五人目の女

五人目の女

 ユーファスは混乱していた。
 彼はちょっと特殊な記憶能力を持っていて、出来事をすべて文字と文章にして記憶していく。映像や写真のように記憶するという人間もいるが、ユーファスの場合、すべて瞬時に言葉にして、脳内に蓄積していく。気にしたところは詳細に、そうでもないところは大雑把に、レトリックも交えて、どんどん記述して覚えていくのだ。そして、過去の記憶はすべて、一字一句忘れることなく、すべて覚えている。
 そのとき、彼は年初から数えて地球人を五人捕らえていた。
 一人目は元アイドルとかいう元区議会議員の女。元ばかりで、今はなにかといえば、とくになにもしていなくて、独身でニートだった。夜中にごみ出しをする悪癖があって、ふらふら寝間着で出てきたところをブラックヴァンで捕獲したのだが、パパラッチもいなかったので目撃者は一人もいなかった。三ヶ月ほど人体実験を行って、ギース星のダイエットフードをモニターしてもらって、20kgの減量に成功。結果にコミットしたということで、話題となり、芸能界に復帰した。もちろんギース式ダイエットフードに関する記憶は消去して、代わりにザイラップのプログラムに参加したことになっている。ザイラップは地球外企業なのでいろいろ融通が効くのだ。
 二人目は、白人の軍人で屈強な肉体の持ち主だった。戦場で瀕死のところを回収して、強化バイオフレームを内蔵し、記憶を改竄した上で原隊復帰させた。その後の活躍は映画のとおりである。彼が所属する軍隊には、友軍のエージェントが多数潜入しているため、兵士の一人や二人の処遇はどうとでもなる。
 三人目は高校教師の女。生徒三人に襲われて大変な目に遭って公園にボロ雑巾のように捨てられているところを保護して洗浄し、記憶を改竄しておいた。同じ状況に陥らないように全身の筋力を地球人の平均の二十五倍になる緊急スイッチを奥歯に埋め込んでおき、歯を食いしばるたびに三分間発現するように仕込んでおいた。解放後、案の定同じ三人組が同じようにやってきたが、襲われかけたところで仕込んだシステムが発動し、全治三ヶ月の重傷を負わせて撃退した。その後当局の捜査で余罪が判明し、少年院に送致されて本件は終結した。
 四人目は、Webライターの青年だったが、運悪くフグ毒の致死量実験に使われて、命を落とした。彼の遺したPCにAIを応用した自動こたつ記事投稿プログラムをインストールしてあったために、七年間彼の不在は明らかにならず、結局いついなくなったのか、地球人にはわからずに終わった。七年目で明らかになったのは、彼が契約していたウェブメディアが六年後までにすべて倒産し、それから一年で口座預金が枯渇したことで家賃や水道光熱費の自動引き落としができなくなり、大家が支払いの催促に訪れたところ、彼の行方不明が発覚したためである。一応警察に通報はされたが、事件性はないと判断されて彼の失踪は闇に葬られた。水道や電気の使用量まで精査したらいつごろから不在になっていたかわかったのだろうが、残念ながら駆けつけた警官は潜入中のカナタであり、トザマ案件は極力曖昧な処理をするよう指示を受けていたために、あっさり握りつぶされた。
 五人目が問題の人物で、なぜかユーファスの中の記憶が明確ではない。黒髪または栗色のショートカットまたはボブ、あるいはよく見たらポニーテールになっていて、目の色は黒か青、服装はTシャツのときとブラウスのとき、ニットワンピースのこともあった。靴はいつも同じ水色のパンプスで、そこはブレがない。名前が三種類あるので、これはおそらく記憶データの破損だろう。まれによくある。上書きに失敗したか、書き込み時になんらかの恒星ノイズが走ったのが、記憶領域に焼き付いたのかもしれない。まあとにかくその女が、死んでいるのか、生きているのかわからない。これは大きなエラーだ。統計にも影響があるし、地球側との取り決め人数の制限にも関わる。まず本当に五人目はひとりなのかについて検証する必要があった。
 五人目を捕獲した時点での地球総人口の瞬間値を探り出し、その後、解放された時点での同じ数値を比較する。不自然なブレがあればなんらかの警告がでるはずだ。結果、人数に不自然なブレはなかった。つまり、死んだり死ななかったりはしていないということだ。死んだか、あるいは死んでいないか、かならずどちらかに限定できるということを意味していた。
 次に、髪色の人数分布を比較検証した。これが曲者だった。黒髪と栗色の髪の数値に、進行するブレを発見した。注視しているときは数字はおとなしくしているのだが、目を離すたびにランダムに二つの数字を行き来していた。これは、通常の人間(なに星人かに関わらず)には認知が不可能なエラーだ。なぜなら、どちらの数字であっても、それを認識しているときは、ずっとその数字だからだ。ユーファスの特殊な記憶方式があってはじめて、数字が変わっていることがわかった。これは他の誰に説明しても、それを認知させることは難しい。いつでも、数字は一つであり、その瞬間、その宇宙ではすべて同じ数字として存在してるからだ。並行して二つの値を同時に持っているなんてことを認知する能力は、三次元の生物は持ち合わせていない。ごくわずかな例外を除いて。
 ユーファスは、脳に溜め込んだいくつもの文字列での記憶を、並列に並べられないか試すことにした。もともとはそのような機能はない。時の流れは一定であり、認知した事象はすべて時系列で理路整然と整理できているからである。彼はいつごろか意識するだけで、ページをめくるように当時のことを思い浮かべて頭の中で読むことができた。これを二つ同時に読み、並べるようにすることができれば、差分を発見することができるはずだ。
 脳内の記録を、まずログラインで探る。
 五人目の地球人は黒髪でショートカット。
 とある箇所だ、探すのはわけない。この五人目の地球人は栗色の髪でショートカット。という記述をよく見る。五人目の地球人は栗色の髪でボブ。など読んでも同じ用にしか思えない。これを何度繰り返しても、おそらくなにも解決しないだろう。そこで、ユーファスは、このページのスクリーンショットを脳内で撮ることにした。それならその瞬間に読めている内容に固定できるはずだ。これはコツを掴むのに、二週間ほどかかったが、どうにか固定した画像で頭の中に残すことができるようになった。これを五回繰り返してみる。五枚のスクリーンショットができあがった。これを並べるUIはなかったので、精神を集中して脳内に作ってみる。今覚えた瞬間の映像、五つの画像を並べる、
 五人目の地球人は黒髪でショートカット。
 五人目の地球人は栗色の髪でショートカット。
 五人目の地球人は栗色の髪でボブ。
 五人目の地球人は黒髪でボブ。
 五人目の地球人は黒髪でポニーテール。
 なんだこれは? ユーファスはこれまでの違和感を理解した。思い出すたびに、記憶がブレているのか? 書き換えているわけではない。髪型と髪色が変数になっていて、ロードするたびにランダムに書き換わっていたのだ。本当の記憶がどうなのか、もはやわからなかった。
 ユーファスは以前からこのような現象の存在は予測していたが、このような具体的なカタチで捕捉するのは初めてだった。
 とりあえず、これはなんらかのエラーであり、その女を見たときに、なにかのノイズが混ざり込んで、不確定な記憶になっているのだろう。もう一度その女に会って、実際どんな感じなのか、確認すればいいではないか・。それで上書きして解決だ。
 五人目だったその地球人の情報を検索した。
 だが、失敗した。肝心の名前が一定にならなかったからだ。
 ユーファスは、その女について考えることを諦めた。もはや解決は不可能に思えたからだ。六人目の地球人から先はずっと問題はなかった。五人目だけがおかしいのだ。

   ***

「トミウラさん、ちょっといいですか?」
「構わんよ。ただし三〇秒だ」
「すみません。昨年度の集計が終わったんですが、妙なんですよ」
「なにがだ」
「やつら、二十九人しか調査対象にしていません」
「確かか?」
「ええ、追跡調査のルーティンと、実際のログデータを精査しましたが、二十九人分のものしか確定できませんでした。あとの一人分はどこにも、痕跡すらありません」
「そうか」
「……そうかって、おかしくないですか?」
「そうだな。おかしいよな。でもそれでいいんだ」
「数字が調整されたってことですか?」
「そうじゃない。お前らは年間三〇人きっちりさらってこい」
「あ、はい。わかりました」
 ヤーボはこれ以上詮索するのはよくないと(本当の意味でよくない)判断し、トミウラから離れた。トミウラは振り返ってヤーボが見えなくなるのを待って、電話をかけた。
「私だ。そうだ。ハウンドから数字の件で問い合わせがあったぞ。そっちは上手くできているのか?」
『問題ありません。想定通りです』
 トミウラはわかったと言って通話を切った。これが本当なら、犠牲者を少しでも減らすことができるが、それも奴らが気づくまでの短い間だろう。それほどまでに、勘のいいトザマを出し抜くのは難しいのだ。とくにあの猫顔のやつらの知能は本当に厄介なのだ。

   ***

「電話誰です?」
「トミー」
「ああ、作戦部の。で、なんて?」
「人数が合わないって調達部が言ってきたって」
「お!」
 室温が一気に2℃ほど跳ね上がった。がやがやとした声が広がっていく。
「はいはい、ざわめかない。まだまだ始まったばかりよ。どんどん続けないと効果が見えないからね。みんなよろしくね」
 会場の少女たちは元気よくはーいと答えると、また黙々と端末に向かってタイプ入力を続けた。彼女らは、異星人にアブダクションされた偽の情報をひたすらインターネットに垂れ流していた。垂れ流された嘘は、徐々に一点に焦点が合い、あたかも実際にあったかのように、ネット全体に浸透する。そうしていくうちに状況証拠は増えていき、虚偽は事実にすり替えられていく。そしてそのすり替えが閾値を超える時、事実は虚偽に塗り替えられる。すべての事象が、その新たな事実を元に再構成されるのだ。これは過去のいかなる時代の、いかなる場所の、すべての事象に影響を与えることができた。これがその事象が認知されている範囲が広いほど困難になる。たとえば、歴史上よく知られた人物の有りようは変えにくい。諸説ありの場合、諸説を増やすことはできるが、塗り替えるのは非常に難しい。極めて長時間継続した場合は書き換えられる可能性もあるが、即効性は認められていなかった。しかし、世界で何人にも知られていないような些細なことは、かなり高い確度で過去の塗替えが可能だとということが研究の成果としてわかっていた。ここで行われているのは、いもしなかったアブダクションの犠牲者をでっちあげることで、トザマ側の記憶と事実を捻じ曲げて水増しを行い、実際に連れさられる人数を軽減しようという作戦だった。半信半疑ではあったが、一定の効果が認められたことで、スタッフの士気も高まることだろう。
「大佐、〈五人目の女の子〉の名前って決まってましたっけ?」
「まだ。そろそろ決めたほうがいいかしら?」
「どうなんでしょう」
「まあ、実験よね。サツキでどうかな?」
 実験スタッフは、スラックに「五人目の名前はサツキ」と書いて、周知した。

   ***

 半年後、ユーファスの記憶に、五人目の女の名前がサツキであることが加えられた。観測が想定通りになって、少しホッとしていた。
「サツキ」
「どうしたの?」
「お前の名前はサツキだそうだ」
「そうだけど?」
 なるほど。少しわかってきた。ユーファスは地球人の欺瞞工作に舌を巻いた。
 目の前にいる女は、いつのまにか金髪ロングヘアの少女になっていた。
「俺は黒髪でショートの方がよかったんだがな」
「なんか言った?」
「いや、なんでもない。こっちだけの話」
 サツキは笑って湖の桟橋へ走っていった。ユーファスは電話を出して、短縮番号を打った。
「あ、ユーファスです。准将をお願いします」
 これ以上地球人と騙し合いをしても、勝ち目はない。すぐに総攻撃をすべきだ。そう伝える必要があった。だが、ユーファスがそれを誰かに伝えることはなかったし、ユーファスなどという人間は、最初から、どこにもいなかった。サツキは、落ちている電話を拾うと、スイッチを切って、思い切り湖へと投げた。ぽちゃんという音だけがしたが、周囲には誰もいなかった。最初から、そこには誰もいなかったのだ。

五人目の女

五人目の女

  • 小説
  • 短編
  • SF
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2022-07-01

Public Domain
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