フォトグラファー
第一章
日没前の海面を走る夕陽の斜光が、行き交う船の引き波を乗り越えて対岸のコンテナー船を鈍く照らしている。
200mmレンズを構え、波と光りの狭間を捉えるとシャッターを切った。ISO2000,シャッタースピード1000分の一で捉えたオールドレンズの画像が辺りが暗くなり始めたモニターに浮き上がった。
狙った被写体にシャッターを切るのは2回まで、新聞社の報道カメラマン時代、重たいオートワインダー付きカメラで現場写真を撮りまくっていたが、ある時を堺に自分でそう決めた。ピントも昔ながらのマニュアルで、勘だけが頼りで撮る。
カメラはデジタルだか性能の良い安い中古をネットオークションで探して手に入れた。レンズには多少拘りを持っていて、新聞社時代のレンズやフィルムカメラを入れた簡易の除湿ボックスでいつの間にか自室の押し入れは一杯になっていた。
北河啓二65歳 大学を卒業してマスコミを希望し三大紙のひとつに勤めたが記者にはなれず学生時代からの趣味が高じていつの間にか報道写真部に配属され、報道カメラマンとなった。大学紛争が盛んな折で、あの安田講堂紛争や赤軍派の浅間山荘では現場に貼り付いて無我夢中で写真を撮り捲り、バイク便に乗せ本社に画像を送る日々を過ごした。あの頃は休みも夜も昼も無かった。記者と一緒に35mmレンズを付けたニコンと200mmの交換レンズと大量のフィルムを入れたショルダーバックを抱えて現場を駆けずり回っていた。
そしてあの事故が起きた、
1985年(昭和60年)8月12日(月曜日)、日本航空123便(ボーイング747SR-100型機)が同18:56分群馬県多野郡上野村の山中ヘ墜落した航空史上最大の事故だった。折からのお盆休み、羽田空港を離陸伊丹空港へ向かった乗客乗員524名を乗せた機体は伊豆半島上空にさしかかる頃、機体後部の圧力障壁が破損、垂直尾翼とその周辺の油圧操縦システムを全て喪失、操縦不能の迷走飛行の末、群馬と山梨の県境にある御巣鷹山の尾根に激突した。
日航機遭難の一報を北河が聞いたのは8月12日の夜7時半だった。丁度夜勤スタッフとの交代時間でデスクからカメラと身の回りの物を取り上げて階下へのエレベーターに乗るところだった。
「北さん、大変だ、日航機が遭難したらしい」
同僚の言葉に息を飲んだ北河は
「えっ何処でだ」と聞きた。
「それが、群馬の山間部を飛行中にレーダーから機影が消えたらしく、未だ低空飛行してるのか墜落したのかは分かっていなんだ」
「乗客は何名なんだ」
「500名と乗務員、ほぼ満席だったらしい」
同僚がみるみる内に緊張した顔立ちなった。
踵を返して編集室に飛び込んだ北河が見たのは
鳴り響く全ての電話、TV報道を見ながら室内を行き交う記者達の姿だった。
編集部デスクの渡辺がワイシャツの袖を捲りあげて
汗が額に浮かんでいる。
「デスク、今情報が入り羽田管制から緊急要請を受けた航空自衛隊のファントム2機が群馬県多野郡上野村高天原山山中に上がる大きな火柱を目視確認したそうです」
「群馬の上野村だど、おい地図、地図だ」若いスタッフが慌てて、壁に全国都道府県別に並んでいる地図帳から群馬県を引き抜いてデスクの渡辺の元へ走った。
「こりゃーエライ所だな、どのルートで現場まて行くんだ」地図に指を差した渡辺のうめく様な声が
編集部部屋全体に渡った。
「距離的には山梨側からが近いが途中で山越のルートが無い、関越を群馬の藤岡で降りて、とりあえず国道462で神流湖を目指すしか無いな。上野村はそのかなり先だ」「着くのは早くて午前零時だな」地図から眼を話し、壁の時計を見上げてキャップの佐々木が言った。「社のヘリは飛ばせませんか?」北河はデスクに言った。「無理だ、夜間飛行の山岳地帯だそ、予期せぬ天候の変化や高圧送電線其れに間もなく自衛隊の救護ヘリの妨げになるから、地域一体の航空機の侵入は禁止になる筈だ、陸路を行くしか無いだろう、いずれにしてもこりゃ大変な取材になるぞ」「おい、カメラは北河お前行けるか?」ロイド眼鏡越しに下から見上げられた北河は
「行きます」と返答する以外他に予知はなかっか。
「よし、現場を拾うのは田崎に頼む」
田崎慎二、北河より3年入社の早い数々のスクープ記事を挙げてきた、社一番の精鋭記者だった。
他の記者達が慌ただしく動き、現地地図のコピー、社用の携帯電話、そしてコンパクトな航空機無線も聴けるトランシーバー、社マーク入りのヘッドランプの付いたヘルネット等が瞬く間に二人の前にならべられた。
北河はそれらをショルダーバックにかき入れると、自分のデスクに戻り受話器を取った。
「あっ俺だ、テレビのニュース見たよな、これから現場に向かう」とだけ女房の加奈子に言うと
階段を駆け降りた。
社の裏手には既にエンジンをかけた四駆のジープが運転手と共にスタンバイしていた。
他の社員達と二人を囲んだデスクの渡辺がいつの間にか食堂から持ち出した菓子パンと
冷たい握り飯の入った紙袋を北河に押しつけると
「頼んだぞ、後からバイク便を行かせる、あっそうだ現場はかなりの山だ、途中の作業着屋で地下足袋を買え」
そう言って渡辺は北河の足元を見た。
小雨の降る夜の関越高速を疾走した車が藤岡インターを降りたのは10時を回っていた。
運転手が目的地をセットしたカーナビのスイッチを入れた。神流湖へのルートより時間がかからない国道254号線を使い下仁田を抜けるルートを選び一行が上野村に着いたのは午前零時前だった。村役場前の広場は既に陸上自衛隊のトラック部隊が到着していて隊員が慌ただしく現場へ向かう準備をしていた。
「墜落現場はここから約2キロ先の御巣鷹山の西側尾根と思われます。斜度は尾根辺りで30度位ですが殆ど誰も入った事のない場所なので地元消防団員が現場まで先導します」村長らしき人がトラメガで隊員へ向けて怒鳴るように声を上げている。消防団とは言ったが、ここは関東でも最も人口が少ない村で、広場にはその村民の内50人程が集まっていた。
「北さん、一緒に付いて行こう」田崎が言ったが結局は捜索隊は夜明けを待っての出発となった。原因は誤報も含めて墜落現場確認が色々な情報で錯綜し結局捜索隊と一緒に二人が入山したのは午前8時過ぎだった。山道とは言えない足場の全く無い腰までの熊笹を掻き分けて急勾配を登ること約一時間半、喘ぎながら登る北河は異様な臭気が辺りに漂っているのを感じた。
何か燃えた後の匂いだが、鼻の奥に刺さる様な強い刺激臭だった。「ジェット燃料だ、この臭いは」
以前羽田空港の整備工場を取材した時に嗅いだあの臭いだった。泥が張り付いた地下足袋の重さも忘れて北河は熊笹を掻き分けてその方向へ向かった。太く高い木々がまるでえぐり取られた様な其処は、北河が今まで見て来た現場からは想像すら出来ない、呼吸が止まる程の光景だった。
山が剥ぎ取られた暗黒の裂け目、後日思い出す度にそう表現するしか他に例え様も無かった。
未だそこかしこから炎が上がる其処には、あの美しいボーイング747の形を留めないバラバラに飛び散った機体、朽ちた巨大な魚の様な残骨とその周辺には燃え残って僅かに形を留める客席のシート、泡の様に焼け溶けた機内内装材、窓だけを残し無数の亀裂が入った機体側面。鉄のフレーム、遠くには主翼からもぎ取られタービンの羽根がひしゃげたエンジン、もうありとあらゆる人工物が砕け散ったその光景は、人も入らぬ深山の中でより一層に墜落の衝撃の凄まじさを北河は肌で感じた。一瞬我を忘れて茫然と墜落現場に立ち尽くす北河は、胸に下げた35mmカメラを持ち上げファインダーを覗いた。四角いフレームが捉えたその世界は地獄そのものだった。
「一体俺は何を何処を撮れはいいんだ」ファインダーに入るモノ全てが、最初に現場入りしたカメラマンとして凄いスクープ写真になる事は分かっていた。しかしシャッターを押す気持ちは削がれた「いくら仕事とは言え、こんな悲惨な光景にレンズを向けて、シャッターをお前は切るのか」北河の脳裏にその言葉が走った。
「北さんどうしたのよ、撮らなきゃ」背後に田崎の声が響いた。
我に還った北河は再びファインダーを覗いた
そこに映っていたのは大きく裂けた機体の紅い鶴のマークだった。
望遠レンズに取り替えるのも忘れて、夥しい残骸の中を其れに近づいた北河は、いつの間にか、唯狂人の様にシャッターを押し続けていた。「これがスクープなんだよ、これが」その時、何かに躓いた北河は平行を失った。見下ろした其処に北河が見たのは木の株に絡みついて虚空を掴む様に片手を差し出した黒く炭化した遺体だった。
そして見渡すその周りにも幾体かの塊が髪も溶け、唯それが数時間前、生きていた人間の証の様に顔の無い白い歯だけをみせていた。
カメラを顔まで引き上げた北河はシャッターを下ろした。カメラの中でゆっくりとミラーの閉じる音が聞こえた。
このシャッターを切るのは二回までだ、そう呟いた北河は深くこうべを垂れ、膝から崩れ落ちる様に一握りの土を掴むと号泣した。
第ニ章
岸壁に立ち、暮れて行く海面を見つめていた北河は背後に人の気配を感じた。
振り返ると電動自転車に跨った女性がいた。
少し強くなった海風に肩まで伸ばした黒髪が舞っている。「釣りですか、それとも写真撮影?」北河のカメラを見ながらその人が言った。
「いや、唯の散歩ですよ、貴方も?」首から下げたその人の白い望遠レンズ付きのカメラに眼をやりながら北河は言った。
「いえ、私も何となく、でもここ初めて来ちゃいましたけど凄い景色ですよね、こんな場所が本牧にあったなんて知りませんでした。」迫る夕闇にベイブリッジのブルーのライトが点灯した。
「あーここはB突堤と言って、関係者以外立ち入りが出来無い場所だからね、人の気配が無いでしょ」
「あっそうだったんですね、入り口のゲートが開いてたし、守衛さんもいなかったんで、ついここまて」そう言うその人は走って来た埠頭を振り返った。
ゲートから海に向かって五百メートルの直線になっていて、コンテナー、積み出しを待つ大型の重機や新車のトラックまでが所々に置かれている。
「貴方は車ですか?」と尋ねるその人に
「いゃあ、アレですよ」と北河はコンテナーの陰に停めてある原チャリを顎で示した。
「お互い不法侵入だね」北河は顎髭を撫ぜながら少し笑った。
「ここへは良くみえるんですか」穏やかな口調で耳元に掛かった黒髪を分けるとその人が言った。
「まぁ偶に来るよ、釣りもするしね」
「へーここ、お魚釣れるんですか?」
「禁止だけどね、黒鯛わんさかいるしね、まぁ僕はクロはやらんけどね。テロ対策とかで横浜港は全面釣り禁止だからね、釣り好きには全く酷い話しだよ」北河はタバコに火をつけるとゆっくりと紫煙をふかした。
「こんなに広い場所なのにね、市民は可愛いそうですね」その人も沖の白灯台を見つめて言った。
「あっ大きな船が入って来るわ、アレはなんですか」暗くなり始めた海面を指指して言った。
「あーあれはコンテナー船の入港だよ、相当満載してるな」
「凄い」船へ向けて望遠レンズを構えたその人が言った。
「良いレンズだね、そんなレンズを持つ女の人って余りに見たことないな」先程から気になっていた彼女のレンズを見ながら北河は言った。
「あっコレですか、最近買ったんですよ、仕事に使うんで」ファインダーを覗きながら彼女が言った。
「仕事に、あーカメラマンなの?」ファインダーを覗く彼女の分た髪が三日月の様に頬にかかっている。「はい、本牧をベースに撮ってます」陽が落ちてライトに浮かび上がったベイブリッジにレンズを向けて何度もシャッターを押しながらその人は言った。
「結構撮るね」北河はレンズを35mmに取り替えると背景にベイブリッジを入れてその人をフレームに捉えた。
パープルに変わったライトに彼女の輪郭が浮き上がっていた。
「撮っても良いかな」と言う北河に
「あら、人の写真は撮りますが、撮られた事ってあんまり無いから、恥ずかしいわ」その人は嫌がる素振りも見せず北河のレンズに顔を向けた。
シャッターが切れの良い音で落ちた。
北河は経験から写真の出来不出来はシャッター音で分かる
「ちょっと横顔も」と言うと頬に張り付いた三日月型の髪と美しい鼻筋、優し気だが意志の強そうな眼が埠頭の街灯に浮かんだ。
二回シャッターを切った北河にその人が言った。
「見せてくれます」北河に身体を寄せてモニターを見る彼女に、ずいぶん親近感のある人だな、と思った。「わー良くこの暗さで撮れますね、それもマニュアルで」と驚く彼女に「いやあ、マニュアルレンズしか持って無いんだ、貴方見たいな高級レンズは使った事無いよ」と言うと「ちょっと覗いてみて、楽ですよー」と微笑んだ。
その人のカメラを受け取とると北河のとは遥かに違う、程良い重量感といかにも高性能な感じがその手に伝わった。
「撮ってみて下さい」と言うその人の言葉に「えっいいの」と断り、ベイブリッジに向けてファインダーを覗きシャッターを半押した。全くの感覚が無くズームが作動してオートフォーカスがロックオンするサインが点いた。シャッターボタンを押すと全くショックが無かった。「へー凄いもんだね、今のカメラは」「そーでしょ、でも何か撮ってる感覚がないんですよね」と薄いルージュの間から白い歯を見せて笑いながら言った。
辺りはすっかり暗くなったが、コンテナー船が接岸した隣りの埠頭では巨大なガントリークレーンがオレンジライトを浴びて忙しなく動いている。
「あら、大変もうこんな時間」腕時計に眼をやったその人が言った。
「大丈夫、ゲートは一晩中閉まらないよ、これから夜釣りの連中が集まってくるよ、さぁ、ぼちぼち引き上げるかな」「お住まいはお近く?」と聞いたその人に「ここからバイクで10分だね、君は?」と尋ねた。
「あらお近くですね、私はこれで20分くらいかしら、もう寄り道せずにこの埠頭を真っ直ぐに戻ります、ではまたお会い出来たら」黒いブラウスの胸元にパールのネックレス、黒の細いパンツ姿のその人は小さな電動自転車に跨ると小さく手を振ってゲートへ向かった。
「じゃ又、気をつけて」人気の無いゲートへの真っ直ぐな道を走り始めたその人の姿が小さくなるまで北河は後ろ姿を見ていた。
「この殺伐とした場所には不釣り合いなチャーミングで爽やかな人だな」
北河はカメラを首に掛けると、バイクのエンジンを掛けた。
「お帰りなさい、良いの撮れた?」キッチンに立っていた妻の加奈子が言った。
「相変わらずだよ」と北河は言った。
「お風呂沸いてますよ」「あーそうするわ」自室にカメラを置くと、先程撮った画像を見ようとパソコンに向かったが、加奈子の言葉に後にしようと北河は衣服を脱ぎ始めた。
ユニットバスに浸かった北河はさっき出逢ったあの人の事をぼんやりと考えていた。
歳は自分よりかなり若いだろうが、マニュキアも無く、殆ど化粧もしていなかった。そして彼女の持っていたカメラと撮影の所作に「プロのフォトグラファーかな」湯船に浸かりながら、その言葉を吐いた北河は、ふと昔を思いだした。
写真で飯を食うプロカメラマンだった北河はあの日航機墜落事故の現場を撮ってから、それまで昼夜を問わず取材現場を駆け廻って他社よりも少しでも早く報道写真を上げる事にやりがいを見つけていた自分から、何かが抜けて行くのを感じていた。
確かにTV各局が報道番組を打ち出し、視聴者の目線が新聞紙面やスチール写真より、TVの生中継へと変わった時代背景もあったが、あの事故の日から報道カメラマンとしての自分のコアな部分が崩れて行くのを感じていた。そして40歳になった年、現場から本社のデスクワークを命じられたのを機に新聞社を辞めた。
そして学生時代の同輩の伝手でその男が経営していた映像企画会社に入った。そこは言わば大手広告会社の下請けで、カメラマンとしての職を得た北河はフォトグラファーと肩書きの入った名刺を持ち、広告写真の世界に入った。フォトグラファーとは言ってもビラ用の物撮りから、プロデューサーと称する所謂仕切り屋の指示で撮影スタジオのライトの下で、モデルに声をかけながらシャッターを切る。当時の撮影は未だフィルムが主力で、撮り終えたリバーサルフィルムをポジ現像して広告に使用する画像を決める。膨大なカットの中からカメラマンが画像を粗よりし、プロデューサーが最終決定をする。そしてクリエイターが加工やコピーライターがキャッチな言葉を入れ込んでクライアントにプレゼンする。採用されればその仕事は成功、されなければ、それまで。商業カメラマンがひとつの道具でしかなかった時代だった。特に報道写真上がりの北河は所謂キッチリした写真、同じ報道写真家上がりで、日本写真界の頂点に立った土門拳的な写真を得意としていた。そしてある大手化粧品会社の広告で若手の女優を現代に生きる如来の様に大胆な構図で捉えた北河の作品は広告新人賞を受賞した。報道カメラマン上がりの新進フォトグラファーとして注目もされた。
しかし時代が求めていた当時の広告写真の流れは、よりアーテスティックなもの、技巧的なものへと変わっていった。写真よりもコピーが優先されもした。そして機材もフィルムからデジタル、オートフォーカスへと高画質を追求する方向へと変わっていった。しかし北河はそういう機材には目を向けず、頑固な迄に自分の撮影方法を変えなかった。
そして大きな仕事の依頼も年と共に少なくなり、雑誌の編集ページや通販カタログ等とブツ撮りの仕事しか来なくなった北河は居場所を失う様に自らその会社を去った。それ以来写真撮影を主とする仕事からは離れた。プロのフォトグラファーとしての北河は終わっていた。
「貴方、ご飯出来てるのよ、冷めちゃうから」加奈子が風呂場の扉を開けて声をかけてきた。
「どうしたの、もう30分も入ってるのよ」「あーそうだな、なにかぼーっとしてたよ」食卓に着いた北河はいつもながらの加奈子の手料理にビールのグラスを傾けながら思った。
報道カメラマン時代、何度も夜中に社からの連絡で起こされたり、加奈子と旅行中でも事件で呼び出しがかかると、旅館に独り彼女を残して社へ向かう列車に飛び乗った。そんな北河を加奈子は責めるでも無く、玄関先で「気をつけてね」と必ず言い、送りだしてくれた。事件や事故の現場に張り付いて、食事も摂らず疲れ果てて深夜に帰宅した日も、加奈子は自分をいつも手料理を作り待っていてくれた。
北河は幼な子の子育ても、授業参観や運動会にもろくに参加せず、ただ報道写真撮影に取り憑かれた様に、その瞬間を逃すまいと撮りまくり、社主賞も幾度となく貰った。あの頃の北河はカメラのフレームの中にしか自分の人生が見え無い日々だった。しかしあの日航機墜落事故の現場で見た光景が其れを変えた。
一体人の人生とは何なんだ、その無残な最期をカメラにおさめている自分は一体何者なんだ。
あの現場を堺にして報道カメラマンとして第一戦に立ち、シャッターを切り、写真に納める事がもう出来ない自分がいた。
あの二十年前の被害者達の姿が夢枕に立つ事が今でもある。それに向けてシャッターを切る自分にうなされた。
第三章
季節は春から初夏へと移ろいを見せていた。
北河はここ数年、この時期になると近所の寺へ行き蓮の花を撮る様になった。
蓮の開花は早朝で陽が高くなる頃にはその花弁を閉じてしまう。その日も7時に家を出ると山門への坂道を登っていた。途中に一本の大きな桜の木があり春には坂道へ覆いかぶさる様な枝が見事に花を咲かせる。そして時期の終わりの桜の絨毯も見事だ。
北河もそれを毎年撮影する様になったが、風景写真では無く、坂道を供花を抱えて上がるおばあちゃんだったり、必ず人物を入れて撮っていた。しかし人物だけを撮る事は殆ど無かった。
北河は本堂の裏手にまわり、2畳程の小さな蓮池を見た。咲いていた。裏山を背景にしべを包み込む様なピンクの花びらの蓮が開花している。少し近づくと北河はカメラを構えた。
白と桃色の謎めいたグラデーションが35mmの画角に入った。蓮の花は極楽浄土に咲くと言うが
この世でそれを見れないからこそ、見る者を幻想の世界へと導く力がある。
三株の蓮を撮り終えた時、庫裡へと続く細道に人影があった。カメラを構えている横顔にかかった三日月の髪、あれ、あの人では?半月程前埠頭で会った人。「あれ、こんにちは、先日はどうも、こちらにもいらしてたんですね」とその人が北河に気づいて言った。「あーこれは先日の」と言いかけて名前を知らなかった北河に「あっごめんなさい、私、阿部と言います」「北河です、この間はお話しも出来ず仕舞いでしたね、ここは良く来るの?」「そうでしたよね、私三溪園の蓮も良く仕事がてら撮るんですが、ここはあちらより人も居ないし、それにこんなに近くから撮れますからね」人好きのする笑顔はあの時と一緒だった。「撮っても良いかな」と言う北河に「えっ私をですか」と彼女が言った。「じゃあ恥ずかしいけどこれも経験ですから」と庫裡への細道に立った。
今日の彼女は黒のロングドレスを羽織る様に着て大きなストローハットを被っていた。北河のカメラに向かってドレスの裾を持ち翻すと動きをとり始めた。ファインダー越しに彼女を見る北河は昔スタジオでモデルを相手に撮影していた感覚が蘇るのを感じた。「あーいいね、そう」「ちょっと横を向いてそうそう、そのまま少し上をみようか」「あっ良いですね」いつの間にか北河は声を出してシャッターを切っていた。彼女もそれに合わせて、自分でポーズを色々作りながら応えている.
それはまるで大きな黒い蝶が蓮の周りを舞っているようだった。
「あははー、あー楽しかった」彼女はそう言うと北河の側へ来てモニターを覗いた。
「わー、凄い私じゃ無いみたいね。北河さんプロのフォトグラファーだわ」と言う彼女に
「いゃー唯のアマチュアだよ」と言うと「いやーマニュアルでこれだけ撮れるなんて殆どピントも来てるし、凄い」と白い歯を見せて北河を見た。」「阿部さんこそ、プロのモデルさんだよ」と返す北河に「あっ私未知世です」と言うと「改めてまして、はいこれ」とバックから名刺を取り出して北河に差し出した。
世界を繋ぐ子供達 フォトグラファー 阿部未知世
ライトブルーの縁取りのある名刺にはそう書かれていた。「世界を繋ぐ子供達って?」と尋ねる北河に
「私、写真を通して世界中の子供達を繋げてみたくって、色々活動してます」「本業は地元で祭礼を中心にしたフォトグラファーやっているんです」と未知世さんは目を輝かせた。
「へー又なんでフォトグラファーになったの 写真専門学校で勉強したとか」言った後に、愚問だなと北河は思った。専門学校を出て写真を学んだからって、それは撮影技術やライティング過去の有名写真家の撮り方とか紙の上や野外撮影会なんかで技術を身につけるが、本当の写真、つまり感動を与える写真はそんなものだけでは撮れない、如何に自分の視点で撮れるかなんだ。それを見出せる眼を持っているかなんだ.そして何十万回シャッターを切ったかなんだ。これがプロのフォトグラファーとしての北河の持論だった。
「あっ飛行機」突然空を見上げた未知世さんが言った。「えっ何処、どうしたの突然」同じ様に並んで空を見上げた北河は、青空のとても高い上空をキラキラと輝きながら飛ぶ飛行機と長く尾を引く白い飛行機雲が見えた。
「私あれに乗ってる時、世界中の子供達と出逢えてたんです」両手で眩しいさを避けながら見上げている未知世さんが言った。
「あれに乗ってたって?」と不思議に思った北河に「私、ANAのCAだったんです」「えーCAってスッチーの事」と思わず俗な言葉を言ってしまった北河に「あははー北河さんは昭和ですね、そうなんです、10年間で一万時間程飛びました」と未知世さんはさりげなく言った。
「でもどうしてCAさんからフォトグラファーになったの」と尋ねる北河に「CAになった理由は、高校生時代から海外に出て見たかったの、でも父はとても厳しい人で留学なんてとんでもなく、そこでCAと言う女性の仕事を見つけて、地元でCAへの合格率が一番だった大学を選んで、猛勉したの、そうしたらJALとANAに合格したの、それと昔から写真撮影は好きで、CA時代、海外フライすると結構帰りのフライトまで何日か休みがあったりするの、クルーさん達はみんなお買い物とか観光とかしてたけど、私カメラを持って街や、子供達を撮ってたんです、そして結婚後、会社を退社して、子育てもようやく一段落して今やっと自分の目的に向かう事が出来てるの」未知世さんはそう話してくれた。ここまで自分の事をしかもたったニ度しか会ってない自分に話してくれる彼女が、友人の殆ど居ない北河には嬉しかったし、彼女が輝いて見えた。しかも自分の行く道をしっかりと見ている。歳こそかなり離れているとは言え、自分が歩いて来た道とは余りにも違う、北河は素直に彼女をそう感じていた。
「凄いな、未知世さんは」と言うしか言葉の無い北河に彼女は言った。
「いえいえ、ただ私CAになる為の訓練時代と現役の時も教官やチーフパーサーさんから徹底的に叩き込まれた事があったから、ここまでこれたの、そしてこれからもよ」
それは何?と言う北河に「其れは今度お会いした時にでも、今日の写真も見たいし」と未知世さんは言った。
第四章
「貴方今夜NHKのドキュメンタリーであの事故の事やるわよ」「あの事故って」
「御巣鷹よ」加奈子の言葉に北河はコーヒーカップを持つ手を止めた。今日は8月12日か、もうあれから15年が経ったんだ。各方面からの調査は終了して
結論はボーイング社の責任で終焉を迎えた。しかし520名の命は還らない。北河が今でも知りたかったのはあの悲惨な現場を見た人間として、事故発生から墜落までの30分間、操縦不能になったJAL123便をなんとか立て直そうとした高濱機長、福田操縦士、佐々木機関士の事だった。映画やドラマでは無い絶対絶命のその時、人間は何を出来るのかを。
帰宅後、北河は早々と夕食を済ませると、加奈子とTV前に陣取った。
そして見たのはコンピュータシュミレーションに依る当日の123便の飛行空路の解析と墜落現場から見つけられたボイスレコーダーの音声だった。
それは緊縛した操縦席で交わされた生の音声だった
18時24分30秒
35秒 「ドーン」というような音 ↑
37秒 【客室高度警報音 又は 離陸警報音】
38秒 (CAP機長)まずい
39秒 (CAP)何かわかったぞ
42秒 (CAP)スコーク77入れるぞ
43秒 (CAP)入れる入れよ。
44秒 (COP副操縦士)はい 45秒 (PUR客席内))酸素マスクをつけてください
46秒 (CAP) エンジン? (PUR)酸素マスクをつけてください
47秒 (COP) スコーク77(緊急信号) (PUR)ベルトをしてください
18時24分
59秒 (CAP) (CAP)何か爆発したろ?
18時25分05秒 (F/E) ギア ファイブオフ
18時25分16秒 (CAP) ライトターン (PUR)ください
18時25分17秒 (CAP) ライトターン (PUR)タバコは
18時25分18秒 (PUR)消してください
19秒 (COP) プレッシャ? (F/E) おっこった (PUR)ただいま
20秒 緊急降下
18時25分53秒 (CAP) バンクとんなそんなに
55秒 (CAP) バンクそんなにとんなってのに P
57秒 (COP) はい (PRA)This is anemergency(PRA)discend.
18時26分00秒 (F/E) ハイドロプレッシャが
01秒 おっこちていますハイドロが
02秒 緊急降下
03秒 (CAP) バンクそんなにとるな
04秒 マニュアルだから 【高度警報音 2秒間】
05秒 (COP) はい
11秒 (CAP) 戻せ
12秒 (COP) 戻らない
15秒 (CAP) プルアップ
(PUR)CA お客様にお願いいたします (PUR)お客様どうぞお近くの方恐れ入りますがお子様のマスクの用意をお願いします
18時29分00秒 (CAP) 気合を入れろ (COP) はい
01秒 (F/E) もってないかどうかきいてみます
05秒 (CAP) ストール(墜落)するぞほんとうに
06秒 (COP) はい 気をつけてやります
07秒 (CAP) はいじゃないが
08秒 (COP) はい
18時51分04秒 (CAP) 下がってるぞ (COP) はい
05秒 (CAP) あったま上げろ上げろ
08秒 (COP) フラップは?
09秒 (F/E) 下げましょうか?
10秒 (CAP) おりない
11秒 (F/E) いや えー オルタネートで
12秒 (CAP) オルタネートかやはり (F/E) えーオルタネートです
23秒 (CAP) あたま下げろ
25秒 (CAP) ほかはいい
26秒 あんたじぶんとやれ
29秒 (CAP) 両手で (COP) はい
30秒 (CAP) あたま下げろ
32秒 (CAP) はいパワー
33秒 (F/E) パワーふかしま
38秒 (F/E) フラップでてますから
39秒 いま (CAP)
42秒 (CAP) あたま下げ
48秒 (CAP) つっぱれ
26秒 (F/E) いまフラップオルタネートで
27秒 でてますから (COP) ラジャー
28秒 (CAP) あったま下げろ
39秒 (CAP) あたま下げろ (COP) はい
51秒 (COP) かわりましょうか?
52秒 (CAP) かわってやって
18時53分09秒
15秒 (CAP) あたま上げよ
20秒 (CAP) パワー
22秒 (COP) いれます
27秒 (ACC) JAPAN AIR 123 JAPAN
28秒 AIR 123 TOKYO.
31秒 (CAP) えーアンコントロール
32秒 ジャパンエア123
33秒 アンコントロール
36秒 (ACC) 123了解しました
18時54分03秒 (CAP) はいひだり (APC) ・・・mitting.
04秒 (CAP) レフトターン If you reading,
05秒 (COP) はい if you reading
19秒 (F/E) ジャパンエア123
18時53分09秒
15秒 (CAP) あたま上げよ
20秒 (CAP) パワー
22秒 (COP) いれます
27秒 (ACC) JAPAN AIR 123 JAPAN
28秒 AIR 123 TOKYO.
31秒 (CAP) えーアンコントロール
32秒 ジャパンエア123
33秒 アンコントロール
36秒 (ACC) 123了解しました
39秒 on guard.
40秒 If you hear me,
43秒 contact YOKOTA
58秒 (F/E) やろーか? (APC) JAPAN AIR 123
59秒 (COP) はい(ACC) JAPAN AIR 123(COM) 【社用無線呼出音】
18時54分03秒 (CAP) はいひだり (APC) ・・・mitting.
04秒 (CAP) レフトターン If you reading,
25秒 (F/E) えージャパンエアー
26秒 123リクエストポジション?
30秒 (APC) JAPAN AIR 123 your
37秒
38秒 (F/E) ノースウエストオブハネダ
46秒 (CAP) あたま下げろ マイル ノース
47秒 ウエスト
48秒 (? ) ・・・ おー
49秒 熊谷から
50秒 (COP) かじいっぱい あー
51秒 25マイル
52秒 ウエストの
53秒 地点です
54秒 どおぞー
55秒 (F/E) はい了解
56秒 (F/E) 熊谷から25
57秒 マイルウエスト
58秒 だそうです
18時55分 01秒 (CAP) フラップおりるね? ONE TWO THREE
03秒 (COP) はいフラップ CONTROL on guard.
06秒 日本語で申し上げま
07秒 す こちらのほうは
08秒 アー アプローチ
09秒 いつでも
10秒 レディになっております
11秒 なお
12秒 横田と調整して
13秒 横田ランディング
14秒 もアベイラブルに
15秒 (CAP) あたま上げろ なっております
16秒 (F/E) はい了解しました
17秒 (CAP) あたま上げろ
18秒 (COP)聞かせてください どおぞー
19秒 (CAP) あたま上げろー
27秒 (CAP) あたま上げろ
30秒 AIR ONE TWO THR
34秒 (COP) ずっとまえからささえてます come up
37秒 (STW)からの交信は
39秒 (STW)ちゃんとつながっております
42秒 (COP) パワー ・・・
43秒 (CAP) フラップとめな (APC) JAPAN AIR 123
45秒 (? ) あーっ If reading
46秒 your radar position
47秒 (CAP) パワー (CAP) フラップ
48秒 みんなでくっついちゃだめだ 50
49秒 (COP) フラップアップフラップアップ miles,
50秒 フラップアップフラップアップ correction
51秒 (CAP) フラップアップ (COP) はい 60 miles
55秒 ah - 5 mile
56秒 (CAP) パワー 50
57秒 (CAP) パワー nautical mile
58秒 (CAP) フラップ north west
59秒 (F/E) あげてます of HANEDA.
18時56分00
04秒 (CAP) あたま上げろ
07秒 (CAP) あたま上げろ
10秒 (CAP) パワー
12秒 【火災警報音 1秒間】【社用無線呼出音 1秒間】
14秒 【GPWS=地上接近警報】 (GPWS) SINK RATE
17秒 (GPWS) PULL UP
21秒 (GPWS) PULL UP (CAP) ・・
23秒 (GPWS) PULL UP 【衝撃音】
25秒 (GPWS) PULL UP
26秒 【衝撃音】
JAL123便が御巣鷹の尾根に激突した瞬間ボイスレコーダーは終わっていた。
北河は無言でTVを消した。
あの墜落現場を思い出していた。
そして加奈子に言った。
「闘っていたんだな最期まで」
「凄いショックな音声だったけど、断末魔では無かったわね」と言う加奈子に「えっ何故」と北河が言った。「だってあの場面なら普通叫び声とか絶叫とか」と加奈子は言った。暫く何かを考える様に沈黙していた北河は言った。「ママ、分かったよ」「えっ何が」「あの高濱機長の最期の言葉、あたま上げろ、と何度も叫んでた」「そうね、そうだわよね」
「あれが正にプロだと思う、つまり最期まで自分に与えられたミッションをまっとうしたという事なんだ。」「ミッション?」と聞く加奈子に「使命だね」北河は言った。
「あの123便の乗員15名全員が其々の持ち場で其れを行ったんだ、操縦室の中に聞こえた、CAさんの冷静な声聞いたろ、あの状況の中でたよ」
「そうよね、普段と全く変わらない、私人工音声かと思ったけど、肉声なのよね」加奈子が頷いた。
「ママ、以前何かで読んだけど、旅客機は機長を始め乗務員全員のミッションが客の安全を守る事がオールオアノッシングなんだ」
あの事故の後、墜落寸前の機内で乗客が妻や家族に咄嗟に書いた走り書きの遺書も沢山見つかっていたが、その中に乗務員のものは一切無かったと言う。
そしてなたよりも北河が胸を打たれたのは当時 18歳だった高濱機長の愛娘さんが、このボイスレコーダーの父の最期の声を録音したテープを肌身離さず持っていたという事だ。世間から500人も殺しておいてとか酷い言葉をなげられても、父の声を聴いて耐え、立派な大人に成長し、今は同じJALのCAとして空を飛んでいると北河は聞いている。
そしてボイスレコーダーが公開された事で高濱機長ほか乗組員へ多くの賞賛が集まった。北河が見た多くの躯も、あの悲惨な現場を誰よりも早く報道カメラマンとしで撮ったのは自分なりのフォトグラファーとしてのミッションだったのかも知れない。北河はそう感じていた。
プロローグ
未知世さんは公園の草むらを踊る様に廻った。
白いロングドレスを羽織って、手には藤で編まれたバスケットを持って、まるで高原の野原にいる様に
笑いながら。その姿を北河はレンズで追っていた。
いつかの写真を渡そうと連絡すると「じゃあ、あの公園では如何ですか」と彼女の家の近くにある神社の前の広いその場所を言った。白いドレスを靡かせながら現れた彼女は「今日は北河さんのモデルになるつもりできたの」と戯けた身振りで言った。
そして草むらへ飛び出して言った。
その姿はバレエのプリマが舞台へ踊り出る様に、しなやかでダイナミックだった。
彼女の背景には4本の高いモミの木があり、其れを入れて欲しいと北河にリクエストした。
その木々を後ろにしてカメラのポジションを北河に言うとポーズをとった。それは白鳥の湖の舞台の様な構図を作っていた。
公園の端に咲いている赤い百日紅も入れて欲しいと
又遠くから未知世さんが北河に言った。
こんなに要求の多いモデルさんも初めてだな
と思いながらも135ミリのレンズのピントを合わせせながら彼女をフレームに入れてシャッターを切り続けた。いつの間にかシャッターは2回迄の決め事も忘れた北河はいつか忘れていた気持ちが躍動する、あの感覚が蘇っていた。
「あー楽しいい、カメラを撮るのも良いけど、こうしてモデルみたいに動いてのも最高な気分ね」と
かなりのカットを撮り終えた北河に近づいて言った。そしてバックから小さな銀のアルバムを取り出した、「これはね、私がCA時代に撮り溜めたものなの」渡されたアルバムのページを捲ると、そこにはフィルムで撮られた沢山の写真が並べられてた。全て子供達だった。
何処かの村だろうか、粗末なショールを頭から被ってカメラを見つめる小さな女の子、赤いランニングで顔に白い粉を塗り黒いマントを広げた男の子、弟だろうか丸裸の赤ん坊を見つめる黒い瞳、半裸で顔一杯の笑顔見せる南の島の女の子。
懐かしいそうにアルバムを覗きながら未知世さんは
言った。「あの頃は五十カ国くらいの国を巡って
子供達を撮ったの」「そんなに国を巡って来たんだ」と言う北河に「エアラインのCAだったから出来たのね」と未知世さんは言った、そして「でもね、沢山の子供達の写真を撮りながら思っていたのは、世界の子供達と繋がってたい、写真だけじゃ無くて、色々な方法でこれからもよ」未知世さんは眼を輝かせて言った「それが私に与えられたミッションなの、そう信じてる」
写真を渡し、自宅への道を帰って行く未知世さんの後ろ姿を公園の高台から見ていた北河に「頭をあげろ」「頭をあげろ」とあの言葉が蘇った。
フォトグラファー