生花
うまれてきた意味を、ね、おとなになってもかんがえる瞬間の、一瞬の、刹那の、肺がおもたくなる感覚を、うわぁと思っているあいだに、ねむれなくなる。
なんか、さいきん、真夜中の街には、にんげんをたべるにんげんがいるとか、いないとか。それって、もう、にんげんをたべるにんげんって、にんげんじゃないのでは。漫画やアニメめいた、フィクションが、インターネットを伝って、跋扈して、真実味を帯びて、うそを、まことにする輩がでてくるのが、現代。
ぼくは、クーラーにより冷やされた、部屋で、生花を愛でている、金糸雀の分身が、いつ、その肉体を手離すのかを、まっている。
からだは、金糸雀のもので、でも、なかみが、金糸雀じゃない。金糸雀は、ぼくのことを、そんな慈しむみたいな、やさしい撫で方をしない。かんたんにこわれてしまいそうな、うすっぺらいガラスをたいせつに触れるような、そんな扱い方を、しない。
テレビも、ちょっとおかしくなってきた。たぶん、部屋が冷えすぎているのだ。金糸雀の分身、もといにせものが、生花のためにクーラーを消さないでいるから。
(でも、いきているのだもの)
(いきているものは、いずれ、みんな、いきているものではなくなるのだもの)
いたずらに、寿命をのばしている、金糸雀のにせもののうしろすがたを、ぼくはにらみつけて、はやく、ほんものの金糸雀に逢いたいと思う。
生花