そのジャスティスはアーモンドの匂い

夕日智香

――【極秘】この手紙は、とある民間人が死の淵で一人の女性に宛てて綴り、とある自衛官に託したものである。しかしながら、この手紙は陸自および警視庁の特殊部隊員を核とする有志組織〇〇〇による極秘輸送中に、上級庁の△△△が回収し、宛名人自体はこれを読んでいないとされる。――

現在の体調について

 おそらく余命は数週間。そのように医務官に知らされた。銀行事件の時にテロリストに直接首にスプレーされた放射性毒物が致命的だった。

 このところずっと、夜は眠れない。自衛隊病院は建物が非常に古いから、居心地は快適ではなかった。

 今、オレはもうほとんど無感情だが、ひとつだけ嫌な知らせがあった。同僚と思って死を悼んだ銀行のガードマンは偽物だった。「遺書」を託されたはずの娘は実在しなかった。奴が、本物のガードマンから制服を奪った素性不明の男だったというのは気持ちの悪いことだった。

 日々、死の予感が強くなる。体調の悪化もあるが、厳しいはずの駐屯地警備の隙を突いて、毎日奇妙な紙切れが届く。某国の文字で何か書いてある。内容は知りたくもないからすぐに係官に渡している。
 同じように、病室の固定電話には日に何本か、某国の言語による怪電話の入電がある。発信元はインターネットで、世界中のサーバーをコンマ数秒ごとに変えて経由しており、対策は難しいと誰かが言っていた。怪電話が嫌であれば回線を撤去するというが、この固定電話だけが外界へオレが発信する唯一の手段だから残してもらっている。なにしろ正確な現在地すら知らされていない。情報源はテレビだけが許されている。スマホやネット環境はオレの命をピンポイントで狙う踏み台にされる危険性が高すぎるということで、持てない。

 医務官と看護官は最善を尽くしてくれたと思う。死ぬ前に君宛の手紙を書いて、託すつもりだ。

 これを君が読んでいる頃には、オレはもうこの世に居ないが。

君へのお詫びについて

 もう、君に会える機会は絶対にない。だからこの手紙を書いている。

 同僚からも会社からもオレは疎まれてきた。自己流の正義、つまり他者を顧みない独善のことだが、これのせいでオレには友達がいない。

 ガードマンに期待されているのは犯人逮捕でも事件解決でもない。単に、ただ追い払い、被害を食い止めることだ。

 民間人であるガードマンが犯人を現行犯逮捕すれば、事情聴取や実況見分のため、警察に出向かなければならない。

 オレが非番の日をつぶしてすむ程度ならよかったが、オレは長年、自分のシフトに穴を空ける事態を招いてきた。空いたシフトの穴は他の誰かが埋めなければならない。それは誰かの3連勤、4連勤、5連勤を意味する。当然、家庭や健康が犠牲になる。そして会社の上層部は面倒な書類を大量に書いて役所に提出するハメになる。だからオレは警備会社内では厄介者だった。

 オレがこの仕事を選んだのは警察官になれなかったせいもあるが、多分、子供の時の記憶のせいだ。いつも街のあちこちに警備会社のステッカーが目立っていたし、巡回する車もよく見ていた。ガードマンは会社員なのに、警察みたいな仕事をしている面白い職業だと思った。子供の時、警察よりは身近で頼れる存在だった。

 今の警察官はいつも動画に撮られてネットに晒されている。複雑で矛盾するような法令の順守を即座に厳密に求められる。だから、法学部を出るくらいの頭はないと採用試験に通らない。オレは公立大に受かる成績は取れなかった。低ランクの私大でいいから大学に行きたかったが、両親に金は無い。教員から、大学卒業後に返す奨学金――つまりは借金――の総額を聞いた。オレは大学と警察をあきらめ、地元のアルセントコムに入った。

 東京オリンピックを前に、政府の国策で大手の警備会社3社を統合した「アルセントコム」は、最初は普通だった。
 だが、オリンピックや相次ぐ国際イベントで、膨大なガードマンを文字通り使い捨てにしたため、社の評判はヤバいことになった。
 株価は地に落ち、倒産も危ぶまれた。元ガードマンの犯罪が絶えず、現職のガードマンも犯罪に引き込まれた。

 もちろん国は手を打った。優良企業に戻るよう国から命じられた新生アルセントコムは奇策に出た。
 まず現業のガードマンを全員「子会社」の契約社員にして給料をカットした。離職者が大量に出たが、根っからの社畜体質の奴は残り、まっさらな新人が大勢入った。現業部門の幹部は優遇し、それは警察OBや自衛隊OBのポストにした。その上の経営陣は皆メガバンクから迎え入れた。これで犯罪などという大それた考えを持つ者は皆無になった。
 実際、ヤバいことが起きても報道されなくなった。仮に報道されても「業務委託会社」の「元」「契約」社員による犯行と弁明できるようになった。投資家は親会社しか見ない。アルセントコムの株価は回復した。

 オレは、結婚後、前から何度も告げていたオレの年俸総額が、本当に本当の金額だったと知った君の顔を忘れない。笑顔を失くした君は去った。

 それ以来、給与明細はいつも破って踏みつけて捨ててきた。

某パチンコ店殺人事件について

●平成35年4月某日深夜

 アルセントコム社・首都方面本部。
 セキュリティーサービス部・緊急対処課。
 それがオレの所属部署だった。

 夜の街は昼と違う。闇を支配するのは悪徳と残虐だ。

 今夜も緊急出動が入った。サイレンを鳴らし、赤色灯を回し、警報元である某パチンコ店に急行した。

 現場に到着したオレは、方面本部のサーバーが自動で送ってくる情報を社用スマホで受け取った。回線が細く、なかなか全データを受信しきれない。これにはいつもイライラさせられた。アルセントコムが自社保有・自社専用と誇る通信網は、市場万年最下位の倒産直前の零細SIM会社を買収しただけのものだった。

 ようやく全データを受信し終わり、オレはゴム弾を発射するガス銃を構え、店の通用口前に到着した。

 ドアロックが破壊されていた。

 侵入事案現認として方面本部のサーバーに送信。「付近の警察隊の到着まで5分程度」との自動応答がきた。この予想時間はいつも嘘だ。AIの設定がおかしいのか、わざとそうしてあるのかは知らない。多分、その両方だろう。

 だから今回もオレは警察隊を待てなかった。それにいくら会社から処分を受けても、身の危険は大歓迎だった。君はもういなかったから。

 スマホで建物の図面と自分の現在地を確認。単身、奥まで進み続けた。

 金庫室前の廊下に一人倒れていた。目を凝らすと頭部がなかった。よく確認した。以前、オレは首無しマネキンの不法投棄を通報してしまった事があった。その時の「死体」は、不法投棄の等身大ドールだった。だが今日は本当の死体を目の前にしていた。切断面からは血管や骨、肉の生々しい赤黒い形が見えた。天井まで血が飛び散っていた。

 オレはこの恐怖を歓迎した。

 最後まで突入すると決め、金庫内を確認した。開放されたままの金庫内には硬貨が僅かに残っていた。
 他にも何か目に触れた。切断された足や腕や指が無造作に床にばらまかれていた。

 間もなく2体目の死体を発見した。
 正確には胴体だけ、部屋の奥に寝かされていた。オレは天井の音に気付いた。人の動く音がする。まだ犯人がいた!

 オレは身震いして建物の外に走り出た。そこらの錆びた鉄製の何かを使って、通用口が物理的に絶対開かないようにした。

 窓はないから、後は正面入口を抑えればいい。オレは正面入口で鎮圧銃を構えた。
 出てくる者を見たら撃つ。

 警察隊の到着が予定より遅い。いつもこうだ。今夜もあちこちで暴力事件が多発しているに違いなかった。

 さっきの通報から20分、ようやく警察が到着して突入した。

 武装小隊による突入。

 オレは警察の指揮官と会話をして会社の名刺を渡し、再び夜の街のパトロールに戻った。後は警察の仕事だ。オレは出頭指示を待てばいい。シフトに空いた穴を埋める奴には申し訳ないが……

 オレには有害な重金属のような、ひどく苦い記憶だけが残された。


 このパチンコ店殺人事件の記憶には続きがある。後日の事情聴取の場で、初めて警察が事件の詳細を一般人側――オレ――に教えてくれた。
 担当捜査官の話では、パチンコ店に残っていた犯人は露製のAK47で弾丸の雨を警察隊に浴びせたという。体に巻いた爆発物に点火して自爆しようとした。よって警察隊は犯人を射殺。

 情報の流れはいつもオレから警察への一方通行だった。事件の詳細を聞けたのは初めてだった。

現金輸送車強奪爆破事件について

●平成35年8月某日深夜

 この日も、オレは公立校のパトロールをしていた。ドラッグとセックス。今晩だけで校内から3組を追い散らした。この程度をまともに相手にしていてはパトロールが終わらない。オレは「暴力がなければ許す」という自分のルールに従っていた。

 オレはとにかく、巡回中に目にする少年らのイジメやリンチだけは許せなかった。リンチの光景を見ると頭の中でひどい頭痛がするから、やるしかない。特殊警棒でイジメ側を徹底的に叩きのめす。敵の人数が多ければゴム弾で撃ってから近付いた。骨折させることもよくあった。

 鎮圧銃はいいアイテムだったが、特殊硬質ゴムも充填するガスも価格が高いから、弾の支給は少量だった。だから頼みは警棒だった。会社支給の警棒は乱戦になると折れて使い物にならなかったから、オレは自分で同型の警棒を買っていた。米国メーカーのコピー品だが鋼鉄製で出来も良かった。見た目は支給品そっくりで、誰にもばれなかった。逆持ちで鍔部分を足に打ち付け、腱や筋を切ってやったこともあった。この時はさすがにやりすぎたと思ったが、相手の少年がリンチ殺人の常習犯だった事が捜査で分かり、警察からは咎められなかった。極悪少年の親が訴訟を起こしたから、会社からはひどく怒られた。

 オレは自分の衝動に支配され、理性や正気というものを失くしていた。制服と赤色灯、鎮圧銃と特殊警棒がオレの全てだった。この頃はまだ君への感傷が残っていた。

 徒歩巡回からパトカーに戻ったオレがやることはまず、装備品が全部揃っているかの確認だった。装備点検の次は鍵束の総点検だ。鍵を失くすことはクビを意味する。

 オレの耳に怒鳴り声が響いた。急にインカムに方面本部からの音声通話が入った。オペレーターではなく当直幹部の怒声。つまり、差し迫った緊急事態だった。

 下命直後、オレは深夜の都立高をサイレンと共に飛び出した。

 赤色灯が闇の街を照らした。

 知らされた事件の内容は次の通りだった。現金輸送車の1台が行方不明になっている。臨時集金依頼のあった金融機関(某国信用組合)から発車した以降、連絡がとれない。輸送員2名の社用スマホは切られ、定時連絡も無い。

 オレは勘であたりをつけてパトカーで走り回り、なんとか現金輸送車を発見した。
 輸送車は都内の某環状線を高速で走行していた。
 後方から慎重に接近した。非常警報は発信されていなかった。この警報がないだけで、アルセントコムの当直幹部は自社の社員による現金持ち逃げ案件だと決めつけていた。
 オレは輸送車の横にパトカーを付け、速度を合わせて併走し運転席と助手席を見た。彼らの視線は前を見つめたまま、表情は氷のよう。
 顔は悲壮と恐怖に歪んでいた。当直幹部が心配した持ち逃げなどではないのは明白だった。
 オレは車内の輸送員となんとか直接コンタクトを取りたかった。
 オレは一般車をよけながら助手席の隊員に注目した。窓に押し当てられた紙が見えた。

 《中央へ》

 オレは理解した。行き先は中央警察署だ。ある仕組みにより、現金輸送車は決められた場所以外では輸送員の乗降も貨物室の開閉もできない。例外は警察の敷地内だけだ。

 次の瞬間、オレの頭に焼けるような強烈な痛みが走った。タブレットも車載PCも焼けただれ、火の手が上がった。電気系統が焦げているらしく、黒煙が噴き出し激しい咳に襲われた。窓もドアも動かない。頭の中と眼球が煮えるような奇妙な痛みを感じた。まるで電子レンジの中にでも入れられたように体内から激しく加熱していた。後から知るが、これは犯人の放った電磁波のせいだった。

 オレの乗るパトカーと追う輸送車は、すでに中央警察署の目前だった。警衛の武装警官の姿が迫ってきた。直前の交差点内で、ようやく輸送車のハイジャック警報が作動した。耳を切り裂くサイレン音、眩いフラッシュ発光の連続、大音量の合成音声。

 《この車は盗難車です。110番通報してください。繰り返します……》

 すぐに輸送車のフラッシュライトが破裂し、サイレンユニットからは煙が上がった。
 中央署の警官が脇へ飛び退き、夜間閉鎖中の署のゲートが僅かに開き始めたように見えた。だがこの状況だ。すぐ開けるのを中止するだろう。
 重い鋼鉄のゲートにぶつかれば輸送車の大破は免れない。輸送員の2人は間違いなく死ぬ。

 死ぬならオレがいい。

 オレは反射的にアクセルを踏みこんだ。大昔に警察から払下げられたレガシィB4のターボは死んでいなかった。怒れるツインターボが牙を剥いた。オレのパトカーがゲートの先端部に激突し、オレとパトカーは空中に弾き飛ばされた。ゲートがレールを外れ、輸送車が通れるスペースができた。輸送車はその僅かな隙間をすり抜け、警察庁舎前の防災広場に突っ込んだ。死が迫ったせいだろう、その時のオレには全ての光景がスローモーションに映った。パトカーは映画のように回転し、屋根から地面に落ちた。現金輸送車の運転室の左右のドアが開き、輸送隊員が地面に落下するのが見えた。オレはシートベルトを脱出用カッターで切り裂いて、潰れた車内から急いで這い出した。ガソリンの匂い。電気が火花を散らす音。直後、現金輸送車から爆発音が鳴り響いた。走りながら振り返るオレの目には巨大な炎が映った。火柱の高さは警察の庁舎ビルより高かった。

 放水車が火柱を取り囲み、四方から放水を始めた。すぐに水が炎に勝利した。

 消火作業が終わり、車内検索が始まった。後部貨物室から、焦げた人型のようなものが何体もひきずり降ろされた。
 2人の見知らぬ同僚は濡れた地面に横たわっていた。オレは輸送隊員らの遺体に這い寄った。2人とも明らかに息絶えていた。

 死んだ2人は市民を護るという職務に殉じた。官民すら関係なく。親会社の看板だけを背負わされた別会社の契約社員という底辺においても。

 オレは2人の遺体の前で直立不動の姿勢をとり、無言で敬礼した。それに気付いた周囲の警察官が何人か、オレと同様に彼らに敬礼してくれた。ありがたかった。

 そうこうしているうちに現場には全身を防護服で包んだ新たな部隊が到着し、除染作業を始めた。多分爆発で生じた有害な何かを除去しているのだろう。それからはドラマのように鑑識班が展開して捜査が始められた。

 鑑識の邪魔になる位置にいたからだろう、オレの腕を乱暴にグイッとつかんだ年配の刑事が言った。
 「全く、ムチャしやがって。民間人のくせに……」
 オレにはその言葉に反発を感じる力さえ残っていなかった。オレは倒れ込み、その刑事に抱き抱えられた。


 これにも後日談がある。いつ終わるとも知れない事情聴取や実況見分の、確か10回目を超したくらいの日に、警察のエライサンが言った。
 「死んだ警備員2名は勇敢だった。君もよくやってくれた」
 輸送車内の監視カメラ映像に惨劇が残っており、数カ月かけてデータを復元できたという。
 警察のエライサンが続けた。
 「敵は貨物室に4人潜んでいた。君の会社の輸送員は某国の兵士に殺された。臨時に呼び出された金融機関、つまり某国による某国のための信用組合のことだが、そこで積まされた貨物がゲリラ兵を収めたジュラルミンケース4個だったのだ」
 オレはぞくっとした。
 エライ人が続けた。
 「もちろん民間人に見せていい動画ではないんだが、私は君が気に入った。映像の内容は絶対に口外するな。もし他の捜査員やアルセントコムの上司に何か聞かれても、私は何も見せなかったからな。意味は分かるか?」
 オレは頷いた。映像はゾンビ映画かホラー映画のようだった。
 貨物室の4つのジュラルミンケースが開き、中から全身黒の人影が出て、まずナイフで刺し合い、殺し合う。肉弾戦だ。刺す。切る。潰す。砕く。勝者の2人が決まる。勝者が敗者の肉体を切り刻む。
 「某国の特殊部隊だ。彼らは普段からこのような訓練をさせられているのだ」
 映像は続く。仲間同士の殺し合いを生き残った者がバズーカ砲のような武器を四方八方へ向ける。そのたびに画像に激しいノイズ。
 「軍事用の電磁パルス砲だ。ただし、質の劣る模造品で、だから君は助かった。英国製の初期モデルを中国政府の高官が闇市場で個人的に入手し、部下に複製させたことを某国が嗅ぎ付け、これを買ったものだと分かっている」
 最後は2人の某国兵士が爆薬のリード線に点火し、お互いに同時に首にナイフを突き刺し合い、えぐってから引き抜いた。
 映像が終わった。
 「某国による我が国の混乱を狙ったテロ行為という結論で、警察庁と他のインテリジェンス各機関が合意して内閣に報告した。君の行動がなければ、中央警察署の庁舎は甚大な被害を受けていただろう。あそこには本部隊の出先機関もたくさん入っているんだ。大勢が助かった」

 この言葉だけが、オレの報酬だった。
 だが、それでいい。

某メガバンク支店内大量虐殺事件について

●平成35年11月某日正午

 この月は気温の差が激しかった。おかげで異常をきたすATMもヒトも多くなり、トラブル対処の出動が多くなった。

 指定区域を予備巡回中だったオレは、方面本部からの指令を受信した。

 今回は派遣警備課からの応援要請の転送だった。

 派遣警備課というのはその名の通り、契約先に常駐のガードマンを派遣する部署だ。
 遠隔警備による緊急対処契約ではなく、普段から常駐するガードマンを置くというのはかなり金がかかる。だが客は金を節約したいし会社は利幅を最大に取りたい。結果、実際に詰めるガードマンは別会社の臨時社員となり、支払われる給料は法定時給以下となる。つまり、派遣警備課は手配をするだけの、実働部隊を持たない部署だ。

 オレは管轄外の、指示されたメガバンクの支店へ急行した。そこの常駐ガードマンからSOSが発信された。定時報告の中に緊急事態を知らせる暗号があり、コードA――既に死亡者有り――だった。方面本部は「警察隊に出動要請済み」と付け加えてきた。

 ◯◯銀行◯◯支店は繁華街にあった。気付かれずに接近したい。サイレンを切って、少し離れたコインパーキングへ駐車する。裏通りを走って銀行へ向かった。

 営業中のはずの銀行支店のシャッターが全部降りていた。立てこもり犯の常套手段だ。

 だが担当外の銀行なので、通用口の鍵も無ければセキュリティーのパスワードも知らない。この状況を方面本部に報告したが「担当の対処員は別件のクレームに長時間対応中で、連絡が取りにくい。ついては現場待機するように」との指示だった。

 待つだけ。今回こそ警察を待つべきだ。だが今回も理性より衝動が勝った。死の匂いに誘われた。強毒性の青酸カリはアーモンドの匂いがすると聞いたことがある。

 オレは銀行外壁の監視カメラに死角から接近し、片っ端から特殊警棒で叩き壊した。

 銀行の隣は古い雑居ビルだった。小汚い雑居ビルというのは管理が甘いことがある。オレは階段を駆け上がり「立入禁止」のドアに手をかけた。無施錠の手応えがあった。オレはビル屋上に走り出た。オレは隣接する銀行ビルに飛び移り、屋上を走った。さすがに銀行ビルの屋上ドアは施錠されていた。中に入れない。見回すと、古びたトラロープが放置されていた。昔の工事業者の忘れ物だろう。トラロープだから、耐荷重性は無いに等しいがロープには違いなかった。

 真下の階の様子は、隣の雑居ビルの窓ガラスへの反射から、ある程度観察できた。
 見る限り、真下の5階には誰もいなかった。

 そこでオレは映画で見た突入部隊のマネをすることにした。
 オレはロープの片方の先を鉄柵に縛り付けると、もう片方のロープの先を手に巻き付けた。柵を乗り越え、痛んだロープを命綱に、ビルの外壁を降り始めた。訓練なしの本番だったが、自分を窓の前まで降ろすことに成功した。無感情で恐怖がないから冷静にできたのだろう。
 窓ガラスを蹴り割った。靴は米軍用ブーツのS級コピー品。上野で買って履いていた。鋭く残った破片を中に蹴り飛ばし、室内に入る。鉄芯の靴先がガラスを砕き、特殊ゴムの靴底が、鋭いガラスからオレの足を守ってくれた。高い買い物が、これで無駄でなくなった。赤貧の生活の中での正しい投資がオレの命を救った。

 5階フロアは元会議室のようだ。

 ほとんど使われていないようで、部屋の真ん中に古びた固定電話が床に直置きされていた。壁際には錆びたパイプイスと長机が山積みされていた。

 4階。

 ここも人の気配は無い。このビルは外だけ新しくリフォームされていた。外見は新しいが、建物内は不気味なほど異様に古かった。

 3階。ここは行員の休憩室やロッカールームがあるフロアだった。

 薄暗い階段を駆け降りるオレの背後でスプレー音がした。液体が首にまとわりついた。
 猛烈に痛い。視覚が歪んだオレは必死に目の焦点を合わせた。目の前に刃物を構えた敵がいた。刺される直前に数発撃ち、敵はうめきながら倒れた。ガス銃のゴム弾だが、目に直撃したらしい。相手がナイフを落とした。オレは特殊警棒を振り上げ、敵の頭めがけて力尽きるまで殴った。

 相手の頭は割れ、血が吹き出していた。敵は身も凍るような恐ろしい声を上げた。敵の猛獣のような戦闘意欲が少しも失われていないことに、オレは真の恐怖を感じた。鉛のような味の口内の血だまりを飲み込むと、敵のナイフを素早く拾い、心臓へ数回突き刺した。敵の胸から血が飛び散った。

 敵はようやく息絶えた。敵は死んだ。オレは人を殺した。オレも死ねば行き先は変わらないはずだ。

 よろけながら2階へ向かった。2階からは内装が見違えるようだった。豪華さと清潔さ。ここからは客用のフロアだった。

 2階は富裕層を接客するフロア。人影は皆無だった。SOSを送ってきたガードマンは1階のロビーにいるはずだが、1階への階段は封鎖されていた。銀行の防犯設計が裏目に出た。上階から1階への経路は全て使えなくされていた。 

 間抜けにも、客用エレベーターに乗って降りるしかなかった。電源は落とされていない。これは敵の罠以外、有り得ない。
 だが他に方法はないので乗り、着いた。ドアが開いた。
 《チーン》
 昔のエレベーターの古臭いベルが鳴った。昭和の遺物だった。
 オレは敵の銃弾を浴びるか、爆弾でバラバラに飛び散るのかのどちらかに違いなかったが、どちらでも大差はない。

 だが、何も起きなかった。
 銃撃も爆発もなし。
 客側ロビーを調べる。
 誰もいない。

 カウンターを飛び越え、行員のいる営業場を調べた。そこには惨い、大勢の死体が横たわっていた。
 近くから声がした。ハッとして臨戦態勢をとると、銀行カウンターの下に血だらけでうずくまるガードマンの姿があった。
 SOSを発信した当のガードマンだろうか?
 変装した敵か?
 だが、男は弱々しい声しか出せなかった。
 「……自分は、マンパワー・サービシング社の常駐員です……」
 それはアルセントコムが作った、最低時給すら払わない子会社の名前だ。オレは虫の息のガードマンに声をかけた。
 「すぐに警察と救急が来るから、耐えてくれ」
 「死ぬ前に報告を……突然、正面から全身黒づくめの集団が乱入し、まず私が刺されました」
 腹立たしいことに、マンパワー・サービシング社は丸腰の警備員を配置していた。臨時社員には警棒もガス銃も持たせられないというわけだ。
 「……行員さんが次々に殺され、ロビーのお客さんと2階のお客さんが全員トラックへ詰め込まれていきました。男たちもそのトラックで去りました。賊が一人だけ残り、私の喉元にナイフを突き付けました。そいつをなんとか説得して送った定時報告にSOS暗号を入れました。あなたが突入してきたことに気付き、奴は猛烈に怒りながらいなくなった」
 では、その男がオレを襲った敵に違いなかった。
 彼は息を引き取る間際に言った。
 「娘に、これを」
 遺書をオレに渡すと、眼前のガードマンは微笑んで死んだ。名は聞けなかった。
 だが、手紙の最初で書いたように、この男も犯人側の人間だったことが後で分かった。男は素性不明で、娘などいなかった。確かに冷静に考えれば、応戦する間もなく倒れたと言うのに、敵がトラックで客を連れて逃げたという情報まで知っているのは妙だった。本当のガードマンから制服を奪った後で、生きていた行員から致命傷を食らったのだろう。

 オレは警察隊の動向が知りたかった。銀行の固定電話で方面本部に問い合わせた。アルセントコム社は電話を直接、外の警察指揮官につないだ。

「君は△△君か」
「そうです」
 オレは警察指揮官に氏名を言われたことに面食らった。が、よく考えれば当然の本人確認だった。
「もうすぐ自衛隊のNBC部隊が、銀行の除染に取り掛かるそうだ。強い薬剤を使うらしい。君は今すぐ脱出しろ。屋上へ向かえ」
「分かりました」
 オレは死んだ同僚から遺書を預かっている(と、この時は思っていた)。遺族に届けなければならない。今は生きる理由がある。
 オレが屋上に飛び出すと、全身を黒い制服に包んだ男2名が本物の銃を向けてきた。死を覚悟したが、銃がすぐに見慣れたMP5と分かった。彼らは警察官だ。
「△△君か?」
「そうです」
「早くヘリに乗れ!」
 オレを乗せるとヘリは急いでビルから離脱した。入れ違いで陸自のヘリが四方から銀行ビルを取り囲んだ。
 銀行ビルは白い霧に包まれた。薬剤を噴霧していたのだろう。

 空はヘリで埋められていった。次々に防護服姿の隊員たちがビルの屋上に降下していった。
 地上には様々な緊急車両が終結し、世の終わりの様相を呈していた。
 立ち入り禁止線が銀行ビルからかなり離れたラインで張られていた。かなり広域に、市街レベルで封鎖されていた。

 オレの記憶はここで途切れた。心がほどけたのだと思う。オレを乗せたヘリは、どこかへ向かった。

緊急退避について

 政府はオレに新しい戸籍と過去、氏名をくれた。
 なぜか某国はオレを殺したくて殺したくてたまらないらしい。両親とアルセントコム社にはオレは病死したと伝えられた。

 さっき、敵は静かに訪れた。
 無数の弾が、オレが寝ているはずのベッドに降り注いだ。
 窓ガラスが粉々に砕ける音。穴だらけの白い寝具。舞い散る羽毛(贅沢にも、国が気を遣って、自衛隊おなじみの古い臭い寝具ではなく、市販の新品があてがわれていた)。こういう事態を予期していたオレは、夜は必ずユニットバスで小さく丸まって寝るようにしていた。
 状況から、明らかに敵は広大な陸上自衛隊の駐屯地へ侵入できているようだったから、オレなりの対策方法だった。オレの個室のユニットバスは直近の増築だから、少し古い図面には記載がないはずだったから、そうしていた。加えて、オレはユニットバスまで電話線を伸ばして枕元に電話機を置いていたから駐屯地司令に通報ができた。これが役に立った。すぐに駐屯地内の非常警報が鳴り、迷彩服の一団がオレの個室ドアを蹴破って入ってきた。幸いなことに、彼らは味方側だった。もう、死ぬ直前まで、誰が敵で味方か分からないと痛感した。

 救出部隊に連れられたオレは兵員輸送車に叩き込まれた。

 3台が慌ただしく基地を出発した。編成は兵員輸送車の前後に警務隊のジープ。

 狭い車内。オレを挟んだ両脇の自衛官は無言。

 しばらくして、向かい側に陣取っていた威圧感ある男が言った。階級章によれば彼は陸曹長。まあ、偉い人だ。

「君を狙った敵の一味は警備隊が射殺した。申し訳ない。看護官の一人がスパイだった。裏切者は死んだ。許してほしい」

 彼はそれ以上言わなかったし、オレも聞く気はなかった。
 車はオレを乗せて、新たにどこかへ向かっている。兵員輸送車というのは良く揺れる。ノートに書き綴るのが困難だ。

 陸曹長が筆記をやめるように合図してきた。従うことにする。この手紙は眼前の陸曹長に託すつもりだ。だがこの情勢下で君に届くかどうかは正直分からない。文中で、君の名を出して呼べないのが辛かった。

 いつまでも、お元気で。

 さようなら。

そのジャスティスはアーモンドの匂い

――陸曹長はこの手紙を直ちに上官に託し、受け取った某陸佐は手紙が確かに届くように取り計らい、回送した。しかしこの手紙は極秘回送中のどこかで消えてしまった。おそらく、内容を危惧した誰かによって回収されてしまったのであろう。我が国は、生き残りの為に今日も死闘を尽くしているからである――

そのジャスティスはアーモンドの匂い

――宛先に着く前に消された手紙――

  • 小説
  • 短編
  • アクション
  • ミステリー
  • ホラー
  • 青年向け
更新日
登録日
2022-09-02

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

Copyrighted
  1. 現在の体調について
  2. 君へのお詫びについて
  3. 某パチンコ店殺人事件について
  4. 現金輸送車強奪爆破事件について
  5. 某メガバンク支店内大量虐殺事件について
  6. 緊急退避について