鳴く蝉よりも
アイとチカとメグム
「そんな所でなにしてんの」
「雲を食べているの」
「お金なんていくらでもあんのに。貧乏を馬鹿にしてんの」
「生きるのに疲れちゃったの。連れ出してちょうだい」
ㅤこれが、一番最初の会話。
「アイ、ねえ聞いて」
「なに」
「今日はお昼と夜の時間が、ちょうどぴったり同じなんだって。知っていた?」
「実は昼の方が長いんだよ」
「物知りだね。かっこいいね、すごい」
ㅤまあ、と顔を背けるアイの頬が少し紅い。今日は眩しい春の日、暖かい風が髪を吹き抜ける。野原に座り込む私の隣で話を聞き流すアイは、同じように座り込んでどこかに行く様子がない。それがたぶん、この人の優しさ。
ㅤねえアイ、お腹空いたよ。
ㅤアイは立ち上がって、黙ったままどこかへ足を向ける。着いていくと、近所のパン屋さんで私の大好きなハニーフレンチトーストを買ってくれて、すごく嬉しくてありがとうって言うと、まあ、と顔を背ける。彼の頬はやっぱり少し紅いの。
ㅤ三角に切られたフレンチトーストを半分に割って、アイと半分こをして食べるのが好き。アイは割るのが下手くそで、馬鹿にすると毎回不貞腐れる。でもそんなアイも可愛い。私が可愛い可愛いって言うと、笑ってくれるけれど、私がそれを言いすぎて反応のレパートリーがなくなっちゃったアイは困ったように黙っちゃう。ねえ可愛い。
ㅤ私の家はとてもお金持ち。アイのお家は貧乏ってやつで、ちょっとぼろぼろなアパートに住んでいるの。おばあちゃんと。
ㅤ私はおばあちゃんがいるアイがちょっと羨ましくて、アイはお金がある私が羨ましいんだって。それで、私のことが気に入らない時があるんだって。可愛い。
ㅤお互いに羨ましがってる私達をないものねだりって、人は言うのだろうけれど、そもそもみんな手持ちが不十分すぎるのだと思うの。愛だけじゃ駄目、お金だけじゃ駄目、才能だけじゃ駄目、努力だけでも駄目。でも全部持てることってないじゃない。
「雲とどっちが美味しい?」
「くも」
「もうあげない」
「冗談よ、こっちの方がとっても美味しい」
ㅤ拗ねて背を向けたアイが、ちょっとだけこっちを向いた。お金も愛も才能も努力も要らないから、私はアイが欲しいよ。ああ、可愛いね。
「可愛い」
「うん」
「自覚してるの?」
「うん」
「世界一可愛いよ」
「うん」
ㅤ鳴く蝉よりも泣かぬ蛍が身を焦がす。私は何があったかは聞かないけど連れ出してくれたアイに、その言葉が当てはまるってずっと思ってた。寝て起きてを繰り返して、時々身を隠す蛍はどこかへ飛んで行っちゃって、ひたすら鳴き続ける蝉が五月蝿くて鼓膜が破れそうだ。近くに、蛍の群れがあるって聞いた。もしそこに行ったら、また私は蛍に会えるかもしれないのだけれど、一緒に過ごした場所を離れてしまうのが寂しくて、私はできなかった。
ㅤ地縛霊のように膝を抱えてアイを待った。時々、カラスが私を嘲笑うように近くで鳴いていて、時々、バイクの音が頭に響いて割れそうだった。
「チカ、もう帰ろうよ」
ㅤ持っているものが違いすぎる癖に似ている私達は、まったく同じ形のパズルのピースみたいで、たぶん最初からハマんなかった。どちらかがもし違う形だったら、お互いの形を知ることさえなかったと思う。
ㅤメグムに促されるまま、私はそのまま帰ってしまう。アイの「アイ」は「愛」って書いて、私の「チカ」は「愛」って書いて、メグムの「メグム」は「恵」って書いて、これってどういうことかアイに伝えられる気がしないんだけれど、馬鹿みたいな話だから伝えるのも怖いよ。
ㅤ遠くで見える蛍が、手を振っているような気がして、呼ばれているのか別れの挨拶かわからなくて、見てないフリをした。真っ暗な心にぽつんと光っていた蛍が消えて、元の色に戻れた。
ㅤ私は、愛の言葉がさよならになることも、別れの言葉がラブレターになることも知っている。それを美しいと思っている。でも実際、どちらも悲しくてたまらない言葉だから一度と言いたくないんだよ。死を選べるほど自由な環境にいるなんてずるくてごめんね。
きっとどこかで、うるさい蝉から身を潜めて、星空に紛れた一番星のように光っている君へ、愛をこめて。
鳴く蝉よりも
アイもチカもメグムも愛って書ける