『1』

利用者M

ていねいに埋葬した記憶に、もう会えないの。
わたしがさびしく思ってそう言うと、黒い猫は笑った。
それで良いんだって、笑った。


あなたにはまた会える?
黒い猫へわたしは問う。
彼はわたしをまっすぐ見返す。
……よそ見をしなければ。
そう言いきって、するどいまなざしで彼は夜を駆けた。


わたしはあわてて彼を追いかける。
しなやかに動く黒い影を見落とさないようにしながら。
彼は少しふりむいて、わたしを見ると、また前を向いて走る。
彼の銀色の目にはなにが映っているんだろう。
気になった。
わたしは必死に、ゆれる黒いしっぽを追う。
冷えきって埋葬した、もう会えない記憶。
それに、さようならを告げることさえ忘れたまま。


黒い猫は、ふいに笑った。
わたしがふしぎに思っていると、彼ははっきりと言った。
後ろをふりかえっても、足もとを見ても、夜空を見あげても、おれはいないからね。よそ見をして、ころぶなよ。
わたしはわかったと返事をしてから、彼に聞いた。
……ね。もし、ころんじゃったらどうしたらいい?
黒い猫は前だけを見たまま答えた。
その元気な手足で、自分自身をささえて、また立ちあがれ。できるだろ。
うんと答えると、彼は、良い返事だと笑む。
そのまま迷いなく進んでいく黒い背中を見失わないように、わたしは目をこらした。
ふたりで駆け抜ける真夜中を、忘れたくないなと思いながら。

『1』

『1』

わすれられないの。

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2022-09-01

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