寝る猫の夢枕
講義室でラーメンを食べているカップルがいた。部屋全体がニンニクに汚染されて、焼き上げられた餃子の具みたいな沢山の顔が浮いていた。
「お前、単位は大丈夫か?」
隣の席に座った友達が酒のにおいを吐きながら楽しそうに猫を撫でていた。
「ニャーン」
可愛らしいその猫は駐車場で寝ている。日向ぼっこらしい。今年は雨が降っていた。
宗教団体から逃げ出すために一升瓶を抱えて笑った。友達はいつのまにか消えていて、濃霧の森林公園に僕はいた。手にしていたスマートフォンが草むらに落下する。
地面に波紋が拡がった。騒めき立つ牧草。
「おまえを逮捕する」
ふわふわの猫がビー玉みたいな瞳でこちらを見つめていた。僕の腕から伸びるリードが猫の首輪に繋がっていて、首を傾げた猫は豚だと気付いた。つぶらな瞳に映る僕の顔は酷くやつれている。もしかするとこれは僕の顔じゃないのかもしれないが、今この瞬間これは僕自身だと確信していた。囚人服のようなものを着ている。
一瞬の暗転を視認することなく僕は大気の上を歩いていて、市内で一番高いとかいう建物が遠くに見える。必死に窓から部屋へ入ろうとするが、窓は僕の体が入るほどの開放を許さなかった。
部屋から知らない人の怒号が聞こえると、その大きな声が僕を弾き飛ばした。どこかの車に当たって車がぺしゃんこになり、水底に沈んだ。
ここはいつのまにか海底みたい。
地面に着いた右の手のひらを持ち上げると大量の水がこぼれ落ち、まるで僕の手から水が溢れているみたいにボコボコと沸騰している。瞬く間に両手がヒレとなり、僕は魚になっていた。昔見た夢の雰囲気だけを思い出したような釈然としない既視感が背びれを走った。
ひっくり返った友達の口から放たれる煙が魚である僕の脳裏をポクポクと叩き、あろうことかボトルワインの口紅をお洒落なスーツに撫で付けた。
これはいつまで続くのだろう。
(もうすぐ、終わるよ)
上から巨大な硬貨が降ってきた。一円玉。五円玉。百円玉。五百円玉。たちまち足元は現金で溢れ、転がる千九百九十八年製の五十円玉の穴に吸い込まれた。
レールの間で仰向けになり、眼前を通過する特急列車を見送っている。ただただ永遠にも感じる車両を無限に見送りながら虚ろな目をしていた。車両の底面の暗がりに顔のない友達が現れた。そして、その顔のない友達が煙草を僕の額に押し付けながら口を開く。
「ジリリリリリリリリリリリリリリリ」
時計が鳴って、まだ数回しか見ていない真新しい天井を見つめながら僕は目を覚ました。大学へのイメージ、不安、期待。それらを玩具箱に詰め込んでこれでもかというほどに攪拌したような夢がフラッシュバックして、風邪をひいて寝込んだときのことを思い出した。
まったくもって意味がわからない。そもそも夢に意味を見出すこと自体がおかしな話かもしれないが。
それでも不思議と心は晴れやかで、精神状態に夢の後味を残してはいなかった。
時刻は午前七時半。僕は天気予報を確認しようとテレビを付け、朝食の準備を始めるために台所へと向かう。
「本日は四月七日、火曜日、お天気は晴れ! 降水確率はゼロパーセント。絶好の洗濯日和ですね! 最高気温は二十四度、最低気温は十七度と平年並みで、暖かく過ごしやすい一日になりそうです。今日も一日、頑張って!」
お天気お姉さんの透き通るような綺麗な声が、目玉焼きを作るフライパンのジュージューという音に混じって耳に届く。
覚醒剤所持で逮捕された大して興味のない芸能人のニュースを適当に聞き流しながら朝食を済ませ、歯を磨いて着替えた。
今日は大学に入学して初めての授業だ。
「いってきます」
電気を消して玄関に立ち、誰もいない部屋を振り返って呟いた。心地よい朝日が薄いカーテンの隙間から漏れ込んでいる室内が輝く様を数秒だけ眺めて、僕は部屋を出た。
寝る猫の夢枕