Aの28
かなり空腹の状態で今から夕食を作る気にもなれなかった。
ここ最近の食事を振り返ってみると手抜き料理や冷凍食品ばかりで、栄養バランスも不安定になっている。となると、買い置きしたレトルトカレーに手を出すのも気が引ける。
( たまには野菜弁当でも注文しようかな )
そう思っていたとき、スマホから「ゴーン! ゴーン!」と大きな鐘を鳴らすような音が聞こえてきた。
俺は驚いてすぐにスマホを取った。
( 何ごと )
音の犯人はDOVRのコミュニティーアプリだった。
俺はアプリを開いてみた。
メールボックスにお知らせが来ている。
『ギルド管理局よりハチロー様へお知らせ』ギルドマスターの承認により、陸軍省(本拠地・ベルリン)への入団が決定致しました。おめでとうございます。
俺はスマホをテーブルの上に戻して、弁当屋のチラシに目を向けた。しかし再びスマホが「ゴーン! ゴーン!」と鐘の音をたてた。
「うるさいなぁ……」
もう一度アプリを開いた。今度は〈キルヒアイス〉という謎の人物からメール通知が届いている。
「誰だよ」
俺はよく確認もせずにそのメールをすぐに消そうとしたが、直前になって思い出した。
( 西川さんからのメールか )
俺は内容を確認した。
《 こんばんは吉田先輩。アプリのメール機能を使ってみました。もし迷惑だったらそのまま無視してくださいね(笑)。とつぜんですけど、先輩はもう夕飯食べましたか? 》
今度はアプリの設定画面を開いてうるさい通知音を消そうとしたが、どこを操作すれば音が消えるのかよく分からない。
そうしているうちに、またも鐘の音が鳴った。
《 もしよければ先輩も一緒に焼肉パーティーしませんか? いろんなお肉ありますよ!? 》
なぜ返信もしてないのに、すぐに次のメールを送るのだろう。こういう事はやめてほしい。
またすぐに次のメールが来そうな予感がしたので俺は仕方なく返信した。
《 ごめん。今から弁当食べるから。今日は無理かな。また今度よろしく 》
俺が返信した後、向こうからメールが来なくなった。
◇11
安心した俺はスマホをテーブルに戻し、弁当屋のチラシに目を向けた。しばらくして鐘の音が再び鳴り響いた。
《 うわあ。残念でーす(泣) じゃあまた今度誘いますね。実は今日、美帆ちゃんと勉強会やってて、その延長で焼肉しようって話になったんですけど、ちょっとお肉買いすぎて2人で食べきれない感じなんでーす。でも仕方ないっす。頑張ります! 》
それを見て俺も返信した。
《 そうなんだ。やっぱ俺も行って良いかな? まだ弁当は注文してないんだけど、すでにお腹空いててさ 》
《 あ。嬉しいっす! ぜひ来てください 》
《 どこのお店ですか? 店名とか住所教えてもらえますか? 》
俺がそう言うと、西川さんからメールが来なくなった。
イライラしてきた。
( なんだよ。そっちから誘っておいて、今さら気が変わったのか。……それとも大城さんが嫌がったのかな )
そう思っていたら返信のメールが来た。
《 焼肉パーティーは私の部屋でしてますよ! ぜひ来てくださいね。待ってまーす! 》
【画像データが添付されています】
俺は画像データを開いてみた。すると2つの画像が出てきた。1つ目は地図の画像、もう1つはマンションの外観の写真だった。
不動産会社のメールみたいになってる。
( さすがに女子の部屋に上がり込むのって、どうなんだろうか )
とはいえ、相手は自分のプライバシー情報を躊躇なく送り付けてくるような人だから、そこまで気にしなくても良いのかもしれない。俺はそう思う事にした。「焼肉」と言われてから俺のお腹はずっと鳴り続けているし、今は完全に「弁当」から「焼肉」へと気持ちが傾いてしまっている。
俺はすぐに着替えたあと、玄関のところでもう一度スマホ画面に目を向けた。
( けっこう近いな。徒歩10分くらいだ…… )
場所が遠いならわざわざ行く気にもならないだろうけど、10分程度で行けるなら。そして焼肉がタダで食えるなら。
俺は期待を膨らませつつ部屋の外に出た。
◇11
地図の場所と、マンションの写真を見たときから薄々気づいてはいたけど、俺はそのマンションを何度か見ている。普段よく買い物をしている商業地区のすぐ近くにある大きな高級マンション。周りにそれ以上大きな建物がほとんど無いのでやけに目立つ。いつかこんな所に住めたら、なんて考えたこともある。
これは大学生が一人で住めるような場所じゃない。
( あいつ。相当な金持ちお嬢と見た )
高級マンションの正面入り口を抜けて、俺は建物の中に入った。ロビーというのか、それともエントランスというのか。とにかく広い空間になっていてやけに緊張してくる。
もし俺のいるアパートにこんな広いエントランスを作ったら、部屋が1つも無くなってしまう。そんなくだらない事を考えているといつの間にか緊張がほぐれてきた。
俺はエレベーターで8階まで上がり、メールに書かれていた番号の部屋の前にたどり着いた。
( 8階に住むのって、どんな気分なんだろうな…… )
ドアのインターホンを押すと、すぐにドアが開いて大きな顔が出てきた。
「あ、こんばんは! 吉田先輩っ! ずいぶん早かったですね。近くに住んでるんですか!?」
「え? ……あぁ、うん」
俺はなぜか恥ずかしくなってきた。
「さぁ、どうぞどうぞ。上がって下さ~い!」
西川さんにそう言われるまま俺は部屋の中に入った。
( 何だ、これ )
玄関に設置されている来客対応用のセキュリティーモニターがすぐに目に付いた。
俺の部屋のテレビとほぼ同じくらいの大きさで。何というか、すごく悔しい。
「ほら、先輩。まだお肉たくさん残ってますよ! こっちです!」
西川さんがそう言うので俺は彼女について行った。
廊下の照明がやけに高級感がある。ふんわりと辺りを照らす暖かい感じの光で、だいぶ気持ちが落ちつく。
◇11
ドアの近くに来て俺は思い出した。
さすがに手ぶらでやって来て肉だけ食べて帰るのは失礼だと思ったので、ここに来る途中にコンビニスイーツをいくつか買っておいた。
「あ、西川さん。これ、どうぞ。大したものじゃないですけど、コンビニのお菓子です……」
俺はお菓子の入った袋を西川さんに渡した。
「あ、嬉しいっす! どもっす!」
西川さんは袋の中に手を突っ込んで入念に中の品物を確認したあと、もう一度俺に目を向けた。真剣な眼差しだった。
「どうもっす。……助かります」
西川さんはそう言ったあと廊下の奥のドアを開けた。
リビングは想像した通りかなり広いし、L字型の白い巨大なソファがある。そしてそのソファの端のほうにショートヘアーの小柄な女の子が座っている。
「じゃあ私はこのお菓子、冷蔵庫に入れてきますねー。先輩はどうぞ食べててください!」
西川さんはそう言って別の部屋に入っていった。
俺はちょっと緊張しながらテーブルのほうに歩いて行き、大城さんの斜め向かいの席に座った。
すぐに彼女と目が合った。
「どうも……」
俺がそう言うと、大城さんは口をもぐもぐさせながら小さく頷いた。
( 何なんだろう。気まずいような )
テーブルの上には木箱が3つもあって、それぞれに脂の乗った美味しそうなお肉が敷き詰められている。その隣にはカットされた野菜も並んでいるし、なぜかテーブルの端には焼き餃子も控えている。
俺は野菜や餃子からすぐに目をそらし木箱入りの肉をじっと見つめた。
( こういうの初めて見た……。これは、まさに……木箱ではないか )
ちょっと残念なのは、木箱入りの肉に対して調理器具があまりにも貧相に感じることだった。普通のホームセンターに置いてあるような小さめのホットプレートがテーブルの中央に置かれている。
ここにいる女子二人はこんな肉をホットプレートで焼いて、何も罪悪感を感じないのだろうか。
俺は大城さんに視線を向けたが、彼女は相変わらず黙々とホットプレートで肉を焼いている。
( 静かな人だな……。もう一人と違って )
そう思ったが、俺もいつの間にか彼女と同じような雰囲気で静かに黙々と箸を進めるようになった。
ふと遠い昔の記憶がよみがえってくる。いつの記憶だったか時期があいまいだけど、たぶん小5か小6だったような気がする。親父の会社のパーティーで食べたステーキ。
俺のなかの史上最高はその時食べた高級ホテルのステーキだった。それが今ここにある焼肉へと塗り替えられた。
しばらくして西川さんが大きなボトルを持って部屋に入ってきた。
◇11
「ちょっとー! 二人とも餃子ぜんぜん食べてないじゃん……。ショックー。それ私が手作りして作ったのにィ……」
西川さんは餃子の皿を見てそう言った。
「あ、私。2個食べました。美味しかったですよ」
大城さんはそう言うと、今度は俺のほうをちらりと見た。
おまえも何か言えよ。
そう言われたような気がした俺は慌てて口を開いた。
「あっ、餃子もあったんだ! 気づかなかったー。ごめんごめん」
俺はとっさに急ごしらえの嘘をついた。しかし西川さんはそれを聞くと満面の笑顔に戻った。
「あ、そうなんだー。ごめんなさい。テーブルのすみに置いてたから見えにくかったかもねー」
西川さんはウキウキした様子で席につき、でかいコーラのボトルをわきに置いた。
( 何だこいつ。騙されすっ。餃子の皿、入り口側に置いてあるのに見えないわけねーじゃん。……うける )
西川さんは大きな声で「いただきますっ!」と言って、自分もホットプレートに肉や野菜をならべた。狭いホットプレートなのに具材を敷き詰めすぎていて、もう焼肉に見えなくなってきた。
「あ、先輩。コーラ飲みます? 美帆ちゃんも飲む?」
「ありがとう……」
西川さんは俺たちにコーラを注いでくれた。
◇11
やっぱり彼女が一番楽しそうにしている。俺はただ食事が目当てでここに来ている。夕食代を浮かせようとしてここに来ているだけなのに。この人は俺たち二人が来たことに対して、こんなに嬉しそうにしている。
( やっぱ、いいな……。西川さん )
「あっ、先輩。餃子がまだでしたよね」
西川さんはそう言うと、小さめの皿を用意してその上に餃子をのせた。しかしそこから彼女はとんでもない事をした。
彼女はすでに皿にのせている餃子の上にまたも新たな餃子を乗せていく。そうして7つか8つくらいの餃子がのった皿を俺の前に置いた。
( 何しやがる )
俺は焼肉を食べすぎていた。
すでに腹はもう満腹で、今からこんな数の餃子を食えるような余裕はない。
「私、餃子は得意なんですっ! 先輩。ぜひ感想を聞かせてくださいね!」
西川さんは両手を握り目を輝かせている。なんというか、変に愛くるしいというか。ボールを投げると出てくるピンク色のモンスターって感じがする。
「うん、美味しい。すごい美味しいよ」
「え、本当? ありがとう。ちょー嬉しいっす!」
決して嘘はついていない。たしかにこの餃子は美味しいと思う。でもあんな高級肉を食べまくった後だと、どうしても味が霞んでしまっている。
俺は苦しい顔を出すまいと思いつつ、必死に餃子を食べ続けた。そんな様子をじっと見ていた大城さんは、一瞬だけ俺を小馬鹿にするような目で見つめた。そのあと彼女はすぐに目をそらした。
嫌な気分だった。
( なんだよ。可愛いと思ったのに。くそ女じゃないか )
そんなことを考えていたとき、ふとゲームのことを思い出した。
DOVRの世界とこっちの現実の食事感覚はほとんど同じものだと思える。それほどロブマイヤーGT3の技術は高いのかもしれない。ただ、向こうの世界では満腹になるほど料理を食べまくっても、今ほどきつくなる事はなかった。
おそらく、感覚機能にリミッターが掛けられているのかもしれない。理由はよく分からないけど安全対策の可能性もある。
( ……あれ? )
いつの間にかホットプレートの上には何も無くなっている。西川さんのほうを見ると、彼女は俺が買ってきたコンビニスイーツをすごい勢いで食べ進めている。
どうやら、肉も野菜もぜんぶ西川さんが食べたらしい。
俺はようやくすべての餃子を食べ終え、気が抜けたように椅子にぐったりと腰かけた。目の前では西川さんがにっこりと笑顔を向けながら、体を小さく揺らしている。
どうも怪しい。
嬉しさだけじゃなくて、何か良からぬことを考えている様にも見える。
【作者紹介】金城盛一郎、1995年生まれ、那覇市出身
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