夜想日記(未完)

夜想日記(未完)

2022年10月11日、「9月」を公開しました。

8月

 濃く淹れたミルクティー。狐色のトースト、バターと粗挽き黒胡椒。生まれたての葉月は目映ゆい熱を帯びて。
/1日

 蝉も鳴かない暑さ。お水とお白湯を交互にいただく。小さなチーズタルト、眼鏡を曇らす紅茶。午後4時の光は、でも少し季節を先どりしている。
/2日

 生ぬるい風、しめやかな匂い、雷鳴。おへそを守る姿勢も、あながち間違いではないのだろう――周りに何もない場所では。幸い近くの建物に助けてもらい、やがて、蝉が鳴き始めた。
/3日

 稲妻に怯えた猛暑は鳴りを潜めている。雲の切れ間を窺いながら今日を進め、ひとときの静寂に心を休める。
 生姜の香る鶏肉のスープは午後へのグラデーション。よく煮込まれたお出汁の滋味深いこと。ほんのり効かせた黒胡椒のほど良いこと。
/4日

 電話が苦手だ。雷や地震と同じくらい苦手だ。苦手だが、必要なときには腹を括るしかなく、今日はそういう日だった。側から見れば大したことではないのは分かっているので、一人でひっそりこっそり労る。私は人が好きなのに、人が苦手なのだ。
/5日

 AIと短歌についてのお話を伺った。自然科学と人文科学の融合。何かと人間と比較されがちなAIだが、AIも短歌も人間の編み出した手段の一つ。もしAIによって短歌がつまらないものになるのならば、それは使い手に改善の余地があるということだろう。すべての手段は可能性を広げるためにあるのだから。
/6日

 何かと気が休まらない日が続いているので、のど飴とペパーミントティーで心身を労る。どちらも微妙な体調の変化に美味しく優しく寄り添ってくれる。あとはこまめに自分の身体と向き合い、凝り固まっているところは揉みほぐし、なるべく良い状態でいられますように、と願いを込める。
/7日

 季節は光から変わる。影が伸びるごとに哀愁を帯びて。なぜそこに秋を感じるのかは分からない。ただ変わらぬはずの蝉の声も、心なしか物寂しく。
/8日

 変わらないことのありがたさ。変わることのありがたさ。振れ幅が大きくなりすぎないように、でも多少の揺らぎは愉しめるように。珈琲を美味しくいただける体調に感謝しながら。
/9日

 同居している家族が流行り病に。幸い順調に経過し、無事に自粛期間を終えることができた。私自身は健やかであったが、気が休まらない日々。もう二度と御免である。
/10日

 シャインマスカットをいただいた。たったひと粒で虜になってしまったのは、もう5年以上前のこと。瑞々しく爽やかな甘みが口いっぱいに広がり、至福のひとときだった。あの日を超える感動には出会えていないが、いついただいてもちゃんと美味しい。本当に贅沢で、ありがたいことである。
/11日

 風が強い。台風が近づいているせいか、頭も痛い。朝は紅茶を飲みたいし、チョコレートには珈琲を合わせたいのだが、暑さで喉が渇きやすいので控えている。滞りのない一日というのは脆いものである。
/12日

 台風は厄介だが、おかげさまでだいぶ涼しいので紅茶を解禁。空は暗くても心は晴れわたるようである。低気圧のときは珈琲が身体に合わないので、こちらはもうしばらくお預けだ。
/13日

 嵐が過ぎ去った。何もない、ということの幸せ。伸びやかな心地。とっておきのアイスクリームに珈琲を添えて。
/14日

 暑いのは悪いことばかりではなく、暑いがゆえに目覚めが早いので心のゆとりができるのはありがたい。予定していた用事を順調に済まし、気持ちはとても涼やかである。
/15日

 ここ数日は体調が良く、心身の調整が上手くいっている。滞っていたことを一つひとつこなし、新しく習慣化したいことを始めてみる。元気なときの自分が積み上げたことは、困ったときの自分を助けてくれる。
/16日

 今日は少し多めに負荷をかけてみた。出先では充足よりも疲労が上回ってしまい、家に帰るだけの力を補給するために抹茶ラテを。幸い雨に降られることもなく、無事帰宅できた今は満ち足りた心地である。
/17日

 朝、土砂降りの音と頭痛で目覚める。
 昼、いつの間にやら晴れていた。
 夏の青の濃いこと。水で溶かす前の絵の具のような、逃げ場のない青色。秋の夕暮れは、紅葉は、きっとこの青の残像なのだろう。
/18日

 句点のない一日。息を吸うだけ吸って、霧散する着地点。要約できないのは近視眼的になっているからで、何もない一日もすべてに意味のある一日もありはしない。
/19日

 和らぐ暑さ。早まる日暮れ。眩ゆい季節が薄らいでいく。息をしやすいのは冬だが、生きやすいのは夏。一番好きな季節というわけではない。それでも、一番別れ際が辛いのは、夏である。
/20日

 夏の残響。虫の音の涼やかな色。夏の岸辺に腰掛けて足先を浸しながら、白い玉蜀黍をかじる。
/21日

 濃く淹れたミルクティーに、熱々のホットビスケット。小麦の風味を楽しみたいので、メープルシロップは控えめに。温かいものを美味しくいただけると、身体の調子を整えやすいので嬉しい。
/22日

 今晩はデザートにプリンをいただいた。たまごをしっかりと感じられる固めのものも好きだが、ふんわりなめらかなものも美味しく、甲乙つけがたい。今日はクリームたっぷりのとろけるようなプリンだった。
/23日

 心が荒むのは風に吹かれたからで、体が重いのは雨に濡れたからで、今が辛いのは日が沈んだからだ。朝が来れば忘れるようなことに、この身を浸す必要はないと言い聞かせる。
/24日

 自分のことではないのだが、とても嬉しいことがあった。ひっそりささやかに、ひとり喜ぶ。何でもないはずの日が、ほのかに華やいで。
/25日

 おうちで作る抹茶ラテは、抹茶は欲張らずに、お砂糖は恐れずに、ミルクは好きなだけ、溶かし混ぜる手間は惜しまずに、が一番失敗なく仕上がる。お店のものよりも円やかな美味しさ。
/26日

 お店に並ぶ品々が秋めいてきた。かぼちゃもさつまいもも大好物。栗だけがどうしても苦手で、それさえ克服できれば秋は無敵でいられるのに、と毎年思う。
/27日

 気圧の影響を受けてこわばる身体。どこを解せば楽になりやすいか最近はだいたい分かってきたので、こつこつせっせと揉みほぐす。何をしてもだめなときはだめだが、今日は幸い頭痛を回避することができた。
/28日

 離れて暮らしている祖父が高熱に。流行り病でも入院が必要なものでもなく快方に向かっているようなのは幸いだが、看病している祖母も疲れているようだし、二人とも高齢なので心配は尽きない。遠方で、しかもこのご時世であるので、文面でのやりとりしかできないことが悩ましい。
/29日

 珈琲は好きだが、毎日いつでも身体に合うわけではない。体調の良い日の午後にいただくのが、私にとっては一番美味しい。月の1/4ほどは珈琲を控える日が続くし、気圧の低い日なども避けている。だからこそ、珈琲が美味しい日は心底幸せで幸いなのだ。
/30日

 ひと月分、毎日綴ることができた。実は日記は昔から続いたことがなく、今回が初めてかもしれない。取り留めのないささやかな記録だが、記憶を手繰り寄せる一助にはなるだろう。
 ありがとう、葉月。また会う日まで。
/31日

9月

 私にとって、故郷のような季節。凜と響く虫の声、長月の夜。
/1日

 今日はおやつにひと匙の蜂蜜を。ほんのりとした柑橘の香り、透き通るような甘さ。お腹は満たしたくないけれど糖分を補給したいときに、ちょうど良い。
/2日

 夢というのは不思議なもので、夢では必ず何かが起きる。何も起こらない平和なひとときなどは無く、常に何かが起こっては振り回されている。夢ばかりに追われる眠り方をしたときには、起きているときよりも気疲れしてしまうのだ。
/3日

 今ある暗闇に呑み込まれそうなときには、雲の向こうの青空に想いを馳せる。彼方の黒雲に足が竦みそうなときには、足元に咲く花々に想いを馳せる。私は気を抜くとすぐ失念してしまうので、折を見て言い聞かせるようにしている。
/4日

 美味しいチョコレートケーキをいただいた。小さい頃は体質の関係で食べられなかったもの。チョコレートをいただくたびに、なんと有難く贅沢なことだろうと感慨に耽る。私にはそういった食べ物がいくつかあって、初めて味わった時の感動もその数だけあり、それはむしろ幸いなことだと思っている。
/5日

 青空と白雲のコントラストが美しい日だった。夏の青さとはまた違う、真澄みの空。洗いたてのような、ぱりっとした白さが際立つ。日が傾き始めると光はもうすっかり秋で、私が生まれて初めて見た外の世界も、きっとこんな光で満ちていたのだろうと思う。
/6日

 情報に触れる塩梅が難しい。世の中のことに関心を持たなければ、という強迫観念と、まずは心身共に健やかであらねばならない、という自己防衛。何事もバランスが大事だが、それが難しい。
/7日

 今日は調子が良く、やりたかったことをすべて済ませることができた。こういう日にできることを積み重ねておくと、調子の悪い日の自分の助けになる。できないときは潔く諦め、だからこそできるときは見逃さないようにしたい。
/8日

 ガブリエル・シャネル展へ。私にもっと服飾の素養があれば、と思いつつ、まだ知らない世界に触れる素晴らしさもありつつ。さりげないデザインはあっても、意味のないデザインはないのだと改めて。とても良い保養になった。
/9日

まどかな月に心満たされ
さやかな月影に心洗われ
心静かに秋の夜を愛でる
/10日

 あの猛暑の日々で秋はちゃんと来てくれるのかと勝手に心配していたが、案外夏は潔く身を退いてくれたように感じる。むしろ寂しいくらいだが、過ぎ去ったはずの夏に聞こえてしまうかも、と思うと言えない。
/11日

 今日の外の光は少しばかり夏が滲んでいて、久しぶりにアイスを食べた。それでも真夏のときよりも冷たく感じて、これが残暑なのだろう。
/12日

 身のまわりを少しずつ整える。欲張ると嫌になって先延ばしにしてしまうので、物足りないと感じる量をこつこつと。昔から集中の仕方が極端で斑があり、大人になってからもペース配分が難しい。今も色々試しながら探っているところだ。
/13日

 美容院で髪を整えていただいた。伸びた分を切っただけだが、頭が随分と軽い。
 少しずつ重なっていく重たさには気づきにくい。髪ならば切ればよいだけの話だが、そんな簡単には済まない重たさの方が多い。そして、一度潰れてしまうと戻ってこないものも、想像以上に多いのだ。
/14日

 共感というのは時に厄介なもので、他者との境界が曖昧であることは様々な危険が潜んでいる。共感は絶対でも至高でも何でもなく、あくまで自分の脳が見せる世界の一片にすぎない。
/15日

 日射しの強い一日であったが、真夏よりは過ごしやすい陽気。熱中症予防のためしばらく控えていたが、今日は電車を使わず歩いて帰宅した。慣れた道を無心で歩くと頭が整理されるので、再開できたことがとても嬉しい。
/16日

 他人に言うには憚られる言葉も、自分には容赦なくかけてしまう。他人には許せてしまうことも、自分には許すことができない。それでも自覚が持てるようになっただけ、あの日の自分よりかは進歩している。
/17日

 台風の影響を恐れつつ、予報があることの有難みを噛み締める。自分で気をつけられるところを確認しつつ、様々な方の尽力のお陰で夜を越せるのだと改めて。
/18日

 嵐の合間を縫って鳴く虫たち。その声を聞いて、束の間の平和を知る私。
/19日

 今年も無事に歳を一つ重ねることができた。嵐もようやく過ぎ去り、穏やかな心地で頬張るケーキの美味しいこと。今までの人生で何かが一つでも違っていたら、私は今日まで生きてこられなかったことだろう。見えるものにも見えないものにも、感謝の気持ちでいっぱいである。
/20日

 涼しくなってきてから、蚊をちらほらと見かけるようになった。今年の夏は、やはり格別に暑かったのだ。
/21日

 秋の纏う仄暗さ、物寂しさ。爽やかな気候も豊かな実りも、冬への道のりに感じてしまうからだろうか。
/22日

 嵐の前の、不規則な夜雨。雨樋から滴る雫の、焚き火のような音。雨音が止むたびに虫は鳴き、虫が鳴き止むことで雨を知る。
/23日

 暗雲、雷雨。それでも雲の向こうは青空なのだから、目に見える物事のなんと狭いことよ。
/24日

 久しぶりのお日さま。日に焼けようが暑かろうが、晴れやかな心地に勝るものはない。
/25日

 先延ばしにしていたことの一つに手をつけることができた。少しずつでも身のまわりを整えられると、気持ちがとても楽になる。
/26日

 意見が通ることが幸いなのではなく、意見を述べられることが幸いなのだ。意見は人格でもなければ目的でもなく、絶対的な最善も正義もない。それを忘れてしまうことが不幸なのであり、異なる意見が不幸を招くのではない。
/27日

 夏を思い出すようなじりりとした日差し。夏と違うのは、和らぐのも早いこと。少し日が傾き始めると、途端に秋の空気に変わる。まるで夢を見ていたような気分だ。
/28日

 生きたくないのではなく、生きるべきではないと思う。死にたいのではなく、生まれるべきではなかったと思う。その違いが生むものによって、私は今を生きている。
/29日

 言葉を持たない時代の記憶に字幕をつける。年々改善される解像度。年々加えられる脚色。自分の記憶すら、字幕なしには観られない。
/30日

夜想日記(未完)

夜想日記(未完)

2022年10月11日、「9月」を公開しました。

  • 随筆・エッセイ
  • 短編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2022-09-02

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Copyrighted
  1. 8月
  2. 9月