雪に咲く花

『面白くない。あなたの自己満足を見せつけられているようだった』
『ただただ暗いだけで何が言いたいのかわからない』
『登場人物の感情が恣意的で、まったく共感できなかった』
 冷たい空気が鼻を濡らすような感覚をもたらす。
 僕は画面に表示された小説投稿サイトの感想一覧を白けた目で眺めながら、キーボードで作業的に返信を打ち込んでいた。ブラインドタッチの打鍵音と無意識のうちにすんと鳴らした鼻音だけがこの静寂な空間で定期的に鼓膜を揺らしているのだが、その音を僕自身は意識的に聞いてはいないので、この音を聞く者はどこにも存在せず、結果的にこの部屋は無音のようなものである。
『感想ありがとうございます。今後の参考にさせていただきます』
『感想ありがとうございます。今後の参考にさせていただきます』
『感想ありがとうございます。今後の参考にさせていただきます』
 一つ目の返信をコピーし、それを貼り付けて残りの感想の返信欄も埋める。面倒だが更に一言ずつ、それぞれ付け加える。僕はなぜこのような作業を繰り返し続けているのかわからなくなってくる。しかし返事をしないというのも悪いだろう。僕は人より他人からの目を気にしてしまう傾向にあるようなので、行為そのものに意味や理由を見出せなくなっても、見栄えのために自らの億劫さを押し込める節があった。
 返信作業を終え、ノートパソコンを閉じてベッドに横たわる。深夜一時。特にすることもなく、ただ呆けているだけで時間だけが過ぎていく。何もしないなら眠ってしまえばいいということはわかっているのだが、独り占めしたこの夜を手放すのが勿体無いのか、まだ起きていたいという感情が瞼をこじ開ける。
 しかし僕は照明のリモコンを手に取る。無機質な電子音と共に、九畳の部屋に夜の帳が下りた。眠りに就くために目を閉じて心を無にするよう努めるのだが、瞼の裏に潜む暗闇の住人が僕を罵ることを辞めない。
『君の創作物に現れる人物は恣意的で現実味がない』
 先程目にした感想が表現を変えて襲いかかる。耳元で幾度となく囁かれているような気がして、僕は両手で耳を塞ぎ体を丸めた。

 暖冬であると言われた今年にしては珍しく厳しい寒さが訪れ、例年よりも一ヶ月遅れで降った初雪がほんの少しだけ積もり、この町が白銀の薄い膜に覆われた午前九時半。
『君の創作物に現れる人物は恣意的で現実味がない』
 自分自身の感情を投影したはずの作品に寄せられた感想が一夜明けても首をもたげている。自己否定。泥濘に陥った軽自動車の後輪のように、思考が空回りしていく。
 積雪に反射した太陽光でいつもより明るい部屋に起こされて、しかし布団から出ることもなく体を仰向けに半回転させ、天井を見つめていた。もうすぐこの天井を見るのも三年になる。
 言葉のわからない雀の話し声が頭をつついてくる。
 突如、スマートフォンの振動音が腹の奥を揺り動かす。SNSの通知だ。高校生の時に通知音が耳障りに感じるようになって以来、常にマナーモードに設定していた。
 丸テーブルの上に置いているスマートフォンを充電ケーブルから外し、画面に触れてロックを解除すると、SNSを開く。そこには、同じ講義を取っている友人からメッセージが届いていた。
『おーい、微生物学来てないけど、どうかしたのか?』
 普段なら遅刻すらしない僕が、今日は無断欠席していることに疑問を持ったのだろう。
「昨日ちょっと夜更かししたから寝過ごした……っと」
 本当はもっと前から起きていたのだが、あながち嘘とも言い切れない言い訳を打ち込んで送信すると、すぐに既読マークが付いてポコン、と次のメッセージが表示される。
『珍しいな。今夜は大雪かもな』
 僕の返信を待つことなく、画面が上に動き『今から遊びに行っていいか?』という吹き出しが現れる。
 いいよ、と返事すると、可愛くない猫の傍に『サンキュー』と書かれたスタンプが僕を見つめてきた。想像で彼の声をあててみると可笑しくて、久しぶりの小さな笑い声が静寂を切り裂いた。
 ほどなくして、彼によってインターフォンが鳴らされた。俺が扉を開けると、彼は「よっ」と笑って右手を軽く掲げる。
「授業おつかれさん」
 俺は身を翻し、ドアの閉まる音を背にしてリビングへと戻る。床が軽く軋んでキィと鳴いた。
「おいおい、嫌味か? サボりやがってよー」
 靴の踵を踏みながら脱ぎ、彼も俺の後に付いてリビングへと入る。
「今まで一回もサボったことなかったんだし、一回ぐらい大丈夫だって」
 まるで重たい荷物を下ろすかのように大きな音を立てて、俺は座布団に座った。彼は背負っていたリュックサックから腕を抜き、俺と同じくらいの音を立てて床に置く。そして丸テーブルを挟んで俺の向かい側に胡座をかいた。
「まあそうかもな、真面目くんのお前もようやく健全な大学生ってことだ」
「お前は誰目線だよ。サボりを正当化すんなっての」
 二人で笑い合う。そういう彼は実家から電車通学をしており、電車に間に合うよう家族に起こされるため、遅刻することはほとんどない。
 彼はこちらに家が無いため空きコマに休めるところがなく、誰かの家に上がり込んで時間を潰すことが多かった。大学の講義は一コマ九十分あるので、たった二コマ空くだけで三時間も暇になる。昼休みを挟めば四時間だ。これぞ実家生の宿命である。
「ほい、ポテチ」
 彼はおもむろにリュックから取り出したポテトチップスを開け、テーブルに置く。毎回家に上がる代わりにお菓子や酒を買ってきてくれる、律儀でいい奴だ。ポテトチップスを二人でバリバリと消費しながら、くだらない話で盛り上がる。
 昼に一緒にインスタントラーメンを食べ、テレビゲームをするなどして約四時間を過ごすと、彼は四限目を受けに大学へと戻る準備を始めた。俺の今日の講義は一限目の微生物学だけだったので、一限目を休んだ今日は実質のところ全休だった。
「じゃ、授業行くわー」
「おう、頑張れ」
「たぶん寝るけどな」
 彼を玄関で見送り、軋みながらドアが閉まると、俺は足音が遠ざかるのを待って冷たいサムターンをゆっくりと回す。ほとんど無音で鍵が掛かり、部屋に静寂が訪れた。
 台所の蛇口から一滴の水がシンクに叩きつけられる。明るい俺は只今を持って幕を下ろした。
 疲れた。
 本来の僕はただただ暗くて消えたがりの人間だった。だが彼を含む他人の前ではそんな側面を一切出さず、明るい自分を演じていた。彼を信用できないから素の自分を出せないわけではない。おそらく、ただ僕は僕自身が嫌いな僕を誰かに好ましく思われる自信がないから、明るく振る舞っているのだろう。大学デビューとはまた異なり、高校生の時からか、中学生の時からか、その時期は定かではないが、いつのまにか僕は他人の前では明るく振る舞う人間になっていた。
 いや。他人の前に出ない僕が徐々に暗くなっていったと言う方が正しい表現なのかもしれない。なにしろ幼い頃の僕は、活発に外で走り回る一端の明るい子供だったのだから。だが、他人の前に出る僕と誰にも見せない僕はいつからか乖離し始め、今ではほとんど対極に位置していた。自分自身の本心はどちらなのか、分からなくなっていた。あるいはどちらも作り出した僕なのかもしれない。
 他人と接しているとき、無理に快活な人間を演じている自分を、冷静な自分が俯瞰して見下ろしているようだった。
 こんな僕の感情を基に作り出したキャラクターの心情が恣意的だと言われるのも仕方ないな、と思った。普段の僕自身がその時に相応しい「自分」を創り出して演じているのだから。
 もちろん、誰しも素の自分を完全に曝け出すことはないだろうし、多少なりとも普段の態度と人前での態度を変えることはあるはずだ。しかし、僕の場合はもはや別人格と言ってもいいほどにかけ離れている。それがなんだか気持ち悪くて、僕はそれを気持ち悪いと感じない僕を演じるしかなかった。
 台所へと向かい、インスタントラーメンのカップを二つ、軽く水洗いしてゴミ袋に入れる。その後大して汚くもないシンクに洗剤を数滴垂らすと、シンク用のスポンジで擦り始めた。何かしている時だけは自己嫌悪から逃れて気を紛らわすことができる。今思えば、僕が一人暮らしを選んだのも、家事などの「自らやらなければならないこと」を増やすことで少しでも暗い気分になることを防ぐという狙いがあったような気もする。忙しいと肉体が疲弊し、何もすることがないと精神が疲弊する。生きるのに向いていないのかもしれない。
 シンクに自分の顔が映る。酷くやつれたように見えるそれは、歪んだ鈍色の瞳で同じ顔を見つめていた。

 水場の掃除を一通り終えた頃、スマートフォンを見ると画面の数字は十八時を示していた。そろそろ夕食時だ。とはいえ、今日の夕食は何にするか特に決めてもいないし、決めようと考えてもこれといった料理が思い浮かばない。そもそも空腹であることさえ自覚できない。台所に立ってみるが、何も変わらなかった。
 どうせ自分一人なのだから、一食ぐらい抜いたところでどうってことはない。他の誰にも影響はない。
 椅子代わりのベッドに腰かける。少しだけ尻を押し返すような反発を感じた。時計の針が刻々と音を刻んでいる。
 食べたいものが思いつかないのは、今に始まったことではなかった。
 空腹という毒虫が腹の中で暴れまわっていても、それが所望する何かを僕は見つけることができない。幼い頃は、母親に夕食で何が食べたいと聞かれたときどんな料理を答えていたのだろうと思い返す。が、自らの記憶に雑音が走っているように、幼い僕の声は覆い隠されている。カレーとか、ハンバーグだとか、そういう「一般的な子供の大好物」を口にしていたのかもしれない。
 ふと、保育園の卒園アルバムで、好きな色を答える欄に赤と書いたことを思い出した。僕は赤を好きだと思った時期など一度もなく、昔から青や水色が好きだったのだが、周囲の男子達は戦隊モノのリーダーである赤を好んでいたので、僕も彼らに倣って赤と書いた。
 昔から仲間外れになることが怖かった。人と違うことが怖かった。人とは違う自分の感覚を表に出すことで、それを他人の無意識に否定されたように感じるのが怖かった。
「今も怖い……か」
 例えば何かの感想を書くときもまず他人の感想を調べてしまうし、図画工作の授業で自由に創作する時も周囲がどの程度の作品を作っているのか見てからしか作り始めることができなかった。他人とのズレが生じてしまうことが怖かったのだ。
 いつのまにか僕はベッドに寝ていて、空っぽの天井を眺めていた。自らの掌を掲げると、それを縁取る輪郭が天井に溶け出していく。
 次第に自分の体と外界との境界線が不明瞭に感じてきて、それを意識した瞬間皮膚の感覚が元に戻る。そして自分と世界との隔絶をより一層実感して不気味に感じる。その繰り返しだ。まるで宙に浮かんでいるようだった。上下に揺れる飛蚊症にも似ている。
「ムスカイボリタンテスって言ったっけなあ」
 飛蚊症は視界に虫のようなものが見える現象で、その原因は眼球に生じる深刻な病気の場合もあるが、目にゴミが付いているだけだったり細胞が少し影を作っているだけだったりすると聞く。後者の場合は症状が長続きすることはほとんどない。僕にも昔からたびたび症状が現れていたため、漫画のように微生物が見えているのだと本気で思っていた時期があった。
 僕に現れていた飛蚊症は、モスキートノイズに細長く縁取られた、視界の上部から下部に移動する物体の場合がほとんどだった。モスキートノイズとは、低画質の画像に見られる波状の乱れのことである。飛蚊症とモスキートノイズは異なる現象なのに、どちらも蚊に例えられて名付けられているのは面白い。
 そんなことを考えていると、まさに飛蚊症のごとく掌の輪郭に乱れが見え始めた。
「僕もいつか消えてしまえたらいいのに」
 飛蚊症を起こすゴミのように。高画質にすると消えるモスキートノイズのように。叩かれて血吐き潰れる蚊のように。
 腕が力を失ってベッドに落ちた。僕が死んだり消えたりしたら周囲の人が何と言うのだろう。悲しんでくれるだろうか。弱い奴だと罵るだろうか。そんな風に後の事を考えたくないので、消えると同時に忘れ去られることが望みだった。
「死にたいなあ」
 言葉だけの希死念慮が冷たい壁に吸収されていく。言い表せないような虚無や悲壮を一言で済ませるための「死にたい」は、本気で死を望んだ言葉ではないのだと思う。僕はただのファッション自殺志願者だ。
 辛い死にたいとはよく言うが、これまで過労やストレスで倒れたことはない。体が悲鳴を上げているわけではないのだ。僕は甘えているだけなのだろうか。辛くて涙が出たこともない。ネットで精神的に病んでいる人の投稿を見ると、多くの人が苦悩で涙を流している様子が窺える。泣けない僕の精神が普通じゃないのだろうか。
 まるで自分に対して必死に「頑張っている自分」を演じて見せているようだった。
 頭がおかしくなりそうで、考えるのをやめるために僕は漫画を手に取った。現実から離れて創作物の世界に没頭するには、絵によって常に情景を視覚的に感じられる媒体である漫画が、僕にとって最も効果的だった。脳内で情景を組み立てながら読む小説では、どうしても現実の思考が散らついてしまうことや、そもそも目が文字列の上を滑るだけになって内容を把握できなくなることさえある。その点、漫画の場合はシーンの把握にほとんど脳のリソースを割くことなく手軽に読み進めることができるため、容易により深く作品世界に入り込めるというわけだ。もちろんその作品の内容にもよるが。
 僕は、伏線や一コマ一コマの意図を考えながら少しずつ読み込んでいく読み方と、細かいことは何も考えずただそこにある情報だけを得ながら読み進めていく読み方を使い分けており、今のような精神状態の時は後者で読み進める。前者の読み方の場合、作品世界に入り込むのではなく現実から作品世界やその裏側を眺める楽しみ方であり、現実から自分自身を切り離せないからだ。後者はただ純粋に作品へと入り込むことができるため、その間だけは現実から離れることができる。
 ただ、読後の虚しさは増すばかりだった。
 二時間後、五巻完結済みのSFサバイバルミステリーを一気に読んでしまうと、僕の意識は静かな自室に帰宅した。空気が重く感じる。聞いたこともない大きな振り子時計の振り子の音が、耳元で往復しながら囁いている。
「面白かった」
 面白かったんだ。だから現実が辛い。
「……面白かったんだ」
 自分に言い聞かせるように繰り返す。
「なのにどうして」
 得体の知れない闇が迫ってくるんだろう。
 僕は玄関の扉を開け、現実という呪詛が充満する部屋から逃げ出した。

 降りしきる雪の中、田畑に挟まれた道を当てもなく歩いていた。彼が言っていたように、僕が講義を休んだから今夜は大雪らしい。鼻の頭に雪が落ちてくるが、全身が冷え切った今は、もうその感覚も体の芯まで伝わってくることはない。
 僕の小説の主人公は、いつも僕に似て暗い人物だった。そしてそんな主人公の独白を頭の中で詠んでいると、いつしか僕自身の独白のようにも思えてくるのだが、果たしてそれは本心から来る文章なのか恣意的に作り出した文字列なのか僕にはわからなくなってしまう。
 公園のブランコが軋むような音が鳴り響く。それは段々と距離を縮めて、足元を、空気を、視界を、脳を、強く揺らし始める。
 月に仄暗く照らされた道を、酩酊するようによろめきながら彷徨う。見上げれば、数多の光が死人のような僕を見下していた。
「あの星の一つにでもなれたらいいのにな」
 この感情も恣意的なものなのかもしれない。ドラマチックな演出に酔った僕が見せた幻か、小説や詩の中でいつか僕が書いたものをなぞっているようなものか。
 千鳥足が雪に取られて、地面に吸い込まれるように後ろに倒れ込んだ。臀部が重力のまま、海のような薄いマットレスに包み込まれる。強く尻餅をついたが、雪のおかげかあまり痛みを感じない。
 後ろについた右手の小指付近に、小さな花が群を作って咲いているのを見つけて、それを覆っている雪を払った。茎の途中途中に階段の踊り場のように葉が付いており、最上部には紫色の細い花弁が三本ほど鎮座している。田舎の畦道などによく群生している植物で、その小さな花弁を抜いて甘い蜜を吸っていたという記憶が現れた。
 記憶の糸を辿っていくと、これはホトケノザという花だったと思い出した。段々に付く葉が仏様の座っている水蓮のようだからこの名前が付いたんだよ、春の七草のホトケノザとは違うんだよ、と誰かが言っていたのが印象に残っている。
「あれは誰だったっけ」
 いくら考えても出てこない顔と名前にもやもやしていると、道端に群生したホトケノザの中に一つだけ白い花弁を四本付けた個体があることに気付いた。紫とピンクの花弁は見たことがあったが、白いものを見るのは初めてで、それまで考えていた人物のことは脳の奥に再び押し込まれた。
 その白い花は、形が周囲の個体とほぼ完全に一致することからおそらく別種ではなさそうで、ホトケノザの色素欠乏症を起こした個体ではないかと考えられる。所謂アルビノというものだ。
 この集合した花を見ていると、その一つ一つが僕の脳内に蔓延る僕にも思えてくる。他人の前での僕、一人でいる僕、小説の主人公を模倣する僕。もっと細かく分割していくと、ある人の前の僕、別の人の前の僕、というように無限の僕がいる。それらの集合体が僕であり、それを俯瞰して見ている人間も僕だ。
 そんな花達はこの道沿いのどこにでもある。だがこの白い花は一つだけだ。僕はどこにでもいる普通の人間の一人でしかなくて、それでも同時に唯一の僕であることに気付いた。
 そんなに深く悩むことなんてないんじゃないか?
『君の創作物に現れる人物は恣意的で現実味がない』
 そう言われても、僕が人である以上、論理的な必然性のない感情が偶然のようにふと生まれるのは必然だ。何の脈絡もなく展開していくばかりでは創作物として面白味がないだろうし、もちろんそこまで雑に作るつもりはないのだが、どう書こうが僕の作品では僕の描いた感情が正解なのだ。僕が「そう思った」と思ったのだから、この主人公はそう思った。時にはそれでもいい。
 再び花を覆いかけていた雪を払う。
 幼少期、母親と散歩に出てホトケノザの蜜を吸う光景が脳裏に浮かんだ。淡い思い出は水彩画のように滲んでいる。あの頃は他人の目など考えていなかった。おそらく僕は自由だった。いや、束縛を感じていなかったのだ。
 目の前の白い花弁を一本抜き取って静かに口に咥え、その蜜を吸った。楽しんで吸うほどの味でもないなと拍子抜けして、小さな笑いが雪に溶けていった。

雪に咲く花

雪に咲く花

  • 小説
  • 短編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2022-09-18

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

Copyrighted