三浦半島・夏の終わり

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 小暗い夜の中をたどると「ジーッ」という地虫の声が湧き上がるようについて来て、湿って少し重たい大気にいつまでもまつわっている。
周りの畑からは春ならキャベツや大根、夏ならスイカの青臭い香りが立ち昇り、ポフポフと軽い赤土の小道を覆って、土ぼこりだらけのクロックスの足に染み付く。
晴れなら月はなくとも、反射であたりは柔らかにほの白く、誘蛾灯の孤独な光が虹をまとうように目にしみてくる。
大きな農家の屋敷林の角を海側に回ると、東に向かって少しだけ下りになる農道が見え、北に古い掩体壕、南に白い鎧張りの建物があるのがわかるのだ。
これは自分の別荘である。
土地と道はさらに南に下って、土地の高さを維持する現場打ちの擁壁が建物の敷地を灰色に囲って、薄闇に浮き上がるように見えている。
自然石の石段を上がって玄関に至ると、月のある晩なら、東南の海に輝くムーンロードが見渡せる。
星は降るように奥深い空に満ち満ちて、しばらく眺めるだけで流れ星のひとつふたつは目にとめることができるのだ。
こうして夜のそぞろ歩きはいつも何の問題もなく、ほとんど人に会わないまま無事終了する。
この建物を手放す最後の夏、自分はひとりだけで滞在し、少し名残惜しく思いながら半月をそこで過ごした。


 ゆるゆると過ぎる夜半はやがてやってくる華色の暁で途切れ、寝足りない茫洋とした気分を冷たい井戸水で拭うと、朝露に湿ったデッキに出る。
1日はもう始まっていて、気だるげな朝もやの中を鳥の声が渡り、広々した畑には収穫する農家の人々が散在する。
夏の終わりの朝の日差しは金色に大気を透かして、しだいに青みを加える海原にたゆとう。
時は地球の自転とともにあり、都会より長い午前中はちょっと得した気分とゆとりを与え、吹き渡る海風とともに暑いけれどカラッと明るい午後に突入していくのだ。

 自分のここは京急久里浜線の三崎口駅から遥かに遠く、三崎漁港からも離れた僻地だから日々の生活の糧は車かチャリ、本数の少ないバス、居酒屋めぐりの楽しみはタクシーか代行で得ることになる。
それでも最近は移住者たちの店がそこここに点在し、個性的な店構えで人目を引く。
自分の行きつけの店は『黒猫屋』というベーカリーで、名前のとおり黒い猫様が店長である。
客商売向きの愛想のいい子で、走って出迎えてくれる営業努力には本当に頭が下がってしまう。
冬は日当たりのいい看板の上、夏はその下影にいて、店は人間どもにまかせっきりで週に3日ほどしか開店しないものの、午後に行くと売り切れが続出する人気店だ。
天然酵母のハード系のいくつかとラスク、ゴロゴロ三浦野菜のカレーパンが絶品で、東京に帰る時は前もって予約し、自分はもちろん友人知人のために20個程度はいつも確保したものだ。

 今朝は昨日のうちに調達しておいたクルミとブルーチーズのミニバゲット、オニオンベーコン、そしてもちろんカレーパン。
思いっきり冷やしたコーンと粉チーズたっぷりのトマトサラダ。
芳醇なダージリンは対照的に湯気の立つ熱いやつを用意し、添えるのは大振りのガトー・ショコラだ。
デッキの上にしつらえた、ひんやりアルミのガーデンチェアに座して、さえぎる家のない空と海と畑に対峙する。
ああ、三浦半島。


 暇な別荘族の午後の相手は、スマフォでデザリングしたノーパソか、少し早めの夕飯の仕込みだ。
いや、今日は手間のかからない浜焼きにしたいから、夕方にはチャリで三崎港の魚問屋まで行ってこよう。
17時には閉まってしまうので、まだ陽の高い中を出かけなければならないのが難だが、よく言われるように地方は東京とは時の流れが違うのだ。 
西日が肌に焼きつく中を5キロほど走って、観光客用の『海鮮・野菜セット』を購入する。
大振りのサザエ・ホンビノス貝各4コ、岩ガキ・ハマグリ・ホタテ各2コ、マグロカマ1、ピーマン2コ・ニンジン・ナス・タマネギ各1コ、コーン1/2・カボチャ1/4・ミニトマト5コの詰め合わせで\5,000。
これは世話なしで、かなりお買い得な気がした。
ついでにマグロのフィレカツとマグロギョーザを購入し、保冷バックに氷をたんまりつめてもらって帰路に就く。
6月よりはかなり日が短くなったけれど、まだまだ明るい海辺を鼻歌交じりで飛ばすのだ。


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 そういえば最近、この建物から1キロほど離れたところに居酒屋が出来た。
大喜びでさっそく行って見ると、移住者の店でサーファーだという。
店構えはまさにサーフハウスといった感じで、白を基調に湘南ブルーのアクセントがさわやかだ。
30代半ばの奥さんと2人で切り盛りしていて、西海岸を意識した壁面は高級そうなボードやでかいカジキマグロの木彫りで埋め尽くされている。 
ま、軽いと言っちゃ軽いので、味はあんまり期待しないでいると、このあたりで『ほっぺ』というマグロのほおやのど肉、脳天(ツノトロ)、胃袋や目玉を出しているのだ。
「へ~。どこで勉強したの?」
と、聞くと、なんと親父さんがマグロの解体人で、この店を開く相談をした時、「ヤクザな店はやめろ」と大激怒、『おろし包丁(解体用の反りのない日本刀のような大振り包丁)』を振り回して、河岸(かし)を追いかけられたそうだ。
「今時、珍しい親父さんだね」
ホメると、
「ええ。焼津の貴重な骨董品です」
と、笑った。
もちろん、一般的なマグロハンバーグや尾のステーキ、南蛮漬けなども美味い。

 ほかに特筆するなら、自分がたまに買い物をする『金田の朝市』がある。
これは移住者うんぬんではなく、地元みうら漁協主催のマーケットで、ここから北東に上宮田金田三崎港線というやけに長い名前の県道を走った先で、5時30分開場という早起きのみの穴場だ。
いつも常連や観光客であふれていて、7時前にはすっからかんになる。
中トロのかなり立派な柵取りが\1,800程度と安いが、家族とならまだしも、とても1人では対応できない。
だから自分は隣のレストランに早々に移動して、『おまかせ地魚定食』を賞味する。
刺し盛り・天ぷら・煮付け・小鉢・香の物・味噌汁と盛りだくさんで、目も腹も満足できる。
美味そうなビールもあるので、いつも車で来たことを後悔するのだ。

 去年の3月だったか、丸々としたキンメがあまりに美味そうだったので2尾購入し、2枚におろしてもらって煮付けにしたことがある。
暮れなずむ夕方から、デッキに置いたバーべキュウ・コンロに炭を入れ、金網を敷いた上でジブジブと煮含める。
暇に任せて、いっしょに買い込んできたマグロの粽(ちまき)や鳥唐なんかをツマミに、『横須賀ストーリー』という純米吟醸をチビチビ飲(や)った記憶がある。
火力が一定しないので、煮汁が部分的に焦げたりするのを鍋を回して防ぎながら、満天の星空の元、やっと完成。
コンロにかけたままの、舌先がジーンとするようなアツアツが実に旨い。
煮魚の上に飾った針ショウガの他にも、煮汁にたっぷりとおろしショウガを含ませたから、ピリッとした刺激がさらに甘辛の風味を引き立てる。
この別荘を舞台に、男の手料理専門のユウチューバーになってもいいな、と本気で思ったくらい良くできていた。

 物静かな夜の帳は陸風の影響もあって、潮騒が少し遠ざかって聞こえる。
今夜も別に用事はないし、出かけるのも億劫なので、自分はいつもの部屋飲みに突入している。
とろんとした幸福で怠惰な酩酊状態のまま、16畳相当のウッドデッキに転がって吹き過ぎる風を楽しむ。
三浦半島に熱帯夜はないのだ。
ふと、ここに来た最初の日の、家内からのTELを思い出す。
自分はこの別荘の最後の夏を楽しんでいるが、彼女は10日間の予定でヨーロッパを旅しているのだ。
彼女の楽しそうな声とともに、女友達たちの弾んだおしゃべりが電話口の向こうから届いてきた。
日本時間ではもう午後なのに、マイナス6時間の時差のお陰で、到着先のルーマニアはまだ正午前ということだ。
「得した気分でしょ?」
と聞くと、
「え~? 損した気分。イギリスなら9時間だもん」
という欲張った返事が返ってきた。


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 そうこうしているうちに、三浦半島の夏も盆を過ぎたころから紫外線が弱まるので、宵が主体だった散歩も昼間に移行し、いくつかの気に入った場所をうろついてみる。
中でも取って置きは人家の1軒もない岬の突端の古い墓地で、崖の上から眼下に海が見渡せるのだ。
畑中を抜けた岩場の、カラッと明るい風光明媚なところだから寂しい感じは全くなく、自分も命終したらこんなところに眠ってみたいと思わせる、心落ち着ける場所だ。
昔からの漁村らしい小ぶりな墓石がちまちまとした敷地に並び、真ん中の地蔵堂にも花が生けられていて、きちんと管理されているのも心地よい。
いつだったかの春、ここで弁当を食っていて珍しいものに遭遇した。

 4月のはじめだったから、カツオ漁ででもあったのだろうか?
突然、30隻ほどの漁船が東の山陰より現れ、文字通り白波を蹴立てた全速力で、西へ向かって一斉に突進し始めたのだ。
速い、速い。
漁船だからといってバカにできないスピードだ。
春の晴れ渡った青空の下、さらに蒼い海原を大小の船がまるで競艇のように先を争って驀進する。
海は一挙にかき乱され、波は船べりに乱れ、うねりを切り裂く船体がそれぞれのリズムで跳ね踊った。勇壮で豪快、躍動的かつ扇情的で、子供でもないのに心が震える気がした。
やがて漁船の群れはそれぞれに船を止め、なにやら操業を始めたが、残念ながらそれがなんであるか解るほど、岸に近くはなかった。
三浦半島の突端は岩場が多く、土地勘のある漁師たちは陸地近くで不用意に漁はしないのだ。 
とにかく30余年の人生で初めて見たもので、ほんのつかの間の光景だったにもかかわらず、大きな感動とともに目に強く焼きついている。

 気だるい午後の海は時折、海鳥の影を遊ばせながらゆるゆると能天気に過ぎていく。
自分は携えてきた古い詩集なんかに目を通しながら、日陰を転々として過ごす。
隅のほうには八大竜王だろうか、いつのものとも知れぬ石の祠が鎮座して、屋根にショウリョウバッタなんかが止まっていたりするのが妙にゆかしい。
悠久の時の流れのどの時代だろう? だれかが勧請しここに祭られた神は、世代を超えて受け継がれ守り伝えられて、今に至ってなお、その信仰の名残りを残しているのだ。
盆の過ぎた今頃は金銀の鮮やかな『盆花』が供えてあって、一種、しめやかな華やぎを添えているのも心にしみる気がした。
やがてだれもが迎える人生の終焉に備えて、この墓地の一角を買っておくのはどうだろう?
そんな誘惑に駆られるほど、ここの風景と時間は自分を引き付けるものだった。

 1日中日当たりのいい乾いた岩盤上のせいか、日中は影も形もなかった藪蚊の群れが日暮れになるに従ってやってくる。
最初は遠慮がちな羽音を立てて顔の辺りにまつわるのが、夕闇が濃くなるにつれて大胆に群がるようになるのだ。
こうなってくるとちょとした虫除けスプレーくらいではいつの間にか刺されてしまう。
残照の中に穏やかに佇む墓石に名残を惜しみながら、早々に逃げ出す。
出入り口は例の上宮田金田三崎港線に面しているから、さすがの蚊も大通りまでは追ってこない。
2,3食われたところをボリボリと掻きながら800メートルほどの家路をたどる。
まだ、空には赤みの残ったいわゆる『遭う魔が刻』で、夕凪の終わった陸風が心地よい。
急ぎ足だった足並みを、いつもの散歩のスピードに落とす。

 篠竹と藪だらけの海側から道を1本内陸に切れ込むと、あたりは管理された野菜畑の続く農村風景になる。
そこここに点在する農家と街灯代わりの誘蛾灯の明かりが古い溜池に映って、したいに闇を濃くする夜の入り口に佇んでいる。
昼の名残のほとぼりはまだ大気の中に残ってはいるけれど、物憂げな一日の終わりにはすでに秋の気配が忍び寄っているのだ。
自分は深く息をついて、ポフポフと軽い土ぼこりの農道をたどる。
やがて見えてくる白い鎧張りの建物が小暗い中にいつものように浮かび、今宵も人に会わないのどかな散歩は、実に平穏無事に完了する。
頭上には星降る空と澄んだ月。
ああ、三浦半島。
もう、手放してしまった別荘での、夏の終わりの思い出である。

三浦半島・夏の終わり

三浦半島・夏の終わり

随意に書いたエッセイです。 宵の描写から始まって、食い物や移住者の店、お気に入りの古い墓地、ラストはロンド形式で最初の別荘の描写にもどります。 全体を通じて、ひたすら「三浦半島はいいぜぇぇ~~~~~~~~」っというお話でスタ。

  • 随筆・エッセイ
  • 短編
  • 青春
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2022-07-03

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