不滅の呪い
稀に見る桜の早咲きの季節、ついに学校から人が消えた。
ざまあみろ。
それは、息の詰まる村だった。
わたしが通っていた頃など、学年には何十人も居て、校庭には活力を持て余した下級生が叫び声をあげて走り回っていた。口やかましい坊主頭の教師は皆からの嫌われ者で、うっかりテストの答えを教えてくれる理科のおじいちゃん先生に皆が懐いた。運動会とあっては物静かな女子さえもが手を真っ赤にして綱を握り、フォークダンスの演目の前には男子どもが緊張を顔に出す。放課の遊び場といえば坂下の河原か学校の裏山と決まっていた。六年生の校外学習以外に、村を出ることはない。
村の中に仕舞い込まれ、外に出られない閉塞感。箱庭のようにすべてが充足し、牢獄のようにすべてが監視されていた。村に暮らす人々は、誰もその生活に疑問を抱かなかったし、却って協力を惜しまなかった。村のやり方に従わない人間には睨み舌打ちし、露骨に仲間外れにする。
苦痛を覚えたのは、ただわたし一人だけ。だからわたしは放逐された。
追放されたわたしは、学校に棲みついた。
もっと別のところで平穏に暮らしたらどうかとも言われたが、わたしは拒んだ。深い理由はない。ただ、村のオキテというものを知らず、天真爛漫に動きまわる子どもたちを眺めていたかった。そんな感じの後付けの理由を述べて、わたしは学校に居続けた。
というのが、表向き。
わたしが学校に居るのは、ただひたすらに子どもたちを呪うため。この村を呪うため。いつかこの呪いが村全体を覆いつくして、一度のうちに爆発してしまえばよい。人を呪わば穴二つということわざがあるらしいが、もうわたしの墓穴は掘られているも同然なのだ。知ったことか。末代まで呪ってやる。
棲みつくことを決めてからしばらくのうちは、休み時間にははしゃぎ、授業中には眠い目をこすり、給食を和気あいあいと食べている姿を見るたびに、わたしは子どもたちを妬み、憎悪した。わたしには体験できなかった幸せを享受しているんだ。一緒に遊ぶだけで、ぐっすりと眠れるんだ。ご飯茶碗一杯くらいの楽しみが、彼らのお腹を満ち足らしめているんだ。わたしのお腹は空っぽなのに、吐き気がした。
そんな感覚も、二年か三年を経るうちに薄らいでいった。それくらいの頃に、わたしは痛覚を失ってしまったのだろうか。あるいは、幸せを噛みしめる子どもたちの顔を見飽きたのかもしれない。保護者だとか地域の人だとかいってやってくる村民も、もはや何を思うこともない。この世界に向けて純粋に研ぎ澄まされた敵意と、輪郭を失ってきた憎悪が、わたしを作り上げていた。
また、五年六年と時間が過ぎ去っていく。外皮はすべて剥がれ落ち、受けてきた視線の痛みと、感じてきた疎外感の寂しさばかりが、わたしの芯で燃えつづける。いつからか、日付を数えるのも忘れるようになった。こうしているうちに、真っ白な百合が咲くのかもしれないと思った。
何年も何年も呪っていたところで、この学校はびくともしなかった。倒れることもなく、爆発することもなく、同じように子どもたちははしゃぎ、同じように先生たちは子どもたちを叱っていた。
それは、行き詰まる村だった。
子どもの人数はゆるやかに少なくなっていったが、みな楽観的だった。同じ生き方をしている限り、村はやがて元の姿を取り戻すと思い、疑問に思ってなどいなかった。だが、現実はそうでなかったのだ。育った子どもたちが都会に働きに出かけ、後には中年の村民が残る。少しずつ農業の担い手が減っていく。寄合が小さくなっていく。自治会は、お役人さんの助けを借りねばならなくなってきた。
村の中で満足し、外を見てこなかった村は、何も解決することができなかった。お得だからと説得されて近隣市町村と合併し、村は見捨てられた。お得だからと説得され、誰も使わない高速道路が通った。そして挙句の果てにはお得だからと説得され、村を飲み込むダムが建設されることとなった。
たったひとりも残らず、現実を知った。だからみんなも放逐された。
つまり、だ。この学校もそのダムに沈んでしまうことになった。
えーーっ! と方々で子どもたちが叫ぶようになったことで、わたしもその事実を知った。わたしもえーーっ! と叫んだ。この箱庭を崩すのは、爆発ではなく水没だったのかと。人々を突き動かすのは、憎悪ではなく欲望なのかと。そして、この学校がもうすぐ無くなってしまうのかと。わたしの居場所は、あともう少しで喪われてしまうのかと。
わたしも一端の人間であっただけに、居場所が無くなることには物寂しさを感じずにはいられなかった。わたしには、この学校のどこに落書きがあり、どこに無くしたと思った消しゴムがあり、どこに先生の秘密のアレがあるのかを知り尽くしている。学校はわたしの手足といっても過言ではなかった。マイホームを追い出されることは、誰だってつらいと思うだろう。
でも、幾日も流れてゆくと、わたしはだんだんワクワクしてきた。よくよく考えれば、いやよく考えなくても、大願成就なのだ。学校はいまここに消滅する。村はいまここに散り散りになる。この牢獄の欺瞞は吹き飛ばされ、後には大きな水がめが鎮座おはします。こんなにバカバカしいことがあるだろうか。今すぐにでも、わたしはにらみつけてきた村人どもを嘲笑してやりたかった。一致団結して守り抜いてきた村は、いまここに泡沫となって消えゆくんだぞ、この理想主義者どもが。さんざんに面罵してやりたかった。
夏が終わると、秋はすかさずやって来た。冬はあっという間で、いつの間にか春だった。校庭の一隅にある梅は、我が世の春を謳歌すると言わんばかり、大きな花をつけ早々に実を生した。人間が立ち去ってくれることの喜びを、梅も感じているに違いないと思った。でも、学校に通う数人の子どもたちは、そんなことに目もくれなかった。あともう少しでなくなる学校のことばかり、頭の中にあったのだろう。
子どもたちだけではなかった。村に住む人々だけではなく、都会に出て行った「元村人」たちも学校のことに夢中だった。学校に集団で来訪し、別れを惜しみ、思い出話をひとしきりして帰っていく。今目の前に咲いている梅など、微塵も興味がなかった。彼らは昔のネガフィルムに囚われ、今を生きるカラーフィルムな世界には気付かない。わたしはそんな滑稽な姿を見て、ひとしきり大笑いする。
閉校式を迎え、子どもたちは、黒板めいいっぱいに学校への惜別を書き残していく。ありがとう、さようなら。〇〇村最高、いつまでも忘れない。子どもも大人もみんな、泣きじゃくっていた。たかが数年の思い出だけで、生涯の伴侶を失ったような顔をしている。学校に対する愛は、よほどわたしよりも深いものがあるようだ。わたしは舌を巻くほかない。もらい涙をしてしまいそうだ。
――そして、私はひとりぼっちになった。桜がひらひらと花びらを落としているほかは、誰も何も動くことなく、静止してしまっている。やがて破壊され、更地になる運命であることには変わりがない。目的を果たしたのだから、さっさと執行してしまってほしい。じれったいなと思った。
それで、今に至る。
この学校に人がいなくなってから、少なくとも十年は経つ。いまだにこの村は水没しないし、いまだに学校は取り壊されることなく、残り続けている。
原因はなんとなくわかる。ダム建設は中止されたのだろう。ただ村人は追い出されただけで、何も進展しなかったのだ。わたしは村人たちを追い出すという願いを果たしていながら、いつまでもこの村にとどまり、いかされ続ける。
結局、村人は戻ってこなかった。この村のもつ束縛から解き放たれてしまえば、誰も彼も村のことなど忘れてしまうのだろう。あんなに腐心して、人をノケモノ扱いして守り抜いてきた村も、もはや他人事。たまに誰かが校門のほうから様子をうかがってくるけど、近づこうとはしてこない。村に入り直そうという意志は、どうもないようだ。
孤独の世界の中で、わたしは学校とともにあり続けた。他に行くところもなかったからだ。わたしはこの村に埋められてしまっている。みんなは鎖を切り放ってしまったが、わたしは切り落とすことができない。いつだったか、おまえは切り落とせないからと言い訳して、いつまでも学校に住みついていると言われたが、その指摘は間違っていない。
この十年のうちに、学校は荒れつづけた。野生動物が住み、あちこちが剝げ落ち、木は朽ち果ててきた。腰が重くなり、肩が上がらなくなり、視界はかすむようになってきたみたいな、そんな感覚だ。そのうちにもうろくが始まり、身体を動かすこともままならなくなるかもしれない。
一方で、わたしはそんな学校に取りついてくるものを寄せ付けなかった。老いゆくこの場所を、好き勝手されたくない。ものを奪われることもあったし、逆に作り直そうと企む人間を何人も見てきた。そのたびに、わたしはかつて燃えたぎっていた呪いを振りかける。二度と目の前に現れないように。この村は滅んだままでいてほしくて。何年も、何年も。ずっとそうしてきたし、これからもそうする。呪いに焼き尽くされた我が身は、誰にも触れさせない。
ただ、わたしは学校を居場所とする。この村に縛られ、さらばえて往くものとして。
緒床小学校よ、不滅なれ。
「……幽霊の話で恐縮ですが、例の緒床集落。あそこは『本物』が出るらしいですね」
「ああー、聞いたことありますよ。未成ダムの。結構、ヤバいって」
「一説には、その幽霊のせいでダムが中止になったとか。作業員が次々不審死するものだから、ゼネコンが手を引いたんだと」
「そして来訪する廃墟マニアも、緒床を訪れたあとに不慮の事故に巻き込まれるって?」
「そうそう。とはいっても、ウワサの域を超えませんがね」
「いやあでも、廃墟愛好者たるもの、緒床小学校は見に行ってみたいのですよね。大正時代の校舎が、ほとんどそのまま残っているなんて」
「やめといたほうがいいですよ。『村に閉じ込められても』、知りませんよ」
不滅の呪い