白日夢

Patient A

 Aは診療所に着くと、待合室のソファに座った。
 ソファがあまりにふかふかで、Aは少したじろぐ。
 うわ、体が沈む。おれなんかがこんないいソファに座って良いのか? 
 思わず、きょろきょろしてしまう。
 待合室には受付に一人と、患者が何人かいるが、とても静かだった。あたりには空調の音だけが響いていた。窓を見ると、白いカーテンが風に揺れていた。壁紙もソファも受付も、全体的に白を基調としているためか、清潔感のある空間になっていた。
 ふうん。こういうところで、Tは働いているのか。
 Aは、独立開業をしたというかつての同級生を訪れていた。Tが精神科医を目指していたのは知っていたが、診療所へ来たのは今日が初めてだった。
 そのとき、
 ――ふわ、
 と風が吹いた気がした。
 Aは自分の右側を見る。白衣の裾が見えた。見上げると、そこにTが立っていた。
「お久しぶりですね、Aさん」
 Tは微笑んで言った。
 あれ? 
 いつ、隣に来た?
 診療所はさほど広くはないが、Tが真横に近づくまで気がつかなかった。
「……ああ、久しぶり。
 T、開業おめでとう」
「ありがとう。じゃあ、こちらの診察室へどうぞ」
 Tは診察室の扉を開けた。
 Aは、どうも、と軽くお辞儀をし、診察室に入った。


          ※

「先生! よっ、先生!」
 かつての同級生を冗談まじりに『先生』と呼んだ。高校卒業以来初めて会うこともあり、どう接していいかわからない。だからAは、おちゃらけてみるのだった。
 Tは、やめてくださいよ、と言って笑った。
「先生、最近どう?
 やっぱりお医者さんって儲かるの?
 いや、そんなこと言っちゃいけないか。
 でも、いろいろ大変でしょう?」
「はは……まあ」
「おれのほうはね、この間、妻と娘と、遊園地に行ってきたんですよ。あ、そう、結婚してるの、おれ」
 正面に座ったTを見ると、カルテとボールペンを持っていた。
 あ、そうか。これも診察なんだな。
「そうでしたか。それはいいですね。楽しかったですか?」
 Tは、カルテに何かを書きつけていた。
「はい。あ、でもおれ、絶叫マシンとかはぜんぜんだめで。娘が乗りたい乗りたいと言うものですから、一緒に行くんですけど、やっぱりきつくって」
 ハハ、とAが笑うと、Tもにこりと微笑んだ。
「そうでしたか。大変でしたね」
「まあね、ほんとに。でもおれも仕事で忙しくしていたから。たまには家族サービスをしなくちゃ。娘もすぐに大きくなっちゃいますからね」
「へえ。お子さんはおいくつなんですか?」
「ええ。この間、幼稚園の年長さんになったばかりで」
「そうですか。じゃあ、かわいい盛りでしょう」
 Aは鼻の下をこする。
「へへ。まあでも、大変ですよ。この間なんかも、もうランドセルがほしいって暴れちゃって。わかった、小学校一年生になるのが近づいたら必ず買うからって言うんだけれど、きかなくって」
 Aは右にいる娘に笑いかけ、なあ、と言った。顔を上げ妻を見る。あはは、と笑う。
「Aさんは素敵なお父様なんですね」
 Tを見ると、笑顔で頷きながら、ペンを走らせていた。
「へへ……。いやなに、そうでもしないと、家にいらんねえのよ。おれそんなに稼ぎよくないから。
 ひとはさ、今はコロナでネットショッピングでみんな買い物するから物流の仕事は忙しいでしょうなんて言うのよ。けどさ。だからっておれの給料があがるわけでもないんで」
「へえ。そんなものですか」
「そんなもんですよ。
 ……それで先生、こういっちゃなんだが、おれは今、なんの問題もないんだ。精神科に来るようなことはなにも……」
「しかしAさん、あなたは以前、カナタと接触があったということですから。念のためです」
「そうかい。さすがお医者さんは慎重だねえ」
「ええ。今はアブダクション事件も多いですから」
「そんなおっかない顔すんなよ。おれは大丈夫だって。
 知り合いがね。そう、高校時代にYってやついたろ、あいつがさ。T先生が独立開業したって言ってたからさ。
 おれは、挨拶にと……思って……」
「Aさんに久しぶりにお会いできて、僕も嬉しかったですよ」
「へへ……、そうかい……。
 先生、先生は結婚はしてないんだろ……、おれはこんななりだが、それでも家族がいるから……」
「羨ましいですね。……Aさん、そろそろお疲れではないですか? そろそろ……」
「あ? ああ、そういえばさっきから、なにか、こう……。へへ、遊園地で慣れないジェットコースターなんかに乗ったから疲れたんだな……。そうだな……、そろそろおいとまさせて、もらおうか……」

Family

 白い部屋、空調の音があたりに響く。それ以外に音はなく、静かだった。
 向かい合ったAは、自身の右側を気にしているようだった。
「先生」
 Aは右側を手で指し示した。
「今日は妻と娘が一緒でして、どうも大勢できちゃってすみません。どうしても来たいってきかないもんですから」
 Aは照れたように笑い、鼻をこすった。
「かまいませんよ」
 カルテを広げ、ボールペンで、妻と娘、と書く。
「うちの妻がね。一度、先生に会いたいって。ほら、おれの同級生で開業したやつがいるって言ったもんだから。
 ……ほら、挨拶しなさい。
 ……はは、嬉しそうだ」
 Tは、にこりと微笑んだ。
「光栄です」
「娘はまだ小さいから、家でひとりにするわけにいかなくってよ」
 Aはしきりに右側を見て、娘と妻に笑いかけている。
「……うん。はは、そうか。
 今、妻がね、先生思ったより若いですねって。確かに先生若いよな。所帯を持ってないと若いままなのかな」
「若いですか。どうですかね」
 Tは照れ、ぽりぽりと頭を掻いた。
「まあ、マスクしてるから、何割か増しだよな」
 あはは、とAは妻と顔を見合わせて笑う。
「……お、どうしたRUMI(ルミ)、なんだ眠いのか……。もう少し我慢できるかな?
 ……そうか、いい子だ……。
 あ、うちの娘、RUMIっていうんですけどね」
「ええ」
「いつも暴れるんだけど、今日は珍しくおとなしいなと思ったら、眠いって。はは。
 きのうは幼稚園の友達と、たくさん遊んだからな……。疲れたんだろう……」
 Aは右側を見て、微笑んだ。
「それで先生、おれはまた、次回もここに来る必要がありますか。診察なんて、おれ……」
「まあ、本当に念の為です。万が一があるといけませんから……。
 それに、顔を出して下さるだけでも、嬉しいです。同級生じゃないですか」
「そう……同級生のよしみだものな……。
 それにしても、今日は妻と娘まで、一緒で、お騒がせしました……」
「いえ。奥さんと娘さんに、またいつでも来てくださいとお伝え下さい」
「ははは、先生はおかしいな。直接、言えばいいのに……。
 さては照れているんだな?
 うちのは美人だし……」
「はは……。そうですね」
「先生なんて呼ばれているけど、独り身だからな……。
 先生が寂しくないように、ここへはおれがちょくちょく来ますよ」
 Aが言うと、Tはにこりと微笑んだ。

I’m home

「ただいま。うう、寒いな。そろそろこたつ出すか」
 Aが仕事から帰ってくると、家の中はがらんとしていた。
 妻と娘の姿がない。どこかに出かけたのか?
 寝室にはシングル布団が一枚、敷いたままになっていた。
 おーい、と呼んでも返事はなかった。
 家中を探すがどこにも誰もいない。
 子ども部屋は、どうだ……?
 いや……、待てよ……?
 そもそもうちに、子ども部屋なんてあったか……?
「おい……」
 二人の名前を呼ぼうとして、ふと立ち止まる。
 あれ、おかしいな……。
 妻の名前……なんだった……?
 娘の名前は……、いや、息子だったか……?

 本棚の上にあった家族写真がない……。
 娘がよく遊んでいた玩具も……。
 おれは捨てられたのか……?
 しかし……、なぜだろう。
 おれ……一戸建てに住んでいた気がした……なぜだ?
 ここ何年もアパートに住んでいたじゃないか……。
 なぜおれは、子ども部屋を探した……?
 だけど。
 だけどおれには。
 妻と娘が、いたじゃないか……?
 どんな顔をしていた?
 どんな声で笑っていた?
 なぜだ?
 なぜ、思い出せない……?

 六畳一間のアパートの一室で、Aはしばらくの間、悄然と立ち尽くしていた。

Alone

 Aはいつものソファに座ると、身をかがめた。診察室は暖房がきいていたが、Aはどことなく寒そうだった。
「先生。うちのやつが、いなくなっちまって」
 Tはカルテを手に、神妙な顔で頷いた。
「そうでしたか……それは、ショックでしたね……」
 Aは、窓の白いカーテンが揺れる様子を眺めていた。換気のため、窓はわずかに開いていた。
「……まあ。あいつら、どうしたんだろうな、急に。行くあてなんか、あったのか」
「心配ですよね」
 Tが相槌を打つと、Aは不思議そうな顔をした。
「……どうだろうな。
 不思議なんだけどよ。
 前からこうだったような気もしてんだ」
「前から?」
「うん。なんだか、おれは、もともとひとりだったような……。
 何か、長い夢を見ていたような……。
 そんな具合なんだ。
 なあ先生……、
 おれは、ひょっとすると、
 今、初めてひとりになったんじゃなくて……、
 最初から……、
 そう、初めから、ずっとひとりだったんじゃないか? って……、
 そんな気がしてんだ…………」

Daydream Believer

「それで、あの患者さんどうなったんです?」
 医療事務員のUは、受付の書類を整理していた。
 Tは白衣を脱ぎながら答える。
「うん、回復に向かっているね」
「回復ですか、じゃあよかったですね。
 さすがT先生。こんな難しい病気も治しちゃうんですね」
 Tは脱いだ白衣をハンガーにかけると、ふと手を止めた。
「うん……。でも、治したんじゃない」
「え?」
「僕が治したんじゃなくて、彼が治ったんだ」
 Uは書類をしまうと、帰り支度をしようと受付から出た。診察室のTの様子を伺う。どこか表情が曇っているように見えた。Uは怪訝そうに尋ねる。
「どうしたんです、先生? そんな浮かない顔をして」
「いや、べつに……」
 Tは襟を直すと、Uに向き直った。
「あのひとは、アブダクション被害者なんだ」
「えっ。そうだったんですか。あのトザマの……」
 各惑星からカナタ(宇宙人)が地球に訪れるようになってから、誘拐事件が頻発していた。ニュースでは連日、アブダクションという単語が流れている。
「君」
「あっ、すみません。カナタでしたね」
「それでね。彼が受けたのは、精神に影響を及ぼすような何かだったんだ」
「人体実験、ですか」
「うん。
 たぶん脳をいじられたんだね。
 だから幻覚が見えていた。
 奥さんと娘さんの姿が、彼には、はっきりと見えていたんだ。
 実際には、そこにいないのに」
「過去にも、いたことがなかった。
 Aさんはずっと独身だったんですね。
 で、アブダクションに遭った結果、結婚していると思い込むに至った。
 でも実際は一人だった。
 何が現実かわかんなくなるなんて……。
 しかも目が覚めたら、ひとりですよ。
 逆ならまだしも……。
 残酷ですよね。
 やだなー。こわいなー」
「でもまあ、こちらも同じことをしているからね」
「え? 地球人がですか? 犯罪じゃないんですか?」
「今、問題になっている。でも、なくならないんだ」
 毎年、合法的な治験のために双方から何人かずつ選ばれてはいるが、それでも違法なアブダクションは後を絶たなかった。そしてそれは、地球人の側でも行われていた。
 Tはつぶやくように言った。
「それに……、どっちが残酷だったんだろうな……」
「はい……?」
「彼は、回復したから、ひとりになったんだろう?
 回復は本当に最善だろうか……?」
「ええ? 何言ってるんですか?」
「そもそも回復が最善だとして、それは誰にとっての最善なのだろうか……?」
「幻覚を見たままのほうがいいなんて、そんなわけないですよ。
 私なら、頭いじられておかしくなったんだったら、元に戻ったほうが絶対にいいですし。
 病気は治ったほうがいい。
 健康が一番ですよ。
 ……え?
 T先生は違うんですか?」
 Tはそれには答えず、ただ微笑んだ。

 Uは帰り支度を整え、照明と空調のスイッチを切った。
 お疲れ様でした、と声をかけたが、Tには聞こえていない様子だった。
 Uは診療所の扉を開け、振り返った。Tは、光も音もない空間でひとり、じっと佇んでいた。

白日夢

白日夢

  • 小説
  • 短編
  • ファンタジー
  • ミステリー
  • SF
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2022-06-29

CC BY
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CC BY
  1. Patient A
  2. Family
  3. I’m home
  4. Alone
  5. Daydream Believer