文月に目が眩む/文披31題まとめ

Day1からDay10まで

#文披31題

Day1「黄昏」
 8号車6番A席に頬杖を突く。西日にぎらついたビルが目に痛くてブラインドを下ろす、薄くまぶたの映るガラスを隠す。冷蔵庫にピクルスが残っている、ないモノばかりが追ってくるからあるモノを思い浮かべる。見送るのは飽いたから走っているのに、置いてきたものにばかり目が腫れる、悪い冗談じゃない。


Day2「金魚」
 屋台で囲うとなんでも宝物に見えた。
 夜間用の照明が低く唸りながら綿飴の袋のコレクションを照らして、だけど今のあたしは、あの中身が全部同じ砂糖菓子だって知ってる。チョコがけの南国フルーツが外気に晒されて舌に温いのだって知ってる。水と人工着色料のスイーツを掻き込めば頭痛がすることも知ってる。赤い尾びれの出目金が簡単に死んじゃうのも知ってる。そのうえで、誰も彼もそんな上澄みの誘惑に鼻緒を引っ掛けて池に落ちてしまうんだって知ってる。
 でなきゃ、あの子ひとりでカランコロンと下駄を鳴らしていることの説明が付かないじゃない。
 誘蛾灯に入れあげて馬鹿なやつらたち、鉄板でジュウジュウと焼いてしまいたい。あたしはキャベツを刻むヘラを離せない。油とソースの指じゃあ、揺れる簪を差し直してもあげられない。


Day3「謎」
 まるで世界に明快な答えがあるという態度だったから、私はずいぶん、きみの八重歯に執心してしまった。なんのことはない、着せる衣を持たぬ棘だったのだね。きみもまた、仮説立てで人生を生きる学者なのだね。そちらの学派ではこの執心をなんと呼んでいる? 通説では、どうも恋とか呼称するそうだが。


Day4「滴る」
 手元の結露を拭うのはこれが何度目だろう。間に置いては空けたグラスの数を、私も覚えていなかった。判断も分別もアルコールに落として今は腹の中にある。そんなところさぐってもどうせ、ぐにぐにと要らない機能が短い爪に当たって気色悪いだけだって。こんなもの無かったならそも、人は理性に頼らなかったのに。
 がむしゃらにほしいものをほしがれたら、腹も爪もあるいは舌も、ぜんぶぜんぶ今宵必要なものに成り果てたんだろうか。とっくの昔、形振り構いたいのが欲だって思い込んでしまったから、肥大した頭と衿が視界を覆って、言うべきことは見当たらないままに、終電が迫る。掴めもしない袖口に幻肢痛から血のしたる。薄くなるのは酒ばかり。絡め取れない夜は濃く。


Day5「線香花火」
 間伸びした語尾にこよりの先がゆれていた。ぱちりとはじけとぶ火薬のにおい。
 いいですよねえ、線香花火。なんの気もなさそうな声が蝉の求愛の行間を鞣す。そうだねえと頷いても、そうかなあと傾げても、この首に重くのっかった頭のいまにも落ちそうなのを、きみの鼻は嗅ぎ分けられないのだろうに。
 体重のかかったミュールは靴擦れを起こし、ペディキュアは剥げているのが明らかだったので、暗がりでよかったと思った。お互いのえくぼは見えず、コンビニが煌々と明かりをまき散らすのは道路の向こうだから、この夜の生き証人といったら、二の腕から血液をくすねていく蚊の一匹くらいだ。くれてやっても構わないから、どんな味がするのかは黙っておいてくれよ。この夏限りの体温の、ぼとりと落ちるなけなしの。


Day6「筆」
 洗っても洗っても洗っても洗っても洗っても穂先から黒い汚れが溶けつづけて、消えない。古びた廊下に備え付けの銀色の手洗い場がくすむ。あーあ、と幼心に思うこれは夢だ。古びたと言ったって私のいた頃で設立三十年とか、今にして思えば、小学校としちゃあ新しいほうだった。ほおに黒く汚れのついた男の子。そう、あの子、隣の席でね、なんとなくすきだった気がするけれどもう名前も声も覚えていないの。あんなに腐心して書いた名前を、目が覚めたら私はボールペンで殴り書きする日常に戻る。字がきれいだねと褒められてほんのり照れた面影は、朝の鏡のどこにもいない。


Day7「天の川」
 さらさらの星くずの中に身を横たえて眠ってしまいたいな。閉じたまぶたと耳たぶをはくちょうの羽が掠めゆくように。せめて誰かの逢瀬の助けになれたなら、我が身もいくらかは浮かばれた気がしよう。
 そう思う輩が相次いだもので天の川は自殺の名所となった。二人もオンライン通話で事を済ませるという。


Day8「さらさら」
 話題のフェイスパウダーひとつで恐ろしいほどテカリは消えて、こんなことならもっと早くに買っておけばと直近二日を悔いる。お急ぎ便を指定しなかったのは、届くまでの間に断たれる期待とは思ってもみなかったから。あの子はずいぶんコンシーラーの使い方がじょうずだ。
 シミもニキビ跡も目のクマも、翳りも焦りも妬みも見せないのを、すっぴんだと思ったわたしが盲目だったのだ。目もくらむハイライト。すこし厚いくちびるのプラムみたいな艶がみずみずしくほかの名前を呼び止めるまで、わたしは、チーク要らずのほんのり赤みの差す頬をしていられたのに。
 鏡台の中のわたしはカラーコントロールも真っ青の陶器肌で、鼻先は誰に寄せることも寄せられることもなく乾いている。


Day9「団扇」
 きれいに結んだ兵児帯に黄色い企業ロゴのうちわが挿してあって、ああ、祭りなのねと。バスの座席を挟んだひとつ前、完璧に抜けた衣紋を眺める。藍染に映えるうなじの白いこと。自分の日焼け止めの塗りムラが心配になって、今朝ほどを思い出してみても記憶はボンヤリとして、塗り直す暇なんて普通に生きていたら普通に無いから、効果なんかない。日の高いうちに着く帰路は三週間ぶりの景色でめまいがする。花火が上がるのさえ知らなかった。
 道理で、次の停留所へ着く気配がない。右肘を開かない窓辺へ預ければ、コッチを『横断車道』とでも呼んであげたほうがいいくらい、歩行者の天下が広がっている。
 慣れない下駄をからん、ころん、いわせて、わたあめ持った女の子。私もそんな真白な頃があったけど。手をつなぐ親子の、つないだ手のあたりを、窓越しに撫でてみる。浴衣に泳ぐ金魚より彩度の高いジェルネイルは剥げかけて、みっともない赤。昨日失くした口紅みたい。あれ、似合わないくせ、高かったのに。
 ブルーハワイをひっくり返して号泣する兄妹を横目に、辛うじて進んだバスは屋台の並びを過ぎていく。人目もはばからず泣けたなら私も違ったんだろうか。明かりの消えたオフィスで端末を九〇度回転させたら、屋台の奥からにこにこしたおじさんが出てきて新しい氷菓子をサービスしてくれたんだろうか。古ぼけたエアコンの室外機みたいな文句しか言えない男とひと冬を越すこともなかったんだろうか。夏が急激に手元に戻ってきた。しずくが落ちる。発刊か結露か判らないものが二の腕を伝っていく。
 太鼓囃子に紛れさすような啜り泣きに首を現実へ戻せば、今はつぶれた兵児帯がぐすりぐすりと揺れている。祭りの陽気を後にするには、まだ神輿も絶賛担がれている最中のようだけれど。衣紋の乱れなさに、ああなんだ、人混みを歩くことさえしなかったみたいだと気づく。
 そちらは時代遅れの扇風機みたいに首を振る男ですか。それとも溶けてお話にならない保冷剤くずれの男ですか。蛍光イエローのスポンサーロゴが藍色の背中から、私にまぶしい。うちわに涼しさのカケラもなく、バスは未練たらしく交差点でくすぶっている。


Day10「くらげ」
 ほの暗い水族館でクラゲの透けた身体を眺めたら、途方もない心地になるでしょう。生き物と水との間に線を引いたのも所詮ニンゲンの都合かも。クラゲに言わせればせまい水槽の中の水も、分厚いガラスも、外海につながる空間も、どれもがクラゲ自身の身体だったりして。わたしたち、皆クラゲに包まれているの。あのぶよぶよ、ゆらゆらした存在の不確かな質感にまとわりつかれて包まれて、ひとつになってどろとろに溶ける。でも不思議よね、溶けたらきっと透明になってまた皮膚の向こう側に海が透けるの。好奇心に光る少年の瞳が、わたし越しに水槽の海を見る。素敵じゃなくって? だからわたし、食べられるならクラゲがいいわ。ええそう、クラゲがいいの。あなたなんかよりずうっと、クラゲがほしいわ。

Day11からDay20まで

Day11「緑陰」
 母校までは急勾配だった。炎天下に汗だくの私は、植え込みのそばへ腰を下ろす。ひびの走る白い校舎へ、緑の繁る桜の木々の真夏のシルエットが映写され、コントラストが眩い。木漏れ日のまだら模様が暴力的に刺さる。下ろした瞼にあおくさい頃の前髪が貼り付いて、知った声がした。錯覚だろう。


Day12「すいか」
 家族の中では俺だけ、西瓜が嫌いだった。夏休みの食後はいつも不貞腐れて過ごした。蝉が生命を叫ぶ中、畳に寝転がって縁側から、もう何日も観察日記を忘れている朝顔を眺め、妹と兄貴と両親の笑い声を右から左へ流した。ある日の昼下がり、笑い声がぴたりと止んだ。蝉がサイレンのように唸っている。俺は悪寒に襲われて立ち上がり、廊下を渡った。床がぺたりぺたりと足の裏にはりついて妙な気分だった。障子をえいやっと引くと居間には、ブラウン管向こうのアナウンサーの喋る声しかしなくて、八百屋のおっちゃんが危険な薬の所持で捕まったと繰り返していた。町内では俺だけ、西瓜が嫌いだった。


Day13「切手」
 コンビニで切手を買ったとき、入れてくれる小さな薄手のポリ袋みたいなアレがなんだか妙に好きだった。浮き足立って、歩いて2分のコンビニから自宅までの道をわたしは、とてとてぱたぱた走って汚れたスニーカーで転けて小学生の膝をすりむいた。わんわん泣いていると母が聞きつけて駆けつけてバンソーコーを膝に貼り付けてくれたので、それでまあなんともなかったことになって家へ帰った。いつのまにか握った手の中でポリ袋ごと、まだ、50円だったころの切手はくしゃくしゃで、しわを伸ばしても伸ばしてもまっすぐ平坦にはならなかった。しかたないので貼り付けて、雑誌の懸賞ハガキは、それで送った。どんな景品がほしかったのか、さて。妙に切手の袋のことばかり覚えている。


Day14「幽暗」
 潰れたビデオ屋、静かな倉庫、古い業務用スーパーの脇の用水路を越えたら、共同墓地。友達と別れた学習塾から家まで5分、それだけの道をぼくは逃げるように帰った。追われる気がしていた。長いはずの真夏の真昼がそういう日は妙に短くて、うなじに浴びる西日が、なにか恨めしそうにぎらりとぼくの背中をねめつけている気がした。玄関先までようやっと来たとき、チッと舌打ちのような、火花の散るような音が耳元で聴こえて、振り返って見ても誰もいない。太陽は、稼働しているのかどうか判らない倉庫の影に消えて、あたりは安らいだ薄闇に包まれる。夜が来る。ぼくは、明日に向かって帰る。


Day15「なみなみ」
 手招きされたリビングで、顔を真っ赤にした父と伯父の間に立ち、アルミの缶をぷしゅりと空けた。もう自分で缶が開けられるのか、いくつになったと思ってるんだと、二人の上機嫌な会話はそんなことでまだ弾む余地がある。私の手はまだ片手で500ml缶を持ち上げられるほど大きくはなかったから、両手でそうと筒の側面を支えて、それを「まずはおじさんにな」と促されて右隣りのグラスにとつとつとつ、注いで。そうすると伯父はちょうどいい加減のところで私を止めて、うれしそうにうまそうに泡へ口を付けるのが常だった。反対側の、父のグラスにしても同じことだった。きいろの冷たい液体の中で無数の泡がいつまでもはじけて、きらきらとして、なみなみ注がれたあれはとてもうまいものなのだろうと思っていた。
 父に似なかった私の中で、二人の傾けるビールの映像だけがうまそうなものとして記録されている。ダイニングバーの片隅、辛口のジンジャーエールが鼻に痛い。


Day16「錆び」
 ホームセンターの一角で新品のスコップを見かけたとき、私はさぞ、妙な顔をしたのだろう。「どうかした?」と、同行していた彼の覗き込んでくるのに驚いて「ううん、なんでもないの」と返す。
「ガーデニング?」
「実家でやってたなって」
「好きだったんだ」
「祖母がね」
「やってみる? 一階だから、庭付きで少しなら遊べるよ」
「いいの」
 だって虫が出たら面倒じゃないと話を切り上げて、今日は除湿器を見るんでしょうと促す。彼は気にした様子もなくなってそのまま広い店内を歩いた。白すぎる蛍光灯に季節感がおかしくなる。土の匂いって、こんなに遠かったっけ。窓は結露して、煎餅は湿気り、玄関先に出しっぱなしの園芸用品は錆びついているのが当たり前なのじゃなかったっけ。
 あんなに白いんだな、売り物のスコップを思い出す。銀色にぴかぴかと光って見えたから、なんだか草むしりをする自分の泥だらけの顔が映り込みそうで、そんなの祖母は絶対に嫌っただろうなと考えた。戻らない夏の庭。


Day17「その名前」
 唇に音をのせる折、ためらいが要らないというだけで屹度じゅうぶんでした。鼓膜が似た名を拾う度、ひどく耳鳴りが止まないようになりました。アレルギーにでもなったのでしょう。


Day18「群青」
 額装された空は空よりも空で、ウルトラマリンに吸い込まれる錯覚が、不慣れな常設展に一人の僕を襲う。立ち尽くしたジーンズの中、汗がくるぶしまで伝い落ちていく。よく冷えた静謐な空間に、浸食してくる蝉の声は、分厚い壁の向こうからか、厚く塗られた画材の内側からか、わからないほどに青い。


Day19「氷」
 ごろん、と寝返りをうつ。右耳の下でゴム素材の袋の中身がコトリと動いて、こめかみからあごにかけてをやんわりと冷やしている。包んだタオルを取っ払ってしまえば、もっと手っ取り早く冷たいだろうにと、もうろうとした意識の中で氷枕に左手をのばそうとしたら、かさついた手にやんわりと包まれた。おかゆの鍋を洗ってきたばかりなのだろう、母の手はひんやりと冷たい。それが心地好くて、握り返したか、返さないか、わからないまま私はうとうとと意識を手放す。
 目が覚めた時、私の頭蓋を支えていたのはそばがらの枕で、凍らせたスポーツドリンクが手の中で液体に戻りきっていた。のそりと体を起こして中身を喉に流し込む。そういえば盆の入りだった、と思い出す。


Day20「入道雲」
 空って案外白いよね、と、ラムネ味の氷菓子を咥えながら考えた。ぼたぼたとTシャツにアイスブルーの染みができたって気にしない。どうせもうすぐ一雨やってくる。傘はない。あったところで意味なんてない。育ちきった雲がアルファルトに向かってこんにちは、こんにちはと、暴力みたいなハイタッチをかましに突然降りてくるんだ。店先のベンチから、頭上はすっかりもくもくと白いかいぶつに覆われている。湿り気が鼻を突いて、一刻の猶予もないことが分かる。
 外のクーラーボックス、仕舞っといたほうがいいかもよ。
 駄菓子屋の中に向かって叫んだら、なぜかクーラーもないのにひやりとした店内から、雨宿りしていったら、と二〇年変わらないしゃがれた声がした。
 いいよ。どう洗わなくちゃならないし。
 首を傾げる気配だけ受け取って、色褪せたベンチを立つ。擦り切れそうなビーチサンダルで行く。脳天がぎらぎらとして、巨大な洗濯機のスイッチみたいだと思う。

文月に目が眩む/文披31題まとめ

文月に目が眩む/文披31題まとめ

ツイッターにて参加している #文披31題 という企画への参加作品まとめです。 企画主催:綺想編纂館(朧)さま/@Fictionarys

  • 小説
  • 短編
  • 青春
  • 恋愛
  • ミステリー
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2022-07-24

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  1. Day1からDay10まで
  2. Day11からDay20まで