ザ・ロング・アンド・ワインディング・ロード
空中ブランコ主義者
さあ、君!
黒い目隠しをした、あんただよ!
命がけで飛んでくるなら
命がけで、ぼくも受け止めよう!
ぼくは空中ブランコ主義者
たとえ、あなたが重すぎて
いっしょにすべてを失うことになったとしても
いったいなにを惜しむだろう
ぼくなどいらない、ぼくのために
すっかりぼくを、すりへらすより
ぼくをいるだれかのために
天空高きブランコに乗りたい
吉祥寺 コンチェルトにて
美しい人を見た。
悲痛な思いを掌に覆って、
マーラーに聴き入っている。
細く白い骨ばった手のすきまから、
あなたの顔の深いしわの影が見える。
いい音楽がなければ、身を寄せる場所もない。
ぼくにはすぐ分かった。
なぜ、あなたが、こんな日曜の朝に、
夫や子供たちの世話に、追い立てられもせず、
いつもコンチェルトの、その隅の椅子に座っているのか。
いいえ、事実を知っているのではない。
子供がいないのかもしれないし、
未亡人かもしれない。
もしも、孤独を純粋な美の結晶だと考えているのなら、
そんな考えは、砕いてしまわなければいけない。
なりふり構わず生きるのは、ほんとに、いやなことだけど、
だれかに自分を差し出してしまわない限り、
人生は、始まろうとはしない。
薄くなった髪の分け目が、白く、痛々しい。
憎しみの標本
きみは、きょうも心を鎖し、
押し黙っている。
モーニングカップにたっぷり注がれた渋いコーヒー
すこし焼きすぎたトースト
卵を手にして、戸惑っている。
振り返って、はじめて口にした言葉は、
目玉焼きでいいの? だった。
きみはけして姿勢をくずさない
ぼくが許しを乞うまでは。
きみはけして忘れない
ぼくが投げてしまった残酷な言葉の一つ一つを
虫の標本のように、ピンですべて止めている。
遠い、遠い昔から、
男と女は、敵どうしだったのか?
破局は、避けられない回帰点?
曖昧だけが唯一の解決策か……
ぼくはまた、耐え切れなくなり、
また、許しを乞うことになるだろう。
また、苦いものを飲み込めばいいのだ。
きみは勝ち誇り、そして、
またもや、めそめそ泣き始める。
どんなに辛かったことかと……
たとえ、ぼくが十年持ちこたえても同じだ。
帽子をかぶろう
帽子をかぶろう
ハンチング、ベレー、ニット帽
だけど、どれもこれも似合わない
みんな投げ出し、やっぱり野球帽に逆戻り
こんなに帽子の似合わない、奴って、ほかにいるだろか?
恥かしくって、おもてには、とてもかぶって出られない
そうだった
ぼくは帽子がきらいだった
初めてかぶった、黒い手編みの、あの帽子
今でもはっきり、覚えている
母がひとりで、気に入っていたあの帽子
かゆくて、かゆくて、脱ぎたくて……
そうだ!
今こそ、帽子を取り戻そう
三十年にもわたって、拒みつづけていた帽子を
だから今、帽子をかぶろう!
風の強い日
風の強い日に、
ぼくは生まれた気がする。
そんな日は、なにかの予感が訪れ、
心は落ち着かず、
なにか、とても、わくわくする。
風に舞い上がる落ち葉に、
身を踊らせじゃれつく小猫のように。
僕は音のない
風のない
しずかな世界に、しゃがみ込んでいた。
再び、時がくるとは思わなかった。
風がこんなに、期待をふくらませるのは、
なぜだろう。
心は
身体に鎖でつながれた野生の動物。
身体という鉄格子で閉じ込められた無実の囚人。
真実を知っていながら、伝える相手のいないもどかしさは、
すっかり、ぼくをかたくなに変えていた。
だれも耳をかさない
その真実……
結んだ唇の端に挟まって、干からびている。
ぼくは、音のない部屋にいる。
ガラス越しに、ぼんやり風を見ている。
風は、そのうち、やむだろう。
窓を開くのなら、今だ。
片手は錆びた窓枠に、触れている。
異国の女
女は、男の身を滅ぼすかもしれないことを、
きっと、知っている。
だのに女は、どうすることもできず、
男から、一切合切奪おうとしている。
やがて確実に沈むだろう、
男という、小舟からおりることができない。
異国から来た女
祖国に帰るには、流暢すぎる外国語をおぼえてしまった。
男は女房を愛し、商売女も嫌ったくせに、
異国の女の危険な魅力から逃れられない。
かつて男は、ふてぶてしく笑い、自信に満ちていた。
仲間も集まり、すべてが順調に見えた。
今や、その顔は陰り、輝きを失った。
彼はまわりのすべての者を、破滅へと導く。
家族も、友人も。
もはや彼には、恐れるものなどなにもない。
地獄で生まれたのだから、
おもいっきりの地獄に帰ればいいのだ。
その慄える唇で、
いまさら『愛』を口にするのは、
おかしなことだろう?
妻も、友人たちも、
だれも愛とはなにかを、教えてはくれなかったのだから……
教育論
教えてください!
ぼくが生まれたのは、なぜですか?
教えてください!
死の扉の向こうに、なにがあるのですか?
そうすれば、漢字も掛け算もすべて覚えて、いい子になります。
教えてください!
神様は、いるのですか?
教えてください!
この世界は、本当は仮想空間ではないのですか?
そうすれば、礼儀正しく挨拶もし、歯もちゃんと磨きます。
教えてください!
人生にテクニックが必要なのですか?
教えてください!
努力のすべてを死が奪うなら、なんのために?
そうすれば、みんなに親切にし、時にはボランティアもします。
教えてください!
アダムとエバは実在したのか?
エデンはどこに消えてしまったのか?
神は、どうして彼らを捨てたのか……
だのに先生、あなたは歴史の本を開き、
紙に記録された人名と年号ばかりを唱える。
あなたは、歴史の出発も、背後に秘められた目的も知らず、
反復学習の効果ばかりを強調する。
ぼくは、人生に願う──
人々がそれぞれ、自分勝手な意味付けのできるものでないことを。
審判の目を盗んだ反則技がまかりとおるようなゲームでないことを。
結末のないB級映画でないことを。
そして、ぼくは願う。
虹の彼方を彷徨い、エデンを発見する教師が、颯爽と現れることを。
親も育っている
息子よ、おまえはきっと、
わたしのことを、なんて父親かと、思ったにちがいない。
父というより、兄のようだったかもしれない。
やたらと威張ったり、そんなこともできないのかと、小馬鹿にしたり、
おまえには、最悪だっただろう。
しかし、息子よ、
ここのところ、わたしは、親になれる見通しが立ってきた。
ほんとうだ──なんというか、うまく言えないのだが、
コツのようなものをつかみはじめた。
人生とは、色々なものを選択し組み合わせて、
創作するものだとでも、思い込んでいたようだ。
結婚というオプションがまず、あって──
次は子供が何人ほしいか、女の子がいいか、男の子がいいか、とか
車をワゴンに替えようか、とか……
家庭の外形をデザインしようとしていた。
わたしはすっかり、自分を見失い、
父親の形を整えるのに躍起になっていた。
身勝手な理屈ばかり、家族に押しつけ、
気がつくと、ひどく孤独だった。
どうしておまえが、やせっぽちなのか知っている。
わたしは、男の子をうまく愛せるか不安だった。
だから、一人目は女の子がいいと思った。
そこにおまえが生まれ、
十分に愛を与えられなかった。
ありがとう。
おまえは、わたしを育ててくれている。
ただ、掛け替えなく大切に、感じられればいいのだ。
自分より大切に思えるからこそ、生命は連続するし、
生命は出発することができたのだ。
記憶の原点
少年は、とんぼが大好きだった。
両腕を羽根のように広げ、すうーっと、
田んぼの畦道を滑空し、遊んだ。
世界で一番、美しい飛行物体
それは、赤とんぼだ!
あの透き通った薄い羽根は、なぜ破れないのだろう?
その羽根で、ぼくらが道で立ち止まるように、
彼らはたやすく、空中に止まる。
あの細いボディーには、なにが詰まっているのだろう?
二つの並んだ大きな目は、ロボットのものみたいだ。
だけど、時は目まぐるしく過ぎ、
少年はいつしか大人になり、
もう、飛行機雲を眺めたり、昆虫を追ったりしなくなっていた。
仕事に追われ、子供だった記憶を忘れかけたころ、
思いがけず,それはやって来た。
旅行者として、外国の片田舎での彼らとの再会──
赤とんぼの、むせ返るような大群。
息がつまるほどの、圧倒的な数の乱舞。
もう、遠い昔に滅んだはずの、赤とんぼの王国があった。
ああ、神よ、
なぜ、こんなにも美しい生物を造られたのですか?
すっげぇー、カッコいい!
それは──子供たちの記憶を、あなた自身が最初に味わい、
時を下って、今日まで伝えてくださったからなのか?
神よ、父よ、
あなたにも、少年だったころがあるのですか?
あなたも、やっぱり、育ってきたのですか?
あなたの喜びが、この胸の奥に、あるのですか?
ぼくたちのミッション
怒りは、連鎖する。
不快感は、連鎖する。
怨みも、憎悪も、次のターゲットを求め、
自ら、どんどん、増殖していく。
恐怖も連鎖し、不信と猜疑心による、暗黒支配。
それが、奴らの手口だ。
だれかが、食い止めなくてはならない!
そこで、君達の使命だが、
今、街中で増殖し続けているそれらを、壊滅することにある。
運転中、どんな強引な割り込みに遭遇しても、怒ってはならない。
客先で、どんなひどい扱いを受けても、笑っていなければならない。
帰宅中、満員電車のエアコンが利いておらず、どんなに不快であっても、
けして、それを家まで引きずり、妻子に八当たりしてはならない。
すべてのストレスを自分自身で処理し、
その上で、サンドバッグのように、他人のストレスも一手に引き受ける。
そうだ! 君達は、この街のサンドバッグになるのだ!
ボコボコに打たれても、けして怯んではならない。
そして、次の段階がより重要だ。
喜びと、希望と、感動を、発生させ、連鎖させよ!
この街の隅々にまで、それを増殖させよ!
それ以外の対抗策などない。
奴らは、ありとあらゆる悪辣なエイジェントを送ってくるだろう。
君達の、これだけは許せないということを、百以上も知っているし、
最後には、一番大切な人の命を奪っていくかもしれない。
容易く越えられるもの、試練とは呼ばない。
そうだ、そんなことは、ただの人間にはできない。
それはキリスト──この街の救世主になること。
それが、ぼくたちのミッション!
失楽園物語
なぜ、いつも、愛は死ぬのだろう?
なぜ、いつも、物語の幕は下り、
いったい、どれほど多くの男と女が、
こんなはずじゃなかったのにと、呟いたことだろう。
どの愛にも、賞味期限があると言った、
哲学者の言葉は、本当だろうか?
あきらめることが、愛の最終形態だったら、
そんなものに、なんの価値があるだろう。
貪欲な人々は、嘘のリセットボタンを、がんがん押し、
次々に相手を換えていくが、けして元には戻れない。
淋しい人々は、愛してくれるのなら、
もう、男でも女でも、動物でも構わないと思いつめる。
人間の数だけ、人生観もあるのだ。
だけど、人が息を引き取った瞬間から、その後の計画を、
もし、神が立てていなかったとしたら──
たとえば、
小さくとも紛れもない、裏切りを重ね合った熟年夫婦が、
子育てを終えてなお、うなだれ合って共に暮らす意味を、
どうやって見出せばいいのだろう?
天国は、一人では、入れないのだという。
自分しか愛せない者が、けして来ないように、
神は、人を二つに分けた。
アダムとエバに
二人は再び一つになり、子を産み育てる。
天国は、家族でしか、入れないから。
その時、二人は確かに天国の扉の前に立ち、
天国の鍵をしっかり握っていた。
だのに彼らは、どうして、エデンを追われたのだろう?
そして、子供たちは、どうして!
カインとアベルは、どうして……
純潔主義宣言
娘たちよ、
わたしは、こんな、いい加減な父だけど、
言うべき時が来たら、言うつもりだ。
まだ、おまえたちは、人として半分でしかない。
人は、一人で生きるようにできていない。
全宇宙を代表する男と、全宇宙を代表する女とが出会い、
一つになって、初めて完全な小宇宙になる。
繁殖のためのパートナーを得るのではない。
快楽のためのパートナーを得るのではない。
もう片方の自分が、必要だからだよ。
不倫と殺人によって、幕が切って落とされた人類歴史の、
絡んで、ねじれた、偽りの愛の系譜を、
けして、そのまま受け継いではいけない。
神様は、人を永遠に生きるように、造られた。
そして、リセットボタンなんか、どこにもない。
過ちは、永遠の記憶に刻まれる。
だから、もう片方の自分である、
ただ一人の男を、待っていなさい。
神様は、人を永遠に生きるように、造られた。
人を、愛するわが子として、
エデンにいつまでも、住まわせるために……
天上の庭を懐かしく思うのは、そのせいだ。
だから、故郷にもどるために、
ただ一人の男と、永遠に生きなさい。
そして、そのパートナーは、
まったく知らなかった感覚や、考え方、
自分にはない世界をもたらしてくれる。
だから、自分と違う人であっても、嘆いてはいけない。
違えば違うほど、むしろ、幸運だったと思いなさい。
愛は、自分勝手な喜びを得るための手段ではない。
それは、けして甘い味はしない。
愛とは、すべての困難に、立ち向かわせてくれる、
強いエネルギーだと思えばいい。
娘たちよ、
だから、ただ一人の男のために、永遠に生きなさい。
長く曲がりくねった道
ぼくは、いつも、この道端に座り込み、
もう、一歩たりとも、前へ進めないと、
無駄に時を過ごしていた。
いつだって、分かっていた
最後まで、歩むしかないことを……
この道以外に、あなたのもとへ行く手立てがないことを……
ときどき、がむしゃらに、走った。
でも、すぐに、疲れてしまい、
倒れこむと、いつも
負け犬め! 負け犬め! と、狂ったように叫んだ。
百回も、二百回も、三百回も……
声を嗄らし、疲れ果て、そのまま、まどろんでいると、
小さな子供が、たよりない足取りで、追い越して行く。
楽しそうに、嬉しそうに
そんな子供にまで、悪態ついて、
その勢いで、どうにか立ち上がる。
森に迷い込んでも
すべて投げ出し、海を見に行っても
どんなに、ふてくされても
どんなに、かっこわるくても
結局この道へ戻ってきてしまうのだ。
ぼくのワインディング・ロードへ
ぼくの、長く曲がりくねった道へ
ザ・ロング・アンド・ワインディング・ロード