ヤニクラ

【ヤニクラ】2022/10/06

【ヤニクラ】2022/10/06

 ほんの小さな、心許ない灯りのようなものだった。
 ただ、その火はしっかりと燃えていて、途絶えることはなかった。体内にそんなものを抱えていれば当然痛みが伴う。それでも構わなかった。自分はずっとこれを胸に生きていくのだろうと思っていた。
 たとえ彼女に恋人ができようと、彼女が結婚しようと、彼女が母親になろうと。
 何が起きても。

 ふんわりと幾重にもガーゼを重ねたような笑顔を浮かべる人だった。
 不健康なまでに色白で痩せこけていて、細すぎる腕に浮き上がる血管すら病的に美しかった。
 彼女は日本語が不自由だった。帰国子女で、十八の時に帰国したから、僕は彼女のクラスメイト兼チューターとして彼女に日本語を教えていた。

——わかる、わかる。

 彼女は過去形を使うのが苦手だった。『分かった』と言う時このように言っていて、いつも僕が訂正していた。


 僕はいつ彼女に落ちたのだろう。
 分からない。初対面の時だったような気もするし、疎遠になってからのような気もする。
 彼女が今どうしているか、あえて詮索しないようにしていた。
 僕は結婚していたし、妻は第二子を妊娠していた。それでも、心に鉤針がひっかかったような感覚と、ほんの小さな炎はまだあって、だがそれは妻への愛とはまったく別格のもので、自分では『想い出』として認識していた。

 だから大学院時代の友人から、彼女が亡くなったと聞いた時、最初に僕に襲いかかってきたのは大きな虚無の塊だった。
 幸か不幸か僕は出先にいた。喫茶店に入り、喫煙ブースで紙巻きタバコを吸う。いつか彼女に身体に悪いと言われたっけ。言った本人が先に死んでどうする。
 久々に吸ったマルボロは酷いヤニクラを食らわせてきた。妻が長女を妊娠してから禁煙していたからだ。喫煙ブースのガラス戸に身を預け、それでも吸い続けた。

 そしてフィルターぎりぎりまで吸い尽くすと、僕は自分の中にずっと仕舞っていたあの小さな炎を取り出し、マルボロに灯し、灰皿に落として喫煙ブースを後にした。

ヤニクラ

ヤニクラ

  • 小説
  • 掌編
  • 青春
  • 恋愛
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2022-10-25

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