アイスのある風景

ワカメ

「あたしさ、今日死ぬと思うんさ」

 扇風機の音がねっとりと耳にこびり付く。
 そんな事いきなり言われた私は、なんて返せばいいのか分からず、携帯の画面を叩く親指を、一瞬止めた。

 ひぐらしが鳴く。風鈴が揺れる。仏壇の線香の煙が揺れる。

 そう、と一言返して、なんでそう思ったの、と少しして聞いてみる。

 「いや、さっき見た夢」
 と彼女は返した。

 これから数時間後、車に轢かれて死ぬらしい。
 死ぬ時の彼女は手にアイスクリームを持っている。皮肉にも3色、信号みたいな赤青黄色のアイスクリームを。
 轢かれて手から離れたアイスクリームは、盃から溢れた水みたいに、半分くらい溶けながら地面に散らばる。
 それは吐瀉物みたいに飛び散り、水溜りみたいになって、事きれた彼女の頭の隣に、宇宙が始まる前の混沌みたいに広がり、そのまま逃げ去る事故車に踏まれて、綺麗な轍を道路に残す。
 それを見た私が、綺麗だな、と言って、その瞬間、目が覚めたそうだ。



 そういうのさ、逆夢っていって、ラッキーな事が起こる前触れなんだよ。
 
 偉そうな態度が、カチンときたのか、彼女は、地獄の底から湧き上がるような低い声で、私の死を汚すな、と言った。



 「じゃあ今日は絶対アイス食べちゃダメ」

 私がそう言うと、彼女はますます不機嫌になって、鼻息荒くしながらお勝手の方に歩いて行った。
 私も流石に、カチンときて、なんでわかってくれないの、と高く叫んだ。

 そんなの出鱈目だよ、死ぬなんて絶対嘘、今こんなに元気じゃん、と、怒鳴ると、なんで私が死んじゃダメなの、と彼女は威嚇する野良猫みたいに肩を硬らせていた。



 私はそれ以上何もいえなかった。
 大体、生きるも死ぬも本人次第だ。私がどうこう言うことでは無い。
 彼女にとって、あの確信的な夢を見た以上、今ある日常が、人工呼吸器を付けられた末期の世界なのかもしれない。
 見た目だけで、他人が幸せそうだと思い込む方が自分勝手で烏滸がましい。

 生きるも死ぬも勝手にすればいい。どうせそんなの、ただの夢だし、現実におこるハズもない。
 後で泣いてあの時はごめんなんて言っても、絶対許さない。
 地獄の底までどつき回してやる。



 私は暫く、ゴロゴロしていた。
 屋根の先に見える雲一つない空と、ベランダに吊るした風鈴を見ていたら、うつらうつらしてきた。
 彼女はいつもと変わらず、借りてきた映画を見ていたけれど、不意に立ち上がって、何かに引き摺られるように玄関に歩いて行った。
 ペリカンの絵。彼女が書いたペリカン。遠くから見るとペリカンみたいに見える。額に入って飾られていたそれが、彼女の移動するときに起きた振動で、ガタリと傾く。
 私は、ゾワッとした。


 「ちょっと」
 何といいたげに、彼女は振り向く。

 「何しに行くの」
 ウザ、と小声で呟き、それから靴の踵を直して、
 アイス買いに行く、と一言。

 そう、と呟いて、私は、私も行くと言った。



 彼女は全く容赦なく全力でアイス屋まで突っ走った。
 パルクールでもやってるのかといいたいくらいの場所を、平気で飛び越え、最短距離をゆく。
 猿飛び。そんな感じ。
 そんな忍者がいた気がする。
 それはいいが、彼女はそんな感じ。

 命がいくつあっても足りないから、私は先回りしてアイス屋の前で腕組みして待っていた。

 こんな溌剌の彼女に、これからいきなり死がやって来るなど、到底思えない。

 にしても暑い。梅雨もあけた。騒がせついでにアイス奢ってもらおうと思った矢先、ボロボロになった彼女が、まるで死刑台にあがるメロスみたいに、息を切らせてやってきた。

 アイス屋の前のベンチに座って、彼女を見上げる。
 おかしなもので、その時の顔はどう見ても、磔にされる直前のキリストみたいだった。
 何のために彼女は死ぬんだろ。
 何か悪い事でもしたのか。思い当たる節もない。

 いやいや、と頭を横に振る。

 「何にするの」
 シンゴーと息も絶え絶え、彼女は店の中に消えていく。
 あのぼろぼろの格好で、よく店に入れるなぁと観察していると、やっぱり店員はドン引きしていた。 カウンターから一歩離れたまま、まるで腫れ物を触るみたいにレジを叩く。


 もちろん、私の分もあるんだろうと期待していたのに、店から出てきた彼女の手には一つ分のアイスしかなかった。
 げぇ、と思ってベンチから立ち上がり、なんでやねんと突っ込みたくなった。

 「なんで私のないの」
 「運命だから」

 思わず吐き気がした。
 そんなくっさい台詞、今日日アニメのキャラクターでも言わないよ、と鳥肌がたったが、何だか彼女はかなり真剣だった。


 「ほら、むこうのプリウス」
 もう追いついてきた、とバレエをする様にヒラヒラ回転しながら道路の真ん中に躍り出る。


 破れたtシャツ、高校時代のハーフパンツ、それらが風に靡かれて蜃気楼みたいに揺れる。


 いや、もう止められない。
 手を引っ張ろうとしたけれどあまりにも遠かった。
 新聞紙が引き裂けるような音がして、彼女は宙に浮かぶ。糸が切れた人形みたいに歪に歪みながら青空に浮かび上がる。

 溶け始めたアイスが銀河団みたいに楕円形になって四散した時、私は思わず一瞬、綺麗だなと呟いた。



 夢の通りになった。
 私はコンクリートの上で溶け始めたアイスの海に沈んでいく彼女を羨ましく思いながら、私もアイスの海に溺れて死んでみたいと漠然と感じ、彼女の両親から何故助けなかったと叱責される未来を、少しだけ垣間見て、がっくりと項垂れた。

アイスのある風景

アイスのある風景

  • 小説
  • 掌編
  • ファンタジー
  • コメディ
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2022-07-03

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