狂詩人的不幸論
不幸は……不幸といふ言葉はなぜ斯くも甘美なのか……それは不幸なぞという事は人間しか考えないからだ……不幸になりたがるのは人間しかいないからだ……人間の価値はその人間が説く不幸論によって定まるからだ……己は説明する、誰もいない空間に向けて病人の如く説明する……何を?己といふ一箇の不幸を、生きて死ぬという事の、覆されざる、避けて通れぬ受難を歎きながら説明する……説明に終りは無い、知らぬ間に始まっていた説明に終りは無い、歎くという行為に終りは無い……己はあの狂人ボードレールと同じ、他人を見るかの如く自分を見る事を撰んだ憐れな人間だ……、詩人は憐れでなければならない……憐れさ、惨めさを忌避し、唾棄する人間に詩の真髄を解す事は出來ない……嗟、詩!一体其れが何の役に立つといふのだらう?何の役にも立ちはしない。詩は、不幸の美しさは其れが最早何の役にも立たない事に由來する。詩人の運命は予め定まっているのだ、最早詩に出來ぬ程不幸であると……それでも詩人は詩を書かなければならない、あらゆる他人の振りをしなければならない……運命といふ語を想像の限り嘲弄しなければならない、涯ては己そのものが詩となる事を夢みて。
狂詩人的不幸論