背中語り 〜 小散文 1 2022年9月

空乃背中

以下の小散文は、Twitterで公開したものをまとめたものです。
2022年から、このような散文を書いています。

きれいなものは壊れやすい
これが、性善説の根拠です
(2022年9月4日 #言葉の添え木 シャボン)



夜の公園を探していた。
厳密に言えば公園でなくても良かった。街灯に照らされた土を求めていた。
街灯に照らされた土は、地球の灯台である。宇宙人はこれに反応する。
ぼくはブランコに腰掛けて宇宙人を待った。
ぼくの想い出にあるたいせつなものをひとつずつ剥がしながら。
(2022年9月6日)



ぼくたちはお互い違う青を持っていた。きみの青は明るく、ぼくの青は深い。それでもぼくたちはとなりに座り、おなじ景色を見ていた。お互いを感じるためには、混じり合わないことが絶対条件だ。やがて歓喜と絶望の海を走る青い電車がやってきた。
(2022年9月7日 #言葉の添え木 不器用な青)



芒が月光に照らされ、波のような風が吹いている。天体の運行はぼくにやり残した何かを気づかせてくれる。
ことばは髪を梳くように紡ぐものだから、詩は固有のリズムを持っている。だけど、やがて幻のように認識できなくなっていく。
朝の旋律はぼくに届かない。
(2022年9月8日 #言葉の添え木 無言の朝)



カーテン越しに月が見える。いや、もしかしたら悪魔の顔だろうか。下手に覗いたら固まってしまうかもしれない。だからぼくは”亡き王女のためのパヴァーヌ”を繰り返し、繰り返し聴いていた。ぼくの邪悪な臓器を見せてしまったら、迷月はいくつもの終わらない夜を産み出すことだろう。
(2022年9月10日)



日曜日の最終電車は何を運んでいるのだろう。窓から見える灯が幸せの数だとしたら、それが少しずつ失われゆく世界を電車は走る。でも嘆くことはない。夢と現実は相互乗り入れしているし、最終電車はその姿のまま始発電車になるのだから。忘却という鎮痛剤がやがて効いてくる。
(2022年9月11日)



昨夜まで屋台が出ていた通りが広く感じられて、取り戻したくても取り戻せない幻影の正体は時間であると気づく。今年もぼくは、目前を夏が通り過ぎるのを見ているだけだった。
この先も毎年これを繰り返し、夏を浪費し続けるのだろう。ぼくは少しぬるくなった麦茶を飲み干した。
(2022年9月12日)



着陸する飛行機を眺めていた。機窓から見るこの土地は何色なのだろう。期待の色や敗北の色に見えるかもしれない。ぼくにとってそうであるように、すべての乗客にとってこの場所がやわらかな地であって欲しい。遅れてきた南風に吹かれてぼくは落涙の種を蒔いた。
(2022年9月13日)



見えないものは見えないままで許される時間帯。そんな彼誰時の沈黙の重さが好きだ。宇宙は自分自身であると感じられ、意識は研ぎ澄まされる。でも、やがて鳥たちは目を覚まし、見えなくて良いものを朝の光は照らし出す。夜の正義は蹂躙される。
(2022年9月14日 #言葉の添え木 朝の光)



はくちょう座は休めない。昼間や雨の夜は休んでいるのかもしれないが、そうでなければ飛び続けなければならない。それでも夏の星座はまだいい。ふたご座のような冬の星座は拘束時間がより長いし、こぐま座なんて季節関係なく衆目に晒されている。ブラックな職場だ。これこそ闇の世界である。
(2022年9月14日)


※ハッシュタグ #言葉の添え木 はTwitterで言葉の添え木さん( @kotoba_soegi )が出されたお題を利用させていただいたものです。

背中語り 〜 小散文 1 2022年9月

背中語り 〜 小散文 1 2022年9月

短い散文を書いています。少しだけ詩的な匂いを意識しています。

  • 随筆・エッセイ
  • 掌編
  • ファンタジー
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2022-09-10

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