夏風のワルツ
生きる意味ってなんだろう。
私は常々疑問に思っている。
私がここに居る理由はなんだろう。
私は常々考えている。
私は名古屋市にある超難関高校の3年生。学内での成績は大変悪く、いわゆる底辺というやつ。数学も物理も化学も、国語も苦手で、なにも取り柄がない。
中学生の頃は、定期テストで学年一位を取ることもしばしばだった。でも、高校に入ってすぐコケちゃった。一番初めに嫌いになった科目は数学。円順列とか重複順列とか、まるで訳が分からなかった。1年生の時でさえそんなだから、3年生になった今ではもう手の打ちようがない。サインの微分はコサイン、サインの積分はマイナスコサイン。そのくらいしか必要な知識を吸収できていないんだ。
こんなバカで何の能力もない私なんかに、生きている価値なんてない。
だって、いらないでしょ? こんな私なんか。大学は優秀な人材を欲しがるし、企業だって同じだ。大学進学するにしても、就職するにしても、私のような何もできない奴を合格させるわけがない。私は、いらない人間。私なんか、価値のない人間。
こうやってぐるぐるぐるぐる考え事をしていると、悲しくなってくる。過去に戻りたくなってくる。頭が良いと周りに崇められていた中学時代に。
つらい。ただただ、つらい。
ピコン!
スマホが鳴いた。私はゆっくりとベッドから起き上がると、携帯をチェックする。同じクラスの相河くんからのLINEだった。彼はもう引退したけどバスケ部に所属していて、運動神経もいいし、何より頭がいい。先月の校内模試の理系地理で、一位を取ったらしい。風のうわさできいた話だった。
彼は、文化祭でクラスごとにやる劇の監督を務めることになっている。有能で、明るくて、私とは正反対の人。真っ白でピシっとアイロンがかけられた制服がよく似合っていると、私はいつも思っている。
「前回のホームルームで話した通り、うちのクラスの劇の脚本は手作りしようと思っています。他のクラスとの差別化を図り、集客を増やすことが目的です。脚本のメンバーをなる早で決めたいので、入ってくれる人は、個チャで連絡してください。」
やってみたい。
私はそう思った。
でも、脚本なんて、書くどころか見たこともない。ドラマを観ることは好きだけどこれは劇で、しかも創る側。
「自信ないなあ……」
未知の領域に突入するなんて、緊張する。やりたいなんて思っちゃったけど、私なんかには無理だ。やめとこう、やめとこう。
いや、でも!
なんで急に考えを変えたかというと、私の知識が役に立つかもしれないから。もし脚本づくりでみんなの役に立てば、私は有能とまではいかなくとも、無能ではないと証明できる。自分のためでしかないけど、証明できれば、私は毎日ぐるぐる考え込むばかりの生活から脱することができるかもしれない。
私は勇気を振り絞り、相河くんとの個チャを開いた。まだ何も会話したことがない、真っ黒な画面。私は一文を打ち込む。
「脚本班入りたいです。」
既読はすぐについた。ピコッとスマホを鳴らしながらメッセージが私のスマホに表示される。
「了解です!」
案外簡単に決まってしまったので、私は拍子抜けした。脚本というものを知っているかどうかとか、何かしら質問されるかと思っていた。
一分ほど私が送ったメッセージと相川くんからの「了解です!」を眺めていると、今度は次のメッセージが送られてきた。私は時差でLINEされるとは想定していなかったので、慌ててしまった。だって、時差で送られたのにすぐ既読つけちゃったら、相河くんにメッセージを眺めていたことがバレてしまう。そう勘ぐられることだけはどうしても避けたい。
「脚本班のグループに招待しました。入ってね」
私はオーケーと入力し、適当なスタンプを探した。うさぎのキャラクターが「OK」と書いた看板を持っている柄のものを選び、送信する。すると、こちらもすぐに既読がついた。
確かに「脚本班!」に招待されていた。なぜビックリマークが後ろについているのかはわからないが、気合を感じる。
今ならまだ、やっぱりやめると言っても大丈夫。私みたいな役立たずが劇作りで重要な脚本班に入らなくたって、みんなは絶対困らない。そう頭の中を駆け巡るマイナス思考を押しやり、私は強めの指圧で参加ボタンをタップした。なんか、ちょっと嬉しい。
私はスマホを置き、天井を仰ぐ。
入っちゃった。どうしよう、入っちゃった。
今ならまだ、やっぱりやめると言い出しても大丈夫じゃないか。また脳内で私が私にささやく。でも、決めたんだ。私は脚本づくりに参加するんだ。頑張る。絶対、私はできる。
理由は分からないけど、なんだか自信に満ち溢れている。
参加を決めた以上は、きちんとやり切ろう。固く決意をかためる。私はきっとできる、脚本を作れる。
晩御飯よ、と母の声が聞こえたので、私は一度階下のリビングに行って食事を摂ったあと、また自室に戻ってきた。
また、私はスマホを開く。自分でも嫌になるけど、私は勉強しない。バカのくせに、全然勉強していない。
脚本班のLINEに三件のメッセージが届いていた。順番に私は読み始める。どのメッセージもかなりの長文だった。
「中田です。すでに引退しましたが演劇部員なので、監督にスカウトされました。よろしくお願いします。
脚本づくりは、正直言って難しいです。九十分の劇を作るためには、全部でおよそ三万字の柱、台詞、ト書きを書き上げなければなりません。ストーリーをゼロから作る予定だとのことなので、僕はこの脚本班の存在を、いささか懐疑的にとらえております。
しかし、クラス全体でやると決めたからには、脚本班に入ると自分で決めたからには全力で頑張る所存です。脚本のことで何かわからないことがありましたら遠慮せず僕に聞いてください。では、これからよろしくお願いします。」
「連絡が遅くなり申し訳ないです、相河です。よろしくお願いします。
演劇部の中田くんをはじめ、山村くん、持田さん、柚原さん、そして僕の五人で脚本を書いていくことになりました。まずは、みなさん集まってくれてありがとうございます。中田くんは『ゼロから作っていく』と言っていますが、本当に何もないところから作っていくとなるとさすがにハードルが高すぎるので、僕が考えた構想をお伝えすると、既にあるシリーズものをオマージュする形でいこうと考えています。お伝えするのが遅くなってしまいすみません。
僕からは、カイジとコンフィデンスマンを候補として挙げます。他のみなさんも候補を出してほしいです。よろしくお願いします。」
ええ! 急に言われても困っちゃうな……
「持田です。よろしくお願いします。
相河くんはオマージュでいくと言っていますが、私は反対です。クラスで話し合ったように創作をやる以上はゼロからストーリーを作る方がいいと思います。五人もメンバーがいますので、それぞれの好きなものを集めることで素晴らしい本が作れると思います。」
三件のメッセージは以上。これは何か意見を言わないわけにはいかない、と私は思う。自分の考えで、言葉を入力していく。その作業は、私にとってあまりにも久しぶりの感覚にさせてくれた。
「私はオマージュの方がいいと思います。五人分の好きなものを集めようとすると、どうしても系統がばらついてしまうからです。みんながバラバラだと、集めて一つのものをつくることは難しいと思います。まず最初にゼロからにするかオマージュにするか、方針を決めるのはいかがでしょうか。」
私はそっと送信ボタンを押した。
既読はなかなかつかなかった。今度は画面を眺めることもなく、すぐにスマホを閉じる。私はベッドにもぐりこむと、顔まですべて布団で覆って、ふう、と息を吐いた。
今日はなんだか疲れたな。気疲れかな。役に立てますように。
まだお風呂に入っていないのに、私は気付いたら眠っていた。
小鳥のさえずりが聞こえる。朝になっている。
すぐにスマホを開くとメッセージが大量に来ていた。やばい、発言を求められていたらどうしよう。あっ、でも、既読つけるの早すぎたかな。
えいっと私は脚本班のトークルームを開いた。ざっと全部見てみると、発言を求められている様子はなさそうだ。昨日私が寝ちゃう前には私と相河くんと持田さんしか意見を言っていなかったが、眠った後で山村くんと中田くんが意見を述べたようだ。二人とも、オマージュすることに賛成。多数決で、脚本づくりはカイジ、コンフィデンスマンJP、の二択でいくことに決まっていた。相河くんのまとめ方がとっても上手で、思ったよりあっさりと決まったようだった。
私が出した案がみんなに検討されていると思うと、心臓がドクっと動いた感触がした。
朝九時からグループ通話をして、直接みんなの声を聴きながら話し合いをするらしい。相河くんがそう発言していた。部活で忙しい人もいるから、一応自由参加ということらしい。日曜日の朝から学校のことをやるなんて、すごく熱心なんだな。感心する。
九時を回って二分ほど経って、私は通話ボタンをタップする。まだ喋っているのは相河くんだけのようだった。あ、相河くんが一人で喋ってるっていうことじゃなくって、通話のホストが彼で、まだ誰も参加者がいないということね。
「もしもし」
「あ、柚原さん! ありがとう、参加してくれて。」
こちらこそ、ありがとう。
「まだ私だけみたいね。他の子はどうしたの?」
「中田は部活で、持田さんは家の都合。山村くんは分からない。まだ既読ついてないんだよね。」
「えっ! じゃあうちと相河くんだけってこと?」
「まあ、そう。」
緊張する! 男子と2人きりなんて!
そう思っていることが相河くんにバレてしまったのかどうかはわからないけど、彼は一人で勢いよくしゃべりだした。
「俺は、カイジが一番いいと思うんだ。コンフィデンスマンは一応対抗馬として出しただけで、とくに意味はない。まあ、要は個人的にカイジが好きなんだけどさ。柚原さんはどう思う?」
「カイジ、おもしろくなりそうだなって思うよ。」
「じゃあ、俺たち二人としては、カイジが一番いいってことでいい?」
「うん。」
「じゃあ早速ストーリー考えていこうぜ。他の奴らがいない間にめっちゃいいの作ってびっくりさせてやる。」
「ええ! 今から作るの?」
「ダメ?」
「いや、ダメじゃないけど、想定してなかったから、ちょっとびっくりしたっていうか。」
「そうか。すまんな。」
「ううん、全然。」
謝らせちゃった……。ごめんね。
「今俺の中でイメージとしてあるのは、トランプゲームとかの簡単なゲームをいくつかやって、最後にデスゲームをやって、主人公のカイジだけ生き残る、みたいな。結局そのままだけど、ゲームの内容を俺らで考えるならオマージュとしてはオッケーだと思ってて。」
「いいじゃん!」
「柚原さん、思ったことあったらどんどん言ってね。俺は思いついたことを適当に話してるだけだから。」
相河くんは本気で申し訳なさそうにしていた。声色で、そういうのは何となくわかる。
「わかった。じゃあ早速だけど、トランプゲームって舞台でやってることがお客さんに見えづらいんじゃないかな。」
「そっか、なるほど。台詞で全部言う?」
「説明っぽくなりすぎちゃうと良くないからなぁ。スクリーンとか使っていいなら、手元だけ別で映して見せれるんじゃない?」
「すっご。機材のことは俺が実行委員に聞いておくわ。あ、今日この後予定とかある?」
電話の向こう側から、たどたどしいワルツの音色が聞こえ始めた。私とは違って、でもそっくりな部分もあるように思える。
「うわ、ごめん。」
バタバタと足音がして、かき消されてしまうワルツ。
言葉が勝手に脳内再生される。脚本班、入ってよかったな。相河くんと話せてよかったな。
心臓がとくんと鳴いた。
夏風のワルツ