真紅の禁戒

 恋愛、禁止。
 わが戒律、魂と肉体との不可視の契り。わが肉を縛る銀に燦る鎖にして、淋しさを守護するという絶対の約束。反復しよう。恋愛、禁止。
 わたし、夢にまでみた恋愛の美しさへの信仰を守護しつづけ、そが翳を胸に抱き、それの実現の可能性をわが内で殺し、その咲くことなき、恋人と与え合うことなき花、全身全霊で磨きぬき、果ては聖性を照らしさえできるほどに透明化するつもり。
 わたしは殉教者なんかじゃありません、聖人なんかになりません。貞操なるもの解りません。わたし、だれよりも愛されることを欲望する、愛することに憧れる、俗人でしかないのです。
 ちがうんです、恋愛、わたし否定なんかしていない。恋愛だって花である。わたしが自己に恋愛を禁じたのは、ただ、魂に宿る淋しさを磨くため、魂に睡る水晶を堕とすため、さればそれを清ますため、そがために、魂に付着したありとあるものを剥ぎ落すため。シモーヌ・ヴェイユのエゴイズムを脈となぞるため。ボオドレールの優しさを身振と模するため。そうして、澄みきって実在の霧消し、めざめる不在としての歌──いわく、「匿名の詩」、星空へ祈るがように抛って残し、果ては犬死したいのです。まるで子供が素朴なやさしさのままに、愛する人へ磨いた石を手渡すようなきがるさで。わたし、どこにでるある石のような、壮麗で、無個性きわまる詩を遺したいのです。古代の詠み人知らずの歌こそが、わたしたちにひとしく睡る、真白のアネモネの花畑を反映しているよう。普遍の美には、個性は毀れ落ちているはず。
 産まれてきたくなかった、生れてきたくなかったのです、されどせっかく生まれてきたのであれば、わたしはくるしみたい。真実のいたみへ投身し、神経の隅々までくるしみたい。くるしみたい苦しみをくるしみたい。不幸はわたしの神である。わたしはいつも冬に在る。背に纏ってるのは雪の制服。生きるのが痛いのは幸いです、くるしみこそが喜びです。幸福に、よろこびたくはありません。楽しい日々を過ごすくらいなら、美をみすえ、善くうごき、それにともなう優越の意識、ズタズタに滅ぼすためにうごきたい。なにもかもをあきらめ抛り、ひとびとからもさらに見棄てられ、尚残る光、果たして在るかをたしかめたい。それないのなら、それでもよい。
 恋愛は、わたしをよろこばせすぎるのです。なぜといい、わたしだれよりも愛に焦がれる、病的な淋しがりやであるから。喜ぶために、生きる気一切ありません、わたし、くるしむことで歓べるから。

  *

 聴いて。
 清楚は、無疵をいうんじゃない。瑕負うにともない、磨くものだ。
 孤独は、繋いで癒すんじゃない。疎外を直視し瑕に磨いて、愛するひとへ抛るものだ。
 わたしが愛する(信じる)のはなに? 全人間の内奥に宿る魂。そうである。それ、実在として睡り、不在としてめざめている。それ呼応する聖なるもの、いわく蒼穹だ。無化に堕ち、ありとあるものに見棄てられた人間へ一条に射す蒼穹の光が、あらゆる不純剥ぎとられた魂に反射して、果たして、光の軌道がどううごくのかをたしかめたい。もしや、青空よりまっすぐに刺す絶対の愛、まっさらな硝子の魂はまるで心臓に剣を受けるようにまっすぐに享けとめて、その聖性、地上のひとびとへ降らすのか。王子を愛し、路上で斃れた燕。青年を愛し、赤い薔薇を生成し果てたナイチンゲールの小鳥。オスカー・ワイルド。少年期のわたしを狂わせた詩人。
 自己無化が可能か、それすらわたしには解らない。無化にあっても残る光。おのずと迸る歌。それをさせる領域──魂。それがおのずから蒼穹へまっすぐに澄んだ視線をなげるということ、わたしはわたしを否定しあらゆるわたしを断って剥ぎ落すことにより、「わたし」を立ち昇らせてそれ全肯定し、されば人間なるもの、まるっと肯定することを企んでいるのである。わたしの人間への愛を、立証しようとしている。証明の文末。路上の犬死──観念のみの話でもいい。
 されどわたし、あんなにも来世を怖れていて、死んだら終わり、だから人間は倫理的に生きられる、そう想っていたのだけれども、罰当たりにも、来世があったらいいな、そう想ってしまうんです。なぜといいあのひとを──愛したかったから。あのひとに、愛されたかったから。愛し愛され愛し合いたかった。永遠に隣にいてほしかった。そんな経験は、またとない。わたしがそれを、禁じたのだ。
 美と善の落す翳の重なる処、かならずや其処へ魂の視線を離すな、注意ぶかく、注意ぶかく思慮をかさねよ、なぜといいこの生き方、危ういのだ。いうまでもなく、善とみえるものすべてに、悪が隠れている。
 片恋はわたしを砕いてくれる。かのひとへおのずと伸びる恋愛の欲望の腕を折りつづけ、恋愛禁止の戒めに縛りなおすたび──幾度も縛りなおす必要があるだなんて、わたしはなんと脆いことだろう──たしかに、わたしの魂から、はらはらと金属片のようなものが、不可視の神経のいたみとともに、剥ぎ堕とされて往く気がする。それは諦念に似ているようで、執着の解放に似ているようで、しかしそうではないのだ。だが、なにかを剝いているのだと、やはり想う。そのとき、わたしは茫然と佇んでいる、彼女から視線を離しつつ。わたしは、欲望の意味においてもっとも欲しいものを、わが意志で禁じた。交合の愛。それである。
 死にたい程の淋しさに佇むのが、わたしの詩人としての義務だ。その義務の果てになんらかの花を摘み取ることのできるのは果たしてわたしか、あるいは、花と手折られ惨めに死ぬのがわたしであるか。どちらでも、構わない。
 あらゆる生のluxuryを抛った路上の犬死は、命いただいた者のできる、もっともluxuryな死であります。

真紅の禁戒

真紅の禁戒

  • 自由詩
  • 掌編
  • 青春
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2022-07-01

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