Aの27
「殴ったのですか? 男爵様を……」
「……」
俺が頷くと、執事は立ち上がった。
「野蛮人め! あんたを市警に引き渡す」
執事はそう言って身構えた。そして他の執事たちも続々と部屋に入ってきた。
「男爵様に暴力をふるいました。彼は重罪です。市警に引き渡しましょう」
「よし。いちど3階の倉庫に監禁しよう。お前は市警に連絡してこい!」
◇11
俺は執事たちに連行されて3階の粗末な部屋に閉じ込められた。
身体は椅子にロープで固定され、腕も厳重に縛られている。
「くそ……」
俺は身体をよじってポケットに手を伸ばそうとしたが駄目だった。
ポケットのスマホに手が届けば、とりあえずログアウトはできる。しかし今はそれさえも出来ない状況。
「何なんだよ」
俺はだんだんイライラしてきたので文句を言った。
「あーもういいよ。やっぱこれクソゲーだよ。GT3なんか買うんじゃなかった。くそ……。時間を無駄にした。糞トーエイが! 糞! 糞っ! まじ糞っ! おらぁああああっ! 舐めやがって! おらぁああああっ!」
( 12万8000円返せや! )
俺はそこまでは言わなかった。というより言えなかった。
なぜ今まで気づかなかったのだろう。頭に血が上っていたせいなのか。自分に向けられている視線にようやく気が付いた。
控えめに開いた部屋のドアの向こうで誰かがこちらを見ている。
◇11
青いドレスを身に着けた少女が一人。
( やべ。NPCに見られてる……。てか、聞かれてる )
俺は黙ることにした。
部屋のドアがさらに開いて、若い女性が俺の近くまで歩いてくる。年齢はハチローより少し年下だろうか。17歳前後くらいに見える。そのとき俺は彼女の頭上に表示されている名前には目もくれず、彼女の風貌だけをじっと見た。
( すげー似てるな…… )
数日前に筋トレしながら流し目で見ていた海外連続ドラマ・「赤毛のアン」の主人公に瓜二つの女の子がいま目の前にいる。
( さすがに訴えられるぞ。肖像権の侵害だよこれは )
そう思ったが、よく見てみると問題の〈髪の色〉は赤ではない。茶色に近い感じで、むしろ赤毛よりも上品な印象がある。
( 訴訟案件とまでは言えないのか。上手いな、トーエイ・ゲームス )
俺はようやく頭上の名前に目を向けた。
ゾフィー・ハイネマン。
( なるほど。あのくそがきのお姉様ってところか )
にしても、気分的には少し残念な気もする。ゲームのストーリーイベントにいずれ可愛いヒロインが出て来るのではないか。
その程度の予想はしてた。
( よもやこいつがヒロインではあるまいな )
俺はゾフィー・ハイネマンという女を卑しい目で見つめた。
タイプでは無い。
◇11
髪の色は確かに綺麗だけどそれ以外となると。顔も身体も痩せ細っていて、年齢相応の色気がほとんど感じられない。むしろ先ほど会った若い家政婦のほうがまだ良い。胸もたわわに実っていた。
( 探せば良い所もあるはず。西川さんのように )
俺は気を取り直して良い所も探すことにした。
たしかに痩せすぎていて色気はほとんど無いけど上品な雰囲気があるし、意志の強そうな目をしているし、知性もありそうな感じがする。
( 好みではないけど。意外と良い人かもしれない。頭も良さそうだし。強力な知能系スキルとか持ってそうな気がする。運が良ければ、何かスキルを教えてくれるかもしれない )
彼女が口を開いた。
「すごーい……。家政婦の言ってた通り! 黒髪の東洋人……」
俺は目の前にいるこの女の子にできるだけ紳士的に、なおかつ優しく接する事に決めた。この絶望的な状況で、俺がこのクソゲーからログアウトできるかどうかは、この女の気分一つだという事を理解している。
「あなたがこの家の料理人をしているハチローさんですね?」
「はい。そうです」
俺が律儀にそう答えると、その女がさらに近づいてきた。
「……素敵!」
まるで夢見る少女のごとく目を輝かせて俺を見つめている。年齢不相応というべきか、それともメルヘンチックというべきか。
◇11
彼女は飽きもせず俺の顔や手足をまじまじと見ている。動物園の動物じゃあるまいし、さすがに俺もこの状況に嫌気がさした。
俺はだめもとで言ってみた。
「あのう。できればこのロープを外してもらえませんか?」
「……えっ? でも」
予想通りだった。俺の要求に困惑している。
彼女はうつむいて何か考えている様子だった。やがて顔を上げると先ほどよりいっそうキラキラ輝いた目で俺を見つめた。何というか、ちょっと気持ち悪い。
「私のお願いを聞いてもらえませんか?」
「えっ?」
「ハチローさんのそのロープ、外しても良いです。でも、私のお願いを聞いてもらえたらなって……」
交換条件というやつか。まぁ、当然な気もする。俺を解放したことが執事たちにバレたら、彼女の立場が悪くなるだろうし。相応の条件がなければ公平とはいえない。
俺は聞いた。
「……で、条件というのは?」
「あ、はい……。えっとその……」
彼女はいつのまにか赤面していて、いかにも恥ずかしそうな表情をしている。それを見た俺はすぐに頭の中で彼女が言いそうな条件をリストアップした。
『ハチローさんと付き合いたくて……』
『ハチローさんとデートしたくて……』
『ハチローさんとキスしたくて……』
だいたいこんな所だろうか。
まぁ、たしかに。これほどの美男子が目の前にいたら、たいてい女性は恋に落ちてしまうのかもしれない。俺だって初めて鏡でハチローの顔を見たときは驚いた。
( キスくらいなら、別に良いかな…… )
彼女はいま勇気を振り絞ってハチローに告白しようとしている。
「あ、えっとその……」
緊張しているのか彼女の喋り方がだんだん早くなる。
「ハ、ハチローさんのたまっ! その、ハチローさんのたまっ!!」
ハチローの玉。
今度は俺のほうが緊張してきた。
( こいつ。見た目によらず……。とんでもない…… )
痴女だ。
俺はすっかり追い詰められて、考え込んだ。
ハチローの玉は俺だけのもの。こんなやつに触らせたくないし。見せたくもない。
彼女は言った。
「あの、ハチローさんの友達になれたらなって!。話し相手になれたらなって!……だめ、ですか?」
「もちろん。いいよ」
俺はすぐにそう答えた。
◇11
友達になるくらい何ともない。それで開放してもらえるなら好条件だと思う。俺はすっかり納得した。
なるほど。
( 友達欲しい系NPCというやつか )
「ありがとうございます! ハチローさん。よろしくお願いします!」
彼女はそう言って、さっそく俺のロープに取り掛かった。しかしそのロープはなかなか手強いらしい。
「うーん」
彼女は一生懸命にロープを解こうと試行錯誤したが、いっこうに緩くなる感じがしない。
すると彼女は俺に背を向けて離れた。
( こいつ裏切る気か )
そう思いつつ、じっと様子を見ていると彼女は倉庫部屋の隅に立ててある古そうな短剣を取り出してきた。
俺は慌てた。
「ねぇ、ちょっと……」
「すいません。少し乱暴かもしれませんが、仕方ないです。この剣で上手く切れると良いのですが」
間違えてハチローごと切ったらどうするつもりか。
「ちょっと待て、危ないって。腕切れたらどうすんの!」
「じっとしてて!!」
強い口調でそう言われ、俺は思わず動きを止めた。静かに集中している彼女の眼はやけに凄味がある。
俺は観念した。
彼女は俺の腕を左手でがっちり掴み、右手でその短剣をゆっくりと近づけた。
「……できた」
やけに不自然な感じだった。
あまりにもスムーズに、そしてあっけなく俺の腕をきつく縛っていたロープは切り離された。下に目を向けると切れたロープが床に落ちている。
彼女は同じ調子で、今度は椅子と足を固定しているロープにも短剣を向けた。
そちらもあっという間に終わった。
◇11
俺は椅子から立ち上がって彼女のほうを向いた。
お礼を言おうとしたのに、それより先に彼女が口を開いた。
「やっぱり素敵……」
「え?」
彼女はまたも目をキラキラ輝かせている。
「中華の名将って感じ……。本で読んだの。敵に奪われた主君の子供を助けるために一人敵軍の真っ只中に突入っ! 群がる敵を切り倒し、ついに主君の子供を救出するの。……素敵じゃない?」
「……はぁ」
俺は返答に困った。
ハチローは江戸時代の孤独な剣豪という設定ですでに決めてあるから、勝手にイメージを変えないでほしい。
「広大な中華の大陸を馬で駆け抜けながら、大軍を指揮するのって最高だと思わない?」
「え、まぁ……たしかに」
「やっぱりハチローもそう思うのね。私嬉しいわ! ようやく心の友が出来たって感じがするの。私、黒髪の東洋人の友達ができたらどんなに良いだろうって。ずっと想像してたのよ?」
「へぇ。そうなんだ……」
俺はさりげなくポケットのスマホに手を伸ばした。
「やっぱり、将軍、って素敵だわ……。響きがとてもいいの。私、もし男に生まれていたら、将軍、を目指すわ! 『さぁ、我が兵士たちよ!! これより敵陣を突破するっ!! いざ、全軍、突撃っ!!』 ……あぁ素敵。想像しただけでゾクゾクっとするわ! ハチローもそう思わない?」
俺はスマホのボタンを押してゲームからログアウトした。
【作者紹介】金城盛一郎、1995年生まれ、那覇市出身
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