あの日の街で

 何度も2人で訪れた街へ、なんとなく行きたくなった。

 なんとも久しい。どの位の年月が過ぎ去っただろう。この街の名前を見るまで忘れていた記憶が、ぶわっと香りと共に思い出される。鮮明に思い出された街並みと、眼前に広がる景色はまるで別物であったけれど。
あの店も、あの店も、記憶にない。真新しいキラキラとした照明が目に痛かった。街の雰囲気だけがあの時のままで、なんだかむず痒い心地がする。一緒に訪れた喫茶店も、ティーン向けの雑貨屋に変わっていたし、揚げたてのコロッケを並んで食べた精肉店はもはや更地であった。
不変のものはないと心得ていたつもりだが、いざ目の前にするとそのギャップに戸惑ってしまう。歩けど歩けど、思い出の店は見当たらない。しかし、街の端々にあの人の面影がちらつく。雰囲気と懐かしい香りがそのままだからであろう。なんだ、変わらないものもあるじゃないか。
目についたお洒落なカフェに足を踏み入れれば、世界が切り離されたかのような気持ちになった。甘ったるいスイーツの香りに、軽いコーヒーの香りがまとわりついて体は重たくなったような気がした。メニューの一番上にあったコーヒーをテイクアウトして、あの人とたくさん話した小さな公園のベンチへ向かう。ゾウの滑り台しかない小さな公園は、今もまだ存在していた。塗装が所々剝がれている滑り台を見て、ほんの少し安心して、ややささくれだったベンチに腰を下ろせば、隣に誰かの気配を感じる。目を向けるまでもなく、あの人だと思った。

「なんで、こんな所にいるの。」

答えが返ってくることなどない。分かっていても問いかけることを止められなかった。
ただ黙ってあの人は横に座っているのだろう。私は前を向いたまま、再度口を開いた。

「自分のいるべきところに帰りなよ。まだ夏じゃないし、もうここは2人の場所じゃない。」

自分にも返ってくる言葉だと分かっている。むしろ、自分に言い聞かせるためだったのかもしれない。なんとなく近くまで来て、懐かしくて、なんとなく足を踏み入れただけなのに、あの人の影を捜していたような気がするから。もう何年も経って、受け入れた冷たい現実。けれど、思い出は今手に握られたコーヒーのように温かかったから、つい引き寄せられた。現実の思い出はもうこの公園のみだ。だからこそ2人して留まってしまったのだろう。よろしくないな。
この街を後にする為に、ゆっくりと腰を上げる。あの人はまだベンチに座っているようだった。

「ちゃんと、帰りなよ。」

飲み干したコーヒーのカップを、くずかごへ投げ入れてゆっくり歩き出す。気付けば陽が落ち始めており、空気もひんやりと冷たい。
遠くの方でカラスが、かぁ。とないた。

あの日の街で

あの日の街で

ひとりじゃ上書きされなかった。

  • 小説
  • 掌編
  • 恋愛
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2022-07-10

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

Copyrighted