Letters

海と時より

 習慣にしている午後の散歩から帰ると、クラリッサがくるみパイを焼いていた。オーブンを開けて焼け具合を確かめているそこから、甘く香ばしい贅沢な匂いが漂い、部屋中を満たしている。
「おかえりオスカー」
 彼女は振り返って言い、旧式の重いオーブンの蓋を閉める。静かな部屋の空気を震わせる大音。三十年は使い込んでいるそのガスオーブンは、なかなかに丈夫で壊れる気配はなく、中に入れたものも――クリスマスの丸ごとのチキンでさえ――未だにきちんと見事に焼き上げてくれる。私たちが先に逝くか、ミセス・オーブンが先に逝くか――とクラリッサは言っていて、おそらく完全に壊れるまで買い替える気はないようだ。僕たちが先に逝くか、オーブンが先に逝くか――。もうあまり先が長くないであろう僕らは、最早そんな競争すらも人生の余興として楽しんでいた。
「いい匂いだね」
 と僕は言う。
「あと五分てとこね。外はどうだった?」
「もうすっかり秋だよ」
 僕は首に巻いたマフラーを外し、キッチンの椅子の背にかける。僕のまなうらにはまだ紅葉した木々の鮮やかな黄や赤が焼きついたように残っていて眩しかった。
「あなた宛に妙なメッセージが届いていたのよ」
 キッチンミトンを外して調理台に雑然と置きながら、クラリッサが言った。もう冷めているであろう紅茶のマグカップを取り、一口啜る。
「妙なメッセージってなんだい?」
「あなたのフェイスブックのDM宛にね、ある人を探しているのだけどそれはあなただろうかってメッセージが届いていたの」
「なんだいそれは?」
「なんだか私にもわからないわよ。でもたぶん、詐欺の類いじゃないかしら?そういうのちょっと前に流行ってたのよ、外国人から突然メッセージが来て、やり取りをしたあとに投資詐欺のサイトなんかにアクセスさせるの。きっとアイコンの写真を見て、あなたが年寄りだから騙せると思ったのね」
 やれやれお生憎さま、というふうに、クラリッサは肩を竦める。
「外国人からのメッセージ?」
「そうよ。名前から察するに、たぶん日本人ね」
 日本――。僕は自分の弱々しくなった心臓が、百年ぶりくらいに跳ねる音を聞いた。
「日本人?なんて名前の人だい?その人はなんてメッセージを送ってきたの?僕を探しているって言ってたの?」
 クラリッサは僕の剣幕に驚いたように目を見開いて、めずらしく興奮した僕を落ち着かせるように手をひらひらとさせた。荒ぶる獣を宥めるときのように。
「確か、Suzue某って人よ。でもなんだかわけのわからないメッセージだったのよ?相続した祖母の別荘を片付けていたら、あるものが出てきたのだけどあなたはそれの持ち主だろうかって。ねえ?わけがわからないでしょ?なんでそのあるものとやらがあなたのものだと思ったわけ?騙すならもっとうまく――」
 クラリッサが喋り終えるのも待てずに、僕はキッチンカウンターに置かれているパソコンを開き、クラリッサがログインしたままのフェイスブックを開いて、DMのアイコンをクリックした。
 メッセージの送り主はISAMU SUZUEとなっていた。スズエ・イサム――記憶の弦を手繰り寄せたが、聞き覚えのない名前だった。
「オスカー?」
 不審そうにクラリッサが傍にやって来る。どうしちゃったのよ?と訊ねる彼女に構わず、僕は真剣にスズエ・イサムが送ってきた言葉を目で追った。
 突然こんなメッセージを送る失礼をお許しください――。
 彼からの手紙は、そんなふうにはじまっていた。

『突然こんなメッセージを送る失礼をお許しください。
 私の名前はスズエ・イサムと言います。日本で暮らしています。
 去年の夏、私の祖母が亡くなりました。祖母は日本の軽井沢に別荘を持っており、私が最近になって片付けに参りましたところ、二階の寝室の床下から〝あるもの〟が出てきました。それは贈り物だったようで、受け取主の名前が贈り主の手によって記されていました。〝Oskar Stutzmann〟と。
 私はインターネットでその名前を検索しました。すると何人かの人々がヒットしましたが、私の勝手な予想からあなたくらいのご年代の方の持ち物と察して、メッセージを送らせていただいております。
 もしも無関係であった場合には、この突然で不躾なメッセージをお許しください』

 僕は驚愕のあまり画面を見つめたまま呆然としてしまった。クラリッサが何度も僕を名前で呼びかけてきて――それはもう何年も前に亡くなった母の声のようにも、あの年を最後に会うことのなかったエルマーの声のようにも聞こえた。そんなふうな幻聴に襲われたのは初めてだった――、 僕はゆっくりと歳月の靄の中から戻って来て、彼女に言った。
「これは僕のことだ」

 話して、とクラリッサは言った。
 僕らは淹れ直した紅茶と、クラリッサが矢継ぎ早に質問するのに夢中になっていたせいで一部を焦がしてしまったくるみパイを前に、改めて息を整えて話をすることにした。クラリッサは知りたがり、僕は突然に蘇った記憶の渦を均してしまいたかった。
「あなたが日本に縁のある人だとは知らなかった」
 とクラリッサは言った。彼女は僕が、人生の重要な部分をいままでずっと隠していたと知って憮然としていた。水くさい、と思ったのだろう。だが僕は、あの異国で過ごした数年間の日々の記憶の蓋を、どうしても開ける勇気を持てなかったのだ。
「あなたはアメリカ生まれだって言ってなかった?」
「本当にアメリカ生まれなんだよ。君と同じ。両親はドイツ人だったけどね」
「それで、あなたはなんで日本に?それはいつのこと?」
「君は戦時中どこにいたの?」
「ベトナムのとき?」
「いや、太平洋戦争のとき」
「カリフォルニアにいたわよ。日本が無条件降伏する数日前に、いろんな国の軍人たちが集まってきて騒がしくなったのを覚えてるわ。うちの父はいい稼ぎが出来ると思いついて、通りにミルクやチーズを売る簡単な屋台を作った。私はその隣でレモネードを売ったわ。暑い夏だったわよね?うんと稼がせてもらった記憶があるわ」
「1945年の夏」
「世界史の大きな分岐点ね」
「君が通りでレモネードを売ってるとき、僕は日本にいた。日本の、軽井沢っていう夏の避暑地の別荘に」
「カルイザワ――。メッセージにあった場所の名前ね。いいところなの?」
「夏はね。でも、冬は地獄だった」
「冬もそこにいたの?」
「いたよ。そこから出ることは許されなかったんだ。警察の許可証がないと出られなかったし、その許可証さえ滅多に出してくれなかった」
 僕はあたたかな紅茶の入ったマグカップを両手で包み込む。軽井沢で過ごしたあの冬は、一杯のあたたかな紅茶でさえ貴重な贅沢品だった。なんなら湯を沸かすことさえも、大変な贅沢だった。僕ら――あの地に集められた日本国籍でない外国人、あるいは無国籍の人たち――の中で薪の確保に苦労しなかった者はいなかったから。
「あなたはそこにいて、それでそのとき住んでいた家に忘れ物をしたのね?あなたには身に覚えがあるってこと?」
「ある。そしてそれはいまイサム・スズエの手の中にある」
「それは一体なんなの?」
「本だよ」
「本?」
「『こころ』っていう小説。ソウセキ・ナツメという作家が書いた」
「ココロ?」
 僕は自分の左胸に掌を当てた。
「ハート、という意味だよ」
 そう言いながら、ドイツ語なら「Herz」だ、と頭の中で呟いた。
「それはあなたへの贈り物だったのね?」
「そう」
「誰がそれをあなたに?」
「エルマー」
 その名前を口にすると、口の中に苦味が広がった。
「エルマー?」
「軽井沢にいた頃、僕らは友だちだった。十六才のときのクリスマスに、エルマーが僕にその本を送ってくれた。表紙を捲ったところに、『メリークリスマス 親愛なるオスカー・シュトゥッツマンへ エルマーより』とメッセージが書いてあった」
 クラリッサはしばらくじっと僕の目を見つめてきた。彼女は老女だったが、その瞳は若い頃と変わらないグリーン・アイだった。僕はその瞳を見たとき、真っ先にヨハン先生のことを思い出したものだ。彼も同じく、美しい緑色の瞳の持ち主だったから。
 クラリッサは紅茶を飲み、百点とは言えないくるみパイをフォークで掬って食べた。ゆっくりとそれを咀嚼し、嚥下すると、
「謝らなくちゃね」
 と首を振った。
「どうやらイサム・スズエは、詐欺師じゃない。親切な人。おそらく、きっとそうね」

 僕はイサム・スズエのメッセージに返信を打った。
『初めまして、日本の親切な方。
 私はオスカー・シュトゥッツマンです。あなたが探している人物はおそらく私で間違いないでしょう。
 私はかつて、確かに軽井沢にいました。 記憶が正しければ1943年から1945年の秋の暮れまで。
 あなたが二階の床下で見つけたであろう本のことはよく覚えています。山吹色の表紙で、ソウセキの小説、『こころ』ですね?本にはメッセージがあったはずです。私の名前、メリークリスマス、そして贈り主の署名』

 イサム・スズエの返信をそわそわと待ったのは僕よりも寧ろクラリッサの方だった。彼女は心ここにあらずな様子で食器を洗い、夕飯の準備をはじめたが、五分に一度はメッセージの返信が届いていないかを気にしていた。僕が役割を交代しようと申し出ると、彼女はパソコンの前に座って心置きなくメッセージの着信を待った。
 クラリッサから引き継いだ夕飯(鹿肉のシチューだ)を作りながら、僕はあの本がまだこの世界に残っていたことに驚きつづけていた。静かに、夜中に打ち寄せる波のように。それから、軽井沢を出て行ったあの日、やっぱり後悔から一度家にあの本を取りに戻ったときに見た光景が蘇って来た。

 あの年、GHQの意向で日本からドイツに強制送還されることになった僕らが持てる荷物には限りがあった。何ポンドまでだったかは忘れてしまったが、両親は何度も荷造りを吟味してやり直していたし、最終的にはいくつかの大事な荷物はどうしてもそこに置いていくより他なかった。
 僕は一度はあの本を自分の鞄に詰めたのだ。そしてやっぱり考え直してベッドの下の、あの床下に仕舞ってしまうと固く蓋をした。置いて行こうと、そう決意したからだ。
 だが、いざ家をあとにして駅が近づいてくると、僕の心は後悔でいっぱいになった。
 忘れ物をした、取りに帰る――。
 僕はそう告げると、両親が止めるのも聞かずに来た道を全速力で走って戻った。あんなに速く走ったのは生まれて初めてだったが、戻ったときにはすでに手遅れだった。
 ついいましがたあとにした、僕らが二年あまりのときを暮らした家には大勢の日本人が群がって、 両親が泣けなしにそこに置いていったあらゆるものの争奪戦がはじまっていたのだ。その群衆の中にはあのハツエもいた。彼女は家の前で呆然と佇み、さっきまでその家の住人だったくせに家に押し入る勇気も持てないでいる僕を見つけると、あのお多福顔でにやっと笑い、とっとと国に帰れや!ドイツ野郎!と叫んで、勝利の咆哮のような笑い声を上げた。彼女の逞しい右腕には、母が惜しみつつも台所に置いて行った古伊万里の大皿が鷲掴みにされていた。一人の女がハツエの横からそれを掠め取ろうとしたが、ハツエはさっと身を躱すと、空いた方の腕で軽々と女を伸してしまった。そして獲物を得た獣のような、悠然とした歩調で、彼女はそこから去って行った。
 きっとあの本も、すでに誰だか知らない者の手の中にあるのだろう。僕はしばらくその場に立ち尽くし、ほとんど感覚のなくなったような足をなんとか動かして、駅に向かった。
 強制送還されるドイツ人たちでごった返した駅では、両親が心配そうに僕の帰りを待っていた。
 忘れ物はあったの?
 隣に腰を降ろした僕に、母はそう訊ねた。母はきっと、僕の失望の横顔に気づいていたのだろう。それで、
 あったよ。
 と僕はなんとか微笑んでみせた。
 あったけど、もう僕のものじゃなくなってた。
 ということは言わずに。
 よかったわね、と母は僕の肩を抱いた。
 僕は家に戻ったときに見た光景を両親には話さなかった。両親を、とりわけ母をこれ以上かなしませたくなかったからだ。古伊万里がハツエに奪われたことなどを知ったら、きっと母はあの場で泣き崩れただろう。
 僕らはあのとき、もう充分にかなしみや失望を経験していたのだ。
 僕らを運ぶための列車はずいぶん遅れてやって来て、息をするのもやっとのような混雑した車輌に僕らはぎゅうぎゅうに詰められた。あちこちからドイツ語で文句が漏れ出すと、見張りと整備のために立っていたアメリカ兵の一人が、おまえらは列車に詰められても死に向かうわけじゃない、と皮肉を言った。国に帰れるだけでも有り難く思え、と。ずたぼろになってるけどな、と別の一人が言い足すと、ヤンキーたちの笑い声が車輌の奥までこだました。車内は静まり返り、ただ赤子の泣く声だけが響いていた。
 僕はこうして軽井沢を去った。そして二度とその地には戻らなかった。

「来たわ!」
 とクラリッサが叫んだ。
 シチューは煮込みの段階に入っており、僕は集中できないと知りつつも本を読んでいた。テーブルにそれを伏せ、パソコンの傍に行くと、クラリッサはまだメッセージを開いてはいなかった。大切な私信だとはっきりしているものに関しては立ち入らない分別を彼女は持っているのだ。僕はメッセージをクリックした。

『ご丁寧な返信をありがとうございます、ヘル・シュトゥッツン。そして私はいまとても驚いています。あなたは私が探していた、まさにその人のようです!
 夏目漱石の『こころ』、山吹色の表紙、私はこの本の持ち主を探しているところでした。贈り物であるからには無下に捨てることはできませんでしたから。見つかってよかった!
 つきましては私はどうすればいいでしょう?よろしければ、あなたの元に本をお送り致します。その際の送料は私からのプレゼントとさせてください。私は持ち主が見つかったことを本当に嬉しく思っています。
 ひとまずは写真をご覧になられたくはありませんか?必要であればすぐに送信します。
 返信を待っています』

「イサムは興奮してるわね!」
 とクラリッサは笑った。
「それに、文章を読む限り、きっと無邪気な好い人だわ、イサムは」
「そうだね」
「送ってくれるって書いてるわよ?どうするの?もちろん送料は彼にプレゼントさせてあげるべきだと私は思うわ」
「うん」
「写真を撮って送ってくれるとも言ってるわよ?せっかくだから送ってもらう?」
「いや、それはいい」
「なぜ?まあその本はあなたのもので間違いはないだろうけど」
 僕はパソコンから離れ、台所へ行ってシチューの中をかき混ぜた。あまりの押し寄せるような出来事に、軽く眩暈を覚えていた。
「オスカー?」
 心配そうなクラリッサの声が、僕の背中を撫でていく。
 クラリッサなら、きっと十代の思い出の品がひょっこりとどこかからか現れたなら、喜んで、あるいは勇んでそれを受け取ることができるのだろう。それにどういった思い出が詰まっていようと。だが僕は、むかしからそういったことに関してひどく臆病だった。そうじゃなかったら、あのとき家に飛び込んで日本人たちを押し退けながらも本を取り戻しているはずだ。せめて取り戻そうと奮闘はしただろう。でも僕が実際にしたことは、呆然と突っ立って、ただ諦めることだけだった。僕はむかしからそうだったのだ。それは死が近づいた年齢になったいまも変わらない――。
「オスカー、大丈夫なの?」
 クラリッサは今度は実際に僕の傍に来て、その掌で僕の背を撫でる。
「少し考えたいんだ」
 シチューの中身を見ながら、僕は言った。
「あれは僕にとってただの贈り物の本じゃないし、僕の1945年はレモネード色の思い出じゃないんでね」
「突然のことに混乱してるのはわかるわ、オスカー。でもだからって自分とはちがう運命にいた人間のことを僻んで攻撃はしないで」
「ごめん、謝るよ」
「そうね」
「僕はどうするべきだと思う?」
「それは、私には決められないわよ。でもあなたがさっき自分で言ったように、ちゃんと考えてみるべきだとは思う、あなたの心がそれを求めているならね」
「そうだね」
「それと、イサムにはちゃんとそのことを伝えるべきだと思うわ。誠実な人には誠実さを持ってこたえるべき。そうでしょう?」
「もちろん、そのとおりだ」
 僕以外の人間はいつだって正しいこたえを知っている。
 僕は久々に、そんなふうに感じていた頃のことを思い出した。
 正しいこたえ、そしてそれに基づいた正しい行動ができる。僕以外の人間はいつだって。

『親愛なる日本の親切な方。
 あなたのご厚意、あなたの誠実さに感謝を申し上げます。
 しかしながら、あなたの申し出について、私にはしばらく考える時間が必要なようです。
 あなたが見つけた、かつての私の宝物には、さまざまな思い出、決して輝きだけの想いが詰まっているわけではありません。私には少し、自分の心や記憶を整理する時間が必要なようです。私がどうするべきなのかはっきりとわかるまで、どうか待ってはいただけないでしょうか?

 追伸、あなたがその、古びているであろうかつての私の宝物を簡単には捨ててしまわなかったこと、あなたのその心の美しさに、改めて感謝申し上げます』

『親愛なるヘル・シュトゥッツマン、お返事拝読いたしました。
 私の不躾な突然の手紙に、丁寧なご返信をありがとうございます。
 もちろん、私は待ちます。あなたのこたえが導き出されるまで、ずっと。
 それまで、あなたのかつての宝物は、私が厳重に保管しておきます。ご安心を。
 そちらはもう随分と気温が下がっていることと思います。どうかご体調にお気をつけて。
 ご自愛ください。
 イサム・スズエ』

 僕とクラリッサはいつものように早い時刻に夕飯を食べた。彼女は特に僕になにかを訊ねたりはしなかった。聞きたいことは山ほどあっただろうが、彼女は我慢強くあろうとすると、とことん我慢強い人間だった。
 食後にラム酒入りの紅茶を飲んでいると、窓の向こうに雪が見えた。それは闇の中でふわふわと空から舞い降りていた。天使が落とした羽根のように。
「雪だわ」
 とクラリッサは言った。
「雪だ」
 と僕はこたえた。
 寝支度を終えると僕らは寝室へ行き、互いのベッドに横になった。同居して以来、僕らは同じ寝室で寝ているが、それはお互いにもしもの異変が起こったとき気づきやすくするためで、ベッドを共にしたことは一度もない。必要がないからだ。僕らは互いに、同性しか愛せない身の上だった。
「おやすみ、オスカー」
 とクラリッサは言い、
「おやすみ、クレア」
 と僕は言った。
 瞼は少しも重くなかったが、目を閉じた。眠りはやってきそうもなかった。

 エルマーはあの本を船の図書室で手に入れた。
 彼はそう語り、僕はその見たこともない図書室を何度も夢想し、絵に描きさえした。そのせいで、僕は未だにその船の図書室に閉じ籠ることができるほどだ。そこには少年だったエルマーがいて、誰もいない図書室で一人、ソファの上で膝を立てて本を開いている。
 その船はアメリカ西海岸を出発してゆったりと太平洋を渡り、東洋へと向かっていた。ひどい船酔いをしている両親を客室に置いて、エルマーは毎日船の中を探検した。そしてある日、 舳先の方に小さな図書室があるのを見つける。そこは奥に向かって半円の球状の空間になっており、その壁は丸みに沿って作り付けの本棚になっていた。船が揺れても本が落ちてしまわないように、本棚にはそれぞれ一本のロープが渡してあったそうだ。本棚の他にはボルドー色のソファと、カンテラを模した照明器具があった。ほんの子どもだったエルマーが「小さい」と感じるほどの、小さな図書室。
 さまざまな色の本の背表紙を、エルマーは目で追った。ほとんどの本が英語のものだったが、何語だか判別できない本もいくつかあった。そんな中で、エルマーが最初に抜き出してみたのは、鮮やかな山吹色の本だった。
 なんでその本を選んだのかはわからない、
 とエルマーは言った。
 でもよ、不思議なんだけどさ、俺はそのとき日本語なんて一つも知らなかったのに、その本のタイトルが読めたんだよ。〝こころ〟って、そうすうっと胸の中で呟いたんだ。
 エルマーのその話を、僕は信じている。彼は夢想家ではなくどちらかというとリアリストだったし、理屈で説明できないような出来事を神の思し召しだとかいうふうにも捉えなかった。彼の父親は牧師で、両親は共に敬虔なクリスチャンだったが、彼自身は宗教と現実をいつも切り離して生きていた。
 エルマーはその日から図書室通いをはじめた。それは長い旅程の船旅だったが、彼が横浜港に降り立つまで、彼以外にその図書室を利用する者はいなかった。だから彼は、その小さな図書室でいつも一人きりだった。
 ときどきカモメの啼き声が聞こえると顔を上げたんだ、
 とエルマーは言った。
 天井の近くに丸い窓があって、青空と雲ばかり見えるそこに鳥影が射すと、すぐそこに幸運が待っているような、そんな気になった、と。
 僕はその光景をエルマーとともに見たような気さえしている。
 船から降りる日の朝、エルマーはいつものように図書室に行くと『こころ』を手に取った。そしてそこを出るときには、本を本棚には戻さず、自分の鞄に詰めてしまった。
 迷わなかったよ、
 とエルマーは言った。
 俺のやったことは泥棒だったんだろうけど、その本はもう俺の持ち物だったからな、と。
 そのとおりだ、
 と僕は言った。
 これは君の本だよ、エルマー。

「眠ってる?」
 とクラリッサが闇の中から声をかけた。
「眠れない」
 と、僕は言った。まっすぐに見上げた天井は闇に包まれていた。外は雪の気配。
「私、考えたんだけど、」
「クレア」
「なに?」
「君にずっと黙っていたことがあるんだけど」
「大抵の人間は秘密を持っているものよ。それは必ずしも誰かに明かしてしまわなければならないわけじゃないわ」
「明かしたいんだ。明かしたくなったんだ、いま」
「なぜ?」
「あの本に関することだから」
「そうなの?あなたが明かしたいって言うなら、私は聞くわ、いつだって」
「ありがとう。君はひょっとすると、僕に幻滅するかもしれないけど」
「パートナーの私に幻滅されてでも言いたいことなのね?」
「うん、言いたい」
 クラリッサは一拍置いてから言った。
「聞くわ」
 僕はゆっくりと一つ深呼吸をした。暖房で部屋の空気はあたたまっていたが、窓からは幽かな冷気が忍び込んで僕の肺を一部冷たくした。
「いままで黙っていたけど、僕の両親はナチだった」
 クラリッサは返事をしなかった。だが僕の言ったことは確かに聞こえていて、彼女がベッドの中で少し身を固くした気配を僕は感じた。
「でも、――まあなにを言っても言い訳にしかならないだろうけど、両親も僕もナチズムに心酔したことは一度もなかった。寧ろ、できるならああいった思想とは離れていたかった。これは本当のことなんだ。信じてもらえないかもしれないけど、僕は学校で、軽井沢にいた頃通ったドイツ人学校で、ナチス式の挨拶をさせられる度に苦痛を感じていた」
「なにか事情があって、ご両親は入党を?」
「そうだね。そして僕ら一家は、その事情の前で自分たちの信条を曲げてしまうことを選んだ。良心の一部を売り渡して、より生きやすい環境が与えられることを望んだ」
 クラリッサはなにも言わなかった。彼女が僕に幻滅しているのか、呆れているのか、その両方なのかはわからなかった。やがて静かに衣擦れの音がして、クラリッサがベッドの中から身を起こす気配が感じられた。
「なにか飲みながら話さない?」
 とクラリッサは言った。
「蜂蜜入りのココアなんてどうかしら?」
「僕に幻滅したかい?」
 と僕は訊ねた。
「いいえ」
 とクラリッサはきっぱりと言った。
「いま聞いた話だけであなたに幻滅するには、私はあなたのことを知り過ぎているもの」
「ありがとう、クラリッサ」
「辛い話をするときにはね、なにかあたたかいものを飲むべきなの。せめて身体をあたためておかないと、人は簡単に悪い思考に取り憑かれてしまうから」

 それで、僕らはベッドから這い出し、夜更けの台所で背徳の飲み物を作った。そして再び暖炉に火を灯して、そのやわらかな灯りの傍で話をすることにした。
 クラリッサの提案はまたしても正しかった。マグカップいっぱいのココアを手にしていると、僕はいくらか落ち着いて言葉を紡いでいけそうだった。古い、すっかり埃をかぶってしまったあの頃の記憶をそっと掬い出し、枯れた花に少しずつ水を与えるように、僕は語りはじめた。
「君も知ってのとおり、僕はアメリカのボストンで生まれた。トリニティ教会の傍の小さな産院で、母は難産の末に僕をこの世に産み落とした。だから僕はアメリカ生まれのアメリカ国籍だった。けれど、物心ついたときには日本にいた。だから僕の最古の記憶は日本からはじまっている。まだ僕がほんの幼児だった頃に、両親が船でその極東の国へ行くことを選んだから。世界中が混乱と貧困の最中にある時代だった」
「世界恐慌ね」
「そう。そんなとき、父に日本の音楽学校から招きがやってきたんだ。東京の、ある音楽学校で教師をしないかという誘いだった。それで、両親にはこのままアメリカに留まるか、極東の国に行ってみるかという二つの選択肢が与えられた。ドイツへの帰国は二人の中にはなかった。ドイツの失業率はかなり悲惨な数字になっていたし、怪しげなある党が国のトップに上り詰めようとしているところだったから。二人は随分悩んだらしい。日本がどんな国なのか二人ともよく知らなかったし、幼い僕をまったく文化のちがう国で育てることに不安もあった。けれど外国籍の両親がアメリカに留まりつづけることにも不安がないわけじゃなかった。父がいつまでアメリカで仕事ができるのか、ある日突然に馘を切られないか、両親にも誰にもわからなかったから。それで、二人は最終的には進んでみることを選んだ。極東からの誘いを、神からのご啓示、新たなる進路と思うことにした。呼ばれたのなら行ってみようじゃないの、という意気込みでね。そして長い船旅の末に、僕ら一家三人は、日本の、横浜という港に辿り着いた」

 *

 僕の最古の記憶はその横浜の町からはじまっている。僕が幼いときから14才までの間暮らした家のことは、いまでも詳細に思い出せるほどだ。
 その家は山手町という高台にあって、そこは謂わば外国人たちのための町だった。主にあらゆる国の大使館に勤めている人々が住み、国際色豊かな、異国情緒に溢れた町となっていた。僕ら一家に貸し与えらえた家は、その東洋の中の異国に相応しい、和洋折衷建築の素晴らしい家だった。
 その家には日本風の庭と畳の居間があり、奥のいくつかの部屋と二階は洋室で、屋根は日本の瓦だったが、色は地中海のような青色をしていた。キッチンは日本式の竈と洋式のガスレンジ、風呂はタイル張りでアメリカ製のバスタブが据えられていた。僕の自室の窓からは横浜の町、そして港を見ることができた。それはとても美しい眺めだった。絵を描くことが趣味だった僕は、その窓からの景色を何度もスケッチブックに描いたものだった。
 外国人たちが集まっていたおかげで、町にはインターナショナルスクールもあった。東京まで行けばドイツ人学校もあったが、両親は僕のためにその近所の学校を選んだ。そこでの公用語は英語だったから、両親は家ではドイツ語を遣った。僕がドイツ語を忘れてしまわないように。それで、当時の僕はドイツ語、英語、日本語の三ヶ国語を不自由なく話すことができた。特に日本語に関しては両親から頼りにもされていた。幼かった僕は両親よりもずっと早く、正しく流暢に日本語を話すことができたから。それは僕に与えられた、最初の職業でもあった。
 小さな通訳さん。
 母はときどき、僕のことをそんなふうに呼んだ。僕はそのあだ名がとても誇らしかった。そう呼ばれると、誰かの役に立っていると思えた。
 小さな通訳士である僕が一番仕事をしたのは主に女中のおサンと母との間の言葉を取り持つことだった。僕ら一家が日本にやって来たとき、おサンもまた日本の遠い田舎からこの町にやって来ていた。
 おサンはほんの少女といっていいような年齢のときから僕の家に勤めていた。背丈が低く、小柄で痩せていた彼女は、しかし素晴らしい働き者で、いつ見てもぼんやりしているとか休んでいるということのない人だった。性格は奥ゆかしく物静かだったが、行商人や出入りの八百屋などに言うべきことがあるときは決して引かなかった。そしてなにより、彼女は子どもあしらいのうまい女性だった。幼児だった僕は一日の大半を彼女の背中で過ごし、背中を降りる年齢になると、今度はとことん僕の遊びやイタズラに付き合った。彼女は僕にとって、使用人というよりは良き姉のような存在だった。
 彼女は僕を〝坊っちゃん〟と呼び、僕は彼女を〝おサンちゃん〟と呼んだ。そうとばかり呼んでいたから、おサンというのが彼女の本当の名前とはなんの関係もないと知ったときにはひどく奇妙な感じがしたものだ。彼女を紹介してくれた隣人のワタナベさんによると、日本では女中を本名で呼ぶことを忌避する習慣があるらしく(曰く、親がつけた名前で呼ぶことを憚るため)、それで両親は彼女の呼び名として〝サン〟という名を考え出した。これは英語のsun――太陽に由来するもので、両親は少女の身で働かざるを得ない彼女の人生に陽が当たることを願って、そう名付けた。彼女は「奉公」という言葉の下に、親に売られた身の上にあった。僕がそのことを知ったのは随分あとになってからのことだったが、彼女はいつだって優しく穏やかで、自分の身の上を嘆いたり怨み言を言ったりしていたのを聞いたことはなかった。ただときどき、彼女はなにかを思って、ふっとさみしそうに微笑むことはあった。僕が「どうしたの?」と訊くと、彼女はいつも優しい声音で、「なんでもないんですよ」とこたえた。
 幸福な少年だった僕には、もちろん彼女の微笑みの意味も、「なんでもない」という言葉の深奥も、ずっと大人になってから理解したのだった。

 僕には両親がいた。おサンという優しい姉がおり、横浜の家に住んで、自由な校風の学校に通い、友だちがいて、遊ぶ時間があり、趣味を楽しんだ。休日にはユニオン教会に通い、横浜の町で中華料理や洋食を食べ、東京まで出かけると日本の伝統的な芝居や和食を楽しんだ。父が自身の生徒や音楽仲間を連れて来ると、家でちょっとした演奏会が開かれることもあった。母はお茶と手作りのお菓子を振る舞った。そういうことのすべてを、少年時代の僕は当たり前のように享受していた。これを幸福と呼ばずになんと呼ぶだろうか。
 僕は確かに幸福だったのだ。
 そしてそれはゆっくりと少しずつ、外側から音を立てて崩れはじめた。

 最初にドイツがポーランドに進軍をした。
 そうやって第二次世界大戦が勃発すると、翌年には日本とドイツ、そしてイタリアの間に同盟が結ばれた。
 父は何度も近所の人たちとの話し合いに出かけ、帰って来る度に僕たちのここでの暮らしはなにも変わらないと宣言した。
 僕らは教会へ行く度に犠牲者と平和のために祈りを捧げ(僕らに影響されて洗礼を受けたおサンも一緒だった)、僕は学校を変わることもなく通いつづけた。僕の通うインターナショナルスクールはほとんどが英国籍の生徒だったが、両親がドイツ人である僕になにかを言ってきたりするような同級生は一人もいなかった。
 世界でなにかが起こる度に、なにも変わらない、大丈夫だ、と父は言いつづけ、僕らはその言葉を信じるしかなかった。

 遠くで起こったハリケーンを眺めるように、僕らはただ日常をつづけた。それしかできることはなかったし、それが最も正しいことであると信じてもいた。

 だが1941年の十二月、日本が真珠湾を攻撃したというニュースがラジオから流れて来たときには、突如暗澹とした雲がのしかかって来たような、重苦しい気配が僕ら一家を包み込んだ。
 そのラジオニュースの詳細を、僕は両親に伝える役目を負った。アナウンサーはとても興奮しているようすで、両親はそのニュースをうまく聞き取ることができなかったから。僕は両親に翻訳をしながら、しかしその事実をまったく信じることができなかった。日本が新たなる戦争に突き進んだこと、しかもアメリカを相手それをしようとしていることが理解できなかったのだ。
 愚かなことを!
 と父は叫んだ。
 母は僕と同じでこの事態をうまく呑み込めないらしく、
 つまり、日本はアメリカを相手に戦争するってことなの?
 とぼんやりした顔で呟いた。
 おサンは、――彼女は小学校にすら通ったことはなく、うちに来てからどうにか平仮名の読み書きだけは覚えたのだったが、決して頭の愚鈍な人ではなかった――窓辺に行くとその冬の曇った空に向かって手を組み、黙って祈りを捧げた。
 父は愚かだ愚かだ、と言いつづけ、僕と母はぼんやりし、おサンは祈りつづけた。
 こうして太平洋戦争がはじまると、これまで残っていたどこか長閑だった空気も少しずつ変わりはじめた。日本人たちの間には疑心暗鬼な暗い気配が立ち込め、外国人はみな敵だと思っているような疎外感を僕たちは味わうことになった。ドイツは一応日本の同盟国だったが、向こうは白人なら誰しもが敵だと思い込んでいるような態度だった。彼らはよそよそしくなり、心の鎧戸をすっかり下ろしてしまったようだった。
 僕らは言動に気をつけなければならなくなった。町のいくつかの場所が防諜を理由に立ち入り禁止になり、もし日本の体制を批判したり、スパイに間違われるような行動を取ればとんでもない仕打ちが待っているという噂が立った。
 以前のような穏やかな空気が失われ、僕らはこの異国にいることの心地よさを感じなくなっていたが、最早ここから動くこともできなくなっていた。アメリカは敵国になり、ドイツがソ連との戦争をはじめたせいで帰国も叶わなくなっていたから。
 それで僕らはここでの日常をつづけた。父は教師をつづけ、僕は学校に通い、母とおサンは滞りなく日常が紡がれるよう気を配った。
 けれど、やはり世界は一変してしまった。

 太平洋戦争がはじまって一年が経とうかという1942年の十一月の末だった。その日、僕はいつものように学校で授業を受けていた。午後の眠たくなるような最初の授業中、突然ものすごい轟音が教室の窓硝子を震わせた。あとから響く爆発音に、眠気を吹き飛ばされた生徒たちは何事かと窓辺に詰めかけた。教師が席に戻るよう声を荒げたが、耳を傾ける者は一人としていなかった。
 僕はそのとき見た光景をいまも絵に描けるほどよく覚えている。学校の窓から見た、燃え上がる艦船と港、そして二度目の爆発が再び窓を震わせ、黒煙と巨大で不気味な赤い火柱が海を地獄のような色に染めた。
 僕らは誰も口を聞かず、なにかとんでもなことが起ころうしている予感になす術もなく立ち尽くしていた。
 その事件はのちに『横浜港ドイツ軍艦爆発事件』と呼ばれることになる。ドイツ海軍のタンカー、『ウッターマルク』が爆発を起こして四隻の船と港を焼いたのだ。運の悪いことに爆薬を積んだ船にも引火したせいで、その消火活動は大いに手こずるはめになった。原因は明らかにされなかったが、すぐに工作員の仕業にちがいないという空気が生まれ、それはますます僕たち外国人と日本人たちを隔てる結果となった。
 事件については箝口令が敷かれ、両親は僕に決して学校の窓から見た事件のことを喋ったり、間違っても絵に描いたりはするな、と忠告した。僕はその忠告を守った。だがそれでなにかが良くなったりはしなかった。
 そしてとうとう、その事件から一年もしないうちに、ある御触れが日本政府から僕たちにもたらされた。

 父は僕たち一家をリビングに集めると言った。
 私たちはここから引っ越さなくてはならない、と。
 どうして?
 と母は訊き、
 どこに?
 と僕は訊ねた。
 父は一枚の紙切れをそっとテーブルの上に置いた。
 〝外国人居住禁止区域〟
 という文字が読めた。漢字の読めない母はぽかんとして、僕に問うような目を向けた。通訳さん、なんて書いてるの?と。
 僕は上から順番に町の名前を黙読していった。〝山手町〟の名前は第二次立退区域の欄にあった。曰く、なるべく速やかに立退をするべし。
 僕たちはもうここに住めなくなる、なるべく早く引っ越さなくちゃならないらしい、と僕は母に伝えた。
 ドイツは日本の同盟国なのに?
 と母は言った。
 ドイツ人もここから出て行けということなの?
 そうらしい、
 と父がこたえると、母は黙って、両手で顔を覆った。泣いているわけじゃなかったが、泣くよりもひどい状態のように見えた。
 父さん、僕たちはどこへ行くの?
 と僕は訊いた。
 わからない、
 と父はこたえた。
 1943年、夏が終わろうとしていた。

 *

「それで、あなたたち一家は横浜からカルイザワへ?」
「そう」
「その土地を選んだのに理由はあったの?」
「突然引っ越せと言われて僕たちは当然戸惑った。ご近所の人たちはそれぞれ、知り合いの家や日本の知人や伝を頼って引っ越し先を決めたが、僕たちはなかなか、どうするべきなのか判断がつかなかったんだ。政府は箱根や軽井沢を指定していて、なるべく僕たち外国人を一ヵ所に集めたがっているようだった」
「監視がしやすいからね」
「それもあったし、空襲の際にはその地域を緩衝地帯に指定できる。実際、アメリカ軍は日本の領土を爆弾と焼夷弾で穴だらけの焼け野原に変えたけど、軽井沢は一度も空襲を受けなかった」
「おかげであなたの暮らした別荘は時を経ても残っていたみたいね」
 僕は少し肩を竦めてみせる。一体なにがあって、あの山荘はこれまで誰にも壊されることなくあの土地に残りつづけたのだろうかと。
 クラリッサは暖炉の熱でやわらかくなったチョコレートを一つ口に入れた。僕たちの眠気はとっくにどこかに行ってしまっていた。
「結局、僕たちは軽井沢へ引っ越すことになった。もたもたと手をこまねいているうちに、またしても呼び声があったから」
「呼び声?」
「ある日、家に電話がかかってきたんだ。タカギさんという女の人からで、彼女は父の元生徒だった。在学中に単独でドイツ留学も果たした勇気ある才女で、彼女は父が電話に出るなり切り出した。『先生、なにかお困りではありませんか?』と。そして父がなにか言う前に、彼女は軽井沢にある別荘の話をはじめたんだ。『お困りであれば、私にできることをさせてください』と彼女は言った。僕たち一家は話し合い、タカギさんの電話を天からの助けと思うことにした。引っ越し先が決まると、母は俄に元気を取り戻した。くよくよしていてもはじまらない、というわけで、アメリカから日本にやって来たときのように、てきぱきと荷づくりに精を出した。引っ越しの当日にはタカギさんも来てくれてね、勇ましい彼女は自分の家の逞しい人夫を三人引き連れて、我が家のように荷物の運び方を指示していた。
 そして僕らは、山手の家を去った――。僕にとっては生まれ育ったたった一つの家で、そんな出て行き方をしたくはなかったが、他に選択肢はなかった。戦争が終わればまたここに戻って来られるわ、と母は小声で囁いたが、僕はなぜだか、少しもそんなふうには思えなかった。もう二度とここには戻れないような気がしながら、軽井沢行きの列車に乗った」
「おサンも一緒に?」
 その言い方で、クラリッサがおサンのことを気に入っているのがわかった。きっと聡明な女性だと思ったのだろう。
「いや、残念ながら、彼女は一緒ではなかった」
「どうしてなの?」
「引っ越しが決まって、もちろん僕らはおサンをどうするのかという問題に直面した。彼女を連れて行くには、タカギさんの山荘はあまりに手狭だったし、彼女にお給金を払いつづけられるのかもわからなかった。実際、ご近所の人たちの多くは勤めてくれていた女中たちに暇を出してしまった。だけど僕らは、おサンを野放しにさせたくはなかった。それで、おサンを紹介してくれたワタナベさんに相談をしたんだ。すると、思いもよらない話が持ち上がった」
「思いもよらない話?」
「縁談だよ」
 クラリッサは目を見開き、眉を上げた。
「僕らはワタナベさんが、おサンに別の勤め先を紹介してくれることを期待していた。でもワタナベさんは結婚を勧めてきた。おサンにいい相手がいて、前々から話をしようかと思っていたのだと言って」
「彼女はその話を受けたの?それとも、受ける他なかったの?」
「どうだろうね……。本当のところは、彼女にしかわからない。でも彼女はその話を受けることにしたんだ」
 クラリッサは首を振る。
「彼女はそれで幸せになったのかしら」
「わからない」
「彼女の旦那さんはどんな人だったの?」
「わからない。僕らは彼女の旦那となる男には会わなかったし、彼女も結婚の当日まで、それがどんな相手なのか見ることはなかったから」
 クラリッサは息を吐いた。ひどい話だわ、と。
「僕らがおサンの夫となる人について知ることができたのはごく僅かなことだけだった。おサンよりも十個歳上で、二年前に先妻を亡くし、満州で食堂をやっているということ。ワタナベさん曰く、真面目でいい人。だから僕らと別れて、おサンは結婚して満州で暮らしたはずなんだ」
「暮らしたはず?」
「僕らが軽井沢に行く前に、おサンは慌ただしく結婚のために家を出て行ってしまった。僕らはそれきり、再会することはなかった。彼女が戦火を生き延びたのか、それともどこかで――どうにかなってしまったのか、いまとなってはなにもわからない」
「手紙のやり取りは?」
 僕は首を振った。軽井沢に強制疎開した僕ら外国人は、滅多に手紙を外部に、まして日本の外には送れなかった。
「でも、僕は一通だけ彼女からの手紙を受け取ったんだ。日本が降伏して戦争が終わったすぐあと、僕はあの山手の家がどうなったのか見に行ったんだ。すると隣人のワタナベさんが現れて、おサンが一通だけ送って来た手紙を預かってくれていた。日付は一年前で、彼女は元気に暮らしていると書いていた。それだけで、ワタナベさんにもおサンがどうなったのかはわからなかった。連絡があれば報せるという約束をしたが、とうとうワタナベさんから連絡が来ることはなかった」
 おサンは嵐のような時代に巻き込まれ、霧のように消えてしまった。
「ねえ、彼女がもう少しあとの時代に生まれて、ちゃんと教育を受けていたら、きっと素晴らしい女性になったでしょうね」
「そう思うよ。おサンは賢かったし、努力家だった」
「彼女が幸せだったことを願うわ」
「僕もだよ。彼女は幸せになるべき人だった」
 僕とクラリッサは暖炉の火を見つめた。こうして寒さを凌げること、あたたかい飲み物と甘い食べ物を自由に口にできることが奇跡であることを僕らはそれぞれに思い出していた。
「ねえオスカー、」
「なんだい?」
「あなたのカルイザワでの暮らしには、辛い思い出しかないのかしら?」
 考えるまでもなく、僕はそれを否定する。
「いや、それだけではなかったよ。確かにそこでの暮らしは、――とても大変だった。食糧は常に不足していたし、薪も充分ではなかった。冬は極寒で、水を確保するのにもひどい苦労をした。僕は相容れない教育を受けなくちゃならなくなったし、母はだんだん笑顔を失くしていった……。戦争はいつ終わるかわからなかったし、アメリカの飛行機が間違ってここに爆弾を落としていくんじゃないかという恐怖に取り憑かれたこともあった。……それに、辛い別れもいくつかあった。――それでも、あの時間のすべてをただ辛くて苦しいだけの日々だったとは切り捨てられない。僕らはそこで懸命に生きたし、僕には友だちがいた。それに、軽井沢で初めての恋もした」
 クラリッサは微笑む。
「エルマーに?」
「いや、彼はただの友だちだよ」
「あら、そうなの?」
「そう。僕が恋したのは、もっと繊細で清らかな人だったからね」
「まるでエルマーとは大違い、みたいな言い方ね」
「実際そうだったもの」
 クラリッサは笑う。
「仲がよかったのね、エルマーと」
「そうだね。お互い他に相手がいなかっただけかもしれないけどね」
「それだけじゃ人間、仲良くはなれないものよ」
「そうかな?」
「そうよ。でも、よかったわ」
「なにが?」
「どんな暗闇の中にも光はあるものなのね」
 僕は思い出す。あの日々にエルマーやヨハン先生、そして僕の初恋の人である雪鷹がいなかったら、僕の軽井沢での日々はもっと惨めで苦々しく、苦痛ばかりが残っただろう。でも、そうはならなかった。僕は彼らと一緒だったから――。
「ねえオスカー、私たちには三つの選択肢があると思うの」
「三つの選択肢?」
「そうよ。一つ目は、エルマーのあの本をイサムに送ってもらうこと。二つ目はイサムに写真だけを送ってもらうか、もしくはなにも送ってもらわないままにすること。最後は、あなた自身が自分の手で本を受け取りに行くこと」
「僕が日本へ?」
「もちろん、私も付いて行くわ。船は時間がかかるから、行くなら飛行機にしましょうね。わかってると思うけど、私は最後の選択肢をおすすめするわ」
「なぜ?」
「なぜ?そりゃあ、本があなたを呼んでいると思うからよ」

 寝床に戻ると、クラリッサはすぐに寝息を立てはじめた。僕はベッドの中で仰向けになり、闇の中で静かな天井を見つめていた。
 夜は長かった。
 クラリッサの提示した三つの選択肢のうち、僕は自分がどうするべきなのか、どうしたいのかわからないでいた。暗闇だけの空で月を探すように、僕は天井を見つめつづけた。そうしているとなぜか、おサンのことが強く思い出された。

 おサンのことについて、クラリッサには話さなかったことが一つだけある。
 話したところでクラリッサは信じなかっただろう。そのことについては、僕も未だに半信半疑ではあるのだ。けれど、いま考えてみても、あの手紙はどこか奇妙な手紙だった。
 それに僕も長い間忘れてしまっていたが、子どもの頃、おサンはときどき冗談めかして僕に言っていたことがあったのだ。
 私にはちょっと先のことが見えるんですよ、坊っちゃん、と。
 彼女がやってみせたのはほんの些細なことばかりだった。例えば天気予報。どんな晴天の日でも、彼女が傘を持っていけと言うと雨は必ず降った。僕が下校中に転んで怪我をして帰ると、おサンがすでに薬箱を準備していることもあったし、まだ来ていない来客が来るから家にいた方がいいと言ったりもした。それについて彼女は、野良猫が顔を洗っていたからとか、たまたま薬箱を整理していただけだとか、なんだかそんな気がしたのだとか、にこにこ笑ってはぐらかしていたけれど、いま思えば、彼女は本当に見ていたのかもしれない。彼女の言う「ちょっと先のこと」を。そして慎み深い彼女ならば、その特殊な能力をそんなふうな些細なことにしか使わなかっただろう。周りに吹聴したり、信じ込ませようとしたり、ひけらかしたりすることが愚かだということを、おサンならばちゃんと心得ていたはずだから。

 おサンの結婚が決まったとき、僕はもちろんさみしかった。けれど僕はもう子どものように、「さみしい」だとか「行かないでくれ」とか言えない年齢になっていた。
 僕はおサンとずっと一緒にいたかった。
 生まれたときからずっと傍にいたようなものだし、彼女が家からいなくなるという日常がどんなものか想像もできなかった。けれど僕は、結婚が決まった女性になんと言うべきかをもうちゃんと知っている年齢になっていた。それで僕はおサンに言った。
 おめでとう、と。
 彼女は笑って、小さく頭を下げた。
 ありがとうございます、坊っちゃん、と。

 僕らはおサンにいくつかの贈り物をした。お祝い金の他に、母は箪笥の肥やしにしていた桜柄の銘仙と、故郷ドレスデンから持ってきた陶器の茶碗と紅茶を贈り(「旦那さんとお茶を楽しんでちょうだい」)、父はその年の正月に門前で撮った写真と、おサンのリクエストにこたえていくつかの曲をピアノで奏でた。僕はおサンにねだられて一枚の絵を贈った。最初はおサンの似顔絵を描こう思っていたのだったが、おサンは似顔絵よりも僕がいつも描いている、自分の部屋の窓から見える風景画を欲しがった。古いスケッチブックから彼女は一枚の絵を選び出し、大事そうに胸に抱えると礼を言った。まるでもうその風景を見ることがないと知っていたみたいに。
 それから僕たちは短い散歩に出かけた。二人きりで散歩に出たりするのは実に久々のことで、僕は少しだけ照れくさかったのを覚えている。夕方だったが、人は疎らだった。僕らはうっかり立ち入り禁止区域に入ってしまわないように気をつけながら歩いた。家々の間に海が見えると、黙ってその夕焼けに輝く水面を見た。
 私は幸せになります。
 唐突に、おサンは言った。
 大丈夫です、私は幸せになりますし、坊っちゃんも新しい土地できっと素晴らしいお友だちに出会えます。
 そう確信に満ちた声で、おサンははっきりと僕にそう言った。あのときは転居する僕を慰めてくれているのだとばかり思っていたけれど、もしかするとおサンには見えていたのかもしれない。僕が軽井沢でエルマーやヨハン先生、雪鷹に出会うということを。
 戦争が終われば、僕らはまた会えるかな?
 と僕はおサンに訊ねた。
 彼女はなにも言わず、ただやさしく微笑んだ。
 そして僕らは別れ別れになり、僕は終戦後に彼女からの唯一の手紙を受け取った。それはこんな手紙だった。

『おかへりなさいまし、ぼつちやん。
 おさんはげんきです。
 よごれてしまうといけないから ぼつちやんのえをおかえしいたします。
 ふねはさむいですから おかぜにきをつけなさいまし。

 たゑ』

 彼女はなぜ手紙の冒頭に「おかへりなさいまし」などと書いたのだろう。そしてなぜ父と母のことは書かず、僕だけに宛ててその言葉を書いたのか。まるであの家に帰って来るのが僕一人で、僕がその手紙を受け取ることになると知っていたみたいに。
 彼女の言う「絵」は同封されていなかった。検閲の厳しい時代だったから、港の絵と判断されて抜き取られてしまったのかもしれない。
 「よごれてしまう」というのがなにを懸念したものなのかもわからなかった。ただ僕は、満州にいた日本人が終戦後どんな目に遭ったのかを知っていた。彼女がその艱難辛苦から逃れられたことを願う。
 手紙を受け取ったときには、彼女が「ふねはさむい」などと心配している理由もわからなかった。僕はそれから二ヶ月あまりして、船でドイツに強制送還させられるのだが、何度も甲板に出て外を眺めていたせいでひどい風邪を引き、苦しんだ。おサンはそのことを心配していたのだろうか?

 おサンちゃん、
 僕は久々に、日本語でそう彼女に呼びかける。日本から遠く離れた、あの頃はそんなところに住むとは想像もしていなかった、カナダのオンタリオ州、ゲルフという街の静かな寝室で。
 僕はどうしたらいいだろう?
 天井にそう問いかけると、
『おかえりなさいまし、坊っちゃん』
 彼女が微笑んでそうこたえるのが、聞こえたような気がした。

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登録日
2022-11-19

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