ずっとベンチにいた亡霊

わたしは駅にいた。
わたしは自販機の隣にあるベンチに座って、たくさんの人々を眺めたり、空を見上げたりした。わたしは理由もなくときどき涙した。
そうして、飽きることなく、何年も何年もそうしていた。わたしの足元に立ってこちらをじっと見る人がいた。理由はわからないけれど、わたしは放っておいて、また人々を眺めていた。


わたしはカバンからペンと教科書とノートを取り出し、ときどき勉強した。最近は絵を描くことは気が向かなくてしていない。言葉も発していない。歌も歌っていない。



ごくまれに駅員や駅前の交番の警察官がわたしのところに来て、手を合わせた。でも、きょう。わたしはその人と目が合った。何秒間も見つめ合った。わたしは頭を揺らしたけれど、その人はわたしの目をちゃんと追ってきた。わたしは、なぜか、泣いてしまった。顔を覆う手袋がびしゃびしゃになるくらい泣いた。

「わたしはあなたを忘れません」
「どうして…?」
「あなたが亡くなってから、5年が経ちました」
「………え?」
「あなたは5年前の2週間前、夜七時ごろ、このベンチに座って単語帳を見ながら家に帰るための電車を待っていました。でもあなたは家に帰れなかった」
「たしかに家には帰ってないけど」
「どうして家に帰れていないのかわかりますか」
「わからないです」
「今まで帰りたいと思ったことはありますか」
「ないです。ここでいろいろ眺めてるのは飽きないもの」
「あなたは、このベンチの上で……殺されたんです」
「…何言ってるんですか?」
「いい加減わかってください。あなたは遠い空の上に行かなきゃいけないんですよ、あなたはこの世にさまよう亡霊だから」
「変なこと言わないでください」
「じゃあ自分の名前を調べてみるといいよ」
「携帯で…?」



「駅構内で女子高校生刺される」
「10月19日、よる七時ごろ〇〇駅のホームでベンチに座っていた高校生の水島美代さん(16)が見知らぬ男に身体の複数箇所を刺されて死亡し、市内に住む会社員の前田利嗣(36)が現行犯逮捕された。
事件当時は、学生が多く駅を利用する時間帯ではなかったために女子高校生の周りには人がほとんどいなかった。前田容疑者は女子高校生をベンチに押し倒して口を塞ぎ、抵抗する女子高校生の胸辺りを鋭利な刃物で10数箇所刺した。このとき女子高校生と容疑者の周りには2人組の看護学生がいたが、事件に気づくのは女子高校生が刺された後だった。
女子高校生はその場で死亡が確認され、死因は失血死だった。前田容疑者は取調べにて、「人を殺してみたかった。どうせなら未来ある高校生を殺そうと思った。」と述べている。検察は……


「わかったでしょう」
「……」
「あなたは遠い空の上に、いかなきゃならない」
「……」ポロポロ涙をこぼしていた。
「水島さん、覚えてますか」
「…え?」
「俺は、水島さんの同級生です。」
「もしかして……」
「思い出せますか」
「…ううう、うっ、うっ、思い出せない、何も…何も思い出せないよ、ううう」
「水島さん、俺が水島さんを今から抱き締めるから、そっと目を閉じて、少し考えたら、行きたいところを思い浮かべてください」
「なんで…?」
「そうすればもう、ずっとここにいる必要はなくなります」
俺はそっと初恋の人を抱きしめた。片思いだった。不思議と体温を感じられた。しばらくそうしていた。


あの日も部活が長引いて、疲れ切っていた。
電車の時間が迫り急いでいたはずなのに、考え事をしながら自転車を漕いでいたら、電車に乗り遅れてしまって、あんな時間だった。わたしは模試に向けて焦っていたから、人気の少ないホームのベンチに座り、単語帳を眺めていた。駅に着いたら夕飯を買いまっすぐ塾に向かうつもりだった。背筋を伸ばしていたけれど、次第に眠くなって、視線が下がっていった。そんな私を大きな衝撃がおそった。私は図体のでかいスーツ姿の男に気づかなかった。声を上げる暇もなくわたしは口を塞がれ、痛みが訪れた。何度も刺されている途中、女の人の悲鳴が聞こえた。それでも刺すのをやめてはくれなかった。
周りが騒がしくなってきたころ、わたしはベンチ下に転がっているであろう単語帳のことをぼんやり考えていた。
また、ついさっき向き合っていたキャンバスが目に浮かんだ。
意識が遠くなっていった。



気づけばわたしは真っ白い世界にいて、目を凝らすと、そこは花畑だと言うことがわかった。
そこでわたしは寝転がり、日向ぼっこをし、
てんとう虫とお話しした。わたしは制服に目をやった。ズタズタにされたはずのカーディガンやセーラー服は、すっかり元通りになっていた。それがとても嬉しくて、安心したわたしは、目を閉じてみた。行きたいところを思い浮かべると、わたしはそこに行けた。目を開けるとそこは美術室だった。5年ぶりにあの絵の続きを描いた。しばらくして飽きて、家に行くと、母が料理していた。心配したけど、母は父と一緒に仲良くカレーを作っていたから、なんだか安心してお花畑に帰ることができた。 


5年ぶりの睡眠だった。わたしはそのあと、しばらく、ずうっと、駆け寄ってきた死んだはずの犬とともに、お日様とお花の匂いの中眠った。

ずっとベンチにいた亡霊

ずっとベンチにいた亡霊

  • 小説
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更新日
登録日
2022-09-11

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