ふたごの世界
ふたごがわらってる。
あのこは、わたしたちの町の水族館に、シャチがいないことを、ふまんに思っていて、テレビのなかの、芸能人みたいなアナウンサーは、きょうも朝から、にぎやかしかった。
白桃のコンフィチュールを、トーストにぬって、あのこがコーヒーを淹れているあいだに、ふたごはベランダから、海をみていた。朝焼けを描いた、絵画のなかにいるみたいだと、ふたごのせなかを時折盗み見ながら、思った。だれかが、だれかを騙して、刺して、脅して、傷つけてというニュースが蔓延る、この世の中の、うつくしい一面というのが、いかに貴いかを、景色に溶けこんでいるような、ふたごのうしろすがたに感じていた。
にんじんのポタージュをあたためなおし、わたしは、きょうはとなり町に、シャチをみにいこうかと、あのこに言った。あのこは、コーヒーをはんぶんほど注いだ、じぶんのマグカップに、砂糖と、牛乳を入れながら、うん、あいにいこう、と、しっかりとうなずき、こたえた。あのこにとって、シャチは、みにいく対象ではなく、 あいにいく存在なのだと思いながら、ベランダのふたごがたてる、かろやかなわらいごえを、きいた。
ふたごの世界