=
「ちゃんとごはん食べてる?」
僕たちの会話は大抵 お互いの心配から始まる。
心配なんてきっとしていないのに。好きな映画はなんですか?へえ、観てみますね、と言って結局観ないことと似ている。本当は知り合った時からお互いに興味なんてなかったのかもしれない。会話の始まりが何の意味も持たないことなどわかっているけれど、こうする以外の方法をお互いに知らないし、知ろうとしなかった。それを、お互いに知っている。
「食べてるよ、今日はシュークリームとか食べたし」と今日食べたものを思い出しながら答える。
「え、それって食べたうちに入らなくない?もっとこう、ラーメンとか…ハンバーグとかみたいに 食べたぞ って実感が得られるものを“食べた”っていうんじゃないの」彼女はけらけらと笑いながらそう言った。
昔よりも笑うようになったなと感じる。昔といっても最後に会って話したのは半年前で、彼女は会ったときも電話をしていたときも泣いていた。なんで泣いていたのか原因は分かっていたけれどずっと分からないふりをしてやり過ごしていた。そんな彼女が電話の向こうで笑っていることは嬉しかった。嬉しかった反面、僕が彼女にしてきたことは正しかったのか、そんな考えが浮かぶ。昔から、僕も彼女も必要なことを言わなかったけれど、本当はお互いに言い方が分からなかったのかもしれない。
「まあでもお互いなんとかやれてるんだからよかった、そっちはどうなの、ごはんとか仕事とか」
自分が食べた物の話でこれ以上盛り上がることもないと思ったのでやんわりと相手にボールを返す。
「ごはんはね、あー、でも最近は自炊するようになったよ。昨日は炒飯とか作ったんだ」と彼女は笑みを含んだ声で言った。
「え?昔は野菜も切れなかったのに、もしかして成長した?」と茶化すと「別に成長したっていいじゃん」と食い気味に言い返してきた。
彼女はいつも出来合いのものを温めて食べるような生活をしていた。もっと自炊しなよと言及したこともあったけれど、「自分で作っても所詮ひとりで食べるんだよ。寂しくならないために他人の作ったものを温めて食べるくらいが私にとってちょうどいいんだよね」と言っていたのを思い出す。簡単な野菜炒めを一緒に作ったときも人参の短冊切りさえ出来なかったのに。それなのに。
「成長したから褒めてよ」と彼女は言う。褒めろと言われて従ってしまうのも何故か嫌になって、
「でもなんで自炊するようになったの、誰か作りたい人ができたとか?」と尋ねると、
「んー、作りたい人っていうか、食べてくれる人がいるの。私の作ったものを食べたら寂しくなくなるって言ってくれる人がいてね」その言葉の先を聞きたくなくて「そうなんだ」と咄嗟に返す。返したわけじゃなくてひとりで呟いただけだったのかもしれない。「いいね、よかったね」と付け足すように言った。なんでこんなに思ってもいないことしか言えないのだろう。いいね、よかったねと思うことなんて微塵もない。
「でも色々順調そうでよかった」
全てを“色々“という言葉で片付けようとして、口角を上げながら僕は言った。笑えているだろうか。そこからは彼女の話していたことが断片的な記憶でしか残っていない。仕事を辞めて家もスマホも捨てたこと。公園で寝ていたら男に保護されて成り行きで一緒に住むようになったこと。一緒に住むようになった男には好きな女がいること、それは彼女ではないということ。毎日ご飯を作って男の帰りを待っていること。経堂にあるドーナツ屋さんで働き始めたこと。頻繁に飲んでいたお酒をやめたこと。他人から聞く他人の話は好きだけど、正直これほどつまらない話はなかった。これ以上聞くことも億劫になり、かといって彼女が話したことについて何も言わない訳にはいかないので「会わないうちに健康になったね」と言うと「そうかな?相変わらず煙草は吸うけどね」と答えながらライターのカチャカチャという音が電話越しに聞こえる。昔はマッチで火をつけていたのに。
「でも、健康になったのかもね、健康」と彼女は僕の言ったことを反芻するように呟いた。「それでもね、健康じゃなかったときもそれはそれでよかったよ。ほら、私が体調を崩したときにご飯作りにきてくれたり、そういうお節介なところも好きだよ。おかげで今、健康だし」と笑いながら彼女は言った。あたかも自分の力で健康になれた訳じゃないと話しているようだったけど、きっと彼女はひとりでも健康になれた。ひとりで健康になったのだ。
「風邪なんてひかないでね」とだけ返し、話すこともそれほど残っていなかったので電話を切った。彼女がもう風邪をひかないことはわかっているけれど、もう風邪をひいてくれないよと自分に言い聞かせたかった。必要なこともそうでないことも、もっと話しておけば自分も健康になれたのだろうか、そんなことを考えながら彼女の連絡先を非表示にしてそのまま削除する。そろそろ毛布を出さないと寒くて眠れない時期になってきたけれど、きっとまだ大丈夫だろう。
=
CURTAIN CALL