インゲンとニンゲン
ここに一人の男がいる。年は四十になる。保健所に勤めており、大学での専門は栄養学である。人が一生の間に、どのくらいの水分、糖分、タンパク質、脂質を摂取するか、長寿と短命の人ではどう違うのかを、厚生省白書の統計値をよりどころとして計算した。それが卒業研究だった。
単純に水分、糖分などといっても、摂取の仕方、摂取した人の体質、生活環境、もろもろの条件で影響は違ってくるし、単純な総量でものを見ても、必ずしも正しくはない。本人もそれは重々承知している。
なぜ摂取の総量という単純な計算で比較したのかというと、大学三年生のときの酒の席で、誰かが、俺は分解酵素がないから、一生涯アルコールは飲まないな、と言ったのに対し、俺は一日ウイスキーをダブルで十杯だ、一生にすると、どのくらいになる、と言った男がいたことが頭に残っていたことからだ。
それで彼はこんな計算をしてみたわけである。
自分は酒をどのくらい飲むのだろう、高校の頃にも少しは飲んだ。今は一日にビールを一缶くらいだろうか。もし二十歳から男の平均寿命に近い八十までだと、六十年間だから、60×365日だから21900本になる。ビールの量とすると一缶350ミリリットルをかけ、7665000ミリリットルになる。アルコール分5%とすると、3832・5ミリリットルの100%アルコールがからだにはいったことになる。おおざっぱにいって60年間で38リットルのアルコールだ。
もし、それで八十になっても健康ならば、この程度のアルコール摂取なら体に悪いほどの量ではないということになる。摂取の総量計算も役に立つかもしれないとかんがえた。
NHKの番組に何でも金に換算して可視化するという番組がある。一缶200円のビールなら、年に73000円、80歳まで60年なら4380000円だ。こちらのほうが、すごい値だと驚く。彼はそう言う風に頭の回る男である。
そういったことで、一生の間になにがどのくらい必要なのか、適量なのかに興味を持ち、卒業研究のテーマにしたのである。単純な卒業研究だったと思うが、単純な数値であったことゆえ、自分の頭に残り、考える基準となった。そんなこともあり、育った市の市役所に保健所希望で合格し、勤めるようになったというわけである。今保健所に配置されているのではなく、市役所の中の保健所を監督する部署の事務職だ。
実家から通うことができるのでとても楽だし、ともかく市役所の職員になったことを両親がとても喜んだ。お役人は恩給がいいと思っているのは、小さな民間会社で苦労した父親である。母親も市役所の職員というのはなんだか偉くなったような気がしていたようだ。大学の同級生は公官庁をねらって、公務員試験をあくせく受けていたことを知っている自分としては、両親ほどありがたみを感じてはいないが、就職難の昨今、いい職場であり、自分の住むところをよくしようと思えば、少しは張り合いのある仕事である。卒業研究とは全く違う分野であり、数値とは縁がなくなった。
両親は決して余裕のある年金生活ではなかったが、それまでかなり努力をし、それなりの暮らしを獲得した。家を買うのにも苦労したが、なんとか自分のものにしたし、年に一、二度の温泉旅行に行けるほどの余裕はあった。庭の隅には畑を作り、トマト、ナス、キュウリなどを植えて、ぬか味噌漬けなどを作って喜んでいる。それをみていると、小市民が人間にとって一番いい生活なのかなと思ってしまう。
春の連休が終わったとき、両親はスーパーの入口に売れ残りがあったと、インゲン豆の苗を買ってきて植えた。サヤインゲンは初めて育てる。NHKのテキストを見て、ほっとけばいいのよ、と母親は水をやった。父親は、まてよ、このサヤインゲンはつる性だ、支柱をたてなければならんな、と母親よりは少し緻密である。でも、ほら、つる性の方がたくさんなるって書いてあるわ、しかも一月半も収穫ができるわ、母親にはそこが大事なようだ。もう採れる気になっている。
夏休み前のころになると、次から次へと紫の花が咲き、実がなり始めた。確かによく実が付く。母親は早く取って食べた方が柔らかくておいしいのよ、と朝取ってくる。確かに美味しい。ゆでてマヨネーズで食べるのもよし、いろいろな料理ができる。
ときどき弁当に入っていた。いや、毎日はいっていた。ゴマとあえてあったり、ベーコンと炒めてあったり、母親は庭でとれた物を得意になって料理をする。
「あら、本当に毎日インゲンね」
同僚の女性がテーブルで昼食を食べている僕の弁当箱をのぞき込んだ。
「うん、庭でとれるから」
「サヤインゲンはカリウムが多いからからだにいわね、ミネラルもあるし、利尿作用もあるから、ベーターカロチンだって多いから、免疫によくて抗ガン作用もあるし、ビタミンAにかわって目にもいい」
その女性は栄養士、新居友加里である。
「それは知らなかったな」
「でも、お母さん、毎日お弁当づくりえらいわね」
「母親は庭の野菜畑の手入れと、とれた物の料理しかやることがないから」
「そうか、世界で一番平和な家庭ね」
「まあ、そう思うよ、生活の雑用が楽しみというのは一番幸せだな」
「そうね、薄井君が奥さんもらうと波風が立って、平和が乱れそうね、がんばってね、インゲンニンゲンさん」
女性はそういうと、昼休みの散歩に出かけた。
よく考えたら、よけいなお世話だ、とおこらなければいけないのだが、そうならないのが自分のようだ。これが平和思考だ。なにいわれてもストレスにならない。
しかし、最後の「インゲンニンゲン」てなんだろう。そういえば、インゲンと、ニンゲンは、頭が、「イ」と「ニ」の違いだけだ。植物と動物という大きな違いがあるわけだがなんだか似ている。
インゲンってどうしてそういうのだろう。人間もそうだ、人と書いたり、人の間と書いたりするが、なぜヒトと呼ばれるのだろう。
人という漢字は象形文字で、二本足の立っている人の形から作られたということは何かで読んだ気がする。人は動物の中の一つの種類として存在するものである。漢字はそれでいいが、なぜ「ヒト」という音になったのだろう。気になって、ネットで調べたが全く答えが出てこない。人は漢字で人間は仏語では人間界を意味するようでもあるし、世の中、世間でもあるようで、やはり人の間、コミュニティーが意味として加わっている表現のようだ。
それではインゲンはと調べてみると、江戸時代に中国の「隠元禅師」さんが日本にもってきたからだと書いてある。坊さんの名前なんだ。あまりおもしろくない。
それにしてもインゲンとニンゲンはよく似ている。自分にとって隣同士にいるように感じられた。それは自分の脳の問題なのだろう。緑色のヒョロンとしたインゲンをじっくり見ていると、歩き出しそうな気がする。言葉が似ていると、その二つの物が互いに親密な関係になりうるような気がしてくる。
弁当の中の炒められたインゲンが、ニンゲンだったらどうしよう。ご飯が覆っている部分の隣の隙間に小さなニンゲンがはいっていて、こっちを向いて食べて頂戴と言ったらどうする。
食堂に行って、今日の弁当を開けた。インゲンの味噌和えである。と思ったら、ニンゲンが横たわっている。いや、やっぱりインゲンだ。なんだこれは、早く食った方がいいだろう。
インゲンの味噌和えを口に入れ、白いご飯を押し込んだ。いい味だ。歯の間にムキュっとサヤインゲンの感じが伝わってきた。匂いは味噌の匂いとインゲンの匂いが半々だ。
一体自分はなにを考えているのだろう。唐揚げひとかけらで残りのご飯を食べお茶を飲んだ。
彼女が食堂に入ってきた。
「インゲン食べた」
何でそんなことを聞くのだろう。
「どうして」とちょっとうるさくなって返事をすると、
「はは、インゲンおいしそうだったから」
彼女はそう言いながら隣に座った。
「わたしもお弁当作ってきた」
「やっぱりお母さんが作るの」
「作ってくれる人いないものね、一人暮らしよ」
新居友加里は小学校の給食管理をしている、市に三つある小学校のメニューを点検する事が主な仕事だ。もちろん衛生面のチェックもする。
「あれ、ご実家じゃなかったのですか」
「もう、両親もいないのよ」
彼女の弁当をのぞくと、サヤインゲンと豚肉の炒めた物が入っている。
「昨日の晩ご飯、豚の生姜焼きだったんだ、サヤインゲンを入れてみた」
彼女は今まで弁当など持ってきたことがない。いつもは何か買ってくるか、外に食べにいっていて食堂に来ないことが多い。
「どうしたの」
「碓井君のお弁当のサヤインゲン見ていたら、作ろうかって気になったのよ」
「サヤインゲン好きなんですか」
「うーん、どうかな」
返事にとまどっている。
「サヤインゲンは栽培したのじゃないですよね」
「まさか、マーケットで買ったのよ」
「新居さんが弁当を作るとは意外でした」
「そうね、わたしもそう思う、碓井君のお弁当の中のインゲンが作れって言ったような気がするわ」
新居さんが箸でインゲンと豚肉を挟んで口に持って行く。インゲンがなんだかニンゲンに見えた。僕の形をしている。
どうもおかしい。今日はインゲンがニンゲンに見える。
「これから毎日お弁当持ってくるんですか」
「どうかな、残り物があったときだけかもしれないし」
意外と小さな口だ。サヤインゲンが吸い込まれる。いや、ヒトだ、ヒトが泳ぐようにして、新居さんの口の中に吸い込まれた。
あ、かまれちゃった。
「なにかおかしいの」
僕が口元をずーっとみていたからだろう。
「いや、おかしくないですよ、おいしいですか」
「まあ、まあね」
僕は食べてしまった自分の弁当箱を袋の中にいれた。
「お茶をとってきますが、いりますか」
「あ、そうか、お茶があるんだ」
「もってきますよ」
食堂ではお茶がいつでも飲める。
「ありがとう」
彼女は最後に残っていたインゲンを口に入れると飲み込んで、お茶を一口飲んだ。
「わたしね、来年の四月で市役所やめるんだ」
突然の話にちょっとびっくりした。
「どうしてです、仕事場が実家の近くで、とてもいいって言ってたじゃないですか、僕と同じ状況ですよ、僕はやめる気なんてないですよ」
彼女は、「碓井君、おもしろいわね、インゲン的ね、なんとなく」
どのような意味なんだろう。
「来年結婚するのよ、彼は会社のフランスの支店に行くの、今は東京だけど」
彼女につきあっている人がいるとは思っていなかった。たまに東京に行くのはそのためだったのか。遠距離恋愛か。
「それはおめでとうございます。パリの生活は楽しいでしょうね」
「パリじゃないの、ルアンなの、まあパリに近いけどね、フランスの空気を吸うのは楽しいと思うけど、フランス語まったくわかんないんだ、これから簡単なフランス語の会話教室にかようつもり、だけどこの町にはないから、土曜日に電車に三十分のらなきゃならない」
彼女は県庁所在地である大きな市の名前をいった。
「フランスではインゲンあるのでしょうね」
「あるでしょ、まだ調べてないけど、さ、ごちそうさま、ちょっと町に行くからお先に」
彼女は弁当箱をバックに入れると食堂をでていった。
飲んだお茶の茶碗がおいたままだ。僕は自分のと彼女の茶碗を下げ口にもっていった。
事務所に戻ると、市の一つの保健所に勤務している福原医師が来ていた。課長となにやら話している。
僕が戻ったのを見て、課長が「碓井君、昼休みに悪いんだけどちょっときれくれないかな」と声をかけてきた。
「はい、こんにちは」
福原医師とは顔見知りである。たまに市内の保健所に行くが、何度か話をしたことがある。実直なお医者さんである。
「福原先生が保健所の敷地の中に畑を作りたいとおっしゃるんだけど、どうだろう、保健所長には話したとおっしゃっている」
質問の意味がわからなかった。この課長は、人に説明するのが上手ではなく、時々、なにをいいたいのかわからないことがある。
「いや、保健所の敷地はずいぶん広いでしょう、なんだかもったいないですよね、それで、この市のお年寄りは身体は丈夫だけどする事がなくて、年寄り年寄りっぽい人が多いと思うんですよ、市もお年寄りのために演芸会を開いたり、折り紙教室や、陶芸教室などやっているけど、そういうのは一部の興味を持っている人しか参加しないでしょう、もう少し筋肉を自発的に動かして楽しめる物はないか、しかも集団で話ながらできることないかと、それで畑を作って、みんなで野菜を育てるのはいいんじゃないかと思いましてね」
福原医師はそういっているのに、課長が口をはさんだ。
「今、先生がいったように、農家の人が多いので、自分のところに畑もあるだろうし、改めて保健所に畑を作って、そこで野菜を作る気になるかどうかわからないと、わたしは思うんだけど、碓井君はどう思いますか」
課長は自分の意見に同意させて、めんどくさい手続きをしないですむようにしたいのだろう。いつもそうである。
「うちの両親も庭に畑を作っています。今インゲンがとれて喜んでいます」
「そうでしょう、畑をやりたい人は、みんな自分の家に畑を作りますな」
課長は僕が同意したものだと思ったらしい。
「だけど、両親二人だけで、いつも会話は同じ、平和だけど、新味はなさそうだなとは思っていました」
「そうそう、外にでて、他の人と一緒に何かやるのはとてもいいことなんです、認知症の予防にいいですよ、それと保健所でやっていると、わたしが一人一人の様子を見ることができる、そんな利点もありましてね」
「課長、どうでしょう、市の老人クラブに、そういうサークルをつくって、保健所の敷地に畑をつくってもらうっていうのは、スティールの物置と畑の道具は市で用意して、農業になれている人が多いから、やってやろうという人がたくさん出てくるかもしれない、そういう人がやったことのない人を指導すると、両方ともいいですよ」
僕はちょっと早口でしゃべった。課長はやな顔をするだろうなと思いながらである。
「いい考えですね」
福原医師が嬉しそうな顔をした。この人はいつも住人の為を思っている。課長は顔色一つ変えていないが、目は迷惑そうにして、それでも、
「文化課の課長に話をしてみます」
と福原医師に返事をした。
「いや、どうもありがとうございます」
福原医師は僕にもお辞儀をすると事務所をでていった。
「いやはや、しょうがないな、碓井君、仕事と違うことで悪いが、この件、文化課と話をしてみてくれるかな」
「はい、わかりました、もし話が進んだら、他の保健所にも同じように畑を作ったほうがいいですね」
「それもまかせるよ、ほかの保健所長たちの確認も必要だな、市の会議に出す必要もあるし」
「わかりました、やってみます」
そういうことで、僕は文化課と土地を管理するところなどと相談を重ね、市の会議にもでた。そこで市の健康づくりの町というキャチフレーズにもあっているということで保健所の畑は認可された。夏のはじめの頃のことである。
早速、文化課のシルバー会担当者に人集めをしてもらって、新しいサークルをつくった。会長は農協の理事をしていた人がなり、それぞれの保健所の広い庭に畑の準備ができた。何しろ田舎だから保健所の土地はどこも広い。農家のお年寄りが喜んで自分のトラクターを運び込み、あっという間に畑にしてしまった。
準備が整ったこともあり、福原先生の保健所に様子を見に行った。もう何人かの老人が苗を植えていた。
「なんの苗ですか」
「夏まきインゲンの苗だわさ、ようなるよ」
植えていた老人が笑顔で答えた。畑をやっているのは軽い認知症の人だという。
「お、碓井さん、おかげでいい畑ができました、インゲン会もうまくいきはじめましたよ」
福原医師が外にでてきた。インゲン会ってなんだ。怪訝な顔をしていたら、
「あれ、碓井さん知らなかったの、シルバー会のサークル設立の時、名前をどうするかという話になり、お宅の課長が言った名前だそうだよ」
どうしてインゲンになったのだろう。まあいいか。
「農家の人は出荷しなくていい物を作るというのは、こんなに楽しいのかっていってね、それで、農家じゃない人は、自分で作った野菜が食べられるのは楽しみだっていってますよ、それよりも何よりもみんなで役割を決めて、責任を持つことになって、認知症なんてふっとんじゃいますよ、だいたい認知症っていうのは現代病ですよ、医療で体が健康を保つようになって長寿になったけど、脳のケアが忘れられていましてね、脳の暇は老化を誘うし、認知症もすすむ、脳は身体と一緒に使わないと」
まあ、ともかくうまくいってよかった。
そのことを、市役所にもどって課長に報告した。ついでにインゲン会と名前を付けた理由を聞いた。
「ありゃあ、新居さんがそういったんだ、なんでだか知らないけど」
課長は僕の弁当に必ずインゲンが入っていることを知らない。新居さんにお礼を言うべきか迷ったが、保健所の畑のことを話すときにちらっと言ったら、
「あら、そうよ、碓井さんが骨折って作ったシルバー会だもの、インゲンよ」
とあっさり言われてしまった。
その日、うちに帰ると畑が少しばかり広げて耕されていて、そこにインゲンの苗が植えられてあった。
おやじが庭に顔を出した。
「夏まきの苗を買ってきたんだ、春まきのやつはずいぶん収穫できたからな、まだとれてるけんどよ」と言った。
春まきのインゲンがぶら下がっているのを見たら、あっと思って目をそらした。なんだかニンゲンが何人もぶら下がっているように見えたからだ。
その夕食に出てきたインゲンの料理がみんなニンゲンに見えた。
夏休みに入っても、保健所のインゲンの庭づくりでがんばっていたので、休みをあまり取っていない。少しばかりがんばりすぎた。疲れがでたのだろう。課長に休暇をもらおうと思い相談に行った。
課長はいいよと首を縦に振り、八月終わりの一週間夏休みをもらうことができた。だいたい有給休暇だってだいぶたまっている。この夏はそれも一緒に長い休みをとるつもりだったのだが、シルバー会のサークル、インゲンの立ち上げに奔走したためこうなった。まあしょうがないか。
もらった休みでトレッキングの旅をすることにした。ちょうど台風の発生する様子もないし、もってこいだろう。
信州のちょっとした山を歩くことにした。準備のため、県庁所在地の大きな町に買い物に出かけた。その町の一番大きなデパートの七階で山歩きの靴とリュックを新たに買った。大学時代に使った物はあるが、リュックにはかびが生えていたし、靴は金具がとれていた。そこで新調したわけである。
そのあと、たまには両親にも何か買って帰ろうと、たまたま八階で行われていた物産展にいったら、北海道の駅弁大会をやっており、カニの駅弁を三つ買った。ついでに果物でもと思って、地下のマーケットにおりたら、野菜売場でインゲンが目にはいった。そのインゲンたちがニンゲンに見える。重傷だと自覚して眼をそらし、桃を買って外にでた。駅に向かおうとしたときである、いきなり頭にがつーんときてなにもわからなくなった。
気がついたら病院に寝かされていた。
「先生、患者さん気がつきました」
「ああ、よかった」
白衣を着た先生らしき人が、自分の顔の前で指を振った。
「見えますか」
僕は、ハイと言ったつもりだが、声がでていないようだ。
もう一度先生は同じことをした。
「指がきちんと見えますか」
僕はうなずいた。
「目と耳は大丈夫ですね、名前が言えますか」
僕はやっと声を絞り出して、「碓井茂夫」と答えると、先生に笑顔がでた。
「どうやら外傷だけのようだ、二、三日入院して、傷が悪くならないようなら、自宅で療養すればだいじょうぶでしょう」
いったいなにが起きたのだろう。
看護婦さんが点滴を換えにきたときに聞いた。
「僕はどうしたのですか」
「あ、覚えていないのね、デパートの入口で、上から落ちてきた人にぶつかったんですよ、碓井さんの頭に当たったの、でも脳に異常がなさそうでよかったですね」
「インゲンにぶつかったんですか」
看護婦さんはおやっという顔をしたが、すぐうなずいて、
「そうですよ、大変でしたね、だけどMRI検査では脳の中に出血もなく、問題はないようです」
「ここはどこですか」
頭がこすれたように痛い。
看護婦さんは県立病院の名前をいった。両親がこちらに向かっているということだった。
それからまもなく両親が病室に入ってきた。
「茂夫災難だったな、でもひどいけがじゃないと先生がいっていた。今日中にうちの町の市立病院に移してくれるそうだから我々も一緒にいくよ」
僕はうなずいた。町の市立病院は我家から歩いても二十分ほどのところで、市役所の近くである。それなら安心である。
親と一緒に病院の車で自分の市の病院におくってもらった。
市立病院の病室で母親が、
「頭の皮の怪我だけだから、食べ物はなに食べてもいいと先生がいっていたよ、食べたい物があったらもってくるよ」
僕はうなずいて、今はいいといった。両親はしばらくいたが、あとでまた来ると家にもどった。
買ったカニの弁当を思い出した。どうなったのだろう。
担当の医者が病室にきた。
「災難でしたね碓井さん、まあ頭の傷が治ればすぐ退院できますよ、ただ、後で脳に損傷があらわれることもあるので、とりあえずは一月に一度、脳と脊髄のMRIをとりましょう」
「インゲンが落ちてきてぶつかったと聞きましたが、落ちてきた人はどうなったんでしょう」
医者がおやっといった顔をしたが、
「女の人ですけど、自殺です、だけど一命をとりとめました。碓井さんがクッションになってコンクリートの路面におちたものですから、全身を強く打ちましたが、運良く頭を軽くしか打たなかったんです」
「僕でも役に立つこともあるんですね」
そう言ったら医者が声を出して笑った。
「生涯感謝されますよ、数日、あまりベッドから動かないようにしてください。傷口から出血するとやっかいだから」
そういって病室からでていった。
とうとう夏休みの山歩きはおじゃんになった。しかたがないか、とあきらめた。
夕方両親が着替えのものやお菓子などをもって再び病室にきた。
「僕が買ったカニの弁当どうした」
「荷物はお前の部屋に置いたけど、カニがはいっているのかい」
「うん、桃もあるよ、僕は病院の食事が出るから、三人前あるけど二人で食べてよ」
「おや、すごいご馳走ね、今日は料理しなくていいのね、退院したら美味しいもの作るからね」
両親はしばらくいると、インゲンに水やらなくちゃ、と帰っていった。おそらく僕は何を言っているのだろうという顔をしていたに違いない。
三日ほどたつと頭の傷の痛みが薄れてきた。傷口がふさがり始めたのだろう。
「点滴は後一日でいいでしょう、MRIの結果も問題なさそうだし」
その日、新居さんと課長が見舞いにきた。
「災難だったな、ゆっくり休んでいろや、まだ夏休み中だし」
課長が珍しく親切なことを言った。新居さんも笑顔で
「大変だったわね、ニンゲンとぶつかるとはね」
と、二人して買ってきたくれた見舞いの果物を枕元においた。僕がぶつかったのはインゲンなのに、ニンゲンにぶつかったとはおかしな冗談だと笑ったが、彼らは怪訝な顔をしていた。
「シルバー会のインゲンはうまくいっているわよ」
「みんな仲良くてよかったです、福原先生もよろこんでいるでしょうね」
「ああ、この企画はとてもよいと、市長が市の宣伝に使うみたいだ」
「へー、課長良かったですね」とおべんちゃらを言ってみた。
「みんながインゲン畑を世話している映像をとって、福原先生と碓井さんにもでてもらおうということだけど、撮影は夏休み終わってからだから、治ってでてきた最初の仕事になるでしょう」
インゲン畑って何てこと言うんだろう。彼ははじめきょとんとしていたが、
「ありがとうございます、今のとこと、頭の傷は順調になおっていて、おそらく夏休みの終り前に退院できると思います。仕事にでるのは九月からになると思いますけど」と答えた。
「それなら間に合うわ、わたしもインゲンの栄養価について解説することにしているの、この町の最後の思い出になるわ、フランスにいったら、映像を見て思い出すことになるでしょうね」
ニンゲンの栄養価だろう。
「フランス語でニンゲンはなんていうの」
「ユマン Humain よ」
「サヤニンゲンは」
「アリコベール Haricots Verts]
「フランス語はまるっきりわからないや」
「それじゃ、碓井君、はやくよくなってでてきてくれよな」
課長と新居さんは病室をでていった。
それから数日後、僕は家に帰っていいことになった。ツクツクボウシが鳴く季節になってしまった。
「庭の畑のニンゲンももう終わりだね」
久しぶりに帰った家は何となく新鮮である。庭にでてみると、黄色っぽくなり始めた茎に、それでもニンゲンが何本かゆれている。
「おまえなに言ってるの」
「畑のニンゲン」
「おまえなんだかおかしいね」
母親はそういったが、そのときはそれで終わってしまった。
久しぶりに帰った夕ご飯は、生姜焼きだった。家のご飯はやっぱりおいしい。「おまえはまだだめだよな」、父親はビールを飲んでいる。僕は酒をそんなに飲む方じゃないがビールはたまに飲む。
「先生は9月1日から仕事にでていいといってたよ」
「そりゃいいね、最初の日は疲れるから、無理しないようにしなさいよ」
9月1日になった。久しぶりに市役所にでた。
「やあ、無事でよかったよな」
同僚たちがよってきて、そういってくれた。新居さんと課長から様子は聞いているという。
「インゲンニンゲンさんもどったわね」
新居さんがにこにこしてそばにきた。
「例の市の紹介ビデオだいぶ撮影が進んでいるの、わたしの分はもうとったわ、インゲンサークルができたときの説明の部分はこれから、福原先生と碓井君がでるのよ」
ニンゲンサークルじゃないの。
「でもうまくはなせないな」
「今から原稿を書いておくといいわよ」
「どんなになるのだろう」
「碓井君が、福原先生のアイデアでサークルを作った経緯をしゃべったあと、福原先生がどうして保健所に畑を作ることにしたか説明するのよ」
「それじゃ、原稿書いてみます、新居さん、みてください」
「いいわよ」
出勤した最初の仕事は、デスクで話をする原稿づくりということになった。ほんのニ、三分分ほどのもののようだ。
でだしはこんな文だ。
市のシルバー会のニンゲンサークルは、保健所の福原先生が市の老人たちの頭の健康と体の健康の維持のために考えたもので、市にある保健所の敷地内に、畑をつくり、農家の老人と未経験の老人がお互い教えあいながら、野菜をつくり、インゲン同士の結びつきを強くして、生活を豊かにするためにできたものです。
なかなかうまくまとまったと思って、新居さんのところにもっていった。
それを読むと、「よくまとまっているじゃない、だけど、これは冗談でしょう」
と、”ニンゲンサークル”と”インゲン同士”を指さした。
僕は新居さんのいっていることはわからなかった。
「ニンゲンサークルってなに」
「畑で、ニンゲンなどの野菜を作るサークルのことですよ」
はじめ笑っていた新居さんがまじめな顔になった。
「インゲン同士って」
「我々インゲン同士はコミュニケーションをよくして社会をよくしていかなければならないでしょう」
僕がそういうと、新居さんは、ちょっと厳しい顔になった。
「わたしね、今日も珍しくお弁当作ってきたのよ、今日から碓井君でてくるっていうから、一緒に食べようと思って、碓井君もお弁当でしょ」
僕は母親の作った弁当を持ってきているのでうなずいた。
「ちょっと、これみてね」
新居さんは机の上に自分の弁当の包みを広げてふたをあけた。
「これなに」
新居さんはおかずを指さした。
「やっぱりニンゲン入れてきたんだ」
僕がそう言うと、さっと弁当を包み直してバックにいれた。
「ちょっと、これ読んでみて」
新居さんが、机の上の紙にマジックで字を書いた。
「インゲンサークル」
僕が答えると、彼女はこれはと言ってもうひとつ字を書いた。
「ニンゲン」
「ウン正しく読めるのね」
新井さんはマジックで人の形を描いた。
「これなに」
「インゲン」
「碓井君、早引けして、病院にいったほうがいいわ、ちょっと、課長に説明してくる、碓井君もきて」
僕は新居さんにつれられて課長のところにいった。
「碓井君まだ治っていないみたいです、病院に行った方がいいと思います、ニンゲンとインゲンが逆さまになっています」
それを聞いた課長が、「なにそれ」と新居さんの顔を見ると、新居さんはさっき僕とやりとりしたことをその場でやった。
僕には意味が分からなかったが、新居さんが紙に人間の絵を描いた。
これなに、新居さんが僕に聞いた。
「インゲン」
これは、また絵を描いた。
「ニンゲン」
「ほんとだね、ニンゲンとインゲンが逆さになったな、ご両親に連絡するよ」
課長が僕の家に電話を入れ、僕は家にもどされた。
その後、両親は僕を脳神経内科につれていってくれたのだが、僕には意味がわからなかった。
医者が僕に聞いた。
「ニンゲンてなに」
「野菜の一種で、豆科の植物です」
「インゲンは」
「われわれです」
「人はなにですか」
「われわれです」
「ふーん、理解は変わっていないようですね」
さらに、インゲンとニンゲンの絵を見せられて、そのものを言葉で紙に書かされた。
次に紙に書いた「インゲン」と「ニンゲン」を読んでくださいといわれた。
僕はインゲン、ニンゲンと読んだ。
「碓井さん、書かれた言葉を読んで、そのまま発音する機能は正常です、見た物を理解することも正常です、ただ一点、ニンゲンとインゲンのことばが全く逆転している。ニンゲンとインゲンの理解が全く逆になってしまっています。事故にあって、そうなったのだと思いますが、記憶と関わりがあると思います、だけど脳のどこに記憶がしまわれているかまだわかっていません、逆に脳を調べて、碓井さんの脳と他の人の脳のどこが違うかわかると、脳の言葉の記憶と理解の解明に大変役に立ちます。脳機能の科学が進歩します。どうでしょう、治療と同時に、研究に協力していただけませんか」
僕はともかくうなずいた。
神経内科の医者は前に撮ったMRIの脳の写真をみて、「普通のMRIではわかりません、ファンクショナルMRIで調べる必要があります、その機械は県立病院にあります。言語と記憶の関係を研究している先生が調べてくれます。元に戻す方法も考えるでしょう、連絡しますので、そのときは県立病院にいっていただけますか、治療費は無料です、それに協力金として、交通費や休暇を取ったときの給料分がでます」
「はい」と返事して立ち上がると、先生は、
「碓井さん、碓井さんのニンゲンとインゲンの記憶が逆になっていることを、いつも頭に置いていてください。我々はインゲンではなくて人間です。豆はニンゲンではなくてインゲンです。ニンゲンとインゲンを見たり、聞いたり、しゃべったりするときには、他の人と違うんだということ、それさえ知っておけば後は正常ですから、仕事もなにやっても問題ありません、診断書をご両親や、仕事場の人に見せてください」
先生は笑顔になって言ってくれた。
そういうことで、家に帰って両親に診断書を見せると、母親は「ニンゲンがインゲンにみえるのかい、それじゃ、お弁当にニンゲンはいれられないね」といった。父親は「庭のインゲンはもう終わりだから、かりとっちゃおう、インゲンにニンゲンがなっているのを見るのはつらいだろうからな」
と言った。しかし、彼はインゲンがなっているところを見て、人間がぶら下がっているようには見えていない。絵は正しく理解している。そこまでひどくなっていないことを紙に書いて教えた。
「そうかい、また、俺がインゲンに見えるのかと思った」
父親は笑った。
次の日、市役所に出勤して、診断書を課長に見せた。課長は僕の了解をとって、診断書を課のみんなにみせた。
同僚たちは「碓井さん、仕事で手伝うことがあったらいってください」ととても親切だ。
シルバー会のニンゲンサークル、いやインゲンサークルに関しては、ぼくはもうかかわらないことにした。自分でも自分の脳の障害を理解したからだ。
それからの僕の仕事は全く問題がなかった。一週間に一度、県立病院に行って、検査を受けている。
まだ治る気配はないが、インゲンという字をみたら、我々の身体を連想して、ニンゲンという字を見たら豆科の野菜を連想するようなトレーニングを受けている。だが、なかなか難しいものだ。身体、いや脳に染み着いてしまっているのを変えるのは大変のようだ。
インゲンとニンゲン、アナロジーというのは、脳の中で何かしら意味のあることのようだ。
ニンジンとエンジン、キュウリと郷里、ハクサイとヒャクサイ、アンマとヤンマ、
やめようやめよう、また頭を打ったら、どれが変わるかわからない。一つ変わっただけでこれだけ大変なのだから、みんな変わったら、どうなるのだろう。子供の頃から頭の中に蓄えた情報は重要な物なんだ。もし間違えて頭の中に入っていたら、きっと、悪人になっているだろうな。
そういえば、僕にぶつかって一命を取り留めた女性は回復したそうである。僕に謝罪の手紙をくれた。もう二度と自殺を考えたりしないとあった。自分の頭も少しは役に立ったんだ。
毎日インゲンとニンゲンを意識しながらの生活がつづいている。すこしはよくなっているようでもあり、今ではその状態を苦痛には思わなくなってきている。
一生のうちにはこういうこともあるわけである。
なにかおきても、おどろかず、普通に、静かに暮らしているのが一番幸せなんだ、と今でも感じている。
「お前、お嫁さんはどうなの」
と親にも言われるが、インゲンとニンゲンが直ったときに考えてもいいかもしれないよ、と答えているが、直らないほうが幸せかもしれない。
インゲンとニンゲン
私家版幻視小説集「髭の虫、2026、312p、一粒書房」所収
絵:著者