔も好きなんちゃう」
と言う。
私は良く知っているなと思った。
「都の外れどすが、あんたはそのお寺の五重塔と仏像が好き言うてよういらしたのやで」
確かに私はそこに何某かの未練を感ずるのだが・・。
別名教王護国寺とも言われるこの寺の金堂は昔から多くの仏像が見られる事で有名だから、平安の私も此処に通ったのだろうかとも思う。
心が穏やかになるような気がする境内を二人並び歩いていると、綾乃は思いもかけていなかった話をし始める。
「あんたは此処に来る時に女ごを連れて来とったのやで。うちと付き合う前の恋仲になっとった女性を。そら恋し合うとったんやさかい楽しかったやろう思う・・」
私は、そうだったのかと其の様なさまを思い浮かべる一方、その女性とは一体誰なんだろうと綾乃に聞いてみたくなったのだが、この前京都に来た時に誰の名も聞かずが良いと言われていたのを思い出す。
突然、綾乃がその女性の歌を詠んだ。
「いづかたのかざしと神の定めけんかけ交はしたるなかの葵を」
次に此れを訳してくれた。
「いったい誰のかざし(挿頭)相手と賀茂の神は定めたのでしょう、互いに誓い合った仲の、今日の葵(逢ふ日)であるのに」
歌集に伝わる恋のかけひきや、裏切りにまつわる歌の奥にはなかなか言い表せない本音がひそんでおり、葵を男女の「逢ふ日」と重ね合わせる事で恋の象徴と言えるという事のようだ。
前回綾乃が詠んだ歌を思い出した。「あだっぽい言葉を交わすなど、まったく思いも寄りませんでしたのに、今、あなたが、女たちを残らずなびかせていると、まあ、花やかな噂を耳にしましたよ。」
私は、王宮を中心として男女のやり取りが絶え間なくあったようで、関係は二重三重と広がっていたのかも知れないし、其々の人同士で火花を散らしていたのだろうかと思う一方、自らもそういう事に絡んでいたなど今となっては想像すらつかない事と言えると・・。
綾乃が同じ歌人の歌をもう一つ詠み始めた。
私は、つくずく綾乃は平安時代の歌人だなと思う。
「ここながら程の経るだにあるものをいとど十市の里と聞くかな。
「ここ、都に居てさえ逢えない日々がつづき、距離があるところにきて、その上またどうでしょう、あなたはますます遠くに行ってしまうのですね」
此んな歌を詠んだ女性が哀れだなと思い始めた私は悲しさを覚える・・一度は愛し合った仲なのだから。
本当に自分に係る事だったのかと疑問に思ったりもする。
その二つでさえ一人の女性の歌で、他にもいろいろ切なさを詠んだものがあると言うから其れは驚きだ。
所謂、今でいう三角関係などざらにあったとの事。
綾乃が、また明日にでも別の女性の歌を詠んでくれると言った。
複数の男女が入り組んでしまっては係争が起きない方がおかしい。
教王護国寺の仏像はその様な全てを見ていたのかも知れず・・。
此処まで平安時代の私は、まだ一人の女性とだけ付き合っていたようなのだが、綾乃と愛し合うようになるに連れ、女性の方は内心・・次第に私の事を恨み始めると共に綾乃も呪い殺したくなったのだろうか・・結果としては私を殺めたのだが。
そんな事を考えていると時空が歪み始めたのか、まるで時代劇の映画を見ている様な事象が起きた。
不思議な事に、寺の境内に古風な京女の姿が見える。
女の傍らには鎧兜で身を包み、刀などを携えた兵が何人も控えている。
綾乃の話をした性が私の事を恨むようになり、手勢を連れて来たのだろうかなどと・・。
私はおかしな違和感ばかりか恐怖を感じ、綾乃の手を取ると走って寺の外に逃げた。
其処には且つての私の部下なのだろうか、やはり同じように武具を身に纏った兵がおり、追って来た軍勢と斬り合いになる。
刀同士や金属がぶつかり合う音が静かだった境内に響き始める。
なかなか、決着がつかないようだと思っていた時、金堂から四天王が飛び出して来たから更に驚く。
木製の動かぬ仏像の筈・・と思っていたのだが、信ずる者を守護する、「東方の持国天、南方の増長天、西方の広目天、北方の多聞天」が、両者の間に立ちはだかると、私達を追って来た兵士達と、めいめい手に持つ武器で戦い始める。
ひょっとしたら、高貴である綾乃は四天王を操れたのかも知れないなど・・。
流石に四天王は強いようで、軍勢は散りじりばらばらになり逃げて行く。すると、女は着ていた十二単を次々に脱ぎ捨て始める。羽織の様な薄い衣のみになった身軽さゆえか、ひらりと宙高く飛び上がると五重の塔の上段に立っている。
まるで怨霊にでも憑りつかれたかのように、真っ赤な紅の口を拡げお歯黒を見せながら不気味な形相で笑った後、再び宙に舞い上がると空に紛れる様に姿が見えなくなった。
私と綾乃は恰も夢を見ていたかの様に顔を見合わせる・・が、互いの姿以外に辺りに潜むものなども・・何も窺えない。
その時だった。いきなり現代のバスが登場するや、行き先表示は「伏見稲荷」と記してある。
私は、今生の瀬戸際・・何処かに避難しなくてはならぬと綾乃の手を引きバスに乗らんと目で物言う。
ところがどうした事か、綾乃は、初めて見るのだが、身を震わせながら、あそこは鬼門と言う。
私が、どうしてなのかと聞くのだが、綾乃は、
「伏見稲荷にと平安の世に詣でた時だったの。身分は卑しくも歌人としては有名だった男に危うく襲われそうになったから・・」
と言う。
どうやら、其の話を纏めれば、男は其れ以前から綾乃の事を好いておったそうで、
「いい加減、私に靡かんか・・?」
と、綾乃に腹を立てると、部下に綾乃を囲ませ稲荷の境内の暗がりに押し込めるようにし襲う寸前まで・・と言う。
その時、綾乃を守る臣下が慌て更に外側から囲むようにい並び構えると、相手方との間でかなり激しい争いになったようだ。綾乃は、臣下に守られほうほうの体で逃げ延びたと言う。
伏見稲荷は全国の稲荷神社の象徴のようなものだが稲荷を狐が守っている。
其れで、稲荷と言えば狐を連想させるのだが、伏見には白い狐を祀ったのか、白狐社というものもある。
私は、前回来た時に綾乃が伏見稲荷に行くのを嫌った事を思い出し、そんな事情があったのかと・・。
二人は近鉄京都線の東寺駅から京都駅まで向かう。
まるで何事も無かったかのように電車の中も街も現代のまゝだが・・二人は現代と平安の世の双方を生きぬいた人であるから、まるで、映画館に入ったり出たりしたかの様に俄かに時空が狂ったのかも知れない。
その晩は祇園で夕食をとる事にした。
前回と同じ様に、その晩は豪華な個室と京料理が二人を迎えてくれた。
四条通りの喧騒も聞こえてこない、二人だけの寛いだ時間を過ごす事が出来た。
綾乃は、もたれかかるように膝を崩すと、また、あの何とも言えない良い匂いが漂って来た。
私は、ビールを飲もうとしてグラスを持ったが、綾乃の事が心配になり聊か血色の悪そうな顔を見て言う。
「二人には何か訳の分からない出来事が次々に待ち受けているようだな。だが、私が付いている限り君の事は何としてでも守り抜く」
と安心をさせようと思ったのだが、考えてみれば、京の事は綾乃の方が詳しい。増してや、平安時代の事まで覚えている訳だから、自分では頼りないのかなとも思う。
綾乃はそんな私の胸の内を知ってか知らずか・・笑窪を見せ。
「あんた、今日はいろんな不思議な事があってけど、心配しいひんでもいけんで。うちは、あんたを愛してるけど、今に始まった事ではあらへんのやさかい。現代まで無事生き抜いて来れたんやさかい、あなたの事は守って見せるし、二人そろうとったら何とかいけるやない・・」
二人でいる時には何も起こらなくとも、現代と過去がずれ込んだ時にはどんな事が待ち受けているかは何とも分からないのか・・。
現代では、何も問題は起きない。
しかし、平安の世が絡んで来るとなると私も少なかれ不安を感じるのは・・其の記憶が無いからだ。
そんな私の胸の内を知ってか知らずか綾乃はあの時とは打って変わり落ち着き払い、美しい京女性の姿を取り戻しており、お酌一つにも、まるで私が御門かの様な物腰だ。其れで私は平安の都にいる様な錯覚を覚えるのだが、まだ半身半疑なのは記憶が中途半端・・。
京料理の美味がそんな気持ちを加勢する様に落ち着かせてくれた。
今回は、ホテルは取って無い、綾乃もそのつもりだと思う。
四条通りを並んで歩いて、地下鉄に乗った。
嵯峨野の住まいに着いて寛ぐことが出来た。
平安時代の蚊帳の様なものは、高貴な人の寝所にある几帳と言われた帳の様なものであったようだ。
寝所の周りには、屏風もあり平安時代の絵巻の様なものが描かれている。
それは立派な屏風で王朝辺りの様子が窺える。
やはり、綾乃は王朝の人間であったのだと思ったので、
「御門と何か関係など・・?」
と言ってしまってから聞かない事になっているんだったと。
綾乃は、自らの横に寝ている私に囁くように薄紫の空を揺らすと。
「あんたは御門にも匹敵するほどの地位がある即ち身分やったのや。あの当時は高級な公卿は御門よりも実際には力があってん。表向きは御門やったけど、実権は最高級の公卿が握っとって、あんたは正に一番権力があったちゅう事やで。うちも御門に使えるおなごの中では最高級の公卿やってん。やけど、うち、あんたに恋するようになったのはそないな理由ではあらへん、ただ、愛しさしか感じへんかったさかい。どすさかい、並み居る歌人の歌もうちやあんたの前で詠まれたのやで。うちも歌人の一人やったけど、後でお話しする式部のお話も、何人もの歌人の歌も知ってるのんはそないな訳なん」
翌日は、再び京の街を廻る事にした。
一つだけ、白い狐が出て来、綾乃を襲うのでは無いかと言うような夢を見たのが気掛かりだった。
しかし、あの晴明の母も葛ノ葉狐だったという。
同じ狐でも、伏見の稲荷の狐とはどんな関係であったのかと思った。
私は、綾乃に、
「今日は何処に行こうか?君の方が詳しいからおかしな話だけれど、君だって気に入っている所はあるのでは?」
と、尋ねた。
綾乃は高級な公卿だった当時の事を時々思い出すようで、食事をした後、
「昔、内裏があった辺りを歩いてみたい、何とのう落ち着くさかい」
と、前回も行ったのだが、今でいう千本通りから北に向かってゆっくり上る。
承明門跡や紫宸殿、清涼殿跡名護を廻ってから桜宮神社に詣でた。
紫宸殿と清涼殿の跡では、綾乃は拝むように暫くそこを離れなかった。
御門にゆかりのあった館である。
おそらく、綾乃はその辺りで最高級な暮らしをしていた事を思い出しているのだろう。
また、時空が狂ってきたのか、空に平安の大内裏の光景が揺らめいている。
貴族達の間に御門がいて、更に、そこから遠く無いところに、綾乃にそっくりな十二単を着た女性と私の姿が見える。
宮廷は、大勢の人々で賑やかなようである。
どうやら、御門や法皇主催の歌合や歌会の様なものが催されているようで、其処に綾乃と私も加わっている様に見えた。
ところが空間が一層揺らいで見えた時人の動きが激しくなった。
何か、あった・・?
何人かの人が揉めているような風にも見える。
都の空が暗くなり北西から黒雲が現れた。
これは一大事でも起きるのかと思った時、綾乃の顔が華やいだ。
「あら、晴明様ではあらへんかいな?」
晴明が現れると争いはおさまったようである。
晴明は、孝元天皇の皇子、大彦命の子孫であるとも言われている。
朱雀天皇から村上、冷泉、円融、花山、一条の6代天皇の側近として仕えていたとも聞いているから、宮廷にいたとしてもおかしくは無い。
晴明は綾乃に近付いて来る。
「あなた方、狐の事で何か心配事でもおありですか?狐は私にまかせて下さい。それよりも、結界が崩れる様な事があれば、私が十二天将を操る事もありますが、狐は、私の力には到底及ばぬ事を分かっておりますから、あなた方に危害を加える事はありますまい。しかし、千年の時を三人で行き来する事になれば、怨霊や魔界のものが飛びだしかねません。その時は、十二天将、式神の登場となります。私が十二天将を勢揃いで使う事になるやも知れませんが・・」
流石に、人離れした晴明には、いろいろ、見た事、いやそうで無い事でも分かる様だ。
私は私と綾乃が知人の中でも晴明とは懇意にしていたという事が何となく分かった。
陰陽師とし活躍していた時代では、恐れ無き人であった晴明が付いていてくれた。
しかし、何か事が起きなければ晴明も現れないだろう。
私は昨夜夢を見た白い狐の話をしたが、綾乃が、
「気休めに、晴明神社に詣でて行きまひょ」
というから、私も神社を拝むついでにお守りを買った。
遅めの昼食を取る。
綾乃が、晴明と式部の話をしてくれた。
「晴明は紫式部と仲が良かった様で、式部は晴明を師として尊敬していたと言う。
紫式部は、
『うちは、魑魅・物の怪・生霊・人妖・地妖・天妖といった異形の世界の者達に興味があるのやで。できるなら、安部晴明様にお頼みし異形の世界に連れて行っていただきたいものやわ』
などと話しかけた事があったという。
東山の阿弥陀ケ峰の女竹の藪の深みの晴明の庵は、幼い式部の夢想を育てるには、とびきり上質の刺激に富んだ環境だった。
不意に、式部は立ち止まると、霧の深みを吸い込むように見つめた。
濃紫の立烏帽子をいただき、萌黄の直衣をまとったその顔は、目鼻の冴えがみずみずしく、戦慄するばかりの清らかさであった。伽羅の香がほのかにただよってくる。
「安部晴明さま」
式部は放心したように呟いた。晴明の足元から二頭の銀狐が踊りだし、式部に体を摺り寄せてきた。晴明は眼の淵に親密な笑みを宿しながら、諭すように言った。
『そなたは、蔵している才能の開花を待つことだ。そなたは、王朝時代の貴族の生活を後世の人々に伝える役割を担っている。それこそが貴女に与えられた天からの使命と知られよ』
安部晴明は、紫式部と輝く未来について話を交わしていたという」
その晩、再び私と綾乃は、祇園の料理屋に向かった。
昨日とはまた異なるが、落ち着いた高級な料亭だ。
個室に入ってから、美味しい京料理を摘まみながら綾乃が歌を詠んでくれた。
昨日、約束した様に平安時代の男女の恋愛の縺れから、殺人事件まで起きた事を話してくれた。
「こないな、歌を詠んだ女性もおって、昨日の争いに巻き込まれた事もあったのやで。三角関係どころで無おしてね」
「逢うことを息の緒にする身にしあれば絶ゆるもいかが悲しと思はぬ」
「あなとの逢瀬のひと時を、命つなぐ糸にしている我が身であるので、あなたに逢えないのならば、命が絶えるとしても、ちっとも悲しいとは思わない」
「この女性は、他にもええ歌を詠んでるけど、やっぱし、男女の関係に巻き込まれて命こそ助かったさかい、良かったけれどね」
二人が話している間に、空間に浮かんでは微笑んでいる晴明の顔が見える。
やはり、綾乃も晴明とは懇意にしていた知り合いだったのだから。
「晴明様がわざわざおいで下さったんやわ。私達の事をきっと守ってくれるやろう」
その時晴明の笑顔が喋りかけた。
「狐とか、あなた方は気にする必要はありません。私とあなた方は宮廷の中で付き合っていたのですから。御心配無く」
私は、綾乃にどうして、八坂神社の手前の西楼門で、何時も待ち合わせなのかと尋ねた。
綾乃は悲しい顔をし。
「あそこで、嫉妬した女性にあんたは殺められたの。うちと逢引きをしてるのを嗅ぎつけた、元、あんたを愛しとった女性にね。
うちん警護の人達女性を抑え込む前に、あっちゅうあいさに刺されとってん。うちは、倒れてるあんたを何として生き返らせようとして、その後、八坂神社にお参りするようになってん。ほんで、或る日、神様からのお告げがあってん。
あんたがうちに会いに来てくれるって。うちは、わしが死んでもええさかいあなたを助けたかってん。それがほんまになった。もう、うちにはこれ以上の幸せはあらへん思う。何時までもあんたといられるなんて・・」
私は、綾乃にその女性が自らの命を絶ったと聞いたけれど、その墓は何処にあるの?と。
綾乃は一層悲しそうな顔をすると、
「朱雀門の近くのお寺に・・。歌も上手かったけど、男性との付き合いも多う、あんた以外にも五人の男性と恋仲になったらしおす。尤も、あんたの事を一番恋しとったらしいけど。お参りにでも行ってみよか、二度と恨んだ姿は見とうあらへんさかいね」
綾乃と私は墓参りをした。少なくともその女性と私は、一時と雖も恋仲になったのだから、私としても見捨てるつもりは無かった。
ただ、類稀なる美しさを持った綾乃との恋が勝っていたから、当時の私としてもどうしようも無かったのだろう。
二人で店を出て、四条通りを歩いて行く。
私は、京に住む事になった。
嵯峨野の住まいは私が千年の間待ち望んでいた、正に、綾乃と離れる事が無い安らぎの場であるのだ。
「待ち合わせ場所は、もう必要はななったわね」そう言った綾乃の横顔が、一段と高貴な雰囲気を醸し出していた。
千年の時を越え、二人の恋は続く。何時までも、此れからも、京の都を二人で歩き回る事だろう。
私は綾乃にまだまだ教えて貰わなければならない事が山程ある。
だから、二人の京を千年跨いだ出来事はこれ以降も続く事になる。
私どもだけでは無く、晴明も付いていてくれる。
今後、結界が破れるような事はまた、頻繁にあるやも知れぬ。
その時が来る事は、薄々予感が・・。
そんな時は三人で千年を行き来する事になるだろう。
もう、四条通りの灯りが、瞬いて空は真に黒く、外気はまるでよく磨き込まれた鏡のように古都を映していた。
朧月は、夜を薄絹で包んだように、ぽうと光っては・・綾乃の千年前の姿のような清楚で上品な姿を浮き上がらせていた。
京 綾乃と 2
ブログ用に書いたものを再度編集していく事が必要なのは、書いた時期が何年か以前だから。時間がかかるのは仕方がなく、数十作を載せる頃にはほぼ修正を必要としなくなると思われるが・・。
ジャンルが今の世代の漫画的ではないので、本当に小説が好きとか、明治時代の漱石や直哉・龍之介などの作品が好きでなければ読めないものも中にはある。現代の作家風のものはほぼ無く、originalであり、かなり風変わりな小編が多いのが特徴。気が向いたら目を通して・・。