人の子よ

森因幡

これだけ一緒に居ても、最後までは居られないなんて


 この世界には、神と呼ばれる存在がたくさん居る。
 死して尚、強烈な想いを遺しているとそれが力となり、神になるため、魂を導くのだと教わった。
 神になれずに次の世界へ向かう魂も居たけど、殆どが今生きている世界に名残惜しさを感じているのか、神となる道を選ぶ。
 神っていうのは、どんなものでもいい。お箸とか、風とか、ボタンとか、音楽とか、有象無象全てに魂が宿って、反対側の世界からすれば神に見えるという仕組みだ。

 僕がそれを教わったのは、ここに来てから暫くしてのことだった。
 最初は何が何やら解らず、神とか言われてもそんな高尚な生き方をしていないと言い争って、随分と否定してきたものだ。
 今は、時間の概念も薄くなって、それでも自分の姿を望むままに保っている辺り、神にしかできないんだなと思えるようになった。だから、そうだ、僕は神になったんだ。
 それを教えてくれた神の同僚みたいな奴は、「やっと納得したのか」と嘆息していたけど、どこか嬉しそうだった。

 僕も最初は神になれたことが嬉しかった。自分の好きな姿になれて、好きなものについてだけ考えていればいいから。
 そのうち、自分が生きていた世界を見に行くことが増えてきた。神になる前の自分は人間だったから、人間だった頃を懐かしみたくなったんだ。
 自分が生きていた頃より、かなり世間の様子は変わってしまったけど、面影を残した場所も幾つかある。そういう場所を見て回るのが、段々と日課のようになった。時間の概念も無いくせに。

 生きていた頃に関わっていた人々の顔は、もう憶えていない。というより、あんまり良い記憶が無い。
 僕は孤独のうちに一人で死んだような気がする。だから、憶えていないのかも。
 人間だった頃の僕はきっと、今よりも暗くて、じめじめした奴だったんだろう。何となく、そう思う。そんな気がする。
 神になった今でも、僕は時折、ひとりで泣く。
 人間だった頃の癖が抜けてないんだって笑われるけど、泣けるものは泣けるのだから仕方ない。

 その日もいつもみたいに、縁のあった土地を見て回っていた。
 林の中の小さな神社に佇んで、もう色の剥げてしまった鳥居を見る。もっと大事にしてあげてほしいって、いつも思いながら見ている。
 ここに居た神はいつの間にか居なくなってしまった。同じ次元に存在している今、ちょっと話してみたかったんだけどな。

 とりとめのないことを考えながら、ぐるりと周囲を見渡す。
 ふと、階段の辺りから視線を感じた。境内から外へと唯一通じる石の階段の向こうから、弾んだ息が聞こえてくる。

「・・・・・・あれ」

 彼は息を整えながら、僕の目の前まで真っ直ぐやってきた。何か期待を込めた眼で、僕を見ている。
 ・・・・・・あれ、普通の人間には僕の姿って見えない筈だよね?
 なのに、さっきからこの人と目が合うのは何でだろう。僕が見ているから? たまたま?

「今日も来ていたんだ、ありがたや」

 彼は僕に合掌し、拝んでみせた後、くるりと踵を返して階段を下っていった。
 あまりに唐突なことに、目が点になってしまう。

 今の人、僕のこと見えていたよね・・・・・・ありがたやって、どういうこと?
 あ、もしかして僕のことをここの神だと思っているのかな?

 見たところ走っている最中に見つけて立ち寄ったって感じだったし、たまたま神が見えたな~っていう程度なのかも。
 いや、でも『今日も』って言っていたな。
 ということは、ずっと前から僕がここに入り浸っていたのを、知っていたってこと?

 同僚からは「僕らの姿は誰に見えたところで気にしなくていいよ」って言われているけど、僕自身が気になる。
 あの人、いったいいつから僕に気付いていたんだろう。僕はいつから見られていたんだろう。
 見られて困るようなことなんてしてないけど、自分の知らない間に見られていたってのは、気分が落ち着かない。
 可笑しいな、いつも鳥居を眺めているから、階段から来る人間には気付きそうなものだけど・・・・・・

 まぁ、いつまで考えていても仕方ないか。
 僕は次の場所に向かうべく、宙を漂い、その光景を思い浮かべた。

 漂って着いた先は、広々とした公園だ。なけなしの遊具やベンチが端っこに設置されているだけで、他に遊べそうなものは無い。休日ともなれば、少年野球の試合場所にでも使われそうな広さだけが自慢の公園だ。
 ここも僕のお気に入りで、よくベンチに座っては無駄な広さを眺め、時々さんぽに来ている人々を眺めている。
 天気が良くても悪くても関係ないのが、今の状態の良いところだよね。

「・・・・・・ありゃ?」

 聞き覚えのある声に、後ろへ振り向く。歩道を走ってきた人影に、思わず腰を浮かせた。
 さっき神社で見かけたランニング中の彼が、またしても僕を見つめて立ち止まっている。

「また来たんだ」

 また? またって、なに??
 聞きたいけど、口を利いていいかどうか迷う。普通は見えないし、話もできない筈だから、僕が話し掛けても意味なさそうだけど・・・・・・

【・・・・・・こ、こんにちは】

 試しに、話し掛けてみた。これで聞こえていないようだったら、またあっち行こう・・・・・・。
 だけど、彼は瞳を輝かせてこう答えた。

「おう、こんにちは!」
【・・・・・・僕の声、聞こえるの?】
「よく聞こえるよ。って言っても、耳でっていうより、脳で聞いているみたいだから、変な感じだ」
【そ、そうなんだ・・・・・・】

 ちゃんと、聞こえている。僕の声が。
 面食らってしまったけど、彼はにこにこしながら僕の座ったベンチに腰掛けた。

「さっきの神社のとこでもぼんやりしていたよな、あんた。あそこの神様か何か?」
【い、いや、違うよ。あそこが好きで、よく行くんだ】
「へぇ~、そうなんだ。俺もよくあそこに行くんだよ、ランニングの中間地点でさ。そこでよく半透明のあんたを見かけたんだ。最初は見えちゃいけないもんだと思っていたんだけど、嫌な感じとか全然しなかったし、いつか話し掛けてみようと思ってたんだよね」
【・・・・・・半透明・・・・・・】

 やっぱり、存在している次元が違うと、相手にはハッキリ見えないものなんだな。
 でも、薄くても僕が見えているということは、この人には幽霊とか神を見る才能があるんだろう。

【他にも僕みたいなモノ、見たりするんですか?】
「うーん、たまに見えるけど、こういうふうに話したことはないな。なにせ、向こうは怖ェ姿していることが多いから。周りの空気がドス黒かったりとかして、近付きにくいんだ。その点、あんたはすっきりしている。からっからの風みたいなものが、いつも吹いているんだ」
【へぇ・・・・・・】

 自分が居ることでどんな影響が出ているのかなんて知ろうとも思わなかったけど、風が吹いていると聞くと、少しだけ嬉しかった。
 僕がそこに居ることで、良い影響が出ているなら、そりゃあ嬉しい。人間だった時みたいに何も無いなんて言われたら、神になったことをまた疑うところだった。

「ところで、このへんをふらついているのは、何か探してんの? それとも、暇なだけ?」
【暇なだけ、かもしれません・・・・・・あちこちを見て回るのが好きなんです】
「思い出の場所とか、そういうやつ?」
【うーん、そうなのかな。思い出せることは特に無いんだけど、何故か来てしまうんです】
「神様でも思い出とか持っていたりするものなんだな」
【そ、その神様って呼ぶのやめてください。なんか、恥ずかしい!】
「えー、だって人間じゃないんだろ? 悪霊でもないんだったら、じゃあ神様って呼ぶしかなくね?」
【もっと他に候補はありませんか? その、普通の人名でいいので】
「あんた、人間だったの? その時の名前は?」
【もう思い出せません。“こう”なってからが長いから、殆ど消えてしまったみたいで・・・・・・】
「ふーん・・・・・・」

 彼は暫し黙考してくれたけど、へらっと笑って手を振った。

「俺からしたら、やっぱあんたは神様だな。まぁ、そう呼ばせてくれよ」
【まぁ、好きにしたらいいです・・・・・・】
「神様は人間だったから、今も人間の姿なんだろ?」
【え、あ、た、たぶん。僕にこっちの世界のことを教えてくれた先輩は、虫の姿でしたから】
「虫なのに喋れるの? 神様ってすげぇ」
【あくまでも姿がそうっていうだけで、中身は虫じゃないですからね】
「でも、虫のあの口から人間の言葉が出てくるんだろ? どうやって喋ってんのかな」
【え、えぇーっと・・・・・・口で喋っているんじゃなくて、今のあなたが聞いているのと同じ感じです。脳に直接語り掛けるっていうか・・・・・・】
「脳に直接語り掛けるって、ホントにできるんだ! やっぱすっげぇな!」

 ・・・・・・こんな話を信じられるものだろうかって思っていたけど、彼は驚く程、すんなりと受け入れているようだった。
 僕の言葉一つ一つに目を光らせて、反応して、笑ってみせる。その屈託のない笑顔が眩しかった。

【・・・・・・そういえば、あなたの名前は?】
「俺? 俺はチカっていうんだ。女みたいな名前だろ」
【そ、そんなこと・・・・・・ちょっとは、ある、かも】
「いいんだ、昔からそう言われてきたし、気にしてない」
【ごめんなさい、気を悪くさせましたよね】
「いいんだって、気にすんなよ。神様なんだろ、もっと堂々としてろって」

 そう言って、チカは僕の肩をぱんと叩こうとしたが、次元が違うから触れ合うことはできない。当然、その手はスカッと空を切って、ベンチの縁にぶつかった。

「いって!」
【だ、大丈夫ですか?】
「あー・・・・・・そっか、さすがに触れないんだな。でも、話ができるからいっか」
【・・・・・・チカ、そろそろ帰った方がいいんじゃないですか? 雨が降りそうです】

 嘘じゃない。空には灰色の雲が広がりつつあって、僕とチカをその陰の中に閉じ込めようとしているふうに思えた。
 チカはシャツの襟を抓んで煽ぎながら涼んでいたけど、僕に言われてやっと空を見た。

「ありゃ、もう雨降るのか・・・・・・仕方ない、今日は帰るわ。あんた、またここに来るだろ?」
【え、えぇ】
「じゃ、その時また話そうぜ。よっぽどの酷い天気じゃない限り、俺はこの辺を走ってるからよ」
【はぁ・・・・・・】
「じゃーな!」

 爽やかな笑顔と共に、チカは勢いよく走り出した。足運びは淀みなく、あっという間にその姿が道の向こうに消えていく。
 ひとり取り残されて、僕は溜め息を吐いていた。あぁ、こんな仕種だって久しぶりだ。
 僕が見えるなんて、話までできるなんて・・・・・・こんなこともあるんだ。

 それから、チカと僕の奇妙な時間が始まった。
 とにかくチカはおしゃべりだ。何でも僕に報告するし、顔に出る感情だってころころ変わるから、一緒に居て飽きない。
 相変わらず触れられないし、三十分とか一時間くらいしか話をしないけど、それも三日、一週間、一ヶ月と続くと、やっぱり日課みたいになっていった。

 出会いから一ヶ月と少し経った頃、チカが自らの胸の内を話してくれたのは、雨の日だった。

 その日は神社で会って、話をしていた。走るのを再開しようとした彼のやる気を挫くように、急に通り雨がやってきたんだ。

【ツイていませんね、チカ】
「おっかしいなぁ、俺、雨男じゃない筈なんだけど。あんたが雨の神様なのか?」
【いえ、僕は別のものの神様ですよ】
「はーぁ、もうやる気無くなったわ。ちょっと雨宿りしていこうぜ」

 神社の拝殿に繋がる階段に腰掛けて、雨に霞む景色を一緒に眺めた。
 淡い緑の先に、町並みが何となく見えている。車の音もしたけど、この階段を上がってくる人は誰も居なかった。

「・・・・・・神様に聞きたいことあるんだけどさ」
【はい】
「結婚しないと生きている意味って、無いのかな」
【え?】
「いやー、最近周りの奴らがすげー勢いで結婚しだしてさ。ちゃんと付き合いを続けてって奴も居れば、デキ婚でって奴も居る。形はそれぞれだけど、とにかく結婚するって奴らが多くて」
【そうなんですね】
「友達の何人かから言われたんだ、お前は結婚しないのかって。相手も居ないのにできるわけないって、今まではスルーしていたんだけど、段々とそれも難しくなってきた」
【それは年齢的なことですか?】
「うん、これでもそこそこイイ歳してるからね、俺。親からも『孫の顔が見たいわぁ』なんて、せっつかれるし」
【親御さんとしては、あなたが身を固めてくれた方が落ち着くのでしょうね・・・・・・】
「でも、誰でもいいから結婚したいってわけじゃないんだよなぁ」

 ごろん、と寝そべって、チカは大きな溜め息を吐いた。雨で少し冷えたのか、勢いよくくしゃみを二回もしている。
 雨が少しだけ弱まってきた。遠くの空、雲の合間に青空が見える。このまま雨は上がるかもしれない。

 汗をかいた身体に、寒気は良くない筈だ。雨が弱まった今、帰せばいいのに、何故か僕はチカにそう言えない。まだ話したいと思っている。

「一人、気になる奴は居るんだよね」
【そうなんですね】
「でも、そいつと一緒に暮らすっていうビジョンっていうの、未来がどうしても見えなくてさ」
【一緒に暮らすビジョンって、見えるものなんですか?】
「そうじゃない? 一緒になった後にしたいこととかさ、どこで暮らしたいとかさ、子どもは何人とか・・・・・・そういうのが浮かぶ相手じゃないと、結婚しても長続きしそうにないじゃん」
【ビジョンが見えれば、その通りになるということですか?】
「必ずしもそうってわけじゃねーけど、少なくとも何も目標が無いよりマシだろ? こういう未来のために頑張ろうって思えるんだからさ」
【そういうものでしょうか・・・・・・】
「神様は結婚したりしないの?」
【考えたこともありません。結婚を何のためにするかにもよると思いますけど】
「何のため、何のためかぁ・・・・・・俺、何のために結婚したいと思っていたっけなぁ」

 チカの言う“結婚”は、この雨の中で見る景色より曖昧なものらしい。
 一緒に居る未来が見えなければ、結婚をしても意味が無いのか。頑張れる目標を得るために、未来を見たいと望むものなのか。
 僕にとっては新鮮な意見ばかりだ。チカはいろんなことを感じながら生きているのだ、と思った。

【チカは、その人を好きではないのですか?】
「んー、嫌いじゃないよ。一緒に居て楽しいし、いろんなことあったしね」
【でも、結婚相手ではないんですね】
「うん、うーん・・・・・・なんか、違うな。しっくりこない。もっと合っている形がある気ぃするよ」
【試しに一緒になってみては?】
「試しにってもなぁ・・・・・・それで駄目だったとして、じゃあ離婚しますね~って簡単にはできないだろ。だから、したくないんだけどね」
【面倒事が嫌なんですね】
「誰だって嫌じゃん、面倒なのは。結婚したら毎日楽しいかもしれないけど、責任だって負わなくちゃいけなくなる。今よりももっと重たいものを抱えるとか、ぞっとしないな」
【結婚に対して随分と悲観的なんですね、チカ。もっと簡単に考えてもいいと思いますよ】
「んー、そうねぇ・・・・・・相手があいつだから、重くなっちゃうのかもな」

 チカをここまで悩ませる人間に、会ってみたい。どれほどの豪傑が、この人を悩ませているのだろう。
 今となっては解らないことばかりだけど、僕からすればチカは考え過ぎだと思ったんだ。もっと簡単に、気軽に結婚してもいいのでは。いや、望む相手じゃないなら、する意味なんて無いけれど。

【チカが一緒に居たくなるような人間って、どんな人なんでしょうね】
「えー、俺の好みってこと? ん~、やっぱ話を聞いてくれる人かなぁ。俺、話すの好きだし」
【そうでしょうね】
「俺の言うこと、うんうんって聞いてくれてさ。美味しいごはん作ってくれてさ。時々はケンカしても、ちゃんと仲直りできてさ」
【理想的な伴侶像ですね】
「俺もそいつのこと大事にしようって、自然となれたらいいよな。そういうのが結婚だって思うんだけど、違うかな。青臭い?」
【いえ、素敵だと思います】

 他に言い様がない。僕が肯定すると、チカは嬉しそうに笑っていた。

「だよな、やっぱそうだよな!」
【随分と嬉しそうですね】
「いやぁ、こう言うと『相手に求め過ぎ!』てツッコミ入るからさ。俺、そんなにおかしなこと言っていたっけなって、ちょっと納得できなかったんだよね」
【求め過ぎって言っても、これはあくまでチカの理想の話ですから、いくら求めてもいいのではありませんか?】
「そうそう、そうなんだよ。別にいいじゃんな、こういうのがいいって理想を語るだけでもさ」
【チカが自分の理想通りの人に会えることを、願っていますよ】
「へへ、神様に言われるなんて、縁起いいな」

 チカは本当によく笑う。僕の言葉がよほど嬉しかったのか、その日はスキップしそうなくらい、軽い足取りだった。
 周囲から賛同が得られない中で、誰か一人でも自分を肯定してくれるというのは、なかなか印象深い体験だと思う。
僕もきっと人間の時に、そういう思いをしたことがあるのだろう。だから、チカの味方になりたくなったんだ。

 それからまた、一ヶ月が経った。季節は冬に変わったようで、チカは最初に見た薄着ではなく、暖かそうなジャージ姿でランニングを続けていた。
 というより、ランニングというのは建前で、彼は僕と話に来ているのだと、そう言った。

「神様と話すの楽しくてさ、つい雨の日も風の日も来ちゃうんだよな」
【楽しいと思ってもらえるのは光栄です】
「なのに、ちっとも敬語やめてくれねーんだから」
【この話し方の方が落ち着くんです、すみません】
「すぐに謝るし」
【性格だと思います、申し訳ない】
「神様ってホント面白いね」

 子どもみたいなチカの笑顔を見るのが、いつの間にか好きになっていた。
 他愛ない話をして、時々少し真剣な話をして、そういう過ごし方を楽しく思えるようになった。
 僕がもし人間でチカとこんな時間を過ごせていたら、どんなにか生きることを楽しめただろう。そんなことまで、思うようになった。

 長らく、僕を見える人に会っていなかったから、という寂しさも、勿論あった。
 だけど、単純にチカと居るのは楽しかった。彼の話す声音が心地よかった。
 こんな居場所を手にしたのは初めてだと、何の疑いもなく思ってしまった。

「神様はさ、暑いとか寒いとか感じることあるの?」
【然程は感じませんね。暑そうな人を見ていて、何となくこっちも汗がしたたるような感覚はありますけど】
「じゃあ、ランニング中の俺を見ていると、神様もランニングした気になる?」
【そこまでじゃないです、あくまでもそういう気がするなってだけで】
「神様が汗かくところ見てみたいな~。ねぇ、人間の時はどうだった・・・・・・って、もう憶えてないんだっけか」
【残念ながら、人間だった時の記憶はあまり残っていないみたいです。でも、きっと人間だった時は汗をかかなかったんじゃないかな】
「インドア派っぽいもんね、神様」
【・・・・・・そうハッキリ言われると、ちょっと・・・・・・】

 話す内容はいつも違う。この前の続きを聞かされることもあれば、会社での愚痴を零す時もあれば、友達とこんな話をしたと神妙な顔をする時もあった。
 そのどれもが、僕にとっては異世界のような響きを伴って聞こえる。知らないチカを知ることができる。
僕がまだ人間の世界に生きていたら、こういう毎日を送っていたかもしれないって、そんなふうに思うことさえ、ある。

「ねぇ、神様はここから動けないの? 今度、俺の家に飲みに来てよ!」
【あんまり遠い所に行くと、動けなくなってしまうみたいです。この辺がきっと限界なのでしょう】
「えー、意外と不便だな、神様のカラダって。だからいつも神社とか広場に居るんだ」
【前は他の場所にも行っていた気もしますけど、最近はあなたが来るからよくここに居ますよ】
「ってことは、神様も俺と話したいんだ? いやー、そっかぁ~」
【・・・・・・何でそこでニヤニヤするんですか】
「話したいって思ってもらえるの、やっぱ嬉しいじゃん!」

 喜びも、悲しみも、怒りも、何でも口にする。自分はこう思っている、こう思ったんだ――表現することに抵抗がない。
 チカの実直な性格が好ましく、だからこそ余計な軋轢を生まないかが心配でもあった。僕に話していないだけで、いろんなところで苦労を重ねていると思ったんだ。

「神様、聞いてよ。最近ちょっと気になる人が居るんだけどさ」
【ふむ?】
「大学の先輩で、たまに飲みに行ったりしていたんだけど、この前会った時にちょっと深い話をしてきたんだよね」
【深い話?】
「そう。それで、何だかその人のこと放っとけなくなっちゃってさ。今度はメシに誘ってみようと思うんだけど、どう思う?」
【飲みではなく、食事なのですね。それで相手にチカの本気の度合いが伝わればいいのですが】
「だーよねぇ~・・・・・・。俺、いっつもこんな調子だからなぁ」
【ふふ、大丈夫ですよ。あなたはちゃんと人と話ができるのですから、自信を持って】
「出た、神様のお墨付き! よ、よーし、誘ってみよっかな」
【頑張ってください】

 僕はいつしかチカと過ごすのを楽しみにしていた。チカに会える時まで、目を閉じて過ごしていることが多くなった。
 チカといろんな話をして、いろんなことが知れた。チカの抱えているものにも触れた気がする。それは何よりも尊く、愛しい時間だった。
 チカが幸せになることを、何よりも願った。その心に偽りなんてないんだ。

 ・・・・・・そう、思っていたんだ。



 ・・・・・・春先の暖かさに誘われて、草木も芽吹く頃だった。
 チカはその前から急に多忙になり、趣味のランニングもできなくなってしまったようだ。三日、一週間と会えない日が続き、僕はまた暫くの間、暇になってしまった。
 こういう時のために、チカの住んでいる場所を聞いておけば良かった・・・・・・と思ったけれど、まぁまたすぐに会えるからと楽観的に待っていた。

 いつしか神社には他の参拝客が来るようになった。
 広場の野球チームの少年達の顔ぶれが変わり、監督を務める老人もいつの間にか居なくなっていた。
 またしても移り変わる世間の様子を見ながら、僕はチカと交わした会話を反芻するばかりだった。
 次に会った時はどんな話ができるだろう、どんなことを話してくれるだろうと、わくわくしながら待っていた。

 再会の時はすぐに訪れた。桜の花が早くも深緑に変わり始めた時、神社の拝殿に座っていたら、聞き慣れた靴音を聞いた。
 顔を上げると、チカが石段を上がってきた。いつもみたいなランニング姿ではないけど、ちょっと痩せていたけど、息せき切って二段飛ばしで駆け上がってくるのは、チカしか居ない。

【チカ!】
「・・・・・・神様、久しぶり!」

 見たかった笑顔に会えて、僕は嬉しさの余り、拝殿から飛び出していた。
 チカの手を取りたかったけど、そういえば僕は触れないんだった。勢い余って、手だけでなく彼の身体までも擦り抜けてしまう。

「あはは、何そんなに慌ててんの? 神様、相変わらず面白いな」
【す、すみません、取り乱しました。あなたに会えたのがとても久しぶりで・・・・・・その、嬉しくて】
「感激屋だよな、ホント。まぁ、ずっと来なかった俺も俺なんだけど」
【仕事が忙しかったのでしょう?】
「それもあるけど・・・・・・実は俺、さ」

 照れ臭そうに言って、チカはおずおずと左手を上げた。その薬指に光るのは、銀色の指輪だ。

【これは・・・・・・結婚指輪・・・・・・?】
「そう、前に話した人、居たでしょ? あの人と無事に付き合えて、結婚することになってさ」
【・・・・・・おめでとうございます、チカ。結婚したいと思える人に出会えたのですね】
「そうなんだ。神様が話を聞いてくれたおかげだわ」
【僕は何もしていませんよ。ちゃんと関係を作れたチカの実力です。本当に、おめでとうございます】
「へへ、改めて言われると照れるな、これ」

 そうか、チカはちゃんと居場所を作ったんだ。自分のための居場所を、自分の手で。
 それ自体は喜ばしいことだし、祝福すべきことだ。僕は精一杯の気持ちを伝えたくて、何度も「おめでとう」と言っていた。

「それでさ、神様、今日は――」

「チカ!」

 何か言い掛けたチカを引き留めるように、石段から声がした。
 カツンとヒールの音を響かせて上がってきたのは、綺麗な女性だった。春に相応しい淡い黄色のワンピースを着て、白い鞄を振りながらやってくる。
 チカを認めて笑顔を浮かべていた彼女だけど、僕を見た瞬間、顔を強張らせた。

 ・・・・・・あれ、彼女にも僕が見えている?

「チカ、いつまでここに居るつもり? 早く行かないと。お義父さん達を待たせているんだから」
「まだ来たばっかじゃん! もうちょっと待ってよ、サナエさん」

 サナエと呼ばれた女性は呆れたように肩を竦めて、強引にチカの手を取った。
 ぐいっと引っ張って、石段を戻ろうとする。

「神様にご報告なら、賽銭を投げ込めば済む話でしょ? 信心深いのも困りものだわ」
「なんだよ、まだ話は終わってないんだって!」
「何も今日じゃなくてもいいでしょ? お義父さん達が待っているんだから、ほら!」

 そうやってチカを引っ張っていく時、サナエさんは僕にちらりと一瞥を送ってきた。何かに怯えているような、拒絶するような、そんな光だ。
 チカはそれ以上の滞在を許してもらえず、サナエさんと一緒に石段を下りていくしかなかった。
 その力強いサナエさんの後ろ姿を見ながら、僕は彼女の眼光に潜む感情について考える。

 何で、あんな目で僕を見ていたんだろう。彼女は何をそんなに怖がっているのだろう。
 ただの人間であれば、さっきの場面はチカが何も無い空間に笑い掛けているだけだ。そんなものを見ては顔をしかめるのは当たり前のことと思う。
 でも、それはチカに向けられるものであって、彼女は僕をしっかり認識しているようだった。

 うーん、どういうことだろう。僕を認識できるチカの身近に居る人間には、僕が見えるってことかな。
 だとしたら、チカのご両親や親類も、ここに来れば僕を見られるということだ。
 試してみないと解らないけど、もしそういう理由だったら彼女に僕が見えるのも別段、可笑しいことではないのかな。
 それにしたって、あんな目で見られるとは思わなかったけど・・・・・・

 その日からまた期間が空いてしまう。チカはなかなか神社にも広場にも来なかった。
結婚したからしょうがないのかもしれないと思いながらも、やっぱりちょっとだけ寂しい。
 以前のチカは時間の許す限り居てくれたし、毎日会っていたから、その反動もあって、静かなのは落ち着かない。
 チカが来るまで目を閉じていても、何度開けても、そこにチカが居ないと解ると、落胆してしまった。

 チカとサナエさんが来てから一ヶ月くらいして、いつかのように雨が降り始めた時だった。
 広場で遊んでいた子ども達が急いで帰り道を行く中、逆に広場に近付いてくる人影を見つけた。ゆっくり歩いて雨に濡れているのは、チカだった。

【ち、チカ!? どうしたのです、傘は!?】
「・・・・・・あ、やっぱ神様だった。会えて良かったわ」

 スーツ姿のチカは雨も気にしていないようで、ベンチに力なく座り込んだ。足を投げ出して、天を仰ぎながら低い声で呟く。

「あー・・・・・・、雨、気持ちいいなぁ・・・・・・」
【風邪をひいてしまいますよ、チカ。早く家に帰らないと!】
「・・・・・・神様」
【何ですか? 火は起こせませんよ、僕にできることなんてせいぜい――】
「俺、もうここに来れなくなっちゃうんだよ」
【・・・・・・え?】

 雨音に紛れて、やけにしっかりと、ハッキリと聞こえた。
 僕に聞こえていないと思ったのか、チカは苦笑を浮かべる。天を仰いだ姿勢のまま、視線だけを僕に寄越した。

「ちょっと遠い所に引っ越さないといけなくなったんだ。嫁さんのご両親があんまり具合良くないみたいでさ、嫁さんが近くに居たいって言うから」
【それは・・・・・・そう、そうですか・・・・・・】
「最初、嫁さんだけ実家に帰るかって話もしていたんだけど、それじゃ結婚した意味が無いって怒鳴られちゃったよ。引っ越した先からでも今の会社に行けないことはないから、それで手を打つことになったんだ」
【それは、仕方ありませんね・・・・・・】

 久しぶりに会ったのに、こんな話を聞かされることになろうとは・・・・・・否、これは天命とでも思うしかないのか。
 僕は上手く笑うことができず、下を向いてしまった。チカを安心させてあげなくては、と思う反面、今までの会話や時間を思い出してしまう。
 何故、今この時にそんなことを思い出してしまうのだろう。まるで人間みたいな複雑さ。
僕はチカと会うことで、人間らしさを取り戻そうとしていたのかな。そんな物語のようなことを、思う。話に集中できない。

「本当はもっと早くに神様に会って、報告とか話とかしたかったんだけどさ、俺も調子悪くてぶっ倒れちゃってたんだよね」
【倒れた!? い、いつですか?】
「冬だったかな、過労ですね~とは言われたんだけどね。その時に今の嫁さんが看病してくれたこともあって、一気に進展したんだよ」
【そうでしたか・・・・・・】
「・・・・・・ねぇ、神様」
【はい】
「神様は悪い神様じゃないよな? 良い神様だよな?」
【ど、どうしたのです、急に?】
「・・・・・・」

 言い難いことなのか、チカはなかなか話そうとしなかった。そりゃあそうだ、今までこんな質問をされたことがない。
 良いか悪いかなんて、そんなこと僕にだって解らない。でも、チカに危害を加えようと思ったことなんて、一度も無かった。それだけでは、良い神様とは言えないだろうか?

 不意に、思い出した。サナエさんの、あの目。僕を咎めるような、恐れるようなあの目を。

【チカにそういう話をしたのは、奥様ですか?】
「・・・・・・」
【奥様には、僕が悪い神様に見えているのでしょう?】
「・・・・・・さんざん説明したんだけど、解ってもらえなくてさ」

 観念したように、チカは顔を伏せた。濡れた前髪を掻き上げ、縋るような目で僕を見ている。

「俺がぶっ倒れたのも、人間じゃない存在と慣れ親しんでいるからだって、言われたんだ。そんなんじゃなくて、ただ疲れが溜まっただけだって言ってんのにね。それで、ほら、前に神社で会った時に嫁さんが来ただろ?」
【凄い目で見られました】
「嫁さんには、神様の姿が違うモノに視えるんだってさ。すげぇ怖がって、もう神社に近寄ろうともしない。俺にも『神社にも広場にも近付くな』って何度も言ってきたんだ」
【・・・・・・だから、来なかったのですね】
「嫁さんを不安にさせたくはなかったし、行った行かないでケンカするのもしんどくてさ。家と会社の往復して、ランニングは別のコースで土日だけ。ちょっと・・・・・・なんつーか、その、ね」
【・・・・・・】
「でも、俺が選んだことだから、後悔はしてないんだよ。ただ、神様には何の説明もしないで居なくなっちゃったから、そこだけ悪いと思っててさ。ごめん」
【・・・・・・いいえ、話してくれて、ありがとうございます】

 それだけしか、言えない。他に何も言葉が出てこなかった。
 僕には解っている。チカがこの後、何を言うつもりなのかも、何を決断したのかも、解っている。
 それをわざわざあなたの口から聞かないといけないのか。まるで死刑宣告のようだ。

「だから、俺、もうここには来れない。ごめん」

 頑張れば会えるような距離だ。魂を隔てる程のものじゃない。
 だけど、チカと僕の間にはどうしようもないほどの隔たりが、とうにできていた。走っても跳んでも越えることのできない、分厚い壁だ。チカの意思でなければ越えられないような、そんな壁だ。

 僕はチカの言葉をぼんやりと聞きながら、自分がどうするべきかをもう理解していた。
 サナエさんの目に、僕は悪しき神として映っていた。チカを衰弱させ、遂には倒れるまで仕向けた僕を、彼女は許さないだろう。だから、チカを何とかして僕から遠ざけるためにも、引っ越しを強行しようとしたのではないか。

 チカも自分で選んだ伴侶の言うことだからと、無碍にはできなかったんだ。
 ただ会いに来て、話をしていただけの時とはもう違う。彼は所帯を持ったし、それを守らなくてはならない。
その中で、何も言わずに去るのは忍びないと思って、サナエさんに内緒でこうして会いに来てくれた。それはチカの意思で、優しさだ。なんて残酷なんだろう。

「・・・・・・神様?」
【・・・・・・すみません、ちょっと言われた内容を整理していて】
「一気にいろんなこと言い過ぎたよな」
【驚きました】
「ホントにごめん」
【僕にそんなに謝るなんて、チカらしくないですよ】
「いや、だってさ・・・・・・、・・・・・・」

 いくら謝っても、チカが楽になることはない。僕だって楽にならない。
 それに気付いてからは、チカも黙り込んでしまった。僕も何も言えないままだった。
 あんなに側に感じていたのに、今は誰よりも遠い。チカのことをそう思う日が来るなんて、正に“夢にも思わなかった”よ。

 でも、僕は神だから。人間じゃないから。もっとチカに気の利いたことを言ってあげられる筈なんだ。
 なのに、まるで喉がひりついているかのように、何も言葉が出てこない。どう言い繕っても、消えない感情を自覚してしまう。

 チカは、僕の抱えるものに気付いているのだろうか。だから、あんなに謝ってきたのだろうか。
 サナエさんから見れば、僕は悪い神でしかない。そうだよね、こんなものを抱えて、チカの側に居て、そりゃあ悪い神にもなるよ。
 ・・・・・・僕は、人でも神でもない、どうしようもない存在だ。そういうものにしか、なれなかったんだ。

【チカ】
「・・・・・・うん」
【あなたは、あなたの役目を果たさなければなりません。その道程は困難なものとなるでしょうが、ちゃんとズルをせずに走りきってくださいね】
「なんだよ、急に神様っぽいこと言ってさ」
【ありがたい神の忠告と思ってください】
「そうだよな、いっつも話聞いてもらっていたし」
【そもそも、あなたのような人間が神と対等に口を利けるということを、可笑しいと思いなさい。僕の慈悲のようなもので、今まで話せていたのですから】
「・・・・・・そうだよな、ありがとう」
【解ったなら、早く行きなさい。僕はもうこの地に留まることはありません、好きな場所へどうぞ】
「どこか行くのか、神様」
【本当なら、こんなに長く一つ所に留まるべきではないのです。だから、本来の流れに戻ります。ちょうどいい機会ですね】
「・・・・・・そっか」

 雨で顔を洗うようにして、両手で目元をごしごしと擦る。まるで泣いているように見えて、僕はまた手を伸ばしかけた。
 いけない、これではいつまで経っても離れられない。

 ・・・・・・離れたくない。そうだよ、離れたくない。神じゃなければ、人だったなら、或いは。

【行きなさい、人の子よ】
「・・・・・・すっげぇ今、神様っぽい」
【僕は神です、当たり前でしょう】
「いや、ホントはさ、最初に見た時に、昔居た友達に似ているなって思ったんだよね。それで何度も見ているうちに、そいつに見えてきちゃってさ」
【人は見たいものしか見ません。あなたがその友人を思い浮かべて僕を見たなら、似て見えるようになるのは当然です。そういうふうに、あなたが作り替えたのですから】
「そうなのかな、笑った顔とかそっくりだけど。まぁ、でも神様が言うんだから、そうなんだろうな」

 彼は立ち上がって、スーツの皺を伸ばす。痩せた精悍な身体が、眩しかった。
 せめて、その後ろ姿だけは見送りたい。僕が見つめている先で、彼が大きく手を振った。

「ありがとうな、神様。いつかまた会おう!」

 出会った時と同じ、屈託のない笑顔でそう言い切って、いつものような姿勢で走っていく。遠のく靴音と吐息が、雨の音に紛れてすぐに消えた。
 ベンチから立ち上がって、僕はできるだけ長くその姿を焼き付けておこうとした。なのに、雨は強まり、幾筋もの水の流れで彼の背中が追えなくなる。見えなくなってしまった。

 ・・・・・・あぁ、そうか。これが、寂しいってことなんだ。
 からっぽになったような胸を押さえて、僕は雨の中に立ち尽くす。同じように雨粒に濡れることさえできず、雨は僕を擦り抜けて大地を潤すばかりだ。

 チカ、チカ、あぁ、これでさよならだなんて、思いたくなかった。
 人の子よ、なんて言ったところで、僕だって大差ないんだ。人間だった頃のことは思い出せないけど、まるで人のように振る舞って、話せて、居場所ができたことが嬉しかったんだ。
 あなたと友達になれたことが、どうしようもなく嬉しかったんだよ。

 どうして人は変わってしまうのだろう。どうして人はそのままではいられないのだろう。
 子どもみたいに思いながら、僕はただ胸を押さえる。苦しい。苦しい。

 人の身であったなら、こういう時に泣いていたのかな。叫んでいたのかな。今の僕にできることは、何だろう。
 いつからだろう、泣けなくなっていた。チカと会ってから、もう泣かなくなっていた。
 今は“泣く”という行為すら、懐かしい。泣きたい。泣きたい。それでこの苦痛が癒えるのなら、泣かせてほしい。

 僕はチカの神様で在り続けたかった。幸せを与えるように。
僕はチカの友達で在り続けたかった。幸せを願えるように。

 ・・・・・・また会えた時は、一緒に遊ぼうね。

人の子よ

 大事なものを失って、一年が経った。
 大体こんな感じのことが起きたのだと、書いてみようと思った。
 何も犠牲にしないで手に入れるなんて無理な話だけど、
 絶対に犠牲にしなきゃいけないわけじゃない。
 人の子にはそれだけの力があると信じたい。

人の子よ

  • 小説
  • 短編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2022-09-26

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