宗教上の理由・教え子は女神の娘? 第十三話
まえがきに代えたこれまでのあらすじ及び登場人物紹介
金子あづみは教師を目指す大学生。だが自宅のある東京で教育実習先を見つけられず遠く離れた木花村(このはなむら)の中学校に行かざるを得なくなる。木花村は「女神に見初められた村」と呼ばれるのどかな山里。村人は信仰心が篤く、あづみが居候することになった天狼神社の「神使」が大いに慕われている。
普通神使というと神道では神に仕える動物を指すのだが、ここでは日本で唯一、人間が神使の役割を務める。あづみはその使命を負う「神の娘」嬬恋真耶と出会うのだが、当初清楚で可憐な女の子だと思っていた真耶の正体を知ってびっくり仰天するのだった。
金子あづみ…本作の語り手で、はるばる東京から木花村にやってきた教育実習生。自分が今まで経験してきたさまざまな常識がひっくり返る日々に振り回されつつも楽しんでいるようす。
嬬恋真耶…あづみが居候している天狼神社に住まう、神様のお遣い=神使。一見清楚で可憐、おしゃれと料理が大好きな女の子だが、実はその身体には大きな秘密が…。なおフランス人の血が入っているので金髪碧眼。勉強は得意だが運動は大の苦手。
御代田苗…真耶の親友。スポーツが得意でボーイッシュな言動が目立つ。でも部活は家庭科部。クラスも真耶たちと同じ。猫にちなんだあだ名を付けられることが多く、最近は「ミィちゃん」と呼ばれている。
霧積優香…ニックネームは「ゆゆちゃん」。ふんわりヘアーのメガネっ娘。真耶の親友で真奈美にも親切。農園の娘。真耶と同じクラスで、部活も同じ家庭科部に所属。
プファイフェンベルガー・ハンナ…教会の娘でドイツ系イギリス人の子孫。真耶たちの昔からの友人だが布教のため世界を旅していた。大道芸が得意で道化師の格好で宣教していた。
嬬恋花耶…真耶の妹で小三。頭脳明晰スポーツ万能の美少女というすべてのものを天から与えられた存在だが、唯一の弱点(?)については『宗教上の理由』第四話で。
嬬恋希和子…真耶と花耶のおばにあたるが、若いので皆「希和子さん」と呼ぶ。女性でありながら宮司として天狼神社を守る。そんなわけで一見しっかり者だがドジなところも。
渡辺史菜…以前あづみの通う女子校で教育実習を行ったのが縁で、今度は教育実習の指導役としてあづみと関わることになった。真耶たちの担任および部活の顧問(家庭科部)だが実は真耶が幼い時天狼神社に滞在したことがある。担当科目は社会。サバサバした性格に見えて熱血な面もあり、自分の教え子が傷つけられることは絶対に許さない。無類の酒好きで何かというと飲みたがる。
高原聖…真耶たちのクラスの副担任。ふりふりファッションを好み、喋りも行動もゆっくりふわふわなのだが、なんと担当科目は体育。渡辺とともに木花中の自由な校風を守りたいと思っている。
池田卓哉…通称タッくん。真耶のあこがれの人で、真耶曰く将来のお婿さん。家庭科部部長。
篠岡美穂子・佳代子…家庭科部の先輩で双子。ちょっとしたアドバイスを上手いことくれるので真耶達の良い先輩。
岡部幹人…通称ミッキー。家庭科部副部長にして生徒会役員という二足のわらじを履く。ちょっと意地悪なところがあるが根は良いのか、真耶たちのことをよく知っている。
屋代杏…木花中の前生徒会長にしてリゾート会社の社長令嬢、キリッとした言動が特徴。でもそれとは裏腹に真耶を着せ替え人形として溺愛している残念な部分も。しかし性格が優しいので真耶からも皆からも一目置かれている。
(登場人物及び舞台はフィクションです)
困った。
採用通知が来ない。
いつの間にか、風景が真っ白になっていた。
となり町の駅と村を結ぶバスが木花村バスターミナルに到着する。欧米の人々が別荘地として目をつけたこの村は、道路のつくりも西洋風。バスはラウンドアバウトという、ロータリー式の交差点に着けて停まった。ここで村内を循環するバスに乗り換えるのだが、お腹が空いてしまったので一本遅らせて昼食を取ることにした。観光業がさかんな土地だがこのあたりは役場や郵便局・消防署などがある行政の中心地。小洒落たレストランやカフェが無いかわりに、地元の人達が普段使いするような飲食店が多い。といっても古い町並みが残る村なので、普通の定食屋が大正浪漫ふうな佇まいを見せたりもしている。
そんな店のひとつに入りラーメンを頼んだら、自分が見慣れたものと違うのが出てきた。一瞬タンメンかと思ったが、表面があんかけだし、スープの色が薄い。一口にラーメンと言っても、その姿が地域によってさまざまであることは知っていた。ただこのスタイルは初めてだ。不思議そうに見ていると、店のおばさんが私の顔に気づいたようだ。
「これは横浜のラーメンなのよ。サンマーメンって言うらしいけど。この村は横浜と縁が深いから」
外国人の別荘地として開けた村であるから、外国人居留地のあった横浜とも人の行き来が多かったのだという。なるほど勉強になった。それは今の私にとっては文字通りそういうことなのであるが。
「だからラーメンというと大体これを指すの、ここでは。寒いところだし、あんかけがあると熱が冷めないのもいいわね」
木花村の「ラーメン」は美味しかった。
木花村の歴史については、私は貪欲かつ敏感になっている。私の大学での所属は情報コミュニケーション学科という一見何を学ぶのか分からないところだ。とにかく世の中で興味を持ったことを調べればいいという担当教授の言に従い、私はこの村をテーマに決めていた。だから木花村に関する知識はまずは何でも吸収したい。木花中の文化祭が終わった後しばらく私は東京に戻っていたが、卒論作成の資料集めという意味もあって再び訪れたのだった。
幸いにも、私のとった授業の試験はすべて年明けだ。もちろん何度かは授業のため東京に戻る必要がある。でもそれ以外の時にはじっくり腰を据えて卒論に取り組める。年内いっぱいはこちらにお世話になるつもりだ。
やってきたバスに乗り、しばらく揺られるとバス停に到着。停留所名は「天狼神社下」。文字通り天狼神社の本殿に続く石段の真下なのだがその石段が今は通行禁止になっている。雪で滑るためだとかで、カーブを切りながら細く長く伸びていく車道を歩かねばならない。ちょっと遠回りになるが勾配が多少緩やかになるのでどちらが楽かの判断は難しい。
登り切った先には、久々の天狼神社。まずは神様に挨拶してから母屋に向かう。すると。
「あ、あづみさんお帰りー」
元気に私を迎えてくれた花耶ちゃんの手には、色とりどりの飾りが。頭には赤い帽子。
ああそうか、クリスマスなんだ。玄関先にはモミなのかどうか分からないが、それっぽい針葉樹が植わっていて、下のほうは花耶ちゃんが飾り付けるのに丁度良い高さ。てっぺんの星は大人、おそらく希和子さんが付けたんだと思う。
気が付けばそんな季節。それに気付かないくらい、心に余裕がなかったのだろう。
まあ、この村のちょっと変わった習慣を色々見てきた今では、神社でキリストの誕生日を祝うことを今更疑問には思わないが、花耶ちゃんが林間に覗く、神社の境内にそびえる大木を指さして、
「あっちにデコレーションしたかったのにー。希和子さんに怒られたー」
と言ったことに対してはさすがに、仕方ないと思った。その木はしめ縄を巻いたご神木だからだ。
花耶ちゃんに導かれて家の中に入ると、希和子さんが出迎えてくれる。真耶ちゃんはまだ学校で部活をしている。
「色々準備してみたわよ。あづみちゃんの求めるものに合うかはわからないけど」
木花村の歴史を調べるにあたっては色々なところへ行った。論文を書くとなればインターネットでちょこまか調べて書いたものでは済ませられないし、かといって東京の大学でそことは関係ない村の資料を探すには限界がある。やはり木花村のことは木花村で調べるのが一番だ。図書館・歴史資料館・中学校の資料室。ピンときた資料を貪欲に収集する。学芸員さんなどにもいっぱい相談した。その中で言われたのが、
「でも案外灯台下暗しじゃないですか? せっかく天狼神社にいらっしゃるなら、その立場を利用しない手はないですよ」
というわけで希和子さんに話を振ってみたら、二つ返事で神社の持っている資料の公開を約束してくれたのだった。
これまで私が体験してきたことについての記述も色々ある。天狼神社の由来に始まり、そこで行われる祭りの数々。夏の例大祭こそ観られなかったが秋のお祭りは参加できた。またハロウィンのような外国の、しかも異教のお祭りを抵抗なく取り入れている村のあり方についても。村の秋祭りが十月三十日なのは、ハロウィンにあわせて連続した行事にしたかったから。しかもそれは相当な昔からのことだったと知る。
「村の中に天狼神社を含めた四つの社があって、春夏秋冬とお祭りがあるの。夏は天狼神社の神宿し、秋は栗姫神社」
「ということは、冬もあるんですか?」
「そうなの。今年はクリスマスのちょっと前くらい、学校の終業式の日。これも楽しいから。というか、手伝ってくれるわよね?」
というわけで、あっという間に私まで参加が決定してしまった。卒論の追い込みの時期だが、根を詰めてもということと、木花村の行事だからということもあっての希和子さんの言葉だったので、ありがたく従うことにした。
私が十一月に東京へ戻る前くらいから木花村は連日底冷えのする状態が続いていたし、冬の木花はものすごく寒いと脅されてもいた。なので雪のシーズンにはどうなることかと心配していたが、いざ雪に包まれた木花村に立ってみると意外にそうでもなかった。寒いのは事実だ。けど、
「雪が積もったほうがあったかいんですよ。実際の気温がどうかはわかんないけど、空気がツンツンしなくなるんです」
真耶ちゃんがほっぺたを両手でこすりながら言う。確かに東京の冬は乾燥した空気が容赦なく肌を突き刺す感じがあるが、ここでの雪の上を吹いてくる風は湿気を吸っているせいか、どことなく優しい。
実際温度計はマイナスを指しているのだが、それでも朝のお勤めを欠かす訳にはいかない。ジャージにトレーナー、ウィンドブレーカーと着込んでもなお寒いと思っていたら、真耶ちゃんはスキーウェアを着てきた。
「冬には子どもはみんなこれなんですよ」
真耶ちゃん曰く、腰回りから冷たい空気が入ってこないのがいいのだとか。スキーウェアでなくてもいいから、冬はつなぎタイプの服を着たい、上下セパレートの服は腰の切れ目から寒気が入ってくる気がするのだという。パンツの中にシャツを入れれば大丈夫なんじゃないのかとも思うが、そんな生やさしいものでもないらしい。
「なんかスースーするカンジがするんですよ」
だから木花の冬の子どもはスキーウェアが普段着。そして真耶ちゃんは寒がりなので、中学生になった今でも冬はスキーウェアのことが多いのだという。オレンジのウェアが雪の白に映えて鮮やかだ。
「何着か持ってるんですよ。そういう子はこの村だと多いんじゃないかな。スキーとかスノボとかみんなやるし、体育でもスキーもスケートもやるし」
今から楽しみ、と言う真耶ちゃん。でも私はちょっとした疑問を抱いてしまった。そしてそれをうっかり口にしてしまったのが災いのもとだった。
「真耶ちゃん、スキー出来るの?」
そういえば体育の武道の授業をどうするかという話の時、渡辺先生が言っていたような気がする。真耶ちゃんは運動は苦手だけど、スキーなら出来ると。
「どういうわけか出来るのよね、スキーは。あ、泳ぎも出来るのよ? あとダンスも好きよね?」
「クロールしか出来ないけどね。ターンが出来ないから二十五メートルのプールだとそれしか泳げないけど、ぐるぐる回ればけっこう長いこと泳いでられるよ? あとダンスは、お母さんの、いでん、かな」
真耶ちゃんたちのお母さんはもと女優で、CDも出していたのだという。おかげでリズム感はあるらしく、それを受け継いでいたり、あとお母さんによってそういう環境に触れられたのも大きいだろう。ちなみにいま説明してくれたのは花耶ちゃんで、真耶ちゃんは私の不用意なスキー出来るの発言が尾を引いて未だに半べそをかきながら食パンをかじっている。これでも今は落ち着いている。さっきは、
「…ううう…そ、そりゃあたし…運動出来ないけど…ひ、ひどいですよぉ~」
と言った具合に、泣かせてしまったのだ。運動ができないことは自覚しているが、その中でもスキーは真耶ちゃんの自慢だった。そこを突いてしまった私。このぶんだと一日平謝りで過ごすべきなのだろう。
真耶ちゃんと花耶ちゃんは学校に行った。必死で謝ることで真耶ちゃんは何とか機嫌を直してくれた。
もう二学期も追い込みだ。私も卒論を早く仕上げなければ。希和子さんに借りた資料をもとにパソコンで文章を書き連ねる。まだまとまりも無い内容の羅列だが、これを統合してひとつの論文に仕上げるのが腕の見せ所。がんばるしかない。
ふぅ。
木花に戻ってきてからずっと誤魔化しては来たが、やっぱり自分の心は誤魔化しきれない。
卒業してからどうしよう…。
卒論のために木花に来た。いや違う。建前としてはそうだし実際木花でやることはあるが、本当は違う。
現実から逃げたかったんだ。
資料が東京では集まらないのは事実。木花村に赴けば資料があるのも事実。でもそれは本心じゃない。
自分の必要な資料はどれで、どこに行けば手に入るかの調べはついていた。数日でカタがつくなにも何週間も滞在する必要はない。
資料さえ集まればあとは東京でも文章を書くことなんて出来る。ノートパソコンなんかどこでだって広げられるのだからもはや木花にとどまらなければいけない、というわけではない。ましてや朝は氷点下、雪に包まれた寒さの中でわざわざ過ごし、しかもそれでいて東京の大学には週一回戻らねばならないのだ。わざわざそんな非効率を続ける意味はあるのだろうか?
ここには木花中という、私が教育実習を行い、そしてその後も出入りを許され密接にコミットさせてくれた学校がある。秋くらいまでは教師になる時の参考になると思ってせっせと通った。けれど、結局それで何か得たものはあっただろうか? 否。教員としての採用通知がひとつも届かない現状では、何の役にも立っていない!
不合格を重ねるたび、私の心はどんどん重くなっていた。家族もそれを気遣って、腫れ物にさわるようになっている。それがかえって苦痛でもある。木花でそれが好転するとは限らない。勿論だ。でもここの人たちは、悩んでいる人を自然に受け入れてくれる。それが私には心地よい。
東京にいる限りは、現実を意識せざるを得ない。かといって木花中に足を向ければその行動の虚しさに頭を抱える。私はその隙間、天狼神社を中心とした生活圏にとどまり、卒論の制作と称して見たくないものから自分を隔離することを選んだ。不思議と卒論の作成ははかどっていた。それを人は現実逃避というのだろう。でも大量の文献とにらめっこしながらの真剣勝負は、至福のひとときだった。
楽しいことがもう一つある。嬬恋家の人々との平凡だけど、あたたかな日々。朝のお勤めから朝食、真耶ちゃんと花耶ちゃんを見送り、師走になって希和子さんも宮司としての仕事で出かけることが増えたのでそれを見送り、卒論を作りつつ買い物に出たり、洗濯や掃除を手伝ったり。一家でどこかに食事に出かけたりする事もある。いつの間にか家族の一員のように振る舞えるようになっていた。もう一つのファミリーが出来たように感じていた。否が応でも就職活動の厳しさをつきつけられる東京に比べて、ここはあまりに居心地が良かった。できればずっとここにいたい、とすら思うくらいだった。
今年最後のゼミは休んでしまった。
日に日に積雪は増して行った。連日ドカ雪が降り積もるというわけではなく、太陽が覗く日も多いのだが、にわかにかき曇って白いものがしたたかに身体を打ち付けることも少なくない。
寒冷地の冬休みは長い。北海道並みの気候である木花村もそうで、終業式から三学期の始業式まで三週間を超える日数がある。一方で東京での学校の休みに合わせて観光地は稼ぎどき体制に入るはずなのだが、木花村は冬に適した観光スポットが少ないのが泣き所だという。
「寒い時に、なおさら寒いところに行きたがる人はあまりいないものねぇ。まぁそういう人もいるわけだけど、その目的で多いのと言うと…」
希和子さんが言う、寒い所ならではの観光資源、それが雪。というわけで。
「冬のお祭りは、雪絡みなの」
冬休みに合わせて、スキー場が開くのだという。標高が高い分初雪は早いけど、冬の季節風がダイレクトに吹き付けるわけではないので豪雪地帯というわけではない。だからスキー場といってもちっぽけなところだと希和子さん。
「そこのスキー場開きと合同だから。あづみちゃんも、お手伝いとは言わないけど遊びに来てね? 最近ふさぎこんでいるみたいだし」
…私が就職のことで悩んでいたのがお見通しだったみたいだ。
「このへん、ペンション村って言ってるけど、残ってるのウチだけなんだよね。木花でも奥のほうだから不便なんだよねー」
その唯一残ったペンションのリビングで苗ちゃんと一緒に紅茶をいただいている。ペンション村としてバブル期に開発されたこのあたりだがバブル崩壊とともに発展は止まった。村の中心地から離れていることが災いしているのだ。ペンションならそちらにも沢山ある。
そのかわり標高が高く、雪深い。そのため村唯一のスキー場はここに作られていた。
「最初にここ買ったときは村のはずれで一番安かったみたいよ。でも今は逆にそれがラッキーなんだよね。スキー場に一番近いから」
メインストリートからも一番奥に入ったところ。だから不便なのだが結果的にそこはスキー場の近くだった。スキー目当てのお客さんが殺到するわけではないが、常連のお客さんが来てくれるのだという。
「本格的に滑りたい人はほか行くけどね。それでも気に入ってくれる人はいるんだよ。ウチも好きだし」
苗ちゃんの案内でスキー場へ。車道に出ること無くちょっと歩いただけで敷地についてしまった。メンバーはお祭りを司る希和子さんと、神事といえば必ず大活躍の真耶ちゃんに花耶ちゃん、そして私。今日はお祭りの下見。みんなしっかりスキーウェアを着ている。私は持っていないので希和子さんに貸してもらった。
「昔は大学生って猫も杓子もスキーやったんだけどねー。ウチの兄貴とか帰省すると必ず友達連れてさ、うちに泊まれば宿代タダでしょ? そのかわり兄貴は彼らの車に便乗するから交通費ゼロっていうね」
希和子さんのお兄さんというのは真耶ちゃんたちのお父さんのこと。当時は冬が来ると東京の大学生で車を持つ者は車の屋根にスキーキャリアを付けてスタッドレスタイヤを履いて、休みというと雪国にレッツゴーというのが典型だったらしい。
「深夜に東京を出ると朝方には群馬とか新潟のスキー場に着くから、夜明けを待って滑って夕方帰るみたいなね。行きは下道で時間調整して帰りだけ高速使って。そういうのが普通だったみたい。いまは学生の子達の趣味も色々分かれてるからねー」
確かに私もスキーをしたことがない。
下見だから入れてもらっているが、スキー場はまだ正式オープンしていない。木花村営スキー場。もともと村人たちには近場の斜面や山などでスキーを楽しむ風習があったが、それら村人の娯楽および健康増進を目的としてスキー場が開かれた。観光客を当て込んだわけではないので設備は最小限。特に子どもの体育の授業などにはよく使われていた。特徴として、公共施設の民間委託が進む中、ここはかたくなに村営を守る。村民の健康増進は重要な課題なので税金を投入してでも運営すべきという考えからだ。その考え方は正しいと思う。寒い時でも家で縮こまらず身体を動かせば健康に良いだろう。都会の体育館が公設なら雪国で公設のスキー場があっていいじゃないか、という考えだ。
「下の方はゆるやかだから大丈夫だよ、あづみさんも行こうよ?」
と促されてゲレンデへ。リフトというものも初めてなのだけど…。
って、これなに?
「ああ、これはロープトウ。こうやってこの棒を持つでしょ?」
と説明してるそばから、苗ちゃんは引っ張られるように斜面を滑り登って行った。リフトの椅子の代わりにロープに棒がついていて、それにつかまると上に行ける仕組みのようだ。ただいきなりは難しいだろうということで、私はスキーを肩に担いでしばらく登り、そこから滑ることに。が。
「あーっ! あづみさん! いきなり滑っちゃだめですって!」
安全な転び方を教わるのが先、そう言われる前にフライングしてしまった私は、ゲレンデの脇にある雪の小山に頭から突っ込んで止まったのだった。
そのあと私は、よってたかってのレッスンで、板をハの字にしてゆるやかな斜面なら滑れるようになった。曲がれるようにもなった。
それにしてもみんな上手で、私が小山に突っ込んだ時も素早く全員が私のもとに滑り寄って、スッと止まった。何よりも、真耶ちゃんが本当にスキー板を自分の足のように操っている姿に驚いた。真耶ちゃんの滑りは優雅で、両足を綺麗に揃えて大きく大きくターンを繰り返す。
一方苗ちゃんは上の急斜面ゲレンデから「エッジの効いたターン」というのを繰り出しながら一気に降りてくる。まぁスキーの技術といってもセオリーは決まっているのだが、その中に個性が出てくるようだ。花耶ちゃんはスノボで登場。華麗かつ力強い身のこなしで斜面を飛んでいく。希和子さんもボードだがこちらは優雅にカーブを描く。私はぎこちない滑りをしつつ、時々立ち止まってはぽかんと見送るしか無かった。
「ところで、偵察ってどういうことなんですか?」
実はスキー場はまだオープンしていない。雪はようやく滑れるほどになったくらいだし、都会の学校の冬休みにスキー開きは合わせる。
「もちろん、スキー場のコンディションを確認するのよ」
希和子さんが答えた。
「言ったでしょ? お祭りはスキー場開きと合同だって。そう、当然私達も滑るの。雪質は十二月にしては上々。祭りもつつがなくやれそうだわ」
そしてスキー場開き当日。あれからさらに新雪が上積みされた。ここのスキー場はスノーマシンを使わない天然雪。それは村営ということによる予算の都合もあるが、出来る限り天然雪にこだわりたいというのもある。標高も高いので冬休みには大体間に合うのだが、それでも足りない場合は屋代さんの家の会社がほかからスノーマシンを借りてきたり、周辺からブルドーザーで雪を集めたりするそう。無論今年はそれをせずとも申し分の無い積雪だ。
宮司の装束をスキーウェアの上に着た希和子さんが、安全祈願を行っている。セレモニーの中にそれが組み込まれているのだ。同じ儀式はだいたいのレジャー施設では普通に行われている。海水浴だったり、登山だったり。ただこれはまだイントロ。希和子さんや真耶ちゃん、花耶ちゃんの本当の活躍の舞台はここではない。そしてそれは、木花村らしいと言った言葉がピッタリくるものだ。
まだお客は少ないのであたりは森閑と表現してもいいくらい静か。多くのスキー場がスピーカーで音楽を流すようになっているのだが、ここではそれをしないためでもあるという。シャーッという、シュプールを刻む音を楽しめるようにということだ。
その中を私はスノーモービルに乗せられ、ゲレンデの一番上に連れてこられた。運転は希和子さん。車の免許は持っていないがこれだけは祭りのために運転できるようにしたのだそうだ。もちろん公道には出られないがここはゲレンデ。森林の間を縫うコースをどんどん登っていく。
見せたいものがあるから、と言って希和子さんが指さした先には、小さなほこらがある。この中に神様が祀られている。近くの看板には「管狐の祠」と書いてある。
管狐とはこの村ではオコジョのことを指す。イタチやフェレットのような外見をしているが寒冷な山地に住む野生動物で、人里離れた厳しい自然の中で生きることからあまり人目につくことはないのだという。
「木花でもだいぶ少ないんじゃないかな、乱獲されたりしたから。見たという話を最近聞かないから…」
見られたら相当の幸運だというのだが、それはめったに無いそうだ。
「まぁ人里に出てきてもろくなこと無いし、文明は野生動物には厳しいでしょうねぇ」
希和子さんが遠い目をしていた。
「うちは天狼神社って言うけど、オオカミはもう居ないんだものね。ま、感傷にひたってもいられないけど」
いつの間にか、周囲に人だかりが出来ている。これからこの祠に祈りを捧げるのだ。私は滑れないのでスノーモービルで来たが、他の人達がロープトウで上がってきたのだ。
一方で、クリスマスの準備も着々と進んできている。村のそこかしこでツリーやイルミネーションの飾り付けを見るようになった。
ただ思ったのだが、欧米文化が普通に受容されている木花村にしては地味に感じる。というか都内の高級住宅地とか、これより派手な飾り付けがたくさんあって、観光名所化しているところもあるらしい。だが家全部がイルミネーションで包まれているようなのはここでは見ない。昼過ぎ。やはり玄関先をささやかに飾っただけのスキー場のロッジで、お花ちゃんと出会ったので聞いてみた。彼女はキリスト教会の家に生まれ育ち、外国を布教の旅で回っている。生の情報を知るにはもってこいの相手だ。
「ああ、外国のクリスマスってけっこう地味だよ? アメリカくらいじゃない? ド派手なイルミって」
その答えは最初意外だったが、
「信仰のあついところほど、装飾は抑えてるんじゃないかな?」
と説明されると、納得がいく。真摯な心でキリストの誕生を祝うのがこの行事の主眼とするなら、お祭り騒ぎは余計かもしれない。
「考えてみれば、キリスト教徒だけがクリスマスを楽しんでるわけじゃないもんね。特に日本は宗教が多様だし」
「そうそう。アタシ東京の高級住宅地のも見たことあるけど、渡辺先生が使ってた言葉で、同調圧力っていうの? そんなの感じたなあ。隣近所がやってるからウチもやらないと後ろ指さされる、みたいな」
同調圧力。私たちはこうしているのだからあなたもこうしなさい、事情? そんなの知りません。そういう数の暴力を押し通すやりかた。渡辺先生が嫌う言葉のひとつだ。東京のような都会でもまだそれはある。でも都会から遠く離れているはずの木花村はそんなのとは無縁に思える。
「お祝いするのって、人がやってるから、じゃないでしょ? 自分が祝いたいからでなきゃ意味ないもん。それにお金の事情とか、家の人が病気だとかで飾り付けが大変な人もいるわけじゃない。それにここだって山村だからお年寄りだけの家庭も多いし。それをみんなせーので派手にイルミ飾りましょう、ってのはあんまし良くないと思う。だいいちこれってキリスト教の行事でしょ? 他の宗教を信じる人は拒否する権利があっていいはずだよ」
子どもながらにしっかりとした意見。お花ちゃんも相当に頭の明晰な子だと思う。
「通りを豪華な照明で飾るのも街なかだけでしょ。木花はイナカだから、ほどほどでいいんだよ」
さらにお花ちゃんはこう言うと、空を指さし、
「もうすぐ、自然がくれた最高のイルミネーションが見えるよ」
なるほど。今夜の予報は快晴。夜空に輝く天然の宝石箱を人工の光でかき消してはもったいない。
そして、お花ちゃんが言う最高のイルミネーションが木花の夜空に広がった。けれどその降るような星が凍ってしまうのではないかと思えるくらいに冷え込んでいる。私は保温下着の上にカイロを貼り付けて、スキーウェアの上にコートまで着ているのだが、それでも寒い。
木花村営スキー場にナイタースキーの設備は当然無い。にもかかわらず、苗ちゃん、お花ちゃんなどスキーが特に上手い有志がゲレンデのてっぺんまで登って行った。嬬恋さん一家は依然として上にとどまっている。儀式の続きがあるのだという。
全員がてっぺんに到着したことが確認されたのか、ロープトウが止まった。いよいよもってスキー場に静寂が訪れるが、それに反して実はゲレンデの下は人だかりが出来ている。その人たちも騒いだりせず、落ち着いた調子で会話をしながら、ことの始まりを待っている。
私の横には屋代さんと、篠岡さん姉妹がいる。今日も私に対して解説役を買って出てくれている。そしてひときわ前で待ち構える池田くん。お祭りは真耶ちゃんにとっての華舞台。それを見届けてあげようという池田くんの優しさなのだろう。
「ところで、みんな上でどんなことやってるの?」
せっかく解説役を引き受けてくれているのに甘えて、早速篠岡さんたちに質問してみる。
「お祈りの続きなんですよ。見てみます?」
やはりそばいいた屋代さんがタブレット端末を取り出す。そこに動画が送ってこられているらしくてっぺんの祠が暗闇の中に映っている。そこで祈りを捧げる希和子さん。
それを見守る氏子の人々。
「もうすぐ終わると思うけど。そしたらクライマックス」
村営の施設で神事を行うのは果たしてどうかという意見も以前はあったそうだ。しかし多くの自治体の施設で地鎮祭などは慣例として行われているし、また費用は氏子と神社の持ち出しなので村財政に負担もかからない。そもそもクリスマスにちなんだイベントはあちらこちらの公共施設で行われているではないか、という反論により退けられた。
しばらく静寂の状態が続いていたのだが、突然。
ぱん、ぱん、ぱんっ。
火薬が弾ける音がした。ゲレンデのてっぺんで、儀式が終わった合図の爆竹が鳴らされたのだが、これはもはや形式的なもの。ほぼ同時に下にいる氏子さんたちの携帯が鳴り響くので、そっちでも儀式の終了はしっかり知らされる。それと同時に集まっている人々の注目が一気にゲレンデの上部に向けられる。すると…。
「…きれい…」
白い斜面がわずかに浮き上がっている暗闇の中に、幾筋かの光が走った。斜面をなぞるようにそれは進んでいく。
一体なんだろう? と思っていると、その先導役を務めているであろう光がすっとリードしていく。次第にその姿が誰なのか明らかになる。
苗ちゃんが手に光る棒を持ってシュプールを描いているのだ。
「ケミカルライトっていうの。コンサートとかでお客さんが振るやつね。昔は松明を使ったみたいだけど子どもが火を使うと危ないでしょ? それにこのほうがカラフルだし」
次々と、色とりどりの光のシュプールが描かれていく。そしてそれを持つスキーヤーの派手なスキーウェアたちも少しずつ姿を表してくる。
「こういうのってあちこちのスキー場でもやってると思うけど、子どもメインでやるのは珍しいかもね。あとこれ、神事でもあるんだよ。そろそろ見えてくると思うけど、祠の神使さまをスキーでお迎えするのが目的だから」
ということで、おそらく列の中央後ろくらいに真耶ちゃんが見えてくるだろう、と篠岡佳代子さん。暗闇の中に目を凝らしてみる。少しずつ人の姿があらわになっている。
ぶっ。
人じゃないじゃん。
オコジョの着ぐるみを着た真耶ちゃんが、真っ白なケミカルライトを掲げながら滑ってくる。思わず笑ってしまったが、よく考えるとそれに違和感はない。真耶ちゃんだから。
隊列が到着し、皆が歓待を受ける。もちろん真耶ちゃんはひときわ大きな声援で迎えられる。それにしても真耶ちゃん、こんなもこもこの着ぐるみを着てよくスキー出来るものだと思う。しかも普通の時と変わらぬ華麗な滑りで。
と感心していると、屋代さんに突っ込まれた。
「それだけ真耶ちゃんがスキー上手ってことなの。それにもっと大変なことを上でやっていたのよ? 私たちがここで待っている間上で何をしていたか、見る?」
屋代さんが先ほどのタブレット端末を持って動画の続きを見せてくれる。すると、何やら画面の下、雪が少しこんもりしたあたちにうごめくものがある。
「…あの…まさか…この雪に埋もれているグレーのもこもこしたものって…」
嫌な予感はしたが、その通りの答えを篠岡美穂子さんが答えてくれた。
「そう、真耶ちゃんですよ。オコジョって肉食なんですよ。だからここの神使のオコジョに願い事をするためにネズミを捧げるんだけど、本物を殺して生贄にするのは可哀想でしょ? だから真耶ちゃんがネズミの着ぐるみを着て雪の中に埋もれるの。大丈夫よ、水が染み込まないようにダイビング用のドライスーツ着た上にスキーウェアも着てからの着ぐるみだから」
…なんか、神の娘って色々大変だ…。
一夜明けてのクリスマス・イブ。村に観光客が少ないとはいえ少しずつ戻ってきている。なんだかんだでここの本場に準じたクリスマスはひそかな人気があるらしい。
「こないだはあんなこと言ったけど、木花のスキー場案外人気があるんですよ? 昔ながらの雰囲気がいい、って」
雪が何メートルも積もるわけではない。アルプスから滑り降りるような広大かつ長大なゲレンデでもない。設備も大したものではない。でも、人の暖かさは折り紙つきだろう。
そして、観光で訪れた人たちにお願いする形で募金活動が行われている。歳末にそれをするのは見慣れた光景だし、宗教が生活に根付いている木花村では慈善事業もさかんだ。真耶ちゃんや花耶ちゃん、友達のみんなもサンタ服で観光客をお出迎え。真耶ちゃんがスカートタイプのを着ているのもお約束。
木花村のみんなのおかげで、少し元気になった。
まだ少しだけだが、採用試験は残っている。補欠分の補充くらいでしか無いが、可能性はゼロではない。がんばろうと思う。
木花に来たのは、不合格通知を東京の自宅で待つのが怖いのもあったと、今更ながら気づく。薄っぺらな封筒イコール「あなたとの縁もこれまでですよ」とばかりに差し出した手を断ち切るものでしかないことは痛いほどよく分かった。そして私に手痛いしっぺをお見舞いしてくる、封筒に入った一枚の紙っきれの最終走者がやってくるのは時間の問題であることも分かっていた。
それでもなお、少しでもその宣告を先延ばししたかった。
しかし、神社の子がこうやってクリスマスをストレートに受容しているのを見ると、こないだ言ったお花ちゃんの「いろんな宗教があるから」発言も説得力を失うような…あれはあれで正論だし、そういう人がいるのも事実だとは思うが。
「というかあづみちゃん、私、大変なことに気づいちゃったんだけど…」
その内容を聞いて、目を点にしてしまった。まぁ、気分が晴れたからよしと思うしか、しかし…。
「就職活動で苦戦して、最後の通知を待っている人に、滑ることをさせてよかったのかしら…」
宗教上の理由・教え子は女神の娘? 第十三話
クリスマスイブってことで、それに合わせた内容にしてみたのですが…冬を楽しむ木花村の子どもたちにひきかえ、あづみを巡る状況はかなり厳しくなっています。自分自身就職氷河期を生きた(生きている)人間なので、そのときの鬱屈した感情を彼女に託している点はあります。彼女にしてみればいい迷惑かも知れませんが…。とりあえず今後は、根性論でどうにかする的な話にはしたくないですね。
作者の大学生時代も、スキーは主要な娯楽でした。夜中の関越道を走らせ…はしませんでしたね、行きは下道なんですよ、高速使うと早く着きすぎる。ロープトウのあるスキー場って今あるんでしょうか。子供の頃、浅間山麓の鬼押し出しにスキー場があって、そこがロープトウだったと思います。いつの間にかリフトが普通になって、それも支柱のところを通るときに振動がガタガタ伝わってきてお尻がアイタタタなんてやつも減って来ましたね。もう十五年くらいスキーやってないですが、これ書くためにあちこちのスキー場のサイト見て回ったら家族をターゲットにしている所多いですね。スキー場がカップルの聖地だった時代を知る身としては寂しい気も…。そう、たいまつ持ってナイトスキーってのは原田知世さん主演のあの映画で知りました。