星

 素粒子の世界では宇宙の始まりは素粒子ほどもないものから始まったそうだ。それはただ真空のエネルギーだけでそれが火の玉になりその温度は一兆度の一兆倍というような途方も無い温度だったそうで、それを釈迦は大日如来といったのだと解釈すると彼がインド人だったからその考えが出たのもうなずける。
 
 その後空間は光の速さより急激に広がり、今の宇宙が形成されその宇宙は、大元の塊の時にすでにムラがあり、それが今の宇宙にも現れていて、ムラの薄いところには星も銀河も少ないと天文学者が解いている。

 ふと考えれば、私たちの人生もそれと同じ、勿論ひとつの真空のエネルギーから生まれたものだから同じで当然かもしれないが、人にも自分のもムラがあるわけだ。ある人は見出され名前が売れ、あるものは努力してもがんばっても見出されず消えていく。あのゴッホでさえ生前売れた絵は一枚だけ、死んで名前が売れたけど、ゴッホが描いてもそれと分からず汚れていて60万円の絵がゴッホ作と分かった途端6000万円に値が上がったという話もある。あのイチローとて当時のコーチはその良さを認めず直さそうとして、彼は駄目だといったほど。それが今では大金持ちになった。どこでどうなるか誰にも分からない。

 物事を生み出すにはもの凄いエネルギーが無いと散らばったガスは寄ってこない。その星に自分もなるのだと思うのなら、もの凄いやる気(重力)とタイミングを持っていなければ星にならないということになる。いくら絵が上手くても上手い人間は星の数ほどいる、文章がうまい人も同じ、歌も一緒で全て星の数ほどいる。その中から売るとすれば、今のマスコミのようにどこかの宗教団体を利用して売るか、ネットを使い誰か見てくれるようまるで定置網のごとく待つか、ひたすら下手な鉄砲を撃ちまくるかになろうか。それでも見出される保障などどこにも無くある時あるタイミングである人は出てくるのだ。

 強く、強く、やろう掴もうと思わないとそれは叶わないが強く思ったからといって叶うとも限らない、なぜならムラの薄いところには集めるガスが無いから。そう考えるとあわてても仕方ないし、あせっても仕方ない。ただ言えることは、やる前から諦めて行動もしなければ、やり続けることも止めると、生まれるものも生まれないということなんだろう。今やれることを今やり、それをやり続けるのみと私は思う。

  • 随筆・エッセイ
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2012-12-23

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