各々



 自然に存在する物ではないのだから、その生成方法を記すことをもって「和紙」を定義するのは妥当と言えるだろう。
 すなわち和紙を生成するにはまず原料となる楮(こうぞ)などの植物を刈り取り、それを蒸してから乾燥させ、剥いだ黒皮を水に浸し柔らかくしてから青皮まで取り去り、残った白皮を用意したアルカリ液で煮る。白皮の植物繊維が十分に炊けたのを確認できたら一定時間蒸し、今度は流水に浸してアクを抜く。そしてアルカリ液によって溶け出る非繊維物質や炊きむらがある箇所や変色した箇所などを取り除く塵取りと呼ばれる作業を行い、束になった状態から一本ずつの繊維として加工し易くする為の打解をし、あの紙漉きの作業に入る。打解した繊維が沈まずに分散するようネリを溶かした水が入っている漉き舟の中で簾桁を動かして原料を掬い、縦横に動かして一枚、一枚と漉いていく。漉いたものは圧搾機にかけるなどして水分を搾り出し、湿った状態のものを一枚ずつ剥ぎ取ってから天日干しで乾燥させる。そして製品としての用途に合わせた寸法に切れば、和紙生成の作業工程は終わりを迎える。



 植物繊維を原材料にして行われた先の生成過程の結果として得られた「もの」である限り、先に記した和紙の生成過程のうち、用途に合わせた寸法に切る最後の作業を施さなくともそれは「和紙」だと筆者は直観する。その理由は物の価値を巡る哲学的議論の重要性を意識しつつも、それ以上に和紙を生成する各過程に表現活動としての意味を見出すことに意識を偏らせているからだろう。
 その生成過程で用いる材料の選択とその理由若しくはかかる選択を行った製作者の背景とその動機又は和紙を制作しようとしたそもそもの意図や完成のピリオドが打たれた和紙の品質や形状のあちこちに、筆者は人の意思の表れを勝手に想定している。または和紙生成の長い歴史の中で各過程に必要な作業はある種の技となって磨かれていき、伝達可能なものとして型を得るのだと想像するがそれに忠実に従って無我になるのも、反対にそれを大きく逸脱して個性的になるのも生成を行う製作者の意思次第、と筆者は安易に結論づける。



 突き詰めれば「痛い!」と言う他人の感覚を筆者は自身の経験を通じて想像するしかない。このことは意識活動についても同じで、身体を異にする私たち人間の間で実生活を円滑に過ごすには仕方のないことと割り切るしかないが、他方で懐疑論の深い暗がりに入り込んで「全てが私の妄想だった!」と根拠づけられるだけの証拠も見つけられない程にこの「世界」は厳しいのだから、五官の作用によって統合された私の「世界」において私とは違う判断及び行動を行う他人の意識が「そこにある」と素直に引き受け、尊重するのが現状において最も妥当に行える態度でないか。筆者はそう判断する。
 そうして生まれるものは意思主体としてその存在を尊重する他人を通じて、筆者もこの「世界」に在る一人の意思主体として胸を張って生きようとする決意。その関係性から始められる、これが「私の世界」なのだという飛躍した論理と共に過ごす日々。
 ある種の癖を生むであろう、この角度ある世界認識の姿勢で物に接し、そこに見て取る作り手の選択意思を生成過程の内側から楽しむ。文化的交流という名目にも仮定的な当事者として参加してみる。そうしてこそ知れる交差地点の広がりがあると筆者は信じる。



 日本の楮(コウゾ)とアラビア文化又はイスラム文化圏の土地に根を張る椰子(ヤシ)を原材料に用いてする和紙の製作を、カタールを代表する芸術家であるヨセフ・アハマド氏と日本の芸術家、西垣肇也氏が共同で行う。
 出来上がった和紙の上には二人の芸術家がそれぞれアラビア語の又は日本語の書道をもって文字の形と意味を交差させ、次第にすれ違う運動性によって視覚的な美の有り様を模索する。すなわち流れるように書かれ、ヴォリュームを得て紙面上を自由に膨らんでいくような遊び感覚を見せるアラビア語に応じて、意味を求める仮名文字が固い見た目の漢字を引き連れて縦に横にと移動する。または象形文字としての「らしさ」を思い出したかの如く描かれた水墨の世界の内側で表意文字の表現が行われたと思えば、繊維質を強調した自然的形象としての和紙が並び、それぞれの質感で土の匂いを呼び覚ましたり又は色鮮やかな旅路を思い起こさせる。物らしさを発揮する和紙のイメージに誘発され、シンプルな会場の広い白壁が気持ちを託せる物理的な余白としてこちらの目に飛び込んでくれば、こうやって添えられる言葉たちと一緒くたになった芸術活動が文化的交流の垣根を低くし、その参加者を募っていく。
 カタールと日本の外交関係が樹立した五十周年の記念として実施された『紙の対話』展の歴史は、ここに来てその内容と歴史を豊かにする。



 きっと言葉は言葉、表現は表現。3331 Arts Chiyodaの会場に展示された共同作品を思い返して差し込む「もの」で、私の世界を満たしたいと筆者は願う。

各々

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  • 随筆・エッセイ
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2022-06-23

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