リプ待ち。

 朝。
 そろそろ起きないとなあ、とベットの上でもぞもぞしながら俺はゆっくりと体を起こした。
 あくびを連発する中、手に取ったスマホを見ると六時半を少し過ぎたところだった。やった、アラームなる前に起きれたじゃん俺。内心ガッツポーズをキメつつも、アラームが鳴るまでの残り十分くらいはもう少し寝れたかな、とちょっと残念気味にも思えてしまうのだった。
 しかし起きたからには、会社へ行く準備をしなければならない。
 スマホの画面をもう一度確認する。通知は特に何も来ていなかった。

 電車に揺られながら、片道四十分程度の道のりをスマホ片手に過ごす。最近は、朝の乗客数が通常よりもやや減少気味だ。学生たちは春休みを過ごしているから、というのもあるだろう。車内へチラリと目配せして、俺はスマホの画面を見つめる。ニュースをざっと眺めたり、SNSで気になるつぶやきや投稿を黙々とチェックする。
 そういえばあのゲーム、来週発売日だったか。予約まだ入れてなかったから、今日の内にでもやっておかないと。ああ、あの漫画雑誌は今日発売日だから、昼休みにでも会社近くのコンビニで買って読もうっと。
 そんなことを頭の中で考えている内に、会社の最寄り駅へと電車は到着する。降車して、人の動きの流れへ添うように歩みを進める。エスカレーターに乗ったところで、通知欄に新着のリプライが表示された。オンラインゲームの仲間からだった。
 “おはよん、ぴよたま。FWの新作ゲーム、予約もう入れた? あれ、店舗限定の特典付くそうだけどチェックした?“
 おっとそれは見落としていたぞ、ありがたい情報だ。
 ちょうどエスカレーターから降りたところだったので、ゲーム仲間への返信は会社に着いてからにしよう。
 今朝、通知が来たのはこのゲーム仲間一人からだけだった。

 昼休み。
 朝一で想定外のタスクをブッこまれ、社内で慌てて対応している内に怒涛の勢いで午前は過ぎ去っていった。
 午後一時を過ぎて、俺はようやっと会社の外に出た。すっかり腹ペコである。
 昼飯は毎日コンビニ飯。その日の気分で適当に目についたものを買って、社内の共有ラウンジで一人食べる。今日はおにぎりやホットスナック、あとはエナドリ一本。そして、いつも買っている月刊漫画雑誌を一冊。
 会計をレジで済ませる際、レジ脇に置いてあるアクリル製の募金箱に目が行く。被災地復興募金、と書かれていた。
 じゃらん、と。
 俺は、受け取った三百円ちょっとのお釣りをそのまま全て募金箱の中へと入れて、コンビニを後にした。
 社内の共用ラウンジは比較的静かだった。どちらかというと、各フロアにいる内勤の女子たちが十一時ないし十二時台に集まってきてわいわいとおしゃべりしながらお昼ご飯を食べるということもあるので、午後になるとその賑わいは少し収まる。
 空いている席に座って、おにぎりを片手に俺はスマホをいじる。ゲーム仲間からは、ありがたいことに店舗限定の特典アイテムの詳細を教えてもらえたので、この昼休みの内にネット経由で予約を行った。これで来週には新作ゲームが確実に手に入る。
 引き続きSNSを眺めていると、パーテーションで区切られた向こう側からおしゃべりする声が聞こえてくる。女性二人の声だった。
「……へえ、じゃあみゆきちゃんは震災があった日はこっちにいたんだ?」
「うん。春休みだったから授業とかも特になくて。近所へ買い物に出かけてる途中で揺れがきたって感じだった」
「そっかあ。私の友達の一人が、東北出身の子でね。あの日に津波があったでしょ、それで親戚の何人かが津波に巻き込まれて行方不明になっちゃって……」
「ご親戚さんは今も見つかってないの?」
「うん。……あれから十年も経つんだけどね」
 十年。
 その言葉に、俺はスマホを操作する手を止めた。一瞬何も考えられなくなってから、ふと窓の外を見た。雲一つなくすがすがしいまでに晴れ渡った青空は、ここ何年かの間に建てられた新しい高層ビル群によって四角く切り取られていた。

 この日は特に残業もなく定時で仕事を終えた俺は、帰り道の間に書店に立ち寄ったり夕飯の買い物をしたりした。近所のスーパーでは、惣菜パックをいくつか買い物カゴへ放り込んだ。まだ弁当や手作り惣菜などの在庫はたくさんあって、買い物客たちがうろうろとしながら販売コーナーを眺めている。割引になるにはまだ早い時間帯だけど。
 お酒のコーナーではいつも飲んでる安い缶ビール一本と、普段はあまり買わないちょっと高めの缶ビールを一本手に取った。レジはどこも会計待ちの行列が出来ていたので、俺は並んで大人しく待つことにした。
 待ち時間の合間に、スマホの画面を点灯させる。通知は特に何も来ていなかった。

 自宅へ帰り、俺は買ってきた惣菜や缶ビールを袋から取り出して居間のテーブルの上に並べた。台所からは箸を一膳とガラスのコップを持ってきた。お腹も空いてるし、とっとと食べてしまおう。
 と思ったら、スマホに通知の表示が出たので俺は反射的に画面を覗き込んで確認した。なんのことはない、いつもフォローしているSNSアカウントからの新着情報を告げる内容だった。
 俺は思わずため息をついてしまった。なんだか急に、気が滅入ってしまった、というか。
 それからアプリを操作して、とあるアカウントを表示させる。アカウント名は、ふんわりヤマタカ三号。手描きと思われる、アホ毛がぴょこんと伸びた可愛らしい少女のカラーイラストをアイコン画像に設定している。最後のつぶやきは、十年前の今日で止まっていた。
 大きな大きな震災が起きた、あの日だ。

 ふんわりヤマタカ三号とは、十五年ほど前にSNSを通じて知り合った。向こうが俺のアカウントをフォローしてくれたことがきっかけだった。俺もフォローバックをして、リプライ機能で短い会話をやりとりする、ということを続けていた。
 知り合った当初、俺は大学入学のために上京したばかりだった。親元を離れて初めての一人暮らしがスタート。入学後は毎日講義がみっちりとスケジュールされていたこともあって多忙を極めていたが、それと同時にSNSでアカウントを作り共通のゲーム作品が好きなユーザーたちと繋がり始めた頃でもあった。高校時代の貯金の一部を使って新型のゲーム機を購入してゲームをプレイしていた俺は、ふんわりヤマタカ三号をはじめユーザーたちとゲーム関連のことで情報交換や攻略ヒントの共有をするなどしていた。学内でゲームの興味が合う人があまりいなかったこともあり、SNSでの交流は俺にとって大切な場となっていった。
 ふんわりヤマタカ三号は、毎朝「おはよ〜」と呟いて一日を始めていた。ゲームプレイで難しかったところや感想などを呟いたかと思うと、いわゆる神絵師が描いた美麗なイラストをリツイートしたり、またある時は自分で描いたと思しき鉛筆画のデフォルメキャラのイラスト画像をアップしたり。そこに俺が時々リプライを送っていた。
“イラストかわいい! いつも楽しみにしてます。“
“なんか照れるんですけど…“
“カラーの絵も見たい!“
“今度気が向いたらねー。コメありがと!“
 本当に、今思えば何気ない内容ばかりだったと思う。
 そんな感じで、俺は繋がりを持てたユーザーのみんなとゆるく交流し、ゲーム界隈で起きる様々な事象に対して時に同じくらいの熱量で盛り上がったり、時に同じくらいの下がり具合で落ち込んだりしながら、長く付き合いを持ってきた。
 俺は訳あって大学を一年留年しているのだが、留年が決まった時にそのことを呟いたら真っ先にリプライをくれたのはあのふんわりヤマタカ三号だった。
“あーーー単位がわずかに足りず留年確定ですやっちまった“
“どんまいどんまい。単位不足で留年したことあるから、お気持ちお察し……“
“そうだったのか…とにかく、今度こそちゃんと単位取れるよう頑張る”
“がんばれ!”
 ゲームとは関係ないところで、そんな元気付けてくれるような言葉もかけてもらった。ちなみに単位は翌年でなんとかギリギリ取れた。

 ユーザーのみんなは、年齢も、性別も、住処も分からない相手ばかりだったけれど、日常の中で付かず離れずの関係性を長年築けていた。
 そして十年前の今日、だ。
 いつものように、その日の朝に「おはよ〜」というふんわりヤマタカ三号の呟きがタイムラインに表れた。それから数時間して、「ちょっとそこまでお出かけです」という呟きが表れ、それから以後新しい呟きは表示されなくなった。翌日になっても、翌々日になっても、更新がされることはなくなった。
 震災当日、俺は大学構内にいたけど特に怪我などもせずに済んだ。揺れが収まった後にすぐタイムラインを確認してみたら、いつも見かける面々が「めっちゃ揺れた」「揺れ過ぎて酔いそう」「食器とか割れちゃって片付け大変だー」「みんな無事か!?」などという呟きが流れてきた。
 けれどもそこに、ふんわりヤマタカ三号だけが不在なのだった。俺はそのことに、帰宅した夕方頃になって気がついた。
 TVをつけたら、国営も民放もチャンネル全てが報道特別番組。日中に起きた大きな地震のことばかりだった。各地の震度や被害状況、ライフライン障害や交通網寸断の情報、そして津波発生について繰り返し、かつ矢継ぎ早に報じられていた。
 そんな様子に気圧され気味だった俺はタイムラインをまた確認してから、ふんわりヤマタカ三号にリプライを送った。最後に呟いた「ちょっとそこまでお出かけです」の呟きに向けて、だった。

“おっきな地震あったけど、そっち大丈夫だった?”

「……十年、かあ」
 そう言って、俺は買ってきたちょっとお高めのビールをプシュッと開けた。ガラスのコップにビールを注いで、誰にあげるでもなく、テーブル上のちょっと離れた場所に静かに置いた。きめ細やかな白い泡は、浮かんで間もなくふつふつとあっという間に消えていってしまう。
 あの日以来、ふんわりヤマタカ三号が呟くこともないし、そしてリプライを返してもらえることもない。俺と同じように、あの日に安否を伺うリプライを送っていたユーザーは何人かいたけれども、そのどれにも返事は書かれていないままだ。
 震災以降、俺はふんわりヤマタカ三号からのリプライが来ないかどうか毎日確認をしていた。心のどこかで嫌な予感や最悪の事態を想定しながらも、それでもやっぱり諦めることができなかった。ニュースで連日被災地について報道されるのを見つつも、それでもリプライが来ていないかどうかスマホで確認することをやめられなかった。
 俺は中身が半分ほど減った缶ビールを、ガラスのコップに近づけてコツンと当てた。
「俺もすっかりアラサーのサラリーマンだし」
 大学の卒論提出、卒業式、就職、昇進と俺は人生の節目を通り過ぎてきた。この十年の間に。
 もう十年? まだ十年? どっちなんだろう。
 あれからというもの、タイムラインで見かける面々も少しずつ変化していった。日々の呟きが少なくなっていく人、気がつくとある日を境に更新されなくなった人、アカウント自体がいつの間にか消えてなくなった人、変わらずに毎日呟いてはタイムラインに現れる人、など様々だった。もちろん、その一方で新たに増えたフォロワーたちがいるのも事実だ。ライフログ的な意味合いとして俺はなるべく毎日呟くようにはしているけど、仕事で忙しかったり疲れ切ったりしている時は浮上しない日だってある。十年の間に、自分の周囲だけでなく俺個人にも色々と変わったことはあるのだ。
 再度、スマホの画面を点灯させる。ふんわりヤマタカ三号の呟きはやっぱり更新されていない。十年経った今でも、あの日からずっと変わりはない。
「十年だってよ? なんか信じられないけどさあ……」
 明日も、この先も、このアカウントは変わらないままなんだろう。
 でも俺は、きっと来年の今日も同じことをしているんだと思う。ふんわりヤマタカ三号のアカウントを覗いて、かつてやりとりしたことを思い出しては懐かしんで、そしてちょっとお高めのビールをコップに分けてあげると思うのだ。願わくば、SNS上でまた昔みたいに語り合えることができるのならば、それはそれで本望なんだけど。

 その夜、待てども通知は特に何も来ることはなかった。
 こうして十年目の今日という日を俺は静かに過ごしたのだった。

リプ待ち。

リプ待ち。

10年という節目にあたって、2021年3月11日に即興で書いた作品です。※noteからの転載。

  • 小説
  • 短編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2022-08-17

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