知らない人との会話
ダンプカーの荷台から鯛が一匹、滑り落ちた。
ちょうど盛り上がったマンホールの蓋の上をダンプカーが通り過ぎたときに。
鯛は、さっきとれたばかりみたいに、色も艶もよかった。
つつけば跳ねるかもしれない。
僕はその時ちょうどコンビニから出てきたところだった。
何の気なしで揚げ鳥とタバコを買って帰るために出入り口のドアを開けたら、足元に半死半生の鯛が落ちていたのだ。
とても穏やかな午後だった。フェルメールの絵みたいに、水面から水の底が透けて見える。
鯉が二、三匹、蓮の花の下を泳いでいた。
僕は少し、悲鳴を飲み込んで、エラを必死にパタパタさせる鯛を見下ろした。
頭の先に着いた目が、僕を見たり、周りを見たり、行ったり来たりしている。
スーツを着たサラリーマンが、舌打ちしながら、店の中に入っていった。
豪快にも、泳げなくなった鯛を革靴で踏み潰し、危うくコケそうになりながら、振り子みたいに体を揺らしてバランスをとり、店の中に消えていった。
鯛は、一瞬ビクッとして、また僕の方と辺りを見回しはじめた。
エラをパタパタさせながら。
僕は、その鯛を、できることなら池に放してやりたかった。
鯛が淡水の中で生きられるのか、怪しいところだったが、地面の上で窒息死するより、幾分マシだろうなと思って、しゃがんで、その尾鰭の付け根みたいなところを、掴んでみる。
思いの外、ヌルッとしている。海産物売り場みたいな匂いがする。
首を締められている人みたいに、鯛は暴れた。
頭のところを掴んで、鯛が大人しくなったところで、ふと、わきのゴミ箱がある一画の方を見ると、さっきのサラリーマンが、手で口と鼻を覆って、まるで、ヘドラか何かを見るように、僕を見た。
何か、と聞くと、
「その鯛、どうしたんですか」
と言われて、ここに落ちていたんです、と答える。
答えた瞬間くらいに男は小走りで走り去っていった。
そんな事をしているうちに、鯛は八割死にかかっているような感じがした。
鯛が本当に死にかかっているのか、それはぱっと見の感想でしかなかった。
もしかしたら、あと一、二時間、放置してもピンピンしているかもしれないし、なんなら自分でジタバタすれば、池までたどりつけるのかもしれないが、僕はこうしてしまった以上、退くに退けないし、健気にニコニコしながら、社会のため、道徳のために、鯛を助けなければならないと覚悟を決めて、ニコニコしながらそれを両手で持ち上げた。
鯛は、暴れた。余計なお世話だと言わんばかりに、清々しい秋の青空の中で一度飛び跳ね、僕の手から、ヌルッと脱出し、水切りの小石みたいに二、三回、地面をバウンドして、反対側の池の水面の中に飛び込んでいった。
水面は、隕石か核爆弾が落ちた後みたいに揺れ、二、三秒水面に映った世界を歪曲させて、また静かになった。
何故鯛が足元に落ちていて、何故その時間に僕はたまたまコンビニに寄り、何の気無しに揚げ鳥とタバコを買ったのか、さっぱり誰も教えてくれないまま、僕はフェルメールの絵の中にいる背景の中の一人みたいに、暖かい木漏れ日の中に立ち尽くしていた。
知らない人との会話