赤い糸
「ねえマユミ、こういうことしたらさ、本当に死んじゃうらしいよ」
熱っぽい口付けを交わしたばかりの唇で体温を含んだ呼気と一緒にサヤカが喉から押し出した言葉は、さっき重ねたばかり、心音をを混ざり合わせたばかりの胸の膨らみどうしに距離を作らせたがっているかのようで、けれど表情も声色も、その意志の先端がくったり蕩けて抵抗力の材料としてはどうにも力不足だった。
同じ制服で同じ色のカーディガンを羽織ったあたしとサヤカ。紅葉が色付き始めるには少し遅いこの季節が向けてくる差別主義者のそれに似た冷ややかな視線。彼女が好んでいたパステルカラーのカーテンを閉め、あたし達はあれからの隠れんぼと内緒ごとの共有をした。
世界中の全部に内緒で、あたしとサヤカは各々の左腕に傷だとか、それから腕まくりをしたカーディガンの袖口やラグへ血の模様を作った。紅葉だなんだの植物なんかよりずっとずっと、あったかくて背徳的な赤だった。リスカ、なんて軽い言葉があたし達がそれに縋ってきた理由を片付けられるとは到底思えないのだけど、でも、傷のことくらいはそれくらいの軽さが丁度よかった。あたしが自分で付けたのと、サヤカが同じ場所に付けたのとは、おんなじ数の切り傷。追っ掛けて無邪気に響く数読みとともに、あの子の腕にも横走りの赤色を増やしてくれていた。ふしぎと、初めて、カミソリが何処をどう滑ったって、ときに脂肪層に至ったとして、一切の痛みなんて感じなかった。
あたしは、かなりの欲張りだ。学校で使う物でのお揃いをサヤカが照れくさがったら、いつだって強引に買い物に連れていって色違いを押し付けては、そのついでで新しいお揃いを増やしたり、なんてことは何度でもある。決まって、サヤカは新しく買った物を抱きしめながら頬をピンクにしてはにかんでくれるし、長く大切にそれを使っていてくれる。サヤカがそんなのだから、たくさん欲しくなっちゃうんだよ。なんて、責任転嫁も程々にしないといけないけれど。
そんなあたしは、今日もかなり欲深かった。恋のあやまちと呼ぶには何もかも風変わりな傷の交換をしているさなかにも、サヤカをもっともっとと欲しがった。こどもは危ないから使うことを咎められるような刃物を手にした遊びのたのしさや好奇心の他に、愛しい気持ちやせつない気持ちもサヤカと共有したくって、お互いに切り合いっこもした。すると微熱みたいに頭の芯が暈されて、たまらなくなって、気が付くと、サヤカに沢山のキスをしていた。香り付きのグロスが薄く塗られていた、可愛いかたちの唇に。左腕に浮いている赤いラインと、其処から滲んでいるそれはそれは小さな脆い果実の連なりたち全部に。けれどまだまだ足りなくって、遂にはサヤカに贈ってもらった傷をあたしが作ってあげた傷口と合わせて絡めたのだった。
――と、こんな衝動的で、輪郭はあやふやで。だとして、強く深く、皮膚の下を流れる血液が煮えそうな恋心を動機とした手首同士のキスを受けたサヤカのことばが、死んじゃうらしいよ、というものだった。
「怖い? 死んじゃうの」
「ちょっとだけ…」
「昨夜の通話、寝落ちまで泣きながらいっぱい死にたいって言ってたのに」
「えへへ、そうだっけ」
二、三の言葉を交わした後は、手首や腕同士をあたしの主導で擦り合わせ、生物の体内をくまなく流れる〝生〟が、確かにあたしとサヤカのそれがお揃いであることが、仮に嫌だと撥ねつけたとしてもくっきり分かるほど、肌に塗れ広がってゆく。この事実で覚える恍惚に攫われてしまいそうで、正気を保てるかな、と、サヤカの表情を確かめた。――これが、いけなかった。
「だったらきっと、寂しくないまんま、死ねるよね。死因までお揃いにしちゃうんだ」
ぬち、ぬち、と、先週末にサヤカの女の部分を愛撫した時と同じ。目眩を誘うような、なのに場違いなエロティックにはじける粘質な音。その非現実的な聴覚の擽りへ隠れるみたいに、彼女ははにかんでいた。そう、それは丁度、あたしがペンケースやボールチェーンのマスコットとか、カーディガンとか。様々なかたちで押し付けてきた〝お揃い〟を大切そうに抱きしめているサヤカと、寸分違わない表情だったのだ。
抱き締めて、ふたりとものカーディガンや周りに血がついたってまた抱き締めて、いっぱいいっぱいキスをして、頬を擦り寄せて、また抱き締めて。ふたりの血が糸みたいに絡み合った左腕どうしも擦り合わせた。そうしながら胸から、多様な名前や形状に触感とあっても全部知ってるはずの感情が全部、せりあがってきて。全部全部、故障したみたいに、涙が出てきたが最後、止まらなくなってしまった。故障? ううん、もう、ずっとずっとおかしかったのかもしれない。
「ね、サヤカ。あたしの所為で、一緒に死んじゃお」
「……すきだよ、マユミ。だぁいすき。絶対絶対、置いてかないでね」
リストカットの傷同士のあいだ。赤い糸は、あたしとサヤカを確かに繋いでくれていた。
赤い糸