時には母のない子のように~逆襲のシャア 最終場面について

2022年作品

以前Vガンについてちょっと書いてみたのですが、今さっきアマプラでまたちょっと逆襲のシャアがあったので見返してみました。このDVDは最近まで持っておりましたが、なくなっていましたので、今回アマプラで見られてよかったです。このラストの会話がわからない、どういう意味なのか不明という話がありました。確かあったと思います。いわくシャアがマザコンだったとか、ララアに母を求めていたという話なのですが、それは一面の真実であり、しかし実際はそうではないだろうと今回見ていて思いました。その話を少し書いてみたいと思います。

まずこの場面のやりとりですが、最初にアムロにシャアが「そういう男にしてはクェスに冷たかったな?」というところから要点は始まっていると思います。それに対してアムロが「俺はマシンじゃない。あの子の父親がわりにはなれない。」と答える。ここでシャアは胸に手を置いて(だったと思います)、「そうか・・・あの子は父親を求めていたのか。それで私はあの子をマシンにしたんだな。」というように答える。

これは一見父親の話に見えますが、クェスが母親を求めていた、というのがこの時シャアが考えていた「答え」です。シャアはそのため母の乳房を象徴する右胸に手をやる動作をする。それは自分がそのように母親の愛情を持ってクェスに接していたという象徴の動作です。そしてアムロの考え違いをただすために、ララアを引き合いに出すのです。つまり自分もクェスのように母親を求めていた、その母をアムロが殺したという言い方をする。つまり母親というその考えがアムロにはなかったということをなじるように言って死ぬのです。

しかし思えばシャアは父親が小さい頃に死んでいて、アムロはご存じの通り最近まで生きていて年老いて廃人になった姿まで見ているのです。アムロがこの場合、クェスをかばうシャアに父の影を思ったのは仕方がなかったのではないでしょうか。またアムロは母親が男と逃げている姿も見ています。アムロがそうした家族愛の愛情たっぷりのふれあいを避けたがる、それは仕方がなかったのかもしれません。そしてここがひとつのポイントですが、そのような「家族愛のふれあい」=ここではアムロがそれを「マシン」と表現していることです。アムロにとって家族のように安心できる場所、その鉄の棺桶のような空間が家族愛の場所であったと取れる係り結びで、アムロにとってガンダムがそのようなものであったと、これはもしかして表現しているのではないでしょうか。そしてクェスには真の母親がいなかったことも、大半の人は覚えておらず、この場面のレトリックに惑わされる所以だと思われます。

こういうことを言うと変だと思いますが、シャアというのは不思議な人で、非常に男っぽいキャラなのですが、どこか面倒見のいい言動をする人でどこか母親っぽいのです。たとえば私が長年不思議だったあのナナイに「いい子だ」という場面など、それを端的に表していると思います。あんなしっかりした大人の女性にもああいう風に言うのですよね。そしてクェスには本当に甘やかした態度で接しています。まあそうした人なんだなあと今回ラストシーンを見ていて思った次第です。ちょっとナウシカ原作の最後に出てくる、ナウシカを惑わす庭園の番人にも似ていますね。あと仇だったガルマに対しては、最後には命を取りましたが、それまでは本当に母親みたいに接していました。特にオリジンでのエピソードがそうでしたね。「お坊ちゃん」という言い方も、そんな感じで見ると私にはそう嫌味ではないです。

付け足せばなぜクェスをシャアは身辺に置いたのかというと、それはララアの身代わりではなくて、おそらくセイラの幼い頃の姿を重ねていたのだと思います。富野監督のどれかのノベライズに、シャアは死ぬときセイラのロケットペンダントを見ているという描写がありました。それはもちろん幼い頃のセイラの写真だったのだと思います。オリジンで明らかになったように、父が死に母とも別離して、幼いシャアは小さなセイラに対して、自分が母親代わりにならなければならないという気持ちがあったのだと思います。クェスを引き取ったのは実はその再現であり、だからクェスが「私ララアの身代わりなんですか?」と尋ねたシーンで、苦笑した口調になるのだと思います。

そしてハマーンとの関係で「行け、アクシズ。忌まわしい思い出とともに。」というセリフも、そのハマーンが、幼い頃から成長して自分と意見をたがえるようになったセイラの髪型を「まねていた」こと、これに尽きるのではないでしょうか。私はハマーンの過去話のコミックまで目を通したことがありますが、シャアとの行き違いが起きるまではハマーンはセイラみたいな髪型ではありませんでした。それもハマーンが去っていこうとするシャアを引き留めるため、シャアの過去を調べてその髪型にしたのではと思いますね。

とまあ、いわゆるシャアのマザコンとロリコンにも理由があったのではというお話でしたが、また余計な蛇足だったでしょうか。

時には母のない子のように~逆襲のシャア 最終場面について

逆襲のシャアは昔はじめてレンタルビデオで見た時は泣いた作品です。まさかこの後ユニコーンでああいう姿で再登場するとは思ってもいませんでした。シャアについては私はほとんど二次創作していないのですが、変わった人であることは間違いないと思っています。この映画での声優の池田秀一氏の演技は、本当に名演だったと思っています。

時には母のない子のように~逆襲のシャア 最終場面について

【完結作品】これもVガンダムのエッセイと同じくブログ記事の再録で、ちょっと気になったことを書き留めたところ、ブログ内ランキングで上位にあがることが多かったので再録してみました。逆襲のシャアは非常に難解な作品で、私もこの最終場面の会話については一解釈に過ぎないものと思っていますが、少し断定的に書いてみました。シャアはアニメキャラとしては最上級に複雑な人物で、私のこの解釈でも完全にとらえることはできないと思っています。

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更新日
登録日
2022-10-10

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