還暦夫婦のバイクライフ
高知県奈半利のモネの庭に行く。
ジニーは夫、リンは妻の、共に還暦を迎えた夫婦である。
7月の土曜の夜。
「明日は、久しぶりにモネに行こう」
というジニーの提案で、翌日早朝5時半に起床することになったリンは、大あくびをしながら二階の寝室から降りてきた。台所では、ジニーが忙しく動き回り、朝食を用意している。
「おはようリンさん」
「おはようジニー。何作ってんの?」
「みそ汁と目玉焼き。あと、塩サバ焼いた」
「おーっ、でもそんなにはいらない。ご飯はある?」
「それがね、今焚いているところ。僕は昨日の冷や飯にみそ汁ぶっかけて、先に食べたよ」
「その冷や飯はある?」
「うーん、たった今、全部食べた」
「なんとまあ。じゃあ、みそ汁だけ頂戴」
リンはみそ汁と目玉焼きをさっさと食べて、席を立つ。ジニーは食器を手早く洗って片付け、支度を始めた。
「ジニー、どんな格好で行くの?今日もむっちゃ暑そうだよ」
「僕はクールアンダーパンツに夏用ライダーパンツ、長袖クールアンダーウェアの上に半袖Tシャツ、メッシュジャケットだけど」
「下履きかー。汗でズボンが足にまとわりつくのも嫌だし、私もそうしよ」
リンは速乾性のアンダーパンツに夏用ライダーパンツ、クールアンダーシャツの上にTシャツを着て、メッシュジャケットを羽織る。
二人が外に出ると、すでに日が昇っていた。ジニーは車庫からスズキGSX-S750と、GSX-R750を引っ張り出す。今年の夏は異常に暑くて、ジニーはすでに全身汗をかいていた。下着がぺとぺととくっついて、気持ち悪い。ツーリングバックをS750に装着し、ヘルメットを被る。リンもヘルメットを被り、R750の携帯ホルダーにスマホを固定している。
ジニーはD社のインカムの電源を入れて、リンとの通話を開始した。
「ジニー聞こえる?」
「聞こえる、リンさんは?」
「あれ?ジニー聞こえる?」
「聞こえてるって。そっちは聞こえない?」
「ジニー聞こえる?」
リンがジニーの顔を見る。ジニーはリンのそばに行き、
「聞こえない?」
「聞こえない。セットした音楽は聞こえるのに」
「こっちは聞こえるけど」
そう言いながら、ジニーは自分のヘルメットに付いているインカムをつかんで、カタカタと動かした。
「あ、聞こえる。OK!」
「あーあ、接点の不良やね。これ買うとき、ピン接点だったからどうかなと思っていたけど、やっぱりいかんなー」
「1代目と2代目のDは、調子よかったのにね。3代目は時々ハウリングみたいなの起こすしね」
「自分のしゃっべった声が、地球3周して聞こえてくるし。この前アップデートしたけど治らんねー。リンさんの声も、聴きとりづらい」
「買い替える?」
「いやいや、これ買ったばっかりだぜ。そんなにほいほい何万もするやつ買えません。もう少し様子見よう」
「わかった。・・・じっとしていたら暑いし、早く動こう」
「うん」
朝6時20分、二人は松山の自宅を出発した。
「わあーっ、涼しいぞ!」
「どっちかというと、少し寒いくらい」
朝の気温は涼しいといえるほど低くないのだが、すでに全身汗まみれになっていた二人には、メッシュジャケットを抜ける風が体の熱を奪って冷たく感じる。
「汗でべたつく感じは嫌だけどね」
ジニーがぼやく。
「クール素材とはいえ、これだけ着込んでいたら、暑くもなるって。だからと言って、半袖短パンという訳にもいかないでしょ?」
「リンさん、そりゃそうだ」
ジニーは若かった頃、半袖で走行中転倒してひどい目にあったことがある。
「あの時はひどい目にあった。40km/hくらいでコーナリング中に、ぱたってこけただけなのに、ジーンズは破れるし膝はすりむくし、手のひらの皮は削れるし、たかが擦り傷が治るのに1か月以上かかったもんね。その時の膝の傷跡は、まだ残っているよ」
「うん、知っとる。その話は何度も聞いた」
「そうだっけ。まあいいや。時々半袖スカートサンダル履きでスクーター乗っているお嬢さんとかいるけど、ないわーあれ」
「多分、一度もこけたことがないのよ」
「だろうねー。足の指とかもげたら、半端ない痛いだろうね」
「知らんシランそんな痛そうな話はおしまい。ところで、今日はどっち上がるん?」
「え?あー、先を急ぐからバイパスで」
国道33号を久万高原町に向かう。いつもより出発が早いため、走っている車がほとんどいない。三坂バイパスを駆け上がり、時々追いつく先行車を順調にパスして、高知目指して走る。
「うわー快調。一台も車がいない。いつもは遅い車の後ろを眠くなりながらひたすら走る、退屈な道なのに、車がいないと快適なワインディングロードだねー。こんな楽しい道だとは思わなかった」
「早く出発しろってことよ。いつも9時過ぎから動いているから、車の後ろを走る羽目になるんじゃないの?」
「夏場は早朝スタートが正解だね。あ、イェーイ!」
対抗してくるバイクに、手を挙げる。今日は天気が良いため、バイクがいっぱい出ている。
二人はすれ違うバイクに挨拶しながら、ペースを上げ、走ってゆく。
「どこで止まる?美川の道の駅は過ぎたけど、引地橋で止まるかい?」
「いや、今日は快調に走れてるから、ほら、あの・・・佐川町の向こうにある、村の駅だっけ?あそこまで走りましょう」
「え、まあまあ遠いけど、大丈夫?そのポジションで平気?」
「今はまだ平気」
「了解」
二人は引地橋を通り過ぎ、佐川町も過ぎて日高村に入った。そして午前8時10分、日高村の村の駅に到着した。
「あ、駐車場広くなってる。奥に新しく出来てる」
「ほんまや。奥に行ってみよう」
そのままバイクを奥の駐車場に乗り入れて止める。
「あ~っ足首いたーい。膝いたーい。首痛ーい」
「膝伸ばしてから足着きなさいよ。立ちごけするぜ」
「わかっとる!」
ジニーに注意されて、リンがつっけんどんに答える。
二人はバイクを降りた。
「トイレ」
「私も」
用事を済ませてトイレの入り口に巣をかけている燕を見ているうちに、ジニーはリンを見失った。きょろきょろしていると、リンが建物の入り口で手招きしているのを見つけた。入り口の横に看板が出ている。カフェの入り口のようだ。
「中覗いてみ」
リンに促されて、ジニーが中をのぞくと、ほぼ満席になっている。
「えーっ、ナニコレ」
「モーニングサービスに、地元の人たちが集まっているみたい」
確かに地元の人っぽい、年配の人が多く座っている。
「私おなかすいた。」
「わかった。モーニング食べよう」
二人は空いている席に座った。
「いらっしゃいませ」
すかさず若いウェイトレスが、お水とおしぼりを持ってきた。
「僕はホットケーキセット」
「私はコーヒーゼリーセット」
「かしこまりました」
ウェイトレスは颯爽と去っていく。
「コーヒーゼリーセットって、そんなのあるん?」
「ほら」
リンがジニーにメニューを見せる。ジニーがそれを見て、フーンという顔をした。
待っている間、次々に人が入れ替わる。回転が速い。
「朝から繁盛しているねー」
「多分、休日の朝食はここって決めているんじゃない?」
そんな話をしていたら、コーヒーゼリーセットがやってきた。プレートの真ん中に冷やしたコーヒーゼリーの器がある。
その周りに野菜サラダ、ロールパンサンド、果物、そしてみそ汁入りのカップがあった。
「ミソスープだ」
続いてホットケーキセットが来た。コーヒーゼリーの代わりにパンケーキが2枚乗っている。あとは一緒だった。
「いただきます」
二人はあっという間に完食して、コーヒーをゆっくりと飲み、店を出た。
「朝7時から営業しているそうだよ」
ジニーが店員さんに確認したことを、リンと共有する。二人の中に、早朝の食事ポイントとして登録されたようだ。
8時50分に村の駅を出発。R33号を南下し、新しく出来たバイパスに入る。
「伊野インターから高速乗って、高知で降りてそのまま高知東部自動車道に入るよ」
「オッケー」
2台のバイクは快調に走り、高知ジャンクションから繋がったばかりの高知東部自動車道に入った。
「これがつながったおかげで、高知市内をストップ&ゴーしなくてよくなった。とにかく信号のつながりが悪くて、ほぼ全部の信号止まっていたもんねー」
「まったく!」
高知東部自動車道を高知空港まで走り、R55号に出る。少し走ってからのいちで再び自動車道に乗り、終点の芸西西ICで降りる。あとはR55号を奈半利までひたすら走る。
「さすがにこの時間だと、車がいっぱい出てるなあ。しかもみんな、呑気さんだ」
ジニーが少しうんざりとした声でぼやく。
「早く高速できないかしら。せめて安芸市まででも」
「出来たころには僕はこの世にはおらんなー。居ても免許は返納しとるね」
「だよね~」
遅い車列に引っかかって、モネの庭に到着したのは10時30分だった。ヘルメットを脱ぎ、ジャケットをバイクの上に置いて身軽になってから、モネの庭を散策する。年に1回ほどしか来ないが、リピートする何かがここにはある。今年は来るのが少し遅かったせいか、睡蓮の花のピークは過ぎたようだ。庭内を一回りして、木陰にあるパーゴラの椅子に座り込む。吹き抜ける風が気持ちいい。二人はそのまま目を閉じ、30分ほどお昼寝をした。
「そろそろ動かない?」
リンにつつかれて、ジニーは目を覚ます。
「ああ、寝とった。何時?」
「12時前」
二人は椅子から立ち上がって、出口に向かった。
「ちょっとおみやげ買うから」
「へい」
リンは売店に向かい、そこでゆずクッキーを買った。それからしばらく悩んで、プリント柄のグラスも買った。
「これ、いいでしょう」
「うん」
ジニーはあまり興味なさそうに返事をする。リンはそんなのお構いなく、お土産をバックに詰めた。
モネの庭を後にした二人は、来た道を戻り始める。
「さて、昼飯だけど、前に一度行ったラーメン屋さんに行こうと思う」
「?・・・ああ、あそこね。おいしかったっけ?」
「いや、それがどうだったか覚えてないんだな。もう一度行こうと思うから、うまかったんじゃないか?」
「ふーん。まあ、行ってみましょう」
そこからしばらく走り、目的のラーメン屋さんに到着した。満席だが、さほど待たずに席に座れた。
「ラーメン2つ」
「はいよっ」
店内は人でいっぱいだ。ざわざわと話し声が響く。
「はいよ、お待ち!」
二人の前に、野菜もりもりのラーメンが置かれた。早速食べにかかる。
「わあー、チャーシューがいっぱい」
「うん」
目を輝かせたリンを見ているジニーが、心なしか無表情に見える。
おなか一杯になった二人は、店を出て無言でヘルメットを被り、バイクにまたがった。時計を見ると、13時10分だった。バイクが動き始めてから、やっとジニーが口を開く。
「リンさん、うまかった?」
「うーん、味がうすかった」
「だよねー。僕の口が以前と変わったのかと思ったよ。味が薄いというより、例えるならば、だしを入れ忘れたみそ汁みたいだった」
「あっはははは、それだね。まあ、次はないわね」
「ないね」
二人は再びR55号に入り、のろのろと走る。
「眠い~眠い~」
リンはのろくて退屈な走行が嫌になり、眠いを連発し始める。
「ね~む~い~ね~む~い~ね~む~い~ね~む~い~」
「リンさん、そのお経みたいに唱えるのはやめなさい。こっちまで眠くなる」
「じゃあ、黙ってないで、何か面白いことでも言ってよ」
「面白い話はないけど、じゃあ歌でも」
「いらんわそんな物。もっと気を利かせろよ~」
眠気と退屈さが嫌になったリンが、不機嫌になる。そんなリンを気にしながら、ジニーは黙々とバイクを走らせる。
「ジニー、ガソリンは?」
「入れるよー。この先で」
二人はのいちのスタンドで、ガソリンを入れた。リンはバイクから降りて、伸びをする。
「ここからどうやって帰るの?」
「松山のPART'Sに行きたいから、高速使ってさっさと帰る」
「了解」
スタンドを出た二人は、高知東部自動車道から高知道に入り、14時50分、南国サービスエリアで休憩する。ジニーも眠くて仕方なかったのだ。
「何か目が覚めるもの・・・あ、これにしよう」
リンはゆずソフトを見つけ、2個買ってきて1個をジニーに渡した。
「りんさん、ゆず好きだねー」
「うん、おいしいでしょ」
「目も覚めるねー」
二人はベンチに座ってジャケットを脱ぎ、だらっとしながらソフトを食べる。そのまましばらく休憩して、15時10分出発した。それからは眠気も無くなり、快調に走って入野PAで休憩した。リンのバイクポジションがきついので、ジニーはゆっくり休むつもりだったが、
「全然平気、それよりお店閉まっちゃうから」
と、リンにせかされて、15分ほど休憩したのちに出発した。あとは休憩なしで松山インターを降り、PART'Sまで一気に走る。そこで買い物をして、18時丁度、帰宅した。
「ジニー、いったい何を買ったの?」
「Dのインカム用高性能スピーカー。りんさんの声が聞き取りにくいのが、少しでも改善したらいいなって思ってね」
「それで改善するの?」
「そう願いたいね」
リンの声がよく聞き取れず、少し嫌な思いをしたジニーは、本気でそう願っていた。
「次のツーリングで分かるさ」
バイクを車庫に片付けながら、ジニーはつぶやいた。
還暦夫婦のバイクライフ