還暦夫婦のバイクライフ 2

石鎚山土小屋でTシャツを買う

 ジニーは夫、リンは妻の、共に還暦を迎えた夫婦である。
 8月のお盆休みの日。
「土小屋限定のTシャツが欲しい」
ジニーが突然そんなことを言い始めた。
「何それ。この前土小屋行った時に見たやつのこと?」
「うんそれ」
「あの時、買えばって言ったのに、いらないって言ったのは君だよ」
「うん。でもね、この前走りに行った時、お気に入りのTシャツ着ていたら、全く同じTシャツ着た人に出会っちゃったんだ。僕はジャケット羽織っていたから向こうは気づかなかったようだけど、あー少し嫌だなって思っちゃったんだよね」
「お気に入りのTシャツ?あの後ろのプリント柄が、たらこみたいなやつ?」
「たらこじゃないって、シュラフだよ!」
「でも、たらこに見えるでしょ」
「・・・うん。その人の後ろのプリントも、たらこマークに見えた」
「ほらね。たらこじゃん」
リンにどや顔で指摘されて、ジニーは少し不機嫌な顔をした。
「しょうがないわね。じゃあ、明日は土小屋行きましょ。そこからは?」
「よさこい峠から長沢に降りて、J軒でラーメンかな」
「J軒か。久しくいっていないわね。じゃあ、その流れで」
翌日のツーリングは、ラーツーに決定した。
 昨日買っておいたサンドイッチをほおばり、準備をして家を出たのは、朝8時40分だった。お盆の中日のせいもあってか、道はすいている。
「今日も朝から暑いねー。すでに汗いっぱいかいているよ。メッシュジャケットのおかげで涼しいけど、汗のべとべと感は嫌だなー」
「そのうち乾くでしょ。ところで、どっち上がるの?」
「あー、今日は旧道で。前に車がいなかったらね」
「了解」 
旧道を駆け上がり、久万高原町から県道12号へ左折する。岩屋寺前を通過し、T字路を左折し、どんどん奥に走ってゆく。やがて、石鎚スカイライン入り口に到着した。
「リンさん、休憩する?」
「平気、このまま土小屋まで上がるわよ」
「オッケー、じゃあ、行きます」
ジニーは時々バックミラーを確認しながら、スカイラインを走っていく。走って楽しい道だが、上りだとコーナーの奥がぎゅっときつく曲がる所が多いので、注意が必要だ。全体的に上りだが、時々下っていたり、途中からは石鎚山が谷の向こうに見えたりして、退屈しない。ただし、車の後ろに付けてしまったら、景色でも見ながらのんびりと走るように心掛けなければならない。イライラは事故の元だ。
 ジニーとリンは、幸い車の後ろに付くこともなく、10時30分土小屋に到着した。駐車場は登山客の車と、U.F.O.ラインを抜けてきたバイクでごった返していた。
「リンさん、あそこが空いてる」
ジニーはテラスの前に2台分のスペースを見つけて、そこにバイクを止めた。
「わあ、前下がり。怖いな」
「ギヤは入れといてね」
二人はギヤを1速に入れ、前に動くだけ動かしてからスタンドを出して停めた。ヘルメットをホルダに留め、テラスの店内に入る。店内はパラパラっと人がいるが、混雑しているというほどでもない。
「私、何か飲みたい」
リンはレジに行って、アイスコーヒーを注文する。ジニーはソフトクリームをオーダーしてそのまま待つ。すぐにコーヒーとソフトが出てきた。それを受け取ってから、窓際のカウンター席に座った。
「今日は天気がいいから、U.F.O.ライン大賑わいかもね。ほら、こちらから次々にバイクが走っていく。向こうからも走ってきてるわ」
「大渋滞になってなかったらいいけどね。僕たちは途中で下に降りるから関係ないけど。たまにマイクロバスとか入ってて、離合が大変なんだよなー」
「そういえば、会社の同僚で、CB1300に乗っているおっちゃんがいるんだけど、この前U.F.O.ライン走っていたら、反対から走ってきたBMWのおばちゃんが全くよけるそぶりも見せずに道の真ん中来るから、びっくりして左によけたらこけちゃったんだって。幸い崖から落ちる所じゃなかったけど、岩の壁とバイクに挟まれちゃって、身動きできなくなって困ってたら、後ろから来たバイクの人達に助けてもらったって言ってた。ケガもしたらしいんだけど、BMWのおばちゃん知らんぷりで走り去ったって言ってたな」
「リンさん。それ、当たってなくてもひき逃げ案件だね」
「うん。くそばばあだね」
「それにしても、落ちなくてよかったなあ。100Mは何も当たらずに落ちそうな所だからねー」
「私も気をつけよっと」
リンはアイスコーヒーを飲み干し、ジニーからソフトクリームを一口もらってから席を立った。空いたグラスを返却してから、目的のTシャツを探す。デフォルメされた石鎚山のイラストが前にプリントされているヤツだ。それはすぐに見つかった。今まで見えなかったのが不思議なくらい目立つように展示されていた。
「ジニーあったよ。色は紺がいいわね。サイズは?」
「Lかな~。Mかな~」
ジニーが迷っていると、リンがジニーの腹をぱんっと叩く。
「痛ててて」
「このおなかはLじゃないと入らないでしょ」
「・・・・はい」
ジニーはLサイズの紺色Tシャツを手に取った。
「私も買う。背丈で見ると、私Sだけど、この体型じゃ無理ね。Mか。・・・あ、紺色がいいのに、Mが無い」
丁度そこに、店員さんが様子を見に来た。
「お探しですか?」
「はい。これのMサイズの紺色はありませんか?」
「少しお待ちください」
店員さんは奥に引っ込んだが、しばらくして出てきた。
「すみません。Mの紺色、品切れでした」
「ああ~残念。でも・・・白もいいわね。じゃあ私、白にする」
「ありがとうございます」
二人は店員さん達の素晴らしい笑顔に見送られて、テラスを後にした。
 前下がりの駐輪スペースから、ジニーは2台のバイクを引っ張り出す。
「さて、よさこい峠まで走って降りるか。リンさん出れる?」
「出れるよー」
「じゃあ、僕が前走るから。対向車に気を付けてね」
「オッケー」
ロータリーをぐるっと回って、二人はU.F.O.ラインに入る。しばらくは森の中の道を、森林浴しながら走る。しばらくすると尾根筋にでて、開けたところによさこい峠がある。
「じゃあ、下りますよ」
ジニーとリンは、よさこい峠から県道40号を下ってゆく。いつもは対向してくる車や前を走る車はほぼいないが、今日は結構行き会う。そのたびに道の傍によけながらどんどん高度を下げてゆく。途中、大瀧の滝展望台にバイクを止め、谷の向こう側でなだれ落ちる滝をしばらく見る。谷をのぞき込むと、淵が青く澄んで見える。
「あー。すごい透明度。青く澄んだ水がきれいだ。これが仁淀ブルーか」
「いやジニー。この川、仁淀川じゃなくて、吉野川の上流だから」
「え、そうなの?」
ジニーがスマホを取り出して、地図アプリで確認する。
「あ、本当だ。吉野川って書いてある」
「石鎚山系から流れ出る川は、吉野川も仁淀川も、加茂川も、みんな水が青く澄んでいて、きれいよね」
「うん、確かに。止呂峡の橋から見下ろす加茂川も、青く澄み切った水が流れていたな」
「まあ結局、有機物があまり含まれていないからでしょうね。さあ、早くいくわよ。J軒が混雑するから」
二人はヘルメットを被り、エンジンを始動させて44号を走り始める。長沢ダムの横を通り過ぎ、R194号に合流し、南へと下ってゆく。新大森トンネルを抜けると、道は一気に下ってゆき、Uターンした所で仁淀川と並走する。にこ淵の入り口を通り過ぎ、道の駅633美の里を横目に見ながら通過し、さらにしばらく走るとJ軒が見えてくる。店の前の広くなっている所は、相変わらず車で一杯だ。少し外れた祠の前が空いていたので、二人はそこにバイクを止めた。時計を見ると、12時30分だった。
「神様、ちょっとの間前に留めさせてください」
ジニーが祠に頭を下げてお願いしている間に、リンは順番ノートに名前を書きに走っていく。挨拶を終えたジニーは、リンのバイクの向きを変え、自分のバイクの向きも変える。
それからゆっくりと店のほうに歩いて行った。周囲には、順番待ちの人たちが数十人たむろしている。
「こりゃ、しばらくかかるかな」
ジニーはつぶやきながら、リンの元に行く。
「リンさん、何番目だった?」
「えーと、確か8番目かな。相変わらず、すごい人の数だわ」
「でも案外早いかもね。どんどん出てきているし」
ジニーの言った通り、20分ほど待ったくらいで二人は入店できた。リンはミソラーメン、ジニーはミソ半チャーハンセットを頼む。
 久しぶりのJ軒は、安定のおいしさだ。半チャーハンを二人で分けて食べラーメンを平らげる。15分ほどで完食した二人は、次の人に席を譲るべくさっさと支度して席を立った。外に出ると、さらに人が増えている。
「うわー。すご~い」
リンが目を丸くする。周辺は軽い渋滞が始まっていた。
「さて、さっさと場所を譲るぜ」
バイクが止める場所を探してうろうろしていたので、二人はバイクを始動し、J軒を後にした。
 高知市方面に少し走ったところで、県道18号に入る。途中狭い所がしばらく続くが、バイクだとあんまり気にならない。片岡沈下橋もこの道筋にあるが、本日は寄らずに走っていく。やがて越知町でR33号に当たり、そこを右折して松山方面へと向かう。少し走ったところの旧道の奥に、J軒本店がある。こちらも駐車場がごった返していた。
「J軒大人気やね」
「うん。普通においしいし、変に気合が入っていないのがいいのかもね」
そんなとりとめもない会話をしながら、北上を続ける。しばらく走ると、車列に追いついた。ゆっくりの車の後ろに、長い車列ができていた。
「あ~。あの蛇の頭、飛び切り呑気さんだ。胴体がどんどん伸びるぞ」
さっき最後尾につけたばかりなのに、二人の後ろにあっという間に車列が伸びる。
「まずいなー。これ、眠くなるやつだ」
「ふぁーあっ」
ジニーが言っているそばから、リンが大あくびをする。
「ね~む~い~ね~む~い~ね~む~い~ね~む~い~ね~む~い~」
「リンさん!そのお経はやめて!こちらまで眠くなるから」
「じゃあー面白い話でもしろよー」
「無理です」
「まったく。使えんなー」
そんなやり取りをしながらゆっくり走っていたが、県境を越えたところで休憩をとることにした。本当は引地橋で止まりたかったのだが、満杯の車で止められなくて、スルーしたのだ。そこからしばらく走ったところにある、面河第3ダムのサイトにある休憩所で、二人はバイクを止めた。長い車列がずるずると走り去ってゆく。
「あ~眠かった。もっとさっさと走ってほしいわ。メーター読みで制限速度じゃ、ちっとも前向いて進まないじゃないの」
リンが愚痴る。
「しょうがないね。休日だから。呑気さんがいっぱい出ているのさ」
ジニーが肩をすくめる。
「ここ、初めて止まったな。トイレもあるし、あ、向こうの建物の下。何だろう?」
ジニーが何かを見つけて建物に向かう。横の階段を降りると、水力発電記念館があった。中に、でっかい発電用の水車が展示してある。
「ふーん。こんなになってるんだ」
ジニーは水車を写真に撮り、バイクのところへ戻った。ちょうどリンがトイレから出てきた。
「リンさん。あの建物の下に、こんなのあったよ」
そういって、ジニーが写真を見せる。
「へえー。私も見に行く」
ジニーはリンと二人で再度、水力発電記念館へ向かった。水車や案内を見ながらしばらく中をうろついて、バイクに戻った。
「さて、眠気もとれたし、さっさと帰りますか」
「了解。リンさん今何時?」
「えーっと、ちょうど15時」
「じゃあ、日のあるうちに帰れるね」
「何なら、小田廻りで帰る?」
「いや、今日はまっすぐ帰ります」
二人は休憩所を出発した。短い車列に追いつくが、追い越し可のところで何台かずつパスして、快調に走っていく。美川の道の駅をスルーしたところで長めの車列に詰まり、そのままゆっくりと走る。
「リンさん、さんさんに止まる」
「どしたん?」
「トイレ」
「はいはい」
久万の道の駅、天空の郷さんさんに立ち寄る。バイクスペースが広めにとってあり、止めやすい。数台のバイクが止まっている横に、並んで止めた。
 久しぶりに店が開いている時間に来た二人は、物産館をうろうろと見て回る。何点か買い物をして、外に出てベンチに座る。買ったばかりのリンゴパイを半分ずつに分けて食べる。
「うまい」
「おいしい」
パイを食べ終わると、リンは立ち上がる。
「ジニー。さっさと帰るわよ。見たい番組があるのを思い出した」
「何時から?」
「18時」
ジニーは時計を見る。16時過ぎだった。
「余裕だね」
二人はバイクのところへ戻った。
 バイクを発進させて、松山めがけて走る。
「どっち行く?」
「旧道」
「車がいませんように」
そう願ったジニーだが、そんなことはまず無い。必ず先行車に追いついてしまう。今日もやはり、一台の車に追いついた。
「あ~やっぱりね。と、あ、よけてくれた」
地元車だったのか、気を利かせてよけてくれた。
「ありがとー」
ジニーとリンは、車にお礼をしながらパスする。そのままバイパスの合流点まで先行車はなく、合流点の信号も青だったので減速もせず走り抜ける。R33号を砥部まで降り、橋を渡って松山市内に入る。17時丁度に家に到着した。
「お疲れさまでした~」
そういってジニーはインカムを切る。バイクを車庫に片付け、荷物を持って家に入った。
「今日の戦利品~」
リンがそう言って、買ってきたTシャツを広げる。石鎚山をデフォルメしたイラストと、文字がプリントされている。限定品だし、同じTシャツの人と鉢合わせすることもないだろう。
「でも、この年でペアルックかあ」
ジニーは恥ずかしそうに、小声でつぶやいた。

還暦夫婦のバイクライフ 2

還暦夫婦のバイクライフ 2

  • 随筆・エッセイ
  • 短編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2022-10-27

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