かざっぱりの旗 (連載中)

幕府陸軍、撒兵隊(さっぺいたい)。木更津剣客集団、義勇隊。幕府の劣勢を挽回すべく房総半島に割拠した徳川義軍府。彼等は何を思い、いかに戦ったのか。時勢の風が吹きつける江戸湾岸に、戦いの旗がひるがえる。市川・船橋戦争、五井・姉ヶ崎戦争、横田戦争へと突き進んだ名もなき群像の青春録。
忘れ去られた幕末史を描く歴史巨編、絶賛連載中!

第一章  きみさらず

 六月のそよ風が、川べりの青葉を揺らしている。花嫁を乗せた平底舟を一目見ようと、矢那川のほとりに人がひしめいていた。木更津界隈の老若男女が一堂に会したかのようなにぎわいである。
 うららかな西日に包まれて、嫁入り舟がゆっくり流れてくると、人々は歓声を上げ、川の両岸から盛大な拍手が沸き起こった。 
 朱墨で「寿」と書かれた台提灯が舳先に掲げられ、船底に敷かれた真紅の毛氈が鮮やかである。船梁に腰を掛け、白い練帽子を深くかぶった十六歳の少女が、紅をさした唇に笑みをたたえている。その後ろでかしこまっているのが媒酌人、友野七左衛門夫妻、船尾で櫓を操っているのは義理の兄、新一郎であった。
 木更津人なら誰もが、この花嫁のことを知っている。太田村惣名主、地曳(じびき)新兵衛の次女で「なを」という。
 幼い頃から礼儀作法がよく身についており、いつもほがらかに笑っている。料理が好きで、家の作男や女中のおやつにと、あられやかきもちを毎日作っているという話は町中で評判だった。梅干しや味噌の仕込みから、たくあんにらっきょ漬、豆腐までも自分で作った。一方で、当時の娘にしてはめずらしく、四書を素読したりもする。長じるにつれて肌が透き通るように白く、鼻筋がとおり、すらりと背丈も高くなった。その容姿は、花をあざむく美しさ、と誰もが太鼓判を押すほどであったから、近隣の名主や商家からひっきりなしに縁談が持ち込まれていた。
 地曳家は、潤沢な資産をつぎ込んで、文久元年に大型船一艘を購入し、海運業に乗り出したばかりであった。「明王丸」と名付けられたその船は、上口長さ六十五尺、幅十七尺、三百石積の帆船で、江戸・木更津間を活発に往復している。船頭は、鶴岡源兵衛の家から婿養子に来た新一郎が務めており、彼の妻は、なをの二歳年上の姉で「すま」といった。姉の方も太田小町と称されるほど美しかったが、なをよりずっと小柄であり、全体的にふっくらとして愛嬌がある。
 なをとすまの姉妹は、明王丸の航海安全を祈願するために、太田村から矢那川を下って、木更津湊にほど近い八剱(やつるぎ)八幡神社へたびたび詣でるようになった。

 それは、慶応元年五月のある日のこと。
 江戸橋西側の河岸から出帆した明王丸は、順風にめぐまれ、「江戸前」と呼ばれる内湾の三角波を切り分けて進んだ。そろそろ木更津湊に着くころだろう。
 褐色の袴に両刀をたばさみ、髪を総髪にした青年が、手縄につかまることもなく、懐手をして船上に立っている。
「富津岬が見えてくるとホッとするべ」
 錨泊の準備にかかりながら、地曳新一郎が声をかけた。暑い日盛りだから股引をはいておらず、印半纏の下はふんどし一丁である。
「この辺りまで来ると、風が心地いいな」
 房総半島の東方沖を流れる黒潮が、爽やかな風を吹かせるのだろうか。青年は次第に近づいてくる湊の様子を目を細めて眺めていた。
 名を、大河内三千太郎(おおこうちみちたろう)という。木更津の染物屋「島屋」の息子で、歳は十九。武士の身分ではなかったが、上総ではすでに知名の剣士であり、今回の江戸遊学で心形刀流を修めてきた。御徒町の練武館道場に三年間住み込み、小天狗と称された伊庭八郎などと鍛錬を積んだ。
「ミチタ、幕府お墨付きの心形刀流は、やっぱりすごいのか」
「いや、不二心(ふじしん)流とそう変わらない。心の修養を怠れば技も乱れると諭すあたり、剣理に通ずるものがある。技は、二刀術が面白かったな。あれはうちの流派にはないものだ」
「それ、こんど教えてくれよ」
 白い歯を見せながら、新一郎は錨を海に投げ込んだ。乗り子たちが手際よく帆をたたんだ。
 木更津の海は遠浅である。船は沖合で停泊し、干潮の場合、人は干潟を徒歩で渡る。
 三千太郎は袴の裾をからげて、砂泥に沈み込む足先を眺めながら歩いた。小さな蟹がツツツと左右へ散ってゆく。
 波止場の段々を上りきった時、そこに、「なを」が立っていた。
 姉と一緒に新一郎を迎えに来ていたのだった。
 三千太郎となをは、唐突に顔を見合わせたまま、しばらく時が止まったように動かなかった。
「なをと会うのは、初めてか」後ろで新一郎の声がして、三千太郎は我に返った。
 なをも我に返り、顔が紅潮するのを感じた。
 新一郎は、鉢巻きにしていた布で汗をぬぐうと、それをぱっと開いてみせた。雪花絞りの模様で染められた手拭いだった。
「木更津島屋の藍染といえば、江戸でもたいそうな人気なんだぞ。なを、この色男はそこの若旦那だ。ひいきにしてもらえ」そう言って二人の間を通り抜けた。
 三千太郎は、なをから目をそらし、やはり藍染の手拭いを懐から取り出して足裏の砂を払い落としながら、
「おれは、若旦那なんかじゃないさ」と、つぶやいたようであった。
「えっ」となをが聞き返すと、三千太郎は顔を上げて微笑んでみせた。
「おれは、若旦那なんて身分じゃない。島屋には朝三郎(ともさぶろう)兄さんっていう、立派な跡取りがいる。おれは妾腹。しかも染物のことなんぞ何んも知らない。ただの剣術見習いだ」
「はあ」となをはうなずきつつ、三千太郎の引き締まった口元や、切れ長の二重まぶたを目に留めた。なんて清潔な感じのするお方だろうと思った。
 新一郎が振り返って「早く日陰に入ろう。今日は暑くてかなわねえや」と二人をせかし、湊の正面にみえる八劔八幡神社の表参道を、すまと連れ立って行ってしまった。
 このとき、三千太郎も、なをも、自分たちが一月後に祝言をあげるなど想像もしなかったにちがいない。二人はそれ以上ことばを交わすこともなく、新一郎夫婦の後に続いた。
 三千太郎の少し後ろをなをが歩いた。なをの桐下駄が砂利を踏む音が涼しく響いた。

 矢那川を下って来た嫁入り舟が、舷側を川岸の石段に寄せた。
 ここは島屋の敷地内で、普段なら藍甕を洗う水が川の色を真っ青に染めて流れているところである。
 友野七左衛門の妻に手を取られながら、なをは白無垢の裾を引き上げて舟縁をまたいだ。
 そのとき、舟が少し揺れた。思わず三千太郎が身を乗り出したが、なをはぴょんと石段に飛び移り、子供のような笑顔をみせた。
 紅を引いた唇が、雪膚に映えて艶やかであった。
 媒酌人を務める友野七左衛門は、不二心流の門人であり、流派を代表する長老でもある。
 流祖中村一心斎の供養塔を南町成就寺の門前に建立した際、
 大河内幸左衛門(こうざえもん)
 同 孫左衛門
 同 総三郎(そうざぶろう)
 と共に、門石に連名刻字した一人である。
 大河内家は、染物屋であると同時に、不二心流剣術の宗家でもあった。
 初代中村一心斎から印可を受けて正統二世となった大河内縫殿三郎(ぬいさぶろう)は、三千太郎の大伯父であり、この大伯父の長弟が幸左衛門、次弟が孫左衛門、長男が総三郎である。いずれも剣の使い手で、長男の総三郎が三世を継ぐのは確実であると目されている。
 染物屋の職人は、各地に染料の藍玉を卸して廻るため、高額の現金を持ち歩かねばならず、この金を狙う野盗の類に襲われることがたびたびあった。そのため、番頭や手代が道中ざしを一本腰にさすことは護身上の必然で、店ぐるみで剣術の稽古に取り組むこともめずらしくなかったのである。大河内家も代々剣術に励むうち、やがて縫殿三郎のような剣豪を生み出すに至った。
 
 大河内家の先祖は武士である。
 天正十年、戦傷がもとで不具となった伊藤河内守(かわちのかみ)為安という十八歳の武者が、縁故を頼って信州から下総へ下り、匝瑳郡西小笹村(現、匝瑳市)に隠棲の居を構えて帰農した。子孫はやがて藍業で富を築き、縫殿三郎の代で伊藤姓から「大河内」へ改名する。西小笹村を知行地にする旗本、菅沼氏が縫殿三郎の武勇を称え、先祖の受領名である「河内」に「大」の字を冠した姓を与えたからである。血族の大半はこれを受け入れたが、「伊藤」のままでよしとした家も少なからずあった。
 本家の屋号は「喜左衛門」で、縫殿三郎は西小笹村の本家を継ぎ、藍業を継承しつつ、庭の一画に道場を建てて門人の育成に努めている。御年七十六だが、剣技にいささかの衰えもみせなかった。
 縫殿三郎の二人の弟、幸左衛門と孫左衛門は上総木更津に住み、江戸越前堀の藍問屋〈島六〉の株を買って、染物屋〈島屋〉を経営している。こちらも自宅の敷地内と八劔八幡神社の境内に道場を構えて、門弟は近隣だけでも二百人は下らない。その内訳はほとんどが商人か農民であり、木更津不二心流の門人は「島屋門」と敬称された。
 三千太郎は幸左衛門の孫である。父は「一郎」といい、不二心流の剣士として『武術英名録』にその名を留めるほどの使い手だったが、文久三年、病を得て亡くなった。
 大河内家の男たちは、どれも二重まぶたで上背があり、藍染という繊細な家業の中で育った故か、どこか絹地のような清潔感があった。亡父一郎のように、染物屋の若旦那で知名の剣士ともなれば浮いた話は避けられないのかもしれず、正妻の久との間に嫡子朝三郎をもうけた三年後、妾に産ませたのが三千太郎であり、双子の弟、常盤之助(ときわのすけ)であった。
 この時代、双子は「畜生腹」と呼ばれて忌み嫌われた。出生は弘化三年十月十五日だったが、後から出た常盤之助は一月遅れで届けられ、戸籍上は祖父幸左衛門の養子となっている。この双子の兄弟は、素性からして影のごとく生きていくことを運命づけられていたはずであるが、一郎は先に生まれた子に「三千太郎」という名を付けた。この「三」は、縫殿三郎の武勇にあやかってとられたものであり、大河内一族の長男は大抵「三郎」を通字にしている。庶流のためさすがに三郎とは名付けられなかったにせよ、「三千」とは仏教語の「三千世界」からとられたもので、「この宇宙のすべて」という意味である。常盤之助の「常盤」も、「永久不変」を意味する。この命名から伺える一郎の教養は詩的であり、気宇壮大な性格であったにちがいない。

 入相の鐘が鳴る頃、矢那川の岸から島屋まで歩く新郎新婦の晴れ姿を一目見ようと、沿道にも人垣ができていた。ハレの日をはばかってか鴉は鳴りをひそめ、湊町らしく海鳥の声が聞こえてくる。木更津の海に水平線はなく、三浦半島が遠くに見えるのだった。その上空に、山肌の赤く染まった富士山が、まるで北斎の浮世絵のようにたたずんでいる。
 誰もが二人の門出を祝福していた。好いた者同士が自分たちの意志で結ばれるなど、まだめずらしい時代なのであった。しかも、出会って一月も経ずに祝言とは、なんと痛快なことだろう。嘉永六年のペリー来航以来、物価が高騰し、幕府の権威は失墜しつつあり、江戸湾を行き交ううわさ話は、どれも暗い話題ばかりだった。そこへ飛び込んできた二人の電撃的な結婚は、手放しで祝福してはばからない町の吉事であった。三千太郎となをの初々しい晴れ姿を眺めるだけでも眼福である。
 島屋の暖簾をくぐる前に、二人はいちど立ち止まった。
 うやうやしく常盤之助が店先に出てくると、なをに朱盃を差し出した。
 なをが押し頂くように盃を手にすると、常盤之助は提子を傾けて、家の井戸から汲んだ水を注いだ。
 花嫁が婚家に入る最初の儀式だった。家の水を飲むことで、その家の人間になるのである。
 すっと飲み干すと、なをは照れ臭そうに盃を返した。
 少し緊張した様子のなをを気遣って、常盤之助が冗談を言った。
「なをさん、俺じゃだめだったの?」
 三千太郎と常盤之助の面立ちはよく似ている。強いていえば常盤之助の方が少しばかりおとなしそうに見えるかもしれない。
 この冗談を不謹慎とみた媒酌人の七左衛門は、すかさず「これッ」とたしなめたが、当のなをが吹き出したから、沿道は爆笑に包まれて、しまいには七左衛門も扇子を広げて笑い出す始末だった。
 二人が屋敷に入った後、店先や道場で酒樽の鏡開きが行われた。町の人々に祝酒がふるまわれ、子供たちには紅白の餅がくばられた。

 三千太郎となをが奥座敷に着くと、その左右に両家の親類が顔を並べた。
 大河内家は当主一郎が亡くなっているため、その席に嫡男の朝三郎が着いている。
 大柄な一族の中で、この若者だけ背が低い。しかも顔の半分が古い火傷の痕で歪んでおり、羽織の袖からのぞく手も同じように火傷で指がそろっていなかった。
 安政の頃、朝三郎が行燈を倒したことから火を出した。みるみる島屋一戸を焼き尽くすと、その炎は折からの強風にあおられて四隣に延焼し、町中あげての必死の消火もむなしく、一晩で木更津の過半を焼き尽くしてしまった。罹災戸数は三百を越えたが、幸いにも死傷者はなかった。この火事は「島屋火事」と呼ばれ、自然災害に匹敵するほどの大打撃を人々の生活と記憶に残した。
 この火事で大火傷を負った朝三郎は、幸運にも一命をとりとめた。
 幼い頃から脆弱で、寺子屋の師匠からも愚鈍と評され、あげくに失火の原因となってしまった朝三郎のことを、大河内一族は徹頭徹尾かばい、その後も暖かく育んできた。父の一郎は、島屋の私財を投じて町の復興に取り組み続けたが、その完遂を見届けることなく病に倒れ、息子の不始末を詫びながら逝ってしまった。
 この火事がそうさせたのか、生来の性格なのか、朝三郎は自分以外の人間を憎んでいるようであり、憎悪の念を誰彼構わず態度に出す。特に、三千太郎に対する当たりが強かった。
 祝儀の席にいても腹違いの弟を祝福している様子など微塵もなく、むしろ苦々しく三千太郎をにらみつけている。
 その横に端座しているのは、朝三郎の母「久」である。一郎亡き後体調を崩し、労咳を患っている疑いがあった。本来なら床に伏しているべき体にもかかわらず、体面を重んじて公の場に出てきている。しかしそれによって、三千太郎の実母である「クニ」がこの場におられず、次の間に控えていた。
 久の横にいるのが、匝瑳郡小笹村から祝福に駆け付けた大伯父、不二心流正統二世の縫殿三郎。
 その横に、島屋の店主で祖父の幸左衛門。ちなみに「幸左衛門」は屋号であり、諱は「幸芳」といった。一郎も亡くなる直前は幸左衛門一郎と名乗ったし、将来的には朝三郎がこの名を継ぐことになるだろう。
 その横に、大叔父の孫左衛門。島屋の大番頭であり、算盤もできれば剣の腕も立つ。
 その横に、髷は大たぶさ、無精ひげを生やした浅黒い男が、不二心流三世候補の総三郎。一族の総領的存在で、このとき四十一。
 さらにその横に、頭を総髪にした伊藤実心斎(じっしんさい)直行。本名、伊藤重之助。まだ二十八歳という若さだが、剣の腕は、あるいは総三郎を越えるかもしれないと目されている。子供のころ赤ら顔だったので、赤ら顔の重之助をつづめて「あかじゅう」と呼ばれていた。今でもそのあだ名で呼ぶのは総三郎ぐらいしかおらず、それが気に食わないばかりでもなかろうが、総三郎のことを嫌っている。今宵この場に居るのは一族中の「伊藤」を代表しているのと、自分が稽古をつけてきた三千太郎を祝福するためだったが、始祖の姓を名乗っている自分の席次が総三郎より下なのが心外であった。
 
 対面になをの家族もそろっている。
 父は大田村惣名主の地曳新兵衛。「新兵衛」は屋号で諱は勝政。数百年続く家柄で、名字帯刀をゆるされていた。太田山と呼ばれる小山の麓に屋敷があって、なをは幼い頃、よく縁側で伸び上がって遠くを眺めたものだった。なだらかに下ってゆく丘陵の向こうに矢那川が流れ、一面に広がる良田を一望できたからである。
 母「とみ」は、万石村の出で「万石小町」と称されたほどの美貌であり、齢を重ねても年相応の美しさを失っていない。
 跡取りは婿養子に入った新一郎勝義。明王丸の船頭を勤め、幼少から不二心流の門弟であり、三千太郎とは幼馴染でもある。
 新一郎の妻すまは、なをの大の仲良しで、姉である。巷ではなをの花嫁衣裳から嫁入り道具まで、一切をすまが見立てたと噂されていたが、あながち風紋とも言い切れない。自身の着物の仕立てから、家族のものまで、その審美眼と手先の器用さは折り紙付きであり、近隣諸村の娘たちから一目置かれていた。にもかかわらず、なぜか料理だけは上達せず、いまだなをから手ほどきを受けている。
 三千太郎がとつぜん地曳家にやってきて、なをを嫁に下さいと平伏したとき、父の新兵衛は万感の思いにかられて目頭を熱くしたものだった。
 木更津中の人々が、大河内家と島屋門を尊敬していたからである。

 関東筋は、土地の多くが幕府の直轄領か幕臣の知行地で、「藩」というものがほとんど存在しない。現在の千葉県域には十七藩しかなく、佐倉藩十一万石を最大として、古川藩八万石、関宿藩四万八千石、久留里藩、飯野藩三万、大多喜藩二万と続き、残りはすべて一万石程度の小藩だった。四十万石を越える「大藩」は一つもなく、住人の多くは徳川家直属の民であるといっていい。
 直轄領を管理する代官所は、ごく少数の事務官僚で運営されており、細かく入り組んだ知行地を治めていたのは各個の旗本であった。どちらも領内支配のための武力をほとんど持たず、幕府の権威を後ろ盾にしているだけである。したがって治安維持能力が極めて低く、さらには一所から上がる年貢米を複数の旗本で分け合っていたりもするから、その土地の責任者が誰なのか不明瞭である場合が多かった。このような地域では行政改革が行われ難く、治安が悪化しやすいのは必然であって、大げさにいうなら無法地帯に近い土地柄となっていた。
 かつて、徳川家康が豊臣を滅ぼした大阪冬の陣において、木更津の船乗りたちが複数徴用され、合戦の勝利に貢献したという。この功績により、江戸・木更津間の渡船営業権を独占的に与えられていた。日本橋と江戸橋の中間付近に木更津河岸が設けられ、ここへ行き交う商船は木更津船、通称「五大力船」と呼ばれている。力持ちの五大力菩薩の名にあやかるこの船の喫水は浅く、船体の幅も狭く設計され、海だけでなく河川も航行できるようになっている。一般の廻船なら荷物をいったん伝馬船などに移すが、五大力船は直接河口に乗り入れることができた。乗り子たちが舷側の棹をかきながら「ヤッサイモッサイ(そこどけそこ通せ)」と威勢のいい掛け声で遡航して来るから、出船入船もこの船を見ると避けて通った。荷物の輸送だけでなく渡航客も受け入れており、房州までの所要時間は順風であれば四時間程度、運賃は二百文ほどであった。
 江戸時代の往来は検問が厳重で、箱根の関所などは特に有名であるが、木更津河岸には公設の船番所がなく、面倒な査検もなく江戸湾を渡れるとあって人気があった。しかしそれによって、犯罪者や逃亡犯なども多数流入してくる。湾岸屈指の木更津湊は港湾人足の溜まり場でもあったから、暴力沙汰は日常茶飯事で、殺人でさえめずらしくない。不安定な治安を取り締まる役人もほとんどいない。
 あれは確か、四年ほど前の事だったと地曳新兵衛は回想する。

 木更津南町で強盗事件が起こった。犯人は勤王の志士を自称する連中で、白昼堂々と辻に立ち、「鎖港攘夷のための義兵を挙げ、勅旨をもって幕府の罪を問い正し、塗炭の苦にあえぐ百姓を救わんとす」などと宣言するあたりはもっともらしかったが、軍用金を強請し、近隣の商家に押し入るとなれば強盗の所業と変わらない。あげくにさらなる金穀と逃亡用の船まで要求し、金物商和田屋の娘「りう」を人質に取った。
 この騒ぎが、島屋の不二心流道場に知らされたとき、門弟を指南していたのは「若先生」と呼ばれていた大河内阿三郎正道(あさぶろうまさみち)、十八歳だった。
 正道は、正統二世縫殿三郎の晩年の子で、総三郎の弟である。幼少から父に剣術を叩き込まれ、十三歳で神道無念流の斉藤弥九郎道場に入門、先ごろ帰郷したばかりであった。
 木更津や周辺の村々で何か騒動が起きた場合、住民が真っ先に頼りとしたのが島屋門だったのである。代官所の武士よりも勇敢に危険の中へ飛び込んでゆく。しかも、そのことに対する見返りを一切求めず、ただ人々のために戦うことを是としていた。流派自体にそのような思想があり、それゆえ町人や農民に支持されてもいる。
 尊王攘夷を騙る強盗団は十人を下らなかったが、辻の人だかりを素早くかき分けて突き進むと、正道はすかさず抜刀し、賊の一人を峰打ちにした。
 と、そこまでは良かったが、りうの首に腕をまわした領袖とおぼしき浪人が、どこで手に入れたものか、突如懐から拳銃を取り出したから、野次馬からどよめきが起こった。さすがの若先生も、それ以上踏み込むことができない。
 八劔八幡神社の道場にも危急が告げられた。この日そこで稽古を付けていたのは三千太郎と、宮司の嫡子、八劔勝壽(かつなが)だった。
 勝壽は、「壽」の字が難しすぎるといって自分の名を嫌っている。そのせいかわからないが、まわりの者たちは名を音読みにして「しょうじゅ」と呼んでいた。代々国学を修めている家柄でもあったから、普段から狩衣に指袴といった神職らしい出で立ちで、長くのばした髪を頭上で結い上げている。日に焼けたいかつい漢の多い木更津界隈の若者にしては、ふと見れば女性と見まがう上品な面立ちであった。
 その勝壽が、
「相手が鉄砲じゃあ、さすがのマサミっつぁんもお手上げだべ」と、めずらしく弱気なことを言った。
「おれは、これでいく」三千太郎が手に取ったのは鎖鎌であった。
「ああ、それなら対抗できるかもしれないな。ミチタが鉄砲野郎をぶちのめしてくれりゃあ、あとの雑魚はおれがやっつけるから」
 二人が現場に駆け付けた時、正道はじりじりと間合いを詰めながら、拳銃を突き出した男をにらみつけていた。この正道の気魄が、事態をいい具合に膠着させていた。
「マサ兄ィ、ここはおれにまかせてくれ」
 三千太郎は鎌の柄を右手に持ち、垂直に立てて胸の前で構えた。左手に分銅の付いた鎖を垂らす。これをひゅんひゅんと回転させながら、賊の領袖に近づいていった。この時の落ち着き払った三千太郎の涼しげな眼差しが、後で町中の話題になったものである。
 いつ賊の銃が火を吹くか、弥次馬たちは息を呑んだ。
 引金が早いか。鎖の方が先か。
 突然、人質のりうが男の脛をかかとで蹴った。
 一瞬、男がよろめいたのと分銅がみぞおちを突いたのは同時であった。
 すかさずりうの体を勝壽が抱き留め、その間に正道が猛然と剣をふるって三人の賊を峰打ちにしていた。後の者はちりぢりに逃げ去った。
「こいつら……」刀を収めた正道が地べたに転がった拳銃を拾い上げた。「幕府を批判していたそうじゃないか」
 門弟たちが賊徒に縄をかけているのを眺めながら、正道はそれと意識したかどうかわからないが、江戸城のある北の方へ顔を向けて、
「国の護りは、朝廷から大政を委任されている徳川将軍家のお役目。このような押し借りゆすりの輩が、おこがましいにもほどがあろう」と、吐き捨てるように言った。
 悪漢にはがいじめにされ、とっさに勝壽の胸に飛び込んだりうは、恐怖にわななきながらひしとしがみついていたが、ようやく人心地がつき、我に返って顔を上げた。
 勝壽と目が合うと、きつく寄せていた眉をひらいて、とたんに頬を紅潮させた。
 勝壽も顔が上気して、二人は慌てて身を離した。
 その様子を見た正道がからかうように、
「おまえが助太刀せんから、賊を数人逃してしまったぞ」と苦言を呈した。
 南町の強盗騒ぎは、すぐさま大田村にも伝わってきた。地曳新兵衛はこのとき、初めて三千太郎の名を聞いたのだった。総三郎と正道の兄弟、伊藤実心斎などの盛名はこれまで幾度も耳にしてきたが、この一件で新たな剣士の名が一夜にして知れ渡ったのである。もしもこれが江戸表の事件だったら、きっと錦絵の題材にさえなっていたことだろう。
 そんな少壮気鋭の大河内三千太郎に、我が愛娘が嫁ぐのだと思えば、これ以上の良縁は考えられず、感極まって涙も出ようというもの。新兵衛は懐紙で水洟をかみつつ、にじんでくる涙をぬぐうのであった。
 外が夕闇に包まれて、座敷の雪洞に火が灯された。
 媒酌人の友野七左衛門が容儀をただして盃事を執り行う。
 三の杯を三千太郎が飲み干すと、
「ご祝着にござる」
 なをがを飲み下すと、
「内助の功を立てられよ」
 それぞれに声をかけた。
 三千太郎がちらとなをの様子をうかがうと、なをはすぐにその視線に気が付いて、眼を細くして微笑み返す。
 一目見たときから、なをのことしか考えられなかった。
 五月のあの日、木更津湊で初めて出会ったその日から。

 三年ぶりにみる島屋は、相変わらず繁盛していた。白壁土蔵造りの店舗は南町で一番大きな建物であり、暖簾の下をひっきりなしに人が出入りしている。木更津で売れたものは江戸でも売れるとうたわれたほど、この町は流行の最先端であり発信地だった。人の動きや風俗に厳格な規制がなく、いわば一種の自由都市であったから、消費者の志向を捉えやすかったのだろう。江戸から商品を買い付けに来る商人や観光客でいつもぎわっている。
 三千太郎が店先に現れると、帳場格子の前を行ったり来たりしながら大福帳をくくっていた番頭風の男が「おや」と顔に喜色を走らせた。
「ミチタじゃないかえ」
 さっそく駆け寄って行李を降ろしてやり、長期にわたる遊学の労をねぎらいつつ、丁稚に足の洗い桶を用意させた。びんつけ油でまとめた小銀杏の髷を輝かせ、てきぱきと動くこの若旦那は、島屋の大番頭孫左衛門の長男で茂三郎(もさぶろう)という。三千太郎より六歳年上で、すでに父を助けて店を切り盛りしている。無駄のない生産性の高い身のこなしは、これも不二心流の稽古の賜物だろうか。熱めのお茶に塩昆布を添えて出すあたり、万事においてぬかりがない。藍染の専門店のことを「紺屋」ともいうから、紺屋の茂三郎をつづめて「コンモ」という愛称で呼ばれている。
「どうしたんだい、なんだかぼんやりしてるじゃあないか、波に揺られて疲れがでたのかい、そんなやわなミチタでねぇべか、まあまあ今夜は盛大に祝ってやるから、腹を空かせて楽しみにしていな」と商売人らしい諧調のある声で一息にまくしたてた。
 湊から直に仕入れてきた新鮮なカレイと車えびの煮つけ、しゃこの塩ゆでが大皿に盛られ、芯にかんぴょうを入れた分厚い太巻きずし、小蟹の味噌汁、あさりのたたき味噌、いいだこのうま煮、うごの酢の物、各種野菜の煮しめと、これでもかと並べられたお膳には、松竹梅をかたどった干菓子まで添えられている。
 当主の幸左衛門に上座を勧められた三千太郎は、三年ぶりに再会した一族に慰労され、にぎやかな団らんの主役であるにもかかわらず、どこかうわの空であった。飲みかけの杯を手にしたまま、なかなか箸も進まない。
 そんな三千太郎の不可解な様子を見逃さなかったのは、総三郎の娘、四つ年長の豊(とよ)である。父親が取り決めた男の元へ一時は嫁いでいたが、早々に離縁して戻って来た。
 三千太郎が厠に立つのを見計らって、豊は後についてゆき、縁側で事の次第を問いただした。
 三千太郎は慌てて取り繕おうとしたが、いつもは冷静沈着のミチタが、視線を泳がせて口ごもる様を、これはひょっとして恋煩いかもと察したあたり、女の感の鋭さといえようか。
 言い当てられた三千太郎は観念したとばかりに、
「豊姉ェ、誰にも言わんでくれ。おれはどうやら、すまさんの妹を好いてしまったらしい」
と真っ赤になったのは酒のせいではあるまい。生まれて初めて味わう胸の苦しさに耐えかねて、三千太郎は差し迫った様子で豊にたずねた。
「豊姉ェ、おれはこれからどうすればいい」
ふふんと豊は貫禄のある含み笑いをしてみせた。
「結婚するんだよ」
「結婚! まだ早えべ」
「早いもんか。お互い、ちょうどいい年頃だよ。近ごろあ二十歳を過ぎた女は年増あつかいさ。あたしなんか肩身が狭いよ」などと愚痴をこぼしつつ、
「まずは何か、贈り物をしてみな。うちは染物屋なんだから、上等な藍染をみつくろって、あんたが好いているという気持ちを、その子に伝えなきゃ」
「おれに、そんな器用なまねができるかな」
「うじうじしてんじゃないよ。相手の懐に飛び込まないで、どうして勝つことができるんだい」
 そう言われれば剣士として返す言葉もなかったし、何かしらきっかけをつくらなければ進展など望めないのは確かだろう。
 
 亥の刻にさしかかるころ、三千太郎は常盤之助と連れ立って島屋の邸宅を辞去した。二人は木更津南郊の母の家で暮らしている。実母のクニは、借家住まいで小料理屋をしていた。
 一郎の死後、息子たちと本邸の方へ移って来るよう幸左衛門から再三促されたが、本妻の久や朝三郎の胸中をおもんぱかればそのようなことは死んでもできず、なにより店をきりもりして忙しく立ち回っているのが好きな性分でもあったから、かつて一郎が仕立ててくれた藍染の暖簾をたたむつもりはなかった。
 今宵まったく箸の進まなかった三千太郎のお膳の余りと、クニへのお土産を豊がお重に詰めてくれたので、三千太郎は重たい風呂敷包みをぷらぷらさせながら下駄を鳴らして歩いた。常盤之助はいける口だから、周りにすすめられるがままに呑んで、したたかに酔っていた。
「ミチタはいいよなぁ。やりたいことがはっきり定まってて」襟足のあたりを搔きながら嘆くような声を上げた。
「おまえも剣の腕が立つのだから、江戸に遊学させてもらえばいいじゃないか」
「いやいや俺は」と常盤之助は頭の上で手をゆらゆらさせた。
「剣で身を立てるほどの覚悟を固めてない」
「なら、藍染の道へ進んだらどうだ。器用だしな」
「いやいや」と、手をゆらゆらさせた。
「どちらも覚悟ができてねーのよ。ほんとうにやりたいことが見つかってねえんだ」
「常盤はなんでも人並み以上にできるからな。器用貧乏ってやつだろう。その点おれは、染物のことはまったくわからないし、興味もない。剣が得意というより、それぐらいしかやれることがない」
「謙遜しちゃってよう」常盤之助がからかうように笑い出すと、とたんに足がもつれてふらつき、三千太郎が慌てて体を支えた。
 三千太郎にもたれかかり、草履を引きずるようにして家の上がりかまちにたどり着くと、常盤之助は板敷に倒れ伏していびきをかいた。
「母さん、腹減ってないか。豊姉ェが余り物を持たせてくれたから、一緒につまむべ」
 風呂敷を開くと蒔絵黒塗りの重箱が三つ重ねられていた。
「お酒呑むかい?」
 三千太郎は蓋を開けながら首を振った。
 クニは土間へ立って、麦湯を入れて戻って来た。
「これはまた美味しそうな落雁だねぇ」と梅の花をかたどった桃色の干菓子を手に取る。
「母さんは、結婚して幸せだったか」
「また急にそんなことを」
「所帯を持つのって、大変なことかな」
「好きな娘さんでもできたのかい」
 いや……と口ごもりながら、三千太郎はシャコの殻をむいた。
「あたしは囲い者だからね。本妻のお気持ちを差し置いて、幸や不幸を言うのははばかられる。でもね、旦那様はほんとうに優しいお人だった。誰かに惚れたり、惚れられたりすると、人ってしぜんと心にハリが出てがんばれるものだね。幸いにも、あんたらみたいな子宝にも恵まれたし」
 三千太郎はほのかな笑みを浮かべると、指先を拭い、麦湯を一口飲んだ。
「それにしても母さんは、島屋の母様とは、まったく性格がちがうな。あのひとは陰、母さんは陽」
 クニは「あら」という顔をしてみせた。
「お久さんは生真面目なお方だから、立派に商家のおかみさんを務めていたし、あたしは元気ぐらいしか取り柄がなかったけど、旦那様の気晴らしにはなっていたでしょう」
「仲、良かったよなぁ。物心ついた頃は、母さんが本妻だと思ってた」
「あんたたちには肩身の狭い思いをさせてきたね。ほんにすまないと思っているよ」
「何言ってんだ。肩身なんかちっとも狭くねえさ」
 三千太郎は煮しめに箸を伸ばした。
「島屋火事のあと、父さんは万金をいとわず町の復興に努めたって、今でも語り草になってる。おれは、そんな父さんのことを誇りに思うし、木更津の町を、父さんの形見だと思ってる」
 人心地ついて足を投げ出した三千太郎は、思い出したように大きなため息をついた。
「今夜、やっぱり朝三郎兄さんは顔を見せてくれなかったよ」
 妾腹の子の故に、正嫡に嫌われるのは致し方ないことかもしれないが、クニが年々気がかりなのは、三千太郎が非の打ちどころのない男児に成長すればするほど、図らずも久や朝三郎の感情を害することになってしまわないか、ということであった。クニは膝を正して息子を見つめると、
「いついかなるときも、朝三郎さんを心から敬い、長幼の序をわきまえるのですよ」と、つい口やかましく言ってしまう。

 翌日、三千太郎は、邸の西向きにある朝三郎の部屋を訪った。
「兄さん、なかへ入ってもよろしいですか」
 しばらく間をおいて、「ああ」とけだるそうな返事が山水柄の襖の向こうから聞こえた。
 ゆっくりと敷居の溝を滑らせて襖の一方を開けると、和綴じ本に埋もれて朝三郎が寝転んでいる。
 過度の本好きで、経書や思想書の類は一切読まないが、漫画のような趣の黄表紙やら洒落本、人気の読本などは必ず貸本屋から取り寄せて読んでいる。安房を舞台にした『南総里見八犬伝』は版本全巻を揃えており、八犬士や武将の浮世絵を収集するのが趣味だった。
「兄さん、おれは絵のことはよくわからないのですが、なんでもこれは歌川国芳の武者絵だそうです。江戸の土産です」
と差し出して、両の手を畳に付けて平伏した。
「長らく留守をしましたが、おかげさまで他流の極意を学ぶことがかないました。これからも修業に励みますので、どうぞよろしゅうお願い致します」
「国芳、じゃない、だろ」
「はい?」
「これは、国芳じゃない。国吉って、誰だ、こりゃ」
 朝三郎が畳にふわっと投げ出した和紙を拾い上げてみると、なるほど絵師の署名は国吉だった。朝三郎は寝転がったまま、
「浮世絵でも、あてがってりゃあ、おれが、喜ぶとでも、思ったか」
 火傷で引きつった頬の皮膚が、片方の目尻と口元をこわばらせているせいか、朝三郎はいつも相手をにらみつけているような顔つきをしている。表情を見ただけでは、その内心を測りかねるものがあった。しかも、片方の口角が動かないため、活舌も悪い。
「これ、けっこう値が張ったものだったのですが……」
「大河内家は、先祖が田舎者ゆえ、格式、というものを、理解しておらぬ。妾腹を江戸へ遊学させ、身の丈を越えた贅沢など、させるから、国吉などという贋物を、つかまされもするのだ。しかも、それを、したり顔でおれのところへ持ってくる、などとは、笑止千万」
 朝三郎の機嫌を損じてしまったことを、三千太郎は再び平伏して詫びた。
 三千太郎は、これまで一度も朝三郎と風呂へ入ったことがなかったから、くわしいことは知らないのだが、この邸で育った茂三郎や正道の話によると、朝三郎の火傷の痕は全身におよび、腰から太ももにかけての皮膚の引きつり方が特にひどいため、長時間正座するのはきついらしい。
 そんな朝三郎のことを、三千太郎は掛け値なしに尊敬しているのである。かつて全身に火傷を負い、一時は死にかけた少年が、たとえ大きな障害が残ったにせよ無事に生き延びたのである。今でも三千太郎の幼い記憶の中に、全身を晒し木綿でぐるぐる巻きにされた十二歳の朝三郎の姿が焼き付いている。白い木綿が血と膿でべったりと染まり、その中に未だこと切れぬ生命が呼吸をしているという事実に幼いながらも脅威を感じたものだった。あの兄の姿を思い出すたびに、三千太郎は畏怖の念すら覚える。あの生命力こそ、武人が最も必要とする本質的な強さなのではあるまいか。亡き父には、この強さがなかった。朝三郎のそっけない態度や物言いに腹の立つこともしばしばあるのは事実だったが、剣術の修業を積むにつれ、三千太郎は兄の生命力にあやかりたいとすら願うのである。

 島屋の広大な敷地には、染め液を作るための大きな甕が列になって埋められている。甕と甕の間に火壷が設置され、かんな屑を燃やして温度を調節しつつ、藍の発酵を促進させると一週間ほどで染めごろの染料ができるのだった。この一連の作業を「藍建て」といった。
 藍を建てるための温度調節が作業の要であり、これが一番繊細な感覚を必要とする作業でもあった。この場所へ来ると、いつも藍甕のそばに腰をかけて、銀のキセルをくゆらせている若者がいる。
「ヌイ、ちとかまわぬか」
 三千太郎が声をかけると、若者は我に返った様子で振り返り、煙草盆を引き寄せると、ぽんと雁首をたたいた。
 歳は、三千太郎と同じである。
 島屋の大番頭孫左衛門の息子であり、コンモこと茂三郎の弟である。正統二代縫殿三郎の一字をもらって縫之進(ぬいのしん)という。月代を剃ってはいるものの、髷を後ろに垂らしたままだったから、しぜんといま流行りの壮士風の髪形になっている。
 物心ついたときから染液を指に付けたり着物に擦り付けたりして遊ぶ子供だっただけに、すでに藍染職人として頭角を現している。店主幸左衛門から「天賦の才」と太鼓判を押されるほどの腕前であった。布に様々な趣向の模様をつける型付職人でもあり、流行の発信地である木更津の、その発信源ともいえる存在になりつつある。
「ヌイよ、伏して頼みたいことがある。年頃の娘が喜びそうな藍染の手拭いを一本、みつくろってくれないか」
 三千太郎が照れ臭そうに切り出すと、
「年頃の娘? ああ、荒武者ミチタも、ついに恋をする年頃になったのかい」などと年上のように苦笑すると、刻み煙草を一つまみ、指で丸めて火皿に詰めた。チッチッと火打石を使いながら、
「恋の色って何色かねぇ」と遠い目をしながら細い煙をはいた。
「考えたこともねえな」
「ミチタはいま、どんな気分だ」
「あの娘のことを考えると、胸が苦しいような感じになって、飯も喉を通らなくなる」
「その気持ちを色にしたら、四回ほど染めた藍に刈安を重ねた感じにならねえか」
「さっぱりわからん」
「ミチタの恋は、暗い色味か」
「いや、苦しいけど、暗くはない」
 ほう。と縫之進は思案顔をして、渋茶を一口すすった。
「なら、甕覗きがいいかもしれねえな。ちょっと甕をのぞいた程度しか染液に浸けないから、淡い色になる。清潔な色味だから、きっと気に入ってくれるだろうよ」
「頼む。その手拭いを一本、おれに売ってくれないか」
 縫之進の染めた手拭いは、今や江戸表でも飛ぶように売れている。値が上がり過ぎて庶民には手が届かなくなっているほどであった。そんな中でも最新作の売り物を、縫之進は店の桐箪笥から取り出した。
 広げてみると、灰みの青地に白いたんぽぽの綿毛がいくつも空を漂っているような可愛らしい図柄で、
「鼓草綿毛之舞(つつみぐさわたげのまい)と名付けた一品だ。どこの娘にやるのだか知らねえが、きっと気に入ってくれるさ。金はいらん」
 キセルをくわえたまま、仕事場へ戻って行った。
「恩に着る」
 三千太郎は語気を強めて頭を下げた。
 年がら年中甕場に籠りきりの縫之進であるが、職人仕事に疲れると、ふらりと道場へやって来る。そして、創作のうっぷんを晴らすように竹刀を遮二無二に振り回すのだった。その立ち回りは、一見でたらめな剣舞のようにも見えるのだが、実戦となったら案外、ヌイが最強かもしれないと三千太郎はつねづね思っている。

 八劔八幡神社の道場に祀られているのは八幡大菩薩である。神前に座礼をして、一日の稽古が始まる。
 門弟の顔ぶれの中に、ひさしぶりに地曳新一郎が交っていた。「明王丸」が帰港している合間にひと汗かきに来たのだろう。地曳家に婿入りしてからというもの、忙しくて以前のように稽古に顔を出せなくなっていた。
 幕府が海外に門戸を開いてからというもの、国内経済は混迷を極めており、貨幣や物産の流出に歯止めがかからなくなっている。しかし、いかに景気が悪いといっても、木更津の五大力船は江戸と房総地域を結ぶ大動脈であったから、休む暇もなく、定期便は運航していた。
 面鉄と竹胴を着けた新一郎が、右肩の脇に竹刀を立てて構えたのは、みなぎる闘志のあらわれだろう。他の門弟たちがそれを見て、
「八相の構えか」とざわめく。
 一方、三千太郎は、竹刀の剣先を新一郎の左眼に向け、中段の構え。
 一足一刀の間合いを破り、新一郎が気合をかけて打ち込んだ瞬間、すかさず籠手を打たれた。あまりの速さに刃筋がまったく見えなかった。
「もう、ミチタとは互角に打ち合えん」
 面を外した新一郎は、半ば呆れ顔で笑った。
 日が中天にさしかかり、稽古着がじっとりと汗ばんでくる。
 新一郎がもろ肌を脱ぐと、背中から腕にかけて描かれた、赤い牡丹の入墨が鮮やかであった。
 この彫り物は、お洒落が目的なのではない。船乗りは不慮の死に備えて身元がわかるようにしているである。「板子一枚、下は地獄」ともいわれたように、海の仕事には大きな危険が伴う。江戸湾内を航行する船でさえ、天候が荒れれば沈没することもめずらしくなかった。
 それにしても、彫り物といえば龍の図柄が定番であったのに、牡丹とはいかにも女性的な趣向のようにも思われる。あるいは新妻のすまの好みであろうか。船頭の女房となって以来、航海安全を祈願するすまの信心はけなげなほど一途で、波止場にある直営の船宿に居る間は、日々八劔八幡神社への参拝をかかしたことがない。ときどき料理の練習をかねて、実家にいる妹を誘い出すこともあった。
 三千太郎が江戸に出ている間、島屋門の門弟たちは地曳の姉妹とすっかり親しくなっていたらしい。三千太郎は、縫之進に見つくろってもらった手拭いを畳紙で包み、防具入れの底にしのばせて、一日千秋の思いでなをの来訪を待っているのだった。
 昼飯時、すまが提重箱を持って道場の板敷へ上がって来た。かまちで履物を脱いでいるのは、なをだろう。
 二人とも黒襟の地味な小袖を着ていたが、これが江戸の流行りであることを三千太郎は知っている。着物を腰のところで折り上げて、しごき帯を斜め後ろに垂らす。幕府が庶民の贅沢を厳しく取り締まった結果、地味で家事に適した恰好が洗練されて、今では流行の装いとなっているのである。
 なをは道場の敷居をまたぐと、真っ先に三千太郎の姿を探したようであった。そしてちらと目が合うと、すぐに視線をそらして姉の横に座った。
 重箱の中身は、山盛りの巻きずしと、紅白なます、たくあん、そして大量のあられであった。
「あられは八つ茶にどうぞ」となをが言った。
 門弟たちの手が待ち焦がれていたように伸びてきて、あっという間に巻きずしも漬物もなくなってしまった。皆、「やっぱりなをさんの弁当は美味いなぁ」と唸りながら頰張る。すまがふてくされたように声を上げた。
「あたしだって手伝ってるんだからね。ふと巻きを切り分けたのはあたしなんだから」
 どっと道場が笑いに包まれた。
 三千太郎は手を膝にして、なんとか平静を装っているものの、内心では他流試合よりも緊張していた。なをがはす向かいに座っているというだけで心臓が高鳴る。この場に居る誰よりも、なをの手料理を食べたかったのは三千太郎であろうが、わずかに手を伸ばすのが遅れたために、残っているのはあられだけだった。なをが「八つ茶に」と先に言ったおかげで残っている。
 何も口にしていない三千太郎に向かって、
「あられ、いかがですか」
 緊張した様子でなをがすすめた。
 三千太郎は黙って頭を下げ、一粒つまんで口に入れた。
 なをの料理上手は木更津一帯では知らぬもののないほど有名であるが、なるほどこれは匂いからして香ばしく、醬油と青のりの風味が口の中いっぱいに広がる。
 思わず「美味い」と三千太郎が口走ると、なをの頬に赤みがさした。
「うちはお正月に、たくさんもち米を搗くんです。おろした山芋を少しずつ入れながら搗きます。それを小さく切って、乾かして、食べるときほうろくで煎ると、ぷくっとふくらんで、ふわふわのあられになるんです」
 早口で説明するなをの横顔をのぞき込んだすまが、
 「けっこう手間がかかってるんですよ」と補足してみせた。
 今朝、二人で酢めしを交ぜているときから、そわそわした様子のなをを見てそれとなく察していたが、相手は三千太郎さんだったか、と得心する。
 
 五大力船の出航は、潮の具合に問題がなければ未明であるから、新一郎は昼で稽古を切り上げた。
 上がりかまちまで見送りに出た三千太郎に向かって、すまが出し抜けに言った。
「三千太郎さん、わたしたちは朝が早いから、なをを川舟の着場まで送ってあげてください」
 それを聞いて驚いたのはなをであったが、新一郎も空気を察し、意味ありげに含み笑いを浮かべて三千太郎の肩を叩いた。
 舟着場まで、道場から歩いてすぐである。地曳夫婦のせっかくの気づかいにもかかわらず、三千太郎となをは、お互いかしこまったまま何も話さなかった。
 矢那川の流れはおだやかで、喫水の浅いべか舟は、棹をさして上流まで遡航することができる。なをは船頭に船賃を渡すと、何か言いたげな表情をして振り返った。しかし、舟はゆっくりと川岸を離れた。
 何とも言えない物哀しさが、三千太郎の胸を締めつけた。なすすべもなく立ち尽くしていたが、突如「あっ」と思い出したように道場へ駆け戻る。
 板敷をけたたましく踏み鳴らし、防具入れに手を突っ込んで白い包みを取り出すと、すぐ道を取って返した。
 なをを乗せてゆっくりと遡上するべか舟に追いつくと、全力で走って気持ちに勢いがついたものか、三千太郎は船頭に向かって「頼む、乗せてくれ」と声をかけた。
 川岸に寄せた舟に乗り込むなり、三千太郎は息を弾ませて言った。
「なをさん、これ、あられのお礼です」
 突然のことに、なをはことばも出ない様子であったが、三千太郎にすすめられるがまま畳紙を開くと、「まあ」とかん高い声を上げた。
 「すごくきれい」
 その手拭いは、と言いかけて、三千太郎はことばをつまらせた。鼓草……、なんだっけ。
「いただいてもよろしいのですか。お高い品ではございませんか」
「うちは紺屋ですから、そういったものは、いくらでもあるんです」
「ありがとうございます。大切に使わせていただきます」
 なをはひしと手拭いを胸に抱きしめた。
 三千太郎はべか舟に乗るのが初めてで、その船足のあまりの遅さがかえって新鮮に感じられる。
「なをさんは、いつもこれに乗ってくるのですか」
 との問いに、歩いた方が早くないですか、という含みもあると察したなをは、袖を口元にあててくすくす笑った。
「わたし、怖くてあすこを通れないんです」
と、川の左方向を指差した。そこには、うっそうと茂る竹やぶがある。
「ああ、西光寺の処刑場。確かに、あすこは昼でも薄気味悪いな。おれも稽古で請西藩に行くとき必ずあの脇を通るから、その気持ち、わかります」
「三千太郎さん、請西に出向くことがあるんですか」
「出稽古の手伝いで。子供の頃は足しげく通いました」
 請西藩地は、遡上する舟からみて右側に見える台地である。
「あすこはうちの近所だし、わたしの従兄は請西藩士なんですよ」なをは誇らしげに言った。
 
 請西藩一万石は、三河以来の譜代、林家が治めている。
 林氏は、徳川がまだ「松平」姓だった頃、家康から遡ること八代の祖、松平親氏の世話をした林光政の子孫であった。貧しい光政が、正月に親氏をもてなすための料理を用意することができず、みずから山野をめぐって得た一羽の兎を吸い物にした逸話は、徳川家草創期の美談となって語り継がれている。この故事をもとに、林家は代々正月に兎を献上し、家臣で最初に杯を賜る栄誉を授けられていた。旗本として領地を加増され、文政八年、一万石の大名に取り立てられたのである。
 領内に城はなく、台地上に建てられた真武根陣屋が政庁であった。
 矢那川を挟んでその真向かいに位置する小高い丘が、なをの実家の裏山にあたる太田山である。
 
 田植えを終えたばかりの水田が、空を映して広がっていた。
「三千太郎さんは、お百姓さんが田の畔を作るのを見たことありますか」
「じっくりと見たことはないかなぁ」
「鍬で泥を掻き上げて、上を平らにならして、びっくりするぐらい手早く上手に作るんですよ。農繁期は、村の奥さんたちがねんねこ(赤ん坊)をえじこに入れてそこら中に置いているから、わたし、お守りをさせてもらうんです。ねんねこって、いい匂いがして、やわらかくて、すごく可愛いですよね」
 三千太郎はふと、これまで生きてきて、こういった話題に触れるのは初めてのことではないかと思った。ひたすら剣の修業に打ち込んできただけの自分が、なをが語る赤ん坊の話に耳を傾けて、それを楽しんでいるという事実に少なからず驚きを覚えた。
 太田山を真横に見るあたりにさしかかると、舟が舳先を少し傾ける。川岸の小さな桟橋に寄せると、そこでなをは舟を降りた。三千太郎はこの先どうしたらいいのか測りかねていたが、なをの方から、
「三千太郎さん、お茶でも飲んでいかれませんか」と声をかけてくれた。
 ここがなをの生まれ育った村だと思うと、一木一草に至るまで尊く思えてくる。三千太郎は、汗臭い稽古着のままここまで来てしまったことに今さら気がついて、襟元や袴を正すのだった。
 道の傍らに、いんげんや水ぶきが生えている。あらゆるところに食用の植物が植えられており、町の往来とはちがった匂いがする。シラサギが長い脚を一歩一歩踏みしめるように水田の中を歩いていた。
 太田山を間近に仰ぎ見ると、樹木の緑が色濃く盛り上がり、どこか神域を思わせるような壮言さを感じる。
「この山……」
 なをは三千太郎にささやきかけるように言った。
「恋の森、っていうんです」
 貴族の和歌にでも出てきそうな響きだと思ったが、不思議と三千太郎は違和感を覚えなかった。
「どんな由来があるんですか」とたずねると、なをはそれが質問の答えでもあるかのような調子で、
「この山のてっぺんに立つと、木更津の町が一望できるんですよ」と言った。
 太田山といっても、規模からいえば小高い丘と呼ぶ方がふさわしいかもしれない。しかし山頂へ続く道の勾配は思っていたよりも急だった。
 坂道を少し上ると、なをの実家を見下ろすことができた。間口十五間以上はあろうかと思われる茅葺きの主屋、大きな長屋門、馬小屋、納屋、木小屋、どの建物も手入れが行き届いており、三棟並ぶ土蔵の漆喰は塗りたてのように白かった。
 見た目から想像するよりもずっとたくましい足取りで、なをは三千太郎の先を歩いた。
「三千太郎さんは、木更津という地名の由来をご存じですか」
 少し息を切らせながら振り返る。
「なにぶん、おれは学問がなくて、恥ずかしながらそういった知識が微塵もない」
 照れ臭そうに苦笑する三千太郎を見つめて、なをが目を細めた。
 坂を上るにつれて、二人の額のあたりにうっすらと汗がにじんでくる。
「上古の時代の話なんです」
と、なをが前を向いたまま語り出した。

 かつて、景行天皇に命じられて東国遠征に向かったヤマトタケルノミコトは、三浦半島から船で房総半島へ渡り、上総を経て東北地方へ遠征しようとしていた。
 妃を連れて相模の海岸から船団を繰り出そうとした矢先、それまで快晴だった空模様が一変して怪しくなった。暗雲に稲妻が走り、地響きのような雷鳴がとどろく。激しい風雨が海を荒らし、タケルの軍勢は足止めを余儀なくされた。このとき、タケルが荒れ狂う海を見て「水走る」と叫んだことから、かの地を「走水(神奈川県横須賀市)」と呼ぶようになったと伝わる。天候の回復を頼み、出航を待つこと数日、野獣が猛り狂うような嵐は一向に収まる気配をみせない。すぐ目の前に房総半島が見えているのに、無為の時間だけが過ぎてゆく。血気盛んな兵士たちは鬱屈して苛立ち、タケルに渡海すべしと迫った。これ以上とどまれば士気が低下すると判断したタケルは、悪天をついて一斉に船を出したのである。
「このような小さな海、飛び上ってでも渡ることができよう」
 出帆に先立ち、タケルの放ったこの一言が、海神の怒りに触れたのかもしれない。船団は暴風雨に翻弄され、帆柱をへし折られ、進むことも退くこともできなくなり、大波にいたぶられる木葉のごとく、各船続々と逆巻く怒涛に飲み込まれていった。さすがのタケルも万事休すとあきらめかけたその時、妃のオトタチバナ姫が申し出る。
「わたくしが海に入り、神の怒りを鎮めましょう。どうか皇子はつつがなく、務めを果たしてください」
 そう言い残して荒波に身を投じてしまった。
 すると、嵐がおさまり、海上は嘘のように穏やかになった。

 なをはここまで話すと、歩みを止めて、記憶をたどるような上目遣いになった。
「あれ、みこにかわりて、海のなかに入らむ。みこは、つかわさえしまつりごとを遂げ、かえりもうすべし」
と、古事記の原文を暗唱してみせた。
「このとき、ミコが海を渡ってたどり着いた場所が、今の八劔八幡神社のところなんですよ」
 三千太郎は、自分が生まれ育った場所にそんな言い伝えがあったことを知って率直に驚き、深く感心した。そんな三千太郎の表情を見て、なをはさらに情感を込めて続きを語る。
「ミコは、オトタチバナ姫を失った悲しみにくれて、独り海岸を歩いていました。すると、姫が身にまとっていた衣の袖が、波打ち際に流れ着いたの。その場所が、袖ヶ浦です」
 このときタケルが詠じたと伝わる和歌を、なをはこれもまた諳んじてみせた。

 君去らず袖しが浦に立つ波の
 その面影を見るぞ悲しき
 (あなたがわたしの心から消え去ることはありません。
 あなたの袖が流れ着いた海の波間に
 あなたの面影が見えて悲しいけれど)

「この歌の、〈君去らず〉の部分が、きさらづの語源になったんです」
 なをの歩みが小走りになった。急な坂道と斜面の樹木が唐突に尽きて、広々とした見晴らしのいい太田山の頂に出たのである。
「三千太郎さん、ほら」
 なをの手が向けられた先は、木更津の街並みと江戸湾を一望する広大な見晴らしであった。
 思わず三千太郎は「ああ」とため息をついた。丘のように小さな山から見晴るかす景色が、これほど圧巻だとは思わなかったからである。
 夕陽を照り返す沖のさざ波が、錦鯉の鱗のように細かくきらめき、白い航跡を長く引きながら、五大力船や押送船が南北に行き交っている。
 木更津の周りには高い山がないため、四辺の見通しが良く、海に突き出た富津岬の海岸線と、三浦半島の山影にかかる富士の山容が、一幅の絵のように映えている。内湾特有の蒸し暑さを感じさせない爽やかな風も吹いていた。
「ミコは、ここに立って海を眺めながら、吾妻はや、ってささやいたそうです。わが妻よ、ああ……。って」
 なをの口ぶりに豊かな感情がこもっているせいか、「わが妻よ」という響きに三千太郎はこみ上げてくるものを感じた。
「タチバナ姫を失ったミコは、もう戦いのことなんて忘れて、ずっとここにとどまっていたんですって。それでここは君不去(きみさらず)の地と呼ばれるようになって、やがてきさらづになったという言い伝えもあるんですよ」
 古事記を読んだことがなくても、日本人なら誰もがヤマトタケルを知っている。武人の鏡であり、国を興した英雄の一人である。なをの昔語りを聞いて、三千太郎はこの英雄の存在をとても身近なものに感じた。
「木更津」という地名の由来は、他にも諸説ある。三千太郎は子供の頃、コンモからこんなふうに教わった。木更津ではやどかりのことを「きさご」と呼ぶが、このきさごがたくさんいる津(海岸)だから「きさごつ」。これがいつしかきさらづになったという。やどかりとヤマトタケルじゃえらい違いだと三千太郎は思った。
 頂の樹々の中に、小堂ほどの神社が建っている。鳥居もあり、檜皮をふいた切妻屋根の、美しい流造の社殿であった。額束に〈橘神社〉と書かれている。君去らずの故事が由緒であろう。
「ヤマトタケルノミコトって、とても強いお方でしょう。そんなお方が、妻を失った悲しみでここを立ち去れなかったなんて、なんだかとっても人間らしくて、素敵だなあって思えるんです。二人の強い絆を偲んで、昔から太田村の人たちは、この山のことを〈恋の森〉って呼んでいます」
 気性が荒い湊町の伝説にしては、女性の仮名文字で書かれたように美しい物語であった。三千太郎は後で思い返せば不思議なほど、ヤマトタケルの悲しみに深く共感したのだった。
「橘神社は、縁結びの神様なんですよ」とささやいて、なをが掌を合わせた。夕焼けに照らされた彼女の横顔が、とても大人びて見えた。
 その姿に誘われるように、三千太郎も合掌し、深く目を閉じた。
「三千太郎さんも、大切な人を失ったら、ここを立ち去れなくなってしまいますか」
 手を合わせたまま、なをは三千太郎の横顔を覗き込み、冗談っぽく聞いた。
 三千太郎は熱いかたまりのようなものが胸の奥からこみ上げてくるのを感じた。
 しばらく肩で息をしていた。気の利いた言葉など思い浮かばず、ただ真っ直ぐな感情がほとばしり出てくるのを抑えることができなかった。
「なをさん、おれと結婚してくれないか」
 なをは目を丸くした。簪についた房飾りがゆらゆら揺れ、しばらく時が止まったようだった。
 やがて大きな二つ瞳に涙が盛り上がり、なをは三千太郎の目をしっかりと見つめ返しながら、
「はい」と答えた。
 二人はこの後、揃ってなをの実家へ行き、父から結婚の承諾を得た。

 地曳家が用意した持参金の額と嫁入り道具の数は膨大である。この時代、商家の娘が嫁入りするにあたって、多額の持参金と衣類調度品を付けるのが常識となっており、これらは離縁しないかぎり婚家のものになる。そのため持参金目当ての結婚も少なからずあり、これをめぐって殺人事件に至ることさえあったという。
 三千太郎となをのように相惹かれ合った仲でも、持参金云々のやり取りはあった。妻名義の敷金や調度品を記した覚書の作成、受け渡し、新居の普請など、両家共に隆盛を誇る富家であるだけに、支度に並々ならぬ手間がかかっている。まずは諸事万端滞りなく迎えた今宵の労をねぎらい、そこから新郎新婦の前途を祝して乾杯したいところであった。
 幸左衛門は、前夜に孫の朝三郎を呼び出し、婚礼に際して、島屋を代表して地曳家に御礼申し上げるよう言い含めていたのだが、先ほどからちらちら視線を送って促しているものの、あくびをかみ殺しているばかりでなにも言い出さない。そのうち唐突に立ち上がると、三千太郎を見下ろすように一瞥して、
「足が、疲れたから、ここまでにする」
と言い捨てて、足を引きずりつつ座を退いてしまった。長時間端座しているのがきつかったのは事実であろう。
 母の久も、この場を取り繕おうともせず、
「あたくしもまだ本調子ではございませんので」と続けざまに立ち上がり、打掛の裾をさばいて出て行ってしまった。
 こうなることは両家共に、心の底ではある程度予測していたことだった。むしろ地曳新兵衛などは、不遜な態度を取り続けている朝三郎が視界から去ってくれて喜ばしいぐらいであった。
 不測の事態ともいえないこの展開を受けて、幸左衛門は居住まいを正し、生え際の白くなった鬢を軽く撫でつけながら場を取りつくろった。
「両家を代表致しまして、一言御礼の御挨拶を申し上げます。ここに愚息のいないことが誠に残念です。三千太郎は容姿も資質も父の一郎とよく似ている」と率直に言えたのは、朝三郎と久がこの場を退いてくれたからだったといえなくもない。
「三千太郎はすでに不二心流上段目録を授与されておりますし、江戸で錬武館仕込みの剣技を学んできたばかり、おかげさまで前途有望な武芸者に育ちつつあります。しかし、一人の男としてはまだまだ未熟者。ですから、こうしてなをさんという才色兼備の娘さんとめぐり合うことができたのは誠に幸い、これも一重に八劔八幡神社のお導きかと思われるのでございます」
 幸左衛門の謝辞に耳を傾けながら、伊藤実心斎が小声で話しかけた相手は総三郎であった。
「オヤジ」と実心斎は呼んだ。これは総三郎の愛称であるが、実心斎がこう呼ぶとき、そこに親しみらしい感情はこもっていない。
「今からくぎを刺しておく。三千太郎をそそのかして修業の妨げになるようなことはするな。我々は武士ではないのだ。ただ剣術の奥義を極めようと日夜研鑽しておるに過ぎぬ。あんたのように世直しに精を出しても、剣の上達にはこれっぽっちも役立たぬ」
 総三郎は苦笑して、
「今夜は、その話はやめておこう」とつぶやいた。
「はぐらかすな。三千太郎は筋がいい。あの力量は、正道をも越えているかもしれぬ。まだまだ伸ばしてやりたいのだ」
「まあ、そう興奮するな、あかじゅう」
「まだあかじゅうと呼ぶか。しつこいぞ、オヤジ」
「子供の頃、頬が赤くて実に可愛かったのだ」と、総三郎はからかっている様子もなく言った。
 祝辞を締めくくった幸左衛門が立ち上がり、威勢よくぽんぽんと手を叩いた。
「さあ、今宵は存分に祝いましょう。ささ、無礼講」
 女中が下手の襖を開放すると、次の間に控えていた親類縁者がわっと歓声を上げた。あれよという間に整った婚儀であったから、廻国修行に出ている正道の帰省はかなわなかったけれども、両家の身内と友人はほぼ顔をそろえていた。
 待ちわびたとばかりに乾杯の音頭をとった茂三郎の髷は、相変わらずこってりと鬢付け油でまとめられている。縫之進は愛用の銀のキセルをくゆらせており、豊はすでに飲み始めていたものか、赤ら顔を左右に振り向けて大笑いしている。盃をさし合っているのは常盤之助と新一郎、仲睦まじく膳を並べているのは八劔勝壽と金物屋のりう。まずはご祝着と互いに祝いの言葉を交わしつつ、あらためて新郎新婦のすがすがしいたたずまいを眺めるのだった。
 
「クニさん、こちらへいらっしゃい」と本家の家長である縫殿三郎が手招きした。
 座敷に招き入れられたクニは、ツツと摺り足で進み出て、うやうやしく手をついた。
「クニさん、今宵めでたく婚儀を挙げることができたのは、三千太郎を立派に育ててくれたあなたのおかげです。家も栄えましょう」
 縫殿三郎が謝意を述べると、何の異論もないと言いたげな様子で孫左衛門も深く首肯し、
「率直に申して、世間のクニさんに対する風当たりは決してやさしいものではなかった。にもかかわらず、一郎の存命中は内助の功を成し遂げ、畜生腹などと陰口を叩かれながらも立派に子供たちを育て上げたのだ。三千太郎も常盤之助も、クニさんに似て明朗闊達、わたしは何よりそのことを嬉しく持っていますよ」と顔をほころばせた。
 孫左衛門は一族中最も大柄で、嘘か誠か若い頃は五拾七貫目(約214㎏)の力石を持ち上げたとも云われ、今弁慶と称されている。毎朝寅の刻に起きて木剣を振ること二千回、ざぶざぶと井戸水を浴びてから帳場に出るのだが、誰よりも客商売に熟達しており、島屋といえばまずはこの孫左衛門の温顔を思い浮かべる常連も多かったにちがいない。
 クニは感慨無量と言いたげな面持ちで顔を上げると、目尻に微笑を刻んでなをの方を見つめた。
「なをさん、今夜はわたしも、このようにめでたい祝宴の末席に侍らせていただけて、心から嬉しく思っています。三千太郎はほんに果報者です。あなたのように見目麗しく、気立ての良い娘さんと出会えたのだもの。どうかこれからも、三千太郎のことを、よろしくお願いしますね」
 そう声をかけられると、なをは嗚咽をこらえ切れなかった。
 クニは慌ててなをのそばににじり寄り、
「あらまあ、せっかくのお化粧がくずれてしまう」懐紙を揉みほぐしてなをの目元に当てたが、自分も涙がとまらなかった。

 あの日、なをと二人で太田山の頂から見た夕焼けの、なんと美しかったことだろう。涙と笑いに包まれた座敷を見回しながら、三千太郎はふと思い出すのだった。
 遠浅の江戸湾は、沖の十万石とうたわれ、海藻や魚貝類の宝庫である。その恩恵に与れば飢えることなく生きてゆけた。そうやって人々は神代の昔から生きてきたのだ。その豊かな自然が、血を通わせて息づく姿が、木更津の夕焼けなのだろう。
 今を去ること十二年前、この海に米国使節ペリー提督の率いる軍艦四隻が来航した。江戸幕府は、脅迫じみた砲艦外交に屈し、鎖国を取りやめ海外に門戸を開いた。併せて不平等条約を結び、経済の大混乱をまねき、物情騒然たる時代に突入したのだった。もはや幕府に現状を打開する力などないとみた西国雄藩は天皇を推し立て、徐々に舵を倒幕へ切りつつある。湾内を航行する諸外国の蒸気船は千石船の二十倍を超える排水量であり、航跡波は干潟を越えて湊の石垣にまで届く。その波濤を眺めるだけでも、桁違いの脅威が日本に押し寄せているのがわかるのである。
 しかし、あの日の夕暮れ、なをの横顔を染めていた夕日のまぶしさだけが三千太郎の心に残っている。
 世界はただ、二人を包む光でしかなかった。

第二章  藍色の家族

 髪形のことである。
 当時の女性の髪形といえば、未婚者が島田髷、既婚者が丸髷、というのがおおよそ定番になっていた。どちらの結い方も基本的には同じであり、長い髪を後ろで束ね、前髪側に倒して丸める。この丸め方で髷に変化をつけるのだが、髪の根を元結で締めあげる辛さといったら、
「まいど頭皮が悲鳴をあげる」と豊が言い出したのをきっかけに、なをの新居に女四人が集まった。
 豊は日ごろの鬱憤をぶちまけるように、髷の形を見れば一目で未婚か既婚かわかってしまうのがわずらわしい、出戻り女は髪形をどうすればいいかでまず悩む、いちど丸髷にしたものを島田に戻すのも気恥ずかしいじゃないか、などと、盥に髪を浸しながら愚痴をこぼしている。年の瀬も間近、綿のものでも着ていないと芯まで冷える日和であったが、豊は諸肌を脱いで縁側にいる。まだ若々しい素肌に粟立つものもみせないのは、子供の頃から道場の寒稽古で鍛えられてきたからだろうか。引き締まった二の腕を眺めていた金物屋のりうが、
「豊姉さんたくましいわあ」と感心しきりである。
 布海苔をお湯で溶かし、それにうどん粉を混ぜ合わせたもので洗髪する。
「お湯が少し熱いね」と言いながら、手拭いを姉さんかむりにしたすまが、りうと二人がかりで豊の髪をすすいでいた。「なを、これじゃあ髪が傷むから水を足して」
 土間から手桶を提げてきたなをのお腹が、近頃はそれとわかるぐらいにふくらんできたようである。
 豊が座り直して襦袢を羽織ると、三人がかりで濡れ髪を拭った。その間中ずっと思案に暮れている様子の豊だったが、やがて意を決したように、
「やるわ、あたし。じれった結びと切り前髪にしてちょうだい」
 そう、きっぱり言った。
 すまとなをの顔に一瞬緊張が走ったが、りうばかりは目を輝かせて、
「ついに、やるんですね」感慨深げにうなずく。
 普段であればおしゃべりの合間に手際よく髪を結ってくれるすまも、今回ばかりはただ事では済まないような面持ちになる。
 いつもなら洗髪の仕上げに伽羅の油をつけて島田か丸髷に結い上げるのであるが、今回はそのいずれでもなく、後ろ髪を一巻き結んで垂らすだけ。いちいち髪を束ねるのがじれったいからこうなったという「じれった結び」である。これだけでも当時の常識からすれば大胆なのに、さらには前髪を短く切り、櫛を逆さに差して逆立てる。これぞ近年まれにみる悪名高き流行、富家の奇抜な子女しかやらないと揶揄される「切り前髪」で、さらに付随する化粧と着こなしまである。目のまわりを濃い赤色で縁取り、まぶたに薄っすらと紅を塗る。こうすることで酒に酔った顔色を表現している、などと解説を交えつつ、五大力船経由で耳に入れた江戸の最新お洒落事情に従って、すまは手際よく豊を粉飾してゆく。上唇を真っ赤に塗りたくり、下唇は笹紅を塗り重ねて玉虫色にするあたり、もはや公序良俗の一線を越えているかもしれない。地味で渋めな着物を好むのは相変わらずの流行りであったが、その上に男物の羽織を引っかけて、わざと肩の部分をずり下げるところなど、細部にもこだわりがある。いわゆる「カブキモノ」の装いなのだ。
「できた」
 すまは何かに挑んでやり遂げたような達成感を味わいつつも、豊に鏡を見せていいものかどうか、なをに視線を向けてみる。
 なをも困ってりうの顔色をうかがったが、りうは興奮した様子で手鏡を豊の顔にかざした。
 しばし鏡に見入った豊は、
「これ、お上に喧嘩売ってないかい」
 さすがに腰が引けたが、りうは心外とばかりに声を励まして、
「素敵です。わたしにはとても真似できないけれど、ぜひその格好で町を歩いてください。きっと木更津中の女が喝采します」と断言するのだった。
 話題を替えたかったわけでもないのだが、なをが思い出したように「八つ茶にしましょうか」と腰を上げると、急に小腹がすいてきた気がする。
 なをと三千太郎の新居は、島屋の敷地の中でも通りを挟んだ向かい側にある離れ座敷だった。目抜き通りから少し奥に入っただけで、往来のにぎやかな物音もほとんど聞こえず、風通しがいい。なによりなをのお気に入りは広い土間で、新しい荒神様がカマドの上に飾られている。
 大皿に盛られたてっぽ巻きは、酢飯にしないので手軽に作れる軽食である。白米を焼き海苔で巻き、醤油をかけたカツオ節を芯に入れている。
「もう海苔の季節なんだね」と、すまはしばし初摘みの匂いを楽しむのだった。
 注がれたお茶の、品のいい味と香りは、これはきっと玉露だろうとりうは思った。八つ茶にさりげなく最高級のものが出てくるあたり、さすがは大河内家だと感心しきりなのは、りうが標準的な商家の娘だからだ。
「豊姉さんのお母さんは江戸のひとなんですよね」
 一口目の甘味を味わいながら、りうがたずねた。
 母は、鶴といった。幕臣の娘で、総三郎が江戸の宮田一刀流道場で塾頭を務めていた頃が馴れ初めであると聞いたことがある。
 かなり以前から、総三郎と豊の父娘関係はうまくいっていない。
「あたしね、もうしばらくしたら江戸へ越そうかなって考えてるんだ。母さんもオヤジと別居して長いから、そろそろ潮時だと思ってね」
 それを聞いてなをが目を丸くした。「うそ、姉さん江戸に行ってしまうの」
「もちろん、なをの出産が済むまではいるよ。あたしさあ、なをとミチタのねんねこを見るのが楽しみで仕方ないんだ。可愛いだろうねえ」
 すまが少々ひがんだ様子で苦笑する。「なをに先を越されちゃったなあ」
 米粒のついた指先を舐めながら、豊が諭すように言う。
「すまは新一郎のことが好きでしょ。大切なのはそこ。あたしの別れた亭主なんか、剣の腕が立つっていうただそれだけの理由でオヤジが婿にとった男でさ、一介の武弁を地で行くつまらないやつだった。すまもなをも、好いた男と所帯を持てただけでも充分幸せなことなんだからね」
 それもそうだと納得したようにすまがうなずくと、今度はりうがため息をつく。「あたしもそろそろ結婚したいなあ」
「しょうじゅとうまくいってるんでしょ」
「まだそんなんじゃないですよ」たちまちりうの頬が真っ赤になる。
「わたし、このあいだ勝壽さんに、子宝に恵まれたなをさんがうらやましいって言ったんですよ。そしたら勝壽さん、すごくまじめな顔をして呪文のような言葉をつぶやいたんです。わたし、そのことばの響きになんだかとてもありがたいものを感じたから、紙に書いてもらいました」と、小さく折った紙片を帯から取り出してみせた。「お守りにしています」
 矢立でしたためたと思われる細い字で、
 夫婦交合して子を儲る事は実に皇祖天神の恩賜(みとのまぐわいしてこをもうくることはまことにこうそてんじんのみたまもの)
と書かれている。それを見て、豊はお腹を抱えて笑った。
「さすが八劔の御曹司だね、いやらしさがないよ。高尚だなあ」
「どういうことですか。勝壽さん、わたしのことどう思っているんでしょうか」
「しょうじゅはりうのことが大好きなんだよ」と言い含めて笑い続けた。
 
 火鉢にかけた鉄瓶が細い湯気をたてている。
「さて」と豊の表情が曇る。
「じれった結びをほどこうか、それともこのまま過ごそうか」
 なをとすまは即答できなかった。率直にいって、豊の装いが可愛らしく、とても似合っているように思われたからである。が、この風体で出歩いたとき世間から向けられる眼差しを思えば、無責任な意見は慎まなければならないだろう。
「あたしはさあ、もう結婚する気もないし、何事にも縛られたくないんだよね。女はこうあるべきとか、親に従えだとか、人生五十年も生きられりゃあいいぐらいなんだから、やりたいようにやれないかなって、このごろ本気でそう思うんだよ」
「わかります」膝を詰めて賛同したのはりうであった。
「うちの親も勝手に縁談とか持ってくるんです。わたしの考えを聞いてもくれない。なんか、そういうことにすごく腹が立ちます。髷だってそうですよ。いつもこうして結い上げているのは、はっきりいってきついです。寝るときだって髪形を崩さないようにすごく神経を使うじゃないですか。どうして垂らしちゃいけないのかな」
 りうの投げかけた疑問に誰も答えられなかったが、その不満には一理ある、というその場の空気に、豊は背中を押された気がした。
 とはいっても、白昼の往来を横切って本邸に帰るだけでも人目が気になって仕方がない。結局豊は袖で顔を隠しつつ、こそこそ店の裏木戸へまわった。
 藍甕の間を歩いていると、縁台に腰かけてキセルを吸っている縫之進と目が合った。
 あっと驚いたように立ち上がった縫之進は、
「豊姉ェ、その恰好……」そうつぶやいたまま茫然とした。
「へへ。やっぱりおかしいよね」
「とんでもない。これまで見た豊姉ェの中で、一番奇麗だ」
「ほんとかい? からかってるんじゃないよね」
「おいおい、おれを誰だと思ってんだ。服飾についちゃあ、ちったあうるせえ男だぜ」と興奮を隠せない様子で、鞠のように丸められた後ろ髪を手に取ってみたり、下唇に塗られた玉虫色に指をつけてみたりした。
「笹紅の緑をここまで輝かせることができるのは、すまさんしかいねえな。目のふちの利かせも実にいい。いやはや、これが泣く子も黙るじれった結びの装いか」
「あたしを馬鹿だと思うかい」
「豊姉ェ、これはすごいことだぜ。いつの時代にもカブキ者はいたが、これほどのデタラメぶりはさすがになかっただろうよ。黒船が江戸っ子に与えた衝撃は、こんなところにまで影響を及ぼしているのかもしれねえな。新しい時代の始まりを感じるよ。豊姉ェは最先端だな、尊敬するぜ」
 縫之進に絶賛されたのであれば、美の太鼓判を押されたようなものだから、身の内にぱっと自信も湧いてこようというもの。豊は堂々と往来へ躍り出た。
 そこに折しも、総三郎が帰って来、豊の姿を見るなり足をすくませ絶句した。
「おまえ、気は確かか」
 途端に豊の自信が揺らいだ。
「いかに天下騒忙とは申せ、大河内の者ならば気をしっかり持て。取り乱すのはまだ早い」などと、あらぬ叱言を口走る。
 豊はカッとなると同時に涙がこみ上げてきて、
「だまれ糞オヤジ!」
 前髪を逆立てていた三日月櫛をはずして総三郎に投げつけると、踵を返して駆け戻ってしまった。
 
 この時期、切り前髪やじれった結びなどというものが一部でもてはやされたのも黒船来航の衝撃ゆえか、との縫之進の分析はあながち突飛ではなかったかもしれない。やがて東海地方の民衆が顔に白粉を塗りたくり、エエじゃないかと踊り出すだろう。
 人心の荒廃も顕著になりつつある。
 幕府や諸藩が内外の危機に備えて米穀を蓄え始めると、商人がこれに便乗して買い占めに狂奔した。木更津のように運送業や港湾労働者の多い地域の住民は飯米を金銭で購入する他なく、米価の高騰は死活問題へと直結する。慶応元年には金一両で二斗二升五合買えた米が、翌年になると一斗六升しか買えない。米穀商へ抗議する人々は殺気立っており、ややもすれば打ちこわしへと発展しかねない一触即発の事態が頻発していた。この状況下で身を挺して調停役を務めているのが、他ならぬ総三郎なのである。島屋の私費を投じて市場にまで介入し、時に刀の柄に手をかけて商人を恫喝することも辞さず、米価の高騰を抑えるために日夜奔走している。増え続ける強盗や傷害事件の類も捨て置かず、島屋門を指揮して治安維持の強化を図ってもいた。
 不二心流の思想がそうさせるのである。

 日本の武術は多くの場合、流祖の見神体験をもって一派の発足となることが多い。天真正伝香取神道流を起こした飯笹長威斎は経津主神から一巻の神書を与えられたし、陰流の愛洲移香斎は鵜戸明神から奥義書を授かったと伝わる。古の名だたる武芸者の多くが、荒行や参籠の最中に、天狗、猿、河童、あるいは仙人とおぼしき白髪の老翁から秘伝を授けられたり、霊夢によって刀法の妙利を悟ったものであった。が、時代も幕末まで下ると、さすがに人々の思考に近代的な合理性が萌芽しつつあり、神秘譚が疑いもなく受け入れられる時世ではなくなっている。ところが、不二心流を起こした中村一心斎という老剣士には、往古の武芸者に通ずる神秘的な風格があった。
 幼名は八平、天明二年、肥前島原藩士中村八郎左衛門の次男として生まれた。身長六尺二寸の大男で、幼少より撃剣の修行に傾倒し、浅山一伝流、心形刀流、神道無念流を学んだ。文政元年、富士山に単身登頂し百日にもおよぶ参籠修練を行う。その間、塩穀を絶ち、百草を食し、神我一体の境地に至って見性悟道を得た。髪は惣髪、顎から胸の下までとどくほどの美髯をたくわえ、茶人や俳人が着用する被布を纏って長剣を横たえていた。左右の耳たぶに穴を穿あけて象牙の輪を通し、ここから錦の袋を垂れて長い髭をおさめていたという。その姿ほとんど山伏に似たりと記録されている。
 不二心流の「不二」は「富士」であり、「二つとない心」「二つ心を持たない」という意味でもある。江戸八丁堀に道場を構えると門下がたちまち三千人を超えてしまうほどの隆盛ぶりであった。この中から後継者に選ばれたのが若き日の大河内縫殿三郎で、一心斎はその縁を頼って房総へ拠点を移した。老いてなお意気盛んで、若い剣士を気合のみで圧倒し、御前試合で水戸公徳川斉昭に賞賛されたこともある。
 一心斎の流儀は「後の先法」といい、自分から打ち込まず、敵の打ち込みを切り返す刀法であった。形試合には「とどめの太刀」がなく、外見上の勝ちさえも求めない。相手を倒すことばかりにこだわる「小さな兵法」を超越し、人の世に平和をもたらすための「大なる兵法」を目指していた。奥義秘伝に〈剣術〉〈柔術〉と並んで〈貨殖〉とあるのが最大の特色で、このような流派はちょっと他にはないだろう。貨殖について書かれた『治国安民之巻』は農業指導書であり、民衆の倫理道徳の確立、相互扶助、生活の向上を説いている。中村一心斎という人物は、過酷な剣術修行を経て宗教的な境地に達してしまった人といってよく、気の修練や呼吸法を重視するあたり、極めて禅的でもあった。彼の歌に、
 敵はただ心のままに動くともこの身真如の波しづかなり
 とあるのをみても、雲水のごとき面目を見せている。
 剣法自体が護身術的であるため商人や農民に受け入れられやすかったし、何より富士山で道の奥義を悟ったという経歴が、房総の住民に支持される所以でもあった。
 平安時代、上総で育った菅原孝標女が『更級日記』に記している。
〈わが生ひいでし国にては西面に見えし山なり。その山のさま、いと世に見えぬさまなり。〉
 まさしく、房総半島の西側にはいつも富士山が見えている。その山容は日に映えて優雅で、山そのものがご神体なのであった。人々は朝な夕なに手を合わせる。不二心流が総州で広く支持されたのは、この土着の信仰に根付いたからでもあろう。
 
 一心斎が七十三歳で亡くなったとき、総三郎は三十歳だった。伊藤実心斎が十六、三千太郎は八つである。ごく最近まで、耳に象牙の輪っかをぶら下げた大先生は健在であったのだ。
 おそらくは一心斎が剣技よりも重視していた治国安民論を、総三郎は物心ついたときから叩き込まれてきたのである。幕府の支配体制が弱体化しつつあり、殊に天領の荒廃は明らかであったから、これを黙して見過ごさず、剣術の指導と共に農村の復興に務めよと一心斎は繰り返し教えた。伝書にも「それ兵法の要は治国安民にとどまる。なんぞ戦闘のためのみならんや。」と記されているほどなのだ。
 伊藤実心斎が普段からしつこいぐらい総三郎を糾弾しているのは、治国安民論に傾倒しすぎているという点についてなのである。剣戟の場に身を置いたとき、農村の復興が何の役に立つのか。武術は個人の鍛錬の上にしか実を結ばず、いかに社会奉仕に精を出そうと、それで強くなれるわけでもない。流祖の存命中に誰もそれを指摘しなかったのは子弟の分限をわきまえていたからに過ぎず、おそらくは三代目を嫡伝するはずの総三郎がいまだ必死になって世直しにかけずりまわっているようでは、いずれ武芸の本義を見失い、否応なく道統は衰えてゆくだろう。
 また、娘の豊にしてみれば、世のため人のためにと日夜奔走するのはかまわないにしても、そのために女房子供をほったらかしにするなら本末転倒もいいところなのだ。木更津や近隣諸村の人々は親しみを込めて総三郎のことを「オヤジ」と呼ぶのであるが、実心斎と豊にかぎってはぬきさしならぬ憤りを込めてそう呼ぶ。

「なを、おじゃまするよ」
 総三郎が縁側に両刀を置いたとき、なをは土間で味噌炊きしたばかりの一斗樽を覗き込んでいた。今回は塩の加減がうまくいったから、来年はきっと美味しい味噌ができると思うと、しぜんと口元がほころんでしまう。
「いらっしゃい、オヤジさま」
 総三郎の用向きはいつものことだからわかっている。お茶を所望しに来たのである。
「さっきな、そこで豊とすれ違ったのだが、あの様はいったい何事か。気でもふれてしまったかと心配なのだが、なをは何か知っておるかね」
 それを聞いてなをは、豊の気持ちを敏感に察した。
「オヤジさま、あれはね、豊姉さんのお洒落ですよ」
と、少々咎める調子で答えながら、総三郎の好物のかき餅を差し出した。
「あんなものがお洒落なのかえ。お洒落といえば花魁のでっかい髷とかでないのか」
「オヤジさまは、豊姉さんになんて言葉をかけたんです?」
「気は確かかと」
「姉さん、怒ったでしょう」
「怒った。いつもわしに怒っているな」と苦笑いした。
 総三郎はよくここへ来て、なをが焼いたかき餅を食べる。一日中近隣の深刻なもめ事を調停して歩き、夜は遅くまで稽古をしているから、なをがもてなしてくれるこのひと時に、ほっとため息をつくようなやすらぎを覚えるのだった。大河内の女たちは早逝するものが多く、先代の嫡妻である久も病に伏せていたから、実質的に奥向きを取り仕切っているのは鶴と豊である。総三郎は追い出されるような格好で奉公人の長屋で寝起きしており、家のどこにも居場所がない。
「なを、自愛せよ。無事に丈夫なねんねこを産んでくれな」と、総三郎はこれまで何度も言った。けれども、不二心流の道統を継ぐべき男子を、という趣旨のことを言ったことは一度もない。これはなをにとって見逃せないことであり、世の男たちの多くが「男子を産め」などと平然と言うのだから、オヤジさまはほんとうは、奥さんや豊姉さんへの愛情が必ずしも薄いわけではないのかもしれず、剣一筋に生きてきて、女の扱いに不慣れなだけなのかもしれない、と思ったりもするのである。
 総三郎はいつもかき餅をたらふく食べて、三千太郎が道場から帰ってくると夜稽古へ出かけてゆく。一緒に晩御飯でも、と引き留めてもそれに応じたことはなく、ああ見えて実は細かい気配りのできる人なのかもしれない、などと、若夫婦の夕餉の話題にのぼることもしばしばあった。が、この晩にかぎっては、三千太郎が帰宅すると待っていたとばかりに身を乗り出した。
「明日、わしに同道してくれぬか」
 いよいよ米穀商との交渉が決裂しかけているという。相手側も総三郎との対決を不可避とみたか、無宿者を金で雇い、刀槍まで買い集めているというから、もはや刃傷沙汰は避けられぬところまで来ている。
 こんな物騒な話を、なをが同席している場で話してしまうあたり、総三郎が無神経と言われる所以であろうか。
 一通り状況を聞き終えると、三千太郎は眉をひそめた。
「木更津の商人も、そこまで堕落しましたか」
「世も末よ」総三郎は腕を組んだ。
「明日が最後の交渉となろう。決裂したら血を見る騒ぎになる。だが、絶対に死者を出すわけにはいかぬ。こちらは寄棒と刺又を武器にする」
 「かまいません」三千太郎はうなずいてみせた。
 総三郎が出て行った後、なをはむっつりと押し黙ったままであった。いつもなら味噌汁の実や旬の魚のについて語り出すなをが、なにやら怒った様子でご飯を食べている。蒔絵漆器の飯椀に軽く一杯で腹のふくれるなをが、今宵は三千太郎のおかわりより先に飯櫃を開けて二杯目をよそっている。気が高ぶっているらしい。
「あじょうした、なを、そんなに食べて」
 三千太郎はあっけにとられた。さすがになをのただならぬ様子に困惑している。
「無神経すぎます」なをは口を動かしながら三千太郎の方に目を向けない。
「豊姉さんの気持ちがわかった気がします。女のいる前で血を見る騒ぎになるとか、棒とか、刺又とか、不謹慎です。お腹の子にもさわります」
「そうだった、確かに、なをの言う通りだ」
「だっぺえ!」と腹立たしさのあまり土地のことばが口をついて出たが、しばらくして少し落ち着きを取り戻すと、
「そうはいっても、町の人たちは大変ですよね。うちはこうしてお米を食べることができるけれど……」
 なをは膳を脇へよけて両手をついた。
「取り乱してしまい、申し訳ございませんでした」
 三千太郎も膳をよけて一膝進めると、なをのからだを起こしてきつく抱きしめた。

 買占めに走る米穀商の数は日ごとに増えている。山手通りの糀屋、相善支店、田面通りの柿屋、久留里屋、本町の山口屋、吾妻の加賀屋、丸一、仲片町の川崎屋、弁天町の上山屋である。中でも首領格の糀屋は、日銭で雇った無宿者に帯刀までさせている。そこへ乗り込んだ総三郎の背後には、藍染の羽織を纏った三千太郎と八剱勝壽以下、若干名の若者が従っていた。
 鉢金を締め、鎖籠手まで着けた島屋門の出で立ちに恐れをなしたものか、店の用心棒たちはあっさりと総三郎の通行をゆるした。
 かまちへ上がった総三郎は、帳場格子の前に容儀を正して座ると、膝を詰めて糀屋の主人をにらみすえた。
「諸物値上り、物情騒然たる折柄、かくの如き事態ともなれば、代々木更津の米商は在米を救恤するの約あり。よもや忘れたとは申すまいな」
 店内にまであふれかえった野次馬の人だかりから、そうだそうだと喝采が起こった。
「ここで我らと一戦交えるか、さもなくば速やかに救恤につとめよ。もし利欲を恥じる心あらば、今後は通常の市価で商いすべし」
 総三郎の詰責に震え上がった店主は、平身低頭の姿勢で証文に署名した。
 糀屋の暖簾をくぐって引き上げてゆく総三郎に、町の人々が拝むように手を合わせた。喝采に包まれた山手通りを歩きながら、勝壽は納得したようにささやくのだった。
「もしオヤジが乗り出さなかったら、住民の多くは年を越せなかったはずだ。おれは不二心流の流儀を誇りに思うよ」

 年の瀬も差し迫ったある午後、めずらしく朝三郎が外出した。以前から欲していた美勇水滸伝の浮世絵が絵草紙屋に届いたからである。片足を少し引きずるようにして歩く朝三郎がくぐり戸から出るのを見かけた茂三郎は、手代に店をまかせて小走りに後を追った。
「朝さん、ひさしぶりにおしゃべりでもしねえか。茶でもおごるぜ」
「いいよ、ちょっとそこまで、行くだけだから」
「じゃあ用事を済ませてからでもかまわねえさ」
と絵草紙屋までついてきてしまった。
 八犬士や武者絵を眺める朝三郎の傍らで、茂三郎は春画の類を手に取って「ほほう」などとあらぬため息をつくのだった。
「コンモ、ほんとに、うっとうしい。先に、帰っててくれよ」
 そう何度もあしらわれながらも、結局は朝三郎を白壁造りの上品な茶店に引っ張り込んだあたり、さすがは商人の粘り強さといえようか。
 兎をかたどった白い練り物を頬張り、抹茶をすすった茂三郎は、年末の慌ただしさから少し解放されたようなくつろいだ笑顔をみせた。
「なあ、朝さん。春になったら、少し店に出てみないかい。いつかは幸左衛門を継ぐことになるのだから、今から少しずつ仕事に慣れておくにこしたこたあねえって思うんだよ。おれが番頭でいるかぎり、朝さんに苦労なんてさせねぇから」
 浮世絵を眺めながら煎茶をすすった朝三郎は、
「店なんて、継ぎたいと、思わない。コンモが、幸左衛門になればいい」とにべもない。
「紺屋は奥が深くて楽しい商いだぜ。しかも島屋は、おれたちが生まれ育った家じゃないか。一緒に守っていこうぜ」とこちらもゆずらない。
 茂三郎の方が年長だが、儒教的な家の序列を心得ている茂三郎は、建前ではなく芯から朝三郎を支えてゆきたいと願っている。
 時報の鐘が六つ鳴る頃、お勘定をしている茂三郎を置いて一足先に往来へ出た朝三郎は、夕闇に身を潜めていたとおぼしき男たちに行く手をふさがれ、たちまち取り囲まれてしまった。全員黒い頭巾で顔を覆っており、刀の柄に手をかけている。路上の女たちが悲鳴を上げて駆け去り、近所の飼い犬がかしこで吠え出した。
 頭目とおぼしき男が朝三郎の正面に立ちはだかり、ハバキの冷たい音を立てて刀を抜いた。朝三郎は色を失って茫然と立ち尽くしていた。
 突如男の頭が大きく横に揺れたのは、茂三郎の投石が命中したからである。続けざまにつぶてを打つと、すかさず囲みの中に駆け入った。
「朝さん、ここはおれが防ぐから、どこか安全なところへ隠れておきな」
 朝三郎は慌てて天水桶の陰にしゃがみ込むと、頭を抱えてうずくまった。
 幸いにも、茂三郎には道中差しがある。外へ出るときは必ず携帯しているのである。素早く軒下へ身を寄せたのは乱闘の場合その方が安全だからで、茂三郎は鞘を払って抜き身を下段に構えた。
 この落ち着き払った態度を見て、暴漢たちは機先をくじかれたように、たちどころに引き上げてしまった。
 茂三郎は天水桶に駆け寄ると、
「朝さん、もう心配ない。怪我してないか」
 涙目になって取り乱している朝三郎を抱き寄せて、背中を強くさすってやった。
 後日あの連中は、米穀商の雇った無宿者ではなかったかと憶測を呼んだ。島屋門への嫌がらせであり、中でも心身脆弱な朝三郎を狙ったと考えれば思い当たるふしもある。が、連中の誤算は、びんつけ油で髷を光らせた茂三郎がただの番頭ではなく、文武両道をもって家訓とする大河内の身内であることを知らなかったことだろう。
 心無い人々は、島屋火事の貧乏神が、今度は天水桶の中で小便をもらしたなどとまことしやかに噂し合って、その後もあからさまに指をさして嘲笑する者さえいた。

 明けて正月、慶応二年の餅つきは、例年通り八劔八幡神社の境内に各地の門弟が集ってにぎやかに行われたが、朝三郎は姿をみせなかった。毎年お愛想程度には顔を出していたことを思えば、以前よりもかたくなに人目を避けるようになってしまったらしい。
 朝三郎が襲撃されたことに島屋門の誰もが心を痛めていたが、中でも実母である久の憔悴ぶりは深刻であった。労咳のあるところへ気鬱の病を併発したのではないかと医者は診ている。漢方薬も民間薬も欠かさず服用しているが、日ごと衰えていく姿は誰が見てもあきらかだった。
 ただ一つ希望があるとすれば、一時は粥しか受けつけなかった久が、なをの作る料理だけは食べるようになったことである。米の炊き方から塩加減に至るまでいっさい手ぬかりのないなをは、その都度久の体調に合わせた献立を考え、新鮮な食材を買いに行く手間も惜しまない。
 始めのうち、久はなをを遠ざけていた。
 なをが離れに越して来たときも祝いに訪れなかったし、先代の正妻としてなをを家に迎え入れる気遣いすら皆無であった。いかに三千太郎が妾の子であったにせよ、この時代の結婚は「家」に嫁ぐという意味合いが圧倒的に強かったことを思えば、久の態度はあまりにも冷たい仕打ちと言わざるを得ない。しかしなをはそのことについて一言も不平をこぼさなかったし、久の食が細くなっていく一方だと知ってからは、一言のねぎらいもない久のために朝晩の食事を作り続けた。
 日によっては起き上がる事さえままならず、なをが匙を使って食べさせることもあった。粥に息を吹きかけて、そっと口へ流し込む。ある時、そんな咀嚼の合間、久はふと生気を取り戻したかのように口元に笑みを含んで、
「わたしもまだ元気だった頃は、お金に糸目もつけないで、江戸からくわゐ金団だの、越前のウニなんぞを取り寄せては食べたものですよ。でも、いまこうして食べているあんたの粥が、これまで生きてきた中で、いちばん美味しいかもしれないね」とかすれた声で言った。なをは涙がこぼれた。
 それ以来久は、容態の良いときは、ぽつりぽつりとなをを相手に昔話などをするようになった。
 久の思い出話にたびたび現れる先代の一郎は、なをにとっては義父だから、聞けるだけのことは聞いておきたいと思った。久はすでに死期を悟っているのかもしれず、熱心に耳を傾けるなをに包み隠さず夫婦の来し方を語るのだった。
 一郎と久は、始めからうまくいっていなかったという。二人とも富家の生まれで何不自由なく育ち、一郎は前髪を落としたばかり、久は月事をみたばかりの若かさでもあったから、互いを思いやる気遣いが未熟であったのは間違いない。離縁をほのめかすことばさえ出てくるようになっていたが、安政年間の島屋火事以来、二人の絆が深まったという。
「町中の人たちから非難の目を向けられることになったから」
 久は往時を回顧して苦笑した。
 島屋はその後、売り上げのほぼすべてを灰燼と帰した町の復興に投入することになる。しかしそれでも商売が傾かなかったのは、幸左衛門や孫左衛門の並々ならぬ経営力と、不二心流の隆盛のおかげであったろう。
 朝三郎の母という立場は当然肩身の狭いものであった。火傷で奇態となった我が子が引きこもりがちなのも、見ていて辛かった。一方で妾腹の双子の方は健やかに育ち、特に三千太郎などは片言のことばをしゃべるようになった頃から、早くも道場にある鎖鎌をまるで玩具のように振り回し、しかもその振り回し方が術理にかなっているといって中村一心斎や大人たちを喜ばせた。これが島屋に生まれた男子にとってどれほど幸福なことか、久は悔しそうに眉をしかめるのだった。朝三郎は生来病弱で、もし不幸な火傷を負わなかったとしても武芸者として身を立てることはかなわなかっただろうし、ならば算盤の方はどうだったかと思い返しても、茂三郎のような利発さがあったわけでもなく、縫之進のように器用でもなかった。今となれば率直にそう述懐しつつも、我が子への愛情はゆるぎなく、あれで顔に火傷がなかったら父親に似て美しい面ざしなんですよ。そう言って微笑むのだった。
 生さぬ仲の三千太郎や常盤之助を疎ましく思うのも無理からぬことであろうし、島屋火事以来ずっと身も細る気持ちで生きてきたのだろう。久の胸中にわだかまる悲しみを思うとき、朝晩の御膳を整えながら、なをはふと涙ぐんでしまうこともある。だから久が、
「あんたが朝三郎の嫁だったら……」と図らずも口走ってしまったとき、なをはどんな表情をすればいいのかわからず、黙ってうつむいてしまった。

 二月になって、しばらく木更津を離れていた「若先生」こと正道が突然帰省した。
 西小笹村の領主である菅沼氏に随伴して甲府へ出張し、そこで剣術指南役を勤めていたが、病で辞したのだという。その血色のいい顔色みるかぎり、どうやら方便であるらしい。
 正道を歓迎するため、島屋の道場に門下が集まって祝宴を催した。
 戸障子を開け払うと、海から吹くそよ風が心地いい。故郷の潮の匂いを確かめるように正道は深く息を吸った。
 集まった門弟に酒盃が配られると、幸左衛門の音頭で乾杯がおこなわれた。
 しばらく盃をさしながら挨拶を交わして後、正道はやおら襟を正すと一堂を見回した。
「文久三年のことであるが、京の等持院に安置されていた足利将軍三代の木像の首が持ち去られ、後日三条河原に晒されたことがある」
 それを聞いた門弟たちは顔を見合わせながら、
「木像の首を梟首したのかえ。なんてまあ幼稚ないたずらか」と失笑した。
 しかし、正道はくすりとも笑わない。
「犯人は尊王攘夷を唱える浪士たちだった。この事件が看過できんのは、連中が公然と倒幕を主張したからだ。以前は彼らの言い分にも耳を傾けてきた京都守護職が、この事件以後、言路洞開の策を改めている」
 木像の首を晒した浪士たちは、捨札にこんな文言を残していたという。
〈逆臣である三賊の醜像に天誅を加える。足利三代の逆賊に劣らぬ者の罪悪は足利尊氏より大きい。〉
 足利三代の逆賊に劣らぬ者、とは、徳川将軍家のことを指している。
 時をさかのぼること五百三十年前、〈建武の乱〉で武家の足利尊氏が後醍醐天皇と敵対したのは周知の事実であるが、その足利氏と徳川将軍家が同じ穴のムジナであると言わんがために行われた犯行だったのである。癸丑以来、孝明天皇は外国との通商に猛反対している。いかに外圧に屈したとはいえ、天皇の意向を無視して貿易を始めた幕府は逆賊に等しいと批判されたのだ。これを機に、京都守護職は浪士の厳重な取り締まりに乗り出し、
「有志の者たちで結成された新選組なる一団が、守護職の配下となって京師の治安維持に当たっている。殊勝なことに、その中核をなすは武州多摩の農民たちであり、天然理心流の同門であるという。我らも大いに見習うべきではないか」
 正道は扇子を膝に突き立てて、さらに語気を強めた。
「近ごろ、幕政を批判する声が一段と喧しい。徳川多年の恩に報いるは、まさにこの時であろう。由来我が父祖の地は、木更津がなくとも江戸は立つが、江戸なくして木更津は立ちゆかぬと言われてきた。我らの生活を守るためにも、上様のためにも、今後、島屋門として何ができるかを考えてゆきたいと存ずる。皆々、如何か」
 もとより総三郎に異議はなかった。「賛成する」という一声に、皆が同調したかに思えた。
 しかし一人だけ、腕を組み、目を閉じたまま、異議を唱えたのは伊藤実心斎である。
「やはり我が一門も、こうなってしまうのか。江戸の北辰一刀流も、鏡新明智流も、時勢にうかれた書生たちが道場に政事を持ち込んでおるそうな。我が流祖は、確かに治国安民を唱えておる。それこそどの流派よりも声高に世直しを唱えておる。しかしその一方で、錬気養心を重んじ、心を臍下に落として心の転動をせざるようにとも教えておるのだ。これは両立できることなのだろうか。つまり、政事に挺身しながら、心気を養うことが可能なのかどうか。わしは剣の道を極めたいと欲するゆえ、錬気養心の道をゆくしかないと心を定めておる」
 そう言い終えると、ゆっくりと立ち上がり、両刀を腰に収めた。
「わしはここで別れよう。だが、くれぐれも忠告しておく。政事に足を踏み入れるなら、先日罪もない朝三郎が危険にさらされたという事実を胸に刻んでおけ。それだけの犠牲を払う覚悟でやるがよい。総三郎、正道」
 二人を一瞥し、
「おぬしらが死んでも、わしが不二心流の道統を後世に伝えよう」
と言い捨てて退出してしまった。
 総三郎は何とも言えぬ寂しさを覚えて黙り込んでしまったが、正道の方は割り切った様子でさらに自説を述べた。
「幕府が関八州に改革組合村を編成させて以来、村役人に治安維持の権限がゆだねられています。この権限を島屋門が掌握することで、速やかに京の新選組にも似た一隊を編成し、我が木更津に佐幕の一大拠点を築きたいと欲する」
 この大胆な提案に対し、幸左衛門は腕を組み、憂色を示した。
「その新選組なる者どもは京都守護職配下とのこと。ならば会津松平家のお預かりであろう。我らも幕府への忠勤に励むなら、公的な後ろ盾が必要となる。そうでなければ何をしたところで私見私闘でしかない。この件、幕府内でしかるべき要職に就かれているお方にご承認いただかなければなるまい」
「仰せの通りです」正道は頭を下げた。「もし、おゆるしいただけるなら、わしが江戸へ参って渡りをつけてきます」
 島屋門の長老の中で、もっとも博学なのは八劔勝秀であろう。しょうじゅの父であり、八劔八幡神社の現宮司である。少し伸ばした顎髭が学者のような雰囲気を醸し出しているのだが、眼光の鋭さはやはり武人のものであった。
「先生はどう思われる」
 正道に促されると、美髭をなでながらしばし思案に暮れた。
「木像梟首事件には、国学の徒が複数かかわっていたそうな。一部のはねっかえり者が尊王の激情にかられて犯した愚行であろう。しかし、今や長州のごときは一藩まるごとその激情にかられて動いておる。帝を自分たちの手で奉ろうと会津中将に戦を挑み、果ては禁裏に発砲する始末。浅慮極まって外国船を砲撃し、こてんぱんに反撃されて領内を蹂躙されたとも聞く。あの藩の命脈もそろそろ尽きるであろうが、西国で不穏が続く昨今、上様のお膝元が手薄になっておるのは確かであろう。ここ房総は、江戸湾防備の最前線であるし、御府内の米蔵でもある。にもかかわらず、天領を統べる行政機関さえない。その不備を島屋門で補おうというなら、なるほど治国安民の教えにかなっている」
「しかし」と、友野七左衛門がまったをかけた。
「農繁期が来たら、島屋門の半分は国事にかかわっている暇などなくなりますぞ。こう言っては身もふたもないが、我らの本分は家業にあり、平素は地域の治安維持を自主的に請け負っているだけなのだ。御公儀からそれなりのお給金でもないかぎり、夫役程度の働きしか望めぬだろう」
 しばらく議論が続いた。
 どちらかといえば三千太郎は、実心斎の意見に賛同している。国事などに奔走する暇があったら、武芸百般に通じたい。稽古を積んで強くなりたい。武芸者である限り、それ以外に何を望むことがあるのだろう。しかし、傍らにいる常盤之助の目は、じっと議論の行く末を見守っていた。三千太郎がその眼差しに気づかなかったのは、あまりに距離が近すぎたせいであったろうか。
 結局結論が出ないまま祝宴は散会となった。正道が憮然とした面持ちで下駄をつっかけると、
「ちょっといいかい」
 常盤之助に呼び止められて、二人は道場の裏へ連れ立って行った。
「おれはマサ兄ィの話を聞いて、正直なところ驚いている」
「どうした常盤、そんな神妙な顔をして。おもえらしくもないじゃないか」などと茶化したが、取り合わない様子で常盤之助は問いかけてきた。
「おれたちのような商家の出でも、御公儀のお役に立てるのかい。ここいら辺に知行地を持つ旗本や代官を差し置いて、そんなことが本当にできるのかい」
 常盤之助の眼差しを見て、その心情を汲み取った正道は、確信に満ちた表情で答えてみせた。
「できる。安政の改革では時の老中が庶民にも意見を求めたではないか。いま都で過激派浪士を震え上がらせている新選組は百姓の出だ。時代は変わろうとしている。もはや家格でも身分でもなく、志と実力が問われているのだ」
「マサ兄ィ、おれなんかでも役に立てるかい」
「当たり前じゃないか。おまえほどの者が何を言ってる」
「おれも、御公儀のために尽くしたい。マサ兄ィと共に戦いたい」
 興奮のあまり涙ぐむと、正道も感涙をもよおして常盤之助の手を取り、互いにきつく両手を握り合った。

 庭にスミレが咲いている。
「種をまいたわけでもないのに」と言ってなをは戸障子を開けた。
 久は床に臥せたまま体を横に向けた。
 タチツボスミレだろうか。よい匂いがして、淡紫色が鮮やかだった。
 久はじっとその花を見つめていた。
 なをが飯櫃を開けるとあさりの匂いがした。干潟のあさりは砂が少なくて食べやすい。塩と醤油で味付けたあさり飯である。
「熱いうちに食べると美味しいですよ」
 飯椀にかるく盛って差し出すと、久はしばらく目を閉じて匂いを楽しんでいた。
「おや、かんぴょうも入っていますね」
「そこが一工夫なんです」
などと、近頃ではすっかり親子のような会話も板についてきた。
 海で獲れる食材の香りが、木更津の人々の暦にもなっている。飯にあさりが出てきたら、そろそろ春が訪れる。
 久はゆっくりとあさり飯を噛みしめながら、庭のスミレを飽くこともなく眺めていた。
 なをも一緒に食べながら、つられるように外を見ている。
 久は食べ終えた椀を膳に置くと、遠い目をしてつぶやいた。
「わたしはね、正直いって、藍色よりも、菫の色が好きですね」
 なをも椀を置いて、そんな久の横顔を見つめた。やつれて頬骨が浮き上がっているが、品のいい目鼻立ちをしている。
「そのうちなをも意識して見るようになるでしょうけれど、菫の色と藍色は、全然別の色味なのです。菫の色は、青みがかった紫。藍色は、深くて濃い青色」
「そんな違いがあるんですね。わたし、全然知りませんでした」
「藍色は、濃い。そして、暗い。わたしはずっと、そんな色の中にいた気がするんですよ。あまりの濃さと暗さに息がつまりそうになったこともある。でも、今は、藍色の中に溶け込んでもいいような気持ちになっています。この頃ね、目を閉じると、いつも同じ風景が見えるんですよ。店先の暖簾が、風に揺れている。藍染の暖簾が、揺れている……」
 久は目を閉じていた。その安らかな寝顔を確かめたなをは、飯櫃を抱えて、そっと部屋を出た。
 久は再び目を覚まさなかった。

 愛染院にある大河内一郎の墓に、久は合葬された。
 墓石の左側面に「芳讃湛義妙貞信女」と戒名が刻まれ、正妻の面目をほどこしたようにも思える。
 葬儀の間中、朝三郎は引きつった顔を痛々しいほどゆがめて、声を忍んで泣いていた。
 自室にこもって出て来ないのはいつもの事であるが、かれこれもう三日、女中が給仕する食膳にも手を付けず、雨戸すら開けないとあっては、さすがになをも心配になり、そっとしておいてあげるのもここまでと思うのだった。
 店先の掃除を終えた後、姉さんかむりをはずしたなをが部屋まで出向いて「お兄さん」と数度声をかけたが返事がない。起きているのは気配でわかるから、失礼しますと襖を開けた。
「お兄さん、御機嫌はいかがですか」
「いいわけないだろう」
 朝三郎はやおら身を起こして、薄暗い部屋の奥から、髷の乱れた蒼白い顔をのぞかせた。なをに対してだけは少しばかり偉そうな調子で話すところがある。
 なをは大きなお腹を抱えるように部屋の中へ入ると、朝三郎の前に膝をついた。
「何か食べないと体に毒ですよ。ふかし芋でも食べませんか」
 朝三郎は、なをのお腹をぼんやりと見つめた。
「ずいぶん、大きく、なったな。いつ、生まれる」
「お産婆さんの話ですと、葉桜のころではないかと」
「死ぬ命も、あれば、生まれて来る命も、あるわけか」
 と、自分にしか聞こえないほどの小さな声でつぶやいたようであった。
「食欲がないようでしたら、あさりとわけぎのぬたでも作りましょうか。あさりもわけぎもさっき棒手振りさんから買ったばかりだし、今が旬だから……」
 突然、朝三郎はなをの膝にうっぷして、わっと泣き出した。
 なをは驚いて目を丸くしながらも、普段は感情の欠片すら表に出さない義兄が、子供のようにしゃくりあげる姿を見て母心にも似た感情がこみ上げてくる。頭を優しく撫でてあげたいとさえ思った。けれども、それがゆるされることなのかどうか、まだ十七歳のなをにわかるはずもない。
「お兄さん、困ります」遠慮がちにささやきかけてみたが、こんなところを誰かに見られたらという動揺もあって、朝三郎の体を強く押し戻した。
 はっと我に返った朝三郎は、しばらくなをの顔を見つめていた。やがて下唇が痙攣したように震えだし、大粒の涙が一筋頬をつたった。
「おまえも、心の中では俺のことを、気持ち悪いやつだと思っているのだろう。皆と同じように」
 驚いたのはなをの方である。すぐさま首を横に振った。
「もう、出て、いってくれ」
「お兄さん、ごめんなさい、そんなつもりでは……」
「出ていけ!」
 なをは立ち上がって廊下へ出たものの、閉めた襖の引手に指を添えたまま、しばらくそこに立ち尽くしていた。

 その晩、三千太郎は手を止めて、不思議そうになをの顔を覗き込んだ。
「あじょした、今夜は。ちっとも箸が進まんな」
 いえ。と慌てて笑顔を取り繕うと、なをは煮豆を箸でつまもうとして、何度も取りそこねた。箸の先が小刻みに震えていることに三千太郎が気づいたとき、なをは動揺を隠しきれなくなって泣き出してしまった。
「あじょうしたあだ、なを、言ってみろ」
「申し訳ありません、三千太郎さん。わたし、お兄さんを怒らせてしまって」
「あにがあった」
「お兄さんは悪くないんです、わたしの態度が悪かったんです」
 おおよその事情を聞きだすと、三千太郎は膳をひっくり返さんばかりの勢いで立ち上がり、なをが引き止めるのも聞かず、つっかけを履いて出て行ってしまった。

 くれ縁をけたたましく踏み鳴らした三千太郎は、襖を左右いっぱいに押し開いた。
「あんた最低だな」
 和綴じ本に埋もれた朝三郎は、その音を聞いて頭を跳ね上げた。
「あんだ、やぶから棒に」
「あんたが身内でなかったら、はったおしてやるところだ」
 それを聞いて朝三郎は、やおら身を起こした。
「とうとう、本音が出たな。今までは下手に出てやっていたとでも、言いにきたか。おれが、なをに触れて、蝿にでもたかられたみたいに、不快になったか。おまえは物心ついたときから、大人たちにちやほやされて、さぞやおれのことを、哀れなやつだと思ってきたんだろう? 剣もやらず、昼間からごろごろしている大河内朝三郎は、一族の恥、幸左衛門の名を継ぐのは自分だと、言いてぇんだよな。妾の畜生腹も偉くなったもんだ。立つ瀬が、ねえや」とまくしたてた朝三郎の口角に、白い泡がたまっていた。火傷で頬が強張っているため活舌も悪く、声もかすれてすごみがない。
 そんな朝三郎を見て、三千太郎は頭から井戸水でもあびたように冷静さを取り戻した。
「兄さん、後生だから、なをに当たるのだけはやめてください」
 一瞬でも、本気で殴ってやろうとまで思った自分に嫌悪感を覚えた三千太郎は、深く頭を下げ、逃げるようにその場を離れた。

 生み月が迫りつつあるなをのお腹は、誰が見ても大き過ぎる。産婆のおハルさんが按腹してみたところ、頭とおぼしきふくらみが二つあるように思われた。
「双子かもしれないそうです」
とそれをなをに告げたのは、おハルさんと別室で長らく話し込んでいた鶴であった。
 鶴と豊はなををの出産に向けて準備を整えている。
 じれった結びを解いて以来、豊は髷を結うのをやめてしまった。長い髪を後ろで纏めた根結いの垂髪にしている。いかにも武芸をたしなむ女性らしいすがすがしさで、はからずも町の若い娘たちから恋文まで届くほどの人気ぶりだった。
 豊は納戸にしつらえた産屋になをを連れていき、
「ほんとうに座椅子でなくていいのかい」と心配そうに尋ねた。
 なをは天井から吊り下げられた力綱をそっと引っ張ってみながら、
「豊姉さんが嫌でなかったら、わたしの体を支えていてください。それでもいい?」
「なをがそれでかまわないなら、あたしがずっと支えとくよ。力持ちだからさ、安心していいよ」
「姉さんがそばにいてくれれば、心強いです」
 産屋には、実家の母親が仕立ててくれた身幅の広い着物や、大量の白い晒し木綿、油紙、食器、胎盤を入れる胞衣土瓶まで用意されている。力綱の真下に竹のすのこも敷かれており、いよいよ出産が近いのだと身の引き締まる思いがする。
 一家の家事を取り仕切っている鶴が、そんななをの緊張を解くように笑ってみせた。
「いつ産気づいてもいいように、わたしと豊が始終ついていますし、クニさんもすぐに駆け付けてくれます。なんといってもクニさんは、双子を産んだ経験がありますからね」と自信ありげにうなずいてみせるのだった。

 春の一日、なをと三千太郎は、二人だけのささやかな儀式をした。
 大豆をほうろくで炒るのである。菜箸を使う三千太郎の肩にもたれかかるようにして、なをもそれを見つめていた。
 よく炒った豆を縁側に用意した台の上に広げて、ごりごりとつぶす。こうすると皮がとれる。
 二人で向かい合い、一升桝の底でつぶした。潮の香をはらむそよ風が、満開の桜の花びらを散らせていた。
「まめでぇ、健康にぃ、育ちます、ように~」と小唄を口ずさむように調子をとりながら、なをは豆をつぶした。
 木更津の家庭では、赤ん坊に産湯を使わせた後、まめに育つようにという願いを込めて、豆ごはんを作って祝う風習がある。これを「ねんねこ茶の子」といった。なをは茶の子に入れる炒り豆を、出産前に三千太郎と一緒に作ると決めていた。
「ねえ、三千太郎さん。そっと秘密を教えちゃいますね」
「秘密なんか、あったのか」からかうように笑った。
「お腹の子、双子みたいです」
「双子?」途端に三千太郎が眉をくもらせた。
「きっと、そんな顔をするなって思っていました。双子は畜生腹っていわれて、三千太郎さんもすごく嫌な思いをしてきたんですよね」
「常盤之助などは、世間をはばかって戸籍まで変えたほどだから。それでも俺たち兄弟は、陰口を叩かれたもんさ」
「わたしね、どんなに陰口をたたかれてもかまいません。だって三千太郎さんのねんねこを、二人もいっぺんに授かるのだもの。むしろ感謝したいぐらいなんです。それに、わたしの知っている畜生腹は、三千太郎さんと、常盤之助さん。こんな子たちをわたしも産みたい」
 三千太郎は目頭が熱くなり、奥歯を噛みしめていないと涙が出そうであった。
「わたしたち、出逢ってから、ようやく一年になりますね。長かったような、あっという間だったような」
なをは一升枡を持つ手を止めて、庭から見える大島桜の木を眺めた。
「ここへ嫁いで、大変だったろう」
「わたし、この家で、いろんなことを学ばせてもらっています。わたしね、子供の頃から論語とか孟子などを読んできたけれど、ここで過ごした一年の方が、ずっと学ぶことが多かったように思います。これからも学んでいきたいし、藍染のことも、もっと知りたい」
 桜の白い花弁が散りゆく様は、まるで歌舞伎の紙吹雪のようである。
 なをの鼻先に、ひとひらの花びらが落ちてきた。三千太郎は笑ってそれをつまみ取ると、そのまま顔を寄せて、二人はそっと唇を重ねた。

 島屋は相変わらず繁盛している。
 当主の幸左衛門は老齢とは思えない身のこなしで顧客の接待をしており、大番頭の孫左衛門は帳場にどしりと構えて算盤をはじいている。店内を忙しく動き回っている茂三郎の髷は相変わらず清潔な輝きをみせており、その指示に従って手代や奉公人がテキパキと仕事をこなしているのだった。さすがなのは、当世風俗の指南書を出版している江戸表の地本問屋が、足げく縫之進を取材しに来ることである。渋茶をすすりつつ、銀のキセルをふかしながら、藍染の色味や着こなしについて語る縫之進に質問を投げかけながら、版元が紙になにやら書き記している。
 そんなにぎやかな店先を箒で掃いていたなをは、ふと手を止めて、亡くなった久が夢うつつに見ていた藍染の暖簾を眺めるのだった。明るい日差しの中で揺れている島屋の暖簾。大きなお腹に手を添えて、往来のそよ風にまじる潮の香を吸い込むと、すべてのことに感謝したい気持ちになる。この先どんなことがあっても、乗り越えて行ける気がする。
 そしてなをは、破水した。

「さあ、なを、大船に乗った気持ちでいなさいよう」
 豊は襷がけをしてなをの頬に軽く触れた。弱い陣痛が始まっている。
 店の小僧が産婆のハルさんを呼びに走った。
 痛みが起こる間隔が規則的になり、徐々にその間隔が短くなっていく。
「始まるよ」
 ハルさんの一言を合図に、なをは豊と鶴に支えられながら納戸に入った。
 三千太郎が、
「しっかりな」と声をかけると、なをは三千太郎の目をじっと見つめ返して、うなずいてみせた。
 力綱を握りしめ、背中を豊が抱える。ハルさんが正面に座り、鶴とクニが介助のために付き添った。この時代の出産は座産である。
「まだ開ききってねえから、強くいきむんじゃないよ」
 ハルさんが声をかけたが、なをはすでに玉のような汗をかいて苦しみ、時おり声を上げてうめいた。
「声出すでねえぞ、はしたねえ」とハルさんが叱った。出産中に声を出すのははしたないこととされた時代なのである。
 どんなにこらえても、「ああぁぁぁッ」と悲鳴のような声をあげて苦しむなをの様子は尋常でなかったかもしれない。ついには痙攣まで起こすと、これもハルさんの指示で、舌を嚙み切らないように丸めた布を噛ませた。
「双子だからね、難産になりそうだ」とまわりに言い聞かせるようにハルさんがつぶやいた。
「なを、がんばるんだよ」豊はしっかりとなをの体を背後から抱きかかえ、頭をなで続けている。
 産道に手を添えたハルさんが声を励まして言った。
「そら、いきめ」
 力綱にすがって、なをは全身でいきんだ。噛んだ布の奥から悲鳴のような声を上げながら。
 座敷で膝を揺すっていた三千太郎は、気持ちが落ち着かず、仏間に駆け込んで切に祈願する他すべもなかった。出産というものは真剣勝負のように恐ろしいものだとつくづく実感し、女は武芸者よりも強いのではないかと思ったりもする。
 気が付くと、同じ仏間に朝三郎が座っていた。
 扇子の折りをぱちんと鳴らしている常盤之助と、キセルをくわえたままぼんやり煙草盆を見つめている縫之進もいた。
 夕闇が迫り、明り障子に夜のとばりが下りる。
 女中が縁側の釣灯籠と部屋の行灯に火を入れた。
 漆黒の空に、大粒の星々が瞬いている。

 納戸を橙色に照らしている五十匁のロウソクが一本燃え尽き、新たなものが燭台に立てられた。
 なをは絞り出すような声を上げながら力綱にすがっている。
 いきめ、いきめ、と叫んでいたハルさんが、姉さんかむりしていた手拭いをはずし、両手で顔の汗を拭きだした。そして、産道をじっと睨み据えながら、大きなため息をついた。
「からっきし、出てこねえ……」
 豊は一瞬唖然としたが、すぐ我に返って怒鳴った。
「出てこねえじゃねえでしょ、出してよ!」
 なをは両手を震わせながら力綱を握りしめ、全身から湯気がでるほど力んでいる。こめかみに青筋を浮き上がらせ、肩で大きく呼吸し、何度も何度もいきんでいる。
「なを、あたしがついてるよ、がんばって!」
 気が付くと豊は涙を流していた。もうどれぐらいこの残酷な陣痛が続いているのだろう。
 ハルさんが突然「ああ」とうわずった声をあげると、左右で介助していた鶴とクニの顔から血の気が引いた。鶴が取り乱したように白い晒し木綿をハルさんの手元に押し渡す。大量に用意してあった木綿が、またたくまになくなってしまった。なをは力綱に身を持たせ掛けたまま、肩で息をしている。
 豊が首を伸ばして覗き込むと、なをの股の間に、滴るほど鮮血を吸い込んだ木綿が山となっており、それでも足りないかのように、竹のすのこが大量の血にまみれている。赤ん坊の姿はない。ただ、血の海であった。
 薄っすらと閉じかけたまぶたの奥で、なをの瞳が揺れていた。力綱を握っていた両手がすべるように離れ、すべての重さが豊の体にかかった。なをの顔が横に傾き、豊の頬に当たった。
「なを、なを、」豊はなをの体を揺すった。どんなに揺すっても、ぐったりと両腕を垂らしたまま動かない。豊は固唾を飲み、しばらく耳をすました。
「息、してない……」
 豊はハルさんたちを見回して声を上げた。「息してないよ!」
 さっきまで火照っていたなをの体から、みるみる体温がなくなっていくのがわかる。
「なを、しっかりして!」
 声をかけながら激しく体を揺さぶったが、なをの体はただ揺れるばかりだった。
「気付けをッ、酢を持ってきて、はやあ!」
 その叫びを聞いて我に返ったクニが、納戸から飛び出して、土間の女中に向かって声を上げた。「お願い、酢を持ってきて!」
 何かただならぬ事態が起こっているのを察した三千太郎が納戸へ入ろうとすると、クニが立ちふさがって押しとどめた。
「母さん、通してくれ、何が起きた!」
 クニは震える足を踏んばりながら三千太郎に目を据え、
「しばらくここで待っていなさい」と強い口調で言った。
 豊はなをの体を抱きしめながら、冷たくなっていく体を必死にさすり続けた。
「お願い、なを、目え覚ましてえ……」
 酢を布にしみ込ませて、なをの鼻先に当てた。祈るような思いで、なをがむせて目を覚ますのを待った。
「なを、なを、」
 何度も体を揺すり、豊は声をかけ続けた。
 白い着物を汗でびっしょり濡らしたまま、体だけが冷たくなっていった。

 にわかに慌ただしく、女中たちが納戸へ入ったり出たりした。手桶を持つ者、寝具を抱える者もおり、そのたびに三千太郎が引き止めて「なをはどうしているんだ、元気なのか」と尋ねたが、彼女たちは黙して語らず、涙ぐんだ目をそらしてそそくさと通り過ぎるのだった。
 どれぐらい時間が経っただろうか。
 ようやく三千太郎はクニに呼び出された。
「なをは、お腹のねんねこと共に、彼岸へ旅立ちました。ミチタに赤不浄を見せるわけにはいかなかったので、産屋を片付け、着物などもこちらで変えました。まだきっと魂はここに居るはずですから、最後までがんばったなをを、ねぎらってあげなさい」
 襖を開くと、なをはいつの間にか死装束を身につけて横臥していた。枕元に樒と香が供えられていて、逆さ屏風までしつらえられている。
 その傍らに豊が正座しており、三千太郎の顔を見るなりわっと泣き崩れて、「ごめんなさい、ごめんなさい」手を付いてわびた。
 三千太郎はそばにしゃがんで、豊の肩にそっと手を置いたが、目の端に見えているなをの蒼白い死相が、あまりにも唐突で、現実のものとは思えなかった。
「すまないが、しばらくなをと二人にしてもらいたい」とささやく声がうわずり、喉元に熱い大きな塊がこみ上げてくるようで、息をするのも苦しいほどだった。
 この晩、三千太郎は朝までなをに添い寝した。眠っているようにしか思えなかった。しかし肌に触れてみると、少しのぬくもりもなく、柔らかさも失われていて、そこに厳然たる死を垣間見る思いがする。お腹のねんねこを見ることは、ついになかった。なをの腹ごしに、二つのふくらみを撫でることだけが、父親としてやれる唯一のことなのであった。
 一晩中なをの顔を眺めていても、涙が出て来なかった。朝になったら目を覚ますのではないか。そんな予感の方が現実的に感じられる。このまま目覚めない方が不自然なのであって、もし、目覚めない方が現実なのだとしたら、悪い夢でもみているのではないか。
 三千太郎は、なをの体を掻き抱いた。そのまま、いつしか夢とうつつをさ迷うようにまどろんでいた。明け六つ時の淡い茜色が障子を透く頃、三千太郎は目を開けて、なをの頬に触れた。そして、「なを、朝だよ」と声をかけた。
 いつもなら、なをが愛用している伽羅の油の移り香が着物に残る。しかし今朝はなんの匂いもしないし、目の前になをの体があるにもかかわらず、人の気配すら感じられない。三千太郎は身をこごめてなをの額に頬を押し当てると、叫ぶような声を上げ、全身を震わせて泣いた。

 なをの葬列を、木更津中の人々が沿道で見送った。喪主の三千太郎は編笠をかぶり、豊が位牌、常盤之助が香炉を持ち、会葬者は羽織袴を着用して、柄を白い紙で包んだ一刀を帯びている。
 葬礼は愛染院でしめやかに執り行われた。
 寝棺の中で重ねられたなをの手に、生前彼女が宝物にしていた「鼓草綿毛之舞」の手拭いが握られていた。これを見た縫之進が、
「美しい魂よ、安かれ」とささやいて、親指の先で目のふちをぬぐった。
 身内の手で、故人の衣服、調度、六文銭などが納められた。
 朝三郎は、おそらく相当値が張ったであろう鼈甲の斑入り櫛を、誰にも気付かれぬよう、そっと手向けたのであった。
 なをの墓は、一郎と久が合葬されている一基と、大河内家の家族墓の間に建てられた。
 慶応二寅星
 栄樹院直心妙了信女
 五月上九日
と墓石の正面に刻まれている。なをの生前を知る僧侶がつけた戒名だろうか。この文字を見るだけでも、彼女の人柄が思い浮かぶようである。
 側面に
 大田村 地曳新兵衛娘
と刻字されている。享年十七歳。

 三千太郎は一人で、かつてなをと歩いた道をたどった。
 矢那川からベカ舟で遡上し、大田村の集落をぬけて、恋の森の坂道を登った。傍らになをの息遣いを感じながら、なつかしい思い出をたどり直そうとしている。
 一年前と、何も変わっていなかった。山頂からは木更津の町と、湊と、広大な干潟が望まれた。富士山も、優雅な裾を広げている。橘神社もそこにあった。
 欠けてしまったのは、なをのぬくもりだけである。
 あの日のなをの面影が、今もまだ、そこに見えるようであった。

 記憶の中のなをが、澄んだ瞳をこちらに向けた。
「うちはお正月に、たくさんもち米を搗くんです。おろした山芋を少しずつ入れながら搗きます。それを小さく切って、乾かして、食べるときほうろくで煎ると、ぷくっとふくらんで、ふわふわのあられになるんです」

「ミコは、ここに立って海を眺めながら、吾妻はや、ってささやいたそうです。わが妻よ、ああ……。って」

「三千太郎さんも、大切な人を失ったら、ここを立ち去れなくなってしまいますか」

 もう、生きていけない、と思った。この悲しみを、乗り越える自信がなかった。

 君去らず袖しが浦に立つ波の
 その面影を見るぞ悲しき

 三千太郎は、両手で顔をおおって泣いた。
 なをの面影は、いつまでも、優しく微笑みかけてくる。

第三章  潮風の向こう

 なをの死から八日後、木更津で大規模な「米騒動」が起こった。
 昨年末以来、総三郎の周旋で小康状態を保っていたかにみえたが、一部の米穀商が在米を他地方へ転売することで投機的な儲けを得ようと目論み、密かに船積みしていたのを住民に察知された。これが大規模な打ちこわしの発端となった。
 木更津船の乗り子や港湾人足は日銭を稼いで飯米を購入していたから、米価が急騰すれば生活が破綻する。それでなくてもあらゆる物資が軒並み高騰しており、天井知らずの物価高を抑制するための施策を幕府が何も打ち出せずにいるのだから、地域社会が助け合わずには乗り越えられない状況なのであった。にもかかわらず、一部の米商が利欲に走ってしまった。窮民は寺鐘を乱打し、おのおのこん棒や得物を引っ提げ、怒声を上げて米商を襲った。家財家屋を破壊し、店の者を引きずり出し、蔵を開いて米を打散した。
 この事態を、総三郎は傍観した。住民の怒りは当然のことであろうと判断したからである。木更津の繁栄を支えているのは海運業に携わる日雇い労働者たちなのだから。彼らを軽んじた報いであり、略奪された米は炊き出しのようなものだ、と総三郎は思うのだった。
 騒動の翌朝、町は嵐の後のように荒れていた。打ち壊された米穀商は二十軒余りにおよび、多数の捕縛者も出たようである。破壊された商家を眺めながら、総三郎は得も言われぬ虚しさを覚える。なぜだか無性になをの笑顔が思い出された。なをの死を境に、何かが決定的に変わってしまった気がする。三千太郎は家に閉じ籠ったまま道場にも来なくなってしまったし、豊は髪をばっさり切り、連日道場に出て門弟をしごいている。どちらも心の中で何かが壊れてしまったのかもしれない。オヤジさま、と呼ぶなをの声がなつかしい。なをの作るおかきは実に美味かった。総三郎は殺伐とした山手通りを歩きながら寧日を思うのであった。
「ひどいものですね、オヤジどの」
と声をかけてくる者があった。高柳村の名主、重城保。このとき三十三。
 幼少の頃から秀才の誉れ高く、その識見の高さは総州随一と称されたほどの名士である。後に千葉県議会初代議長、第一回衆議院議員となる男だけに、細面の上品な風采にもかかわらず、すでにその片鱗をうかがわせるような貫禄もある。
「今度ばかりは、自業自得ですな」
 総三郎が冷めた反応を示すと、重城も深くうなずいて共感を示した。
「大阪の市中でも最近、千軒近い商家が打ち壊されたと聞き及んでいます。まこと由々しき事態です。今後、江戸や横浜辺りにも飛び火する恐れがあるでしょう」
 実際、この月の下旬、江戸でも大規模な打ちこわしが起こるのである。これが波及して六月には秩父地方の零細農民が一揆を起こし、武蔵、上野方面へ拡大して十万人規模の大一揆となる。一帯の豪農や富裕商人はもとより、横浜の貿易関係者や代官所、陣屋なども襲撃された。もはや幕府の力だけでは鎮静できず、近隣諸藩の兵力が動員され、大砲まで持ち出す始末であった。
 その前触れとでもいうべき混乱が、木更津の米騒動だったのかもしれない。
「このまま我らが何もせずにおれば、将軍のお膝元が崩れてしまうのではありますまいか」と、重城ほどの男が憂色を浮かべるのを見て、さすがに総三郎もぬきさしならぬものを肌で感じざるを得ない。
「重城さん、貴兄はこの先、如何すべきとお考えか」
「このところ、町人や農民の間で貧富の格差が顕著になってきたと見受けられます。田畑を手放して小作人となる者も後を絶たない。住民があまねく安衣安食にあずかれる世を是とするなら、利に走りがちな商家や豪農層を対象に、遵守すべき規則を定める必要があるかもしれません」
 ほう、と総三郎はうなずいて、片手で顎をさすった。
「実は、このように考えているのは私ばかりでなく、北片町の長須賀屋卯八さんや、三河屋喜平次さんなども同意見です。木更津は湾内でも有数の大湊ですし、江戸の城米輸送の拠点でもありますから、この町が機能不全に陥りでもすれば、たちまち府内が混乱をきたします」
「おっしゃる通りですな」
「商人と屏風はまっすぐでは立たないという俗諺もありますが、今回の米商どものように、あきらかに人倫の道を外すとあらば、島屋門の力をお借りしてでも、まっすぐに正すべきではないかと愚考しておる次第です」
 総三郎は顎をさすりながら、破壊された米屋の店頭をじっと見つめた。
「オヤジどの、何らかの策を講じるためにも、いちど会合の場を設けませんか」
「わしに、異存はありません」総三郎は、刀の柄にどっしりと腕をもたせ掛けた。
 その仕草に深い意味などなかったが、重城は心強い気がした。

 道場の板敷を踏み鳴らして、豊が正道の面鉄を打った。しかし、打ちが浅いと判断した常盤之助はこれをとらない。両者とも間合いを詰めて打ち合い、やがて鍔迫り合いとなった。豊がぐいぐい竹刀を押し込んでくる。正道は押し返して振りかぶった。その瞬間、すかさず腰を沈めた豊が正道の左胴を打った。
「胴ありッ」常盤之助が手を上げた。
 一礼の後、端座して面の紐をほどいた正道は、感嘆おくあたわざる様子で笑った。
「俺から一本をとるなんて、豊姉ェは恐ろしすぎる」
 豊も面をぬいだ。
「三本勝負の、最後の一本じゃないか。まぐれだよ」
 手拭いで額と首筋の汗をぬぐった。
 米騒動の翌日とあって、今日は道場を休みにしている。
 昼九つの梵鐘が、静まり返った町に鳴り響いた。三人は汗で濡れた稽古着のまま、羽目板に並んでもたれかかった。
 武者窓から差し込む光を眺めながら、豊は独り言のようにつぶやいた。
「なをのあられが食べたいねえ」
「いつもなら、なをさんが昼飯を持ってきてくれるころだね」常盤之助もなつかしそうに目を細めた。
 片膝を立てた正道は、眉目をくもらせて天井を振り仰いでいる。
「ミチタは、当分立ち直れそうにないか」
 常盤之助がうなずいてみせると、豊は膝を抱えて前を睨み据えた。
「そりゃそうだ。あんな辛い目にあって、立ち直れるわけがない。一生立ち直れないかもしれないよ」
 道場の上がりかまちに人影が見えた。地曳の印半纏を羽織った新一郎である。
「マサミっつあん、ここにいたか」
 豊と常盤之助に会釈すると、正道の対面に腰を下ろしてあぐらをかいた。
「帰港したその足で山手通りを歩いてきたが、糀屋も相善支店も見る影もないやね。ひどくやられたもんだ」
 豊は膝を抱えたまま新一郎に顔を向けた。
「すまは、どうしてるかい」
「毎日、泣いてる。なをの顔を思い出すたびに涙が出るって」
 それを聞いて、豊も目頭が熱くなるのだった。
「しばらく休ませようと思って大田村に帰したんだが、実家にいる方がなをとの思い出に囲まれて辛いらしい。一日と経たずに船宿の方に戻って来ちまった。おれも早く帰ってやらねえと」
 新一郎は気持ちを切り替えるように片袖をまくりあげ、膝頭に手を置いた。牡丹の入れ墨が鮮やかだった。
「さてとマサミっつぁん、江戸橋周辺で聞き集めた話を報告するぜ。いよいよ幕府が長州へ攻め込むそうだ。旗本筋の話によると、総大将は紀州徳川中納言。防長二州を五方面から攻囲するらしい」と身を乗り出して語り出した。
 正道も常盤之助も目を見張って新一郎の話に聞き入った。
 豊は立ち上がると、
「あたしは御政道に興味ないから」
 独り言のようにつぶやいて、その場を離れた。

 藍甕の間を歩いてゆくと、いつものところに縫之進が座っている。銀のキセルをくわえて刻み煙草を丸めていた。
「仕事、はかどってるかい」
「丈なす髪を短くして、ずいぶん頭が軽くなったろう」
「まあね。もう二度と髷は結わないよ。女であることをやめた。一生かむろで過ごすつもりさ」
「あれあれ、そうはいっても、かむろの豊姉ェは艶っぽいぜ。これからも男が言い寄って来るから、良い男を見つくろって婿にしな」
 縫之進はからかうように笑いながら縁台の端をぽんぽんと叩いた。
 失礼するよ、と豊は腰を下ろした。熱い番茶の注がれた湯呑を受け取ると、しばらく湯気を眺めて黙り込んでいたが、やがてふうと深いため息をついた。
「なをはさ、まさか自分が死ぬなんて、思ってなかったよね。あたしさ、なをのことを思うと、可哀そうで可哀そうで夜も眠れないんだよ。まだ十七歳じゃないか、あまりにも惨いよ」
 心につっかえている気持ちをことばにしたら、また涙が溢れてくるのだった。
 縫之進は煙草を深く吸い込み、細い煙を頭上に向かって吹き出した。
「人が生れてから死ぬまでのことを人生というなら、なをの人生は幸せだったと、おれは思うぜ。あの子は誰からも愛された。素晴らしい一生じゃないか」
 縫之進は、目頭に手拭いを押し当てている豊の肩に手を置いた。
「可哀そうなのは、残された人たちの方さ」
 そうつぶやいて、キセルの火皿から上る紫煙を眺めるのだった。

 慶応二年のこの時点で、世間は知る由もないことであるが、薩摩藩と長州藩の間で秘密同盟が成立していた。
 徳川幕府というものを現代の政治における〈与党〉に例えるなら、薩長同盟は、二つの革新派野党が連立を組んだようなものである。
 長州藩は一貫して幕府の施政に批判的で、そもそも国政の実権は天皇が持つべきであると唱えている。過激な革命路線を猪突猛進しており、その熱狂的な思想は吉田松陰から高杉晋作、桂小五郎らに受け継がれている。一方、薩摩藩も早くから幕政改革を推進してきた革新派であるが、あくまでも改革路線を貫いており、その慎重かつ周到な姿勢は島津斉彬から西郷隆盛、大久保利通らに受け継がれていた。両藩とも、劣化して機能不全に陥っている徳川幕府に見切りをつけ、新たな政治体制の確立を目指している。国の統治権を征夷大将軍から天皇へ移行し、公議公論を尊重すべしとする点で方向性が一致しつつあり、土佐の中岡慎太郎や坂本龍馬の周旋も功を奏して、ついに野党第一党ともいうべき〈薩長同盟〉の実現をみたのである。
 その既成事実に気づかないまま、幕府は長州征伐に乗り出そうとしている。
 地曳新一郎が江戸から持ち帰った情報の一つに、防長二州を五方面から攻囲するという戦略があったが、攻め口の一つを任せられていた薩摩藩は出兵を拒否した。それでも、幕府の軍勢は総数十五万人。対する長州藩の軍勢は義勇兵を集めても七千人程度。幕府の既定路線に従わない長州藩を叩きのめすことで、徳川将軍家が天下に威信を示す絶好の機会が訪れようとしている。
「ですから」と正道は言った。
「今度ばかりは公方様も、姫路あたりまで御出陣遊ばされるかもしれません」
 大規模な戦となることは、もはや決定的であった。
 先師中村一心斎の姿を肖らした掛け軸を眺めながら、「それにしても薩長の奴ばら……」と孫左衛門が眉をひそめた。
「関ヶ原の戦いに敗れた毛利と島津の子孫らが、今になって徳川家に復讐しているとしか思えんな」
 それを聞いて正道は深くうなずきつつ苦笑した。「確かに、そうともいえますね」
 笑い事では済まされぬという表情になったのは幸左衛門である。
「庶民は日々の飯米にも事欠くような塗炭の苦しみを味わっておるというのに、西国の外様と陪臣は、尊王だの討幕だのと、いったい何を考えておるのか」
「それをこの目で確かめに行きたいのです」と身を乗り出したのは常盤之助であった。
「マサ兄ィと共に、天下の形勢を直に見て来てから、我が島屋門の進むべき道を講じたいと存じます」
 その凛とした眼差しを見て、幸左衛門と孫左衛門はちらと互いを見やった。三千太郎とくらべて大人しく、目立たなかった常盤之助が、にわかに頼もしく感じられたからである。
 不二心流はますます隆盛を極めている。門弟の広がりは房総半島を席巻しつつあり、これならば正道が提唱する「島屋門を中心とした一大勢力の確立」という構想も画餅とはならないだろう。さらにこの年の十月、正統二世大河内縫殿三郎のお膝元、西小笹村(匝瑳市)の地蔵院に中村一心斎の新たな供養塔を建立する計画が進んでいる。地蔵院は大河内家の祖先伊藤河内守為安の白い愛馬を祀った堂宇であり、ここに流祖の碑を建てることで不二心流の道統が大河内の血筋で世襲されていくことを暗に示すことになる。この式典は各地の門弟にその旨を了解させる重要な機会となるだろうから、
「十月までには一度帰省するように」幸左衛門は念を押した。
 何かを始めるのなら、この十月の式典で表明せよ、という含みもある。
 幸左衛門は、一両小判や一分二朱の金銀、百文差を帳場箪笥から大量に取り出すと、これを路銀にせよと惜しげもなく与えて、意気軒昂たる二人を激励した。
 後で孫左衛門と二人きりになると、幸左衛門は入れたての玉露を一口飲み込んで、はからずも大きなため息を一つついた。
「こうなると、実心斎の離脱が惜しまれる。三千太郎のことも心配でならない」
 孫左衛門はいつもの温顔を振り仰いで愛用の扇子を膝に突き立てた。親骨が鍛鉄製の鉄扇である。
「今年は不幸が続きますな。こんなときこそ、一族の結束を強め、支え合ってゆかなければならん。総三郎も、近隣の名主や商人らと何やら会合を重ねておるそうな。ともかく我らは、物心両面で若い世代を支えてゆきましょう。まだまだ隠居はできませんぞ」呵々と笑って鉄扇を開いた。金紙の扇面に紅い日の丸が描かれており、それをばたばたあおぐ様はあたかも戦国武将のようであった。

 三千太郎の新居は空き家になっている。なをの遺品が整理され、土間の荒神様もどこかへかたずけられてしまった。三千太郎はその様子を、座敷に座ってただぼんやりと眺めていた。今は実家の母のところへ戻っている。
 裁着袴を履き、脚絆を巻き付けた常盤之助は、新調したばかりの打裂羽織に腕を通した。しかし、大小を腰に帯びる前に、まだ眠っている三千太郎の傍らに座り込んだ。日の出前である。
 このところ三千太郎は日がな一日奥の間に引き籠っている。何をするでもなく寝転がっており、髯も剃らず、総髪も乱れたまま、今朝は息まで酒臭い。
「ミチタ、そろそろ行くよ」
 常盤之助が声をかけると、三千太郎はしばし体をよじらせてまぶたを開いた。
「ああ、今日、出発だったか。すまん、すぐ支度する」
 見送りに出ようと掛け布団を払いのけたが、常盤之助は手甲を着けた手で菅笠の紐をつまぐりながら、洗い立ての顔をほころばせて話し出した。
「なあミチタ、知ってたか。上総国の全石高の六割は旗本知行地なんだってさ。だからこの辺り一帯は徳川藩とでも呼ぶべきもので、もし公方様が外様大名の脅威にさらされたら、俺たちには押っ取り刀で馳せ参じる道義的責任があるんだそうだ」
「責任、か」と三千太郎は寝起きの目をこすりながらつぶやいた。
 特に深い意味はない。大層な言葉が出てきたものだと思ったのである。しかし常盤之助は、さらに語気を強めた。
「農工商の志あるものを慫慂し、兵を練り、士気を鼓舞し、幕府を支えんがために軍を起こす。その中核を島屋門が担う。おれたちの手で房総の鎮めをして君側を浄める。今こそ、累世の幕恩に報いるときなんだ」と一息に述べ立てると、
「まあ、すべてマサ兄ィの受け売りだけどな」とおどけたように笑ってみせた。

 江戸へ向かう明王丸の船出を、三千太郎は、豊と勝壽と共に見送った。短く切った豊の髪が、藍の小袖とよく似合っている。
 徐々に明るんでゆく空の下に、富士の高嶺が手に取るように望まれた。雲ひとつなく晴れており、紺碧の海に小さな白い三角波が立っている。
 船着場を離れる直前まで、正道は三千太郎の傍らにいた。
「我らは取るに足らない微賤に過ぎぬが、治国安民の志を貫けば、きっと徳川家のお役に立てるはずなのだ。そのためには、なによりミチタの武勇が必要になってくる。辛い気持ちはよくわかるが、一日も早く立ち直ってくれよ」
 正道と常盤之助は、船端から大きく手を振った。
 房総半島に横たわる一塊の丘陵から朝日がさしはじめる頃、明王丸はかざっぱりに帆を向けて、一路江戸へ向かって出航した。
「行っちゃったね」豊がさみしげにつぶやいた。
 勝壽は三千太郎の方へ向き直ると、なんとなく襟足のあたりを掻いたりしながら、言いにくそうに切り出した。
「マサミっつぁんも行ってしまったし、実心(斎)さんもいないし、オヤジもあちこち飛び回ってるから、師範が足りないんだ。ミチタ、気持ちが落ち着いているときでかまわんから、ときどき稽古に出て来てくれ」
「まだ無理するこたぁないよ」と豊が割り込んできた。「かわりにあたしが出るからさ」
「豊さん狂暴すぎて門弟が怖がってるんだよ」
「なにそれ。あたしちっとも狂暴じゃないよ。ホトケの豊さんじゃないか」と、目を細めて安らかな表情をつくってみせた。
 三千太郎は、小さくなっていく明王丸を、いつまでも突っ立ったままぼんやり見つめている。
 誰に向かってということもなく、豊が感慨深げにつぶやいた。
「徳川家のために一働きしたいなんて、まったく殊勝なことだよねえ」
「おれさ……」三千太郎が沖を眺めながら口を開いた。
「徳川家がどうなろうと、この国の行く末がどうなろうと、そんなこと、はっきりいって、どうでもいい」
 それを聞いた豊は、やや間を開けて、
「ああ。どうでもいいね」声を落としてうなずいた。
 棒手振りが豆腐を売る声が聞こえてくる。魚や青物を売る呼び声も高らかに、朝日に照らされた海岸通りを行商人が行き交い始めている。

 湊を離れて間もなく、木更津の町は海岸線の一部となってかすんでしまった。明王丸の甲板から眺める海上は、陸から見る沖とは全然違った印象を常盤之助に抱かせた。
 いつもは穏やかに見える江戸湾にも、荒々しい潮風が吹いている。大きめの波が船板を叩くたび、体が少し宙に浮き、次には下へ吸い込まれる。剣帆が大きく膨らんで、五大力船の細長い船型は海上を切り裂くように快走するのだった。
「ごぜき(五大力船)には垣立がないから、振り落とされないように気をつけろよ」新一郎が声をかけた。
 そのごぜきよりも早く帆走している船もある。鮮魚を搬送する押送船だ。船槽の生簀に漁獲物を入れて、活きのいいまま江戸へ卸すのである。そのため船型が五大力船よりも小型の流線形で、櫓まで使って全力疾走する。全国各地から来航する弁財船、苫船や茶船なども活発に往来しており、内湾交通の活況に常盤之助は目を見張る思いがする。
 房総半島には高い山がなく、平均海抜は四十九メートル、日本一低平な地域であり、江戸前を南北にかけて包み込んでいる。御府内の食料物資の供給地でもあり、内房の沿岸には、椎津・今津・青柳・姉崎・五井・八幡宿の湊が連なり、その向こうの湾奥に蘇我・寒川・登戸・検見川、江戸近傍に行徳が望まれる。その位置を一つ一つ新一郎が指を差して教えてくれた。どの湊も各方面の街道に接しており、内陸へ人と物資が行き交っているのだった。
 正道の顔色が悪い。こめかみに脂汗を浮かべている。
「おれはどうも、船に弱い」船端の方へよろけると、海に向かって吐いた。
 そんな正道の背の向こうに三浦半島が広がっている。
 横浜港は日米修好通商条約に基づいて安政六年に開港されたばかりであった。従来の神奈川湊は東海道に直結するため、国防上、外国船の寄港地にするのは避けたい。そこで入り海の対岸にある横浜村に新たな港を開いたのである。開港からまだ七年。外国船とおぼしき汽船が数隻停泊している。常盤之助は伸び上がってそれを眺めた。「それにしても、ごぜきは速いな。もう横浜が間近に見える」
「今日みたいに順風だと二刻半ぐらいで江戸に着く。だが、べた凪になると一日かかってもたどり着けない」
 そうであれば、風にめぐまれた日の船上は気持ちも軽やかになろうというもの。新一郎が舵を取りながら唄い出すと、他の乗り子たちもいい声で和した。

〽ハァー 木更津照るとも 
江戸は曇れ かわいお方が 
ヤッサイ モッサイ ヤレコリャ ドッコイ 
コリャコリャ 日にやける

 この舟唄、安政年間に木更津出身の噺家木更津亭柳勢が高座で唄い、江戸で大流行したものである。木更津甚句という。
 流行といえば、もう一つ。
「しがねえ恋の情が仇、命の綱の切れたのを、どうとりとめてか木更津から」
の台詞で有名な歌舞伎の演目『切られ与三』も江戸っ子に好評を博したものであった。
 主人公の与三郎は木更津にいた実在の人物で、地元親分の愛人お富に手を出してめった斬りにされたものの、奇跡的に一命をとりとめ、三年後に江戸でばったりお富と再会するのである。この実話が講談となり、三代目瀬川如皐の脚本で舞台化され、八代目市川團十郎が演じるに至って大当たりした。『死んだはずだよお富さん』の歌詞で有名な春日八郎のヒットソングもここが出所である。
 確かなことはわからないが、与三郎は元、島屋の型付け職人だったという説もある。だとしたら大河内家の者にとって、切られ与三の存在は自慢の種だったかもしれない。さらにもう一つ付け加えるとしたら、「しょ しょ しょうじょうじ」の歌詞で有名な證誠寺も、島屋のすぐそばにある。夜な夜なたぬきばやしを踊っていた狸の親分の墓も実在する。
 などなど、話のネタが尽きない木更津のにぎやかな雰囲気が、新一郎たちが唄う舟唄の軽やかな調子からも伝わってくるようであった。

〽ハァー 泣いてくれるな 船出のときは
沖で櫓かいが 手につかぬ
ハァー 沖の洲崎に 茶屋町建てて
上り下りの船を待つ

「あれが、品川台場だ」
と新一郎が指差した海上に、人工の小島がいくつか見えてきた。
 第一から第六まである。幕府が威信をかけて築造した洋式海上砲台である。
 御殿山の土砂で洲の上を埋め立て、周囲に石垣をめぐらせて、塁壁から多数の砲門を突き出している。万が一、外国の軍艦が江戸湾奥に侵入してきた場合、この砲台の線で防衛するために作られたものである。しかし財政の悪化により当初十一基築造するはずだった計画は中断され、第四台場などは作りかけのまま放置されている。後に二つを残して解体され、現在では第三台場が公園となり、第六台場をレインボーブリッジの傍らに見ることができる。
 明王丸は、偶然にも浜御殿の幕府海軍所施設から出航した一隻の蒸気帆船とすれちがった。これから長州征伐の戦地に赴くのだろうか。遠くに船影が見えたと思ったら、たちまち眼前に迫って来た。煙出しから黒煙を吐き、舷側に付いている推進用木造外車が音を立てて回転している。弁財船よりも遥かに大きく、押送船よりも格段に速い鉄張りの船である。上甲板に黒い筒袖段袋姿の海軍士官とおぼしき人たちの姿も見えたが、蒼々たる海面を白く泡立ててあっという間に通り過ぎてしまった。常盤之助は口を開けたまま言葉も出なかった。
「すごい迫力だったろう」正道が興奮したように言った。まだ吐き気が治まっておらず、手拭いを口に当てている。常盤之助が感嘆のため息とともに大きくうなずくと、正道は顔色蒼白のまま口元に笑みをたたえるのだった。
「幕府は外国から蒸気船をどんどん買っているそうだ。あのような軍艦があれば、四海平定はたやすい」
 幕府の海軍力は日本一である。諸藩も独自に軍艦を建造したり輸入したりしていたが、まだまだ幕府海軍の足元にもおよばない。この時期、幕府が国籍旗として艦上にひるがえしていた日の丸が後に日本の国旗となり、「ようそろ」のような航海用語も、「いま向いている方向で問題なし」すなわち「宜く候(よくそうろう)」という武士言葉のなごりなのである。
 四時間半ほどの航海も終わりに近づき、明王丸は江戸の木更津河岸に船首を向けた。江戸橋南詰めの西側がその場所である。
 新一郎は甚句を口ずさみながら櫓を操って澪筋に沿って進み、日本橋川の堰に舷側を寄せた。
 船宿と土蔵が軒を連ねているが、そこに打たれた屋号はすべて木更津に本店がある。まるで木更津湊へ舞い戻って来たような、なんとも不思議な感じだと常盤之助は思った。
 正道は上陸早々手を膝にしてふうと一呼吸すると、気持ちを切り替えたように蒼白い顔を振り上げた。
「今朝食ったもんは、みんな海にぶちまけちまった。二八そばでも食いに行くべ」扇子を開いてすたすた歩きだした。
「マサ兄ィはたくましいなあ」
 常盤之助は笑わずにはいられなかった。

 江戸の人口は、享保年間には百万人を超えている。同時代のロンドンやパリの人口の約二倍という驚異的な数であり、世界最大級の都市に成長していた。町割りの七十パーセントが武家地であり、他は寺社地十五、町人地十五パーセントとなっている。参勤交代で江戸入りする大名諸藩の屋敷、徳川家の旗本・御家人の住宅といった広大な敷地の隙間に、庶民の暮らす九尺二間の裏長屋があったわけである。
 木更津河岸から少し歩くと、五街道の基点である日本橋に出る。金貨の鋳造をしている金座、三井の越後屋、呉服の白木屋、鰹節のにんべんなどが軒を連ねており、橋の南詰に、幕府の法令が提示される高札場がある。町方を支配する町奉行所も近くにあった。
 高札の前に立つと、ここが日本の中心なのだと実感する。この国の統治者が徳川家であるのは疑いもないことだと思える。正道と常盤之助は新調したばかりの羽織袴を着て、西小姓組七百石の旗本で市ヶ谷牛込に屋敷を構える斎藤久右衛門を訪ねた。
 大身にしては腰の低い久右衛門は、息子の常次郎を伴って玄関に現れ、二人を丁重に出迎えた。
 斉藤家の知行地は木更津近傍の横田村にある。ここの名主惣代葛田藤右衛門を介しての訪問であった。
 正道の名は木更津に縁のある者なら知らぬ者はなかったし、常盤之助の存在も、鎖鎌の使い手の弟と聞けばすぐに認知された。
 斎藤久右衛門はへりくだった様子で、
「長州征伐も、いよいよ戦端が開かれたようですな」
と二人に茶を勧めた。真っ先にその話題に触れるあたり、世の騒擾を憂いているにちがいない。
 しばらく江戸表や木更津界隈の近況を語り合った後、正道は茶托に湯呑みを置くと、居住まいを正して本題を切り出した。
「文久三年の騒乱の際、鎮定にひと月あまりの時間を要したことを覚えておられるでしょうか」
と正道が言うところの騒乱とは、三年前、房総九十九里地域で起こった武力蜂起のことを指している。首謀者は尊攘派浪士たちで、「尊王攘夷救世」の旗を掲げ、無宿者や百姓の二三男、商家の徒弟ら二百人あまりを糾合して〈真忠組〉を旗揚げし、夷賊打倒と気炎を揚げて、近傍の商家や豪農に軍資金千三百両、米百二十俵、武具の類を供出させて挙兵した。幕府は周辺諸藩に討伐命令を下したが、鎮圧までにひと月もかかっている。
「なぜそうなるのか。房総一帯の治安を守る確固たる軍事組織がないからです。文久三年の件は、諸藩から招集した兵を取り纏めて鎮圧軍を編成している間に被害が大きくなってしまった。既存の関東取締出役や、配下の目明しなどは、この規模の騒乱にまったく対処できなかったわけです」
 そう熱っぽく語る正道の話に、久右衛門と息子は引き込まれるように耳を傾けている。話は、さらに続く。
「元治元年、長州藩が下関海峡を通過する外国商船を砲撃した報復として、ヱゲレスの上陸部隊に砲台を占拠されるという失態を犯しました。しかしこのような事態は、海と接するどの地域でも起こり得るのです。もし、房総半島に外国の軍隊が上陸した場合、どこの藩がこれを迎え撃つのでしょうか。まさかその時になって、慌てて諸藩の兵を動員し、家格を忖度しながら陣容を整えるつもりでしょうか」
 久右衛門は答えられなかった。そのような事態が起こるのを懸念しつつも、具体的な方策を議論したことはなかったし、各砲台や沿岸警備を担当している諸藩がそれぞれに対処すればいいのだと思っていたふしもある。
 正道は一膝すすめて切論した。
「江戸湾岸の各地に据えられた我が国の砲は、外国艦の備砲と比べて火力に雲泥の差があります。我が方の砲架には、お寺の鐘を横向きに乗せて大砲に見せかけているようなところさえある。このような有り様では、ひとたび外国艦隊の砲撃を受けて上陸された場合、郷土を蹂躙されるのを指をくわえて見ている他にすべもありません」
 斎藤親子は息を飲んで話に聞き入っている。
「わたくしども、不二心流の門人は房総各地におり、道場間で密に連絡を取り合い、組織としてもまとまっております。これを母体として、旗本知行地、寺社領、天領などの警備を持って任ずる一隊を創立し、各地の農民、商人の子弟を訓化し、義気を鼓舞して練兵し、君側を浄めんがための兵旗を翻らさんと欲するものにございます」
 久右衛門は、ぱしっと扇子で掌を打った。
「正道殿、よくぞ申された。なんと見上げた志であろうか」
 常次郎も感激して、「拙者も同志に加えてくだされ」と目を輝かせた。
 正道は内心ほっと胸をなでおろし、ちらと常盤之助に視線を送った。
 久右衛門は膝に扇子を突き立てて、
「然らば、わしの方からも、これはと思う人物をそなたにご紹介つかまつろう。横浜仏語伝習所というところに、福田八郎右衛門という御仁がおります。元、日光奉行支配組頭、川上金吾助殿の二男で、昨今、旗本福田家に養子に入ったばかり。この者、大変な秀才で、仏語伝習所の一期生にして、すでに彼の地の言葉を翻訳しておるほど。幕府の新たな軍制はフランス式を模倣しておりますから、これからの時代になくてはならない大人物といっても言い過ぎではありますまい。しかもこの者、幕閣の小栗忠順殿や栗本鋤雲殿にも目をかけられておるほどですから、必ずや正道殿の至誠を汲み取り、上の者に取り次いでくださることでしょう。常次郎を同行させますから、さっそく横浜へ参られては如何か」
とのことばを受けて、常次郎は顔に喜色を走らせた。直心影流剣術に励みながら、時世に目覚めつつある十九歳である。
 正道と常盤之助は、幸先よしといった心持で平伏した。

「横浜」という町は、開港以前は戸数五十程度の漁村にすぎなかった。正道たちも神奈川湊の存在は昔からよく知っていたが、横浜の名を耳にしたのはつい先年のこと。江戸湾岸の名もなき一角が、海外貿易の門戸としていちじるしい発展を遂げたのを眼前にした正道と常盤之助は、菅笠を少し傾けて異国情緒あふれる街並みを眺め渡した。目抜き通りには煉瓦造りにガラス窓のはめられた外国商社が建ち並んでおり、和商の店舗も相当数進出している。まだ始まったばかりの活発な貿易活動の一端を見る思いがした。取引されている商品を見ると、圧倒的に生糸が多い。外国人らは、世界基準からみても最高水準の生糸を日本の名産品と見定め、国内需要などまるっきり無視して買い占めに奔走しているという。蚕卵紙や繭の高騰の原因はこれに相違なく、正道は、武州で起きた大規模な一揆の元凶を見た思いがする。
 常盤之助はそれよりも、外国人の容姿に驚いていた。肌の色も骨格も日本人と比べて異質であり、何より瞳の色の違いが信じられなかった。鬼か妖怪の類にすら見えてしまう。ここ数年来、木更津近辺でも攘夷にまつわる事件が多かったが、今になって彼らの心情を少し理解できたような気がする。こんな異相の連中が町中をうろうろしていたら気味が悪い。運上所の警備をしている武士を相手に高圧的な態度で声を荒げている外国人を見た時、常盤之助は内心「斬ってやろうか」とさえ思った。
 日本全国を席巻した攘夷思想は、この頃になると、その急先鋒であった長州藩でさえ手のひらを返したように自説を撤回している。長州、薩摩の両藩は、それぞれ藩を挙げて実際に外国艦隊と一戦交えてみて、領内にも人員にも甚大な被害を被ったのである。藩政府の要人や志士たちは彼我の火力の圧倒的な差に驚愕し、攘夷の不可を身をもって学んだのだった。これ以降、むしろ積極的に外国と親交を結んで洋式軍備の増強に努めることとなる。その成果が、今回の長州征伐において現れて来るにちがいない。
 
 ともあれ、正道たちは常次郎に案内されて木造二階建ての洋館へ上がり、そこで旅装を解いた。ここの店舗の経営者は日本人であるらしかった。
「西洋夷の店なぞでは食えたものではありませんよ」常次郎が渋い顔をした。「なんせ、獣肉を出すんだから」
「それなら」と常盤之助が脚絆をほどきながら言った。「おれはイノシシの肉なら食べられる。好物だよ」
「いえ、あいつらが食うのは牛です」
「うわ。そりゃあ無理だ」あきれたように笑った。
 欄干にもたれかかって下の通りを眺めていると、頭髪を三つ編みにした清国人や、英仏の水兵とおぼしき連中をよけるように、股引姿の日本人が大八車に茶箱や陶器を積んで通り過ぎてゆく。奇妙なことばを大声で発しながら闊歩する外国人のふてぶてしさとくらべたら、なんと小柄で慎み深い歩き方だろう。このままでは日の本が、不遜な外国の植民地にされてしまうのではないかと一抹の不安にかられたりもする。
 そこへ、鞍壷に腰をすえ、威風堂々たるかっぷくの若侍が青鹿毛の駿馬に揺られてこちらへ向かってくるのが見えた。正道も常盤之助も、それが福田八郎右衛門であることをすぐに察した。常次郎はかしこまって、
「あのお方です」
と、一目置いた様子で言った。
 福田八郎右衛門の実父川上金吾助は、日光奉行支配組頭、中之条代官などを歴任した名代官であり、弘化四年の善光寺地震、嘉永七年の大飢饉の際は年貢の減免を断行し、農民の救済に尽力したことで有名である。領民は金吾助の善政を讃え、生神として祀ったほどだ。養父の福田道昌も佐渡代官、勘定吟味役、先鉄砲頭、甲府町奉行などを勤めた名門の旗本であった。
 八郎右衛門は馬から下りると、駒繋ぎに手綱を引っかけ、やや肥満した体型にしては足音もたてずにいそいそと二階へ上がって来た。色白の柔和な顔立ちで、髷はきっちり大銀杏にしている。右の耳たぶに大きなほくろがあるのが印象的だった。さらには、
「お招きにあずかった福田八郎右衛門道直にござる」
と発した声色のかん高さは、あたかもうら若き女性のようであった。
 福田の通う仏語伝習所は横浜弁天町にある。フランス語を習得するための語学学校で、この時期はメルメ・カション神父が事実上の校長であった。幕府は、製鉄、造船、軍事など、最新技術の導入にあたってフランス人の指導を仰いでおり、そのため仏語を理解できる士官の養成が急がれている。福田は同期生の栗本貞次郎とともに『仏語学校の規則』を和訳をするなど、すでに群を抜く存在となりつつあった。
 父親同士のつながりがある常次郎と福田はすでに面識がある。常次郎が今回の来訪の趣意を簡単に説明した。
 正道は平伏して、
「我ら、上総国不二心流大河内縫殿三郎が門人、大河内阿三郎正道ならびに常盤之助と申します。福田様の御高名を伺い、まかり越しましてございます」と口上を述べたが、途中で福田は笑い出した。
「おやめくだされ。それがしなど大した者ではござらぬゆえに」
「しかし先生は、幕府きっての秀才とか」
「それがしごときが秀才ならば日本国はお終いです。いやはや、久右衛門殿はどんな話をされたのやら」とかえって恐縮している様子であった。
「先生は、仏語の達者と聞き及んでおります」
「とんでもない。まだまだ半人前です。君家のお役に立てるよう昼夜兼行で学んでおる次第です。ところで、先生はおやめくだされ。福田で一向かまいませぬ」
と、どこまでも謙虚な男と見受けられた。
 まずは一献ということで、常盤之助が店の品書きから旨そうなものを見つくろって女中に注文した。
 埠頭に近い店なので、潮風が心地いい。燗鍋が運ばれてくるまでの間、四人はあいさつ程度の雑談をした。欄干越しに見える海の向こうに房総半島がかすんでいる。日中の暑さがまだ残っていたが、この時代の人たちは『養生訓』の影響で、冷えた酒を飲むと体を壊すと信じていたらしい。少し打ち解けたころ合いを見て、正道が燗酒を差しつつ国事の話題を持ちかけると、福田は居住まいを正した。
「拙者は、数ならぬ身なれど、三河武士の後裔として幕府に身命をば捧げる覚悟です。神祖徳川家康公は天下泰平の基を開かれた。にもかかわらず、三百年来の重恩を忘却し、御公儀に敵する長州のごときは亡国の元凶に他ならぬ。拙者は、断乎たる決意をもって徳川宗家に忠義を尽くし、奸賊を誅戮せんことを東照神君に誓うのみです」
 色白の福田の頬が、みるみる紅潮した。身の内にたぎる熱い思いが、聞く者の心にもひしと迫って来る。常次郎などは目を潤ませて、
「福田先生のお考えにまったく同感でござる」と膝を打つのだった。
 正道の方も自家の所信を述べて、郷里に佐幕の一隊を創立したい旨を伝えた。福田は深く首肯して、
「君家の御厚恩に預かりながら、昨今は尚武の気風を失い、品川の娼家で遊びほうけているような直参の子弟も数多おるというのに、大河内殿らの志の高さには感服つかまつる。その有志隊創立の件、必ずや然るべき要職の方にお取次ぎ致しましょう」
 福田は正道と常盤之助の目を交互に見つめた。どこまでも色白で、髯の剃り跡もないほどつるりとした面立ちであるが、忠義一途な三河武士の誇りを心中深く秘めているのが、その凛とした眼差しからうかがえるようであった。
 座敷に膳部が運び込まれた。
 若い常次郎は待ちかねたように田楽を頬張り、酒も手酌で威勢よく飲んだ。
 福田はちびりちびりと飲みながら上品な手つきで芋の煮ころばしや茹でダコをつまんでいたが、シビ(まぐろ)の刺身とふぐ汁にはいつまでたっても箸を付けなかった。常盤之助が不思議に思って理由をたずねると、福田は申し訳なさそうに首をかしげて苦笑した。
「シビは死の日に通じるもので不吉とされておるのです。ふぐも、本来なら御馬先で討ち死にすべき武士が、万一その毒に当たって死ぬようなことがあれば末代までの笑いものとなるのでいただけませぬ」
 常次郎がおどけたようにうなずきながら合いの手を入れた。
「ふぐは喰いたし、命は惜しし。武士にはいろいろ面倒な禁忌があるのです。おれは食欲には勝てませぬが」
 四人は大笑いしたものの、武士という職分もなかなか大変なものだと常盤之助は思った。正道もきっと同じことを思っただろう。

 その晩、横浜港から短艇に乗り込んだ三人を、福田は桟橋に立って見送った。
「長州征伐の見聞を終えましたら、またぜひともこちらにお立ち寄りくだされ。拙者も貴殿らと共に西国へ参りたいが、なにせ仏語の習得が急がれる。どうかお気をつけて」
 福田のつてで外国の商船に便乗させてもらい、海路上方へ向かう。正道は福田の手を強く握りしめた。
「あなたと出会えたことが最大の収穫です。この先、我ら旗を一つにして戦いましょう」
 福田は柔和な顔をさらに微笑ませて深くうなずいた。
 常盤之助が、
「福田様、仏語で、さらばごきげんよろしうは、なんと申すのですか」と声をかけた時、西洋人が舵を取る短艇がゆっくりと桟橋を離れた。
「この場合は…」と福田はしばし考え込んで、「ボン、ボヤージュ。ですかな」
 艫に立った常次郎が伸び上がって福田に大きく手を振ると、短艇は沖に錨泊している商船に舳先を向けて前進した。海上に満月がまばゆく反射している。
 福田も桟橋から身を乗り出すように袖を振って、
「ボン、ボヤージュ、良い旅を!」とかん高い声を上げた。

 青葉を震わせて鳴いているのは油蝉だろうか。軒に下げられた風鈴の音に交じって、西瓜や水売りの呼び声が往来に響いている。
 木更津湊の船宿〈三河屋〉の暖簾を最後にくぐったのは、〈藍屋〉の当主、稲次作左衛門だった。この人物、日本長者番附にも名を連ねたほどの豪商で、代々薬種商を営んでいる。座敷にはすでに店主の仁呑喜平次、青物商〈長須賀屋〉の秋元卯八、総三郎が座しており、談論風発している最中であった。
「この暑いのに、精が出ますなあ」
と扇子をあおぎながら入って来た藍屋作左衛門は、皆を見回して含み笑いを浮かべた。どこか小ばかにしている感じがしないでもない。
 さっそく総三郎が膝をにじらせた。
「五月の米屋騒動以来、不穏な空気が木更津をおおっています。そもそも発端は、凶作や災害に見舞われた場合、米商は在米を他国へ売らぬという、津留の約に反したことによる。あの規約違反に対して、どれほど民が怒ったか。打ちこわしの気運はまたたく間に長須賀、祇園、久津間から、奈良輪、神納辺りまで拡大してしまった。彼らの要求は、いまや米の安売りだけにとどまらず、小作米の減免、職人の手間賃および日雇い稼ぎの賃金の引き上げなどですが、癸丑以来、国難による市場の混乱をかんがみれば、これらもやむを得ない要求ではありますまいか。まずは我ら商家が民を軽んじることなく、不況に乗じて投機的な利に走ることを厳しく戒め、幾ばくかの金穀を出し合い、積極的な窮民救済の策を講じることが肝要かと存じます。ぜひ、藍屋さんにもご助力を賜りたい」
 藍屋作左衛門は暑苦しそうに、着物の襟を少し開いて扇子であおぎながら、
「売利を得るは商人の道なり、商人の売利は士の録に同じ。ということばがありますなあ」と言って、こんどは髱の下あたりをせわしなくあおいだ。
「確かに、あの騒動のときの米穀商のやり方はよろしくなかった。今後あのような失態をおかさないために心がけを改めよというのなら、わたしも大いに賛成です。ですが、あきない自体に規制を設けようというのであれば、これはまた別の話にて、わたしは賛同しかねますな。あなた方も木更津商人なら、天下の財を通用して万人の心をやすむるという心意気があるでしょう。そこに規制を加えれば、財の通用を停滞せしめることとなり、結果的に万人の心を乱すことになる。我々はもうさんざん、お上の改革の失敗を見てきたではありませんか」
 総三郎は、その点については率直に首肯し、作左衛門の言に一理あることを認めながらも、一膝進めて訴えた。
「聖人、仁を以て下民を仁むと云うではありませぬか。民が窮しているのは眼前の事実です。我らが手をこまねいている間にも、多くの家族がかまどを返し、一家離散、流亡し、農村では間引きの弊も増すでしょう。なるほど商人の売利は武士の俸禄と同じです。なれど、不正の売利はそのかぎりではない。商人が真に市井の臣であるならば、今は私心と利を捨てて民につくすべき時であるとわしは信じます」
 作左衛門は、掌を軽く扇子で打ちながら失笑した。
「私心と利を捨てたら、子孫に財を残せないでしょう。我ら商人は、武士のように家禄もなければ、農民のように耕す土地もない。あるのは蔵に納める金穀だけなのです。総三郎さん、あなたは、今は私利を捨てよとおっしゃる。ならば具体的に答えていただきたい。その今とは、いつまで続く、今なのか。わたしとて遊んでおるのではありませんよ。この大不況のただ中で生き残りをかけて戦っておるのだ。戦国の世と同様、強き者が生き残り、弱き物は滅びる。悲しいかな、これが世のならいです。富者ですら、明日をも知れぬ。総三郎さん、これこそが、眼前の事実なのではありませんか」
 さすがに、木更津古来の豪商としてうたわれた藍屋当主の言であった。この家は代々好学文雅の士を輩出し、多くの文人墨客を支援してきた。いわば木更津文化を育んだ母体ともいうべき家柄であり、それゆえに、総三郎が最も頼りとしていた存在でもある。藍屋の賛同がなければ商家間の協調は難しく、それどころかきっぱり拒否されたと知れれば、誰も総三郎の話に耳を傾けなくなるだろう。
 作左衛門が退出した後、さすがの総三郎もうなだれてしまった。長須賀屋卯八も所在なく扇子で首を叩いており、毅然として顔を上げているのは仁呑喜平次だけだった。風鈴がときおり音をたてた。
 喜平次は高水村から婿に入った男で、生来商人というよりも武人の風格があり、早くから直心一刀流剣術の修行に打ち込んでもいた。弁がたち、胆力もあり、商人にしておくのはもったいないと揶揄されたものである。運送業という商売柄、木更津久留里間を足蹴く往来しており、一帯の事情に広く通じてもいる。どうやらそのあたりから発想を得たものと思われ、
「川名里鹿どのを頼ってみてはどうか」と、確信に満ちた様子で言った。
 それを聞いて長須賀屋卯八は思わず膝を打った。「なるほど。それは名案だ」
 総三郎はぴんとこなかった。その名前に聞き覚えはあるものの、なぜこの局面で女の名前が出てくるのか、まったく推論の糸口さえつかめない。いかにも不可解そうな総三郎の表情見て、喜平次は拍子抜けしたように笑い出した。
「横田の川名どのですよ、大奥の」
「ああ」とようやく総三郎は、その人となりを頭に思い描いたようである。

「大奥」という、徳川将軍の後宮について、人々は知っているようでよく知らない。将軍のもうけた子に血統の疑問が残らぬよう男子禁制となっているのは周知の通りだが、内部のことは外に対して固く秘匿されていたため、その内情は知り得ない。誤解されやすいこととして、奥女中はすべて武家の子女と思われがちであるが、中には町人や農民の娘もいた。
 江戸城本丸御殿の建坪は一万一三七三坪で、その約半分を占めるのが大奥である。ここに千五百人ちかい女性たちが住み込みで働いている。男の世界と同じように様々な職制があり、厳格な序列もあった。奥女中の筆頭は〈御年寄〉で、幕閣の老中に匹敵する権勢を誇ったといわれる。将軍のお手付き以外は生涯不犯、出世して上級女中となれば中途退職は許されず、一生奉公となった。
 天保の改革の際、大奥に突き付けられた贅沢禁止命令に対して時の御年寄姉小路局は、
「わたくしどもは男女の欲を捨て、一生独身で奉公する身なのです。多少の贅沢ぐらい見逃すべきではないか」と叱責して取り合わなかったという。
 将軍のお手付きとなれば、下積みを経ずいきなり〈御中臈〉という高い役職をもらえた。しかし、そういった例は極めて少なかったようであり、やはりある程度上級の役職につかないかぎり、将軍の目に留まることは難しかったようである。
 余談のようであるが、大奥では力持ちの女が重宝がられた。御台所や上位の奥女中は殿内の移動にも籠を使用することがあったから、それを担いだり、普段から荷物の運搬や水汲みのような力仕事もある。男手が一切ないのだから、どのような過酷な作業も女性のみでこなさなければならない。このような雑務をこなすのが〈御半下〉と呼ばれる女性たちで、御家人の娘ばかりでなく町人や農民の娘たちも従事している。その他、正式な職員としてではなく、上級女中の専属として雇われた〈部屋方〉などもかなりいた。大奥で働くとなると、採用にあたって、容姿、教養、特技などの御吟味があり、親の財力なども問われることになる。力自慢以外では、容姿端麗かつ知性にあふれた良家の子女をふるいにかける狭き門であった。
 大奥に入った娘たちは、在職中に良縁を得て寿退社をすることが多かったという。大奥は選ばれし女が集う豪華絢爛たる別天地であり、そこで働いたという経歴は今でいうところの一流女子大学卒業以上の箔ともなったから、実家に縁談話が殺到するためだと思われる。
 
 総三郎がこれから会いに行く川名里鹿も大奥女中の経験者であるが、退職した理由は結婚のためではなかったらしい。横田村(現、袖ヶ浦市)の豪商川名惣左衛門の長女である彼女が、幼くして二之丸の御女中に出仕したのは、その利発さと愛らしさを貝淵藩林家に見出されたからだという。大奥では御年寄万里小路局のそばに仕えて将来を嘱望されていたが、不幸にも祖父と父親が相次いで亡くなったため、里鹿は職を辞して川名家の家督を相続するために帰郷したのであった。その後は婿をとり、今では三人の子供の母親となっている。
 横田へ向かう道すがら、駄馬の長い行列とすれ違った総三郎は、これまで川名里鹿という女のことをよく知らなかった理由に思い当たった。駄馬を引く人夫の半纏に染められた文字は、川名家の屋号〈河内屋〉のもの。酒と醤油の醸造、呉服、油の卸し商を営み、江戸にも支店を構える豪商である。河内屋はその豊富な商品の船積みを、木更津ではなく姉ヶ崎の今津湊でしていたのだ。それゆえ里鹿との間に地縁がなく、しかも総三郎は大奥なるものに興味がなかったから、これまでまったく関心を抱いたことがなかったのだろう。率直なところ、たとえ奥女中の経験者であろうとも、総三郎は治国安民のような大志を女と語らいたいとは思わなかった。気が進まないそぶりを喜平次や卯八の前で露骨に示していたのだが、
「背に腹は代えられないでしょう」
とたしなめられては二の句が継げず、こうして横田を目指して歩いている。
 田の草刈りをしている老人に、
「川名さんの屋敷はどこかのう」と呼びかけると、老人は曲がった腰をゆっくり上げて、両腕を広げた。
 その仕草を見て要領を得なかった総三郎は、耳の遠い爺様なのかと思い、さらに大声を上げた。
「すまぬが、川名さんのお宅を教えてほしい」
 老人は、一二本生え残っている前歯をのぞかせてにやりと笑い、また両腕を広げるのだった。
 ハタと総三郎は辺りを見回した。なるほどここらすべてが川名家の土地なのか。街道から小櫃川の河畔まで、見渡す限りの田畑すべてが、川名の敷地であるらしい。
 そこからさらに歩いてたどり着いた主屋は、間口十五間以上かと思われる大邸宅で、さすがに少々圧倒されながらも奥に向かって声をかけると、川名里鹿その人が出迎えてくれた。
 総三郎は久しく髷を整えておらず、髯を剃ることさえ忘れていたのだが、里鹿と目が合った途端、急にしおらしく口元を隠したくなるような恥じらいを覚えた。まだ若かった頃、江戸で鶴と出会ったときも、こんな感情にかられたことがあったような気がする。
「ようお越しくださいました。川名家当主、里鹿と申します」
 その柔らかな物腰と、立ち姿の気品は、これが大奥で身に着けた品格というものであろうか。
 丸髷に飾られた簪も、笄も、櫛も、どれも高級なものであろうが見た目は地味で、着物も網代模様の小袖であり、奥女中時代を髣髴とさせるような派手さなど少しもなかった。であるにもかかわらず、何という華やかさであろう。匂い立つような美しさというものを生まれて初めて見たような気がした総三郎は、めまいにも似た恍惚感を覚えたが、慌てて臍下を引き締めると、
「突然に伺いまして、大変申し訳ござらぬ。島屋の総三郎と申します」
 一瞬でも、女の色香に惑わされた自分をぴしゃりと叩くような気持ちで、総三郎はきっかりと頭を下げた。
 客間に通されると、里鹿が手ずからお茶をいれてくれた。
 九谷焼とおぼしき銀彩の茶碗を差し出され、勧められるがまま一口すすってみると、これがまた今までに味わったこともないほど美味いのである。
「これは、なんという茶ですかな」碗の中をためつすがめつ眺めながらたずねると、
「世にも名高き上喜撰にございます」里鹿は誇らしげに微笑んだ。
 総三郎は思わず膝を打ち、
「これが例の、太平の眠りを覚ます上喜撰、たった四杯で夜も寝られず、の茶ですか」と感心しきりであった。
 ペリー提督の蒸気船を、上喜撰にかけた狂歌でその名を不朽のものにしたこのお茶は、宇治の高級茶の銘柄なのである。この歌の大流行ですっかり品薄となっていたため、総三郎もいつか飲んでみたいと思いつつ、いま初めて口にしたのだった。
「黒船が来た年、わたくしはまだ大奥にいたのです。長局が大騒ぎになったのを今でもなつかしく思い出します。あのとき、総三郎さんは黒船をご覧になられましたか」
「ええ。遠目からですが。木更津から横浜湊までは七里ほどですが、その真ん中ぐらいの海域まで一隻乗り込んで来たのですよ。あれには度肝を抜かれましたなあ」
「わたくしたち、とんでもない時代に生まれてしまいましたね。ずっと太平の眠りの中でもよかったのに」
 里鹿は茶碗に息を吹きかけると、ゆっくりと一口飲み込んだ。
「本日参ったのは、そのことです。我々はもう、眠りの中に居られぬ」
 総三郎は丁重に茶碗を置くと、容儀をただし、里鹿の顔をじっと見据えた。そして、塗炭の苦しみにあえぐ窮民を救うためには豪商の連合が必要な旨、これまでの経緯を含めて朗々と述べた。
 一通りの事情を聞き終えた里鹿は、少しばかり面差しが重くなったようである。
「女子のわたくしが、民のお役になど立てるのでございましょうか」
「立てますとも」総三郎は強くうなずいてみせた。
「あなたは大奥の御年寄にお仕えなされたのだから、幕臣と呼んでも差し支えないお方です。そんなあなたに知っていただきたいのは、幕領の民の悲惨な現状なのです。幕閣は西国の叛乱の対応に手いっぱいで物価の高騰を抑えるすべもなく、あまつさえ軍費の不足を補うためにさらなる臨時金の献納を各村に命じている。戦陣においては君命を待たずといいますが、事ここに至っては、我らの独断で救済に乗り出す他なしと存ずる。そのためには、あなたのご侠心とご威光が必要なのだ。暗然たる天地に少しく光のあい差すまで、どうか我らにお力をお貸し願いたい」
 里鹿はしばし瞑目したが、やがて目を開けたときには、何か吹っ切れたような凛とした面差しになっていた。
「わたくしなどで、よろしければ」
 里鹿はまなじりを決した。総三郎に「幕臣」と呼ばれて、長らく内に秘めていた自恃が高鳴ったのかもしれない。このとき里鹿は二十七歳。若さと熱意にあふれている。
 端正な目鼻立ちの里鹿を間近にして、総三郎は女神を拝したような気がした。恋心のようなものが芽生えなかったといえば嘘になろうが、今はただ、義のために立ち上がってくれた婦人に対する感謝の念の方が強い。
 帰り際、総三郎を送りに出た里鹿は、少し西日に染まりかけている空を見上げて、思い出したように言った。
「そういえば総三郎さん、ここ数年来、この辺りで鶴の密猟が行われているようなのです。わたくしも何度か鉄砲の音を聞いたことがあります」
などと、そのことについて立ち話をしていると、格子柄の羽織を着た若旦那がふらりと歩いてきた。今津朝山から婿に来たという川名正純だろうか。目だけが笑っているような青年で、人は良さそうであるが、どこか浮世離れした頼りなさを感じさせる。素足に草履をひっかけているあたり、家業に励んでいるとは思われず、今もどこかで遊んできた帰りなのかもしれない。
「ただいま」と目を合わせずに正純が傍らを通り過ぎると、里鹿も「おかえりないさませ」と、つぶやく程度にこたえた。
 気まずいものを察した総三郎は、何も見ていない体で再び密猟の話題に触れた。
「下手人の心当たりはあるのですか」
「ええ。村の人たちの話ですと、小糸あたりの猟師みたいです。七右衛門という名前だそうで」
「小糸ですか。ずいぶん奥深いところから出て来ているのですな」
「また冬になったら禁猟を犯すに違いないですから、取り締まりをお願いできないでしょうか。この辺りのお役人は、ちっとも頼りにならなくて」
と苦笑した里鹿に微笑み返した総三郎は、
「その件、島屋門におまかせくだされ」
 刀の柄を軽く拳で打って請け合った。

 朝まだき。矢那川を往来する船影はまだなく、島屋の職人たちも起きていない。藍甕を洗う石段に立っているのは八剱勝壽である。浴衣の帯をほどいて褌一丁になると、片手で印を結び、気合を入れて切り下し、勝壽はゆっくりと川の水に体を浸した。
「タカマノハラニカムヅマリマスカムロギカムロミノミコトモチテ……」
 神道らしい独特な諧調の韻律で禊祓詞を唱える。
 高名な国学者、賀茂真淵はいう。言霊は、いふ言に即ち神の霊まして、助くるよし也。勝壽は物心ついたときからその教えを叩き込まれているから、一言一句おろそかにせず奏上するのである。
「カシコミカシコミモマヲスーー」
 神妙な横顔が、薄っすらと暁の薄明に染まってゆくのを見ていると、りうは神々しいものさえ感じて、思わず勝壽に向かって合掌するのだった。いつからか、勝壽の朝拝を見に来るようになっている。
「りう、無理しなくていいよ。こんなに朝早く」
「無理してないです。わたしも、今日一日良いことがありますようにって、祈りに来てますから」
 川からあがった勝壽に手拭いを手渡すのが自分の勤めであると勝手に心得ているのであった。
 それともう一つ、誰にも言えない理由もあって、しょうじゅさんの肌を見たい、という気持ちもある。女の目から見ても勝壽の肌はきめ細かく、米糠で磨いたばかりのように艶やかなのである。水垢離の後はいっそう美しくみえるから、りうはたまらなく胸が高鳴る。
「しょうじゅさんは、水の中でどんなことを祈ってるんですか」
 そう聞かれて勝壽は、うーんと唸り、手拭いで首筋を拭きながら苦笑した。
「笑われるかもしれないけれど」と前置きし、
「矢那川は、農業用水の配分をめぐって、よく水争いが起こるだろう。だからまず、この水がすべての田を潤してくれるように、と祈ってる」
「いやーん」とりうははしたないほど嘆息して、
「しょうじゅさん、立派だわあ」と体をくねらせた。
 低山の連なる房総丘陵の尾根から、まぶしい朝日が差し込んで来る。二人はしばし朝焼けを振り仰いで静謐な空気を味わうのであった。
「わたしね、まだ、なをさんの死から立ち直れていないんです。しょうじゅさん、人は死んだら、どうなるんですか」
「黄泉の国へ行くよ」
「そこは、いいところなんですか」
「地下にあって、真っ暗で、穢れたところらしい」
「えっ。じゃあなをさんは、今そんなとこにいるの!」
「いや、黄泉の国というものは、死そのものを表しているのだと思う」
「死、そのものって何」
「だから、その、穢れ、とか、不浄とか」
「死んだ人に対して、不浄とか、ひどくないですか」だんだんりうが怒り始めた。
 勝壽も、
「輪廻転生とか、極楽浄土とかは、仏教の教えだから。神道はもっと現実に根差したものなんだよ」と声を荒げつつある。
「それならわたし、仏教のほうがいいかも」
「なら、こんなとこに来ないで、お寺に行けばいいだろう」
 この勝壽の一言で、りうの唇が震え出し、たちまち目を潤ませた。「しょうじゅさん、ひど過ぎる!」
 下駄をカッカッと踏み鳴らして帰ってしまった。
「なんだよ。そんなんで神社の嫁になんかなれるもんか」
 勝壽は浴衣を羽織りながら、ふてくされた様子でつぶやいた。

 箱膳の前に座ると、勝秀、母敷喜と共に
「たなつ物ももの木草も天照らす日の大神のめぐみ得てこそ」
と詠じてから箸をとる。
「今夜は遅くなります。島屋門の出張で小糸まで行ってまいります」
「まあ、ずいぶん遠くへ行かされるのですね」
 敷喜は蒔絵漆器の蓋を取りながら、同情するように言った。
「オヤジに頼まれたんですよ」
 先日、川名里鹿に頼まれた密猟取り締まりの件であった。
 総三郎はこの件を、「しょーじゅに任せた」と丸投げした。
「これはおまえにしか頼めんのだ。なんせ相手は得体の知れない猟師だからな。鉄砲を持っているわけだし、よほど警戒してかからんと。いざとなれば防戦できるだけの腕利きでないと務まらんが、なにせミチタは家に籠って出て来ないし、すぐに動ける手練れはおまえだけなのだ」
「オヤジが請け合ったのだから、オヤジが行くのが筋でしょう」
「わしは今、ほんに忙しいのだ。しかも、鶴を撃つ猟師にかかわるなんぞ縁起でもないだろう。わしの女房の名が、鶴だけに」
などと言って、勝壽に押し付けたのだった。

 小糸(現、君津市)は房総丘陵の懐深く、海からはよほど離れたところである。密猟をしている男はそこからさらに奥まった谷間の部落に住んでいるという。人の往来もほとんどなく、草鞋が小石や枯れ枝を踏む音と、時おり鳴く雉の声ぐらいしか目立った音も聞こえてこない。ほんとうにこんなところに人が住んでいるのだろうかと不安になりかけた頃、獣肉を煮るようなにおいがしてきて、〈ししみせ〉と書かれた幟が見えてきた。行商人が足を休めるための茶屋だろうか。粗末な葦簀張りの店だったが、喉も乾いているし、勝壽は道中差しを置いて縁台に腰を下ろした。
 尚古趣味の勝壽は、普段から狩衣や直垂を着ており、この時も古制の直垂姿だったから、茶屋の店主とおぼしき老人はあからさまに怪訝な顔をした。
「怪しい者じゃないですよ。かねっこおりを一杯ください」
 木更津の水売りであれば冷たい白玉が入っているが、ここのはただの井戸水だった。けれども、実によく冷えていて美味かった。
「この辺りに、七右衛門という猟師が住んでいませんか」
そう老人に尋ねると、
「七右衛門だら、この店に鹿や猪の肉卸しとるよ。それにしても、なんでまだ、ああた男に用がある」
と不思議そうに顔をしかめた。
「あ、いや、おれは木更津の島屋に用事を頼まれて来ただけでね」
「この先の、大谷村の奥に住んどる。まあ、無頓着な、むさぐるしい男さ」
 そのうち山間の遠くで鉄砲の音が響いた。
「噂すれば何どやら、だ。あの音たどっていぐどいい。ふてぶでしい野郎だが、ひなうぢの腕だげは日ノ本一だ」
「ひなうち」とは、この地方のことばで火縄銃のことである。
 茶屋の老人が指差す方向へ勝壽は歩き出した。山林の下草を踏み分けて進むと、ほどなく、汚いつづれを着て、股引に脚絆を着けた男が膝を台にして銃を構えている姿が見えてきた。巨漢だった。月代など剃ったこともないという体の総髪であり、横顔の薄汚さは垢なのか、それとも火薬の煤だろうか。
 銃口が向けられている先に目を凝らしてみると、十五間以上も離れたブナの樹の枝に一羽の雉がとまっている。もしあれを狙っているのならたいしたものだと思った瞬間、パーンと耳をつんざく音が響いて、雉がぱさりと落ちた。男の傍らに伏せていた犬がいっさんに駆けて行った。
「すごい」勝壽は感嘆した。
 その小さなつぶやきを聞き洩らさなかったあたり、この猟師の五感は研ぎ澄まされている。
「誰だおめえは。そこであにしとるだ」
 砲術は武芸十八般の一つである。たとえ山間の怪しげな猟師でも、一芸に秀でた者に対する尊敬の念が勝壽の胸に湧き上がってくるのだった。そんな思いもあって、まずは丁重に頭を下げた。
「島屋道場師範、八劔八幡神社の勝壽と申す。あんた、七右衛門さんだよね。誠にあいすまぬが、横田での鶴の猟が御法度ということで、捕えにきました」
 それを聞いて男は慌てて逃げ出そうとしたが、なにせ巨漢過ぎて足が遅く、両腕を振り回して抵抗したが、すぐに勝壽に組み伏せられてしまった。
 が、ものすごく臭く、忠義の猟犬が必死に吠え立ててもいたから、勝壽はすぐに男を開放した。
 男は地べたに座り込んだまま、開き直ったように大声を上げた。
「だって仕方ねえべよ。鶴の肉はな、女の血の道の病気に特効があるっていうんで、高く売れんだよ。ありゃあ大事な収入源なんだ。見逃してくれ、な、頼む」と仰々しく両手を合わせたりする。
「いや、おれは代理で来ただけだから。見逃す見逃さないは上の先生が決めることなんで」
と断りつつ、捕縄を取り出した。
「おれが鶴を獲るのは貧しいからだ。こんな谷間のどん詰まりに生まれちまって、田んぼもなけりゃ、まともな商売もありゃしねえ。おれにだって女房もガキもいるんだからな。生きてくためにゃあ、なんでもやらなきゃなんねえべよ。だいたいなんだって、世の中こんなに不公平なんだ。おまえ神社の息子だろ、答えてみろ。神様はなんだってこんなに理不尽なんだ。そもそも神って何者だ」
 突然投げかけられた高尚な質問に、勝壽は戸惑った。しばし唸って思案にくれたものの、ともかく自分なりに答えねばなるまいと思う。
「西行の歌にあるでしょう。なにごとのおわしますかは知らねども、かたじけなさに涙こぼるる、って。神とは、そのようなものです」
「なんだそれ!」男は勝壽の顔をのぞき込んで、「それが神におまんま食わせてもらってるやつの答えか。聞いてあきれら」そっくり返って笑い出した。「勝手に泣いてろ」
 今朝のりうのことといい、はたまたここでも見も知らぬ男にけなされて、勝壽は頭のどこかでブチッと何かが切れる音が聞こえた気がした。
「おい、あんた、おれにしょっ引かれたくなかったら、ひなうちの撃ち方を教えろ」
と怒鳴って男の鉄砲を奪い取った。
「さあ、七右衛門先生、教えるんだ」
 おかしな展開になったと困惑しつつも、七右衛門は胴乱から火薬の入った実包を取り出して、勝壽に渡した。
「これを、その中に入れるんだ」
と銃口を指差した。
 勝壽は言われた通りに銃身を立てて上薬を入れると、六匁の鉛弾を先込めした。これをカルカという棒で突き、今度は銃身を水平に持ち直し、横に露出した火皿に口薬を入れて火蓋を閉じる。七右衛門が火縄を装着させると、勝壽は火蓋を切って、銃身手前の照星に目線を合わせた。何を狙っているのでもないが、しっかりと銃床を頬付けして、静かに引金を引く。
 パーンという音とともに強い衝撃が伝わり、白煙が顔のまわりをおおった。
 勝壽の撃った弾は、ブナの枝葉を一瞬で吹き飛ばしてしまった。
 なんとも言えない爽快感だった。勝壽は乾いた硝煙を吸い込んで、このにおい、嫌いじゃないと思った。

第四章  男児の志

 当時の人々は、耳を疑っただろう。
 長州藩三十七万石を相手に戦った幕府軍が負けた。慶応二年六月のことである。
 正道たちは、京都の文武場学問師範、内藤七太郎宅へ寄寓しており、そこで敗報に接した。
 戦意に欠ける幕府軍は連戦連敗、老中小笠原長行が北九州の小倉城を放棄するに及んで趨勢は決したという。
 長州征伐に駆り出された各藩は、内実どこも財政が火の車だった。幕府の命に従って出兵し、今でいうところの多国籍軍を編成して戦ったものの、将士の厭戦気分は如何ともしがたい。一方で、長州藩の方は国の存亡をかけた戦いであったから、四民競うて奉公の誠意を発揮せり、という総力戦体制で挑んだのである。奇兵隊をはじめとする諸隊は洋式銃で武装されており、婦女子から老人まで採薪汲水の労だも厭わず、防長二州に地鳴りの響くがごとく戦意が高揚していた。
「完敗だったらしい」
 と言った内藤七太郎の顔も蒼白していたが、それを聞いた正道は卒倒せんばかりに驚愕したあげく、その場にへたり込んでしまい、晩には微熱を出して寝込んでしまった。
 常盤之助は常次郎を伴って三条大橋の方へ向かう。落ち延びて来る幕軍兵士から前線の情報を収集したかったからだ。
 久しく安穏無事であった神州の王城も、開国と攘夷、勤王と佐幕という思潮がせめぎ合う修羅場と化して久しい。元治元年には禁裏の争奪をかけて長幕の武力衝突が勃発し、兵火にかかった市中は三日間燃え続け、二万八千余の家屋が焼失したという。常盤之助が見た京師は未だ復興の途上にある。
 癸丑以来、各藩はこぞって洛外に藩邸を増設した。政局の中心が江戸から都に移行したからであり、非常時に備えて兵を常駐させておくためでもあった。そのような動向も含めて建築ラッシュの活況を呈している。新設されたばかりの藩邸から長州へ出陣した各藩兵が、一敗地にまみれて続々と引き揚げて来ている。
 旗、幟、具足まで赤で統一されているのは井伊家の部隊であろう。かつては赤備えと恐れられた徳川家の先鋒も、長州の民兵に追い返されてきたようである。包帯を巻いた負傷兵が列をなし、騎兵の陣羽織や筒袖も戦塵にまみれている。
 常盤之助はすれ違う歩卒に声をかけ、一分金と引き換えに戦闘のあらましを聞き込んだ。
 どの兵も、ようやく脱したばかりの戦場のことなど思い出したくもない、という表情になる。
「長州の連中は、猿みたいにあちこち駆け回って鉄砲を射かけてきた。山という山、嶺という嶺にヤツらがいて、まったくなすすべもなかった」と皆が口をそろえたように同じことを言うのである。
 確かに、負傷者はすべて鉄砲傷を負っている。刀傷や槍傷は皆無であった。
 火力の差が勝敗を決したのは間違いない。撤退してくる兵たちの中には戦国絵巻の中から出てきたような鎧甲冑姿の武者もいたが、長州の兵は筒袖に段袋という軽装で、陣形を組まずに散開し、地に臥せ、あるいは物陰から発砲してくるという。これは従来の兵法とはまったく違う戦い方であり、欧米から輸入した近代戦術というものであるらしい。
 それにしても、戦場で討ち死にすべき武士たちが、生に恋々と逃げ帰ってくる様を見て、常盤之助は得も言われぬ失望を禁じえなかった。常次郎などは声を震わせ、
「なんと無様なことか」悔し涙をにじませた。
 道端には途中で打ち捨てられたとおぼしき具足や、陣太鼓、法螺貝まで転がっている。

 実はこの時、幕閣は隠密にしていたが、大阪城まで遠征していた十四代将軍徳川家茂が薨去していたのである。死因は衝心性脚気と伝わるが、くわしいことはわからない。享年二十一という若さだった。
 八月になってようやく将軍の死を発喪し、翌日には征長中止の勅命が出されている。次期将軍となる徳川慶喜が全軍を撤退させるのは翌月のことだ。
 その間、在京の幕臣たちの動揺は切実で、内藤に面会を求める者が後を絶たなかった。幕府軍が外様一藩に敗北したあげく、将軍まで急逝し、いったいこの先どうなるのか。聖堂出の学問師範なら何らかの見通しもあるものと期待されてのことであったが、その内藤でさえ目まぐるしく変転する現状を把握するだけで手いっぱいであり、一寸先は闇であると痛感するばかりであった。
 幕府権威の失墜を見せつけるかのように、三条大橋の西詰に掲げられた高札が何者かによって墨で塗りつぶされ、あげくに川に投棄されるという由々しき事件も起きている。高札は江戸の日本橋にもあるが、これは幕府の法令を周知させるために提示されるものであり、すなわち権力の象徴である。遺棄された高札は長州藩を朝敵とする内容だったから、犯行に及んだのは討幕派とみて間違いないだろう。
 九月の初旬、この事件の対応に追われている新選組局長の近藤勇が、参謀の伊東甲子太郎と連れ立って内藤七太郎宅へやってきた。近藤はしばしばここへやってきて、内藤と時事を論ずるのを好んだ。
 三条制札事件の解決をせかされている近藤は疲労を隠せない顔色であったが、平素のように泰然自若として屈託のない笑顔をみせた。
「これはこれは、大河内殿」
 その鋭い目つきと大きな口は、近藤という人物を武骨にみせがちであるが、累代の幕臣とは毛色が違い、庶民的な社交性を多分にもっている。
 正道は近藤のことを芯から尊敬しており、常盤之助も常次郎も同じ気持ちだった。幸いにも在京中、何度か近藤と膝を詰めて語らう機会に恵まれ、幕府を補佐する「佐幕」の心情を、一層深めることができた。
 座に着くなり近藤が、首筋をさすりながら吐き捨てるように言った。
「またしても高札を抜きとられた。これで二度目です」
 それを聞いた内藤は、途端に眉をくもらせた。
「近藤さん、犯人の捕縛を急がねばなりませぬぞ。三度までもやられたら、世間の笑いものになるだけでなく、幕府の威信にもかかわる」
「心配にはおよびません」
 とにべもなくこたえたのは近藤ではなく、伊東甲子太郎の方であった。色白く、背筋をすらりと起立して座す様は、さすがに北辰一刀流の使い手と感じさせる。新選組の参謀である。
「三条会所、近辺の酒屋、民家三か所に密偵を配備しています。もう一度やる気なら、袋の鼠ですよ」
 事実、三度目の犯行に及んだ討幕派は新選組に急襲され、死者一名、重症者一人を出して逃走した。犯人は土佐藩士八名。京都守護職は新選組の労をねぎらい、報奨金二百両を与えたが、それはまた後日のこと。
 火鉢にかけた鉄瓶を取り上げ、危なっかしい手つきで茶を注いでいるのは内藤の中小姓、永峰矯四郎という若者である。甲州の出で、実家は蘭方医であるらしい。「二十歳までに独立せよ」と父に諭され、職を求めて上京してきたという。
 近藤は武州多摩、伊東は常陸府中の出身であるから、同じ関東出の正道たちと打ち解けるのに時間はかからなかった。
 伊東は湯呑を傾けると、急に何か思い出したらしく、ふっと口角を反り上げた。この男が時おりみせる、皮肉めいた笑みである。
「奇兵隊の大将の、高杉晋作という男ですが、これがどうも、たいそうな馬面なんだそうですよ。馬関の芸者や小僧どもが、それをネタに小唄を囃し立てているんだとか。
 こりゃどうじゃ、世は逆になりけり、乗った人より馬が丸顔、とね」
「どんだけ馬面なんけ」と嬌四郎が口を挟むと、その場にどっと笑いが起こった。
 正道もひとしきり笑った後、茶を一口すすり、はからずも深いため息をついた。
「我々は今、まさしく、世は逆になりけり、という事態に直面しています。幕府が臣下たる長州に敗北を喫するなど、あり得ないことであるし、あってはならないことなのです」
「ですが、ものの見事に負けてしまった」と伊東の口ぶりは淡泊だった。
「おっしゃるとおりです。ようやくその事実を受け入れられるようになってきました」
 正道の胸中に、失墜した幕府の権威ばかりでなく、亡くなった将軍の無念までもが去来する。
 まったく同感、とばかりに、近藤もしばし瞑目した。
 それもこれも過ぎたことだと割り切っていたのは常盤之助である。
「近藤先生、我らが木更津で一隊を創立した暁には、東西で呼応し、不埒な奸藩を討ち果たしましょう」
 近藤は、この勇ましい発言を好ましく感じたようであり、破顔一笑の表情を見せて、ぽんっと膝を打った。
「この先、西南雄藩が関東に攻め込んでくる事態もあり得ぬとは申し難い。備えておくにこしたことはありませんな」
 これを受けて正道が居住まいを正し、近藤、伊東両人に深く頭を下げた。
「我ら、近日中に関東へ戻ります。幕府が再び征長に乗り出すとき、後顧の憂いなきよう房総の固めを急ぐ所存。幕閣の許可を得られ次第、義挙の旗を揚げるつもりです」
 伊東は膝に扇子を突き立てて、不敵な笑みを浮かべた。
「今の幕閣はそれどころではありますまい。征長の後始末に追われててんやわんやでしょうから、許可など取らずともよろしかろう。今や各地にて草莽が崛起しており、すでに数えきれないほどの諸隊が作られております。至誠の赴くまま、やるなら即刻やるのみ。時勢はまったなしですよ」
 伊東はこのとき、後に新撰組から分派して勤王に転じる自分自身に語りかけたのかもしれなかった。伊東は翌年、隊内の内ゲバで若い命を散らすことになる。
 帰郷の途につく前夜、「大河内殿に伺いたきことこれあり」と訪れたのは永峰嬌四郎であった。
「あんたたち、刀は差してるが、身分は武士じゃねえんずら?」
 と切り出した嬌四郎の物言いに、腹を立てたのは常次郎である。
「無礼者、こちらは不二心流の師範であらせられるぞ」
「すまんが、お武家さんは黙っててくれ」
 嬌四郎は身を乗り出し、細い目をキッと据えて、正道と常盤之助を交互に見つめた。
「おれがあんたたちに聞きてえのは、今度の戦争の敗北で、幕府の命脈が尽きたのかどうか、そのことなんさよ。もし尽きたのであれば、おれは天皇の側につく。そうしなきゃ立身出世できんら。武士の身分じゃねえあんたたちなら、公平な目で時勢を見てるはずだ。そこを見込んで意見を聞きに来た。率直に答えてくれんか」
 これだけ世の中が混沌としていれば、身の振り方に悩むのは当然のことであろう。正道は根っからの佐幕派であるが、先行きに対する嬌四郎の不安は察するに余りある。今度の敗戦はまさしく驚天動地の事態であり、徳川創業以来の大失態である。が、
「幕府は、いまだ盤石ですよ」
 正道はそう言い切った。
「まず、海軍力が諸藩と比べて圧倒的に勝っている。今度の戦では活用できなかったようだが、四海平定の要は軍艦の数にある。さらに財力を比較してみても、朝廷の実質的石高は十万石程度、これに長州や薩摩の石高を加えても、徳川八百万石には到底及ばない」
「ほれではなぜ負けたのだ」
「勝敗は時の運というでしょう」と切り返した正道も、本当のところはよくわかっていない。しかし、もし幕府が戦術の近代化で後れを取ったのなら、福田八郎右衛門のような優秀な士官によって早期改善がなされるはずである。今度の敗戦を幕閣が猛省した後、御家門、御親藩、譜代大名、さらには旗本八万騎が総力を挙げて反撃に出れば、まず負けることなどあるまい。以上の旨を正道が語り聞かせると、嬌四郎はようやく得心した様子で、
「じゃあおれは、幕府方に付くけ」とうなずいてみせた。
 別れに一杯やろうと四人そろって外へ出た。夜もすっかり深け込んでいたが、木屋町界隈は行灯広告と露店の灯で明るく、軒を並べた旅籠から酒宴のにぎやかな歓声が聞こえてくる。国難のただ中にあろうとも、世間は日常を保っているのだった。
 常盤之助は店々の吊下看板を眺めながら、思い出したように大きなため息をついた。
「そういえば、憧れの土方歳三さんには会えずじまいだったなあ」
 常次郎も月代を指で掻きながら、
「鬼の副長ね。なんかおっかなくって、こちらから会いに行くのもはばかられましたからね」と無念そうにうなずいた。
「おれは土方と会ったことがあるぜ」嬌四郎が胸を反らせた。
「あれで存外、てーしておっかなくもねえんだ。近藤って人もそうだが、むやみに人を斬ったりする人には見えんのだよなあ。ことに土方ときたら、役者とでもいいてえほど色男然とした風貌だしな」
 と、嬌四郎は明治の世になってからも、この話を史談会で語っている。

 八劔八幡神社の大神輿巡行にも、三千太郎は姿を見せなかった。
 この日ばかりは海漕業者も船乗渡世も仕事を休み、諸肌の入れ墨も鮮やかに、重量一・五トンもある神輿を担いで町中を練り歩くのである。迎え囃子を奏で、先棒と後棒の担ぎ手が向かい合う木更津担ぎは、千貫神輿を自分の肩よりも高く上げ、五十人以上の屈強な男達が入れ替わり立ち代わり肩を入れながら押していく。
 今年もまた、不穏な情勢にもかかわらず、それを跳ね返すかのように祭りは行われた。が、力自慢が腕を入れる台座の一隅に島屋の印半纏を羽織った三千太郎の姿はない。誰もが威勢のいい掛け声を上げて神輿の渡御を楽しみながらも、夭折したなをを追悼し、三千太郎の悲しみが一日も早く癒えるようにと祈っている。衣冠姿で奉舁を見守っている八劔勝秀も、勝壽も、こんなに寂しい例大祭は初めてだと思うのだった。

 そろそろ暖簾をしまう頃だったが、お店の方はまだ賑やかである。クニの小料理屋は半分道楽のようなもので、酒もつまみも安くて旨いと評判だった。タコやまぐろのような海鮮類はとれたてだし、漬物は旬のもの、芋の煮ころばしやおでんのにおいを往来にただよわせている。煮込みは出汁を継ぎ足すから味も濃厚で、燗酒とよく合う。クニは酔っても控えめな方であるが、近頃手伝いに来ている豊は、客に勧められるがままにいくらでも飲むから、店じまいの頃はいつも泥酔している。実家に引き籠っている三千太郎のことを案じて様子を見に来るうちに、流し場の仕事を手伝うようになった。クニも豊も、船乗りや港湾人足の荒々しさに動じることはなかったし、むしろ場合によっては怒鳴り散らして追い出すことさえあったから、三千太郎がわざわざ店頭に出て行くような揉め事など起きたためしもない。少なくとも木更津の者なら、島屋門にかかわる場所で羽目を外す者などいるわけもなかった。しかし今宵の客は、いつまでもひっきりなしにしゃべっており、飲み過ぎてろれつのまわらなくなった豊が、
「おっちゃんの話、さっぱりわからん」などと匙を投げるようなことを言っているのだから、めずらしい。
 そのおっちゃんの大きな声が、壁越しから嫌でも耳に入ってくる。さすがにしつこい客だと三千太郎も感じた。人前に出るのがおっくうであったが、豊姉でさえ難儀する酔漢とあらば、自分が出て行かざるを得ないだろうと思ったのである。
 引き戸を開けてみると、客は一人しかおらず、羽織袴姿の小奇麗な初老の男が、豊を相手に猪口を傾けている。
「いやはや、木更津の酒は、美味くない。玉割りの水がよろしくない。が、水は悪くとも、女はいい。荒々しいが、どこか色っぽい。木更津の水辺、麗人多しかな。やよ、娘よ、そなた花のように美しいぞ」
「あら、ありがと」と答えた豊の目はすでに半開きで、
「あとはミチタにまかせた」
 片手を突き出して宣言すると、食台にうっぷして、たちまちいびきをかいてしまった。
 初老の男は、天井を振り仰いで瞑目し、
「たいはこまやかに、いはとおくしゅくにして、かつ、しん……」
 などと漢詩らしきものを吟誦して帰る様子も見せないから、
「おっちゃん、悪いが店じまいだ」三千太郎が多少すごむような態度で声をかけた。が、
「きりはさいじにして、こつにくはひとし……」
 瞑目したまま朗々と続けるのである。
 三千太郎の小さな舌打ちを聞き逃さなかったクニが、流しを片付けながら苦笑した。
「もうしばらく、あんたがお相手しておやり。お客さん、ここが気に入ったみたいだから」
 身も知らぬ年寄りを相手に面倒なことだと辟易したが、母の頼みであれば仕方ない。
「母さん、おれにも一杯くれるか」床机に腰かけると、
「おい、若者。さきほどからわしの吟じる詩を聞いてなにも感じぬのか」と、さっそくからんでくるのだった。
「すまん。聞いてなかった」
「この詩はナ、女の美しさを詠っておるのじゃ。きりはさいじにして、というところ、曲江で水遊びをする女たちの、肉つき豊かな、艶やかな肌が目に浮かぶようではないか。どうだ、見えたか若者」
 と、男は三千太郎の肩を叩くのだった。
「杜甫は詩聖とあがめられておるが、助平な野郎じゃ。なれど、好色こそ命の発露、文芸の源であるぞ。かく申すわしも大いに助平である。ゆえに、天下の大文学者と呼んでさしつかえない。若者よ、わしをあがめよ」とまくしたてて猪口をさしつけた。三千太郎に注げといっている。
 クニが湯煎したてのちろりを前に置いた。
 しぶしぶ三千太郎が注いでやると、それを一気にあおった。
「いやしくも男子と生れて、どうしてこのまま朽ちてゆけようか。天下を風動し、この名を後の世に残さねばならぬ」
 と声を上げた男の目に、きらりとにじんだのは涙であろうか。
「男児志を立て郷関を出ず 
学もし成る無くんばまた還らず 
骨を埋むること何ぞ墳墓の地を期せん
人間到る処青山あり」
 と吟じた後は、はっきりと大粒の涙をこぼした。
 三千太郎もクニも、黙って顔を見合わせた。豊のいびきだけが店内に響いた。
 男はまた猪口を突き出し、三千太郎は多少圧倒された気持ちでちろりを傾けた。
「長州は強い。それはなぜか。洋式銃を大量に手に入れたからであるか、薩摩と足並みを揃えたからであるか、否。かような詩をものした月性のごとき俊豪の故国であるからじゃ。男児志を立て郷関を出ず、学もし成る無くんばまた還らず。わかるか若者、長州はこの精神を以て挑んだのじゃ。志の在る所、気もまた従う。幕府が長州に負けたのは、この熱き心を忘れたからではないか」
 三千太郎は、飲みかけた酒を喉につまらせて、むせた。「幕府が、負けたのか?」
 クニも洗い物の手を止めて呆然とした。「湊でそんな噂を耳にしたけれど、風説だとばかり……」
 男は口に猪口を付けて一気にあおると、折れ曲がるようにがくんとうなだれてしまった。
「江戸湾随一の大湊とは申しても、しょせん木更津は田舎よ。かくのごとき重大事さえ、未だ民に伝わってもおらぬ。ああ、わしはここで終わるのか。梅田雲浜も頼三樹三郎も清川八郎もすでになく、わしだけが老いぼれて、志をまっとうできておらぬ」
 梅田や頼といえば安政の大獄で死刑となった政治犯であり、清川も何年か前に江戸で暗殺された尊王攘夷の頭目だった。かつて世間を騒がせた者たちの名前がいくつも出て来て、さすがに三千太郎も目の前の男がただ者ではないような気がしてきた。
「おっちゃん、あんた何者なんだ」
「失脚堕ち来る、木更津の湊、さ」などと、いちいち漢詩的な言い方をするのがまわりくどい。
 どうもこの男の酔い方にはついていけないものがあると思い始めていた頃、店の引き戸ががらりと開いた。
「先生、ここに居られましたか」
 と、安堵したように声をかけたのは重城保であった。
「あら、重城さん」とクニの態度が親しげなのは、重城がここの常連だからである。木更津の町に用事のあるときは、必ずここで一杯ひっかけていく。
「クニさん、夜分遅くにすみません」
「おお、重城生も来たるか。おまえさんも一杯付き合いなさい」
「先生、もう遅いですよ。今夜はひとまず旅籠へ帰りましょう」
「かならずすべからく一飲三百杯なるべし、と李白も詠っているではないか、野暮なことを申すな。まさに酒を進めんとす、とどむることなかれ」などと猪口を高く掲げるのであった。
 三千太郎は重城に顔を寄せて、
「このおっちゃん、何者なんです?」腹立たしさを隠せない。
「聞こえたぞ、若者。そんなにわしのことを知りたいか。ならば教えてしんぜよう。重城生、教えてあげなさい、天下に名高き、わしの名を」
「この方の名は……」
「嶺田楓江である」と自分で名乗った。
 それを聞いて、あっ、とクニが反応した。「ふーこー先生でしたか」
「さよう」と胸を張る様が、いかにも小物そうだと三千太郎は思った。しかしここら辺りではそこそこ知られた人物であるらしい。
 クニは炭を継ぎ足すと、燗銅壷にちろりを挿し入れた。湯のたぎる音と、相変わらず豊のいびきが響いている。
 重城は勧められるがまま白木の腰掛けに腰を下ろした。
「楓江先生はね、わたしの学問の師なんですよ」
「おまえさんは、わしの自慢の門弟じゃ」
「恐れ入ります。この度は先生に、至徳堂の再興をお願いすべく、わたしがお招きしたのです」
 木更津の文化水準の高さを表す指標の一つが、〈至徳堂〉であるといっていい。地元の名主一統の願上により、近隣子弟の教育を目的として開設された学舎である。子供たちの手習い算盤の修学はもちろん、大人たちも農事のかたわら素読稽古に励んだ。運営費は民間有志の拠金を仰ぎ、約半世紀もの間、儒学、漢詩などの講堂教授がなされてきた。が、生徒の減少と昨今の不況のあおりを受けて、この名高き郷学も維持困難となりつつある。
「先生の御学徳を以て、再びこの地に励志学問の気風を起こしたいと願っておりましてな」
「学徳?」
 と三千太郎はあきれたように声を上げた。
「学はともかく、徳なんぞ……」この年寄りにはこれっぽっちもありそうにない、と言いたいのだろう。
「聞け、若者!」
 トンッと猪口を置くと、楓江はにわかに容儀を正した。
「わしはかつて佐藤一斎に儒学を、箕作阮甫に蘭学を学び、詩は梁川星巌に師事した。あの玉池吟社の大詩人、梁川星巌ぞ。しかも、門下四傑の一人に数えられたほどの詩才であると申せば蛇足であろうか。二十四の時、見聞を広げんがため各地を流浪し、世変の景況を探訪し、ついには最果ての蝦夷地へ渡った。若者よ、蝦夷がどこにあるか存じておるか。北溟に地肌をさらす広大無辺の地ぞ。わしはかの地で北夷の迫りつつあることを知ったのじゃ。於ろしや国は黒船来航以前から辺地を侵しつつあり、文化年間には豊原(樺太)が襲撃されたこともあったという。わしは、北辺の警備と開拓に関する意見書を幕府に提出し、嘉永二年には清国阿片戦争の惨禍を広く憂国の士に訴えんと『海外新話』を上梓した。これが、幕府の逆鱗に触れた。わしはこの一書により、はからずも日本沿岸の脆弱さを世に知らしめてしまったのよ。畢竟、幕府の不備を批判したも同じであったのじゃ。かくて拙著は没収され、わしは三都居住禁止を命じられて江戸を追われた。そうして流れ着いたのが、この、上総の地であったのじゃ」
 三千太郎はアサリの佃煮をつまみながら、黙って聞いていた。
 クニが楓江に酒をさしつつ尋ねた。
「確か先生は、吉村平衛門さんのところへ、婿養子に入ったと記憶しているのですが」
「いかにも。わしは失意にうなだれ、この地に骨を埋めようと思っていたのだよ。拙著は開板禁止処分となり、版木も焼かれてしもうた。が、同志たちの手によって、密かに重版されておったのだ! かの吉田松陰も閲読し、重要箇所を筆写したと伝え聞いておる。なんと喜ばしいことであるか。わしはただ国を憂うのみであり、勤王も佐幕も一切問わぬ。かつて談論風発した綺羅星のごとき志士たちも今やことごとく落命し、わし一人、不遇をかこつ身となってしまった。松陰なぞは防長の神となったのに、わしはこんな片田舎で、郷学の教授でもやるしか能がない」と言ってしまってから、慌てて重城の方へ顔を向けて、
「いや、失礼。心にもないことを申してしまった」とわびた。
「いえ。先生ほどの憂国の志士が、わたしの誘いを受けてくださっただけでも感涙にむせぶ思いです」
「憂国の志士か」と、楓江は遠い目をした。
「その憂国の志士、嶺田右五郎楓江は、迫害を恐れず、死をも厭わぬ。なれど、女房が怖い」と言って、自分で噴き出した。
「わかるか、若者。我が女房は勝ち気でな、若い頃は江戸で旗本のお屋敷奉公をしていたぐらいだから、巴板額のごとき女傑よ。名を、ちよという。金持ちの娘だし、美人だが、前夫と離別した理由は知らぬ。わしはそんなことを詮索するような野暮ではない。なれど、連れ子の竹次郎は、こう言っては身も蓋もないが、からっきし出来が良くない。わしが婿に入ったのは四十八のときであったと記憶するが、蜜月なぞ始めのうちばかり、惚れた腫れたなんぞ、所詮こんなものであろうよ。わしが読書と詩作に熱中するあまり養家の農事を怠り、田畑も裏山もちよの目をぬすんで売り払ってしまった挙句、それらをすっかり酒代に変えてしまった。酔うて沙場に臥す、君笑うことなかれ。ちよはな、怒り心頭に発すると竹箒を振るってわしを追いかけ回すのじゃ。若者よ、想像してみるがいい。憂国の情止み難く、命をかけて天下に外圧の危急を説き、名だたる名士らと親しく交わって来たこの嶺田楓江が、鬼のごとき形相の女房に追い回されている姿を。これ実に滑稽の極みではないか。先年、故郷の丹後田辺藩牧野候から出動の下命を受け、もっけの幸いとばかりに家を出た。今度の征長戦では軍謀に参じ、戦陣にあること一年余、心を砕いて孫呉の兵法を藩士に教授して参った。乱鎮まって役付になれるかと思いきや、あっさりお役御免とはいささか薄情。まあ、今度の戦において孫呉の兵法なぞからっきし役にも立たなかったのだから、致し方あるまい。折からの重城生の誘いを受けて、なんだかんだとここへ舞い戻って来たというのも、哀れなる我が身の定めであろうか」
 瞑目した楓江の猪口に酒をさしつつ、重城は恩師を慰撫するように目を細めた。
「わたしは先生にご教導を賜り、おかげさまで人として立てたと感謝しておりますよ。かつて先生が筆禍事件で江戸を追放され、請西村祥雲寺に塾を開いた頃のお姿が、いまだ目に浮かびます。眉秀にして目もと涼しく、子供ごころにも先生の非凡さに畏怖の念を抱いたものです」
「またまた重城よう」などと、先生はまんざらでもなさそうである。
 黙って猪口を傾けている三千太郎の顔を、楓江はふいにのぞき込んだ。
「若者よ、そなた名をなんと申す」
 ふっ、と三千太郎は苦笑した。
「やっと他人に興味を持ったか」
「なんと申した」
「その前に、おっちゃんは何でそんな変な号を名乗ってるんだ。ふーこーなんて、ずいぶん奇抜だけど」
「そこがわしの詩人たる所以よ。わしの生まれは田辺藩江戸藩邸、この傍らを流れていた楓川という川の名をとったのじゃ。なんとも粋な、良い号であろう」
「さっきからおっちゃんの話を聞いていて、少し不思議に思ったことがある。おっちゃんはなんで、そんなに有名になりたいんだ?」
「なにを……」わかり切ったことを、と言いたげに楓江は両目を見開いた。
「そなたは頼山陽の詩を知らぬのか。安ぞ古人に類して、千載青史に列するを得ん。山陽がこれを詠んだのは十三歳の時ぞ。生きているうちに昔の優れた人物たちに負けない働きをして、永く歴史に自分の名を残したい。男子たるもの、この心情を知らぬ者なぞおらぬはずじゃ」
 三千太郎は首を傾げた。クニがそれとなく流し場からその様子を見つめている。
 しばし沈黙の後、三千太郎は手ずから酌をし、冷めた燗酒をすすった。
「剣の世界では、敵の太刀に心を置けば、敵の太刀に心を取られると教わる。おっちゃんが有名になれんのは、有名になろうなろうと思い詰めているからじゃないか。心を一方に置かなければ、十方へ広がる。もっと楽な気持になれば、おっちゃんの能力も生かされる気がする」
 しばし楓江は目をしばたたかせていたが、やがて呵々大笑した。
「生意気なことを申すものよ。まだ若いのに、禅坊主のようなことをぬかしおる」
「おれはこれといって何の能もないが、剣禅一如についてなら、少しばかりわかる気がするんだ。剣だけは子供の頃からやってきたから」
「何の能もない? 馬鹿な、おまえさんはなかなかのものよ。してそなた、名を何と申す」
「みちたろう。三千世界の三千に、太郎と書く。姓は大河内」
「おおこうち? 大河内とな……」
 何か心当たりでもあるものか、楓江は腕を組んで考え込んだ。
「もしや、そなた、大河内一郎殿の御子息か」
「おっちゃん、父さんのことを知ってるのか」
「知らぬわけがあるまい。大河内一郎といえば、関八州にその名をとどろかせた剣士ぞ。武芸ばかりでなく、文にもすぐれ、才気煥発、眼中に異彩あり、人に長たる威厳を持った大人物であった」
 三千太郎とクニは目を合わせた。たちまちクニが涙ぐみ、手拭いをまぶたに押し当てているのを見て、楓江はあっと声を上げた。
「女将は一郎殿の御内儀であったか」
「いえいえ、囲い者にすぎませぬ」涙を拭きながら笑った。
「世の常として、男は正妻よりも妾の方を好む」
「おっちゃん、いや、楓江先生、もっと父さんの話を聞かせてくれないか」
「一郎殿を知る者なら、誰しも同じことを言ったものよ。もし彼が乱世に生を得ておれば、三軍を叱咤する英雄となったであろう、とな。火事で焼けた木更津をここまで復興させたのも、一郎殿の威徳の賜物ではないか。今以て、早世が惜しまれてならぬ」
 一郎の話題となった途端、にわかに色めき立った店の雰囲気を察したものか、「んごっ」といびきをつまらせた豊が、むっくり顔を上げた。
「なんだい、盛り上がってるね」
「やあ起きたか、麗しき乙女よ」楓江は大喜びである。
「一郎殿もそうであったが、大河内の者は彫が深く、実に端麗なる面立ちをしておるなあ」
 と近づいてくる楓江の顔を、豊が容赦なく押し返した。そんな扱われ方もまんざらではないようであり、楓江はすっかりご機嫌な様子で、今度は三千太郎の方へ顔を振り向けた。
「三千太郎、そなたあっぱれなる美丈夫であるが、好いた女子はおらぬのか。さぞや浮名を流しておるのだろう」などと口走ると、急に店が静まり返ってしまったから、楓江は赤みをおびた目をきょろきょろさせた。
 重城が言いにくそうに何か言いかけると、
「重城生、言わんでいい」それを強くさえぎった。
「大方、なにか悲しい話でもあるのだろう。そんな話、わしは聞かんぞ。どうせ狭い田舎のことじゃ、そのうち嫌でも耳に入る。わしは、この楽しき酒宴に、一片の悲しみさえ持ち込みとうない。わしは、わしの悲しみだけで手いっぱいなんじゃ。このうえ誰かの悲しみに触れようものなら、我が心は、秋雨のごとき涙に濡れそぼつであろう」
「おっちゃん、なんでそんなに、悲しいの」と豊が聞いた。
「芳山を望まんと欲すれば、路さらにはるかなり。そんな悲しみを、人は誰しも抱いておるのだよ。肝の太そうなこの重城生も、凛とした女将も、そして麗しの乙女、そなたもな」
「そうなのよ。なんだか知らんけども、悲しいのよ。おっちゃん、もう一杯やるべ」
 酒宴は結局、朝まで続いたようである。

 幕府が長州藩に敗北したという事実は幕臣らを落胆させた。けれども、次期将軍は神君家康公の再来ともいわれた一橋慶喜様であろうというのが大方の予測であり、それならばきっと禍は転じ、むしろ事態は好転するに相違ないという期待を抱かせてもいる。慶喜は幼少より英明の誉れ高く、世継ぎのない十三代将軍家定の後継者と目されていたが、大老井伊直弼のごり押しにより十四代は御三家紀州の家茂が継いだ。その家茂が大阪で薨去した今、十五代は慶喜をおいて他にない。が、さすがの慶喜もこの難局における就任をためらったようであり、徳川宗家を相続した後も、五カ月ちかく将軍宣下を受けなかった。
 幕末の思想といえば「尊王攘夷」が知られるが、もう一つ、歴史的に重要な思潮がある。ペリー来航時に老中であった阿部正弘が、当時国是を決めかねて、諸大名、旗本、庶民を問わず広く意見を募ったことがあり、それ以降、「公議・公論」という思想が芽生えつつあった。従来のように国の舵取りを幕閣に一任するのではなく、朝廷、外様、その陪臣らも政治に参加させることで、多数の意見を議論して国の方向性を決めて行こうとする考え方である。慶応二年頃から幕府の崩壊に至るまで、徳川慶喜や坂本龍馬などの進歩的知識人層が、この考えに基づく新たな政治体制を模索していた。これこそが現状の最も平和的な解決方法となるはずだし、日本を中央集権統一国家へ変革していくという発想にも繋がる。
 フランス公使レオン・ロッシュなどは大胆にも、
「中央集権郡県制度を実施すべき」などと慶喜に献策している。
 薩長を武力で圧伏し、封建制を廃して諸藩を郡県という行政単位に解消して、軍事、外交、財務、司法などを幕府が一括して掌握せよ、と勧めたのである。しかしそこまで露骨なやり方をせずとも、公議公論を尊重して三百諸藩の連合を形成し、徳川がその統率者となれば同じこととはいえまいか、と賢い慶喜は思いをめぐらせている。いずれにせよ、これを実現させるためには諸藩を圧倒する強大な軍事力を背景とせねばならない。海軍はようやくその規模に達しつつあるが、陸軍に関してはいまだ軍隊の体を整えるまでに至っていない。
 近代戦の主役は銃を持った歩兵である。この、
「歩兵」
 という単位が、武士の耳にはどうしても、
「雑兵」と聞こえてしまうのである。
 これが幕府陸軍の形成を難しくしている要因であった。
 正規兵たる幕臣が、なかなか銃を持ちたがらないのだ。武士といえば甲冑に身を包み、馬上名乗りを上げて先陣を切るというお定まりの姿が、もはや時代にそぐわないことを受け入れられずにいるのである。
 たとえば三百石の知行取りなら、軍役規定で十人の家来を召し抱えていることになっている。幕府はこの武家奉公人を供出させることで歩兵を作ろうと試みた。しかし、思ったほど人数が集まらなかったのは、実際に家来を召し抱えている幕臣が少なかったためである。ちなみに下級武士の給料の単位である「〇〇俵〇人扶持」の「扶持」は、家来に支給する飯米として与えられるものであるが、実際に扶持の数だけ用人を召し抱えている家などほとんどなく、それはいわば給料に付随する「手当」のようなものになっていた。仕方なく直轄領や知行地から農家の次男三男などをかき集めたり、人納できない旗本には金納を課すなどして人員と軍費をまかなったのであるが、意外にも、このにわか仕込みの歩兵たちが征長戦において刀槍の武士よりも善戦したのである。そんな皮肉ともいえる結果を教訓として、戦後は一般庶民にも募兵をかけることになった。
 江戸という都市は参勤交代によって栄えたといっても過言ではない。藩主に随行してきた膨大な地方武士たちの単身赴任生活を支えるべく、多くの産業が成り立っていたからである。しかし幕末となり、諸藩の財政難をかんがみて参勤制度が緩和されると、たちまち町に失業者があふれた。歩兵の募集はその受け皿ともなったが、素行の悪い者も多く、統制するのにはなはだ手こずっている。にわか仕込みの士卒であるから、既存の武士のように重代の厚恩もなく、単なる雇用関係でしかない。募兵に応じた者の中には、犯罪歴をもつ者や、やくざ崩れなども多かった。
 徳川宗家を相続した一橋慶喜は、すぐさま兵制改革に取り組み、有無を言わさず幕臣の銃隊化を断行している。大まかに分類すれば、旗本上士は奥詰銃隊と遊撃隊、下士は撒兵隊という名の部隊に編成された。ここに至って幕府陸軍の体裁がようやく整うのであるが、当の幕府の命脈自体がそろそろ尽きようとしている。が、慶応二年下半期の段階で、誰がそんな運命を予測できただろう。幕府を敵に回した薩長でさえ、時代がそれほど急転直下に変転するとは予想だにしなかったはずである。

 この年の八月、砲術奥詰に配属された堀岩五郎にしてもそうだった。
 征長戦の敗因は、主力であった芸州藩の裏切りによるものであって、幕府軍勝利の可能性は充分あったと信じている。が、この戦争の直後、幕府が海外から輸入した四万挺にもおよぶ鉄砲の劣悪さに暗澹たる思いを抱いているのも事実であった。
「銃砲輸入の担当者が、よく調べもせずに買い付けたのだろう」
 と堀は深刻な面持ちで、ためしに持ってきた一挺を皆に示した。
「時代遅れの先込め式だし、銃器の至る所が錆びついていて使い物にならぬ。こんなものを売り付ける西洋夷のいいカモにされたのだ」
 さらに堀は憤懣やるかたない様子で言った。
「近頃は、農民や町人出の歩卒までも士分気取りで、己のことを〈拙者〉などと言っておる始末だ」
 神田小川町にある陸軍所の一室に、福田八郎右衛門を上座にして複数の侍が集っている。当時そのような呼び方はなかったけれども、彼らは新設陸軍の〈青年将校〉ともいうべき存在であった。密かに会合を重ね、徳川幕府の本来あるべき姿を模索している。堀岩太郎、斎藤閑斎、戸田嘉十郎、真野鉉吉など、名門旗本の若き惣領が顔をそろえていた。
 この日は、都から戻ったばかりの正道、常盤之助、常次郎も同座に連なっている。
「もちろん」と堀は念を押した。
「大河内殿は別格にござる。それがしが申したいのは、昨今の風紀の乱れなんじゃ。金目当てで集まった歩卒など、幕府の戦力とはなり得ぬだろう」
 錆びついた銃身をためつすがめつ眺めていた斎藤閑斎は、ふうと深いため息をついて、それを膝元に置いた。
「我々の先祖は、武勇青史に赫々たる三河武士ぞ。なんぞ累代の功臣たる我らが、府下無頼の徒と同列の銃卒などになれよう。しかも、このような汚き銃を携えて戦場に臨めようか」
 斎藤常次郎の叔父であり、齢がしらの閑斎でさえ憤懣やるかたない気持ちを隠せずにいる。座の一同も、そうだそうだと怒りの声を上げた。
 福田は、いつものように柔和な笑みをたたえて皆を制した。その布袋様のごとき福相は、殺気立った場の空気を一瞬で鎮めてしまう不思議な魅力に満ちている。これこそが一軍の将たる者の資質に他ならず、正道が福田に全幅の信頼を寄せる根拠もそこにあった。福田は言う。
「来年早々にも、小栗上野介殿が招来したフランス軍事顧問団が参る。我らは将軍の直臣のみで調練を致そう。馬丁や陸尺出の傭格とは、はっきり一線を画すのじゃ。銃も最新式のものを揃えよう」
 閑斎は納得したように二度うなずき、ぱちんと音をたてて扇子の折り目をたたんだ。
 福田と閑斎は髪を二つ折の大銀杏に結っていたが、他の若い士官たちは月代の幅が狭く、髷を直線にした「講武所風」にしている。これは、講武所(陸軍所の前身)へ通う侍たちが流行らせた髪型で、当世武家エリートの雰囲気を醸し出す装いであった。
 そんな青年たちの中に身を置いて、やや恐縮していた常盤之助だったが、どうしても気になる点がある。そのことについて、周りをはばかりつつも、一膝すすめて福田に尋ねた。
「今や銃器の性能と数、それを扱う兵の練度が勝敗を決する鍵なのかもしれませんが、そうだとすると刀は、もはや役に立たないものなのでしょうか」
 これは正道にとっても切実な懸念であった。
 福田は手を膝にして、相変わらず穏やかな表情を崩さない。
「西欧の兵書によれば、野戦は必ず弾丸二、三発の間に勝負あり、とあります。兵器の主流が銃砲となっても、最終的な勝敗は斬り込みで決するということです。したがって、洋式軍制を導入しようとも、武士の魂は揺るぎない」
 武士の魂とは、刀のことである。
 ついでながら、勤王の志士には尚古主義者が多く、一時は佩刀も古制の太刀造りが流行ったものであった。しかし、いざ実戦に用いてみると長尺の刀は扱いづらく、流行は一気に終息する。その後は二尺(約六十センチ)程度の刀が主流となり、これは〈突兵拵〉と呼ばれた。一般に刃の長さが一尺以上二尺までを脇差と定義するから、打刀が定寸ぎりぎりまで短くなったわけである。戦場で人を斬るのに最適な長さが追求された結果であり、戦争は否応なく人を現実主義者にする。
 ところが、幕末という乱世にあって、なかなか現実に目覚めなかった一群がいる。それが何を隠そう「幕臣」なのである。打ち続いた太平の世は、当時の国家公務員たる旗本や御家人らの生活感覚や現状認識能力をいちじるしく低下させていたのかもしれない。福田たちが密かに会合を重ねて秘密結社のようなグループを形成していたのも、後に登場する江原素六が明治になってから証言しているように、「当時幕臣の多くは、其の位に在らざれば其の政を謀らずてふ泰平因襲の余習によりて、国家のことを談論するものあれば注意人物として擯斥せられ」る危険性があったためだ。幕府の崩壊後、陸軍内の各部隊がそれぞれ独自の軍事行動を起こしたのも、福田らのような小勢力がてんでに形成されるにとどまり、士官らの間に統一的な大義名分や戦略が確立されなかったためであろう。
 注意人物として擯斥せられるとは、言い方をかえれば、出る杭は打たれるということでもある。それゆえ重職の者と面会するときなどは、悪い噂が立たぬよう細心の注意を払う必要があった。下士官の仙石釩三郎が静かに引き戸を開けて入室してくるなり、福田の耳元に顔を寄せて「小栗上野介殿が御来着されました」と小声でささやいたのも、壁に耳ありを警戒する配慮からであった。
「さあ、参りましょうか」
 福田は正道一人を伴って部屋を出た。

 陸軍所の長い広縁を足早に進み、左右の様子をうかがいながら控えの間を開くと、現海軍奉行の小栗上野介忠順が、若党も連れず一人で座していた。
「おお、八郎右衛門、息災であったか」
 安政七年、通商条約の批准書交換のため米艦ポーハタン号で太平洋を横断した日本人の中に、この小栗がいた。幕閣の中でも当代一の実力者で、外国奉行、勘定奉行、江戸南町奉行、初代歩兵奉行、軍艦奉行などの要職を歴任し、横須賀製鉄所(造船所)の建設、横浜フランス語学校の開校なども手掛けてきた。日本の近代化の基礎を築いた政治家として、後世「明治の父」と呼ばれることもある。
 福地源一郎(元幕臣、明治のジャーナリスト)の評によれば、小栗という人物は「精悍敏捷にして多智多弁、加うるに俗吏を罵嘲して閣老参政に及べるがゆえに、満廷の人に忌まれ」、七十回ほども役職の降格、罷免を受けたというからただ者ではない。「またも小栗様のお役替え」と江戸城の坊主衆に揶揄されたほどであったらしい。しかし、実務能力においてこの男の右に出る者がいなかったから、何度罷免されても難局の現場に復帰する。その結果がそうそうたる経歴となったわけである。
 先祖は三河以来の直臣であり、家康から「また一番槍」という感嘆を込めて「又一」という名を賜ったほどの勇士であった。当主は代々この名を受け継ぎ、二千五百石を世襲する旗本屈指の名門である。左文右武の家に育った忠順もまた弓術と砲術の名手であり、将軍の武芸上覧で褒美を賜ったこともあるほどの腕前だった。しかし、八の字に生えた眉毛と、ややたれ目であるせいか、「多智多弁、加うるに俗吏を罵嘲」というような気性は実際に話してみないとわからないほど、見た目は温厚そうである。
 房総有志隊創立の件は、すでに福田から聞き及んでいる。小栗はさっそくその話題に触れた。
「大河内殿、有志隊発足にあたって、幕府の承認は受けぬほうがよろしかろう。また、軍用金の方もそれほど多額の援助はできかねぬことを始めに申しておく」
 というそっけない切り出しに、正道は胸を締め付けられるような気分になった。
 小栗は愛想笑いの一つも浮かべずに、話しを続ける。
「現在、慶喜公が強力に推し進めている軍事改革の要諦は、指揮系統の整備、並びに組織の一元化である。故にこのたびは旗本自前の組合銃隊も、天領農民で組織した御料兵も、すべて陸軍所へ編入される。あの八王子千人同心でさえ、八王子千人隊と改称されて編入されるのじゃ。もし大河内殿が、御自身の心情で独自の活動を展開されたいのであれば、当面は幕府陸軍とは別個の道を歩まれた方が良いかもしれぬ。また、陸海軍共に兵器の近代化にかかる費用が甚大で、フランスからの借款さえ検討している有様。率直に申して、金がない」
 と少し笑ってみせたのは、勘定奉行を務めたこともある小栗の自嘲でもあったろうか。
 幕府の財政窮乏は危険水位を越えつつあり、全旗本二百九十万石の俸禄を向う十年の間、半分に減らして軍費に充当する必要があるとも語った。さらにはフランス公使ロッシュが提案しているという「中央集権郡県制度」の説明まですると、小栗は居住まいを正して、正道と福田を交互に見つめた。
「いっそのこと、房総(現在の千葉県域)を我が国初の〈県〉にしてしまってはどうか」
 と、突然突拍子もないことを言い出した。小栗はさらに続ける。
「俸禄を半分にするなら、これは実質、半知令となる。ならばいっそ俸禄自体をやめて、旗本も御家人も県の職員にしてしまえばよい。まずは房総が県となれば、天領と知行地の多い武州や甲州はもちろん、御親藩、譜代大名、徳川家連枝の藩もそれに続くであろう。昨今どの家中も進退を決めかねておるから、尊王でも佐幕でもない、この第三の選択は歓迎されるのではあるまいか。県の代表を招集して議会を開けば、徳川は郡県制度下における最大勢力となり、慶喜公を議長に推すこともできよう。さすれば王政の世に復したとて、権力は徳川の掌中に残る」
 福田などは仏語が堪能で外国の知識もあったから、この手の話は初耳ではないが、正道にとっては度肝を抜く内容だった。小栗は正道の動揺を見て取り、さらに膝を詰めて語った。
「木更津は年貢米や物資の集散地であり、江戸湾交通の要として幕府のお膝元と直結しておる。木更津湊を押さえ、そこを本営とすれば房総半島の統治はたやすかろう。今後、幕閣は本気で封建制を廃するはずじゃ。世界の列強ことごとく郡県制であれば、我が国もそれに習わねばなるまい。慶喜公が将軍となり次第、必ずや行動を起こされようから、そのアカツキには、堂々と三つ葉葵の定紋を打ち出し、そなたらの手により房総を取り纏めてもらいたい」
 これを聞いて正道は、しびれるような恍惚感と、若干の不安を交えた高揚感を覚えた。まさか、これほど壮大な企てに加担するなど想像もしていなかったからである。京で出会った伊東甲子太郎の「至誠の赴くまま、やるなら即刻やるのみ。時勢はまったなしですよ」という言葉が喫緊のものとして思い出される。正道はこみ上げてくる感涙を飲み込んで、
「上野介様、我ら島屋一門は、身命を賭して、幕府と進退を共にします」平に伏した。
 福田も高い声で、
「それがしも、一点の私意をさしはさまず、神明に誓って、徳川幕府に忠誠を尽くしまする」とかしこまって平伏した。
 幕末も差し迫り、この頃から小栗上野介忠順を盟主と仰ぐ人脈が密かに形成されようとしている。この、「佐幕右派」ともいうべき一群が、やがて幕閣に台頭する勝海舟と対立するのである。

 境内から張り出した枝の葉が、赤や黄に色づき始めていた。
 木更津にある寺院の多くは、その名の通り寺町通り沿いに立ち並んでおり、御朱印帳を手にした参拝客らが行き交っている。そろそろ往来に肌寒い塵風の吹く頃となっていたが、浴衣がけに懐手をして、素足に下駄をつっかけて歩いて来るのは三千太郎である。時おりよろける様は、したたかに酔っているようであった。
 真言宗豊山派、愛染院の門をくぐって少し進むと、左手に庫裡、正面に本堂、右側の墓地のすぐ手前に大河内家の墓所がある。三基ある墓石の真ん中に、栄樹院直心妙了信女となった、なをが眠っている。
 ここに来ようと思って来ているのではなく、気が付いたらここに来ているのである。三千太郎はなをの墓前に座り込み、ぽつねんと石のおもてを眺めるのだった。するとそこに、いろんな表情のなをが、次々と浮かんでは消えていく。なをの元気な声も、記憶の奥から聞こえてくる。
 浴衣の帯から下げた小さな赤い巾着袋を手に取ると、三千太郎は中身の何粒かを掌に乗せた。出産前、ねんねこ茶の子を作るためになをと炒った、あの一握りの豆であった。
「まめでぇ、健康にぃ、育ちます、ように~」
 桜の花降る縁側で、そんな小唄をたわむれに歌っていたなをの横顔を思い出すたびに、三千太郎の口元はふっと緩む。が、次の瞬間には、目や胸の奥から熱いものが込み上げてくるのだった。いつになったらこの感情が薄れてくれるのか、毎日毎日、愛別離苦に身もだえ、前後不覚になるまで酒をくらい、茶の子の豆を眺めては、誠この世に、神も仏もおらぬのかと呪い続けている。
 なをの墓石の横に、一郎の墓も立っている。ああ、父さん、楓江先生は父さんのことを英雄の器量であったと賞賛していた。それなのにおれは、なをの死から立ち直れず、日増しになをが恋しい!
 いつしか陽も西に傾き、鴉の鳴き声が山の方へ遠のいていく。誰かがこちらに近付いてくる気配を感じたが、三千太郎は墓の前に座り込んだまま、振り向く気力さえ失っているようだった。
「三千太郎さん」
 聞き慣れたその声は、なをの姉、すまである。
「またここにいたんですね」
 と、いつもは三千太郎の横にしゃがみ込むのだが、この日は立ったままで、傍らに誰かを伴っていた。
 茶縮緬の打裂羽織に大小を帯びている姿は侍に違いない。手甲を着けた手で菅笠の紐を解くと、三千太郎に向かって一礼した。
「請西藩士、諏訪数馬と申す」
 三千太郎は酔って朦朧としていたが、なをとべか舟に乗ったとき、請西藩に従兄がいると話していたことをすぐに思い出した。
 立ち上がって場所を開けると、数馬は本差のみ腰から抜いてすまに手渡し、再び三千太郎に一礼して、静かに跪座合掌した。
 夕日に染まったうろこ雲が、ずっと遠くまで続いている。連れ飛ぶ雀が東の空へ帰ってゆく。
「わしより先になをが逝くとは、想像もしておらんかった……」
 そうつぶやいた後、数馬は肺から絞り出すような咳ばらいを何度かした。
 その咳の感じといい、蒼白した顔色といい、労咳を患っているのかもしれない。咳が止まるまで、すまが屈んで背中をさすった。
 数馬の佩刀は朱漆の拵で、美的感覚の鋭い地曳家の面目躍如たるものがあるが、労咳の吐血を連想させないでもない。数馬は藩主に従って在京していたため、婚儀にも葬式にも立ち会えなかったことを深く詫びた。持病がいよいよ重く、このたびは療養のために帰省を余儀なくされたと三千太郎に語った。
「拙者は十四も年上ですから、なをやすまのことはねんねこの頃から知っています。おむつだって替えたことがある」
 すまは照れ臭そうに笑って数馬の肩を軽く叩いた。
 彼の父幸右衛門は、地曳家から諏訪家へ養子に入り、林忠英、忠旭の二代に仕えたが、若くして亡くなっている。祖父の諏訪頼母は国元の陣代を務めたこともあり、数馬も現当主忠交の近侍であった。勤番になる前は、互いの家が近いのもあって、地曳姉妹のことを妹のように可愛がっていた。
「なをは、暇さえあれば料理をするか本を読むかしているような子だったから、まさか出会ってすぐの相手と結婚するなんて、ほんにあの時は寝耳に水でしたよ」と、数馬は三千太郎の顔を仰ぎ見て深くうなずいてみせた。「あなたに一目惚れしたのでしょうな」
 するとすまも皮肉っぽい笑顔をみせた。
「ほんと、男になんか全然興味ない子だったのにね」
 三千太郎はすましたような面持ちでうなずきながら、着崩れた上前の衿を調えた。内心、なをに愛されていたことを身内の口から聞けて嬉しかった。
 もう、とっぷり日が暮れて、仏灯を蔵した本堂が明るくたたずんでいる。
「母の店に行きませんか」
 往来の方へ顔を向けて三千太郎が言った。
「数馬さん、いってらっしゃいよ。あたしは船宿の仕事があるから戻らなきゃいけないけど。クニさんとこの料理はすごく美味しいよ、あたしのとは違ってね」
 近しい者ならすまの料理下手は周知のことだから、数馬は軽く咳き込みながら、思わず噴き出してしまった。

 クニの小料理屋の格子から、相変わらず食欲をそそる煮込みの湯気が立ちのぼっている。暖簾をくぐって引き戸を開けると、長床几に片足を乗せた楓江先生が、豊を相手に陶然と酔いしれていた。この時代、外が明るいうちに夕餉を済ませる者が多かったから、すでにお客はまばらであった。
 三千太郎が数馬のことを紹介すると、クニも豊もしばし感慨深げにその姿を眺めて、どうぞどうぞと奥の腰掛へ差し招いた。
「確かに」とうなずいた豊は、数馬の顔をじっと見つめて深いため息をつく。「目と鼻になをの面影があるよ。やっぱり親戚だねえ」
 朱鞘の佩刀を預かった三千太郎が奥の間にそれをおきにいくと、楓江が徳利を掲げた手をぶらぶらさせながら数馬の横にやってきて、どかりと腰を下ろした。
「請西は一万石の小藩とは申せ、献兎賜盃を許された名門中の名門。藩士にとって、丸の内三頭左巴に下一文字の家紋は、大いなる誇りであろう」
 などと、いつものように博学ぶりを披歴すると、数馬は「はい」と真顔でうなずき、打沈んだ様子で目をしばたたかせた。
 突如ガッと片手で自分の顔を覆い、もう一方の手を食台についてよろめきかけた体を支えながら、肩を震わせて泣き出してしまった。
 これにはさすがの楓江先生も度肝を抜かれ、首を傾げて三千太郎の方へ顔を向けた。
 数馬は嗚咽の下で「申し訳ござらぬ」と声を絞り出し、懐から取り出した手拭いを目頭に押し当てて、水洟をすすり上げる。
「それがし、幼少より近習を相勤め、伏見奉行を仰せ仕った藩侯に随従しておりましたが、多事多端のこの時期に、折悪しく持病なんぞをこじらせ帰郷することと相成り、まこと面目ない次第です。先日、江戸の藩邸に立ち寄りましたところ、先代の御子息昌之助様より、今はゆるりと休養し、後日の働きに備えよと、懇なお言葉をかけていただき申した。昌之助様は嘉永元年のお生まれですから、拙者より十三もお若いのです。それがし、深く感じ入るとともに、この若君の菩薩のごとき大恩に、どう報いればよいか、それがしがごときに、何の働きができようかと考えて、胸を痛めております」
 ここまで言うと、数馬は店の三和土に膝を付き、しばし苦し気に咳き込みながら両の手を付いた。
「せめてそれがし、一朝事あらば、主君の御馬先で討死せんと欲す。しかれども生来蒲柳の質で、学で身を立てよと祖父に訓育され、恥ずかしながら尚武の気風とは縁遠く、弓馬槍剣の嗜みさえおぼつきませぬ。このような軟弱者にござれども、三千太郎殿、どうかそれがしに、せめて表芸だけでも稽古を付けてくださらぬか。伏してお願い申し上げる」と地に額を押し付けるように頭を下げた。
 武士が土下座するなど前代未聞であったから、三千太郎も慌てて対面に平伏したが、楓江先生はパシッと扇子で膝を打ち、
「そなたの心意気、誠あっぱれである。三千太郎よ、指南しておやりなさい。見上げたものではないか」と感涙にむせぶと、
「盛年重ね来たらず、一日再びあしたなり難し」と詠じ、
「何をもってか憂ひを解かむ、ただ杜康有るのみ。クニさん、酒じゃ!」と叫んだ。
 ちろりを手にして燗酒を注ぎあい、まずは一献というところで数馬がふいに立ち上がり、皆をゆっくりと見回しながら、
「おなを、そなたの家族は、今もそなたと共にあるぞ」
 そう虚空に向かって声をかけ、猪口を捧げて献杯した。
 三千太郎は、率直に胸を打たれた。生前のなをに話しかけるように、数馬がその名を呼んだからである。まるでこの場になをがいるようであった。いつだってなをがそばにいると、三千太郎はそう思うようにしている。しかしなをは一度として目に見えるかたちで現れたこともなく、仮寝の夢にも立ってくれない。やはり死んでそれっきりなのかもしれないと諦めにも似た気持ちになることもたびたびある。そんなとき、三千太郎の心は搾め木にかけられたような悲しみを覚えるのだ。けれども、今宵は確かに、なをの魂をすぐそばに感じている。
 クニは数馬の体調を気遣い、密かにちろりの酒を水で薄めた。
 楓江は一口すすると、憮然とした面持ちで口を鳴らし、
「木更津の酒は美味くない。玉割りの水がよろしくない」と、いつもの不平をもらすのだった。

 磨き抜かれた道場の床は、そこに立つだけで三千太郎の心を剣士に戻す。
 いつもより呼吸がゆったりと深くなり、仙骨がぐっと内に入って重心も安定する。肩の力がぬけて、三千太郎はひさしぶりに心が軽くなるような気がした。
 豊が口元に袖を当てて縫之進に耳打ちした。
「あんなに落ち着いたミチタの顔、ひさしぶりに見た」
「そりゃあね、くさっても剣士ですよ」
 刻み煙草を丸めだした縫之進の手を、豊が叩いた。
「ここをどこだと思ってんの、神聖なる道場だよ、罰が当たるって」
「おれは神聖なる甕場で毎日吸ってるが、罰なんぞ当たったためしがない」
 しぶしぶキセルを腰差しの煙草入れに戻した。
 遅れてやってきた茂三郎が、二人の間に割って入った。
「ああ、竹刀を持ったミチタのなんと凛々しいこと。ミチタはああでなくっちゃなあ。いよッ、島屋!」などと声を上げたから、豊に「しー」とたしなめられた。
 なをの死後、一度も道場に出て来なかった三千太郎の姿を一目見ようと、コンモたちばかりでなく、門弟たちも詰め掛けている。ざわざわとしたどよめきが、さきほどの豊の「しー」で静寂に包まれた。
 これまで役方(文官)として生きてきた数馬は、防具を手にしただけで身の引き締まる思いがする。緊張した面持ちで竹腹巻を着けている数馬に、くだけた調子で勝壽が話しかけた。
「なにも武芸は剣だけではないですよ。今の時代、鉄砲だって馬鹿にできない」
 それを聞いて首を傾げたのは三千太郎だった。
「鉄砲? 稲富流炮術のことか」
「いやいや、おれが習ってるのはそんな大したもんじゃない」
「おまえ、鉄砲を習っているのか」
「まあな、これが意外と面白くってなあ」
 二人のやり取りを聞いていた数馬は、さすがに江戸で役方を勤めてきただけあって、時勢に鋭い。
「勝壽殿、昨今銃器の操作法を知らざれば戦にならぬと聞き及びますれば、ぜひとも後日、砲術の指南を賜りたい」
 勝壽は快くうなずいて、数馬の防具の装着を手伝った。
 面鉄をかぶり、竹刀を手にした数馬に向かって、三千太郎は静かに言った。
「姿勢も心もまっすぐに保ってください」
 それを聞いて豊は、ふいに目頭が熱くなった。懐手をした縫之進も、きっと同じ思いだったに違いない。コンモはそれを口に出さずにはおれない性質である。
「ミチタが道場に帰って来たぜえ!」
 壁板を背にして並み立つ門弟から拍手喝采が起こったが、豊の「しー」で再び静寂に戻った。
「さあ、打ってきてください」
 三千太郎に促された数馬は、力いっぱい振りかぶり、「えいッ」と気合一閃竹刀を振り下ろしたが、三千太郎はそれを軽く受け流した。
「肩の力に頼ってはだめです。肚で打ち込むのです」
 数馬は深くうなずくと、まなじりを決して再び打ち込んだ。
 打っては払われ、払われては打ち込み、また構え直して打ち込む。そのたびに玉のような汗が散った。
「剣術は、気、剣、体の練り合いです。肚で打つ。数馬さんは股下の脚で打っている。それでは戦場で斬られます!」
 やがて数馬は疲労でよろけた。勝壽が駆け寄って休むように勧めたが、首を横に振って竹刀を構え直し、やああッと声を上げて打ち込んだ。三千太郎は容赦なく、その打ちを振り払った。

 秋晴れの涼やかな朝、お重に太巻きや漬物、煮しめをたんまりと詰めて、島屋の裏木戸を出たのは豊、三千太郎、縫之進、勝壽、数馬である。コンモは残念そうに髷を撫でつけながら往来まで出て見送った。
「おれも一緒に行きてえんだが、店を留守にもできんからなあ」
 豊は八重桜の模様が入った被布を纏い、縫之進は尾上菊五郎が流行らせた長合羽、勝壽は相変わらず馬の尻尾のように長い総髪に直垂姿で、三千太郎と数馬のみ地味な羽織袴の装いである。この旅芸人のような一行が海岸通りの旅籠に寄って楓江先生を叩き起こし、紅葉狩りにでも行くようなノリで小糸へ向かった。
「謝儀が高いんだけども、それは勘弁してくれな」と勝壽はあらためて皆の了承を求めた。「なにせ、金にうるさい師匠でね」
 酒壷を傾けて直飲みしていた楓江は、朝から上機嫌である。
「洋式鉄砲の操練といえば徳丸ヶ原で行われたものが有名じゃが、それを上総くんだりで実見できるとは果報なことよ。カツの師匠は高島秋帆の門下か?」
「いや、西洋鉄砲とか、そういったものじゃなくて……」
「ならば、和流砲術かえ」
「まあ、ようするに、ふつーの鉄砲」
「なれど名うての炮術師なのじゃろう。稲富流,西村流,井上流,一火流、流派もいろいろあるからのう。会って教えを乞うのが楽しみじゃ。これからの世は、鉄砲よ」
 すでに酔いが回って足元のおぼつかない楓江の腕を、三千太郎が支えて歩いた。一行は房総丘陵の奥へ奥へと入っていく。
「ししみせ」と書かれた幟が見えてきた。以前来た葦簀張りの茶屋である。
 店にはすでに酒樽が用意され、しし鍋がぐつぐつと煮え立っている。勝壽が払うであろう謝儀を当て込んで勝手に用意されたものに違いない。
 相変わらず汚いつづれを着、股引に脚絆を着けた七右衛門が縁台にどっかり腰掛けて、丼鉢になみなみと注いだ酒を飲んでいる。
 楓江は店内を見回して、しばし目をしばたたかせていたが、やがて七右衛門のことを頭のてっぺんから足先までじろじろと眺めて、睨むように勝壽を見返した。
「まさか、この者が、師匠とか申すのではあるまいな!」
「師匠です」
「はあああ?」
 その場にへたり込みかけた楓江の体を支えながら、数馬が耳元でささやいた。
「貌を以って人を取る、という格言もありますれば、まずはお手並みを拝見致しましょう」
 諭された楓江は、しかし不服そうに唸りながら茶屋の板壁に立てかけられた鉄砲へ目を向けた。
「火縄銃ではないか。今どき、旧式と申しても、せめて、せめて、ゲベール銃ぞ。そもそもおぬしは何流の炮術師なのだ」
 丼鉢の酒を飲み下すと、七右衛門は大きなゲップをした。「何流? そーたもの知んねえ。おれは代々の猟人だ」
 勝壽が不敵な笑みを浮かべて鉄砲を指差した。
「先生、まずは一度、腕前を披露してください」
 のっそりと巨体を揺すって立ち上がった七右衛門に、楓江はきんきんと裏返った声で不平を述べ立てる。
「今や銃といえば滑腔式から施錠式へ、前装式から後装式へ進化しつつあるのだぞ」
「なんの話だ。言ってるごどがさっぱりわがんねえ」と言いながら、七右衛門は店の外へ出て、銃口に火薬と紙片を詰め込み、胴乱からごそごそと六斤玉を取り出した。
「今どき、そのような円弾は時代遅れと申しておるのだ。西洋の最新式の銃ともなれば、銃腔面に螺旋状の溝が刻まれておって、円錐形の鉛弾が回転しながら射出される。これにより弾速が上がり、射程距離が延び、命中度が飛躍的に向上するのである」
 楓江の講釈をよそに、七右衛門は竹の皮を結った縄に火を着けている。
「まだ火縄とは、情けない。種子島から一歩も出ぬではないか。せめてその部分だけでも雷管式であってほしかった」
 銃底を地面に立て、左手に巻いた火縄を火縄挟みに挟み込んでからの七右衛門の動作は早かった。膝台の構えで銃を水平に持つと、銃口を上に向け、右手で火蓋を切り、引金を引く。
 パーン。と耳をつんざく音が山林の奥まで響いた。それと同時に小さな野鳥が一羽、空から落ちてきた。
 皆、ゆらゆらと降ってくる羽毛を茫然と眺めていたが、やがて豊が、
「すごい、一発必中だ」と声を上げた。
 七右衛門は銃を杖にしてのっそりと立ち上がった。
 半ば口を開いたまま上を眺めていた楓江も我に返り、
「こ、この白い煙は、黒色火薬ですかなあ」なとど腰をくねらせながら愛想笑いを浮かべたが、七右衛門はそれに答えず、
「鉄砲にはそれぞれ癖がある。その癖見極めなぐぢゃ当だんねえ」
 と言って耳の穴をほじった。
 いやはや! と高らかに笑った縫之進が目を輝かせて、
「先生、おれにも撃ち方を教えてください」と身を乗り出すと、三千太郎も数馬も七右衛門を取り囲むようにして銃身やカルカを手に取って眺めた。
 パーン。
 パーン。
 静かな山林に銃声が響いた。そのたびに歓声が上がり、はしゃぐような笑い声に包まれる。
 それを聞きながら豊は、持参した重箱を縁台に広げた。しし鍋をかきまわしている茶屋の店主に声をかけた。
「おっちゃんもこっち来て一緒に食べるべ」
「ああ、どうもな。いま茶沸がすからな」と店主が土間へ向かうと、続けて楓江も声をかけた。「わしには酒を」
 パーン。
 パーン。
 豊はゆったりと番茶をすすりながら、銃を取り合ってはしゃぐ三千太郎たちを眺めていた。
「あんなに楽しそうにしているミチタ、ひさしぶりに見た」
 楓江は注がれた酒を一口舐めて、ほほう、と感嘆した。「ここの玉割りの水は、実に美味いのう」
「あたしも、昼間から飲んじゃおうかな」
「おお、飲むがいい。ご主人、猪口を、も一つ」
 楓江は天を仰ぐように首をそらして一飲みした。
「乙女よ」と神妙な面持ちになる。
「そなた、好いてもいない男に嫁がされ、早々に別れたそうじゃな」
「やだ、もうそんなこと知ってるんだ」
「木更津なぞ、たいして広い町でもないさ。うわさ話がすぐ耳に届く」
「嫌だねえ、肩身が狭いよ」
「三千太郎は」と声を落として、楓江は手酌で注いだ酒をすすった。
「最愛の女を、一夜にして亡くしたと聞く。しかもその腹には、まだ見ぬ我が子が宿されていたと」
 パーン。
 三千太郎が撃った銃の火皿から白い硝煙が上がった。弾道を確かめるように身を乗り出し、山林の奥へ目を凝らしている。
 今度は数馬が銃を手に取った。銃口をのぞき込みながら咳き込んでいる。
 楓江は遠い目をして、「あの労咳は、かなり進行しておる。長くはあるまいよ」と声をひそめた。
 豊は猪口を傾けつつ、黙って皆を見つめていた。
 パーン。
 さすがに若い彼らは飲み込みが早く、射撃手順は習得したようであり、次弾の装填をいかに早く済ますかを競い始めている。
 早撃ちの手際を教える七右衛門も熱が入り、ときどき茶屋に戻って丼鉢の酒を飲み干すと、また皆のところへのしのしと駆け戻るのだった。そんな七右衛門は暑くもないのに汗をだらだらかいているから、縫之進が藍染の手拭いを細くたたんで鉢巻きにするよう差し出した。シミ一つない木綿布を手にした七右衛門は躊躇したが、縫之進に勧められるがまま頭に巻き付けた。
「七先生ェ、鉢巻きをすると、キリッとするねえ。ああ、実にいい男だよ」
「からがうな」と仏頂面であるが、少しだけ口元がほころんでいる。
 圧倒的に手先が器用なのは縫之進であった。火薬と弾丸を詰めた木筒(早合)を銃口に入れると、銃床で地面を叩き、素早く銃身を水平に構える。
 パーン。
 パーン。
「そろそろおれにも撃たせてくれ」勝壽がしびれを切らせて声を上げた。
 そんなやり取りを遠目に見ながら、豊はくすくすと笑った。そしてゆっくり味わうように猪口を傾けると、「はあ」と深いため息をもらした。
「ずっとこんなふうに、安穏としていたいものだねえ」
「乙女よ、そなたはまさしく今が旬。人生これからではないか」
「人生かあ。ふーこー先生、人生って何なの」
「ああ、それをわしに聞いてはならぬ。その問いは禁じ手ぞ」
「へえ、意外。先生って、そんなことばっかり考えていると思ってた」
「人生というものは、考えるものではない」
「そうなんだ。あたしは考えちゃうなぁ。悲しいことがあるたびに考えちゃうよ。なをは若くして逝っちゃって、残されたミチタは眠れないほど苦しんでいる。数馬さんはあんなにやる気があるのに持病に苦しめられてて……。神様とか、仏様とか、なんでそんないじわるをするのかねえ。人間なんて、哀れなものだよねえ」
 豊が徳利の底に残っていた酒を注いでくると、楓江は猪口を傾けて一息に飲み干した。
「それでも人は、生きてゆく」
 パーン。
 パーン。
 秋晴れの空の下、赤や黄に色づいた山林の奥まで、銃を撃つ音が響き渡った。

第五章  神徳元年

 西小笹村(現、匝瑳市)の地蔵院は、大河内家の祖先伊藤河内守為安の白い愛馬を祀ったと伝わる仏堂である。ここに、不二心流初代中村一心斎の供養碑が建てられたのは、慶応二年も暮れかけた清秋のころであった。同種の碑はすでに木更津の成就寺にもあったから、今後も大河内家が正系を継いでいくと宣言したようなものである。この碑の建立を祝して大河内本家で盛大な酒宴が催され、房総各地の高弟たちが一堂に会した。島屋門と袂を分かつことになった伊藤実心斎もこの日ばかりは一族の席に連なり、石面に門弟の一人として自身の名を刻字するつもりであった。
 そこへ、遅れてきた正道が、常盤之助と斎藤常次郎を帯同して現れ、
「皆々、ご覧あれ!」
 一同を見回しながら、旗とおぼしき大布を広げた。そこには、
「義勇隊」
 という三文字が、闊達な筆で大きく書かれていた。
「天下はまさに、危急存亡の秋です」正道の声が境内に響いた。
「中村一心斎先生の御遺志を継ぎ、治国安民の志をもって剣士隊相建て、万死を以て佐幕の宿志相貫き、徳川家御急務の御用は申すに及ばず、率先して御馬脇を守護奉らん。国事日に急なれば、節義を守り、実戦の訓練に相励み、天領の鎮めをして、重きを房総半島になさしめん」
 と、義勇隊の結成を宣言したのであった。
 さらに正道は、結成の盟約書を神文として、一族と門弟に血判を求めた。
 が、長州征伐における幕府軍の敗北はすでに周知のものとなっており、天下の形勢は依然混沌としている。いま幕府に肩入れすることが賢明な判断なのかどうか、多くの者は決めかねていた。まずは範を示すように縫殿三郎が筆をとり、脇差の切尖に小指を当てて血判してみせた。幸左衛門、孫左衛門、八剱勝秀、総三郎がこれに続き、席次からして次に名を連ねるのは藤城吉高である。
 しかし、一心斎の高弟で、二世縫殿三郎の弟弟子でもある吉高は、以前から正道の慷慨にかられた政治活動に懐疑的であり、流派を挙げての佐幕派宣言は時機早々として連名血判を辞退した。宮川(横芝光町)熊野神社の祠官で、領主内藤因幡守の撃剣指南役でもある吉高は、九十九里浜の海防政策にも深く携わっており、時事に精通している。この不安定な政情下で親幕の旗色を鮮明にすれば、
「火中の栗を拾うことになりはせぬか」
 と、しごく真っ当な疑問符を呈した。さらに、前々から抱きつつあった疑念をこぼさずにもおれなかった。
「近頃とみに、大河内家が不二心流を私物化しておるように思われるのだが、如何なものですかな、宗家」
 縫殿三郎は、初代の面影を偲ぶように自らも顎髭を長く伸ばしている。これをゆっくり胸の上で撫でつけながら、好々爺のごとき面持ちで断言した。
「精一杯世の中のために働くことこそ、一心斎先生のご遺志を継ぐことになると信じておる。それ以外に他意なぞあるわけもない」
「うむ」と吉高はうなずいた。
「我が藤城家は代々神官であるから、佐幕の情も浅からぬが、敬神尊王の真心を軽んずることもできぬ。天朝の宸襟を安んじ奉るべしと願う気持ちも抑え難ければ、正道、わしは義勇隊の件、聞かなかったことにする。さらにはこれを機に、二世の門流と決別し、新たに一流を立てたいと存ずる」
 この言を受けて、縫殿三郎の高弟である三沢勘右衛門も、
「わしも血盟は辞退する。〈後の先〉を要諦とする我が剣法をもって、軍を起こすなど理にかなわぬ。かような逸脱をゆるす宗家とは一線を画して苦しからず」
 と、離脱の意志を表明した。
 藤城派も、三沢派も、一心斎供養碑に一礼すると、それぞれの門弟を引き連れて地蔵院から出て行ってしまった。
 その彼らの背中に向かって、常盤之助が声を大にして叫んだ。
「よくもまあ、百難一時にふりかかる動乱の時代に、流派だの何だのと流暢なことを言っておられるものだ。しょせん一郷のことしか知らない井の中の蛙じゃないか! ここで使わずして、なんの武技か! ここで捨てずして、なんの命か!」
 これを聞いて、何人かが足を止めた。
 そのうちの一人が踵を返すと、真っ直ぐに常盤之助の前にやって来て胸ぐらを掴んだ。藤城吉高の跡継、吉隆だ。
「ずいぶんな物言いだな、常盤。壮士気取りもたいがいにしろ」
「長賊と薩摩の芋どもは、三百年来政事を知らぬ朝廷を担ぎ出し、日本六十余州を我がものとする腹積もりです。そのようなときに、指をくわえて見ているだけですか。我らは将軍の御膝下で先祖代々暮らしてきたのです。今こそ、その御恩に報いるときではありませんか」
「我ら藤城家は、嘉永年間より九十九里の海岸防備に携わり、内藤因幡守様から扶持さえ受けておる。耳学問で政事をかじった程度の若造が、義憤にかられて差し出がましいことを言うな」
「一発でも、大砲を撃つような事態を経験したのですか」
「なんだと」
「海岸防備といったって、ただ海を眺めているのであれば、耳学問と変わりませんよ」
「愚弄するか!」吉隆の手が刀の柄にかけられた。
「そこまでッ」と割って入ったのは実心斎である。
「決起したい者はすればよい。術理を極めたい者は極めるまで。一心斎先生の遺徳を偲ぶ者として、それぞれの道を行けばいい」
 鯉口を切りかけた吉隆であったが、常盤之助のことを睨みつけたまま、大きく一度、肩で息をした。
「もう行け」実心斎が叱るように言った。
 藤城派も、三沢派も、しばし宗家の人々を睨み据えていたが、やおら踵を返して去ってしまった。
 実心斎も菅笠を被り、顎にかけた紐を結んだ。
「あかじゅう、名を刻みに来たのであろう」
 総三郎が刻字ノミを差し出したが、それをすげなく振り払い、
「やめておく。興ざめしたわ」
 竹刀の先に風呂敷包みを引っかけて、ふらりと歩き出した。
 常盤之助のこめかみに青い筋が浮き上がった。
「藤城や三沢の離反は惜しむに足りませんが、実心さんは血族でしょう! 我らが決死の思いで立ち上がろうとしているのに、なぜ同心してくれないんですか。腰間に剣を帯びながら、天下を憂う心もなければ、組太刀しか知らぬ太平楽な剣士で終わりますよ!」
 振り返った実心斎は、ふっと鼻で笑い、いきなり常盤之助の股を蹴り上げた。
「どうした常盤、急所ががら空きだぞ。これが実戦であれば、金玉を田楽刺しに貫かれておるわい」
 地べたにうずくまった常盤之助を一瞥して、呵々と笑った。
「やめんか!」温厚な縫殿三郎がめずらしく声を上げた。「ここは我が一族の浄域ぞ」
 身悶える常盤之助に常次郎が駆け寄って、かがみ込んだ。
「ひどいことをするものだ。常盤之助殿が何ぞ間違ったことを申したか」
 実心斎は肩に竹刀をかけたまま眉をひそめた。
「おまえはどこのものだ」
「西小姓組斎藤久右衛門利義が嫡子、常次郎じゃ」
「剣は」
「直心影流」
「ならば他流のことに口を出すな。我が流派は考え方が複雑なのだ」
 実心斎はあらためて縫殿三郎の方へ向き直り、容儀を正して深く頭を下げた。我ながら大人げなかったと思ったのかもしれないが、どこか吹っ切れた様子でもあり、日ごろ嗜む謡を、実にいい声でうなりながら歩き出した。
「散り散りになる一葉の、舟に浮き波に臥して、夢にだにも帰らず……」
 空も刈小田も静まりかえった秋の午後、足駄が落ち葉を踏む音が遠退いていった。
「これで良かったんだ」と沈黙を破ったのは、本納村(茂原市)農具鍛冶職人、平右衛門であった。本家道場の師範代である。
「あの者らが去って、門統が正されたではないか。おれらは一枚岩となって生死を共にすべえ」
 ウムとうなずいた孫左衛門が、日の丸の鉄扇を開いた。
「平右衛門、よくぞ言った。これからは我らで正道を支え、房総各地の有為の者を糾合し、義勇隊を盛り上げてゆこうではないか」
 これを受けて正道は深くうなずくと、一心斎供養碑を取り囲む大河内島屋門の高弟たちに向かい、
「我ら、今日この時より、義の一字を掲げて二心を抱くことなく、身命を賭して徳川幕府に忠誠を誓う。
金打!」と叫んだ。
 その場にいる全員が、己の佩刀の鍔元をカチンと鳴らし、互いに申し合わせたわけでもなかったが、拳を振り上げた正道の「えい、えい」という掛け声に合わせて、
「おお!」
 と気勢を上げた。

 不穏な暗雲が迫りつつある。
 歳末二十三日、時の帝、孝明天皇が崩御された。
 振り返ってみればこの一年、貿易の混乱、市場の品薄、幕府の貨幣悪鋳などによって引き起こされた物価高騰はとどまることを知らず、各地で一揆や打ちこわしが頻発した。幕府と諸藩の連合軍は長州一藩にあっけなく敗れ、十四代将軍家茂は陣中で病没。この上、天皇の崩御である。不吉という他ない。
 ペリー来航当時、墨夷(アメリカ人)が日本語をまったく解せず、漢字すら読めず、百舌のさえずりにも似た異様な言語しか話せないとの報告を受けた孝明天皇は、愕然としたという。しかも彼らは生娘の血をすすり、その肉を切り刻んで食べている(赤ワインを飲みながらナイフとフォークで肉を食すという習慣が誤って伝わった)というのだから、震え上がったのも無理はない。以来外国人を毛嫌いすること甚だしく、これが尊王派志士たちの攘夷熱を煽る結果となり、幕府との対立を激化させた。しかし、その大御心に政治的な野心など微塵もなく、どちらかといえば徳川幕府に好意的なぐらいであった。殊に都を守護している会津中将(会津藩主、松平容保)を誰よりも信頼していた。かえって勤王を標榜する薩長に対して不信感をつのらせている節もあったから、突然の崩御について、革命寄りの過激派公卿の手による毒殺説までささやかれたほどである。
 このような世情騒然たる時こそ、荷元を買占め、相場を競り上げ、投機的な利を得ようと奔走する商人もいる。五月に打ち壊された木更津の米商などもその類であったろう。が、開けて慶応三年正月、天皇死去の触書が布達されると、さすがに露骨な山っ気をみせる商人はなりを潜め、むしろこの深刻な社会不安がおさまるまで、連帯や相互扶助によって身の安全をはかりたいと願うような風潮が、商家の間に広まりつつあった。
 そんなときである。横田村河内屋の川名里鹿から、西上総地域の豪商豪農の当主に向けて、話し合いの場を設けたいとの呼びかけがあった。人々はそれを聞いてすぐ、総三郎のオヤジが日夜奔走しているあの件だと察した。いつの間にか川名里鹿の名が前面に出てきている理由こそ知れないが、かつて大奥の老女に仕えたあの川名さんが乗り出してきたというだけで、なんとなくお上の後ろ盾を得たような安心感を抱けるから不思議なものである。しかも、川名里鹿といえば音に聞く美女だから、一癖も二癖もある旦那衆が年始早々からいそいそと、会場に指定された「至徳堂」に顔をそろえたのであった。
 至徳堂は巖根村(木更津市) 高柳の茶臼塚に学舎が建っている。この塚はかつての前方後円墳であり、明治末年の鉄道敷設によって前方部が削り取られ,太平洋戦争中に高射砲指令所が設置され後円部も大きくえぐられてしまったが、今でもわずかに古墳の面影をとどめる草深い丘となって、JR内房線の車窓から眺めることができる。
 集まった旦那衆の多くは銀杏髷に防寒用の頬かむりをし、歌舞伎役者が着るような派手な長合羽を羽織っている。商売繁盛の意味をもつ瓢箪の小紋柄をあしらったものも多い。「今年もよろしくお引き立て願います」などと新年の挨拶を交わしつつ、めいめい講堂の好きなところに座布団を敷いたが、上座を見据える位置に座を取ったのは藍屋作左衛門であった。この人ばかりは一筋縄ではいかぬだろうと誰もが思っている。
 やがて座敷が旦那衆で埋め尽くされると、川名里鹿を筆頭に、総三郎、三河屋喜平次、長須賀屋卯八が続いて入室し、皆と向き合う格好で上座に腰を下ろした。里鹿のちょうど正面に、作左衛門がいる。いつの間にかざわついた堂内が、しんと静まり返っていた。
「この度は、わたくしの呼びかけに応じて下さり、改めて謝意を申し上げます」
 里鹿が深く身をかがめて座礼すると、作左衛門を除く全員が頭を下げた。
 三河屋喜平次は真っ直ぐな性格だから、黙っておれない。
「藍屋さん、なぜ頭を下げない。失礼ではないか」
「初めに断っておきますが、わたしが今日こちらに参ったのは、わたしも皆さんの商売仲間として、このような会合を他人事なぞとはゆめゆめ思うてはおらぬと示したかったからです」
 と、作左衛門は手を膝にして微笑んでみせた。
「しかし、わたしは以前にもあなた方に申しましたように、商人が徒党を組み、商いについて論じること自体に懐疑的なのですよ。このようなことを申したら、定めし皆さんのお怒りを買うでしょうが、不況に耐えられないような商家は潰れてゆくのが道理であり、日雇い者は最低の賃金に甘んじるべきだと思うております。それが嫌なら浮浪人になればよい。わたしの経験から申せば、放っておけば商品の相場や賃金は時価に定まる」
 そう断言した後、体を傾けて背後にいる旦那衆をゆっくりと見回した。
「皆さんにしても、ここへ来たのは一身の安全を願う利己心からでしょう。いやいや、それが間違ったことだと申しておるのではありませんよ。この方たちはね、その利己心を捨てよと、そういう取り決めをするために我々を招集したのです。いわば、これまでお上が性懲りもなくやってきたことを繰り返そうとしておるわけだ。皆さん、よく考えてごらんなさい。御公儀の改革なぞ、一度でも上手くいったためしがありますか。われわれが価格や利息の取り立てに手心を加えると、とたんに財の通用は停滞する。これまでにも、嫌というほどそんな顛末を見てきたでしょう」
 その場にいた誰もが、隣の顔色をうかがい、にわかに講堂がざわついた。
「お言葉を返すようですが」と里鹿が言った。
「私どもがご提案させていただきたいのは、御公儀の改革のようなものではございません」
「では、なんですかな」
「皆さんと力を合わせて困窮した民を救済したいのです」
「これまでにも幾度と、高騰した米価を下げるために幕府がただも同然の値で備蓄米を売りに出したでしょう。それで問題が解決されましたか。民にいくらお救い米をくばったところで、効果はほんの一時、しかも我らには何の利益もない。川名さん、この極端に不安定なる時代に、他人の世話などしておる場合ですか。やりたければお宅の広大な田畑を売り払って、貧民に分け与えればよい。そういう事でしょう」
 たちまち総三郎の顔が真っ赤になった。「それはちがう」
「なにがちがうのです」
「ちがう! ちがう!」
 口角泡を飛ばして総三郎が怒鳴り出すと、野次が飛び交い、興奮して立ち上がる者もあり、騒然となった。
 そこへ、
「遅れました」
 と重城保が入って来た。
 皆が振り返ると、やや間をあけて嶺田楓江も現れた。片手に酒瓶を持っているあたり、昼間から飲んでいる。
「重城生よ、そう怒るな。なんすれぞその生を労するや、ゆえに終日酔うておるのだ」
「前からお願いしていたではありませんか。今日は至徳堂の会合に出ていただくと」
「だからこうして来たではないか。
おお?」と楓江は目を輝かせて里鹿の姿を眺めた。
「氷肌玉骨とはこのことか。そなた、名を何と申す」
「楓江先生、お初にお目にかかります。横田村の川名里鹿です」
「なんとまあ、解語之花とはこのことか。ん、カワナリカ? もしや林忠英公に推されて大奥に出仕したという、あの娘御か!」
 楓江は片手を振って扇子を開き、それをバタバタさせながら旦那衆に向かって、「ここにおわす方をどなたと心得る、将軍付上臈御年寄、筆頭老女万里小路局にお仕えなされた上級御女中であらせられるぞ、頭が高い、控えおろう!」と、台詞回しのような調子で声を張り上げた。酔っている。
 重城は上座の端に腰を下ろすと、皆と向き合い、あらためて居住まいを正した。
「本日は、我が至徳堂が誇る顕学、嶺田楓江先生の御意見を伺いたいと存じ、お連れ致しました」
 楓江は里鹿の傍らにしなしなと座り、横顔をうっとりと眺めながら、これまでの経緯を長須賀屋卯八から説明された。茶請けの菓子を口に放り込み、茶を干すと、そこに手酌で酒を注ぎながら、
「藍屋作左衛門殿の言は、誠にもって正しいと言わざるを得ぬ」とうなずいて、冷や酒をすすった。
「財の通用に関しては、なるほど作為を用いない方がよろしい。しかれども、墨夷艦隊来航以来、元和偃武より打ち続く泰平は一夜にして崩れ去り、物価騰貴、民塗炭に墜つ。その民情を尋酌し、遠慮善謀するのであれば、里鹿殿らの申す通り、私欲を制し、人の人たる道を歩むべきであろう。速やかに米倉を開いて万人の辛苦を除かねば、信を失う」
 これを受けた作左衛門は憮然として扇子を膝に突き立て、やや声を荒げた。「先生のような学者に、商売の何がわかるというのだ」
「その通り」とうなずいて、楓江はぐびりと一杯干した。
「小人はもとより君子の行いを踏むことなぞできぬものであるが、作左衛門殿、そなたは間違っても小人ではなかろう。木更津の藍屋と申せば文人墨客で知らぬ者はおらぬ。どれほど多くの文化人がそなたの家に草鞋を脱ぎ、世話になったことであろう。そなた自身、幼にして学を好み、和歌、蹴鞠、茶事に長け、財をもって驕らず、堅実な商いをしてきたと評判の御仁。なれど、長らく続く不況のために、眼前の損益得失にばかりに心を奪われておるようだ。ここに居られるお歴々もご同様。そなたらは飽食暖衣な暮らしを送り、玉堂に起臥しておるから、民に飢渇が迫りつつあるのを忘れておるのだ。そう。忘れておるだけなのだ。人の人たる道は、他人が禍を受けた時はこれを憐み助けるものであろう。一刻も早く救恤米を供出し、必要な者には無利息で金を貸し、困窮した人々の生活を安らかにされよ。さすれば至誠は天に通ずる。そなたらの行いが、積善となり、陰徳となり、めぐりめぐって子孫の代にまで及ぶ幸福となりましょうぞ」
 楓江が茶碗を傾けて酒を飲み込む音以外、なにも聞こえないほど堂内が静まり返った。
「それ以前に」と言って、楓江は小さなゲップをした。
「こんなに美しい女人が頭を下げておるのだから、心魂を砕き身を粉にせねば、男が廃るというものよ。のう!」と周囲を見回して笑い出したから、一座も大きな笑いに包まれた。
 しばし憮然としていた作左衛門も、やがてつられて笑い出し、扇子で軽く肩の辺りを叩いた。
「あにはからんや、先生の金言に負けましたよ。よろしい、仁慈の心を発奮し、民百姓を安んずる道に努めましょう」
「ああ、賢なるかな」楓江が膝を打つと、拍手喝采が起こった。
 里鹿が立ち上がって作左衛門の手を取ると、総三郎は深く首肯して感涙をもよおした。
 
 社会活動を始めるにあたって、総州の商人や名主が何よりも懸念するのは、大原幽学の轍を踏むことであった。
 大原幽学は、干潟八万石にある長部村(旭市)を拠点に、天保年間から農村復興事業に奔走した農民指導者で、農業協同組合の前身ともいえる先祖株組合を結成するなど、確かな改革の実を上げている。幽学の農政学は広く伝播し、各地の民が地域の枠を越えて活発に交流するようになったが、これを怪しんだ幕府は彼の活動を弾圧し、押込百日、学習会の禁止、先祖株組合の解散を申し渡した。改革農村は再び荒廃し、それを嘆いた幽学が六十二歳で自殺したのは安政五年のことである。まだ人々の記憶に新しい。
 したたかに酔いしれて上機嫌だった楓江が、飲む手を止めて、キッと目を据えたのは、この幽学の話題を持ち出したときである。
「お歴々よ、里鹿殿らの提唱する活動を開始するにあたって、まず念頭に置くべきは大原幽学翁のこと。よほどの覚悟を決めてかからにゃあなりませんぞ」
 しばし堂内がざわついたが、それを打ち破るように常代村(君津市)の豪農高間伝兵衛が挙手した。代々伝兵衛の名を襲名しているこの家は、八代将軍吉宗公の時代には米方役に任命され、現在は武州川越藩松平家の御用高として仕えているという名家である。家業柄、政事をよく知っている。
「あたしら周淮郡内の村々でね、ちょうど伊勢講を結成したばかりなんですよ。先帝崩御ということで、今年あたりお陰参りが流行るとみましてねえ。西国の情報収集と村人の娯楽を兼ねるつもりだったんですが、どうです、皆さんこの講中に参加しませんか。神の功徳、神の威徳にあやかりたいと〈神徳講〉なぞとたいそうな名を付けたんですが、御利益のありそうな響きでございましょう。皆さんがこの講の講員となれば、集会や連絡、資金のやり取りなど、御公儀に怪しまれることなくやれますよ。いわば講中を、隠れ蓑にするという寸法です」
 なるほど、と皆が膝を打った。伊勢神宮をお参りするために人々が行政区画の範囲を越えて信仰グループを結成することは、江戸期を通じてめずらしくなく、こればかりはお上も黙認していたのである。
 長須賀屋卯八が里鹿の方に顔を向けて、
「ならば我らのこの集まりを、神徳講と致しましょうか」と伺いを立てると、里鹿はにっこり微笑んで、
「意義ありません」と答えた。
 神徳講の結成趣意は、定期的な会合、情報の共有、相互扶助、窮民の救済、米価と賃金相場の安定、これに加えて先日結成された義勇隊の活動支援などである。
「皆さん、くれぐれも」と卯八が声を大にした。
「神徳講のことは口外無用、講中に関することは日記にも手紙にも書かないよう願います。これはいわば隠し念仏のようなもの、秘密の結社であることをお忘れなく」
 秘密を共有することで結束が強まるという心理を、彼らは経験的に知っている。
 会合の締めくくりに一言求められた里鹿が、思いもかけない提案をした。
「先年は総州一帯で打ちこわしが起こり、西国の戦にも敗れ、あまつさえ公方様逝去の悲しみが癒えぬ間に、天子様も崩御なされました。依然国内の情勢は不穏ですし、人心も動揺しております。この際、どうでしょう、わたくしたちの行く末に幸多きことを願って、新たに迎えた慶応三年を、この講中でのみ、〈神徳元年〉と致しませんか」
 これを聞いた楓江は、意表を突かれた様子で天井を見上げ、
「私年号ですか…」と顎をさすった。
 三河屋喜平次はポンッと膝を打ち、
「賛成だ。今こそ心機一転、皆で心を一にして、世上を立て直すときであろう」
 拍手喝采が湧き起こった。熱気が堂内に満ちたのを肌で感じた総三郎は、ゆっくりと腰を上げた。「皆々、ご起立を」
 一月の冷え込みにもかかわらず、旦那衆の両頬が紅潮している。低迷した景気と暗い世相に翻弄されていた彼らの顔に、ひさしぶりの活気が戻ったようであった。普段から声の大きい長須賀屋卯八が推されて、「さあ、さあ、お手を拝借」両手をかっきり開いて音頭をとった。
「神徳元年を祝してッ、いよーお」
 パンッ!
 そのすがすがしい一丁締めの音は、冷たい空気を突き抜けて、茶臼塚の向こうまで響いた。

 ここで話は、わき道にそれる。日本からフランスまでそれてゆく。
 慶応三年、遠く欧州でパリ万国博覧会が開催された。フランス公使レオン・ロッシュの働きかけで、日本は初めて国際博覧会へ参加することになった。時の日本国政府は「徳川幕府」であるから、十五代将軍に就任した慶喜の実弟昭武が訪欧使節団を率いて渡仏する。この時期すでに日本産製品は先進各国で認知されており、高い評価を得てもいたから、世界のひのき舞台で徳川政府の存在感を誇示するには絶好の機会であった。
 が、幕府に同道した薩摩藩が、あたかも独立国のごとく「薩摩琉球国」などと名乗って独自に出品を始めたから、使節一行は驚愕した。実のところ薩摩は、万博開催以前から五代友厚ら藩士を欧州へ密航させ、現地で周到な準備をしていたのである。五稜星に島津家の家紋をあしらった「薩摩琉球国勲章」を皇帝ナポレオン三世や勲章好きの各国高官に贈って大好評を博している。慌てた徳川使節団はアジア担当委員に抗議を申し出たが、遅きに失した。日本という国には徳川の〈大君政府〉と薩摩の〈太守政府〉とが共存し、必ずしも徳川幕府が唯一の政府なのではないという印象を列国に与えてしまったのである。これにより国際社会における幕府の信用は低落し、小栗忠順が進めていたフランスからの六百万ドルの借款も中止になってしまうなど、外交において薩摩に手痛い敗北を喫したのであった。

 神徳講結成以来、救恤米の大量供出、職人の手間賃や日雇いの賃金交渉などが行われ、不二心流島屋門が標榜する治国安民の実践的な活動が本格化していたが、幕府の直轄領では今なお四公六民の原則を破って年貢の増収をはかっているところも少なくない。幕末の代官統治は腐敗の極みに達しており、重税に耐えかねて夜逃げする者も後を絶たなかった。
「これら天領の田捨て百姓を周旋し、隊士の増員をはかりたいと思う」
 正道は、相変わらず人に長たる威厳を醸しつつ、八劔八幡神社の道場に屯集している義勇隊幹部の面々を見回した。
 この場に、常盤之助と斎藤常次郎はいない。福田八郎右衛門ら幕府陸軍将校との連絡役を務めるため、江戸へ向かった。
 義勇隊の隊長には、筆頭発起人である正道が就いた。西小笹村の縫殿三郎は高齢を理由に表立った役付になるのを辞退し、「頭取」に幸左衛門、孫左衛門、八劔勝秀、友野七左衛門が推され、「船手組」に地曳新一郎、総三郎は神徳講の活動と兼務して「参謀」を勤める。中隊長クラスの隊士として八剱勝壽、「平さん」こと農具鍛冶職人の平右衛門などがいた。三千太郎はこの頃、諏訪数馬に稽古を付けるために請西藩の道場へ通っていて、正道の勧誘に応じていない。コンモと縫之進は平素と変わらず本業に勤しんでいる。
 袖に片手を突っ込んで二の腕をかいていた新一郎が、
 「いっそのこと、博徒も隊に引き入れたらどうだい」と奇抜なことを言い出した。
「ごぜき(五大力船)の客もよ、近ごろじゃ、見るからに身持ちの悪そうなやつらが増えてんだ。大方、江戸で食い詰めた無職渡世だと思うぜ」
 田捨て百姓に無職渡世、これら無宿者の受け皿となっているのが各地の博奕打場である。無頼と化した連中が博徒の仲間に入り、あちこちで物騒な揉め事を起こしている。これら遊侠の徒を取り締まるために設置されたのが関東取締出役なのであるが、幕末に至って治安の悪化に拍車がかかり、もはや出先機関の取締りぐらいでは統制できなくなっている。
 正道は、道場の武者窓から漏れる日差しを眺めてしばし目を細めると、おもむろに向き直った。
「無宿者を隊士に加えて、逆に治安の維持に当たらせれば、一石二鳥になるな」
「まてまて」と異議を唱えたのは友野七左衛門である。
 「その連中を養う金穀はどこにあるのだ。幕府の傘下にあるでもなし、神徳講からの援助だけでは賄えんだろう」
 と、義勇隊が幕府の正式部隊として採用されなかった経緯を踏まえて、ちくりと含みのある釘を刺した。
 しかし正道は、水のように冷静な表情を崩さない。
「治安維持の権限は村役人にゆだねられています。が、昨今の治安の悪化は、とうてい村の自警団の手に負えるようなものではなくなっている。ですから、我々がこれを代行するかわりに、隊士らの衣食は村方負担とすればよい。その他の費用に関しては、内々幕府陸軍所との繋がりがあるので、いくらかは都合してもらえます」
 正道は確信をもって「その時」を待っている。小栗忠順が提唱する「中央集権郡県制」の実現に幕府が乗り出す、その時を。時至らば天領も旗本領も寺社領もなくなり、藩さえもなくなり、房州も総州も一個の行政区画となるわけで、腐敗した代官らはお役御免、一夜にして一掃されるだろう。さらには、幼冲の天子を奉じる薩長賊を打ち倒し、日本に新生徳川大君政府を樹立するのだ。小栗上野介忠順、福田八郎右衛門道直、幕府陸軍の士官たち、そして我が義勇隊がその先鋒となれば、天下の計はすでに成ったも同然と、正道の確信はいやがうえにも高まっている。
 が、隊士の増員で出鼻をくじかれた。
 衣食を目当てに入隊を希望する無宿者は多かったが、不思議なことに、博徒はほとんど募兵に応じなかったのである。兵隊は血の気が多い方がものになるから、博奕打あたりが手ごろな人材となるはずであったのだ。
 探りを入れてみると、房総の賭場の総本山は鹿野山で、ここに山博奕を取り仕切る侠客がいるらしかった。その男が、義勇隊の呼びかけに応じれば幕府の犬に成り下がるだけだ、と子分を焚きつけているという。「湊の勘八」の名で知られ、元は幕府陸軍の歩卒であったらしい。文久年間に旗本知行地に発布された歩兵差し出し命令によって徴集された百姓で、素行の悪さで解雇されたというから札付きである。そうとう狂暴な悪漢とみえて、郷里に戻って来るやたちまち博徒の頭にまで上り詰めた。正道が陸軍所に問い合わせたところ、本名は染谷勘八郎、天羽郡湊村(富津市)の出であるという。
 幕府嫌いの侠客ならば、尊皇派か、と正道は危惧した。義勇隊の活動範囲に尊皇派の博徒集団がいるとしたら、少なく見積もっても一大隊は下らない敵と隣り合わせということになる。これを放置しておけば、天保水滸伝のごとき争いになりかねない。ちなみに「天保水滸伝」という講談は、天保年間、利根川下流の笹川河岸で実際に起きた侠客の抗争を元に書かれたもので、まだ総州の人々の記憶に新しい刃物沙汰であった。関東人の血の気の多さはこの講談が語るごとくであり、新撰組の近藤勇なども郷里への手紙に「兵は東国に限り候」と書いているほどだ。仲間に加えれば大きな戦力となろうが、敵にすれば血を見ることになるだろう。
 湊の勘八が尊王なのか、佐幕なのか、まずはそれを確認するのが義勇隊の急務となった。

 隊長の正道自身が、その足で鹿野山へ出向いたのは、この男の仁義でろう。相手をいたずらに刺激せぬよう、供は平右衛門一人だけである。
 賭場は噂にたがわぬ盛況ぶりで、「丁方ないか、ないか」と中盆の威勢のいい声が響き、畳を三間つないだ盆台の両側に男たちが身を乗り出すように座している。それを取り囲む見物人も含めれば、文字通り山のような人だかりができていた。
 身なりの小奇麗な正道のことを上客の若旦那とでも思ったか、勘八の子分は見物人を掻き分けて盆台の前へ案内した。出世鯉の描かれた三曲屏風の内側には、裕福な旦那衆ばかりでなく、現金欲しさに目を血走らせている無宿者ふぜいも多くいる。
「ここらでは見ないお顔ですなあ」
 中盆役の男が親し気に話しかけてきた。太いロウソクの炎が背後の影を揺らしている。
「あんたの方こそ、おれの顔を知らないとはもぐりだな」
 と正道が戯れに答えると、傍らの平右衛門がぷっと噴き出した。
 不審そうに視線を上下させている中盆に向かって平右衛門が、
「島屋の正道さんだよ、知らねえか」
 啖呵を切ると、とたんに一座がざわついた。
「おっと、あんたが音に聞こえた木更津の大河内様ですかい。これは失礼いたしやした。あっしはこの敷を取り仕切る、保木多助と申しやす」かっきりと頭を下げた。「で、今宵は丁半打ちに来たんですかい?」
「貸元の、染谷勘八郎殿に会いたい」
「客として来たんでなけりゃあ、帰っておくんな。営業妨害ですぜ」
 多助はうそぶいたが、正道は盆台のコマ札を片手で勢いよく払いのけ、
「こちらもそれなりの覚悟で来たのだ。今すぐ取り次いでもらおう」とすごんだ。
 勘八の子分がわらわらと二人を取り囲んだが、平右衛門は茣蓙のわら屑を拾って歯をせせりつつ、
「早く呼んでこいや、ぼんくら」と啖呵を切った。
 この場での「ぼんくら」ほど相手を小馬鹿にした言葉はない。博奕の進行役である「中盆」は、暗算ができなければ務まらず、よほどの利口者にしか務まらない。これを由来として、頭の回転のにぶい者を「盆に暗い」と蔑み、略してぼんくらと呼ぶのである。中盆に向かってぼんくらとは、侮辱にもほどある。子分どもが激昂して脇差を抜き払った。
「やめんか!」と多助が制したのは、相手もまた島屋門という一大勢力だからである。子分の一人に何やら耳打ちしてアゴをしゃくり、「しばしお待ちを」などと涼しい顔をしてみせる。
 やがて姿をみせた染谷勘八郎は、意外にも、歳は正道と変わらぬほどであり、目のつり上がった細面、こめかみに浮き上がる青い癇筋がこの男の荒い気性を感じさせる。化け猫の絵柄をあしらった派手な小袖を着、一寸八尺を越える長脇差を落し差しにしている様は、なかなかの貫禄であった。
「おう、幕府の犬のツラを、化け猫が拝みに来たぜ」と、細面には太すぎる真鍮製のキセルをくわえて煙を吐いた。派手な女郎を左右にはべらかせているあたり、賭場ばかりでなく、娼家からも上まえを取り立てているのだろう。
 そんな染谷を一瞥して、正道はふっと苦笑する。
「大尽風を吹かせているな。で、単刀直入に聞く。あんたは尊王か、佐幕か」
「は? そうたもんどうでもいい。おれは、おれ様よ」
 平右衛門は口にくわえていたわら屑をぷっと噴き出してゲラゲラ笑った。
「おれ様か、そいつはいいや。で、そのぶっといキセルは、団十郎の魚屋団七でも気取ってるのかえ」
「おう、これか」と吸い口の方を持って振り上げると、にやついた表情のまま、傍らの子分の脳天を雁首で思い切り打ち据えた。不意打ちをくらった子分は足元をふらつかせ、その場に崩れた。
「おれが歌舞伎だの粋なんぞにうつつをぬかす男だと思うか。これは喧嘩キセルよ。使い方は、いま見たとおりだ」
 染谷がキセルを振り上げたその瞬間、正道と平右衛門は片膝を立て、刀の鯉口を切っていた。正道が問う。
「あんた、武芸の心得は」
「そーたもんねえよ」
「ならば、その腰に差した脇差をどう使う」
「これか……」と鞘を払い、地鉄に映る自分の顔を眺めた。「ただ肉を斬り、骨を断つのみ」
 すーっと切っ先を動かして正道の額に突き付けた。抜き身がロウソクの炎をまばゆく反射している。
 染谷の脇差の動きを目で追っていた正道は、その視線をふいに染谷の双眼へ向けた。
「刀身に、ヒケ傷がついていない」
「なんだって?」
「刀の扱い方を知っている。幕府歩兵組出身という噂はほんとうだな」
「ああた糞みてえなところにいたからって、何の箔にもなりゃしねえよ」
「文久二年の兵賦令では、背が高く強壮な者が選ばれたと聞く。まさにあんたがその通りだ」
「おめ、何が言いてえ」
「我が義勇隊に加わらんか」
「くだらねえ」失笑して唾を吐いた。
「なにがくだらん」
「幕府のために戦うなんざあ、金輪際ごめんだ」
 脇差を鞘に納めた染谷は、子分が用意した背もたれ付きの床几にふんぞり返り、女郎に酌をさせた。「あんたらも飲むか」
「なぜ、幕府のために戦おうと思わない。あんたも天領の民だろう」
 酌をする女郎の顎を親指でなぞりながら、染谷はクックッと肩を揺すって笑った。
「水戸の尊攘派が筑波山で挙兵したときによ、おれたちゃ歩兵組は、軍帽かぶって、白い筒袖に背嚢しょって、えっちらこっちら出動させられたのよ」
 杯を飲み下すと、ぐっと身を乗り出し、肘を片膝にのせた。
「下妻っちゅうところまで進軍したとき、浪士勢に夜襲をかけられたんだが、そのときな、ぶったまげたことによ、旗本どもはおれら農兵を置ぎ去りにして逃げやがった」
 染谷はあきれたように大きく首をかしげてみせると、たちまちのけぞって笑い出した。
「あの戦で、おれは浪士勢を片っ端から銃槍で突きまくった。人を殺すってのが、こうた簡単なことなのかと驚いたが、しまいにゃ楽しくなってきた。そうこうしてるうちに遁走した侍どもに追いついたから、総大将を張っ倒してやった。ついでに耳でも斬り削いでやっぺと思ったが、泣いて命乞いしてきやがる。あんとき耳削いでたらあ、まあ、解雇じゃすまなかったっぺな。大河内の兄さんよう、今の幕府はもう終わりよ」
 旗本の醜態は聞くに忍びなかったが、正道は一度大きく息を吸って、食い下がった。
「それで幕府を見限るのは性急すぎやしまいか。勇猛果敢の士はまだあまたおる。重ねて聞くが、あんたに佐幕の志がないなら、尊王の大義を唱える者か」
「政事なんぞ、まるっきり興味ねえや。ここにいる連中は皆同じよ。欲しいもんがありゃ、持ってる奴らからふんだくって、その日その日を祭りのように生きてえだけだ。もう帰んな。佐幕だの、尊王だの、暑苦しいぜ。義勇隊だかなんだか知らねえが、やりたきゃ好きにやれってんだ」
 飲みかけの盃を正道の膝元に放り捨てて、染谷はその場から立ち去ってしまった。
 再び盆台の前に保木多助とツボ振りが座り直すと、
「さあさあ、勝負再開だ。てなわけで島屋さん、お引き取りなすって」
 すげなく正道をあしらうと、詰め寄って来きた客を見回して「半方、ないか、ないか、ないか半方ッ」と声を上げた。

 初夏、にわかに請西藩が慌ただしい。
 この、望陀郡請西にある一万石の小藩は、さかのぼれば徳川家草創期に起源をもつほど古い歴史を背景にもっている。この故事については先にも触れたが、もう一度かいつまんで述べてみたい。
 永享十一年、鎌倉公方に加担した世良田有親・親氏の親子が戦に敗れて信州林郷へ落ち延びてきた。この地の領主が林家初代の光政で、貧しさゆえに格別のもてなしもできないことを心苦しく思い、雪の降りつむ年の暮、自ら弓矢を手にして猟に出る。そこで得た一羽の兎を吸い物にして、心ばかりの年賀の膳としたのであった。この後、世良田は三河で松平姓を名乗る。すなわち徳川家康の先祖である。松平親氏は、あのときの兎こそが家運隆盛の吉祥であったとして、光政を召し抱えた。さらにはこの故事をもとに、林家が将軍に兎の吸い物を献上し、将軍から酒を賜る「献兎賜盃」の儀式が、徳川幕府の年頭行事となった。
 誉れ高き林家は、代々番方を勤める旗本となり、子孫は三千石を知行した。直参旗本ともなれば格式も高く、幕府の顕職を務め、縁組の相手も十万石以下の大名である。林忠英という人の代になって、十一代将軍家斉に重用され、側近として要職を歴任、相次ぐ加増で禄高が一万石を越え、晴れて大名となったのだった。このとき得た領地が上総国貝淵(木更津市)で、貝淵藩の立藩をみたが、後に藩庁を請西村の高台へ移し、嘉永三年、名を改めて〈請西藩〉となる。ごく新しい藩なのである。
 当主忠交は請西立藩から数えて二代目であり、安政六年から伏見奉行を勤めている。寺田屋に潜伏中の坂本龍馬を襲撃した時期の奉行がこの人で、都の治安維持に尽力し、その心労がたたったものか当年六月、三十五歳で急逝した。まだそのことを国元は知らず、訃報を伝える早馬は房総往還の途上にある。
 
 近ごろ諏訪数馬の顔に血色が戻りつつある。防具を着けた打ち合い稽古もさまになってきたが、三千太郎が特に熱を入れて教えているのは鎖鎌で、数馬の病の具合や体力を配慮したうえでの判断であった。柄の長さ一尺六寸、鎌刃五寸、この刃は折り畳んで柄に収めることができるようになっている。鎖分銅の長さは七尺もあり、これを振り回すことで敵の接近をかわせるし、危険な距離まで間合いを詰めずとも有効な一撃をくらわすことができるのだ。
 稽古には木製の鎌が使われ、紐の先に分銅と同じ重さの砂袋が付けられている。これを扱う数馬の手も最初は血をにじませていたが、ほどなく手指の皮も厚くなり、三千太郎が振りかぶる竹刀を絡め取り、体を捌いて籠手を打つ、といった高度な戦い方も身についてきた。一途なほど懸命な数馬の顔を見るにつけ、三千太郎は心の奥底で、土間にしゃがみ込んで料理に打ち込んでいたなをの面差しをそこに重ねている。
 地曳家の者は、はじけるようによく笑う。なをもそうだったし、すまも数馬もそうである。今日は天気がいいと言って笑い、梅干しがすっぱいと言って笑い、笑ってばかりだと言って笑う。数馬も厳しい稽古の合間合間で、滝のようにしたたる汗を拭きながら、から咳をしつつ笑っている。三千太郎が熱心に請西に通い詰めているのも、その笑顔に癒されていたからかもしれない。
「ミチタ殿ほどの腕前なら、剣術指南役として引く手あまたでしょう。仕官について考えることはないのですか」
 首筋の汗を拭いながら数馬がたずねた。
 三千太郎は、そんなことついぞ考えたこともなかったから、
「おれは、木更津を離れたいと思わないな」と小首をかしげた。
「きっと、ヤマトタケルも同じ気持ちだったのでしょうな」
 そうつぶやいた数馬は、我ながら何を言ったものかと慌てた。
「これは、失礼ござった。余計なことを申してしもうた」
「いや……」と三千太郎は軽く首を振ってみせたが、
 君去らず、袖しが浦に立つ波のーー
 あの古歌を心の中で反芻して、胸に迫るものがある。初めてきみさらずの伝説をなをから教えてもらったとき、不思議と心の琴線に触れたのは、後の運命をどこかで予感していたからだろうか。
「木更津の語源についてはあまた説もござろうが、拙者はキサゴの津が有力じゃと思う」と、数馬は場をとりつくろうためにそう言ったのかもしれない。
「同感です」
 三千太郎が真面目な面持ちでうなずいてみせると、二人は顔を見合わせて笑った。
 そのとき、若い藩士が練武場の上がりかまちへ飛び込んで来るや、息を切らせて藩主死去の一報を伝えた。
 とたんに数馬は顔色を失い、詳細の一言一句も聞き漏らすまいと耳を傾けていたが、すべて聞き終えると膝を落とし、肩を震わせて泣いた。
 三千太郎はこの場にいることをはばかり、防具を引っかけた竹刀を肩にかけ、そっと練武場をあとにした。
 
 請西藩の藩庁は、間舟台という高台に建っている。城を持てるのは石高三万石以上であるから、この藩は陣屋を政庁兼藩主の住まいとしていた。文字にすると「真武根陣屋」と書く。「間舟」が武張った漢字に変換されているが、これは武家の気風である。
 参考までに補記すると、「一石」という単位は約千合のお米のことで、大人が一食につき米一合を食べるとすると、一日三食で三合、一年で千九十五合、概算で千合となり、これを一石と数える。このことを頭に入れておくと、加賀百万石とか、一万石の小大名などと呼ばれる藩の経済力がつかみやすいかもしれない。
 真武根陣屋は木更津湊から約二キロほど内陸にあり、敷地の総面積は二万四千坪以上、小名の家格にしてはかなり規模が大きい。移転前の貝淵藩陣屋を下屋敷と呼ぶことから、ここは上屋敷とも呼ばれている。間舟台の標高は五十メートル程度であるが、視界に遮るものがなく、晴天ともなれば抜けるように見晴らしがいい。
 陣屋の大手口を出た三千太郎は、白南風に洗われた眺望へ顔を向けたままゆっくりと歩き出した。袴の股立ちを取った侍たちが、小走りに三千太郎の傍らを過ぎてゆく。藩主逝去の一報が藩士たちに広まりつつあるのだろう。数馬さんも忙しくなるな、と三千太郎は思った。坂の下に矢那川が流れており、その向こう側に新緑の太田山が見えている。請西での稽古の帰り、三千太郎は必ず地曳の本家に立ち寄って、仏壇を拝んでくる。

 なをの母とみは、そんな三千太郎をいつもからかう。
「女は一旦嫁せば婚家のもの、だからここに、なをはいませんよ」
 と笑顔で言うのも、一日も早く義理の息子に立ち直ってもらいたいという母心に違いなかった。
 姉のすまが父親似で、なをは母によく似ていた。もしなをが長生きしたら、きっとこんな風に歳を重ねていくのだろうなと三千太郎は思っている。
 仏壇の前に座ってお鈴を鳴らすと、真鍮の澄んだ音が細くゆったりと響く。その音は仏間から座敷へ、囲炉裏から土間へと響いてゆくのだった。三千太郎の後ろでとみがお茶を用意してくれている。お茶請けはきゅうりの味噌漬けだった。
 とみは小皿を眺めて寂し気に微笑んだ。
「なをが漬けた漬物も、これが最後ですよ」
 田植えの時期で奉公人たちは出払っており、家の中がしんと静まり返っている。庭で放し飼いにされている鶏のコッコッという鳴き声がかすかに聞こえた。よく見れば義母の丸髷にもだいぶ白いものが目立ちはじめている。
 その髪を軽く撫でつけながら、とみはしめっぽくなりがちな声色を変えた。
「去年仕込んだなをのお味噌は、まだ残ってるの?」
「はい。実家にあります」
「おつけにして、早く食べちゃいなさいね。わたしたちがいつまでも悲しんでいたら、なをが心配してあの世へいけなくなってしまうから」と朗らかに笑ってみせるのだった。
 今日、ここへ来る途中、畔にいくつもえじこが置かれ、その中で乳飲み子が眠っていたり、泣いたりしていた。まだ太田村にいた頃のなをは、農繁期で赤子の世話まで手のまわらない親たちに代わって、子守をするのが大好きだった。だからわたしはねんねこの扱いには慣れていると言って、自分が母親になる日を楽しみにしていたのである。そのことを思い出しながら、ここまで歩いて来た。味噌漬けの、最後の一切れを噛んでいるとき、三千太郎はこれまで胸につかえていた思いが、突然言葉になって溢れてくるのを抑えることができなかった。
「お腹の子が双子でなかったら、なをは死なずにすんだかもしれない」
 縁側の外へ向けた三千太郎の目のふちに、涙がにじんだ。
「おれの血筋が畜生腹だったから、あんなことになったんです。おれと出会わなかったら、あんなことにはならなかった。まだここで、元気に漬物や味噌を作っていたはずです」
 両膝の上に置いた手を、ぐっと握りしめた。
「なをは、すごく痛かったろう。最後の最後に、地獄ような苦しみを味合わせてしまった。あんなに可哀そうな死に方をさせてしまったのは、全部おれのせいです」語尾は震えて声にならず、崩れるように床に手を付いた。「ゆるしてください」
 とみはとっさに何か言おうとしたが、声がつまって何も言えなくなり、手拭いを顔に押し当てて泣き出してしまった。静かな午後の屋敷に、二人の泣き声だけが響いた。
 ようやく息を整えたとみは、目頭を拭いながら言った。
「あなたのせいであるわけないでしょう。誰のせいでもありません。あれがあの子の寿命だったのです」
 三千太郎は口元をきつく押さえてこれ以上泣くまいと歯を食いしばった。
「三千太郎さん、なをの母として、お願いがあります。時間がかかるでしょうけれど、いつかはなをのことを忘れなければなりませんよ。そうして、またいつか好いた人と結ばれて、幸せにならなきゃだめ。なをも、きっとそれを望んでいます」
 とみのことばが、三千太郎の胸をさらに強く締め付ける。実の親にこんなことを言わせてしまうほど、死というものは残酷で、救いがない。三千太郎が別の誰かと夫婦になることを、なをがほんとうに望んでいるのか、確かめるすべなんてどこにもない。三千太郎は、なをが息を引き取ったその時から、ずっと途方にくれているのだった。
 そこへ、田植えの様子を見回ってきた地曳新兵衛が帰って来た。三千太郎の姿を見るなり「お」っと片手を付き出し、
「三千太郎よ、もう聞いたか、お殿様がお亡くなりになられた、えれえこった」とうわずった声を上げた。
「公方様、天子様ときて、今度は請西候だ。こういった不幸は不思議と重なるものだねえ。この先、天下はどうなることやら。そうそう、新一郎が義勇隊の船手頭となり、大変な名誉ですと正道さんに伝えておいてくれんか。わしも及ばずながら息子を支えてゆく所存。お前さんも、いざ鎌倉、といった心意気じゃあないかね」と、身の内に高ぶるものがあるのがありありとうかがえる。
 義父の興をそがぬよう三千太郎は、
「そうですね、イザカマクラ」復唱して高らかに笑ってみせると、そっと目配せでとみにいとまを告げて、地曳家の門を出た。
 
 なをの実家の裏山が〈恋の森〉と呼ばれているのも、思えば不思議なめぐり合わせではなかろうか。初恋の人の子をお腹に宿したまま逝った十七歳の魂は、恋という淡い暖色に包まれていたのだと、たとえば縫之進なら、そんなふうに言うかもしれない。三千太郎はふと立ち止まり、振り返って森を見上げた。そのとき初めて、
「三千太郎さんも、大切な人を失ったら、ここを立ち去れなくなってしまいますか」
 というあの日のなをの問いかけに、うんともいやとも答えていなかった自分に、三千太郎は気付いたのであった。
 村人が農具をしょい込み、裸足のまま畔道を歩いてゆく。一日えじこの中で過ごした赤子らも、母親に背負われて帰ってゆく。長く伸びた影の向こうに、大きな太陽が暮れかけている。三千太郎は辺りがすっかり暗くなるまで、恋の森の裾に立ち尽くしていた。

 敵を作らない、ということが、どれほど高度な処世術であるか、およそ凡人には計り知れないものがある。請西藩江戸上屋敷に仮住まいしている万里小路局という女性の生き方がまさにそれであって、おそらく彼女は稀にみる賢者であったに相違ない。
 万里小路が大奥に上がったのは十九のとき、父は大納言池尻暉房と伝わるから、貴族のお姫様といっていい出自である。徳川家祥(後の家定)の正室として輿入れした鷹司任子の世話役として、はるばる京から下向してきた。以来、家斉・家慶・家定・家茂と四代の将軍に仕え、大奥で最高位の上臈御年寄にまで昇りつめている。この時期の大奥は泣く子も黙る強者ぞろい、幕閣とも時に激しく対立し、将軍継嗣問題、御台所や側室選びにまであなどれぬ影響力を持っていた。老中からの倹約命令さへ突っぱねたという姉小路局、嫉妬深いと評判のお志賀の方、武家出身の天璋院篤姫、その懐刀幾島、皇女和宮、酒乱の実成院、いぶし銀の滝山、紅絹紐に銀の鈴を付けた「サト姫」こと篤姫の愛猫に至るまで、クセの強い個性たちが権勢を誇り地位を競い合い、激しい火花を散らせていた。この大奥を統べていた筆頭老女こそ、万里小路局であった。不思議なことに、彼女の実績や逸話のたぐいは後世ほとんど伝わっていない。故意に存在感を隠していたとしか思えないふしがある。
 というのも、万里小路は十三代将軍家定が死去したとき現役を引退したにもかかわらず、次期将軍の御世に再び大奥への出仕を命じられているからである。もし彼女が年功序列で地位を極めただけの人であったなら、大奥三千人とも呼ばれる女中の中に代わりはいくらでもいたであろう。が、白羽の矢は万里小路以外の人には立たなかった。
 この時期、大奥は大変な騒ぎになっていたのである。十四代将軍家茂の正室を朝廷から迎えて以来、「御風違い」をめぐって武家と公家の女中たちが真っ向から対立していた。家茂の正室和宮は孝明天皇の妹であり、公武融和を期待されて降嫁したのであるが、たとえば将軍の養母にあたる天璋院と和宮が対面した場合、どちらが上座に付くのか、といった「御順合」すら定まっておらず、いちいち双方のメンツをかけた大問題に発展してしまうのである。和宮側が内親王の格式を振りかざすことに腹を据えかねた天璋院が、江戸城本丸を出て二之丸へ転居すると言い出したことで事態は最悪の局面に至る。もしこれが実行されれば嫁が姑を追い出したかたちとなり、大奥の醜態を世にさらすことになってしまうが、聡明な天璋院も今度ばかりは誰が諫めても前言を撤回しなかった。双方の感情がこじれきって手に負えなくなったまさにその時、万里小路が呼び戻されている。公武の家風の違いに端を発するこの問題は、双方の誤解を解いてゆくところから始めねばならず、朝幕間の複雑な政治的駆け引きとも絡み合っていたのであるが、快刀乱麻を断つごとく、ほどなくして善処された。これを調停したのは間違いなく万里小路であるのだが、くわしい記録さえ残っていない。彼女が功を誇らず、黒子に徹していたからであろう。我の強い女官や女中の只中にあって、双方しぶしぶであったにせよ和解に歩み寄らせた万里小路の政治力は圧巻といってよく、彼女の人徳、あるいはその人心掌握術は並大抵のものではない。
 まだ万里小路が御簾中の世話役だった頃、彼女の才気に惚れこんで宿元となったのが貝淵藩初代の林忠英で、十一代将軍家斉の寵臣でもあった忠英と足並みをそろえるように将軍付小上臈となり、生き馬の目を抜く大奥で着実にキャリアを積んでいったのである。和宮降嫁のひともんちゃくを解消した後は、すでに生まれ故郷の京に縁故もなかったから、実家のように繋がりの深い林家の江戸藩邸に仮住まいをしていた。
 上級身分の大奥女中は終身不犯で、原則、子をもうけることがゆるされていない。そんな万里小路が我が子のように気にかけている存在が二人あって、その一人が、請西藩三代目を継いだ昌之助であり、もう一人が元部屋方の川名里鹿であった。
 昌之助は、藩主継承にあたって名を〈忠崇〉と改めた。かねてよりこの日を待ち望んでいた万里小路は、新しい具足を一式、ずいぶん以前から内々に用意していた。晴れてこれを贈る日が来たことを幸いとしながらも、予想以上に背丈の高くなった昌之助の身体に鎧の寸法が合うかどうか心配でもある。兜の忍緒を締めた昌之助が鎧金具の音をたてて奥の間に現れたとき、万里小路は万感の思いにかられて瞼のふちを濡らした。それは長年彼女に仕える侍女の都山さえ初めて見る涙だった。
「昌之助殿、いえ、これからはお殿様とお呼び致さねばならぬが、まことそなたは幼少より、人君の器がおありなさる。眉秀で鼻筋とおる面立ちは光源氏のごとくであらせられるが、その軒昂たる眼差しはまさしく御父上ゆずりのもの」
 と万里小路は扇子を膝に立てて目を細めた。
 錦の陣羽織を纏って立つ忠崇の兜の前立ては「銀色兎」、鎧は「兎胴丸拵」という新奇な出で立ちであった。
「女の見立てとお笑いになるやもしれませぬが、そなたのように美しき若武者であれば、献兎賜盃に由来するその兎の前立ても、きっと引き立つものと想像し、けだしその通りであったと、この万里小路、新たなお殿様の凛々しきお姿を拝見して感慨無量にござります」
 と目に袖を当ててうなずくのであった。
 忠崇自身も、兎が後ろ足を跳ね上げている前立物を見、先祖代々誇りとしてきた故事の意味、すなわち徳川家とともに苦楽を共にするという心意気をあらたにしている。
「まて様」
 と、万里小路は呼ばれている。大奥女中の最高位ともなれば、その社会的地位は十万石大名の格式に匹敵し、この身分の人は自分の名を略式などで呼ばせたりしない。けれどもこのひとは、下女にさえおおらかに「まて様」と呼ばせている。そして自分は部屋方の若い女中を花の名で呼んだ。里鹿のかつての呼び名は「椿」である。あるいはこれも、彼女の人心掌握術の一つであったのかもしれない。
忠崇は片膝を付き、万里小路の手を取った。
「それがし先年母を亡くし、もはやこの世に母とも慕うお方はまて様おひとりにござります。どうかお体ご自愛せられたく、この先も忠崇をお支え下さりませ」
 と手に取ったその手をさらに強く握りしめた。
 大奥女性は白髪を染めるのがたしなみとされていたから、万里小路の髪は未だ烏の濡れ羽色である。髷は笄を差しただけの片はづしであったが、その豊かな毛量は御年五十四とは思わせぬ若々しさであり、四つ歳下の都山の方がずっと老けて見える。
 都山は黒香油をつけると頭皮がかぶれてしまうため、白髪頭で通していた。生来生真面目な性格で、手を取り合う二人を眺めてしとどに涙を流しながら、
「憚りながら、かねてよりお願い申し上げておりますわたくしどもの隠棲地の件でございますが……」などと俗用を持ち出す。
 忠崇は思い出したように都山へ顔を向けた。
「仔細は国元に伝えてある。まて様の仮宿となる長楽寺は古くより徳川宗家の信仰も篤く、江戸湾を一望のうちに見渡せる古刹と聞き及んでおります」
 と、途中からはまて様に向かって話しかけた。
 忠崇は、長楽寺を実見したことがない。江戸藩邸で生まれ育ったため、未だ国元に入部したことがなかったのだ。けれども、まだ見ぬ藩地の風光は家士から聞き及んでいる。陣屋の建つ丘は緑深く、江戸湾は金襴のごとく、湾を隔てて見る富士は一幅の絵のごとし、と。
「きっと、まて様もお気に入りくださることでありましょう。転居にあたっては、お道具送り、ご調度品の新調、ご邸宅の新普請など、一切のお支度は藩を挙げてお手伝いさせていただきます」と胸を叩かんばかりに意気込んだ。
「とんでもございません」
 万里小路はかすかに首を振って恐縮した。
「いまは諸物値上り、幕政も危殆に瀕しております。このような折柄、わたくしごとき老骨にかまわず、何より天下のことを第一にお考えくださりませ。わたくし、奥に四十年以上相務めたるものなれば、引退後も現役と同額の扶持を賜り、様々な手厚い待遇もございます。ですので諸事控えめでよろしゅうございます。林家のかたえに閑居することかないますれば、それ以上望むこととてござりませぬ」
 これが偽らざる本音であったが、江戸城の本丸御殿に四十年以上も勤続した万里小路の経済感覚は、質実な武家の女性とは途方もなくかけ離れていることに、この時はまだ気付いていない。万里小路の年収は五百石クラスの旗本並であり、運搬する調度品の量は膨大なものになるだろう。忠崇はそれを踏まえて手伝いを申し出たのであったが、これについては都山が自信ありげに、
「奥向きの御用人の中に、これはと見込んだ若武者がおりますので、この者に家移りの統督を致させる所存」
 と胸を張った。
「都山殿に見出されるとは、立派な侍なのでござりましょうな」
「わたくしの目に、狂いはございません」尖った顎をしゃくるのであった。

 後日その「これはと見込んだ若武者」が請西藩江戸上屋敷の奥の一間に呼び出された。
 都山が太鼓判を押した若者にしてはえらくさえないというべきか、小柄で、地黒で、小太りであった。が、黒光りした大黒天の置き物のようにどっしりとした貫禄もある。
 先年、都山が万里小路の代参で芝増上寺へ出向いたとき、警護の大奥用人の一人に、この若者がいた。道中、毛を逆立てた野良犬に吠え立てられ、陸尺が脛を噛まれかけて右往左往の大騒ぎとなったが、この若者が仁王立ちして一睨みすると、猛犬は瞬時に吠え止み、ぶるぶる震えてしゃがみ込んでしまった。この様子を駕籠の中から覗き見た都山はいたく感心し、そなた、ただ者ではないなと声をかけると、
「恐れながら、ただのただ者に過ぎませぬ」若者は地べたに平伏し、よく通る健気な声で答えた。
「居縮の術なるものを、同僚の御広敷伊賀者から教わったことがあります故、それをためしてみただけにござります」
「ならばそなた、伊賀組同心か」
「いえ、一介の旗本にござります」
「さぞや武勇に秀でたお血筋の出であろう」
 若者は顔を伏せたままやや身を起こし、長重流、浅野大学が末裔、と答えた。面を上げさせてみれば頬骨のたくましい丸顔で、当世文弱な旗本の子弟と比べれば、昔気質の都山からみてなかなかの好男子といえた。以来お気に入りとなり、万里小路のなじみの用人となったのである。
「このたび」と都山は手を膝にして申し付けた。「御府内からの退去にあたって、荷送り一切を、浅野作造頼房に一任致す。よろしゅうたのみますぞ」
 作造はうやうやしく総髪の頭を上げると、地黒ゆえに映える並びのいい白い歯をのぞかせた。
「万事お任せ下さいませ。この作造、まて様の鼻紙一枚に至るまで、無事お荷物を請西へお運び致します」
 上座で万里小路が手を打つと、女中が陣羽織を捧げ持って入室し、これを作造に与えた。紫の羅紗地に折り返しは鮮やかな錦織、背には浅野家の家紋まで刺繍されている。立ち上がって腕を通した作造は感激のあまり思わず涙ぐみつつも、まこと晴れやかなる笑顔を見せて、万里小路の心遣いに応えたのだった。

 こんどの転居にあたって、忠崇からの協力申し出を万里小路が辞退したのは、彼女が武家の習わしをよく知っていたからである。先代急逝にともない代替わりの用務に追われる忠崇や家臣たちに負担をかけまいとしたのだった。一万石規模の藩であれば藩士の数は中間などを加えても二百人程度で、忠交亡き後の伏見奉行所からの引き上げにも人員を割かねばならないはずであり、今後しばらくは主従そろって諸事に忙殺されるであろうと万里小路は察していた。この辺りの気配りが、彼女の身上であるといっていい。
 江戸には木更津専用の河岸もあり、物流の盛んな土地でもあるから、作造は、荷物の移動ぐらいわけないものと高をくくっていたふしもある。手配した五大力船は地曳の明王丸一隻であったが、これをまるごと借り切ったのだから、積載については充分と考えたのも無理はない。ところが、勤続四十年ぶんの私物が大奥の長局、桜田御用屋敷、請西藩上屋敷から陸続と運ばれてくると、四十三坪ほどの河岸の敷地がみるみる御部屋諸道具、衣裳類、御手許道具類、雛道具等、葵紋の入った荷箱で埋め尽くされ、積まれた荷が見上げるほどの高さとなったから、これには作造もあっけにとられ、運搬を請け合った地曳新一郎と二人して、ぽかんと口を開けたまま立ち尽くしてしまった。
 この事態を見て船持の石渡半兵衛がすかさず名乗りを上げた。
「うちなら今すぐ五大力船を二艘手配できますよ。さらにッ、神徳元年を祝して運賃もお安く致しやしょう」などと、商魂たくましい。にしても神徳元年については、
「禁句だっつの!」と新一郎に小声でたしなめられたが、もとよりそんな内輪のやり取りなど作造の耳には入っておらず、重くなった面差しを半兵衛の方へ向け、
「その二艘も買おう。他にも、都合のつく船あらばすべて買う」と声を上げた。
 結局、万里小路の荷物を運ぶ船は船団を組むこととなり、水軍でも押し寄せたかと湾内の通行船を驚かせた。
「浅野様よ」と、新一郎も帆縄を掴んで船首に立った。
「木更津に着いてからが大変ですぜ。これだけの価値ある荷物だ。野盗の類が群がってくるんじゃないですか」
「野盗ごとき、この浅野が打ち払ってしんぜる」
「いやいや、今の木更津の野盗は、あんた様一人で対処できるような規模じゃないんだ。染谷党ってのが跋扈していてね。やつら平気で脇差を抜く。ほんにやばい奴らなんだよ」
 さすがに作造も「フーム」とうなったが、都山から渡された経費を使い果たした今となっては、用心棒を雇うような追加の出費はゆるされないと思う。この辺りの律儀さと、意固地なところが武士の身上であるといえようか。
「荷は自力で守る」と言い切った後、作造が木更津に着港するまで誰とも言葉を交わさなかったのは、乗り子たちの中に、野盗の仲間が潜んでいないとも限らぬと警戒したからだろう。もしもまて様のかんざし一本でも失われようものなら、わしは責任を取って切腹せねばならぬ。作造は悲壮な覚悟を固めた。
 湊に積荷を降ろしにかかると、噂を聞きつけた野次馬が方々から続々と集まって来た。海岸線から請西藩内の長楽寺までは一里もないが、なにせ荷が多すぎて、大八車の数も人手も全然足りない。一刻も早く運搬を完了させなければ、それだけ染谷党に付け入るスキを与えることになってしまう。作造は群衆に向かって「誰でもいいから近くの名主を呼んでまいれ」と声を上げた。そして長槍を小脇に抱えて「荷物に触れた者は容赦せんぞ」と叫んで回った。その声は遠くまでよく響き、漢詩でもうならせたらさぞや良い声だろうと思われた。
 やがて吾妻村の名主鈴木市郎右衛門がバタバタ駆けてくると、作造は、
「上意である、人馬を徴発せよ」と大声で申し付けた。
 新一郎から知らせを受けた正道が、平右衛門らを引き連れて助太刀に参じたが、
「おぬしらは武士か」と作造は居丈高に睨み据える。
「百姓から成る義勇隊」正道が答えて一礼するも、
「武士でないなら手出しにおよばず」などと疑心暗鬼もあってか無下に助勢を断った。
 作造のこの態度にへそを曲げたのは平右衛門で、
「ほお、そうくるかい。これはこれは二本差はえろうござんすねえ。まあせいぜい一人で吠えてるがいいさ。こんな野郎、どうなったってかまやしねえっぺよ、行きやしょう、正道さん」もと来た方へ踵を返し、正道が呼び止めても振り返らなかった。
 
 やがて暮色も深まり、さすがに作造も夜道の運搬はかえって野盗に襲われやすいと判断し、その夜は湊一帯に篝火を灯して寝ずの番となる。
 徴用された農民たちはあちこちでいびきをかいており、篝火のはぜる音と、河岸場の石堤にひたひたと寄せる波の音が聞こえている。丑の刻まで起きていたのは作造一人だった。
 そこへ。
 腰に脇差をぶち込んだ連中がわらわらと湊を取り囲む。闇に紛れて判然としないが、五十人ほどもいるだろうか。その中からのっそりと、髑髏柄の浴衣を纏った男が真鍮のキセルをくわえて立ち現れた。作造はペッと唾を手にかけて立ち上がり、大身槍をしごいた。
「手前が賊の領袖なるか」
「おれが湊の勘八よ。ここの荷はもらっていくぜ」
「野盗ごとき、なにほどのことやある。浅野作造頼房、元結一本、草鞋一双、おまえらの手に渡しはせぬ」
「ほざけ」と染谷は失笑した。雁首を叩いて吸殻を落とすと、
「てめえら、かかれ!」大声を上げた。
 子分たちがいっせいに抜き身を振りかざして襲ってきたが、作造は中段に構えて槍先を突き出し、ふんっと長尺の柄を大きく半回転させると、柄の端が砂埃を巻き上げ、足元を払われた子分どもがまとめてひっくり返ってしまった。
「そりゃあ!」と気合一声、作造は体を押し出し、槍先を振るって風を起す。正面の敵を打ち据えてすかさず反転、背後の敵の脛を払い、体を返して胴を突き、縦横に走り回ってさらに繰り出す。子分どもは作造が槍を振り回すたびにバタバタとひっくり返った。が、誰一人直槍に突き刺されてはおらず、柄や後端で打たれるばかり、作造に殺意がないのは明らかだった。その一線を越えないまま、仁王のごとき形相で戦っているのである。
 染谷はもはや本来の目的を忘れて、この乱闘が面白くなってきた。ヤツが殺意を剥き出すまで攻めてやろう。手下の背中を蹴り飛ばしながらどやしつけた、「あの小男をぶちのめせ!」
 保木多助が「梯子を持ってこい」と叫ぶと、子分どもが梯子を交互に組んで作造を包囲する。まるで講談の大捕物を見るような展開となり、あわやさすがの作造も追い詰められたかと思いきや、大身槍の柄を地面に突き立てて河岸土蔵の壁を勢いよく駆け上がり、ひらりと瓦をふいた屋根の上に飛び乗った。これには子分どももあっけにとられ、下から罵声を浴びせる他にスベもない。
 この騒動を物陰から見守っていた農民たちから歓声が上がった。作造も痛快とばかりに大笑いした。
「引きずり降ろせ!」
 染谷が抜刀し、おれがあいつをぶっ殺してやると息巻いている。土蔵を囲む子分の数がどんどん増えてゆく。
 さしもの荒武者も万事休すか、とうろたえた農民の一人が、腰をかがめて南町の方へ駆けて行った。

「島屋さん、起きてくだせえ!」
 店の大戸が激しく叩かれた。おっとり刀で対応した正道は、夜着の裾をたくし上げると、裸足のまま駆け出した。
「義勇隊出動!」
 平右衛門が叫んでそれに続き、ややあって、鉢金と胴を着けた幸左衛門、孫左衛門、総三郎、茂三郎も、袴の股立ちをとって門口を出た。
「朝ちゃん、なんだか湊が騒ぎになってるみたいだよ、見に行くべ」
 御高祖頭巾を被った豊子が朝三郎を揺り起こした。長合羽を羽織った縫之進も後ろにいる。
「なんだよ、こんな、夜中に」と寝ぼけてしぶる朝三郎を夜具から引っ張り出すと、三人連れ立って旅籠屋町の通りへ出て、野次馬の群れに交じった。
 若い隊士が火の見櫓に登って激しく鐘を打ち鳴らすと、八劔八幡神社からも勝秀、勝壽が襷をかけて出てきた。勝壽は鉄砲を担いでいる。
「いったいなんの騒ぎかしら」
 クニが格子窓に顔を寄せると、控えめに店のくぐり戸を叩く音がする。桟をはずすと鉢金を巻いたコンモが入って来た。
 三千太郎が夜着の襟を掻き合わせながら土間へ出てくると、
「ミチタ、万里小路局の家来が襲撃されて、義勇隊が出動した。行かねばなるまいよ」と詰め寄った。
「いや、おれは……」
 あからさまに顔をしかめたが、コンモはかまわず、
「行かねばなるまいよ」と、もう一度言った。
 煙抜きから差し込む月光に照らされた土間が、しばし沈黙に包まれた。クニは両手を胸のところで揉み合わせながら、三千太郎の横顔を見つめている。警鐘の響きは鳴りやまない。
 ふっ、と短く息を吐いた三千太郎は、夜着を脱いで下帯ひとつになった。クニは慌てて袴を取りに箪笥へ駆け寄り、手早く着替えを手伝った。
 刀掛台から二刀を取ったコンモは、それを三千太郎へ差し出す。
 三千太郎は黙って両刀をたばさみ、振り返ることなく家を出た。
 コンモはクニの耳元に顔を寄せると、
「ミチタはきっと立ち直るよ」
 とささやいて、すぐに後を追った。

 染谷たちは、篝籠から火の付いた割り木を掴みだし、土蔵の屋根にやたらめったら投げ込んで来る。これには作造も度肝を抜かれ、「やめんか! やめんか!」とわめいた。
 江戸時代の人々にとって、地震、雷の次に恐ろしい災害は火事である。木造住宅の密集する町で火災が起こると、たちまち一町まるごと類焼することもめずらしくない。現に朝三郎が幼少時に起こした火事は、一夜にして木更津南町を焼き尽くしてしまった。以来、防火のために土蔵が多く造られたのは漆喰に含まれる消石灰が燃えないからだ。作造が乗っているのは土蔵の屋根であるが、このままではまわりの家屋に火がついてしまう。作造はつくづく野盗という連中は恐ろしいものだと辟易した。

 正道たちが抜刀して駆け付けると、町方同心が両手を開いて行く手を塞いだ。
「手前らの加勢はありがたいが、鼠賊どもを斬ってはならぬ」
 御用提灯を掲げた捕吏たちの中から陣笠を被った役人が出てきた。
 いつもは冷静な正道も、これには声を荒げて食ってかかった。
「万里小路局の着荷に手を付けておるのです。明らかに無礼打ちに当たる所業ではありませんか」
「ここで刃傷沙汰におよべば事態をことさら大きくすることとなり、荷送人もいらぬ詮議を受けることになる。死人が出るような取り締まりは致さぬ故、下知に従え」
 役人が振りかざしたのは鉄製銀流し十手。関東取締出役のものであり、問答無用の権力を象徴している。
 天誅が横行する京師を見てきた正道にしてみれば、総州くんだりの役人は呑気なものだと思わずにいられない。
「ならば、木剣や棒にて戦うならば、問題ございませんか」
「死なぬ程度なら」
「道場からありったけの木剣と六尺棒を持ってこい!」
 正道は振り返りざま大声を上げた。

 このままでは火が出ると危惧した作造は、土蔵から隣の通り庇に飛び移り、槍の下端を地に付けるや、柄を伝ってふわりと滑り降りてきた。染谷と子分たちは、槍が垂直に立ったこの一瞬を見逃さず、抜き身を振るって殺到する。作造はすかさず腰の大小を抜き、二刀に構えて振り回し、転がるように攻囲を脱した。傷は浅かったが、数か所斬られたようで血がしたたっている。軒端に立てかけてある大八車を突き倒すと、作造はすかさず細い路地に飛び込んだ。
 裏木戸を少し開けて外の様子をうかがっている少女がいて、作造と目が合った。慌てて引っ込みかけたが、「たのむ!」と手を伸ばして作造は中に転がり込んだ。薄暗い店舗の中に四斗樽や升、半切桶が置いてあり、においからしてすぐに酒屋だとわかった。これは幸いとばかりに作造は少女に笑いかけ、
「拙者の体に酒をかけてくれぬか」と諸肌を脱いだ。
 深手はないにせよ、無数の切り傷から血がにじんでいる。少女は言われるがまま屋号の書かれた徳利を持ってきたが、恐怖のあまり手が震えていた。
「驚かせて、誠にすまぬ。身共は決して怪しい者ではござらぬ故、何も怖がらなくてよい。その酒を口に含んで、拙者の体に吹きかけてくれ」
 傷口を酒で洗うのはこの時代の一般的な消毒方法だから、少女もすぐに事態を理解した。が、動揺して歯の根が合わず、口から酒がこぼれてしまう。
「ひょっとこみたいに口をすぼめて、思い切り噴き出してみよ」と教えると、少女はほんとうにひょっとこみたいな顔をして、ブーッ、と勢いよく噴き出した。それが傷にしみること、しみること。作造は声を押し殺して悶絶しかけながらも、精一杯の笑顔をつくって少女に話しかけた。
「そなた勇敢ぞ。名をなんと申す」
「へえ。きせと申します」
「ここの子か」
「いんや、家は吾妻村です。ここの酒屋で住み込み奉公をしとります」
「そうか、感心だな。すまぬが、もうしばらくここで一息つかせてくれ。それと、水を一杯」と所望しかけたところ、ブーッときせがもう一度酒を噴きかけたから、作造は右手を宙に突き出して「うわああ」と白目をむいてのけぞった。

 現場に着くなり勝壽は、先込めした弾丸をカルカで突いて、湊の衣類調度品に群がる野盗たちの頭上めがけて引金を引いた。が、火挟がカチンと鳴っただけで不発だった。
「あれ」火蓋を開いて首をかしげる勝壽の銃を、後ろから取り上げたのは三千太郎である。「口薬の量が少ねえんだべ」
 火蓋を切り、元薬を込めている三千太郎の姿を目にした幕吏が、鉄鞭を振って「撃つでない」と一喝したが、すでに銃床を頬付けしていた。
 バンッッ! と硝煙があがり、野盗どもが一斉に体をすくめた。幕吏も頭を抱えて首をすくめた。すくめなかった男が一人、三千太郎の方へ鬼のごとき形相を向けた。染谷である。
 発砲音に慣れているということは、幕府の歩兵あがりか、と三千太郎は思った。いずれにせよ、実戦経験者だろう、落ち着き払っていやがる。
「飛び道具かッ、おもしれえ。矢玉でもなんでも撃ってこいや!」
 染谷が白刃を振りかぶってきた。雑な太刀筋であったが、何の躊躇もなく交刃の間合いに突っ込んでくるあたり、元亀天正の野武士のごとき肝っ玉の太さである。げたげた笑いながら縦横に刀を振り回してくる。染谷の太刀の柄に枠状の鍔が付いていた。歩兵時代に上官から奪ったものだろうか、めずらしい西洋風のサーベル拵であった。
 三千太郎も白刃を振りかぶったが、不二心流の剣法は後の先、すなわち守りの刀技であり、染谷のひた押しに押してくる斬人の技をいなすことはできても、なかなか自分の打ち間をつくれない。手が汗で濡れ、胸の辺りが苦しいほど拍動する。
 土蔵の壁際まで追い詰められたとき、素早く体を反転させて籠手を打つと、染谷は枠状の鍔でそれを受け、パッと火花が散った。が、次の瞬間、三千太郎の剣先が染谷の喉ぼとけに突き付けられていた。首の皮一枚に食い込む寸止めである。三千太郎はほとんど忘れかけていたが、江戸の練武館道場で修業していた三年間、もろ手突きの名手と恐れられていたものだ。あの頃の身体感覚が、この寸秒で全身によみがえったようであった。
 途端に三千太郎の目つきが変わった。
 これを見た染谷は、
「こいつはいけねえ」と顔をしかめ、髑髏柄の浴衣をまくってその場から逃げ去った。

 作造が隠れている酒屋の店内に明りが灯っている。
 店主夫婦も異変に気が付いて、きせと共に作造の手当てをしていた。作造は鉢巻きを締め、小袖をたすき掛けにして、外へ出る準備を整えた。店主は声を落として、
「お侍様、今は出ないほうがええ。今出たらナマスのように斬り刻まれてしまいますよ」
 そう何度も止めたが、作造は呵々と笑って答えるのだった。
「このような失態を晒したからには、切腹は必定。惜しむような命ではない」
 きせの頬に軽く手を当てると、作造はくぐり戸からすり抜けるように往来へ飛び出した。二刀を構えて周囲を見回すと、いつの間にか野盗と義勇隊が入り乱れての大騒ぎになっている。呼子笛の甲高い音がひっきりなしに響き、御用提灯を掲げた捕吏や目明しが「神妙に致せ」と方々へ怒鳴り散らしていた。さすがは木更津気質とでもいうべきか、野次馬の人だかりの中に甘酒の屋台まで出ている始末である。
 作造の姿をみつけた正道は、
「浅野殿、こちらへ参られよ」大きく手招き、「刃傷無用の故、これを」と六尺棒を差し出した。
 筵の上に山となす木剣や棒の他に、打ち込みや刺又、捕縄までそろえてある。これを義勇隊士や飛び入りの者に配りながら、正道が実質的に現場の指揮を執っている。
 作造は両刀を鞘に納め、
「助太刀、痛み入る。後であらためて謝罪致す」と活舌の良い声で述べると、乱闘の中へ飛び込んでいった。
 三千太郎も、勝壽も、素早く木剣に切り替えて野盗どもの後を追ったが、平右衛門だけは納得がいかない様子で木製武器を受け取らない。
「目の前で盗賊どもが悪事を働いてんだぞ、打ち捨ててなんぼじゃろ。武芸者として実戦の経験を積む絶好の機会でねえか、真剣で挑むべきだっぺ!」
 頑としてゆずらず、この男のみ抜刀して斬り込んでいった。しかし、叩き斬る気満々だから、野盗もはむかってこないし、蜘蛛の子を散らすように逃げてしまう。それでも縦横へ白刃を繰り出す平右衛門の勇姿は、一人で剣舞でも舞っているようで、少しばかり滑稽の観もある。
 木剣を扱う幸左衛門の手錬に長じた剣さばきは圧巻であり、巨躯を機敏に動かして立ち回る孫左衛門の槍さばきも若い世代の比ではない。野盗を打ち倒すたびに見物人から喝采が上がった。
 豊が甘酒を買って戻ってくると、朝三郎がじっと乱闘に見入って鼻息を荒げている。
「朝ちゃんは、こういう荒っぽいの好きなの?」
「いや」と我に返って、慌てて目をそらした。
 縫之進がすくりと笑って「男はこうゆうの、好きだよね」と合いの手を入れたが、朝三郎は答えなかった。
「とよッ」と総三郎の声がした。
「おまえ、なに呑気に甘酒なんぞ飲んでおるか」
 怒鳴って木剣をひょいと投げ渡してきた。豊が反射的にそれを受け取るのと同時に器が足元に落ちてガチャンと割れた。
「なにすんだよ!」
「女といえども、おまえは名流一門の剣士であろう、共に戦え」
「あたし、剣士だったっけ?」
「豊姉ェ、いっちょ暴れてきなよ」縫之進も肘で突いてそそのかす。
「しゃあないなあ……」
 御高祖頭巾を目深に被り、木剣をぶらぶらさせながら乱闘の場に入っていくと、紅色の湯文字から白い素足をのぞかせて踏み込み、群がってくる男どもを右袈裟、左袈裟に打ち据えて、バタバタと倒してゆく。
 コンモが血相を変えて甘酒の屋台に駆け寄ってくると、
「あんた、一杯十二文はいけないよ。この値はふっかけ過ぎだ。義勇隊として取り締まらせてもらいますよ」などと、野盗よりそちらの方が気になるらしい。

 染谷が逃走したことで、一味徒党の動きも組織だった犯行ではなくなり、一部が銘々勝手に盗品を持ち去ろうとしているにすぎなくなってきた。あとは町方同心や目明しにまかせておけばいいだろう。
 地曳新一郎や石渡半兵衛ら渡海輸送にかかわった船持や積問屋が荷箱の点検に取り掛かり、強盗被害の調査を始めた。その間、作造は正道の元へやってきて、義勇隊の加勢に謝意を述べ、昼間の無礼を率直に詫びた。
 村の若衆を引き連れ現場に駆け付けた吾妻村名主鈴木市郎右衛門と、作造、正道の三人は、三つ葉葵が金蒔絵で打ってある表道具七品が無事であったことをまずは喜び、徳川宗家の未だ衰えざる財力を誇らしげに語り合うのだった。三人はすぐさま意気投合すると、今宵の乱闘の余勢を駆って、湊に積み上げられたままの長持や行李を、夜を徹して長楽寺まで運んでしまおうと決めた。
 乱闘騒ぎを聞きつけて請西から真っ先に駆け付けた諏訪数馬が、藩を代表して荷請することとなり、湊の小揚人足や宿場の雲助に助力を呼びかけ、野次馬までも動員し、近郷の農耕馬も駆り出して駄送の列をなした。これを引率する作造は自ら馬の口を取り、木更津といえばこれとばかりに、
「ヤッサイ、モッサイ」
 大声で音頭をとると、男衆はつられるように唱和する。
 ヤッサイ、モッサイ、ヤッサイ、モッサイ、
 宵闇に響くかけ声は神輿行列のようであり、これを聞きつけた沿道の男たちが、続々とねじり鉢巻きで加勢してきた。

 にぎやかな陸送が始まったころ、捕方役人の突き出した寄棒が三千太郎と平右衛門の体を左右から押さえ込んだ。陣笠を被った幕吏が鉄鞭で二人の顔を指し示し、
「この者ら、町人の分際で下知に逆らうとは不届き千万。一人は発砲、一人は刃傷沙汰に及び、はなはだ過激にして早まった行い、誠にもって許し難し。よって召捕る」と声高に罪状を述べた。
 この当時の役人は、公然と賄賂を受け取ったものである。関東取締出役にしても二十俵二人扶持しか収入がなかったため、自前で活動するためには元手が足りず、不足分を収賄で補っているありさまだった。それを心得ている幸左衛門は、「いま、幾らか包みますので」と役人に耳打ちしたが、なぜか今度ばかりは袖の下を受け取ろうとしない。乱闘の間中、正道が現場を取り仕切っていたことで面目を潰されたと臍を曲げているのかもしれず、それでわざわざ「町人の分際」などと強調したのかもしれない。
 地べたに押し付けられた三千太郎と平右衛門は、有無をいわさず後ろ手を十文字に縛り上げられて身動きがとれなくなった。この様を見た豊は役人の肩を後ろから思い切りこづいた。
「本縄で縛るのは罪が確定してからだろ。いちども吟味せずになにやってんだよ、この阿呆至極が!」
 どやされた幕吏のこめかみに青筋が浮き上がり、振り返りざま鉄鞭を振り上げたが、すかさずその手首を取り押さえたのは総三郎であった。
 強く腕を取られてもがきながら、幕吏は怒鳴り声をあげた。
「この女も引っ立てい」
 捕方役人が二人がかりで豊の体を引き倒した。
 とっさに刀のこじりを上げた総三郎を、孫左衛門が慌てて背後から取り押さえた。
 総三郎は全身をわなわなと震わせ、顔を真っ赤にして、
「憚りながら、我が一門は微賤の身分ではあれど、決して兇賊の類にあらず。誓って他を害する心なぞなければ、なにとぞ御諒察願いたし!」と口角泡を飛ばし、目を血走らせた。激高極まって鼻水まで垂らしている。
 その顔を見て豊は思わず噴き出し、
「オヤジ、興奮し過ぎ」縄に掛けられながら笑顔をつくってなだめたほどであった。
 この事態を知らされた正道が駄送の列から急ぎ引き返してきたが、すでに三人は四方ヶ原の獄舎へ連行された後だった。

 房総丘陵の稜線が白々と明ける頃、万里小路局の長持類は、すべて長楽寺の境内か、真武根陣屋の敷地内に運び込まれた。盗難された物品は予想よりはるかに少なく、はっきり把握できているものは夏用の筥枕、爪とり鋏、定紋入り盥の三点だけで、膨大な衣類調度品をほぼ死守したことになる。船持の石渡半兵衛などは大いに満足して、
「やはり神徳元年には、神仏のご加護があるのだなあ」と西方の富士をうやうやしく拝するのだった。
 運搬に加勢した人々に慰労の酒が振舞われた。船持も積問屋も身銭を惜しまず大盤振る舞いをした。徳川の御紋が打たれた着荷を野盗の手から守り、それを目的地に運びおおせたということが祭りのごとき喜びを催させるところに、幕府お膝元の民心をうかがうことができる。酒の調達については、作造の口添えで、奉公人きせのいる店から樽買いされた。
 余談ながら、石渡半兵衛が取引先と交わした通帳の表紙に「神徳元年」と記されている。他にも永地村の村役人が作成した年貢の書上帳の表紙にも「神徳元卯年五月」と書かれているが、これについては「神徳元」の部分を二本線で抹消して、横に「慶応三年」と訂正がほどこされている。この二点の簿冊が現存することで、私元号神徳の存在が後世に伝わっているのである。

第六章  幕府崩壊

 鈴木市郎右衛門邸で数日休養した浅野作造は、軽傷で本復した。包帯をはずした日の朝、市郎右衛門の案内で江戸湾防備施設の一つである〈吾妻村番所〉を見学した。海辺の老樹松林を切り開き、四方を簡素な土塀で囲んだ一角に出番所と兵器小屋が建てられており、普段は近隣の名主らが交代で詰めている。
 内房の海防拠点は富津陣屋および竹ヶ岡陣屋で、砲架が数門設置されている。元は会津藩の管轄下にあったが、先年前橋藩と交代したという。湾内に侵入した異国船が富津岬を越えた場合、陣屋以北を守るのは自分らの番所なのだと市郎右衛門は胸を張った。
 波打ち際に面した土塀に立って海を眺めていた作造は、振り返って施設の内側を見回した。
「ここに大砲はござらぬのか」
「ございません。吾妻村番所は臨時水夫と役船の拠点で、非常時には近隣の村から人足と漁船を徴集します。我々の使命は海上の偵察、兵器と食料の運搬、炊き出し、回状の伝達などですが、いざとなれば小舟を駆って異国船に斬り込む覚悟でございます。ここでは組頭のことを会津風に地首と呼ぶのですよ」と誇らしげに語るのだった。
 江戸湾防備の末端的施設に過ぎないが、ここを任されている市郎右衛門のような名主層の幕府に寄せるけなげな忠誠心を垣間見て、作造は胸打たれる思いがした。存外、国の危急を救うのは、これらの民なのではないかと感じたりもする。
「ところで市郎右衛門殿、今日一日、馬をお借りしたいのだが」
「うちの馬は佐倉牧で買い求めたものですから、農耕馬とはいっても駿馬でございますよ」
 そう太鼓判を押した。

 木更津南町の酒屋に馬の蹄の音が聞こえてきたので、主人が往来へ顔を出すと、馬上の作造が笑顔で見下ろしていた。
「ああ、お侍様、先日は誠にありがとうございます。おかげさまで大口の商いをさせていただきました」と大福帳を抱えて深く頭を下げた。
「ご主人、きせはおるか。これから横田村まで出向くゆえ、先夜の礼をかねて遠乗りに連れ出したい」
「それはそれは」と何度も頭を下げて、「きせや、きせ」店内に声をかけた。
 きせが座敷箒を持って出てくると、あっと両足をすくませて、店先でいななく馬体を見上げた。
 さすがに襷掛け半纏姿で馬に乗せるのもどうかと、主人の女房がきせの頭に手拭いをかぶせ、手甲、脚絆まで着けさせて、まるで旅にでも出るような装いとなる。
 あぶみに足をかけたきせは、女房に尻を押されて馬上に這い上がった。馬の背には、きせのために厚い敷物がかけられている。
「拙者の腰につかまっておれ。振り飛ばされるなよ」
 背後のきせにそう声をかけて手綱を操ると、作造は馬腹を軽く蹴った。往来を行く人々が珍しそうに眺めており、きせはなんだか照れ臭かった。
 かっぽかっぽと速足で通りを抜け、田地が広がる辺りまで来ると、「はッ」と一声、作造は一気に馬を走らせた。まるで一陣の風のごとく、二人を乗せた駿馬は小櫃川と平行して走った。
「きせよ、馬に乗るのは初めてか」
「へえ、初めてです」
 そう大きな声で応えたが、馬が鬣をなびかせて風を切る音と、土を蹴立てる蹄の音の方が圧倒的にけたたましい。
「わしは武芸十八般の中でも特に馬術が好きなんじゃ」
 と語る作造の声もよくは聞き取れない。
 必至に腰にしがみつきながらも、砂塵を巻き上げて疾走する馬の背は意外にも心地よく、勢いよく過ぎていく沿道の眺めも迫力があった。いつも酒屋の薄暗い店内で雑用をしているきせにとって、天狗にでもさらわれたような新鮮な気分だった。
 良く晴れた空の下、豊かな水量をたたえた小櫃川が波光をたたえて流れている。遡上する川舟を追い抜くと、あっという間に後方の景色に吸い込まれてしまった。
「きせ、楽しいか」
 作造は大きな地声をさらに大きくして、ちらと後ろへ顔を向けた。
「すごく楽しいです」
 腰にしがみついたまま大きな声で応えると、きせはますます気分が高揚した。「はッ」と作造が馬をあおるたびに、きゃーきゃー悲鳴をあげながらも、なんだか愉快で笑いが止まらない。

 横田村河内屋の前で手綱を強く引くと、馬がいなないて前足を上げた。
 鞍から飛び降りた作造は、ひょいときせを抱き下ろした。
「万里小路局の使者、浅野作造頼房にござる。川名里鹿殿にお目通り願いたい」
 まて様の使いが来たと聞いて、里鹿は驚くと同時に、いつになく身の引き締まる思いがした。鏡台の前で髪と身なりを整えて、一度大きく深呼吸してから作造を客間に迎え入れる。
 平伏する作造の横で、きせもかしこまって顔を伏せた。
「御遠路はるばる御大義にござります。して、いかなる御用向きにござりましょう」
 里鹿のことばの抑揚が、しぜんと大奥時代の優雅な諧調になっている。
 作造は膝行し、「これを」と一通の奉書を差し出した。
 それに目を通した里鹿は、まずはなつかしい都山の筆跡を見て口元をほころばせ、まて様が請西藩領で隠棲する由、ときどき閑居を訪って機嫌を奉伺してほしい云々、という内容に触れた。
「奥女中のはしたに過ぎなかったわたくしのことを、かほどまでにお目にかけてくださるのか」里鹿は思わず涙ぐんだ。
「ところで浅野殿。お連れの可愛らしい娘さんは、ご息女にございますか」
 との問いかけに、作造はすっとんきょうな声をあげた。
「いやいやとんでもござらぬ。拙者は独り身、この娘は身共の命を救ってくれた酒屋のきせ女と申します」と、あの晩の出来事を身振り手振りで語って聞かせた。
 里鹿はひどく感心し、二人のためにお茶をたて、牡丹をかたどった甘い練り切りでもてなし、きせには自分の花簪と、摘み細工の髪飾り、ぽっくりなどをお土産に持たせた。
帰り際、里鹿はきせの手をとって、
「うちは男の子ばかりだから、きせちゃんとお近づきになれて嬉しいわ」と別れを惜しんだ。
木更津へ戻る馬上で作造が、
「今日は楽しかったか」と振り向いてたずねると、
「へえ。夢のようでした」
 里鹿が前髪に結んでくれた摘み細工に手を当てて、きせは照れ臭そうに微笑んだ。

 再びまて様にお目もじがかなうのだと思うと、里鹿は居ても立っても居られず、店先で女中をからかっている夫の正純の元へ行ってこの件について語り、
「長楽寺への往復に、黒漆塗りの駕籠を購入してもよろしいでしょうか」
 と伺いを立てた。
 正純は、素っ気なく答える。
「買えばいいですよ、いちいちわたしに断らずとも」
 この一言で里鹿はたちまち気分阻喪して、「なんですか、その言い方は」と声に棘が生える。
 正純は鼻の先で笑った。
「じゃあ、わたしがダメと言ったら、あなたはそれに従うんですか。そんな気、さらさらないでしょう。だから断らなくていいと言ってるんですよ」扇子の要で首の後ろを掻きながら、ふらりと外へ出て行ってしまった。
 里鹿は下唇を震わせながら、
「ええ。初めから従う気なんてありませんよ」
 自分にしか聞こえないほどの声でつぶやいた。

 いよいよ、驚天動地の事態が訪れようとしている。
 西上総の富裕層が神徳元年と呼んだ慶応三年の十月十四日、東照神君の再来とも呼ばれる十五代将軍徳川慶喜が、〈大政奉還〉の上表を朝廷に提出した。すなわち、源頼朝以来六百七十年余りにわたって続く武家政治、江戸開闢以来二百六十年余りつづいた徳川幕府の終わりである。将軍自ら国の統治権を天皇に返還した。
 日本はもともと天皇が治めていた国であり、それを武家政権が長らく専横していたというのが尊王の志士らの言い分であった。わけても癸丑以来、朝廷の許可を得ず外国と通商条約を交わすなど許されざる大罪であり、その失政を悔いるなら速やかに政権を天子様にお返しせよと執拗に迫った。この主張を藩を挙げて唱えているのが長州と薩摩であり、同盟結成以来攻勢を強め、パリ万国博覧会でも幕府をやりこめている。万世一系の皇国は万邦無比であり、徳川家など一臣下にすぎぬと日を追って敵意を剥き出しにするこの勢力に対し、現役の将軍である徳川慶喜が、
「そこまで申すなら、政権をお返ししましょう」
と無条件に申し出たのが、大政奉還なのである。
 この事態にもっとも驚いたのは、当の朝廷だった。政権返上を迫っても絶対に返してくるわけがないと高をくくっていたからである。武家の統帥たる徳川将軍が、自ら政権を手放すなど誰が想像できただろう。実はこの時、幼帝を擁した朝廷内で、倒幕の密計がすすめられていた。薩藩志士と公卿らの策謀で、政権を返上しない慶喜を討伐せよという内容の偽勅が作成されていたのである。これが西国雄藩に降下されれば、即刻倒幕戦争が勃発するはずであった。
 この密計を、慶喜は事前に察知していたらしい。勅書が降下されたまさにその日、大政奉還がなされたのである。討幕派は肩透かしをくらった格好となった。慶喜の政治的手腕を評して家康の再来と言わしめた所以はこれである。しかも朝廷は、鎌倉幕府成立以来、六百七十年余り政治から遠ざかっていたのだから、いきなり国の統治権を差し戻されても、どうすればいいかわからない。
 慶喜のねらいは、そこにあった。
 世上は大政奉還という事態に困惑していたが、慶喜の頭の中で次に打つ一手は決まっていたし、一部の開明的な幕臣もその後の展開を予測していた。
 すなわち、政権をもてあました朝廷は困り果てたあげく、再び庶政を将軍に委任してくるだろう。その機を逃さず、幕府側が望む新国家構想を実現すればいい。
 一言で言ってしまえば、幕政に欧米の議会政治を導入し、諸大名を上院、人選された藩士を下院とする国会を開設し、徳川将軍が首相となる。首相は上院の議長となり、下院の解散権を持つ。各藩の軍事力は国軍として統一し、天皇は神仏の長として、これまで通り伝統的な権威を認める。この構想を練ったのは将軍側近の西周で、海外留学の経験者であり、特にフランス語に長けていた。もし西の構想が現実のものとなれば、弱体化した幕藩体制を速やかに一新して、強固な権力を掌握した〈徳川大君制国家〉が誕生するだろう。
 この展開を待ち望んでいたのが、中央集権郡県制度を画策している幕閣の小栗忠順と、福田八郎右衛門ら幕府陸軍青年将校、木更津で佐幕の旗幟を明らかにしている義勇隊なのである。
 が、結論から述べてしまうと、新生徳川構想は実現しなかった。
 ひとたび朝廷に奉還された政権を、なにがなんでも手放さぬと腹をくくった志士たちがいたのだ。その代表格が薩摩の西郷隆盛、大久保利通、公卿の岩倉具視である。彼らは十二月九日、果敢にも〈王政復古の大号令〉を発し、日本が天皇制国家に移行したことを内外に示した。
 そればかりではない。
 政権を平和裏に奉還した徳川慶喜に対して、「辞官納地」を命じたのである。徳川将軍を三百諸侯の頂点から引きずり下ろし、四百万石の全領地を没収するという処置である。これにより朝廷は、徳川御家門、御親藩、譜代大名、旗本八万騎を完全に敵に回したことになる。
 西日本各地に大神宮の御札が降りそそぎ、民衆が「ええじゃないか」を連呼して踊りだしたのもこの時期である。御祓の御札が風になびいてへんぽんと降り来る様は白鷺が飛び回るように見えたという。その紙吹雪の中を、男は女装し、女は肩脱ぎして男装し、老若男女が入り乱れ、
 エエジャナイカ
 エエジャナイカ
 何かに取り憑かれたように、歌い踊ってねり歩く。この不思議な乱痴気騒ぎは年末まで続いた。どこの誰によって御札がまかれたのか、誰の扇動によって民衆が熱狂したのか、くわしいことは未だによくわかっていない。

 朝廷と薩摩藩の攻勢に、慶喜もただちに反撃する。大阪城に外国公使を招き、このたびの政変は「一部の奸謀」によるもので、日本を代表する政府は依然幕府であるとの声明を発表した。外交権はまだ慶喜の掌中にあったのだ。世論も、辞官納地は極論に過ぎると徳川同情論に傾き、それを受けて公卿らがたちまち弱腰になり始める。政治的揺り戻しが起こりつつあり、討幕派は急速に孤立し始めた。
 この劣勢を挽回するため、薩摩は暴挙に打って出る。
 将軍不在の江戸府内で、放火、掠奪、暴行などを繰り返し、幕府を挑発する行動に出たのである。彼らとしては、政権を返上した前将軍と今さら政治的駆け引きなどをしている場合ではなく、武力革命によって旧態依然たる武家社会を打ち倒し、封建制度の価値観を破壊せしめ、その上に天皇を頂点とする近代国家を建設しなければならないのであった。が、外野で各国公使が事態を注視している状況でもあり、こちらから戦争をしかければ国際的な非難を受ける危惧がある。よって幕府の方から戦端を開かせたい、との意向を受けた江戸薩摩藩邸在勤の藩士らは、関東草莽の志士らを密かに手なずけ、彼らを扇動して擾乱活動を展開する。標的は江戸の警備部隊、幕府御用商人、唐物商法をする貿易商などであった。
 関東志士の多くは、海外貿易によって凋落した養蚕農家の出身であり、幕府の失政を憎むこと並々ならぬものがある。具体的な怒りに端を発しているから、いきおい擾乱活動も過激の度を増していった。ここに単なる無法者も便乗し、薩摩藩御用を騙って一般商家からも金品略奪、抵抗すれば刃傷沙汰におよぶ御用盗が横行する。強姦、辻斬りまでも頻発し、江戸の治安は完全に崩壊した。
 市中の警備にあたる〈新徴組〉の屯所へ、佐幕急進派が集まったのは事態の深刻さを憂いてのことである。すでに新徴組の隊士も巡邏中に襲われていたが、慶喜や幕閣は上方にあって不在、江戸城の留守政府は慎重な態度を取らざるを得ず、今のところ薩摩藩の暴挙を静観していた。
 新徴組を預かる庄内藩を代表して木崎定之丞、沖田総司の義兄で組頭の沖田林太郎、会津藩中屋敷から細川外記、幕府陸軍所から斎藤閑斎、義勇隊から常盤之助、斎藤常次郎らが集まった。
 沖田林太郎がきっぱりと、
「浪士どもは薩摩の三田藩邸から出て、またそこへ帰っていきます。一味を扇動しているのは薩摩とみて間違いありません」と皆に報告した。
 また、それらの徒党とは別に、倒幕の気運に乗じた草莽の志士らが関東各地で挙兵騒ぎを起こしてもいる。今のところ局地的な騒動は事態の拡大をみる前に鎮圧されているが、敗走兵が逃げ込む先も薩摩藩邸なのであった。
「あそこを叩かんと、この擾乱はおさまらぬ」
 車座になった面々を見回しながら、木崎が強い調子で言った。
 文久三年まで公武融和路線で薩摩と協調関係にあった会津藩の細川外記は、無念やるかたない様子で顔をしかめている。薩摩と会津が足並みを揃えていた時期もあったなど今では冗談のような話であり、ここ数年の間に、いかに政局が複雑に変動したかを物語っている。
 細川外記は下唇を震わせながら、
「もはや閣老の指示を待たず、薩賊の巣窟へ斬り込み、一剣をもって天下を正そうではないか」膝に置かれた拳を強く握りしめた。
 斎藤閑斎はそれを聞いて深く首肯しつつも、
「なれど、今は慎重の上にも慎重を期さぬと、どんな伏兵や謀略が潜んでおるやもわからぬ」と自重を勧めた。
「これは異なことを」
 外記は一膝乗り出し、声を荒げた。
「兵馬最強たる徳川幕府が、おめおめと乱臣賊子に挑発されたままでおれば、外様はおろか、外国にも弱腰とそしりを受けましょう。ここは有無も言わさず藩邸を焼き討ちし、薩摩奸党の非を鳴らすべきではありませぬか」
 このような議論の場に、常盤之助は江戸滞在以来、何度も立ち会ってきた。いずれも国を憂う者たちの至誠から出る意見であり、身につまされる思いで傾聴している。しかし、いつだってどうすればいいかの判断を自分ではつけかね、議論に加わるだけの見識もなく、それがたまらなく歯がゆかった。
 声高な論争に交じって、なにやら物音が聞こえた。常盤之助は耳をそばだてた。
「幕府の犬めが!」
という叫び声が屋外から聞こえた次の瞬間、
 バンッ、ババンッ、バン、バン! 乱射された銃声が鋭く響いた。板戸の破片や漆喰が細かく飛び散り、そのうちの一発が屯所の使用人の命を奪った。常盤之助らは刀を引き寄せて戸外へ飛び出した。まだ硝煙が立ち込めており、走り去る浪士たちの後ろ姿が見えている。常盤之助は袴の股立ちを取りながら一散に駆けた。
 数町走ったところで突如、路地から出て来た浪士が一人、大上段から拝み打ちに斬りつけてきた。常盤之助は身をひるがえして抜刀し、相手の小手を抜き打ちにする。刀の柄を握ったままの両手首が、まるで大根でも切ったように切断された。折りくずれた浪士の首に刀を振り下ろすと、ざっと鮮血が地べたを濡らし、頭が毬のように転がり落ちた。常盤之助は両眼を見開き、日本刀のあまりの切れ味に茫然とした。
「おみごと」
 と背後で声をかけたのは抜き身をひっさげた細川外記で、追いついた常次郎も「やりましたね、大手柄だ」飛び上がらんばかりに喜んでいる。
 常盤之助は胸が破れそうなほど肩で大きく息をしていたが、やがて名状しがたい感情が高ぶり出すと、血脂のしたたる刀を手にしたまま、高らかに声を上げて笑い出した。

 浪士らの暴挙は、ついには江戸城西之丸の放火にまで及び、留守政府首席稲葉正邦は薩摩藩邸討ち入りを決定する。
 慶応三年十月二十五日未明、江戸市中取締りを任じられている出羽庄内藩と新徴組が薩邸を包囲し、まずは庄内藩士安倍藤蔵が単身乗り込んで賊徒引渡しを要求した。
「貴邸に潜伏している不逞の輩をお引き渡し願いたい」
 これに対し薩邸留守居役の篠崎彦十郎が、
「ここで幾人かん浪士を匿うちょるんな事実じゃ。じゃっどん、そいがあたんゆ不逞ん輩であっかどうかはわかりもはん。よっせぇ、引渡しん要求には従えもはん」
 そう回答すると、安倍はしごくあっさり、
「ならば手切れにござる」と言い捨てて、交渉は決裂した。
 安倍を見送りに邸外へ出た篠崎はいきなり庄内藩兵の槍で突き殺され、これを合図に討ち入りが決行された。薩摩側の抵抗も激しく、戦闘は三時間余り続いたが、庄内側の撃ち込んだ砲弾が邸内の焔硝蔵を爆発炎上させ、藩邸はついに陥落する。薩摩側の戦死者六十四人、捕縛された浪士は百人を超えた。討伐側の犠牲者は十一人。
 この戦闘の様子を高台から見ていた細川外記は、
「いよいよ奸藩討伐の戦いが始まりましたな」
 と、眼光炯々たるものがある。
 常盤之助も薩邸から上る黒煙を眺めながら、
「薩摩芋がいいあんばいに焼けていますね」と、ほがらかに笑った。

 慶応三年大晦日、高窓から差し込む薄い日光の下で、三千太郎が書物に目を落としている。格子のはまった四畳ほどの独居房には畳が一枚敷かれているきりで、あとは黒々と古びた板張りであった。
 三千太郎が手にしている『海外新話』は仮名綴り本で全五冊、清朝が阿片戦争を経て不平等条約を締結するまでの経緯が簡明に記されている。海外の地図、アジアにおける英国の侵略範囲まで図示されていた。木版絵画が多数挿入されているのが印象的で、洋式軍艦や英兵の軍装なども精緻に描かれており、眺めているだけでも面白い。
 牢屋敷が建つ四方ヶ原は、大昔は墓場であったという。「芝生の原」がなまって「しほうがはら」と呼ばれたとも、かつて僧房が四つ建っていた故「しほう」という地名になったとも伝わる。一見して物寂しい平坦な場所で、現在の木更津高校の辺りがその敷地であったらしい。
 獄舎を取り囲む高い土塀の前で背伸びをすると、遠くに太田山が見える。獄室の扉は施錠されておらず、自由に出入りできたから、三千太郎は毎朝中庭で木剣を振った。司獄も牢番も地元の者で、島屋門を怒らせたら一大事と心得ているから、誰も粗雑な扱いをしてこなかったし、むしろ客人をもてなすように気を使ってくれてもいる。豊など毎日外出して、近所の湯屋へ通っていた。
「髪を短くして良かったことは」と顔を火照らせた豊が手拭いを提げて三千太郎の獄室へ入って来た。「毎日髪を洗えることだね」
 この時代の女性は月に二三度しか洗髪しない。豊は指で髪をすくたびに、もういちど髷を結うぐらいなら坊主になったほうがましだと思うのだった。
 楓江先生も、毎日のように通い徳利を片手にここへ遊びにやって来る。
「おお、乙女は風呂上りか。どうじゃ、一杯やらぬか」と三千太郎の獄室へずかずか入って畳に腰を下ろし、獄卒に湯呑を持ってきてくれと声をかける。
 豊は手拭いで顔をあおぎながら、
「先生、今夜は大晦日だよ。こんなところで飲んでていいの? 横峰の自宅へ帰らなくていいの?」と尋ねた。このところ楓江が家族の元へ戻らず、南町の旅館「泉屋」の離れで寝起きしているのを気にかけているのである。
 楓江は「女子と小人とは養い難し」などと論語の一節を口ごもりながら、あきらかにその話題に触れたくないそぶりをみせた。海外新話の一冊をおもむろに取り上げて、自信ありげに三千太郎の顔をのぞいてみせる。
「どうじゃ、わしの本は」
「いや、先生の書いたものだから正直期待してなかったんだが、実に良かった」
「おぬしならわかると思うておった。だいたいおぬしは、こんなところに入っておるような若者ではないのだ」
「確かに、おれに上牢はもったいない。ほとんどの囚人が北舎の雑居房に入れられて、一汁一菜の飯しか食わせてもらってないんだからな」
「わしが申しておるのは牢舎の格のことではない。いやしかし、なんと申すか、おぬしのそういう性格が人徳とも思えるのだ」
 などと言いながら徳利の栓を抜いた。
 上牢は武家や富裕層の軽犯罪者が収容されるところで、金さえ払えば朝晩の食事も近くの煮売屋から取り寄せることができる。この日も暮六つ前には夕飯が届いた。年越しの膳は、白飯、里芋と大根の煮しめ、せいごの煮魚だった。
「平さん、ご飯だよう」豊が隣の獄室へ声をかけたが、返事がない。
「やれやれ」と呼びに立つと、入獄以来、いつものようにふて寝している平右衛門の姿が格子越しに見えている。ここの扉も開けっ放しである。
「平さん、起きてよ、ご飯だよ」
 揺り起こされた平右衛門の頬は無精髭におおわれ、髷がそそけ立ち、着衣もよれよれで、いかにも囚人の体であった。しんどそうに起き上がると、垢じみた袖に片手を突っ込んで二の腕をぽりぽり掻きながら、三千太郎の房へ入って来た。
 箱膳に置かれたせいごの煮魚を見るなりへっへと笑って、
「牢屋で出世魚を食うことになるとはねえ」と顎髭を撫でつけながら言った。
 湯呑についだ酒で乾杯する頃、暮色も深まりかけている。西寄りの風が肌寒いので、獄卒が気を使って火鉢に炭を足し、五徳に鉄瓶をかけて湯をわかしてくれた。豊は途中からお湯割りにして飲んだ。
 ここ数日、話題はどうしても大政奉還のことになる。しかも楓江の得た直近の情報によれば、三田の薩摩藩邸が焼き討ちされたという。
「これからどうなることやら」
 ちびりと湯呑を傾けた楓江がつぶやくと、出世魚のおかしらをつついていた平右衛門の箸が止まった。
「幕府なんぞ、このままなくなっちまっていいかもしれんな……」
 と、それが思いつめた末の一言であろうことは、声の調子からうかがえる。しかし率先して義勇隊の活動に挺身してきた平右衛門の口から、まさか聞かれよう言葉とも思えなかった。
「どうしたんだい、平さんらしくもない」豊が眉を曇らせた。
「いやさ、そもそもおれたち、あんでこんなところにいるんだって話しよ。あにが悲しくてこんなとこで年越ししてんだ。おれたちゃ木更津の治安を守るため、大奥老女の荷物を野盗から守るため、体を張って戦ったんだぜ。しかもその野盗にしたって、考えてみりゃあお上の失政が生み出した無職渡世と田捨て百姓じゃねえか。八州様だの幕吏なんぞ、どいつもこいつも馬鹿ばっかりよ。豊ちゃんは腹立たねえのかい? 女を平気で牢にぶち込むような奴らだぜ」
「それよ」と豊は箸先を平右衛門に向けた。
「もっとひどい目にあうと思ったら、意外と快適で驚いた」
「いや、そういうこと言ってんじゃなくってよう。おれは幕府の体たらくを嘆えてるんだ。なあ、先生はどう思うよ」
「我が国は今、外患内賊の危機に瀕しておる」と、飲む手を止めて容儀をただした。楓江が真面目な顔つきをすると不思議な威厳があり、皆しばし箸を止めた。
「確かに、平右衛門の申す通り、幕藩体制の劣化は明らかであり、先祖の武功にあぐらをかいて俸禄を貪っておるだけの役人も少なくない。なれど、いま重要なことは、幕府こそが最大の海軍力を保持しておるということなのだ。西洋夷は虎視眈々とアジアの征服を企んでおる。阿片戦争後の清朝を見よ、火を見るより明らかではないか。この外患に抗するため、今は征夷大将軍の元に諸侯が結束し、国威を発揚し、外国に侵略の口実を与えてはならぬ。その上で幕政の改むるところを改めて、宸襟を安んじ奉るべきではないかと考える」
「つまり……」と豊が首を傾げた。「どゆこと?」
 楓江は湯呑の酒を一口すすると、目尻を下げて平素の酔っぱらいの顔に戻った。
「内輪の争いなぞしている場合ではない、ということよ」
 灯ともし頃となり、牢内の夜回りが拍子木を打ちながら長廊下を渡ってゆく。
 三千太郎は鉄瓶を傾けて酒に湯を注いだ。獄舎の板張りが冷たさを増すころである。
「海外新話を読んだ後だと、ふーこー先生の言っていることがよくわかる」
「であろう」と少しばかり声の調子が居丈高になる。
「だけどよ」と、平右衛門はなおも不服そうであった。
「先生が木更津に来たのは、その書物の出版をとがめられてのことなんじゃろう。なんでそんな幕府を、先生は見限らねえんだい」
「版木が焼かれたのは、嘉永二年のことであったか……」楓江は酔いどれた目をしばたたかせた。
「幕府はわしの書を発禁処分としたが、当時の幕閣のお歴々は、さぞやあの書を熟読したことであろう。今や幕府は留学生を海外へ送り出し、洋式製鉄、造船技術、最先端の軍事知識の吸収に躍起となっておる。これは幕府が鎖国の弊を悟り、国力の貧弱を思い知り、列強の領土的野心の恐ろしさを自覚したからに他ならず、拙著がその一助となったのは疑うべくもない。今や旗本八万騎は元亀天正以来の古式ゆかしき軍学を脱し、近代軍制への移行を遂げようとしておる。いかに危殆に瀕しておろうとも、兵馬最強は徳川であり、よってこの国を外圧から守れるのも徳川をおいて他にない。君臣の義を正すため大政奉還はやむなしとしても、これに便乗して薩摩がしゃしゃり出てくるなぞは大逆無道と言わざるを得ぬ」と語気を強めるにつれて顔の赤みがいっそう増すのであった。
 平右衛門は四つ目綴じの海外新話をめくりながら、挿絵をまじまじと眺めた。
「毎日ふて寝してても始まらねえから、ここにいる間、いっちょう外国のことでも学んでみっかなあ」
「その意気やよし」と楓江は膝を打ち、「乙女よ、そなたも学ぶがよろし。これからのれでぃはすたでぃすべきぞ」と豊にも海外新話の一冊を渡した。
「まあね、ここに居たって賦役があるわけでもなし、退屈しのぎに学問するのも悪くないかな」
「学べば則ち固ならずよ」
 などと語らいながら酒を酌み交わしていると、獄卒が手燭を灯してやってきて、面会者の来訪を告げた。
 獄舎の扉を開けて真っ先に入って来たのは茂三郎で、後ろに角樽を提げた縫之進と幸左衛門の姿もみえる。総三郎とクニは大きな風呂敷包みを抱えていた。
 コンモが清々した様子で「おかげさまですす払いも終わったし、今年はここで年越させてもらうぜ」と三千太郎と豊の間に割って入った。
 すでに島屋の名義で牢役人と北舎の雑居房に酒樽が振舞われていたから、司獄官がひどく恐縮して、「ここではなんですから、われらの詰所でおくつろぎくださいませ」と平に伏すように申し出たが、幸左衛門は丁重に断った。
「年越しそばを食べに来ましたんで、すまないが炊き場を使わせてもらいますよ」
 風呂敷の中身は生そばと鰹節、濃口醤油、味醂、砂糖などである。
「さあ腕を振るいますか」幸左衛門とクニが調理場へ立った。
「しょーじゅがね」とつぶやきながら縫之進が刻み煙草をつまんで丸める。
「じぶんのせいでミチタがお縄になったと嘆いてるよ」
「あいつのせいじゃない。鉄砲を撃ったのはおれだからな」
「あれでなかなか繊細なところがあるからさ。今夜もここへ来たがってたんだが、さすがに、大晦日はね」
「初詣に行けるのは、いったいいつになるやら」と苦笑いしながら、三千太郎は縫之進のキセルをひょいと取り上げて、深く煙を吸い込んだ。
 コンモも煙草入れからキセルを取り出すと、
「正道のやつ、大政奉還の報に接して寝込んじまってるぜ」と声をおとして、火打石をカチカチ鳴らした。
 総三郎は、人差し指を伸ばしてちょいちょいと豊の肩をつつき、房の外に向かって顎をしゃくった。豊は酔っぱらって上機嫌だったから、呼ばれるがまま廊下へついて行った。
「豊、改めて申す。おまえがこんなところに入れられたのは、かえすがえすもわしのせいである。ゆるせ」
 と深く頭を下げた。
 総三郎のしょげかえった顔を見た豊は、ぷっ、と噴き出し、そのままお腹を抱えて笑い出した。笑上戸になっている。
 あんまり笑い過ぎて涙まで流した豊は、軽くみぞおちを叩き、しばらく呼吸を整えていた。やがて、
「獄舎を出たら、これを機に、母さんと一緒に江戸で暮らすよ」と言った。
「江戸って、おまえ……」
「前からずっと決めてたんだよ。なをのことがあったし、ミチタのことも心配だったから延び延びできちゃったけど、心機一転、江戸に行く」
 豊はさばさばとした面持ちで獄室へ戻った。
 格子の中に年越しそばが運び込まれると、幸左衛門は皆を見回して居住まいを正した。
「罪とがもない家族が、こうして獄舎につながれておるのはいかにも口惜しい。だが、このような仕打ちにあうと、いっそう身内の尊さがわかってもくる。一年の締めくくりに家族と蕎麦を食べると、来年もソバにいよう、という気持ちが深まるという。そんな縁起を担いで、今宵は家族と共にこの蕎麦を味わいたい。汁はくにさんの味付けだから、美味いこと請け合いだ」
 楓江が天井を振り仰いで「霜鬢明朝、又一年」と唸ると、幸左衛門は深くうなずいて、「歳ばかり取ってしまいますなあ」と感慨深げに笑った。
「さあ、冷めないうちにめしあがれ」クニが祝い箸を配ると、豊が真っ先に手を伸ばした。
 やがて遠くから、除夜の鐘が聞こえてきた。ここまで聞こえてくる鐘の音は、きっと矢那川の向こうにある西光寺のものだろう。近くに処刑場があって、生前なをは、そこを通るのが怖くて川舟を使って木更津に来ていた。三千太郎はふと、そんなことを思い出した。

 明けて慶応四年は正月の三日から、不穏な空気に包まれている。大阪城にいた徳川慶喜は、江戸の騒動を受けて薩摩藩討伐を表明し、幕府軍を京へ進発させた。
 ついでながら「幕府」とは、武家政権のことであるから、すでに大政奉還によって消滅している。この時点では「旧政府」または「旧幕府」が正確な呼び方で、朝廷が「新政府」である。しかしこの先も、「幕府」の呼称はこのままにしておく。
 大阪を発した幕府軍は淀城で二手に分かれ、会津藩兵を先鋒とする本隊は陸軍奉行竹中重固が率いて伏見街道を進んだ。一方、陸軍奉行並大久保忠恕の率いる別動隊は「討薩表」を所持した大目付滝川具挙を同道し、幕府歩兵二大隊、会津藩お預かりの見回組二百名、砲六門を曳きながら鳥羽街道を北進、主力は山崎のあたりを進軍中であった。
 鳥羽街道の別動隊が鴨川にかかる小枝橋にさしかかったとき、時刻はすでに午後四時ごろとなっていた。橋は薩摩軍によって封鎖されており、幕府軍が入京するのを頑として拒んだ。関門から軍監の椎原小弥太が進み出て、馬上の滝川具挙と、
「通せ」「通さぬ」
の押し問答になる。双方一歩も引かない。
 業を煮やした幕府軍の砲兵士官、石川百平と大河原鋠蔵の二人が、関門に照準を定めて砲弾を装填していると、突如、橋の東側にある城南宮の森から耳をつんざく砲声がとどろき、路上の四斤砲一門と石川、大河原両士を粉々に吹き飛ばしてしまった。撃ったのは薩摩軍の伏兵で、この一発が、翌年まで続く内戦〈戊辰戦争〉の開戦を告げた。
 この時、幕府の凋落を象徴するような出来事が起きている。先頭で薩摩藩士と言い争っていた大目付滝川具挙を乗せた馬が、砲弾の炸裂音に驚き、躍り上がって後方へ逃げてしまったのだ。後続の兵士たちは指揮官が遁走したのだと思い、前線が敗れたと錯覚してたちまち大混乱に陥った。歩兵の多くが銃器を捨てて逃走してしまった。それでも見廻組や桑名藩の大砲隊は踏みとどまり、伏見方面も会津兵と新選組が刀槍による突撃を繰り返し、劣勢を引きずりながらもかろうじて戦線を支えている。
 翌日も闘志と火砲に勝る薩軍の優勢は続き、幕軍諸藩の戦意は振るわない。兵馬最強の徳川を恐れて弱腰だった朝廷もようやく奮い立ち、正月五日、ついに淀川の河畔に錦の御旗が翻る。
 尊王を標榜している薩摩、長州、土佐の藩兵を、朝廷が〈官軍〉として正式に認可したのである。これは同時に、幕府側が〈賊軍〉になった瞬間でもあった。
 日本という国の特殊性は、国造りの神を先祖とする天皇への畏敬を、太古より連綿と継承し保持してきたところにある。戦国時代の一時期、天皇離れが起きかけたが、徳川の幕政下で再び思想的に見直され、天皇こそ日本を統べる絶対者であり、武家は庶政と軍事を預かる臣下であると定義されるようになった。これを理論化したのは御三家の水戸光圀であり、武家側から尊王思想が萌芽するのも不思議な話であるが、幕府が採用した官学が儒教であったことを考えれば、この思想によって君臣の義が正され、天皇の存在によって幕府の正統性が保証されたともいえる。後醍醐天皇と終生反目し合った足利尊氏などは国史上大悪人であり、室町幕府は正統な政府ではなかったとされている。この光圀の思想が後世〈水戸学〉と呼ばれ、尊皇派の思想的根拠となっていた。
 徳川慶喜という人は、水戸光圀の子孫なのである。そうであったからこそ、将軍は庶政と軍事をつかさどるという使命に燃えて戦ってきたのであった。しかしその結果、賊軍の大将にされてしまうという皮肉に直面したとき、これまで自分を支えてきた心棒が、ぽきりと折れてしまった。頭の中が真っ白になり、
「一刻も早く戦線から離脱し、江戸へ戻って謹慎しよう」
と血迷ったのは、それほど賊軍の汚名を恐れたからである。
 慶喜は側近のみを連れて密かに大阪城を脱し、天保山沖に停泊している幕艦「開陽丸」に乗り込み、錨を上げた。家臣たちを戦場に残したまま遁走してしまった。

 将軍が戦線離脱したなど誰も予想だにしていない。請西藩主林忠崇は、大阪で勃発した戦争に加勢すべく、渡海船の調達を急いでいた。正月九日、藩兵一小隊と砲一門を曳いて品川沖に停泊している大型船に乗り込んだが、海が荒れてなかなか出帆できず、十三日払暁、ようやく浦賀港にたどり着いている。途中、沖合で蒸気軍艦一隻とすれ違った。
「あれはどこの船ぞ」
 忠崇は側近の伊能矢柄をかえりみた。二人とも具足一式を身に付け、陣羽織を着用している。
 内戦となったからには、海上でさえいつでも戦場となり得る。伊能は緊張した面持ちで目を凝らしたが、藩籍を示すような旗の類は一切翻っておらず、煙突から黒煙を吐き出しつつ、全速力とおぼしき速さで通り過ぎてしまった。
「あれほど大型の鉄艦であれば、きっと我が方の船でしょう」とは言ったものの、伊能は不審そうに船影を眺め続けた。我が方の艦船であるなら、なぜ上方で戦の真っ最中に東上しているのだろう。
 港に入ってすぐ、忠崇は伊能と大野禧十郎を浦賀奉行所へ派遣した。
 空がにわかにかき曇り、雁木に高波が打ち寄せている。
 寒風がふきすさぶ中、伊能と大野が顔を蒼白させて戻って来た。
「申し上げます」と言ったきり、伊能は口を真一文字に引きつらせたまま、次のことばが出て来ない。
 代わって大野が手を付いて報告した。
「大樹公、すでに帰城したとの由。事の委詳はわからずとのことにござります」
と一息に述べたが、その声は動揺を隠せず、かすかに震えている。
「そんな、馬鹿な話、あるまい」と忠崇は口ごもった。
 伊能がようやく口を開き、
「昨日すれ違った艦船が、将軍を乗せた幕艦だったのではありますまいか」と声を落として言った。
 風に交じって初雪が降り始めたようであった。板戸ががたがた音を立てた。
 忠崇は重い面ざしを二人に向けて、
「そなたら、ただちに早船で江戸へ返し、将軍東帰の是非を確認してまいれ」
と念を押すように申し付けた。
 十四日夜、伊能、大野と入れ違いに江戸藩邸から清水半七が駆けつけ、江戸詰家老小倉多左衛門からの書状を忠崇に届けた。
 そこに、慶喜が在府の諸大名に発したという『内諭の書』が同封されていた。
〈この分にては過多の人命損じ候のみならず、宸襟を安んずべき誠意も貫けず、ついては今後の深き見込みもあれば、部隊を引き上げ、軍艦にてひとまず帰府いたし候。おって申し聞かせ候儀これあるべく候〉
 という。「深き見込み」があるというのだから、将軍のとった一連の不可解な行動も、何か大きな戦略の一環なのかもしれないと忠崇は理解した。よって家老の「急ぎお戻りくだされたし」の指示に従い、海路帰府の途に着いたのである。

 江戸城内で、連日大評定が続いている。忠崇もさっそく登城し、菊の間縁頬詰めの譜代から情報を収集した。沸騰する話題の渦中に小栗忠順がいる。この日、小栗と榎本武揚が芙蓉の間からそろって黒書院に入ったという。現役の勘定奉行兼陸軍奉行と軍艦頭が将軍と謁見するのである。今後の戦の方針を立てるに相違ないと忠崇は思った。

 平伏した小栗は、やおら顔を上げると、眉目の間に怒りをみなぎらせて声を上げた。
「上様、諸藩が形勢を観望している状況で、みすみす大阪城をお捨てになられるなぞ、あまりのご失態にござりませぬか。乱臣の手勢は数千程度だったと聞き及んでおります。なぜ城にご籠居遊ばされなかったのです」
 平素なら聞き捨てならぬ言であろうが、慶喜は焦燥した顔をうつむかせたまま黙っている。
「今からでも遅くはありませぬ。軍艦を駿河湾に遊弋させ、東海道を進軍してくるであろう敵兵を艦砲により駆逐なされませ。しかる後、艦隊を二手に分け、一隊をもって摂海を抑え、もう一隊をもって下関、鹿児島へ遠征し、敵の本拠地を衝く」
 この小栗の戦略は、軍艦頭の榎本からしても理にかなっている。薩長ごとき、海軍が総力を挙げれば赤子の手をひねるようなものではないか。
「勝機は我が方にあります」と榎本も身を乗り出して賛同した。
 しかし慶喜は、あたかも叱責するかのように、
「錦旗が出たのだぞ」
 と低い声でつぶやいた。
「もはや、是非に及ばず。薩長は官軍である。この上反抗なぞ致せば王臣の道に背くこととなり、百世の後まで逆賊の烙印を残すこととなろう。抗戦はせぬ。余は寛永寺にて謹慎致し、ひたすら恭順に相務める」
 『内諭の書』に書かれた「深き見込み」とは、このことであったかと二人は落胆した。
 戦意を完全に喪失している慶喜を叱咤するように、小栗は膝をにじり出して言上する。
「いま上様が降参遊ばされれば、それこそ逆賊の刻印は避けられますまい。なればこそ、奸藩を打ち負かし、錦旗を奪い返さねばなりませぬ」
「それは尊氏もしたことぞ!」慶喜は声を荒げた。「その結果どうなったか。南北朝史に払拭できぬ汚点を残し、史上最大の賊とされておるではないか。そなたは余を第二の足利尊氏としたいか。朝廷から宣戦布告を受けた以上、悔悟謝罪するより他に汚名をそそぐ道はあるまい」
「ならば家臣はどうなるのです」小栗は拳で膝を打った。「朝敵となることを恐れてお見捨てになるのですか。旗本八万騎が路頭に迷ってもかまいませぬか」
「そうは、申しておらぬ」口ごもった慶喜の目に光るものがにじんだ。もはやなすすべもなく、万策尽きたようにうなだれている。
 小栗はさらに声を励まして言った。
「我が方には東洋一の艦隊もありますれば、まずは関東、東北諸藩を取り纏め、東国に割拠して雄を養い、乱臣どもの討伐に打って出ましょう」
 慶喜は生色を失ったまま「戦費はいかが致す」と力なげに問うた。「フランスからの借款も御破算となり、今や西国の直轄領も、長崎、大阪、堺の利権も失われた。この状況では、戦費を賄えぬ」
「勘定奉行のそれがしが、各国から金を借りてまいります。この期に及んでは借金をしてでも戦うべきと存ずる。現在の朝廷は幼帝を奉る薩長の傀儡に過ぎませぬ。兇徒が錦旗を翻すなら、我らは大義の旗を掲げるのみ。恐れながら上様、ここで御奮起遊ばさねば、何をもって東照公に地下で見えん」
 という小栗の主張はもっともであり、家康公の御霊に顔向けできぬと迫られれば二の句も継げないが、慶喜にとってただ一点、どうしてもゆずれないところがあった。それは、
「外国から借金をしてでも」
 という部分である。
 もし返済に行き詰れば、国土が列強の質となり、港を奪われ、関税を取られ、居留地を売り渡すはめに陥らないともいえない。慶喜はいつか読んだ『海外新話』という書物を思い出していた。このままでは清国の轍を踏むことになりはせぬか。日本が外国の植民地とされる危険を冒してまで、反撃すべきなのか。
 膝もとに突き立てた扇子を握って、慶喜は瞑目した。西日がかげり、書院が薄暗くなってきても黙考し続けた。やがてお坊主衆がロウソクを灯し始めるころ、慶喜はようやくまぶたを開き、小栗の顔をじっと見据えた。
「ただ今をもって、勘定奉行並びに陸軍奉行の免職を申渡す。下がるがよい」
 小栗は目を見張った。榎本も茫然と息を飲んだ。頑としてゆずらない面持ちの慶喜に向かって二人は平伏すると、中腰のまま書院から退出した。
 その直後、慶喜は近習に声をかけ、
「勝安房守を呼んでまいれ。至急じゃ」と命じた。

 小栗が江戸城本丸大玄関を出ると、福田八郎右衛門の率いる騎兵隊が整然と並んでいた。金裏藍の陣笠をいただき、縦詰襟の戎服にブーツを履いて、西洋風の筒袖陣羽織を羽織っている。馬は在来種の木曽馬であるが、鞍などは洋式の馬装であった。
 慶応二年からフランス式軍制を採用している幕府陸軍は、ようやく士官が育成されつつある。福田は彼独特の甲高い声を上げて、
「アタンシオン(気を付け)! サリユ(敬礼)!」と仏語で部下に号令した。
 小栗は押し黙ったまま馬鞍に跨った。
 福田の階級は騎兵頭並であり、現代の中佐に相当する。幕府騎兵二箇連隊のうち半隊を統括していたが、普段は仏語通辞の仕事に忙殺されている。シャルル・シャノワーヌ以下十九人の軍事顧問団がまだ日本語に慣れていなかったからである。
 福田が配属された騎兵隊は、流鏑馬に特化した和式馬術から洋式馬術への移行に手間取っており、まだ戦場で実用される段階には程遠く、高官の護衛や伝令に用いられているばかりであった。補足ながら騎兵が体を成すのはこれよりずっと後、明治陸軍において秋山好古がその任を担ってからのことになる。
 オランダ製の軍帽を目深にかぶった榎本武揚も、消沈した面持ちで福田に会釈すると、馬首を返して築地の海軍所へ帰って行った。
 小栗の護衛十頭あまりは轡を並べ、乾いた馬蹄を響かせて陸軍所の門をくぐった。
 ただちに幹部が集められ、陸軍奉行罷免の件、直接本人が説明した。これまで七十回ほども役職の降格や罷免を受けてきた小栗であったが、今度ばかりはいつもと様子が異なり、この人にしてはめずらしく意気消沈している。去り際に福田を控えの間に呼び出し、ここでようやく何か吹っ切れたような笑顔をみせた。
「八郎右衛門、ここへ来る道々ずっと考えておったのだが、将軍から直接免職を言い渡された家臣は、徳川二百七十年の歴史の中で、わし一人ではなかろうか」
 と言われてみれば、福田も前例を知らなかった。
「そうだったかもしれませぬ」と答えると、小栗は膝を打って笑い出した。
「これもある意味、我が一族の武勇伝となろう。ここが引き際じゃ」
「なにを申されますか。今こそ小栗様の采配が必要なときです」
「いや……」と行灯の明かりに目を向けていると、下士官が茶を運んできた。
 その熱い茶を一口ぐっと飲み込むと、小栗は低いかすれた声で言った。
「将軍はすっかり腰が砕けて、もはや戦う意気はいささかもない。君家が戦わぬのなら、三河武士の後裔は滅ぶのみ。よってわしは知行地の権田村で隠棲する」
「おまちくだされ」と福田は慌てて膝をにじらせた。「それでは我が陸軍はどうなるのです。小栗様が手塩にかけて育てた組織ではござりませぬか。大将不在ではにっちもさっちも行きませぬ。どうかここに留まり、佐幕の赤心を貫かれてくださりませ」
「将軍が、これで終いと決めておるのだ。臣下はそれに従うのみ」
 いつもは温厚な福田が、これにくってかかった。
「大樹公は利根過ぎたる大将にござれば、南北朝史だの水戸学だの、空理空論にまどわされ、正気を欠いておられるに相違なく、謹慎恭順なぞは笑止千万。日光の御神意に適うものではござらぬ!」
 慶喜は頭でっかちで、武士の本分を忘れ、日光東照宮に祀られている家康公の意志に背いているのだ、と言っている。
「ひかえよ、八郎右衛門!」と小栗も声を上げたが、憮然とまた一口茶をすすると、気を取り直したように口元に笑みを含んだ。
「君臣上下の別は天地自然の儀則ぞ。古臭いと笑われるやもしれぬが、わしは武士らしく天倫に従って生きたいと願うておる」
 そう言って茶を飲み終えると、つと立ち上がり、わずかな持ち物を風呂敷に包んで陸軍所から出て行ってしまった。
 この後、小栗忠順は一家そろって上州権田村へと移住した。帰農して余生を過ごすはずであったが、慶応四年閏四月四日、突如新政府軍に捕縛され、何の取り調べもされぬまま家臣三名と共に斬首された。
「何か言い残すことはないか」と聞かれた小栗は「自分に関しては何もない」と答え、「母と妻はすでに逃がした。どうか婦女子には寛典を望む」と付け加えたという。
 刑を執行しようとする新政府軍の兵士たちと、それ阻止しようとする村人の間で激しい口論となったが、小栗は皆をかえりみて、
「お静かに」
 と言った。これが最期のことばとなった。

 小栗や水野痴雲といった交戦論者が軒並み左遷され、どうやら最後の幕閣の首班に任命されたのは勝海舟であるらしいと、江戸城菊の間に詰めている林忠崇の耳にも噂が届いた。譜代大名の持ち回りであった老中制が廃され、勝のような旗本が取り立てられるのも、政治の中枢に人材が不足しているからに他ならず、忠崇は溜の間詰の不甲斐なさに憤りすら覚えるのだった。そもそも勝という人物は幕臣としての自覚が薄く、かつて慶喜が構想していた「徳川大君制国家」にも反対しており、政治は雄藩による連合、海軍は諸侯と共有せよなどと日ごろから暴論を主張している。それがもとで慶喜から疎まれ、政界からも罷免されていたような男なのである。事ここに至っては大老井伊直弼のごとき強権発動さえ望まれているこの時機に、なんぞ勝ごとき軽輩に幕府の舵をゆだねるのか、忠崇にはまったく理解できなかった。「いよいよ幕府が危ない」という思いを深めるざるを得ない。
 
 先日、万里小路局の荷送りを任せられていた浅野作造が木更津から戻って来て、「万事支度は整いましてござります」と御前へ進み出たが、その場に居合わせた誰もがあっけにとられたのは、作造が白装束を着ていたからである。御座の間上段でまて様と並んで着座していた忠崇は、その恰好を見て、一瞬鳥肌が立つほどの緊張感を覚えた。
 作造は膝前に短刀を置くと、両手を付き、平に伏した。
「恐れながら」
 と神妙な声色で言上するには、木更津湊にて野盗に襲われ、調度品のうちの三点、夏用の筥枕、爪とり鋏、定紋入り盥を盗難された失態は死んで詫びるより他なく、この場で切腹仕りたい、と言う。これがこけおどしなどではなく、即刻腹を切るつもりであろうことは、作造の張り詰めた面差しを見れば疑いもない。
 これぞ武士の本分であろうと忠崇は膝を打ちたいような気持ちになった。ちらと傍らをのぞき見ると、まて様も作造の義士ぶりを愛でるように微笑んでいる。
 作造はさらに、先日頂戴した陣羽織も野盗に切り裂かれてしまったことを詫びた。
「面を上げられよ」と発したまて様の声は穏やかだった。
 作造が視線を落としたまま顔を上げると、なるほど頬にも数か所切り傷が残っている。
「爪とり鋏と引き換えに、そなたの命を失わずに済んだこと、まこと幸いでありました。陣羽織なら、また新しきものをつかわそう」
 まて様は顔をほころばせてうなづいてみせた。
 作造は再び両手を深く付くと、額を擦りつけるように頭を下げたまま、木更津の人々が荷を守るために戦ってくれたこと、特に義勇隊と家中の諏訪数馬の世話になったことなどを言上した。そして、関東取締出役に捕縛されている三名のことにも触れ、何卒よしなにお取り計らいくだされたし、と付け加えた。
 これについては忠崇が「相分かった」と承諾し、続けて、
「浅野作造頼房、この度はまこと大義であった。いやしくも武士たるもの、そなたのような覚悟を本意の第一とすべきである」と懇ろなことばをかけずにはおれない。
 作造は「ははッ」と大音声を上げて打伏し、恐懼感激の涙を流した。
 あの者こそ、と忠崇は思うのである。死を常に心にあつるもののふの鏡であろう。天下の風雲いよいよ急であれば、余も華々しく戦って討ち死にせねばならぬ。
 
 にしても、勝海舟とは、あまりにもひどい人選ではないか。勝の本氷川の邸宅には、薩長の志士らが頻繁に出入りしているともっぱらの噂であり、薩摩の大将西郷隆盛とは公然と交誼を結んでいるという。しかも頻りに幕政を批判しているというから、あるいは敵方と通じているのではあるまいか、と忠崇は危惧する。勝安房守といえば石高四十一石の貧乏旗本の出で、蘭学を学んで海軍伝習所の一期生となり、日本で最初に太平洋横断を成し遂げた咸臨丸の艦長を勤めたが、航海中はずっと船酔いで寝込んでいたらしい。小栗忠順と並ぶ幕末の筆頭官僚であるが、小栗が主戦論の先鋒であったのに対し、勝は非戦論を公言してはばからない。その勝が再び登用されたとなると、もしや将軍は、戦わずして降伏遊ばされるおつもりであろうか。とこれは忠崇一人の憶測ではなく、江戸城内に行き交う風評でもあった。

 黒書院にて、勝は慶喜と対座している。
 英邁の誉れ高き天下の大将軍も、今では無位無官、目の下にはっきりとくまが見て取れ、痛々しいほどやつれた様子である。長らく反目していた主従であったが、さすがの勝も慶喜の心中を察して胸が痛んだ。
 慶喜の方も、すべてを失いただ一人沈思黙考してみれば、勝がなにゆえ徳川大君政府構想を批判し、海軍は諸侯と共有せよと献策したのか、今となってはわかる気もする。かの者は、すでに幕藩体制というものが機能不全に陥っていることを既成事実として認め、八洲を一つの「国」として運営せねばこの先は立ち行かないと悟っていたのであろう。実際、内戦などしておれば各国から干渉を受ける事態は避けられず、借款や援軍を求めれば、それを口実にして国土が蹂躙されてしまいかねない。もはや幕府を存続させることが既得権益を守ることでしかないのだとしたら、自分の代で幕を引くこともやぶさかではない、とさえ慶喜は思いつめている。しかし問題は、新政府に降参した後、幕臣の暮らしをどう立ててゆけばいいのか、その一点のみであった。
 慶喜が勝を陸軍総裁に任じ、幕閣の首班としたのは、これらの危惧をいちいち説明する必要がなく、ただ一言、
「徳川社禝を死守せよ」
 と言えばすべてが伝わるとわかっていたからであろう。
 熨斗目、長上下で平伏していた勝は顔を上げると、射貫くように慶喜の双眼を見据えた。
「今や、容易ならざる事態に立ち至り、もはや家名の存続を図るなぞ致し難い次第にござります。それがし、つらつら考えてみまするに、まず第一に、今後はそれがしの方針を全面的にご支持くださりませ。そうでなければこの難局は乗り切れませぬ」
 と鋭く言上すれば、慶喜は黙ってうなずくのみであった。勝は威儀を正した。
「それがし、世上札付きの和平論者と思われておりまするが、君家の御ためとあらば、どのような汚き駆け引きも致す所存。及ばずながら、一死をもって主家に殉ずる覚悟にござります」
 よしんば敗軍の将として首斬らるるとも、我が戦いぶりを地下の権現様もご笑覧あれと叫びたい心持であった。この辺り、血は争えないというべきか、勝もまた徳川直参としての誇りをいささかも失っていない。

 御府内がぴりぴりしていた頃、請西藩境に建つ古びた湯屋の傍らに、白い梅の花がほころんでいる。
 脱衣場の駕籠に放り込まれている浴衣と湯文字は豊のもので、今日も昼日中からのんびりと湯に浸っている。
 江戸っ子の風呂好きは有名な話であり、朝夕と日に二度はかかさず湯屋へ通うという。関東の気候は湿潤のため肌がべたつきがちで、そこへからっ風が砂ぼこりを吹き付けてくる。肉体労働者などは一日褌一丁で働いているから、ざっと体を洗い流したくなるのは当然だろう。しかし失火で火事でも起こせば死罪となるから、どの家も風呂を持ちたがらず、銭湯通いは庶民の生活の一部となっていたのだった。料金も大人八文といえば百二十円程度しかかからない。江戸市中だけでも四百軒以上の湯屋があり、朝から晩までにぎわっている。
 木更津近郊の風土も江戸とさして変わりなく、湯屋の盛況はここも同じであったが、海運業従事者と農家ばかりだから、混みあうのは夜明け前と暮時で、豊が足げく通う日中は客もほとんどいない。当時の銭湯は入込湯と呼ばれ、これこそが外国人を驚かせた混浴という風習であった。しかしながらそれなりの気配りはされており、浴場内には天窓も灯火もなく、湯気が立ち込めて互いの姿かたちが見えないほどになっている。浴槽はざくろ口という低い出入り口で仕切られ密閉されており、蒸気と熱気を逃がさない造りとなっていた。浴客は腰をかがめて中に入り、十二歩進むと浴槽がある。歩数を数えて進まなければならないほど視界がきかなかった。湯の温度は五十度ほどにもなり、長風呂をするには熱すぎる。現代のスチームサウナにちかい感覚だったのかもしれない。
 髪を短くして以来、豊は風呂が好きでたまらないのである。髷を結っていた頃は、長風呂をすると頭皮が蒸れてかゆくなったものであった。しかし今では、湯くみ口から新鮮なお湯をもらって好きなだけ髪を流すことができるのだ。あがり際に冷たい水を浴びるのも気持ちがいい。
 目を閉じて浴槽に腰かけていると、男とおぼしき人影がざくろ口をくぐり、ざぶんと湯に浸かった。もうもうたる湯気で何も見えないにせよ、豊は手拭いで胸を隠し、開いていた両脚をそっと閉じた。しばらくすると男は温まってくつろいだらしく、いい声で謡をうなりだした。この人もたいそうな風呂好きなのだと思えば微笑ましく、豊は再び目を閉じたが、どこか聞き覚えのある声であり、九尺(2・7メートル)四方の狭い浴槽であれば、すぐそばに感じている相手の気配も他人のものとは思われない気がする。豊はかしこまって咳払いをし、
「もし。兄さん、お名は」と遠慮がちに尋ねてみると、男は謡を止めた。
「その声は、豊か」
 というその声は、伊藤実心斎であろう。
 お互い顔を突き合わせて目を見開いた。
「おまえ、牢屋にいるはずじゃなかったのか。まさか、脱獄しおったか」などと、冷静沈着な実心斎にしてはめずらしくうわずった声を上げた。
 豊はぷっと噴き出し、
「さすがのあたしも脱獄なんてしないよ。風呂に入りに来ただけさ。寝起きはちゃんと牢屋でしてるよ」
 と顔の汗を拭いながら大笑いした。積もる話は山とあるが、浴室は薄暗く湯気が立ち込めて何も見えないから、豊は実心斎の背中を押してざくろ口をくぐり、洗い場に連れ出した。
 水船から汲んだ水を頭から浴びると、さっと両手で髪を梳いた。
「実心さん、ここで会ったが百年目、ひさしぶりに背中を流してあげるよ」と言って、ひっくり返した桶の底をぽんぽんっと叩いた。
「おまえな、さすがにもう子供じゃないんだから、そんなに男の前で大らかに肌をさらすな」と苦言を呈して実心斎は桶に腰を下ろした。
 豊にとって四つ年上の実心斎は実の兄のようなものであり、子供の頃は剣術稽古が終わると毎日のように三千太郎や常盤之助と連れ立って湯屋へ通ったものだった。
 実心斎の風呂好きは昔から有名で、日に五回も六回も入るから、町の人々から「垢ぬけ実心」とよくからかわれたものであった。現代風にいえば、あるいは潔癖症だったのかもしれず、朝は太陽を拝むとまずは部屋中を掃き清め、整頓し、雑巾がけをして、奇麗な模様の入った愛用の茶碗を念入りに磨いてから朝食をとる。昼は稽古着を着たまままた掃除をし、夕方は必ず庭に水をまいた。着物も何度も取り替えた。頭の中はいつも剣術のことでいっぱいで、流祖中村一心斎に心酔すること宗教のごとくであり、師が愛飲していたという蓬の粉末を自分も毎日欠かさず飲んでいるせいか、女のように肌艶が美しく、中年となっても美顔が衰えない。が、あまりにも剣に打ち込み過ぎて婚期はとうに逃している。
「実心さん、今までどこへ行ってたんだよ」と背中を糠袋でこすりながら豊がたずねると、ふっと鼻を鳴らして、
「門弟のところを泊まり歩いておる。剣理を極める旅すがら、お前たちがお縄にかけられたと知って、様子を見に来たのだ」と振り返って答えた。
 実心斎は立ち上がると、入れ替わって豊を桶に座らせた。そして背中を洗ってやりながら、
「元気そうでなによりだ」と安堵したように笑った。

 洗い場でも脱衣場でも帰りの道々でも、実心斎は豊を相手に剣術の話ばかりしている。子供のころ赤ら顔だったというなつかしい逸話は今でも身内の口の端にのぼるほどで、総三郎だけは彼のことを「あかじゅう」などと当時のあだ名で呼んでいる。湯上りの頬を紅潮させ、身振り手振りを交えながら術理について最新の見解を語る実心斎の表情は未だ少年のようであった。豊はそれを微笑ましく思いながらも、女の立場から見れば、これでは嫁の来手もなかろうと、実心斎が美丈夫であるだけに惜しくも思える。
 豊と連れ立って獄舎に入って来た実心斎の姿を見て、「うわあ」とうなだれたのは平右衛門であった。三千太郎の獄室に荷物を置いた実心斎の傍らに膝を付くと、
「実心さんよ、おまえさんの言う通りだったぜ。剣客が政事なんぞにかかわってもロクなこたあねえ。しょっぴかれて思い知ったぜ」と頭を下げた。
 獄室の隅に三千太郎が借りている楓江先生の蔵書が積まれていたが、実心斎はそれに気づいていただろうか。座り込むなり身を乗り出して、
「立ち向う時の心は明月の隈なく照らす姿なりけり」
 という中村一心斎の諭歌を詠じ、野盗と打ち合ったとき、このような境地に達したかと二人に問うた。
 平右衛門はますますうなだれて、
「おれは真剣で挑んだけんどよう、連中、逃げ回っちまって、それをただ追いかけ回していただけさ」と面目なさそうに頭を掻いた。
 三千太郎はしばし考え込んでいたが、染谷に諸手突きを繰り出した瞬間、そのような気持ちになったかもしれないと思ったりもした。
「でも、ほんの一瞬のことだったよ」
 ふーむ、と実心斎は腕を組んで目を閉じた。
 そのまま黙り込み、空腹を覚えた豊のお腹がぐううと鳴るまで長い沈黙が続いた。
 煮売屋の親子が二人がかりで食事を運んできた。湯屋の帰りに豊が実心斎と楓江先生の分も注文してきたのである。楓江が今夜も飲みに来るかどうかわからなかったが、豊は毎晩先生の分まで注文してくる。来なかったら来なかったで食欲旺盛な自分たちで食べてしまえばいいと思っているのである。
 いわしのすりみだんごの煮つけと、塩漬けタケノコの天ぷら、切り干し大根、ふき味噌など、心なしか酒のつまみのようなおかずが増えてきたのも、煮売屋が毎晩の酒量から察してくれた心配りだろうか。晩酌が単調な獄舎暮らしの一番の楽しみとなっている。
 果たして今夜も楓江先生はふらりとやってきた。牢番に海苔などの手土産さえ持ってくるほど顔なじみになっている。三千太郎の獄に精悍な顔立ちをした先客がいるのを見てさっそく好奇心の目をか輝かせた。実心斎とは初対面である。
 互いに名乗り合うと、楓江はまっさきに実心斎という名の由来に興味を示した。
「これはもしや、実心おこらずは仏法かないがたし。からとった斎号ですかな」
 と推測すると、実心斎は感心したように深くうなずき、
「ご明察恐れ入ります。それともう一つ、実不実を見分け、気をもって立つべし。という小谷三志の言葉を先師が好んで用いておりましたので、若輩ながらそれを号として、剣の道を究めんとしておる次第です」と大真面目な面持ちで応えた。
 楓江は膝を軽く打つと、
「おぬし、求道者であるな」と好もしい様子であった。
 しばらく酒を交わしながら雑談にふけっていたが、やがて実心斎は打ち沈んだように酒器の底に視線を落とし、深く首を傾げるのだった。
「この頃、わしはわからなくなるのだ。一心斎先生はなぜ、治国安民のようなお考えを、わざわざ剣術に持ち込んだのであろうか。兵法の目的とはそれこそ、宮本武蔵の言うように、一身の斬り合いに勝ち、数人の戦いに勝つことではないのか」
 我が意を得たり、とばかりに平右衛門が「おれも前からそう思ってたんよ」と声を上げた。
「剣の道はよ、まず何をおいても勝つことだべ。そうでなかったら斬られっちゃうんだから」
 このような議論は不文律として不二心流宗家では禁忌とされているところがある。だからこそ実心斎は、ありあまる才能と技量を持っておりながら、いつもはみ出し者とならざるを得ないのだった。今宵の実心斎は、これまでの無念を爆発させたように不満を口にした。
「流祖の言う、兵法の要は治国安民に止まる、なんぞ戦闘のためのみならんや、を是とするなら、そもそも剣術などしなければいいではないか。実際、オヤジにしても正道にしても、稽古をおろそかにし、世直しなどとぬかして日夜駆けずり回っておる。それが不二心流の流儀であるなら、我らは二尺三寸の太刀に何を見出せばよいのか」
 そうまくし立てた実心斎の目が、少しばかり潤んだようにもみえる。
 楓江は、豊に酌をしてもらいながら、じっと実心斎の言葉に耳を傾けていた。そして、自分は門外漢であるけれども、とまずは断りを入れた。
「三代将軍の兵法指南だった柳生宗矩が、兵法には大なる兵法と小なる兵法があると述べておったように記憶しておる。そなたらの流祖が申しておることも、これと同じ趣きなのではないか。世を治める実質的な武、すなわち徳川幕府のようなものが大なる兵法で、一対一の決闘のようなものは取るに足りぬ小の兵法であると」
 すりみだんごを頬張っていた豊は、それを聞いて眉をしかめた。
「そんなら実心さんの言う通り、剣術なんてやらなくっていいことになっちゃう」
 平右衛門の方はまんざらでもないといった様子で、
「それなのにおれたちの流派、手練れ揃いで総州一強いんだよなあ」と自嘲するのだった。
 楓江は天井を見上げ、目を閉じて唸った。
「宗矩は、こうも申しておる。太刀先の勝負は心にあり、心から手足をもはたらかしたるものなり、と。そなたらの流祖の言を率直に解するなら、世を憂い、民の幸福を願う心が備わってこそ、剣に義が宿ると申しておるのではあるまいか」
 これまでの議論を黙って聞いていた三千太郎が、
「おれは先生の解釈に賛成だな」とつぶやいた。
 しかし実心斎はなお納得がいかない様子で、
「それならば、正しいのはオヤジや正道の方なのか」と悔し気に顔をしかめるのだった。
 火鉢の炭を起こして五徳を置いた。酒の後で食べるあさりのふうかしは美味い。
「実心さん、そんなに思いつめたら体に毒だよ」
 豊は汁を温め直した。

 慶応四年二月三日、大総督府が設置され、有栖川宮熾仁親王が東征大総督となり、二月十五日、新政府軍を率いて京を進発した。いよいよ江戸城が攻撃される。
 天皇新時代の到来を告げる錦旗は、萌黄牡丹唐草模様の緞子に金糸で菊花紋が縫いとられており、頭上高らかに掲げられ、きらきらと風になびいている。馬標は赤地錦二重織小葵紋地に金糸で菊花紋が縫いとられていた。新政府の兵たちはイギリス式調練を受け、全員が真新しい元込めミニエー銃を肩にかけている。先の尖った鉢振りを被り、紺の筒袖にズボンをはいて、白い帯に打刀を差していた。この当時の洋式軍装は縦詰襟に黒生地が主流で、今日の学ランとほぼ同じ外見である。参考までに、和服の袖を細くしたものが筒袖、袴を細くしてズボンのようにしたものが段袋と呼ばれる。洋服への移行期であり、幕末の古写真などを見ると、和洋折衷の装いが多く、学ラン型の軍服に陣羽織を羽織ったり、筒袖にコートを着たりと趣向様々で面白い。坂本龍馬がブーツを履いていたのは有名であるが、大総督府参謀の西郷隆盛はズボンに草鞋履きだった。個々の好みが身だしなみに大きく反映されていた。
 東征軍の行進でひときわ沿道の注目を集めたのは軍楽隊の存在であろう。西洋のスネアドラム、バスドラムを叩き、篠笛でメロディを奏でるという、これも移行期の和洋折衷で、兵士たちは音楽に合わせ「トコトンヤレ節」という行進曲を歌った。

〽宮さん宮さん お馬の前に
ひらひらするのは 何じゃいな
トコトンヤレ トンヤレナ
あれは朝敵 征伐せよとの
錦の御旗じゃ 知らないか
トコトンヤレ トンヤレナ

 大総督の指揮下、東海・東山・北陸三道を先鋒総督兼鎮撫使の軍団が大砲を曳いて進軍し、江戸城総攻撃は三月十五日と決している。徳川慶喜は死罪、徳川家の所領はすべて没収という断固たる方針を打ち立てていた。

 二月七日頃から、江戸は騒然としている。というのも、鳥羽伏見の戦いに敗れて引き揚げてきた幕軍の兵士たちが暴徒と化していたからである。正確には歩兵第十一、十二連隊の兵たちで、指揮官を失い、統制が取れておらず、未明から当直将校を射殺して暴れ出した。この連中は町民百姓出の募兵であり、正規の武士ではない。幕府の崩壊を肌で感じ、失業することを恐れていたのである。新政府軍に屈服して路頭に迷うぐらいなら、銃にものをいわせて金穀を略奪し、野盗や山賊の類となっても戦い抜いてやろうと息巻いている。
 この騒動を鎮めるため、政権を任されている勝海舟その人が現場に急行した。今日では考えられない行為だが、これが命を張った武士というものであろう。勝は暴徒と化した二大隊の兵士たちを整列させると、
「予が指令に不満あらば、予一人を銃殺せよ」と怒鳴った。
 傍らで提灯を捧げ持っていた勝の小姓が頭部を撃たれて即死したが、それでも勝は微動だにしない。さすがに兵たちも恐れをなして屯所に引き返したが、後日この中の五百名ほどの兵士たちが江戸郊外へ脱走してしまった。もはや幕府陸軍は最高指揮官を失った過激な武装集団に過ぎなくなっている。
 勝は脱走した連隊の指揮を歩兵頭、古屋佐久左衛門に一任し、信濃の天領二十四万石を与えることで〈衝鋒隊〉という一軍の創設を促した。また、新撰組の近藤勇にも類似的な条件で〈甲陽鎮撫隊〉を組織させ、甲府城へ派遣している。勝はこのようなやり方で抗戦的な危険分子を江戸から遠ざけているのであった。

 御三卿、田安中納言慶頼の家士で、勝の片腕でもある松濤権之丞が、陸軍士官とおぼしき若者を連れて勝の執務室にやってきた。
 松濤は辺りの様子を伺いつつ、内から襖を閉めた。
「おまえさんが、成川禎三郎さんかい」と、勝は平素、江戸弁でしゃべる。
 成川は少しばかり緊張した面持ちでうなずいた。
「上司を売れ、ってな野暮なこたあ言わねえ。しかし今は御家の危急だ。君恩に報いると思って教えちゃあくれんか。おまえさん、福田八郎右衛門の下で働いてたってね」
「御意」
「福田の兄さん、何か戦の火種になりそうなことを申しておらなかったかえ」
「と、申しますと……」
「ヤツは小栗さんのお気に入りだ。親分ゆずりの過激な言動がなかったか、心当たりねえかねえ」
 成川は心当たりがあり過ぎて、思わず苦笑してしまった。
「福田殿はしばしば、房総半島に割拠すると申しておりました」
「こいつあ面白れえことを考えるもんだ。もうちっとくわしく聞かしてくれねえか」
「我が国も中央集権郡県制を採用すべしと、福田殿はつねづね申しております。まずは全国に先駆けて総房三州を一つの県と成し、当該地の諸藩、天領の行政を自治政府の元に集約すべしと説いております」
「それについて、何か具体的な動きはあるかい」
「木更津の、確か島屋なる豪商と密に連絡を取り合っておるようです」
「貴重な情報に感謝するぜ。ところでおまえさん、上総の出だってね」
「山辺郡白幡村(山武市)出身です」
「おまえさん、これからはおいらの下で働いてもらうぜ。今後、房総の動きが、徳川家の命運を左右することになる」
 と、勝は自分自身にも強く言い聞かせているようであった。
 成川を下がらせた後、勝は松濤をかえりみて命じた。
「次は、福田と、大鳥圭介を、ここへ」

 勝にしても、松濤権之丞や、福田、大鳥にしても、皆洋学を習得し、短期間で出世した者たちである。戦国時代なら槍働きこそが出世の糸口であったが、今は何をおいてもまず洋学なのである。
 松濤は文久三年遣仏使節の随員として渡欧しているし、大鳥は村医者の出であるが、蘭学の才をかわれて旗本となり、洋学教授から歩兵頭へと昇進している。幕府陸軍の中でも、庶民から募兵された部隊を統率していたのが大鳥圭介であり、旗本や御家人からなる部隊を纏めていたのが福田八郎右衛門なのであった。
 大鳥は札付きの悪党が集まったと揶揄される歩兵隊士からの信任が厚く、彼自身つねづね、
「兵は平生の取締りに困るくらいの荒武者でなければならぬ」と公言しており、前職が馬丁や博徒や火消しなど、ほとんどヤクザ崩れといった血の気の多い連中を好んで採用し、身長も五尺二寸以上と規定していた。
 旗本や御家人の子弟はこれら無頼の輩と同列に扱われることを頑なに拒み、屯所も調練も別々にしている。彼らの首領が福田である。同じ陸軍の歩兵の中で、大鳥派と福田派という棲み分けが自然となされているこの状況を、勝は見逃さなかった。
 失脚した前陸軍奉行小栗忠順の直属であった福田は、当然勝に好意など抱いていない。大鳥も主戦論者であったから、和平工作に奔走中とおぼしき勝に従う気などなかった。二人とも憮然とした面持ちで現れたが、勝は何の前置きもなく唐突に、
「福田八郎右衛門を撒兵奉行に、大鳥圭介を歩兵奉行に任命致す」と声高に申し付けた。
 これはすなわち、幕府陸軍における精鋭二大隊のうち、旗本と御家人によって編成された〈撒兵隊〉の総督に福田を、庶民からの募兵に洋式調練を施した〈伝習隊〉の総督に大鳥を任ずる辞令でもある。幕軍における「奉行」の格は陸軍少将に匹敵し、両人とも二千名ちかい部下を率いることになる。
「撒兵」
 というこの聞き慣れないことばは、「四方に散った兵士」という意味である。フランス式調練を受けた幕軍の戦い方は、すでに槍襖をつくるような古制の兵法を排し、近代的な散兵戦術を採用していたから、伝習隊を含めたすべての歩兵を撒兵と呼んでもかまわないはずであった。しかし、あえて幕臣組を撒兵と呼び、庶民からの募兵組を歩兵と呼ぶのは、前者が一騎駆けで戦う資格を持った名門の部隊、後者は西洋風にいうところの戦列歩兵、すなわち足軽の部隊であると線引きしたかったからであろう。
 さらに両隊の大きな相違点は、伝習隊士が地べたを這い回るような練体法で訓練され、身軽な散開行動に長けているのに対し、撒兵隊を構成する番方直参は、はなから匍匐前進のようなことをする気もないので、野戦砲、火薬輸送車の護衛を任務とする軽歩兵として訓練されており、砲兵隊は撒兵隊の随伴支援をする。同じ幕府陸軍でも、身分の違いで明確な役割分担がなされていた。
「そなたらも存じておるように、慶喜公は降伏の意向を明らかにし、上野寛永寺で謹慎せられておる。謹んで君上の御憔慮を思うべし。間違っても上様に賊軍の汚名を着せるような軽はずみな振舞は致すな。わしは徳川氏の身代を保つため目下工作中であるが、その実をあげるのは、はなはだ難しと心得ておる。徳川の処分が確定するまで、我々臣僚は徹頭徹尾上様の意を体し、どこまでも恭順の姿勢を崩してはならぬ。おぬしらを一軍の将としたるは、兵の暴発を抑えられると見込んでのことである。もしもこの先、新政府が、上様、譜代、陪臣、小使らに過酷な処置をもって臨んでくるのであらば、その時は江戸が灰燼と化しても総力を挙げて戦う心意気である。その方ら、特と肝に銘じておくがよい」
 勝の眉間にすさまじい気魄が満ちている。二人は「はッ」と手を付いて平伏した。
 両名が下がった後、松濤権之丞は深いため息をついて、
「あの二人、この状況で兵の暴発を抑え続けることができますかな」と険しい顔つきになった。
 勝はそれを見て呵々と打ち笑い、
「抑えられるわけあるめえよ」
 と、あっさり言った。

第七章  撒兵隊

「房総半島」と聞いて、歯磨き粉のことを思い浮かべた。満年齢二十六歳の江原素六は、陸軍総裁勝海舟を前にして、たった今、撒兵頭(大佐相当の階級)の辞令を受けたばかりである。
 この時代、江戸っ子の歯は清潔だった。誰もが歯磨きを習慣にしていたからである。当時の歯ブラシは房楊枝と呼ばれ、ヤナギやクロモジの棒切れを煮て柔らかくし、先端を木槌で叩いてブラシ状にしていた。これが町の小間物屋で売られている。ブラシの部分は木の繊維で柔らかく、反対側の尖っている部分が歯間ブラシとなっており、さらには柄で舌苔の除去までできるようになっていた。このよくできた歯ブラシを、江戸の人々は使い捨てにしたという。それが「粋」とされていたからである。必然的に需要の高い商品となっていたから、房楊枝造りは貧しい旗本の絶好の内職となっていた。江原素六も幼い頃から、ずっと房楊枝を作って暮らして来たのだった。
 江戸の男のお洒落といえば、まず何をおいても「白い歯」であった。歯が汚れて口臭があると遊女に嫌われたからである。江戸の人口の七割は男であり、それは参勤交代に従って地方から侍が大挙して来るからで、吉原のような遊郭が繁盛した理由もここにある。男たちにとって白い歯を保つための歯磨剤は必須アイテムとなっており、このニーズにもっとも応えたのが千葉県館山の海浜の砂だった。粒がパウダー状で、これに香料を加えたものが歯磨き粉として売られていたのである。素六が房楊枝を小間物屋に卸しに行くと、いつもそこに「房州砂」があったものだ。
 撒兵隊という部隊は、どうやら歯磨き粉の産地と関わりがあるらしい。素六は漠然とそう思った。
「福田の八っつあんは、部隊を房総半島へ動かす」
 勝はそう断言する。
 現在、水面下で新政府側と江戸城明け渡しの交渉が進められている最中である。勝は、平和裏に幕府の牙城を明け渡すのと引き換えに、徳川慶喜の助命、一大名としての存続を要求している。大奥には前将軍の御台所である皇女和宮と、先々代の御台所である天璋院篤姫が居る。この二人は朝廷と薩摩藩にとって最大級の縁者であり、和宮は先帝孝明天皇の妹、天璋院は前薩摩藩主の養女である。勝は表立ってはいないものの、二人の存在を人質としてほのめかせつつ、できるだけ徳川家に有利な講和条件を引き出そうとしていた。撒兵隊の動向も、その思惑の内にある。
「こっちの手駒は軍艦十二艘だ。こいつが江戸湾にあるかぎり、先鋒総督府もへたに戦争をしかけてこれねえ。福田の八っつあんは撒兵隊を率いて房総半島を占拠するつもりだから、そうなると精鋭の歩兵部隊も江戸の喉元にいるってえことになる。どうだい、断然我が方に有利な陣形だろう」と勝はほくそ笑むのだった。
「この形勢をもって、官軍と交渉を進めていく。おまえさん方には、福田の八っつあんが早まって軽挙に出ねえよう、とくと見張っててもらいてえのさ。撒兵隊は戦わずともよろしい。ただ房総にあって、官軍の脅威であればいい。下手に動いて官軍包囲網が崩れちまったら元も子もなくなるからよ。しかしこれあなかなか至難の業だ。なんせ血気盛んな連中だからな」
 素六と共にここへ呼ばれ、同じく撒兵頭並(中佐相当)に任命されたばかりの増田直八郎は、大柄な体を乗り出すように膝をにじらせた。
「撒兵隊と砲兵隊は一蓮托生です。そうなると三千人近い大軍団になるわけじゃから、それがしと江原殿だけで抑えられるとは到底思えませぬ。ここへ福田様を呼んで、直に言い聞かせるべきではありませぬか」
 との言い分はもっともであろう。
 が、勝はふふんと鼻で笑うばかりである。
「おまえさんらも存じておるように、今の撒兵隊幹部らは、前総裁(小栗忠順)の息がかかった連中だ。和睦に動いているおいらの命なんざあ聞く耳持たねえさ」
「しかしですね」と、ようやく素六が話に入って来た。
「拙者にしても、増田殿にしても、我らは出が貧しいですから、高禄の幹部で占められている撒兵隊の抑止力になれと申されても、どだい無理があります」
 それを聞いて勝は、爽快な笑い声をあげた。
「てやんでい、おいらだって極貧の出さ。そいつが今、幕府の最高峰にいるんだぜ」
 勝は四十俵扶持の出、素六も増田も同じような境遇である。最底辺から這い上がるために苦学してきたという境遇は同じであり、両名とも勝が砲術科師範を勤めていた当時の優秀な生徒なのである。
 武士道と云うは死ぬこととみつけたりというが、幕末に貧困層から出て来た幕臣は新たな価値観に目覚めつつあって、生死をそれほど単純に割り切っていないところがある。そんな漠然とした傾向を根拠に、勝は素六らを呼び出した。撒兵隊の中枢に二人を送り込むことで、福田八郎右衛門の暴発を抑制できると期待してのことだ。
 この場にもう一人、精悍な顔立ちをした侍が同席している。貧しい蔵米取りとは月とすっぽん、直参阿部家三千石の当主で、邦之助という。素六より年長の二十九歳であり、少壮気鋭の若手官僚でもある。この人については素六も以前から知っている。大身でありながら封建的な慣習を嫌い、俸禄や身分によって人を扱わないことで有名な人であった。弊政を一新するには広く公議輿論をとるべしと将軍に建白書まで提出したことがある。素六も以前、陸軍士官の養成について意見を求められたことがあった。確かあのとき、旧弊を一洗するためには学校の設立が不可欠、という話で盛り上がったと記憶している。
 勝は冷めた茶をぐっと一息で飲み干した。
「阿部さんの知行地が上総の大原(いすみ市)でね、そんな地縁もあって、このたび〈総房三州鎮静方〉に就いてもらった。撒兵隊の取り扱いについてもたいそう面白れえお考えの持ち主だから、おまえさん方もとくと拝聴させてもらいな。そいじゃあ済まねえが、おいらは他の用事が山積みなんで、後は阿部さんにまかせたぜ」とまくしたてて出て行ってしまった。
 まさしく勝は、多忙を極めている。江戸城の攻撃へ向かう征討軍は駿府(静岡市)まで迫っている。この戦いを回避できるかどうかに、江戸百万士民の命運がかかっているのである。慶喜は上野寛永寺の塔頭大寺院に入り蟄居謹慎しているが、護衛をもって任ずる幕臣らが〈彰義隊〉と称する徒党を組んで武装していた。すでに戦争の火種はあちこちでくすぶっている。
 阿部はおでこが広く、涼しい目つきをしており、べらんめえ口調の勝と比べれば、商家の若旦那のような雰囲気を醸し出していた。あまり表情を変えない。
「さっそくですが」と背筋の通った姿勢を崩さないまま話し始める。
「それがしは日本国の未来を、このように考えております。三百諸藩の財政はどこも火の車でござるから、やがては債務整理と統廃合が促され、いくつかの大規模な藩に再編成されるでしょう。そこで新たに形成される雄藩は、ドイツ連邦における諸公国のようなものになるはずです。ドイツではすぐれた軍事力を持つプロシアが盟主となっておるが、我が国もそれにならうなら、最大軍事力を保有する徳川家が必然的に盟主となるでしょう」
 阿部は遠くを見据えるように目を細め、ことばを続けた。
「勝さんの和平交渉が成功し、無事お家が存続となれば、徳川家は少なくとも百万石規模の藩となる。そうとなれば、その身代にふさわしい軍備を確保しておかねばなりませぬ。幕府海軍の最新軍艦四隻はもとより、撒兵隊と砲兵隊は手つかずで温存しておく必要があります」
 それを聞いて増田が、しばし考え込むように首を傾げた。
「大鳥殿の伝習隊はどうなるのです。古屋作左衛門の衝鋒隊も、新選組だってまだ戦っております」
「傭兵は給金を目当てに動いていますから。そもそも戦う動機が全く違う。我ら直参は、主君の一命と、家名存続のために戦うのです。自ずから戦略が異なる」
 増田が膝をにじらせた。「ならば阿部殿は、陪臣や傭兵は切り捨ててもよいとお考えか」
「背に腹は代えられぬ」
 阿部はそっけなく答えて、話にじっと耳を傾けている素六の方へ目を向けた。
「江原殿にしても、増田殿にしても、大変な苦労をして西洋の軍事知識を学んで来られたはず。徳川幕府にとって、最後にして最大の武器が、これなのです。我々はこれまで日本政府の立場から、巨額の国費を使って使節や留学生を海外へ送り、最先端の学問と工業技術の輸入に努めてまいった。これら知的財産は金銀財宝にも比すべき価値があり、開明的な西南雄藩ですら未だこれほどの蓄積はござらぬ。我らは今後、この知的財産と引き換えに徳川家の新たな地位を築いてゆく。まずは西洋の軍事知識を教授する兵学校を設立し、撒兵隊及び砲兵隊の幹部らは、ここの教官となってもらう」
 増田も素六もじっと阿部の話に聞き入っている。
「新政府にしても、欧米列強の侵略から国を守るべく、まずは何を置いても富国強兵を国策の第一に掲げるでしょう。その時、我らの知的財産に頼らざるを得なくなるのです。福田八郎右衛門は官軍と一戦交えるつもりでしょうが、そんなことをせずとも、我らは有利な立場に立てるし、すでに有利な立場におるともいえましょう」
 と、阿部はほとんど表情を変えず、座を正したまま坦々と説いた。

 陸軍所から撒兵隊幹部の制定軍装一具が支給された。
「持って帰るのも面倒ゆえ、さっそく着て帰りましょうか」と増田が言った。
 新しい羅紗のマンテルは袖に階級を示す金筋が入っている。当時の軍服は学ランに似ていると前にも書いたが、幕兵幹部のマンテルは丈が膝まであり、腰から下に細かい襞が入ってスカートのようになっていた。その襞の上あたりに牛革製のベルトを付ける。金の側線入りズボン、革靴、ケピ帽、黒漆塗りのホルスターとスタール拳銃、弾薬盒、指揮鞭、吊剣ベルトとサーベル拵の刀などであった。
 増田はズボンをはきながら、「えらいことになりましたなあ」とつぶやいた。「御馬先で死んで来いと命ぜられる方がまだマシだ」
 素六は円筒形の平たい軍帽に髷が収まりづらいのを気にしている。
「ここまで徹底して洋式軍装をさせるなら、ちょんまげはやめなきゃならんじゃろう」
 これを聞いて増田が声を上げて笑った。「江原殿はちょんまげの方が気になりますか」
「韮山笠であれば問題ないんじゃ。なれど、この形の被り物を正式に採用するなら、まずは髷の扱いを検討せねばならぬ」
と言いながら、苛立たしそうに何度も帽子を動かした。
「このサーベル拵にしたってそうじゃ。柄に護拳が付いておるゆえ両手で扱うことができぬ。されど我々は片手の操刀に慣れておらぬ」
 素六が一方的にしゃべっている間に、増田は着替えを終えていた。
「この拳銃、連射できますよ。こいつがあれば西洋風のおかしな太刀なんぞ使わなくて済むやもしれませぬ」
 空の銃を構えてカチカチ引金を引いてみせた。増田というこの大柄な若者には、どこか飄々とした楽観性がある。
 しかもひどく嬉しそうに付け加えた。
「撒兵頭並の禄高は一千石。それがしのとこは傘張りの内職をしたり、拝領屋敷を町人に貸したりしてなんとか食いつないできたような家ですから、過日を思えば夢のような出世です。親が泣いて喜ぶ」
「それはうちも同じじゃ」素六もバックルを留めながら苦笑した。

 素六の父、江原源五は四十一になるが、字が読めない。百姓でも字が読めたほど識字率の高いこの国で、目に一丁字もない武家の家長というのもめずらしい。この父には信念があり、「武士に学問は必要ない」と一貫して主張している。
 江原家は三河以来の直参であり、代々〈黒鍬組〉を勤めてきた。城普請や道普請をするのが主な仕事で、戦闘には加わらない。近代の工兵隊のような存在だったといえば聞こえがいいが、身分は足軽よりも低かった。平和な時代ともなれば特に重要な仕事もなくなってしまい、江戸城まわりの雑用に従事していたというから中間や小者に近い存在である。そうはいっても由緒正しき譜代筋目であったから、大工頭、畳奉行といった作事方の要職を勤めることもあり、六代目以降永々御目見え以上の旗本となっている。将軍に御目見えできるのが〈旗本〉、できない身分が〈御家人〉である。
 江原家八代目の源五は無役の小普請組で、旗本ではあっても暮らしは貧しかった。妻のロク、長男素六、一つ下に長女の満寿、次男義次、三男銀蔵がいる。住居は拝領屋敷という官舎であったから家賃と地代はかからない。禄高は四十俵ほどであり、概算すると、この大家族が毎月七万円ほどの収入で暮らしていたことになる。長屋暮らしの三人家族が月収八万円程度で暮らしていける時代ではあったが、それにしても家計は火の車で、インフレも深刻であった。
 源五は房楊枝作りを本分とし、家族総出で内職に励んだ。
「一文房は百本作っても六十文程度だが、櫂形だと同じ本数でも四百文ぐらいにはなる」
 そんな昔話を始めた素六の元結を切った髪結職人は、心配そうにもう一度確認した。
「ほんに、髷を切っちまってもよろしいんですかい」
「ああ、ばっさりやっとくれ」
 髪結床の板の間に並んで座った増田も振り向いて声をかけた。
「見ての通り、紅毛人の着物を着ておるから、ペリーみたいな頭にしてほしいのじゃ」
 職人は困ったように首を傾げた。「ぺるりなんざあ見たこともねえから」
「品川辺りを闊歩してる西洋人を見たことござらぬか。斬髪にしておるであろう」
「そう申されても、とんと見当つきかねます」
「まあ、ざんばら頭ってのも落ち武者のようで恰好がつかぬから、いい塩梅に整えてくれぬか」などと、案外見た目にこだわりがある。
 その点、素六は髪形などどうでもいいといった様子で話しを続けている。
「房楊枝を百本作ると、父上が四文くださる。この小遣いを墨筆代にして寺小屋へ通ったもんじゃ」と、ついこんな回想になるのも、撒兵頭となって石二千俵の高給取りになった感慨からだろうか。ちなみに一文は、現代の二十円ほど。
「父上は、武士が学問なんぞするとますます貧乏になると申されて、寺子屋でも読み書きしか習わせてくれんかった」
「え、それでよく昌平黌(東京大学の前身)の吟味を及第しましたね」
「他の子が素読しているのを聞いて、耳で覚えた。四書五経ひと通り」
「へええ。やっぱり主席はちがいますなあ」
 四谷愛住町にある素六の実家は、ずいぶん前に火災で類焼し、以来仮設の掘立小屋である。壁は庭から掘り出した赤土を練って作り、六畳一間に二坪の土間があるきりである。この手狭な空間に家族がひしめいて暮らしている。便所小屋の入り口には筵が下げられていたが、往来の馬がこれを食べてしまったことがあり、三男坊の銀蔵が「大変じゃ、馬が便所を食っちまう」とびっくりして泣き出したこともあった。この時ばかりは仏頂面の父も大笑いしたものである。素六はそんなことを、ときどき思い出したりする。
 今もぼんやり思い出の中に浸っていたのだが、増田が急に深刻そうなため息をついたので、我に返った。
「一刻も早く隊内に味方を作らんとなりませんな。勝総裁や阿部さんに同調する者どもを。江原殿、誰ぞ心当たりがありますか」
「さしあたり、砲兵頭の天野釣之丞さん辺りが開明的で総裁寄りだろう」
「砲兵隊を取り込めれば話が早いですな。撒兵隊の幹部の中にも、阿部さんの構想を支持する者は決して少なくありますまい」
 二人の足元に、ばっさり切られた頭髪が山となっていた。
 ざんぎり頭は洋装とよく似合う。けれども、見慣れない自分の髪形を鏡に映した二人は、えも言われぬ表情となり、しばらく頭を撫で付けていた。

 完全洋装した素六の姿を見て、源五は露骨に顔をしかめた。
「なんじゃ、その百姓のような格好は」と吐き捨てるように言ったのは、ズボンが股引にでも見えたからだろう。間口の狭い四谷の家は日中でも薄暗く、木の削り屑が筵の上に散らばっている。家族は小刀を片手にタスキがけをして、欅の切り株を作業台にしていた。作りたての房楊枝が山と積まれている。
 百姓のような格好、と源五は見下したように言うが、クロモジの原木の匂いがする江原家も、とても武士の家とは思えない。
 素六はサーベル拵の刀を脇へ置いて、源五の前に膝を付いた。
「父上、拙者この度、撒兵頭の任、仰せつけられました」
 すると、早くも任官の噂を耳にしたものか、伯父の小野鼎之助が慌ただしく板戸を開け払って土間へ入って来た。
「素六、そなたあっぱれぞ、大栄達ではないか」
 素六は控えめに頭を下げた。内心では、小野の伯父が褒めてくれることで、撒兵頭という階級のすごさを父に理解してもらえたら、と思っている。
 末の銀蔵が目を輝かせた。「兄上、知行取りになったのですか」
「いや、そこまでの昇進ではない。されど、年俸は二千両じゃ」とさすがにここのところは声の調子も誇らしげで、母と満寿の方をかえりみる。「給料は月割りで届けられます」
 二人とも声こそ上げなかったが、ぽかんと口を開けたまま、互いの顔を見やった。
「源五、今度ばかりは、褒めてやれ」小野の伯父が語気を強めた。
 表情一つ変えずに、源五は小刀についたクロモジの灰汁を手拭いで拭き取っている。しばし黙り込んだまま、再び削り込みを始めた。
「おいおい、何か言ったらどうだ」さすがに小野の伯父も呆れた様子で眉をしかめた。
「公方様が政事を天子様にお返ししたそうじゃないか」と源五は低い声で言った。「いか者(御家人)などは、明日をも知れぬと騒いでおる」
 確かに、源五の言う通りであった。徳川幕府の今後の行方は、この時点では誰にもわかっていない。
 「のう源五、身も蓋もないことを申すな。ともかく今は、素六の出世を喜んでやれ」
「我が江原家は、三河以来の筋目。嫡男は、ただこの家を守るために生きねばならぬ。もし幕府が禄を払えなくなったらいかがいたす。家族そろって飢え死にするか。だからわしは蘭学なぞではなく、喰いっぱぐれのない植木職を習えと勧めたのじゃ」
 源五は徹頭徹尾、素六が学問をすることに反対してきた。
 これまでに何人もの大人が、素六の利発さに気が付き、学業の援助を申し出たものだった。そのたびに源五が激怒し、突っぱねてきた。学問などというものは俳諧のごとき道楽に過ぎず、下級の幕臣が手を出せばたちまち家を傾けると決めつけていた。しかしそれでも教養ある人士らが陰に日向に援助を惜しまず、素六も父に隠れて苦学を続け、十五歳で難関昌平黌の試験に合格し、丹後縞二反を拝領する栄誉を賜ったのである。その後はオランダ語を習得、洋式兵学と砲術を学び、幕府陸軍の青年将校として一目置かれる存在となっている。
 軍の給料はほとんど仕送りにまわしていたが、それでも実家の生活が楽にならなかったのは寄宿舎にいる弟義次の生活費もかさんでいたからである。けれども今度の昇進で、いよいよ人並みの暮らしができるに相違ない。
 母と満寿は袖を目頭に押し当てていたが、源五は憮然としたままクロモジの木片を削り続けている。
 素六は財布からいくらか取り出して満寿に渡した。
「これで人数分のゆで卵を買っておいで」
 源五は木片の先端を睨み据えながら、
「贅沢するでない」と小声で叱った。

 明王丸の地曳新一郎以下乗り子たちは、いつもの印半纏ではなく、藍で染められた義勇隊の羽織を着ている。脇差を落差しにして、白い鉢巻きを締めていた。
「まて様のおなありい」と一人が声をあげた。今回の出帆は商売ではなく、義勇隊の任務である。
 艀の前に立った万里小路局に、林忠崇が心配そうに声をかけた。
「陸路でなくてよろしいのですか。船は揺れますゆえ、海路はなかなか苦しゅうござりますぞ」
「船というものに乗ってみたいのじゃ」と、まて様は気丈である。「お殿様の方こそ、お乗りにならぬともよろしいのか」
「予は海伝いに街道をゆきます。地勢を見ておきたいのです」
「そは、戦を意識してのことか」
 忠崇は静かにうなずいてみせた。
 京の新政府は、全国の諸藩に『勤王証書』を提出せよと命じている。朝命を尊奉し勤王に励むと誓紙をしたため、藩の代表を上洛させよと号令をかけていた。朝廷と幕府のどちらにつくか、速やかに旗幟を明らかにすべしと迫ったわけである。
 表向き請西藩は、家老の鵜殿伝右衛門と田中兵左衛門を京へ向かわせた。が、あくまでも時間稼ぎの為であり、忠崇自身は戦う他なしと思っている。
 まて様の後に続き、旅装束姿の若い侍女たちが杖をつきながら、怖々と乗船してゆく。
 都山が新一郎に向かって、
「船酔いなどさせたら、ただではすみませぬぞ。よくよくお気を使いなされよ」などと無茶なことを命じた。
「船に乗ったらおっけどん(船頭)まかせと申しましてね、海の上ではこのおれが、いちばんエライのです」新一郎はからかうように答えて、おぼつかない足取りで艀を渡る都山の手を取った。
 風を受けて本帆がはち切れんばかりに膨らんでいる。乗り子が錨を上げると、明王丸は河岸を蹴るように海へ向かって動き出した。
 忠崇は馬上から、鞭を握った手を高く掲げて見送った。
 老席の木村隼人、供まわりの小幡輪右衛門、小倉左門を連れ、馬を駆って湾岸沿いを陸路で請西へ向かうのである。浅春の風はまだ肌寒く、明王丸の船影はしばらくの間、流れる雲とともに忠崇たちの視界の内を並走していた。

 時代は激流のごとく変転している。若い世代は時勢を敏感に受け止め、己の進路に悩んでいる。しかし、島屋の一室だけはめったに襖も開かれず、相変わらず書物に埋もれた朝三郎が寝転んでいた。
 最近のお気に入りは『解体新書』で、銅版画による人体図版に夢中であった。蘭学者によれば、殿様でも庶民でも、体の中身は皆同じであるという。胃だの腸だの、魚のはらわたとそっくりだ。「女子殖具全形」の図が気になって見入ってしまうが、この奇妙なものが女の股のどのあたりにあるのか、まるで見当もつかない。輸尿管と男子精道の構造的な違いもよくわからず、自分の股を開いて睾丸などをいじっていると、
「朝、入ってもいいか」
 襖の向こうで幸左衛門の声がしたから、八端掛の小袖の裾を慌てて掻き合わせて、「はあどうぞ」などと妙に取り澄ましたような声で応えた。
 幸左衛門も朝三郎の部屋に入るのは久方ぶりで、なんとなくよそよそしい仕草で部屋の中を眺めたりしつつ、本が散らばっていないところを探して端座した。朝三郎も、なんとなく気まずい気分で座り直した。
「本日、大奥の万里小路様が木更津に参られる。知っておるな」
 町中この話題で持ち切りである。しかし朝三郎は知らなかった。まさか知らぬなどとは夢にも思わず、幸左衛門は話を続ける。
「長楽寺を仮の宿とされて、余生をここでお過ごしになるそうだが、まて様が、はやあこちらの暮らしに慣れることができるよう、神徳講が積極的にお世話をしてゆこうという話になっておる」
 朝三郎は散らばった本を積み重ねながら、ぼんやりと話に耳を傾けていた。
「明日、島屋を代表してご挨拶に伺う予定なのだが、朝三郎、わしに代わって行ってきなさい」
 えっ。と言葉も出なかった。
「いやいやいやいや」と尻込みしつつ首を振った。
「朝三郎、おまえが人と接するのを嫌がる気持ちはよくわかる。しかし、島屋の跡取りはおまえなのだ。一郎は跡取りについて、三千太郎とも常盤之助とも遺言しておらぬ。自分の後を継ぐのは、朝三郎、おまえと決めておったに相違ない」
 なんと迷惑な話だろう。朝三郎は激しく動揺しているせいか、なぜか山東京伝の『芋地獄』に出てくる大タコ大王の姿がやたらと脳裏にちらついた。はっきり断ることもできず、「いやあ」と首を傾げているうちに幸左衛門は立ち上がり、
「それじゃあ明日、頼んだぞ」と少しばかり威圧的に微笑んだ。
 朝三郎は「いやいや……」と何度も首を傾げて、深いため息をついた。

 川名家の家紋を打った黒漆塗りの駕籠が、屈強な人足に担がれて湊にやって来た。降りるなり里鹿は伸び上がって、沖の方を眺めた。
「総三郎さん、どの船ですか?」
「あれですな」
と指差す向こうに、五大力船の大きな帆が見えている。出航してからちょうど二刻。新一郎の操船技術は一流である。
 河岸場からは見えていないが、船端にのめって、都山が吐いていた。
「わたくしをこんなに苦しめる、海が憎い」と恨めし気な顔を上げて、また吐いた。
 背中をさすってやりながら、新一郎が船首に向かって声をかけた。
「まて様、湊までは干潟を歩いて渡ります。おれがおぶりますんで、ご安心ください」
 まて様は振り返ると、楽し気にうなずいてみせた。江戸を発ってからずっと弥帆柱につかまって進行方向を眺めている。侍女八人もそろって船酔いで横になっていたが、まて様だけは一向に疲れた様子もみせない。沿岸のあちこちを指差して、地名や湊の様子をたずねるのだった。足腰もいまだしっかりしており、視力も衰えていない。その証拠に、木更津湊の石堤に立つ里鹿の小さな姿を見つけて袖を振ったのである。
「あれあ誰すか?」
「椿。川名里鹿じゃ、そなたも存じておろう」
「こんなに遠くから、よくわかりますなあ」
「当然じゃ。わたくしにはわかる」
 宿下がりをして庶民に戻って以来、里鹿は派手な着物を着ないように心がけている。しかし、まて様と再会するにあたって、心得違いとならない範囲で精一杯身なりを整えてきた。髪は片はずしにして揚げ帽子を被り、枝梅を包んだ花熨斗文様の着物、しごき帯でおはしょりを作り、白足袋に重ね草履を履いている。総三郎はこの装いを見て、まるで天女ではないかと思った。俗人が触れてはならぬほど、高潔な女性に見えるのである。
 まて様が袖を振っているのに気付いた里鹿は、こぼれるような笑みを浮かべて袖を振り返した。
 明王丸から放り投げるように縄梯子が降ろされる。
 まて様も侍女たちも浴衣を上っ張りとして羽織り、足には脚絆、足袋に紐付き草履を履いている。とはいえ、縄梯子を伝って下へ降りるなど人生初の試みであろう。都山も侍女らも船酔いの末に忍者のようなことまでさせられて、顔面蒼白、涙目になっている。ただ一人まて様だけが臆することなく最初に干潟へ降り立った。新一郎に背負われたまて様は、湊に集まった人々の歓呼の声に迎えられ、威風堂々雁木を上がってきた。乗り子に背負われた都山と侍女たちは、力尽きたように両足をだらんと垂らし、髪もすっかり乱れていた。
 江戸近郊で暮らす女たちにとって「大奥」という場所は憧れの的である。小さい頃から様々な習い事をして、将来は奥女中、と夢見る母娘も少なくなかった。数々世に出回っている『奥奉公出世双六』などは、御半下から御年寄へと出世していく江戸時代版のボードゲームであり、そんなものが女の子の人気を博したほどなのだ。湊にもまて様や侍女たちの姿を一目見ようと黒山の人だかりができており、あちこちで黄色い歓声が上がった。なかでも注目されるのは奥独特の髪形や化粧で、まて様のお長下げや殿上眉、侍女たちの稚児髷などを遠目に見て、若い娘たちは熱い吐息をもらすのだった。
 まて様を負ぶった新一郎を見て、すまは鼻高々だった。これからしばらくは奥女中の装いのことしか考えられそうにない。
 新一郎が慎重にかがみ込むと、里鹿がそばに寄ってまて様の手を取った。
「椿、息災であったか」
 その懐かしい声を聞いて、里鹿はこみ上げてくる感涙を抑えることができなかった。
「ご遠路はるばる……」といいさして涙を拭った。
 都山は崩れるように長持に腰を掛けると、
「江戸前を渡りおおせて、まずは祝着」と息も絶え絶えである。
 まて様は里鹿の手に己の手を重ね、しばしその手を離さなかった。
 金蒔絵の装飾が施された女乗物が人数分用意され、熨斗目麻上下姿の請西藩士が数十名控えていた。陣屋の御殿女中らも着飾って出迎え、駕籠かきも羽織を着用している。栗毛の騎馬を先頭に美々しき行列を組んだ。里鹿の駕籠と総三郎もこれに連なる。正午の空は折よく晴天、沿道は桜の名所として有名な清龍山明王院長楽寺まで、やんやと賑わう見物人で埋め尽くされていた。

 風向きのせいか、暮六つの鐘がいつもより大きく聞こえる。
 薄暗い染め場の奥で縫之進が茶漬けを食べていると、藍甕をのぞき込みながらおぼつかない足取りで朝三郎がやって来た。
「あれ朝兄ィ、めずらしい」
「よく、こんなところで、飯が食えるな」
「これ一口食べてごらんよ。江戸の版元が土産にくれたんだけどね、あの有名な八百善のはりはり漬だよ」と箸で取って突き出したが、朝三郎は憮然とした面持ちであった。
「なにが、はりはり漬だ。おまえは、いくつになっても呑気で、うらやましいや」
「どうしたんだい。何かあった?」
 朝三郎はしばらく何もこたえず、目を伏せたまま大きなため息をついた。
「明日、大奥女中のとこへ、挨拶に行かされる」
「ああ、まて様のとこ」
と言ってすぐ、縫之進は朝三郎の心中を察した。火傷の痕を、
「見られたくないんだ?」
 朝三郎は黙ってうなずいた。
 すぐに縫之進は自分の部屋へ行き、着物を一式持って戻って来た。
「朝兄ィ、ふんどし一丁になって」
 人前で裸になるのを極度に嫌がる朝三郎であったが、今は言われるがままに小袖を脱いだ。
 縫之進は御納戸茶の小袖を朝三郎のきゃしゃな肩に羽織らせると、朱の派手めな腹切帯を締め、「春だから、少し暑いかもしれないけど」とことわりつつ、腕と手が隠れるように黒の長羽織を着せてみる。
 床に頭巾を二種類並べて、しばし縫之進は考え込んだ。
「たぶん朝兄ィは、顔全体が隠れる宗十郎頭巾がいいと思うかもしれないが……」とつぶやいて、もう一方の袖頭巾を取り上げる。
「こっちの頭巾だと、顔全体は隠せない。だけどね朝兄ィ、朝兄ィはまつ毛が長くて目が奇麗だし、鼻だってとってもいいかたちをしている。むしろ頭巾なんぞ被らなくていいんじゃねえかと、おれは思うんだ」
「おまえに、おれの気持ちが、わかるか。そっちでいいよ。宗十郎頭巾じゃ、さすがに暑苦しいだろう」
 黒縮緬の袖頭巾で頭を包んでみる。朝三郎は吸わないが、帯にお洒落な煙草入れを着け、脇差を落差しにする。
「どうだい朝兄ィ、通人って感じの粋な装いだろう?」
 鏡を見せると、朝三郎はくっと鼻で笑ったが、不服らしいことは言わなかった。
「これ、あす、借りてくぜ」
と高飛車に言い放って、小鉢のはりはり漬をつまんで口に入れた。

 長楽寺は代々徳川家の篤い信仰をうけている。境内は三千坪、老松が枝を張り、桜の花びらで埋め尽くされた池の中で、緋鯉が悠々と泳いでいる。住職の海明和上の案内で、神徳講の世話役たちは本堂脇の離れ座敷に通された。一夜明けてまて様たちも一息つかれたようであり、都山などはしゃんと背筋を立てて上段から皆を見回している。
 まずは里鹿が御挨拶を申し述べると、続いて仁呑喜平次が神徳講結成に至る動機、趣意などを説明する。一同忠勤に励み、これよりまて様を盛り立ててゆく旨を述べ、平に伏した。
「さすがは天領、さすがは林家の拝領地、民の志、まことあっぱれである」
 まて様は感じ入ったようにうなずいてみせた。
 里鹿は傍らの総三郎をかえりみて、にこりと微笑んだ。
「我が講の筆頭発起人は、こちらにおられる大河内総三郎殿にござります。総州一の剣の名人にて、子弟有志に武芸を習わし、義勇隊なる民兵を組織し、日々身を挺して近郷の治安維持に努めておられます」
 総三郎は半身を少しばかり起こして、
「まて様におかれましては、ご機嫌うるわしゅう、祝着に存じ上げます」と声を張り、あらためて平伏した。
 その太い声がいかにも剣豪然としており、時勢が幕府側に極めて不利なこの時期だけに、まて様はひどく頼もしい味方を得た気がして心強かった。それだけに、総三郎の傍らで平伏している頭巾を被った小男の存在が、いかにも浮いて見える。
「そのほう」と、まて様は朝三郎に声をかけた。「この暖かな春の日中に、なぜ頭巾なぞ被っておいでじゃ」
 都山もキンとした声を上げた。「まて様の御前で失礼ではありませぬか。頭巾をおとりなされい」
 朝三郎は身を固くして縮こまった。
 顔を伏せたまま、総三郎が小声で言った。
「朝、臆するな。堂々と頭巾をとるがいい」
 ややあって朝三郎は顔を上げると、たどたどしい手つきで頭巾をとった。
 火傷で崩れた面相を見て、都山と侍女らはあっと息を飲んだ。
 まて様は目を細めてじっと朝三郎の顔に見入った。
「そのほう、近う進まれよ」
 朝三郎は体が委縮して動けない。
「近う」
 平に顔を伏せたまま、這うように膝行して敷居際まで進んだ。
「面を上げよ」
 少し体を起こした朝三郎のあごに、まて様は扇子を当てると、ぐっと上を向かせた。
「これは、火傷の痕か」
 まて様の視線を避けるように朝三郎は目をそらした。
「そなた、大谷刑部公を存じておるか」
 存じるもなにも、朝三郎の最大の趣味は武将の絵姿を収集することなのである。が、答えたくとも声が出なかったから、知らないと思われたのだろう。
「かの武将は、東照宮公を除こうとする石田三成の謀に反対し、軽挙を諫めたが聞き入れられず、友情と義を主んずるあまり関ヶ原へ参戦なされ、みごと討ち死された。そのとき刑部公は重い業病におかされており、馬にも乗れぬゆえ輿に乗り、崩れた面相を隠すため、頭巾を被っておられたという」
 大谷刑部吉継は朝三郎が最も敬愛する武将の一人だ。『関原軍記大成』は愛読書であり、その中に書かれている「吉継は甲冑をばよろはず、浅葱の絹の袋に顔さしいれて、四方取放したる乗物に乗って云々」という描写が印象的で、諳んじることができるほどこの部分を読んだものである。
 ゆっくりと視線を上に向けると、まて様と目が合った。
「そなた、名をなんと申す」
「木更津紺屋……、島屋一郎が嫡子、大河内、朝三郎……、と申しま、す」
「朝三郎、そなたはその面相を人に見られたくなかったのであろう。にもかかわらず、頭巾を被ってまで馳せ参じた。大谷刑部がごとき義士ではないか」
 まて様は扇子を持ち直し、威儀を正した。
「鳥羽伏見の敗戦以来、譜代大名はおろか御親藩まで薩長賊の傘下に下り、神君以来の恩顧を忘れ、かくも腰抜け武士ばかりかと唇をかむ思いであった。なれど上総へ参り、真の味方は民の中にもおることを知った。そなたらは忠義の士ぞ。栄えある徳川の世を、ともに守ってまいろう」
 朝三郎は畳に顔を伏せたまま、生れて初めて感じる名状しがたい感情で体の震えが止まらず、ぽたぽた涙が止まらなかった。

 家臣三人と共に房総往還を下って来た林忠崇は、この街道が戦場になるだろうと予感している。自分がおめおめと薩長賊の軍門に下ることはなかろうし、そうであれば戦は避けられない。となると、江戸方面から攻めて来る敵と、それを迎え撃つ我が方が、この街道上のどこかで衝突することになるのは間違いない。房総往還は船橋大神宮下が起点で、そこで成田街道から分岐している。稲毛の浜を過ぎ、千葉の町へ出て、一行は昨夜、蘇我で一泊した。路はずっと江戸湾岸に沿っており、江戸前の制海権は幕府海軍が掌握している。忠崇は牝馬の背に揺られながら家臣たちの方へ振り返った。
「幕艦が沖合にある限り、敵が房総半島を占拠するのは不可能であろう」
「でしょうなあ。街道筋はどこも艦砲の射程内ですからな」と傍らの小倉左門が答えた。
 幕府軍は京阪でこそ敗れたが、ここ関東で負けることは、まずないように思われる。ペリーが来航した時、当時の幕閣が震撼したのは、黒船の射程内に江戸城があったからだ。これから江戸入りする東征軍も、あの時の幕府と同じ脅威にさらされることになるだろう。
 一泊二日の道中でいくつもの川を渡った。江戸川、花見川、村田川、養老川。さらには姉ヶ崎一帯の急峻な丘陵も敵軍をはばむ大きな障壁となるだろう。木更津まであと一歩のところに小櫃川もある。川番所に到着した忠崇は広々とした川幅を眺めて、地勢的にも我が方が圧倒的に有利、との思いを深めていた。
 対岸に侍がいる。
「諏訪殿ですよ」と小幡輪右衛門が目を凝らして手を振った。
 人足に先導されて馬ごと川を渡る。川の水はまだ冷たく、水草が見えるほど澄んでいる。対岸の川辺に着くと数馬が忠崇の馬の口を取った。
「どうじゃ数馬、体のあんばいは」
「はい、おかげさまで快調です」と笑顔で答えながらも、時折から咳をしている。
 下馬した忠崇は、心配そうに数馬の顔をのぞき込んだ。
「こんなところまで、迎えに来ずともよいものを」
「皆様、貝淵の下屋敷でお待ちです。殿、いかがでございますか、初めてのお国入りは」
「それよ。その思いを歌にしてみたところじゃ」
「しばしお待ちくだされ」と、数馬は懐から矢立と紙を取り出した。「書き留めておきたく存じます」
「そんな、たいそうな歌でもない」忠崇は照れ臭そうに笑った。

 「初日かげ はれたる富士にてりはえて
 波さへたたぬ 木更津の海

 この時期に初日影もおかしいが、初めての国入りであれば、それもまた良きかと」

 数馬は書き留めた歌をしばし眺めて、自分も声に出して詠んでみた。
 菅笠に手を添えた木村隼人は、その声に耳を傾けながら、西の空にくっきりと稜線を浮き上がらせている富士山を仰ぎ見て、
「まこと良い歌ですな」としゃがれた声で言った。
 今、全国の藩主が、お家存亡にかかわる岐路に立たされている。家老の立場からしても未曾有の危機に直面していると木村は痛感している。なれど、家督を継いでまだ半年の我が殿は、若干二十一にして、なんと肝の据わった若武者であろう。
「波さへたたぬ木更津の海、とは、実に泰然自若たるものじゃ」
 数馬たちも同感であった。
 忠崇は、小櫃川の河口から広がる広大な干潟を眺めている。くちばしの黄色い海鳥が数羽、沖合の風に吹かれて鳴いていた。
「そうじゃ」と忠崇は振り返った。
「浅野作造に頼まれておったことがある。数馬、真武根陣屋に入る前に、四方ヶ原の牢屋敷へ案内してくれ」
 三千太郎たちの釈放に関することだと察した数馬は、ようやくこの時が来たと胸をなでおろしたのであった。

 楓江先生が魚を釣ってきた。ついでに浜チシャとクコの芽も摘んできたという。豊は楓江の釣り具を眺めて、
「もうすぐ江戸で戦が始まるって噂なのに、先生もずいぶん遊び好きだねえ。糸だってこれテグスでしょ。高いんでしょう」
「いてもたってもおられぬから釣りなぞしておるのだ。これを肴に一杯どうじゃ」
 平右衛門はびくの中をのぞき込むと、並びの悪い歯をのぞかせてはしゃいだ。
「こいつあすげえ、アジ大漁じゃねえすか。なめろうと塩焼きにすべえ。浜チシャとクコはおひたしだな。そろそろ煮売屋にも飽きてきたところさ」
 びくを片手にぶらぶらさせて、嬉々として獄舎の台所へ向かった。
 房の奥で書物を読んでいた三千太郎が、突然腹を抱えて笑い出した。
「黄表紙って、ほんとおもしれえや。朝三郎兄さんがはまる気持ちがわかった気がする」
 手にしている本の著者は山東京伝、題名は『一百三升芋地獄』
「大タコ天蓋大王とか、いもあみだぶつ、とかさあ」と本を閉じても笑いが止まらず、笑い過ぎて涙まで流している。
「あんたも平気の平左だね。戦争が始まるかもしれないんだよ」
 しかしそんな三千太郎の姿を、楓江先生は肯定的な眼差しで眺めているのだった。
「剣一筋であったこの武骨者が、今では書を読む楽しさを知ったのじゃ。なかなかの進歩とはいえまいか」
 言われてみればその通りで、豊の房にも貸本屋が持ってきた流行本が積まれている。恋文の手引書『女用文忍草』、メイク本『都風俗化粧伝』などなど。これを機に『女大学』なども借りてみたが、女子はしゅうとしゅうとめに仕るゝものなれば……、のくだりを読んだだけで胸糞悪くなった。
「楓江先生の影響で、あたしも本を読むのがすっかり好きになったよ。外国のことなんかもずいぶんわかってきたし」
と言いながら豊は一冊の本を手元に引き寄せた。
「でもさ、先生いち押しの、この本はいただけないよ。あたしらの住んでる土地が丸いとかさあ、西洋人の中にもべらぼうなのがいるんだねえ」
 豊はそれを滑稽本かなにかだと思っている。『刻白爾天文図解(こっぺるてんもんずかい)』。原本の著者はコペルニクスである。
「なにを申すか、天文学はれっきとした学問ぞ」
「やだなあ先生、土地が丸かったら転がっちゃうでしょ」
 などと言い合っているうちに、アジの焼ける匂いが漂ってきた。
「さあさあとれたてをいただこうぜ」
 平左衛門が両手になめろうと塩焼きの皿を持ち、牢番に燗銅壺と酒器、おひたしの皿などを持たせて戻って来た。
「サンテ!」と楓江仕込みのフランス語で乾杯する。
 日の沈まぬうちから熱燗をすすっていると、今度は司獄官が血相を変えて渡り廊下を駆けて来た。
「そなたら、酒なんぞ飲んでおる場合ではない! そこに参られておるのじゃ。このようなところに、恐れ多くも、請西候が!」
 と息せき切っているうちにも打裂羽織に裁付袴姿の若武者がズンズン廊下を渡って来る。
 すでにほろ酔い気味の楓江が、さっと膝を正して平伏したあたり、ぬきがたく武家の作法が染みついているのだろう。つられるように三千太郎たちも頭を下げた。
 忠崇は司獄官に向かって、
「この者らは大奥老女の荷を死守した義民である。直ちに釈放いたすように」と命じた。
 ところが相手は、「いかに請西候の上意とは申せ」と食い下がる。
「この者らの処置は関東取締出役の管轄なれば、当方では対応できかねます」
 それを聞いて忠崇は苦笑し、諭すように言った。
「公方様は大政を朝廷に返上されたのじゃ。もはや幕府に民を取り締まる権限はない」
 司獄官は、あっけにとられたように目を丸くした。このやり取りを上目遣いにのぞき見ていた楓江は、ひょいと顔を振り上げて膝を打つ。
「さすがは英明の誉れ高き請西候。その通りです。八州廻りの御役目は、王政復古の大号令が発された昨年十二月九日の時点で終わっておったのです」
「はあ?」と思わず豊が声を上げて楓江を睨みつけた。
「じゃあなんであたしらは牢屋にずっといたのさ」
「幽囚、何ぞ恥ずべけんや。ここで書を読み、酒を飲み、共に語ろうて楽しかったではないか」
「先生はわかっていて、あたしらをだましてたんだ!」
「人聞きの悪いことを申すでない。わしとて確信が持てなかったのじゃ。王政が復古されても、幕府の役人は誰一人それを認めておらなんだ。いま初めて、しかるべきお方から言質を取ることが叶うたのじゃ」
「楓江先生」
と神妙な面持ちで忠崇が声をかけた。
「先生などとはもったいないおコトバ」慌てて板敷に平伏する。
「おうわさはかねがね家臣から聞き及んでおります。学識比類なき先生がこの地に閑居されておられるのも何かの縁、どうか撫民の術をご指導願いたい。多事多難の時勢であるからこそ、善政美法を施し、大いに兵威を振るいたい」
「誠ご立派なるお心がけ、それがし微力ながら、請西候の御ため、一死をもって尽力致します」
 さらに忠崇は、傍の三千太郎に声をかけた。
「その方、諏訪数馬に鎖鎌を指導しておるそうじゃな」
 生れて初めて諸侯に話しかけられた三千太郎は、さすがに胸が拍動した。少しばかり酒を飲んでおいてよかったとさえ思う。
「予は、刀槍二芸は宝蔵院流伊能一雲斎が子息矢柄に習い、弓は旗本坂本氏、馬術は西丸下に通学し、洋式砲術は藩士らと受教した。なれど武芸十八般のうち、もっとも興味深き鎖鎌術は習得の機会を未だ得られておらぬ。その方、予に指南してはくれまいか」
 三千太郎は「はッ」と即答したものの、もとは農民の武器であったものを殿様が習いたいとは意外であった。よほどの物好きか、大の武芸好きなのであろう。
 若さみなぎるというべきか、さっそくここでと羽織を脱いだから、数馬が慌てて諫めた。
「遠路のお疲れもありましょうから、また日を改めては」
「天下の大事、日に日に急であれば、習えるうちに少しでも習うておきたい」
 牢番の控室に一通りの武具や捕物道具が揃っているから、獄吏に命じて鎖鎌を取りに行かせた。
 忠崇は、鉄砲と鎖鎌の分銅ではどちらの方が飛び道具として有効か、などと、豊や平右衛門にも気軽に問いかけてくる。平右衛門は、鉄砲なんぞ弾が切れたら無用の長物と答えたが、豊の方は手裏剣やクナイの方が一撃必殺で私は好きです、などと答えになっていない。そんな話題に花を咲かせているときの忠崇の表情は朗らかで、およそ殿様らしくない快活さであった。楓江はそんな若き藩主を崇敬するように眺めつつ、手酌で酒をすすった。
 袖をタスキ掛けにした忠崇は、まずは三千太郎の見事な鎖さばきに見入った後、中段の構えや、もっとも基本的な攻撃法である虎乱日月砕きなどを伝授された。
 家老の木村隼人は雨戸の開け放たれた廊下に寄りかかってこっくりこっくり船を漕いでいたが、小幡輪右衛門と小倉左門は楓江に勧められるがまま熱燗をすすっている。酔いがまわるにつれて二人は、今後請西藩がすすむべき方向について語り出し、朝命に従い上京すべきか、徳川の雪冤を図るべきか、藩論をどのように定めたら良いかまるで見当もつかないと楓江にもらすのだった。やがて煮売屋から夕食が届くと、今度はそれを肴に飲み続けた。
 熱心に稽古をしている二人を眺めながら平右衛門が、
「ここの煮しめを食うのも、これが最後だ」と上機嫌で盃を傾け、豊に小声で話しかけた。
「豊ちゃん、あのお殿様に惚れちゃうんじゃねえかい」
 豊はしごくあっさり首を傾げる。
「確かに役者絵みたいに奇麗な顔立ちだね。だけどあんまり整い過ぎているよ」
 息の上がってきた忠崇は、しばし鎌を持つ手を止めて、呼吸を整えつつ首筋の汗をぬぐった。そろそろ西の空が朱色に染まりつつあった。
「数馬から聞いたのだが、そなた、新妻を失ったばかりであるとな」
 三千太郎も汗をぬぐいながら黙ってうなずいた。
「予も同じ時期に母を亡くし、昨年は父も失った。それ故、そなたの気持ちがよくわかる」
 高い土塀の上に太陽がかかると、少しずつ敷地の隅が薄暗くなってゆく。
「なれど、我らの悲しみとはかかわりなく、当月十五日を期して江戸城へ侵撃の令ありと聞く。時事ここに至ったからには、もはや関東での戦は避けられまい。民を虐して家を全うする気など少しもないが、さりとて佐幕の赤心を遂げず、むなしく世間の笑いものになるわけにもゆかぬ。もし新政府の所業が天道に背き、公明正大とは申し難き挙動となれば、その時は大義の旗を掲げ、万民を安んずるために戦う覚悟である。三千太郎、そなたも予とともに戦うてくれぬか」
 思い詰めたようにそう言うと、忠崇は視線を土塀の向こうの夕景に向けた。三千太郎も同じ方を仰ぎ見た。いつものごとく富士の山容は雄大で、今日は遥かに丹沢の山影まで見渡せる。三千太郎は、なをと太田山から眺めた夕焼けを思い浮かべていた。あれからもう二年が過ぎた。失うものなどなにもない。死地に赴くのも良いではないか。ふと、そんな気がした。
「戦うのはかまいません。ですが、木更津を戦火に巻き込むのだけはご容赦ください。この町はかつて、我が一族の失火で灰になり、町の人たちの努力によって、ようやく復興したばかりなのです。再び失うわけにはいきません」
「ようわかった。それは予も願うところじゃ」
 忠崇は、まなじりを決してうなずいてみせた。

 東征軍は三月十四日までに江戸城総攻撃の陣容を整える予定である。すでに西郷隆盛参謀の率いる東海道軍は品川に、板垣退助参謀の東山道軍本隊は板橋、その支隊は新宿にあって、翌十五日の夜明けを待って城下へ突入する手はずとなっていた。この時点では徳川慶喜の処刑まで俎上に上がっていたが、これについては英国公使から厳重注意を受けている。すなわち、欧米の常識として降伏している相手に攻撃を加えることなどあり得ないというのである。もとより日本は武士道の国であるから、西郷などはこの点についてはすんなりと了解した。が、建前として厳しい姿勢はゆるめない方針である。そこへ幕府を代表して勝海舟が会談を求めてきた。
 勝もまた悲壮な覚悟をかためてこの会談に挑もうとしている。もし和平交渉が決裂したなら、その時は自らの手の者で江戸市中に火を放ち、焦土戦を展開する手はずまで整えていたのだ。それだけの戦意をみなぎらせて挑まねばならない交渉なのである。降伏するにしても慶喜本人が単騎軍門へおもむくような事態は絶対に避けたかったし、もし助命がかなっても外様藩に身柄を預けられるような恥辱を受けるわけにもいかない。一大名に降格されるにしても、加賀百万石を越える規模の藩でなければ徳川の社稷を存続できたとは言い難い。ようするに、徳川家のしかるべき身代と威勢を保持したまま降伏したいのであり、勝の智謀はその落としどころを見据えてフル回転している。
 三月十四日、勝は馬丁一人を従えて芝田町の薩摩藩邸へ向かった。
 新政府を代表してこれを迎えたのは東征軍参謀西郷隆盛であり、勝とは四年前に政談を交わしたこともあって、旧知の仲であった。西郷は勝の見識の高さを尊敬していたし、勝の方も、赤心を人の胸中におくような西郷の人格を敬服していた。しかも二人とも明晰な頭脳の持ち主で、同胞相争えば列強に侵略の口実を与えかねないという危惧を抱いてもいる。願わくば首府を戦火に巻き込まず、平和裏に江戸城を開城したいという思いは、双方口に出さずとはいえ一致しており、それゆえ慶喜の死一等を減じ、実家の水戸家へ蟄居させる、というあたりまでの取り決めは、すんなりと交渉が進んだ。難航したのは兵器弾薬と軍艦の引渡しについてであった。
「この件に関しては」と勝の表情は険しい。「降伏する以上、武器を引き渡すのは当然でありましょう。なれど、旗本八万騎のみならず、下民取り立ての兵も膨大であり、この者らが携行する武器を回収するには時間も手間もかかるということをご理解願いたい。軍艦については管轄が異なり、実質的に艦隊の指揮を執っておるのは海軍副総裁の榎本武揚でござるが、現在は品川沖の艦上にいて連絡がつかず、率直に申し上げて統制がとれておりませぬ。かの者らは先将軍の処分如何をうかがっておるのでしょう。大総督府の出方次第では、江戸が焦土と化し、百万の生霊が損ぜらるる事態もあり得ます。願わくば寛大な御処置を賜りたく、当方も一命を投げうって鎮撫に努める所存です」
 これは事実である。しかし、方便でもある。
 陸兵も艦隊もすんなりとは降伏しないだろうとほのめかせることで、徳川に有利な講和条件を引き出したいのである。徳川家の存続が確定し、幕臣を養うに足る石高を獲得するまでが勝の正念場なのだ。
「勝先生、軍器軍艦ん引渡しがなかれば、恭順ん実が上がりもはん」とさすがに温厚な西郷も閉口した。
 しかし、慶喜の水戸退去と江戸城の明け渡しまでは確約し、皇女和宮と天璋院の身柄も確保されたことで一応この日の談判は決着し、
「徳川三百年ん功績に免じっせぇ、明日ん江戸城総攻撃は中止いたしもんそ」
と西郷はうなずいてみせた。
 これにより江戸は戦渦を免れ、都下百万の生霊が守られたのである。
 江戸城の引渡しは四月十一日と決まり、西郷は新政府軍を府内に残し、交渉の結果を報告すべく京都へとって返した。この時、薩摩藩のお抱え力士であった横綱の陣幕久五郎が、自分の駕籠を西郷に提供している。西郷の体格も関取なみだったから、これはありがたいことであったろう。陣幕はこの後も薩摩藩と行動を共にし、やがて総州の戦にも従軍することになる。
 総攻撃前日の戦闘中止命令は、士気が昂っていただけに板垣退助参謀らを激怒させた。一方で、江戸城内に戻った勝が閣老にそれを伝えると、「予がこの言を聞いて一歎の声あり」、水を打ったように静まり返っていた人々が一斉にほっと胸を撫でおろしたという。
 ともかく差し迫った危機は回避できた。さすがに疲労した勝が着崩れた継上下を整え直し、城を出て赤羽橋に差しかかったところ、耳をつんざく銃声とともに弾丸が鋭く耳元をかすめた。さらに一発、二発と撃たれたが、この男には強運も味方しているものか一発も当たらなかった。犯人とおぼしき者が遠くの方で、
「徳川累代の鴻恩を忘れた臆病武士め!」と怒鳴って去って行くのがかすかに見えた。

「動いておるものを撃つのは難しいと聞いておったが、なるほどその通りじゃな」
 短銃の銃口からまだ薄っすらと硝煙が出ている。
 松平金之助、官名を兵庫頭という。徳川連枝の後胤で、知行は捨扶持三百俵に過ぎないが、大名諸侯よりも上席に坐れる家格のひとである。奥詰銃隊差図役であるが、御大身ゆえかあまり調練に参加したことがなく、拳銃の射撃姿勢すらおぼつかない。常日頃、我れは銃卒にあらず、雌雄は太刀で決すべしと息巻いており、今まさに奥詰銃隊の屯所へ辞表を提出してきたばかりであった。たまたま下城する勝を目にとめて、好機到来とばかりに引金を引いたのである。松平姓の兵庫頭からすれば勝など末端の小臣に過ぎず、そんないか者が主導する江戸無血開城を受け入れる気など毛頭なかったのだ。
 が、いかに徳川家御親類とはいえ現職の陸軍総裁に発砲するなどあまりにも無思慮であり、普段は温厚な浅野作造でさえこのときばかりは声を荒げた。
「兵庫殿、軽はずみな行動はお控えくだされ!」
「あの腰抜けに我らの怒りを表明したまでよ」などと、兵庫頭は悪びれる様子もない。
 この男が独自に組織した有志隊を、
〈貫義隊〉
 という。
 直参の武術師範や武芸錬磨の士を集めた刀槍部隊である。銃隊化した幕府陸軍とは一線を画し、戦国時代さながらの戦法を理想としていた。副首領に安田幹雄、後に会津で新選組に加わる河合鉄五郎、広敷役人の浅野作造などが兵庫頭の厳命で入隊していた。脱銃隊を支持する同好の士も多く、隊士名簿にはすでに百五十人あまりが名を連ねている。
 この部隊の目的は、江戸を脱して北関東へ転出し、会津藩兵と行動を共にすることであった。それゆえ兵庫頭は会藩公用方の広沢安任や、同藩士で上野の彰義隊と密に連絡を取り合っている武川信臣などと会合を重ねている。
 この夜も、作造を伴い会津藩勤番長屋の二階へ上がった。
 そこに佐幕派の同志が集まっている。撒兵隊の堀岩五郎や、すでに府内で名を知られつつある常盤之助や斎藤常次郎なども顔を見せていた。
 薄明りに照らされた広沢安任の顔は、かなりやつれている。この時期、三百諸藩の中で、もっとも危機的状況にあったのは会津藩であろう。物音をひそめた室内に、広沢のため息がもれた。
「恐れ多くも我が殿が、京都守護職を拝命し、あしかけ六年にわたって禁裏を御守衛奉り、藩を挙げて京師の治安維持に努めたのは、藩祖の遺訓に従ったからなのです」
 遺訓とは、初代会津藩主保科正之(後に松平へ改姓)が子孫に残した『家訓十五ヶ条』のことで、その第一条は次のようなものであった。
〈大君の儀、一心大切に忠勤を存すべく、列国の例を以て自ら処るべからず。若し二心を懐かば、則ち我が子孫に非ず、面々決して従うべからず。〉
 会津藩と徳川幕府は一心同体である、この意向に背くような藩主は私の子孫ではない、家臣も従うな、と戒めている。
 藩祖正之は、二代将軍徳川秀忠の庶子であり、三代将軍家光の異母弟であった。秀忠の正室が嫉妬深かったため、正之の存在は御落胤として長らく秘匿された。後に家光は、この日陰者の弟を重用し、会津二十三万石の藩主に取り立てたのである。その恩に報いるべく、正之はこのような家訓を残したのだ。
「この一条を持ち出して弊藩を京都守護職に就けたのは、先将軍と越前候(松平春嶽)であらせられる。当時殿は病臥しており、何度もこれを固辞した。なれど有無を言わせず重職を押し付け、過激な尊攘派の矢面に立たせたのだ。今日弊藩が長州から根深い恨みを買われておるのはこのためである。しかれども、当の越前候は旗色が悪くなるや早々に幕府を見限り、薩長の驥尾に付し、今や新政府の議定職に収まっておられる。公方様も謹慎されるにあたって我が殿の江戸城登城を禁止され、あげくに府外へ立ち退けと命じてくる始末。越前候にしても、公方様にしても、これまで幕府が薩長と敵対してきた責任を、すべて我が殿と会津藩に擦り付けておるのだ」
 広沢のこの悲痛な訴えは事実である。あきらかに先将軍も幕閣も、会津藩を人身御供にして生き残りを図っている。新政府軍も、江戸城総攻撃を中止したことで、矛先を会津本国へ転じるだろう。
 その非を広沢は新政府に訴えている最中なのであった。
「もしこの訴えが叡聞に達することなく、あくまで薩長が我らを朝敵とするなら、そのときは最後の一兵となるまで戦い抜く覚悟でござる」
 だが、会津藩に有利な状況も芽生えつつあった。貫義隊を率いる兵庫頭は、その展開に勝機を見出している。
「広沢殿、悲観めされるな。東北諸藩はいずれも会津に同情的じゃ。東日本で軍事同盟を結成し、西国の奸藩どもと天下分け目の大戦に挑もうではないか。賊どもが錦旗を掲げるなら、貫義隊は日光へ赴き、東照神君の御旗を押し出そう。腰の砕けた先将軍だの閣老などは見限り、権現様(徳川家康)を旗印とするのじゃ。さすれば諸侯も三百年来の重恩を思い出すであろう」
 旗といえば、武川信臣に思い当たることがあった。
「上野の山に覚王院義観という大僧都がおられます。その方が申すに、日光山には一旒の錦の御旗が秘蔵されておるそうなのです。ご存じの通り、寛永寺の門主は代々宮方からお迎え奉るが、それは万一朝廷に逆心あらば、この宮をもって都の天子と換え奉るためでござる。すなわち現在の門主、輪王寺宮が掲げるべき旗印が、すでに日光の廟所にあるとのこと。家康公は、かかる事態の到来を想定しておられたのです」
「公算大なり」と作造が膝を打った。「貫義隊が東照宮に立て籠もり、北関東を抑える。撒兵ならびに義勇隊が房総半島に割拠し、榎本艦隊が江戸湾を封鎖する。あまつさえ上野には彰義隊も屯集しておる。もはや新政府軍は江戸府内から動くことかなわず、その間に東北諸藩の軍事同盟が成れば、薩長賊を西国へ押し戻すことなど容易かろう」
 この中で唯一、西洋式の軍服を着ている撒兵隊の堀岩五郎が、あらためて同志たちを見回し、確認した。
「彰義隊をのぞく各隊は、江戸城引渡しの期日までに府下を立ち退き、総野の各所へ脱走を図る。それでよろしいか」
 皆、互いの顔を見合ってうなずき合った。
 広沢は常盤之助の方へ膝を向けた。
「貴殿に、弊藩の細川外記と荒井直五郎を託してもかまいませぬか。房総方面の連絡役として、お頼み致したい」
「喜んでお引き受け致します。義勇隊の参謀に迎えましょう」
 外記とはすでに親しいが、荒井直五郎とは初見であった。しかし浅からぬ地縁があるようで、この青年は生まれも育ちも富津なのである。木更津からもほど近い。
 二十一年前、幕府の海防政策に従って、会津は江戸湾へ藩兵を派遣した。このとき割り振られた守備陣地が富津岬であったので、房総常詰役となった藩士たちは家族を連れてかの地に移り住んだのである。会津藩に上総を故郷とする藩士が少なからずいるのはこのためだった。荒井は内房の地理にもくわしく、ことばの抑揚もどこか総州弁を感じさせるところがあって親しみやすい。
 兵馬悍強と一目置かれる会津藩から二人の藩士を参謀に迎えることができるなど、義勇隊にとっては願ったり叶ったりのことであった。が、それと引き換えたように斎藤常次郎が脱隊する。
 兵庫頭は、常次郎が西小姓組斎藤久右衛門の息子で、直新陰流の門人と知ると、その場で貫義隊へ引き抜いてしまった。やんごとなき相手の命令とあれば逆らえず、常次郎はこれまで行動を共にしてきた常盤之助と突如別れるはめになった。せめてものなぐさめは、貫義隊の中に木更津と縁のある浅野作造がいることぐらいだろう。
 常盤之助は声を励まして言った。
「常次郎は北から、おれは南から、薩長賊を挟み撃ちにしてやろう。やつらを誅伐したとき、再会できるぜ」
 常次郎も鼻の奥がツンと痛むのをこらえながら、
「どちらの方が多く賊兵の首をあげるか、勝負ですよ」
 などと強がって、にっこり笑ってみせた。

 江戸城西之丸下に撒兵隊の屯所がある。勝・西郷会談の後、にわかにここが騒がしくなってきた。城が引き渡される前に部隊を脱走させなければ新政府に武器を押収され、解隊されてしまう。いよいよ江戸を脱する時が来たのである。福田は全隊士を集合させた。編成は次の通りである。
 第一大隊長、江原素六
 第二大隊長、堀岩五郎
 第三大隊長、増田直八郎
 第四大隊長、戸田嘉十郎
 第五大隊長、真野鉉吉
 一大隊は約四百人、総勢二千人の大部隊であった。第一から第三までが主力部隊であり、若くて強壮な隊士で構成されている。第四から第五にやや年長の隊士が集められ、撒兵隊の本来の任務である野砲、火薬輸送車の護衛にあたっていた。
 撒兵隊と連携する砲兵隊もすでに合流している。
 隊長は砲兵頭、天野釣之丞。副隊長は砲兵頭並、間宮鉄太郎。大砲は一座六門、隊士は約七十人。
 撒兵隊の幹部の多くは前陸軍総裁小栗忠順の息がかかった者たちであり、すでに福田の下で統制がとれている。それゆえ隊員たちは素六の存在に不信感を抱いていた。勝総裁の人事で配属され、部隊の様子を部外者のように見ているところがあり、まだ少しも隊士らと打ち解けていなかったからである。増田の方は豪放磊落な性格が兵卒に慕われ、それが「ふり」であったにせよ、すでに隊になじんでいた。二人が頻繁に武総取締の松濤権之丞の元へ足を運んでいることは、ちくいち福田に報告されている。
「砲兵隊の幹部も、江原たちと密に連絡を取り合っておるようです」
 表立ってはいないが、下士官の仙石釩三郎が隊内の監察役を勤めていた。
 仙石の報告をまとめれば、素六に関しては十中八九、勝総裁から何らかの指示を受けて動いている。それが何なのか今のところ判然としないが、放置しておけば全軍の士気にかかわるだろう。それゆえ〈第一大隊〉という先鋒部隊をあえて素六に割り振ったのだ。血気盛んな若い隊士が選抜されているからで、和平や非戦などを口にすれば、その場で斬られかねない熱気に溢れているからである。
 福田は恰幅のいい体に撒兵隊の襞取りマンテル、羅紗で仕立てられた筒袖の陣羽織を着て屯所に現れた。床几に腰を下ろすと、それに従って大隊長の四人と、砲兵隊長天野、義勇隊士常盤之助、会津藩士細川、荒井両名も脇に座した。素六、堀、増田はサーベル拵の刀を嫌ってこれまで通り打刀を差している。隊士は和洋折衷の黒い筒袖段袋を軍服とし、冠物は革製黒塗りの頭巾。装備は前装式ミニエー銃、御貸装具は胴乱や革靴などである。砲兵隊士もほぼ同様であるが、冠物は黒の陣笠であった。
 福田は相変わらず大黒天のごとき福相で、それが殺伐とした軍の中にあると、かえって底知れぬ凄みを感じさせる。微笑むように二千人近い兵士たちをすみずみまで見渡した。
「城の引渡しが四月十一日と決まった。されば我が軍は九日から十日にかけて江戸を離れる。霊岸島から海路木更津へ向かうつもりじゃ。船の手配は大河内殿にお任せしておる」というと、兵たちは鋭い眼差しを常盤之助に向けて、会釈した。皆、緊張した面持ちである。
「ここには誰一人、勝安房守がごとき臆病者はおらぬであろう。主家のために忠をいたさんとする侍しかおらぬと信ずる」
 あきらかに、素六や増田を意識している。
「我らは三河武士である。主家存亡のときは身命を賭して戦う。ただそれだけのために代々禄を賜ってきたのじゃ。我らの大義名分はこれだけである。真野殿、如何か」
 第五大隊の真野鉉吉は書院番の父を持つ高禄の子弟で、ここへ配属される前は海軍奉行並支配世話扱の職にあった。撒兵隊では海軍との連絡役も務めている。
 疑いもない様子で真野は答えた。
「ごもっともにござります」
「では、戸田殿は如何か」
 第四大隊の戸田嘉十郎は佐渡奉行の惣領で、妻は京都町奉行の娘である。
「お説の通りでしょう」
「増田殿は如何」
「三河武士に恥じなき働きを致す所存」と含みをもたせた。
「堀殿は、どうじゃ」
 堀は福田の腹心で、砲術奥詰から、素六や増田と同じ砲術教授方に出仕していたこともある。洋学にも通じていたが、剣の腕も立ち、将軍の親衛隊である〈遊撃隊〉の肝煎でもあった。文武両道の士であり、熱烈な佐幕主義者だ。
「申すに及ばず」
「では」と、にわかに福田の福相が厳しくなる。
「江原殿はどう思われる」
 素六は憮然としてしばし口をつぐんでいた。そして、
「国際情勢を鑑み、民心を考慮するなら、内戦は避けた方がよいのではありますまいか」
 にわかに隊士たちがざわついた。
「先将軍は天朝を尊奉し、居城と領地を差し上げ、ご恭順のお心を徹底されておられる。御宥免あるまで、我らもその至誠に従うべきではござらぬか」
 別段、勝総裁の意を体したわけでなく、思うところを述べただけである。この辺りの一本気は父譲りなのかもしれず、増田は密かにため息をもらした。
 案の定、堀が激高した。
「我らは祖宗の御恩沢に報いるため、主家と存亡を共にするのだ。うぬがごとき腰抜けは去れ!」
 この一言に素六は顔色を変えた。とっさに刀に手を掛けたが、堀はそれよりも一瞬早く鯉口を切っていた。すかさず間に常盤之助が割って入り、双方の顔を睨みつけた。
「お手荒はなさらんでください。大事の前ですよ」
 隊士たちの激しい罵声が素六にむけられた。卑怯者! 出ていけ!
 素六は軍帽をかぶり直すと、無言のまま屯所から出て行ってしまった。

第八章  義の旗

 四谷愛住町は坂が多い。法雲寺、全長寺、養国寺など、由緒ある古刹があちこちに建っている。そのせいか、昼日中でも町全体が静寂に包まれているようだ。杉板垣を巡らせた古い拝領屋敷の前に来ると、それとわかるほど木の灰汁の匂いがした。房楊枝の内職で暮らして来たという噂はほんとうだったのだなと、あらためてそんな感慨を抱きもする。
「ごめんください。江原大隊長はお戻りにござるか」
 玄関に立って声をかけると、衝立の向こうから、手拭いを姉さんかむりした若い娘が出てきた。着物の上に着けた前掛けに細かい木くずがついている。
「撒兵第一大隊所属、古川善助にござる。江原大隊長を呼び戻しにまいりました」
 娘はきょとんとしていたが、なにやら不穏な空気を察し、すぐに振り返って座敷に声をかけた。
「父上、兄さまに何かあったようです」
 これを聞いた善助は、娘が大隊長の妹であることを知った。
 奥から源五が出てきた。その奥方も、弟とおぼしき少年も、木くずのついた前掛けをしている。まだ素六の撒兵頭の給料が支給されていなかったから、相変わらず家族そろって内職に励んでいるのである。
「せがれが、何か仕出かしましたか」
 善助は西ノ丸下屯所での一件を手短に説明した。誰か連れ戻してまいれと福田総督に指示されたものの、皆しぶって行きたがらず、仕方がないからなんとなく自分が迎えに来た、という細かいところまでは話さなかった。
 古川善助はひどく童顔であるが、撒兵隊がまだ御持小筒組と呼ばれていた頃からの古参の隊士であった。このときまだ十九。軍服のズボンがはち切れんばかりの筋肉質である。
「さては」と、一通り事情を聞き終えた源五が独り言のようにつぶやいた。
「素六のやつは切腹する気じゃな」
 母のロクも、妹の満寿も、弟の銀蔵も、それを聞いて一様に顔色を失ったが、この父だけは落ち着き払った様子である。
 それは善助にしても同じことで、武士が面目を潰されたら切腹も辞さないのは当然であり、素六のことを臆病者とののしった堀岩五郎にしても、相手が自殺しかねないのは百も承知している。そんな殺伐とした世界に武士は生息しているのである。
「せがれは青山の持法寺におるでしょう」と言いながら、源五はロクに持たせた両刀をたばさみ、下駄をつっかけた。
「そこが江原家の菩提寺ゆえ」
 腹を切るならそこへ向かうはずだろう。源五の後を追うように善助も玄関を出た。
 青山までの道は南へほぼ真っすぐであり、源五はやや足早に前を行った。
「大隊長は、どんな子供だったのですか」
 せっかく上役の父親と一緒にいるのだから、なんとなくそんなことを聞いてみたくもなる。
 しかし源五は何も答えず、刀の柄に手をかけ、前のめりで歩き続けている。その佩刀の柄巻や鞘の漆塗りのみすぼらしい感じは、あきらかに粗製濫造品だとわかる。恐らく剣術の心得などないのだろう。
「大隊長は勝総裁のおぼえもめでたく、陸軍きっての秀才と評判です」
 などとお愛想じみたことを言って間を持たせようとした善助に、源五は目も向けずに言った。
「おぬし、ようしゃべるな」
 持法寺の山門をくぐると、果たして江原家の墓前に素六が座していた。
 短刀に手をかけて、今まさに腹を切ろうと身構えているのだった。
「やめい!」と源五が怒鳴った。
 素六の膝元に置かれた遺書とおぼしき紙を引っ掴むと、源五はそこにしたためられた漢文が読めず、代わりに読めとばかりに善助の顔に突き付けた。
 西日に照らされた素六は拳を膝にしてうなだれている。
 善助はかしこまって読み上げた。
「梗概就死易従容従道難(慷慨死につくはやすく、従容道に従うはかたし)」
 これを聞いた源五は顔を真っ赤にして素六の襟元を掴んだ。
「親が読めないような小難しい遺書残しておまえは死ぬつもりだったのかッ。だからわしは侍に学問なぞ不用と口が酸っぱくなるほど言い続けたのじゃ! 死ぬぐらいなら陸軍なんぞ辞めて植木屋になれ! 代々木や千駄ヶ谷の御家人のようにこおろぎを飼育して売って歩け! おまえには三河以来の筋目である江原家を守ってゆく義務があるのじゃ! 切腹なぞしてもビタ一文にもならぬ、このたわけが!」
 怒声を聞いた素六は、ハッと我に返ったようであった。口をぽかんと開けて、源五の顔を振り仰いだ。
 父親が漢文はおろか仮名文字さえ読めないことを完全に忘れていたのである。ならばいったい、誰に向けて書いた遺書だったのか。自分を辱めた堀岩五郎か、ヤジを飛ばした兵士たちへか。激情にかられて死に急ぎ、親の大恩に報いることさえ忘れていた自分の短絡さに恥じ入る他なかった。
 素六はがばと両手を付き、
「父上、申し訳ございませぬ」額をこするように平伏した。
 
 猫背ぎみの源五がゆるゆると墓地参道を歩いてゆく。その背を見るように素六も歩き出した。
「おぬし、名は」
 撒兵隊に配属されたばかりの素六は、童顔の隊士のことをよく知らない。
「古川善助。第一大隊所属です」
「様子を見に来てくれたのか」
「はい、ええ、福田総督の、命で」
「そうか」
と言ったきり、あとは黙然と歩き続けた。
 善助が、そろそろ屯所へ戻りますと言いかけたところ、素六が急にふっと笑った。
「もう、徳川の世ではないというのに、江戸の町は少しも変わらぬな」
「それはそうでしょう」善助はうなずいてみせた。
「総督府は未だ江戸の煩雑な民政を引き継ぐことができず、府内の諸政ことごとく御三卿の田安慶頼様に委任しております。旧法に則り、勘定奉行も代官も郡代も健在、市中取締りさえ町奉行がしておるぐらいですから、新政府なんぞ名ばかりでござる」
「いま新政府軍と戦えば、我々が勝利するであろうか。おぬし、どう思う」
「勝つのではありますまいか。撒兵隊も伝習隊も府下におる今なら。上野に屯集しておる彰義隊は二千を下らぬようですし」
「おぬしは、勝総裁の恭順政策には反対か」
「反対でもなければ、賛成でもありませぬ」
「と申すと」
「福田総督の申す通り、徳川家が攻められれば反撃するのが幕臣の義務ですし、大隊長の申す通り、先将軍が謹慎しておるなら我らも自重すべきでしょう。いずれも正しければ、正誤の判断がつきかねます」
 激情にかられた若者が多い中で、この士官はなかなか落ち着いていると素六は感じた。
 坂の上のどこかの寺で、時報の鐘が打たれた。長い影を引きつつ源五が先を歩いてゆく。
「おぬし、いや、これからは善助と呼ぶぞ。福田総督や勝総裁とは異なる見解がもう一つあるのじゃ。先日総房三州鎮静方に任命された阿部邦之助殿は、陸海の兵器と兵員を温存しておき、家名存続がかなった後、新生徳川藩の軍備に当てよと申されておる」
 それを聞いて善助は、あっと膝を打つような表情になった。
「なるほど、その手があり申したか」
 この反応を見て、素六は阿部の先見性を再確認できた気がした。
 三人は日が没する前に四谷の家に戻って来た。
 源五が玄関をくぐると、家族がばたばたと衝立の向こうから顔を見せた。素六の母は息子の顔を見るなりほっと大きなため息をつき、満寿は思わず眼のふちに手拭いを押し当てた。
「飯でも食べてゆかれよ」と、源五がしかつめ顔で言った。素六も親し気に「あがってゆけ」と言う。下級旗本の台所事情をよく知っている善助は遠慮しようかと思ったが、下の弟まで歓迎したように笑顔を振りまいているから、しからばお言葉に甘えて、という気持ちになる。
 屋内も見るからに安普請で、家族の着物もよれて色褪せているが、掃除や洗濯は行き届いているようだった。素六が財布を渡すと、満寿が下駄をつっかけて表へ出た。しばらくすると遠くの方で「魚屋さーん」とかん高い声が聞こえた。飯は基本、朝に焚くものであり、夜は冷や飯と決まっているが、土間から炊煙の匂いがしてくる。息子の無事を喜ぶ母親の心が、そんなところからも伝わってくるようであった。
 素六はなおも、阿部の構想の続きを熱心に語っている。
「我らの持つ西洋の軍事知識を結集し、徳川兵学校を作るそうじゃ。さすれば新政府の者どもも、われらに教えを乞うてくるはずであると」
 これまで考えたこともなかった第三の道を提示されて、善助は胸躍る気もするし、不安にもなる。
「もし阿部殿のお考えに従った場合、撒兵隊は、如何すべきなのですか」
「徳川家の恢復がかなうまで、房総半島に籠ったまま動かねばよい。さすれば新政府軍への示威ともなるし、もし後日、天朝より咎められれば、不穏な天領の鎮撫に赴いたのだと言い逃れもできよう」
「あの過激な福田総督と幹部らが一戦も交えず、じっとしておるでしょうか」
 素六もけわしい顔となり、善助の目をじっと見据えた。
「勝総裁も、それを懸念しておられる」
 この一言で、善助は事の次第を明確に理解した。江原大隊長は勝陸軍総裁から直接不戦の指示を下されているのだ。
「わしを裏切者として斬りたいなら、それもかまわぬ。なれど、わしは死を恐れておらぬ。先ほど父上に叱られたとおりじゃ」
 そう言って素六は笑ってみせたが、目つきは鋭いままであった。
 夕餉が整ったらしい。
 座敷に箱膳が四つ並べられているのは、男たちのぶんである。母と満寿は土間脇の離れたところに座る。白飯にイワシの煮つけ、きんぴらごぼう、香の物、汁には庭で採れた青菜が入っていた。これでも小身の武家の夕膳としては豪華なほうであり、銀蔵などは嬉しそうに目を丸くしている。
 箸を持ち、手を合わせ、それぞれが食事を始める。来客がいても会話などはせず、この家の男は酒も飲まないらしい。ひかえめな咀嚼音だけが聞こえている。善助はきんぴらごぼうを奥歯で噛みしめながら、大隊長の立場に思いをはせ、自分は今後どう立ち回るべきだろうと考えていた。ふと我に返ると、膳の前に満寿がかしこまっており、「おかわりはいかがですか」と尋ねた。
「かたじけない」と慌てて会釈して、使い込まれた木地の飯椀を差し出す。
 結局家を出るまで、江原家の家族と会話らしい会話を交わすことはなかった。しかし揃って玄関まで見送りに出てくれる。この辺りの夜道はわかりにくかろうと気遣って、素六も下駄をつっかけて表へ出た。
 もう、撒兵隊の話はしなかった。素六は頭上の星々を見上げた。
「あれはまだ、十歳ぐらいの頃だったか、三番町にいつも稲荷寿司の露店が出ておって、どうしてもそれを食べてみたくてなあ。こつこつ貯めた銭が八文ほどあったから、父上と内職の材料を仕入れに行った帰り、立小便をするとごまかして父の目を欺き、隠れて一つ食べたことがある」
「あんなに厳しい父君を欺いたのですか。悪い子じゃなあ」善助はげらげら笑った。
「稲荷を急いで頬張っておったら、後ろからすさまじい拳骨が飛んできた。父上はすべてお見通しだったのよ。この不埒者め、武士が往来でものを食うとは何事か、とまあこっぴどく叱られたものじゃ」
 この人にしてはめずらしく声を上げて笑った。
「善助、今日はかたじけなかった。明日、屯所に出頭し、福田総督に詫びを入れる」
 善助は立ち止まると、ここから先の道はわかります、と丁重に礼を述べた。
「大隊長、髯を生やされよ」
「ひげ?」
「大隊長は愛想が悪いので、それならいっそいかめしくした方がよろしいかと。一軍の将らしく見えますよ」
 遠慮会釈もない善助の助言であったが、素六は素直にうなずいた。

 江戸城西之丸は本丸に次ぐ格式を持った御殿であり、世継ぎや大御所の居所である。近年ここは、嘉永五年、文久三年と火災を起こし、今は仮御殿が建っている。財政難によりついに本格的な御殿は新造されなかった。見ようによっては徳川家の凋落を象徴する一画であるかもしれない。進駐軍である先鋒総督府の本営もここに置かれた。
 大手門を出ると外堀に面した広場があり、そこに数棟の兵舎が急造され、撒兵隊が屯営している。下士官たちの声が響き、行進や射撃の調練が行われていた。空き家となった大名屋敷が本陣で、先鋒総督府は指呼の間にある。
 あれほど庶民からの募兵を嫌った撒兵隊も、実戦を間近に控え、兵の増員に踏み切らざるを得なくなっていた。銃器と付属品、兵糧米、日用品などの物資も、砲兵隊と合わせて二千人ぶんともなれば膨大で、この運搬を沿道の宿郷と継立人馬でまかなうのはどだい無理であると幹部たちも悟らざるを得なかったのだ。そのため輜重隊が編成され、新たな兵卒を集めることが急務となった。が、歩兵奉行の大鳥圭介のように、体格さえよければヤクザでも泥棒でもかまわないといった方針とはならず、武家奉公経験者で、幹部のお眼鏡にかなったものだけが厳選されて採用された。
 そんな新規採用の兵卒の一人が下士官をつかまえてなにやら大声を出している。
「いやね、こりゃあ素人でもわかることだと思うんだが、あけぇ据えられてる大砲がさ」と言って、城の土堤に砲座をしいた四斤山砲を指差していた。
「何で全部の砲口が南の方へ向けられてるんけ。いくら官軍の主力部隊が品川にあるといっても、敵がそっち方面から来るとばっかへーえんずら。ここの広場は西側以外、三方が開けっ放しなのだから、そっちの警戒も怠っちょんじゃねえけ」
 たまたま近くを通りかかった常盤之助は、この方言、どこかで聞いたことがあると思った。
 下士官はうるさそうに男の話を受け流し、あからさまにその場を立ち去ろうとしていたが、常盤之助の姿を目にとめると姿勢を正して敬礼した。
 甲州弁の男が、「おっ」と細い目を丸くして顔を向けた。
「大河内の常盤さんではねえけ」
とその顔を正面から見れば、京都の文武場学問師範、内藤七太郎のもとで中小姓をしていた永峰矯四郎であった。
「嬌四郎さんか」
 意外なところで再会した知人に、なんともいえぬ懐かしさを覚える。「撒兵隊に入ったんですか」
 嬌四郎は照れ臭そうに笑いながらも、少し不服そうな顔をしてみせた。
「二年前、あんたの兄キがまだまだ幕府は盤石ってたから、そのことばを信じて、大政奉還の後も、こうして幕府の側にいるさよぉ。常盤さん、幕府は大丈夫だかね」
「これから挽回を図るところですよ。嬌四郎さん、まだ立身出世の夢を捨ててなかったんですね」
「ほりゃそうだ。出世しなきゃ故郷に帰れん。まずは幕府の精鋭部隊で荷物運びでも砲車挽夫でもなんでもやって、太閤秀吉みてーに武功を積んでゆくつもりさ」
と胸を張る嬌四郎の腕を取ると、
「総督に紹介するよ」常盤之助は本営の方へ歩き出した。
「総督? 総督って、いちばん偉い人のことけえ」
 嬌四郎はうわずった声で叫んだ。

 徳川幕府とは、いうなれば軍事政権であったので、社会制度の中に種々の軍務を組み込んでいた。なかでも重要だったのは宿駅制度であり、軍事物資の輸送などは沿道の住民を動員して行う。結果として、欧米の軍隊のように輜重隊というものが発達しなかった。けれども、二千人にもおよぶ兵隊が戦況に応じて迅速に移動するとなれば、人馬宿泊の手配は参勤交代以上に複雑で、野宿の場合でも、食料、飼料、炊き出しに使う燃料などは膨大なものとなるから、これを扱う専門の部隊がどうしても必要になってくる。江戸城の引渡しが数日後に迫っており、今さら遅きに失した感もあるが、福田総督はこの方面の対策に乗り出している最中であった。
 輜重隊の隊長には、数日前まで富士見御宝蔵番格撒兵指図役勤方であった生島万之助が抜擢された。
 生島は、平時であれば役方の人材で、算術の秀才とうたわれている。兵数、武器の数、米穀の数量、銭の計算など、どのような桁外れの数字でも算盤一つではじき出すことができる。この若き隊長を補佐すべく、直参から優秀な頭脳がかき集められた。中でも四十三歳の梶塚成志は文武に秀で、生島の片腕としてさっそく辣腕を振るっている。
 本陣の板敷に江戸湾岸の大きな木版刷り略図が広げられ、それを囲むように福田総督と生島、梶塚が額を突き合わせていた。江戸から木更津への行程が話し合われている。
 常盤之助が嬌四郎を伴って現れると、三人は同時に顔を上げた。
 生島万之助は、いかにも秀才然とした細面で、視力が悪いせいか、目を凝らしてものを見る癖がある。地図を見るときは見落としがないように眼鏡をかけた。梶塚は顔大短躯で見た目はいかにも風采のあがらない男であるが、人を包み込むような笑顔の持ち主であった。身分は高くないが三河出身であり、生粋の徳川武士である。
 大部隊の脱走を前にして、福田の顔はいつになく厳しく張り詰めている。が、常盤之助の顔を見ると少し和んだ。大勢の幕臣を率いる福田にとって、木更津の同志は友のように感じられるのだろう。
 常盤之助は緊張ぎみの嬌四郎を前に押し出し、
「あの話、もう一度ここでしてみるといいよ」と促した。
 先ほどの威勢はどこへやら、嬌四郎は口ごもりながら、すべての砲架が一方向にばかり据えつけられているのはおかしいと述べた。
「わしの知ってる築城法や戦術から考えても……、いやいやほんなてーしたものじゃなくて、通り一遍読んだわしの幼稚な本の知識から申しても、あの大砲の運用は理屈に合わんし、あれが近代兵法ちゅうものなら、児戯に等しいずら」
「ほう」と福田は扇子を膝に突き立てた。「そのお国言葉、そこもとは甲州の出か」
 嬌四郎がかしこまってうなずくと、福田はくだけたように微笑んだ。
「さすがは甲州流軍学の里よ。信玄公の御遺徳がしのばれる」
 常盤之助が自信ありげにうなずいてみせた。「見どころ、ありますよね」
「ご友人か」
「嬌四郎さんは京都の文武場学問師範に仕え、新撰組などとも交流のあった御仁です。ぜひ、しかるべき役職に推挽したい」
「優秀な下士官が一人でも欲しいところじゃ。さすればそなた、まずはわしの使番となってくれぬか。下役並の階級で遇する」
 嬌四郎は常盤之助の方をかえりみて、いまにも万歳しそうな表情になった。
「ところで、大河内殿」
 梶塚成志が、間を見計らっていたように声をかけた。「船都合はいかがにござりますか」
「義勇隊船手組頭、地曳新一郎が万事整えております」
 あらためて湾岸の絵地図に視線を落とすと、常盤之助も嬌四郎もそのまま軍議に加わった。
 そこへ、今度は江原素六が出頭してきた。古川善助も従っている。
 嬌四郎以外はあの場に居合わせた面々であったから、一瞬、気まずい空気が張り詰めたようであった。しかし、福田の方からそれを破った。
「江原殿、心配しておったぞ」
 満面の笑顔で迎えたのである。
 素六は、軍議の輪に歩み寄って座し、手を付いて昨日の非礼を詫びた。連帯責任というわけでもなかろうが、善助も頭を下げた。
 福田は口元に笑みを含んだまま、まるで世間話でも始めるように、幕軍内部の深刻な案件に触れる。
「おぬしと増田は、恐らく、勝総裁の配下であろう。先ほど、土堤に据えられた野砲の構えが理にかなわぬという報告もあった。砲兵隊長の天野釣之丞あたりも総裁の息がかかっておるのやもしれぬな。おぬしらが隊内で恭順の下工作をするのなら、それもまた致し方あるまい。同じ幕臣とは申せ、それぞれに信ずる道があるであろう。なれど、戦陣においてはわしが大将ぞ。江原殿、この序列ばかりはゆめゆめ乱してくれるな。これをおろそかにすれば、いかな近代装備の精鋭であろうと烏合の衆と化す。おぬしほどの識見があれば、わかってくれるな」
 素六は目をそらさずにうなずいた。福田は続ける。
「突飛なことと思われるやもしれぬが、わしは房総半島を県として統べようと考えておる。そもそも今日の混乱は、封建制度のほころびから生じたものじゃ。天下の泰平が二百六十年も続けば、将軍の御威光を軽んずる薩長のような奸藩も出てこよう。しかれども、徳川の治世において民を水火に投じるがごとき大乱のなかったことは歴々として明らかであり、この確たる幕府の功業徳沢こそ、今後も我らが政権を担う根拠として充分であろう。諸外国が虎視眈々と侵略の隙を伺っておるような情勢を鑑みれば、征夷大将軍の武威をもって国を興すは理の当然。王朝の復活などと流暢な理想を掲げておるときではないのじゃ。新たな将軍として御三卿の田安亀之助様を立て、全国の天領藩地を廃して県となし、徳川大君統一国家を建設すべき秋である。その先駆けとして、撒兵隊は総房三州を占拠し、ここに徳川義軍府を樹立する」
「徳川義軍府……」生島と梶塚はこの構想を聞くのは初めてで、目を丸くしたまま息を飲んだ。
 佐幕派にしてはめずらしく先行きの明るい話だと感じた嬌四郎は、一っ飛びで出世の糸口をつかんだ気がする。
 海外の統治制度を聞きかじっている素六は、福田の描く国家構想を即座に理解できたし、むしろこの方向性は阿部邦之助の考えと近いのではないかと思うのだった。だとすれば福田以下撒兵隊を、勝総裁の基本路線へ平和裏に誘導できるのではないか。
 さらに常盤之助がその場を見回すように顔を振り向けて、付け加えた。
「東北諸藩の間で軍事同盟の気運も高まりつつあります。仙台藩が主唱し、会津藩の救解に乗り出そうとしておるです」
「それはつまり……」と素六が言いかけると、福田は軽く膝を打った。
「もはや江戸の総督府は袋の鼠。もし薩長賊が会津征討に乗り出そうものなら我らがその背後を脅かし、上野の彰義隊は一気呵成に江戸城を取り返すであろう。榎本艦隊が駿河湾から東海道を砲撃すれば、都への退路も遮断される。総督府が玉将ならば、この将棋はすでに詰んでおると申しても過言ではない」
 自信に満ちた福田の顔を見ていると、さすがに素六も徳川の復権に加担したくなってくるのは、幕臣として当然の反応かもしれなかった。それを見て取ったように、福田は眉間に気迫を込めた。
「江原殿、わしと共に徳川義軍府を立ち上げてくれぬか。おぬしに周旋方並びに外国奉行を任せたい」
 大胆にも福田は、徳川義軍府の存在を、まずは地方政府として諸外国に認めさせる心づもりであるらしかった。日本の外交はつい先年まで「天下の政権御委任の将軍」が取り仕切っていたのだから、発足して日の浅い天皇政府よりも、むしろ徳川と銘打たれた勢力の方が認知されやすいかもしれない。福田は語気を強める。
「レオン・ロッシュ仏国公使は、先将軍の恭順に猛反対しておられる。徳川の名誉と利権を守るのが臣下の義務であろうと幕閣を叱咤されておるそうじゃ。我が陸軍の指導教官であるシャノワン少佐なども、ここで戦わずして降伏するは愚の骨頂、正気の沙汰ではないとまで申されておる。いずれにせよ、フランスは全面的に幕府の味方であるから、後ろ盾にも不足はない」
 素六の鼓動が高鳴り出していた。鳥羽伏見の敗戦以来、坂を転がるように劣勢だった徳川幕府も、あるいは。という希望がかすかに沸いてくる。
 福田はいつもの甲高い声をぐっと低く落として言った。
「勝総裁と西郷参謀の会見において、上様の死一等と引き換えに、幕府が保持する軍艦、武器、兵員をいったんすべて先鋒総督府に奉納し、後日寛天の処置をもって相当数が返還されるという取り決めがなされたのは、おぬしも知っての通りじゃ。ところで江原殿、ひとたび敵に差し出した兵器兵員が、公約通り戻ってくるであろうか」
「まず、あり得ぬでしょう」
「銃砲および正規兵は徳川の家産である。これなくしては後日を期することもできぬ。従って、断固引渡しに応ずるつもりはない。これはどこの部隊も同じであろうし、海軍なぞ所属艦船の保有数さえ正確な数を伝えておらぬそうじゃ。われらとしても、隊士が携行しておる武器は個人の所有物としておき、幕府の備品にあらずと押し通すつもりじゃ。なれど、砲兵隊の野戦砲などはさすがに私物とは言い張れぬ。近日中に肥後藩が武器を受け取りにまいるのだが、江原殿、これを上手くかわしてはくれまいか」
「官軍は目と鼻の先の西之丸に駐留しておるのです。ごまかしようがないでしょう。しかも武器弾薬の引渡しに背けば、上様の命さえ危うくなります」
「おぬしが撒兵隊を代表して武器引渡しの交渉を引き延ばしておる間、われらは密かに軍需品と軍用金を霊岸島(東京都中央区新川)へ移動させる。わしが江原殿を裏切り、置き去りにする体で江戸を脱すれば、おぬしが罪に問われることはないであろう。その後は脱走軍を呼び戻してまいると称して木更津へ渡ればよい」
「わしに、総督府を手玉に取れと」
「機知と弁舌を要する難しい役回りとなろう。この大役を任するに足る幹部は、江原殿、おぬしをおいて他におらぬ。どうか力を貸してもらいたい。これはわしの本心じゃ。毫末の邪念もない」
「軍を粛々と房総へ移動させ、しばし手荒な手段に訴えぬとお約束してくださるなら、その役目、お引き受け致します」
「臣子の分は、ただ一死をもって主家に殉ずるのみじゃ。我らは互いの立場を越えて共闘できるものと信ずる」
 福田の柔和な顔がほころぶのを見ると、しぜんと親愛なる感情が湧いてくるから不思議であった。素六は疑い深い方であるが、この人となら行動を共にできると感じつつある。
 総督府への武器引き渡し期日は四月十一日。あと数日に迫っていた。

 素六が善助と連れ立って第一大隊の兵舎に入ると、士官室に砲兵隊長の天野釣之丞と副官の間宮鉄太郎、第三大隊長の増田直八郎が顔を揃えて待っていた。
 素六の顔を見るなり増田が安堵したように笑い出した。
「さては今生の別れになるかと思うておりましたぞ」
 この中で年長の天野が、素六をきつく睨み据えた。
「今後、昨日のような言動はくれぐれも自重されよ。あからさまに福田総督と対立して如何する」
 素六はしかし、突破口を得たような気分だった。
「福田総督は房総半島に自治政府を樹立せんと企てておるようじゃ。御山の彰義隊のように、血気に駆られてはおらぬ。我らの説諭次第では、勝総裁の恭順路線へ御するも難からず」
 と楽観的な憶測を語った。
「ひさしぶりに気を楽にして飲みませんか」と増田が言い出したのも、素六ほど慎重なひとが、めずらしく穏やかな表情をしていたからだろう。さっそく善助が酒の手配をした。
 素六以外は皆酒豪である。
 天野釣之丞は素六と同じ大佐相当の階級であったが、怏々として楽しまず、この頃いつもふてくされている様子である。というのも、
「わしは文久三年来ずっと歩兵指揮官だったのに、なんぞここへきて砲兵隊なぞへ転属されたのじゃ」という境遇であったからだ。
 間宮鉄太郎の方は、父が元玉薬奉行であり、親子二代にわたる砲術家であった。素六や増田とは講武所で共に砲術教授方出役を勤めたこともある。
「逆に砲兵士官だった江原殿と増田が撒兵へ転任。人事もそうとう混乱をきたしておるよなあ」と、間宮は苦笑いしつつ盃を干した。
「わしは大砲なぞ大嫌いなのじゃ」などと、天野はそろそろ酔いがまわってきたようである。
「幕府が輸入した野戦砲は三百門にもなる。なれどどれも手入れが行き届いておらず、使える砲なぞ半分もないのだ。しかも四斤山砲は内部に施条が刻まれておるゆえ、砲身破裂を起こしやすい。これまでにも調練中に複数の砲手が犠牲になっておる。そのようなことで命を落とすなんぞ、フグの毒に当たるようなものではないか」
 酒をたしまない素六も、今宵はめずらしく盃を舐めている。冷ややかな一瞥を天野に与えた。
「鋳物や銅製の溝切り砲は破裂しやすいのが難じゃが、施条が砲弾に回転を加えることで命中率と飛距離が高まる。これによって味方の勝利に貢献できるなら、たとえ腔発で死んでも、わしなら悔いもござらぬ」
「おのれ、よくもそのような大口をたたける」
「我らの陣営に鋼鉄製の砲がないのだから、今あるもので戦うより他あるまい。詮無きことを申すのはやめたまえ」と素六は眉一つ動かさずに言い切った。
 天野がふてくされて顔をしかめると、しばし士官室が静まり返ってしまった。
 ややあって、廊下で咳払いが聞こえた。
「夜分遅く失礼致します。輜重隊頭並、梶塚成志にござります」
 善助は内心ほっとして立ち上がり、突然の来訪者を笑顔で迎え入れた。
「これは、失礼ござった。皆さんくつろいでおられましたか」
 室内を見回して恐縮した様子の梶塚であったが、善助は押し付けるように盃を差し出し、大徳利を傾けてなみなみと酒を注いだ。
 気まずい空気になりかけていたから、この場に居合わせた誰もが、人当たりのよさそうな梶塚の顔を見て、ふと和んだ。
 梶塚も勧められるがまま一息に飲み干す。いくらでもいけそうな飲みっぷりに、増田などは手を叩いて囃し立てた。二杯、三杯、梶塚は水でも飲むように杯を重ねたが、四杯目にきっぱりと断って、やおら居住まいを正した。
「江原殿」
 と、迫るように膝をにじらせる。
 素六は飲めない酒に酔ってぼんやりとしていたが、その一声ではっと双の目を開いた。
「先ほどの、福田総督の御説にござりますが」
「うむ」
「書生論にござる」
 人のよさそうな梶塚の顔が、たちまち凄みをおびてくる。
「福田総督いわく、徳川義軍府の後ろ盾はフランスであると申されるが、いったいどこの国が無償で他国の支援などしてくれましょうや。十中八九、そこから利を得んと目論んでおるのです。かつて幕閣は、フランスから巨額の援助を得るために、絹と茶の権益独占を与えかけたことがあり、蝦夷地の質入れさえ俎上に上がったこともあるのです。小栗上野介様や前将軍は親仏に偏り過ぎるきらいがあり、その思考はどうやら福田総督にも色濃く引き継がれておるものとみえます。フランスが内戦の虚に乗じて国土の一部でも租借しようものなら、我々は百世の後まで売国奴と罵られることになりましょう」
 輜重隊の副官ごときが我らに説教致すつもりか、と思ったかどうか、天野が不服そうに声を上げた。「おぬし、見かけぬ顔じゃな」
 御目見以上の身分ではあるまい、という含みもある。梶塚はそれを察したように、容儀を正して手を付いた。「西之丸付きの御徒にござります」
 素六は目をしばたたかせて、酔いをさますように首を振った。
「梶塚殿、遠慮はいりませぬ。忌憚のない意見を申されよ」
 はッ、と平伏すると、梶塚はまなじりを決して顔を上げた。
「第二次長州征伐の折、高禄の子弟の多くは前線に赴かず、江戸表の土産話に憂き身をやつし、京の名物なぞを買いあさっていたものです。憚りながら旗本衆は世故に暗く、物価高騰にすこぶる難渋しておる生民塗炭の苦を知らず、世直しの気運を察せず、大政御一新の勢いを侮っておられる。いま、府下において我が方が有利といえども、鳥羽伏見の一件以来、稲葉老中の淀藩、伊勢の安濃津藩などが、あれよと敵方に寝返りましてござります。これにより箱根以西の諸藩ことごとく新政府になびき、外様はおろか譜代藩まで軍門に下る始末。前将軍は叛状顕然たる朝敵の名をこうむり、恐懼して一意恭順の御意向にあらせらる。会津や一部東北諸藩の士気旺盛なれども、西国雄藩と比べて兵具の近代化に大幅な遅れをとっておるのは火を見るよりも明らか。福田総督の御説はもっともらしけれど、府下の状況のみを根拠とする僻論、時勢を知らぬ机上の空論と申す他ありませぬ。拙者、それを諫言致したく、ここへまいりましてござります。恐れながら、江原様なら、お聞きとどけ下さるのではないかと」
 素六は酔いがさめたような蒼白い顔をしかめて、腕を組んだ。さっきまで福田の言に感化されかけていたのに、突如現れた四十過ぎの御家人に拳骨をくらったような気分だった。
 幕府陸軍はフランス教官団の意向で、妻子持ちの士分を積極的に採用していない。守るものがある兵卒は命令に復しがたいとの判断からである。そのせいもあって、梶塚のような世代の隊士はごく少数しかいなかった。しかも三十歳以上の兵は「重兵」と括られ、後方部隊に配属されることが多かったから、若者ばかりの撒兵隊では最年長の隊士であろう。それゆえ素六は、梶塚の考えをもう少し聞いてみたいと思うのだった。
「梶塚さん、包み隠さず申しますと、ここに居る者は皆、勝総裁の配下です。徳川家の存続がかなうまで撒兵隊の暴発を未然に食い止め、恭順路線を徹底させよとの意向を受けております。先ほどの福田の説によれば、撒兵隊の当面の目標は中央集権郡県制の先駆けとなる地方政府の樹立であり、ことさら戦を欲しておるとは思われなかったのですが、貴殿はどうお感じなされた」
 梶塚は鼻孔を膨らませて深く息を吐いた。
「たとえ戦を望んでおらなかったとしても、徳川の義軍である以上、天皇政府とは必ずぶつかります。そうとなれば、軟弱な旗本の子弟では、まず、勝てませぬ」
「軟弱とは無礼ではないか」天野が気炎を上げた。
「よろしいか、薩長賊の兵卒は百姓にござる。彼らは心体強壮、筋骨堅固、山野草莽で育った者どもにて、都会暮らしの軟弱な我らが、真っ向からぶつかっても勝てる相手ではござらぬ。拙者は征長戦で実際に相まみえたがゆえ、このように申しておるのです」
 この梶塚の言に、天野は憤りの色を浮かべてくってかかった。
「先ほどからおぬしは、腰がひけたようなことしか申しておらぬ。そなたそれでも幕臣か。それほどまでに命を惜しむか」
「拙者の血筋は代々三州、生粋の三河武士にござそうろう。三男二女の親であり、まだ小さき子らのためには命も惜しむ。撒兵隊のお重役方は皆さま学に長け、気概は勇敢であらせられるが、世間を知らず、時勢に疎い。拙者のみたところ、江原大隊長のみ、天下の大勢を見誤っておられぬ。ゆえに恐惶謹言ながら物申しにまいったのです」
「買いかぶらないでくだされ」素六は照れ笑いの一つも浮かべない。
「ここに居る者は皆、時勢を冷静にとらえようと努めております。目下我らの目指す先は、総房鎮静方、阿部邦之助殿が提唱する……」と素六は例の天皇政府下における徳川宗家の立藩と、兵学校設立について語った。
 梶塚は聞き終えるよりも先に感涙にむせび、
「その企てに、どうか拙者も加えてくだされ」平に頭を下げたのだった。
「だんだん仲間が増えてゆくな」と増田が感慨深げにうなずくと、善助も同じようにうなずきつつ、
「桃太郎のようですな」などと戯言を述べて皆を笑わせた。

 下総国小笹村(匝瑳市)はいわし漁の盛んな土地だ。黒潮の恩恵を受け、温暖であるが、雨の多い土地柄でもある。かつて源頼朝が砂浜を馬で駆けながら六町一里ごとに矢をさしていったところ、九十九本の矢が立ったことからこの名になったと伝わる九十九里浜は、白砂青松が弓状に続く景勝地であり、太平洋に面した平野は見渡す限りの田園、そこにぽつりぽつりと集落が点在している。
 暖かな風の吹くこの土地が、正道は好きであった。実家に帰省するたびに、晩年はここで隠居したいと思ったりもする。今はしかし、迫りくる戦いを前に、長生きできるかどうかの保証もない。
 撒兵隊の房総進出を目前に控え、正道は下工作に追われていた。佐貫藩、大多喜藩、久留里藩、飯野藩、上総分領前橋藩などの藩士らと会合を重ね、佐幕派有志を糾合しつつ、諸藩の連携を画策している最中であった。今も佐倉藩からの帰途であり、奉幕の藩是を確認してきたばかりである。佐倉堀田氏の先祖は春日局の養子で、一代にして十万石の大名に取り立てられた生粋の譜代であった。その恩沢に報いるべく、藩校成徳書院の諸生を中心とする佐幕派の藩士らは、勤王論に傾きつつある老臣らを斬ってでも徳川義軍府に加担することを正道に誓った。佐倉藩は房総諸藩中最大の軍事力を持つばかりでなく、成田街道上の防衛拠点でもある。房総半島に割拠するためにはこの藩の協力が絶対不可欠であったから、正道はようやく一息つけたような心持であった。
 本年二十五歳の正道は、父縫殿三郎が五十三のときの子である。母の喜佐も高齢であったから、当時の医療水準からみてかなり危険な出産といえたが、母子ともに無事であった。兄の総三郎とは十九も離れている。
 縫殿三郎は未だ強壮で、血色の良さは若者にも劣らないが、さすがに体の節々に衰えがないといえば嘘になり、義勇隊の活動に関しては輔翼に徹している。正道のことは晩年の子であるだけに可愛さもひとしおで、しかも不二心流をして幕軍の一翼を担うほどの勢力へ押し上げた才気も誇らしい。それゆえ、
「どうか、義勇隊の総帥となるべく、木更津へお出ましください」と頭を下げに来た正道の願いに応えたい気持ちは山々であったが、そのような大任を引き受けるにしては歳をとり過ぎているという気持ちの方が強かった。むしろ若さあふれる正道こそ一軍の将にふさわしいのでは、との思いは、親の欲目を差し引いてなお、衆目の一致するところとなるだろう。
「正道、おまえこそが人の長たるにふさわしい。それだけの分別と武勇が備わっておる」
父のことばに、正道は胸が熱くなった。
「総三郎の神徳講、おまえが率いる義勇隊、いずれも中村一心斎先生の御意志を継ぐものなれば、さぞや先師も草葉の陰で喜んでおられよう。我が門流の誉れである」
 縫殿三郎は長火鉢の引き出しから一葉の短冊を取り出した。それを見て正道は、密かに苦笑した。ここ数年来、縫殿三郎は和歌を趣味にしているのだが、武術にかけては名人であるこのひとが、敷島の道ばかりは下手の横好きのまま一向に上達しないのである。それでも何かにつけて詠いたがる。
 しばし縫殿三郎は天井を振り仰いで瞑目すると、やがて神妙な面持ちで筆を走らせた。

 行先はめいどの花と思へども雪の降るのに桜見物

 季題のくどい一首であった。正道は差し出された短冊をうやうやしく手に取り、ありがたく懐にしまい込んだ。
「我ら義勇隊は、幕府挽回の先兵となって、武士よりも武士らしく戦い、桜の花のごとく、潔く散ってごらんにいれます」
 ちょうど桜の季節である。二人はしばし、庭を彩る満開の花を見つめた。
 浜風がかすかに干鰯のにおいを運んでくる。大河内の者にとってこれは、父祖の地のなつかしいにおいなのであった。もうすぐ我が子や親類縁者が戦場に赴くなど嘘のようで、晴れ渡る青い空が目の奥に染みる。
「まあ、死に急ぐこともなかろうて」
 縫殿三郎はそうつぶやいて、流れる雲を眺めていた。

 木更津では、撒兵隊の滞陣に備えて宿泊所の確保と宿割に追われている。輜重隊と砲兵隊も加えて三千人規模の大部隊ともなれば、寺院、旅宿はもとより、名主の家や商家にも分宿させることになる。それに伴う食糧や燃料の仕入れ、人馬の徴発も急務であり、総三郎の指揮のもと、神徳講や義勇隊の関係者が往来を飛び回っていた。江戸から聞こえるうわさによれば、幕軍の歩兵は不行状で、ゆく先々で乱暴をはたらくというから、住民の中には不安を訴えてくる者もいる。それらを親身に聞いてやり、「もし乱暴なぞいたせば、わしが斬って捨てますゆえ」と説き聞かせるのも総三郎の仕事であった。
 島屋の甕場もにわかに慌ただしく、撒兵隊士の肩印、味方の識別用に付けるタスキ、手旗などはすべて藍染で作られた。肩印の小ぎれと義勇隊の羽織の背には「義」の一文字が染め抜かれている。突貫作業であったが、職人を指揮する縫之進はやっつけ仕事などできない性分であるから、一枚一枚仕上がりを確認して、義の文字が少しでもずれているものは廃棄した。
 木更津一帯が、なにやらせかされるようにせわしなかったが、八劔八幡神社の殿舎だけは粛然としている。
 この年の正月十七日、京都の新政府内に神祇事務科が設置され、総督に中山忠能、有栖川宮熾仁親王などが就任している。三月十三日になると「諸家執奏配下之儀」が停止され、すべての神職が神祇官の支配に一元化されたとの旨が全国の神社に布達された。これはすなわち、幕府による宗教行政の終了を意味する。
 現神主の八劔勝秀は顎髭を撫でつけながら言った。
「おそらく新政府は、神武創業の古に基づく祭政一致の世を目指しておるのじゃろう。香取神宮などはさっそく勤王の実効を立てるため、天下泰平の祈祷を執行し、江戸在府中のお公家方に祓を献上されたという。尚古隊なる神職隊まで結成し、奥州への出兵を嘆願しておるとか」
 勝壽は面上にありありと困惑の色を浮かべた。
「幕府から発給されている御朱印状は、どうすべきなのですか」
「そのことについてだが」と勝秀は居住まいを正した。
「このたびの神祇官付属の件は、まこと青天の霹靂であるが、これにどう対処するかは、すべておまえに一任したいと思う。わしも今年で四十五じゃ。このやしろの行く末は、跡を継ぐおまえが決めてよい」
 突然のことに、勝壽はうろたえた。どう対処するかといっても、選択肢は二つしかないだろう。島屋門との関係を断って新政府軍に馳せ参じるか、神職剥奪を覚悟して抗戦するかだ。そのどちらでもかまわないと勝秀は言っている。上古から続く由緒正しき木更津総鎮守の行く末を、弱冠二十歳の跡取りに託したのである。
 勝壽は境内にぼんやりと突っ立って、神社幕に染め抜かれた左三巴の神紋を眺めていた。日が暮れかかり、そろそろ風が冷たく感じられる。
「しょうじゅさん」と後ろから声をかけてきたのは、りうであった。
 振り返った勝壽の顔が、よほど憔悴していたのだろう。りうはたちまち涙目になってしまった。
 慌てたのは勝壽の方であり、「おいおいどうした」とりうの顔をのぞき込んだ。
「もうすぐ、戦になるんですよね」りうは着物の袖で顔を覆った。
「しょうじゅさんは勇ましいから、戦って華々しく散っちゃうんでしょう」
 そうだ。まさに今、そのことについて考えていた。
 神社の家に生まれたからには、尊皇の念は血肉と化している。しかし、何かにつけて薩長が「天朝、天朝」と振りかざす意味での皇威には嫌悪感すら覚えるのだ。神祇事務局など単なる政治機構に過ぎず、そこに純粋な信仰は介在していないと勝壽は思う。そうであれば新政府軍と敵対することになんら後ろめたさなどあるわけもなく、もし自分の判断が神意に背いているなら、神は戦場でおれを殺すだろう。そのときは仕方がない、黙って天罰を受けるのみだ、そう腹をくくったのだった。裏を返せばそれは、神意に背いているはずがない、という自信でもある。それゆえ、りうの涙が取り越し苦労にも見えるのだ。
「りう、泣くな。まだ死ぬと決まったわけじゃないだろう」懐をまさぐり、手拭いを差し出した。
 りうはそれを目頭に押し当てると、激しく首を振って号泣した。
「わたし、わたし、しょうじゅさんが死んでしまったら、もう生きていけません。髪を下ろして尼になります」
 勝壽はりうの肩にそっと手を置き、
「尼さんは、仏教だ」
 諭すようにささやいた。

 慶応四年四月の段階で、新政府軍がもっとも恐れていたのは撒兵隊の存在であったろう。一般募兵で編成された伝習隊などは、まだその戦闘力が未知数であったから、旗本と御家人の子弟で編成されているエリート部隊の方が警戒されていたのは当然かもしれない。先鋒総督府配下の肥後藩士らが、ひんぱんに撒兵隊の屯所へやって来ては、一刻も早く武器類を差し出すようにと強く迫る。対応するのは素六であった。
「我らは農民出身の兵ではござらぬゆえ、携行しておる武器弾薬はすべて自前なのです。それを差し出せと申されても、隊士が納得しかねる」
 ムム、と肥後藩士が詰め寄る。
「ならば野戦砲のみ、まずは早急にお引渡しなされよ」
「これも容易に差し出すことができない状況です。目下当方も混迷を極めており、砲兵頭と連絡がつかぬのです。上官の命無ければ受け渡しに応ずるわけにゆかぬのは、致し方ないことと思し召し下され」
 このような遅々として進まぬやり取りが続いている間に、砲門、架台、車輪に分解された野戦砲が密かに西之丸下から運び出されてゆく。霊岸島湊橋の南側に地曳新一郎が率いる五大力船数隻が待機している。
 埒のあかぬ交渉に相手が疲れをみせたころ、素六の方から逆に提案を持ちかけた。
「武器をお渡しできぬ代わりに、撒兵隊が江戸市中取締りにあたってもかまいませぬ」
 この言に、肥後藩士らは色めきだった。進駐軍の兵力は明らかに不足しており、すでに府下の安全を確保できなくなっていたからである。もしも今、東叡山の彰義隊や各所に屯集している壮士などが暴れ出したら、総督府の兵力のみでは抑え切れないというのが実情であったのだ。
 幕軍の精鋭部隊が治安維持に加勢してくれるなど願ったりかなったりであったから、肥後藩の隊長は二つ返事で、
「貴殿が鎮撫せらるるならば、武装解除に及ばず。精励せよ」と応諾したのである。
 あたかも市中巡邏のような体裁で、撒兵隊は隊伍を組んで動き出した。小隊ごとに諸方へ散り、最終的には霊岸島を目指す。梶塚成志率いる一部輜重隊のみが、地勢の調査も兼ねて陸路をとることになっている。
 夜陰に紛れ、続々と五大力船に乗り込む撒兵たちを見て、会津藩士の荒井直五郎が怪訝な顔をして福田総督に話しかけた。
「なにゆえ隊士の武器がミニエー銃ばかりなのです。伝習隊にはシャスポー銃が行き渡っておると聞き及んでおります。壮丁あがりの下卒らが最新式の後装式歩兵銃を持っておるのに、撒兵隊の主力武器がそれよりも古い前装式ライフルとは、いかにも不可解」
 細川外記も隊士が担いでいる銃をいぶかしそうに眺めていた。福田は、それについては考えがあるようで、屈託のない笑みを浮かべつつ甲高い声を上げた。
「確かに、伝習隊の後装式銃は弾の装填効率が格段に良いのですが、如何せん、専用弾丸の入手が困難なのです。その点、ミニエー銃であれば弾薬百駄は下らぬし、他の前装式ライフルとも概ね互換性があります」
 それを聞いて荒井は納得のいったようにうなずいたが、外記はなおも不服そうであった。
「なれど、前装式ですと、槊杖で弾を押し込むとき、銃剣が邪魔になるとよく耳にします。装填にもたついている間にやられてしまうのではありますまいか」
 これに応えたのは常盤之助であった。
「ですから撒兵隊士は銃剣を着剣しないことにしています。剣による突撃は、我ら義勇隊がやるのです」
「なるほど、銃撃隊と突撃隊に役割を分担するわけですな」
 福田のふくよかな頬がほころんだ。「それが我らの戦略です」
「ならば会津の御留流、一刀流溝口派の見せどころではないか」
 荒井が傍らで気炎を揚げて、威勢よく外記の肩を叩いた。

 四月九日夜明け前、撒兵隊の第一陣が密かに霊岸島を出航した。浅瀬では棹を使い、沖で大柱、表柱の順に帆柱を立てる。積荷は武器弾薬と兵隊、依頼主は徳川義軍府。帆が風を受けて膨らんだ。
 隠密の出帆ゆえに、乗り子らも声を上げない。舷側に波の当たる音だけが聞こえる。福田は船端に身を乗り出し、まだ点々と辻行灯がともる江戸の町を眺めていた。
「どうやら無事に脱走できたようじゃな」
 斎藤閑斎や永峰嬌四郎などは同調したようにうなずいたが、義勇隊の羽織を着た新一郎ばかりはけわしい表情を崩さない。
「帆かげ七里、 船かげ三里ってね。まだ発見される恐れがある」帆柱と進行方向を交互に眺めながら言った。
 常盤之助が耳元で、
「発見されたって、振り切る自信満々のくせに」とつぶやくと、新一郎もくっくっと笑って、
「ちょっと脅かしてみただけさ」と小声で返した。
 白々と夜が明けてくる。今朝はやや風が強く、波も高かったが、新一郎は軽快巧妙にごせきを操った。他の船もそれに合わせて舵を切る。細かい波しぶきがかかって気分も高まってきたものか、各船の船頭らが木更津甚句を口ずさみはじめた。
 〽︎ヤッサイ モッサイ
 ヤレコリャドッコイ コリャコーリャ
 常盤之助も拍子を取って乗り子らと唱和した。大きな声で歌いながら、ずいぶん長いこと木更津を留守にしていたものだと改めて思った。
 徐々に明るくなってゆく海上で、隊士たちが船酔いをもよおし始めている。
 顔から血の気の失せた嬌四郎が、
「おれの里には海がねえけんど、こんなえれーものなら、海なんていらん。諏訪湖だけで充分だ」と船端にのめって吐いた。頭上を飛び交う海鳥が激しく鳴いた。
 気が張っているものか、福田総督は毅然として甲板に立っている。
「常盤之助殿、そろそろ」と声をかけた。
 懐に手を入れた常盤之助は、丁寧に折りたたまれた布を取り出し、それを若い乗り子に手渡した。
「これを、かざっぱりに掲げてくれ」
「義」と染め抜かれた藍染の生地が、大漁旗のごとく船首に掲揚された。
 義挙決行の合図である。
 福田は、自ら草案を練った決起趣意書を素六に託している。

〈このたび上総国木更津へ立ち退きたる所以は、城地明け渡しに当たり、何ら抵抗も示さず、ただ傍観致すは耐えがたき故なり。さりとても、一時の激情にかられて軽挙暴動を致せば、主人慶喜の御意向に相反し、かえって至恭至順の妨げとなる。返す返すも自重すべきことなれども、将軍不在の居城を拝すればしぜんと涙を催し、ついには大総督宮に対して不届きの仕儀に立ち至ること無きにしも非ず。よって、しばし御城の見えざる遠地に退去するものなり。臣子の身、三河以来の初心に立ち返るべく、先祖の功労に思いをはせ、日夜文武両道に鍛錬致す所存。
 官軍もし襲い来たらば、一同発奮、よろしく大義の旗を立て、速やかに禍根をとり除くべく、会津並びに東北諸藩と連携し、兵を江戸へくりこみ、もって徳川恢復の志願をとげんと欲するのみ〉

 後半へかかるほど文言が脅迫じみてくる。この過激な書状を懐に秘め、素六は先鋒総督府との交渉を引き延ばしているのだった。

 この時点からさかのぼること百年も前から、
 木更津、家数、千有余軒
と地誌に叙された町の繁栄ぶりは、今も盛りであった。
 船頭らによって唄われた舟うたの一節に、
 木更津せんげん(千軒) 白かべづくり 朝日 夕日で かげがない
 とある。海に面して湊の荷揚げ場と船宿が建ち並び、その片側に白い土蔵造りの商家が軒を連ねる景観である。黒潮の影響が大きく、南西日本的な海洋性気候であるから、白壁が日差しに映えて町全体を明るくみせているのだろう。軒を並べる店舗の中でも、ひときわ間口の広い大店が島屋で、その裏庭に豊の部屋がある。桐の箪笥を開け放し、朝から衣類を行李に詰めている。
 〽︎花のお江戸と木更津船は今が世盛りはなざかり
 豊が唄い出すと、隣の部屋で身の回りの物を長持に詰めている母の鶴も、つられるように続きを口ずさんだ。
 〽︎音に響いた木更津河岸は左右江戸橋日本橋
 この光景を見て、総三郎は立ちすくんだ。
「おまえたち、このような時になぜ荷造りなぞしておる」
「前に言ったでしょ。江戸へ引っ越すの」と豊が振り向きもせず答えた。
「もうすぐ戦が始まるのだぞ。江戸の旗本衆が続々とこちらの領分に疎開してきておるというのに、おまえたちは逆に江戸へ向かうつもりか」
 鶴もまた振り向きもせずに言った。
「その戦さわぎを煽っているのは誰なのです。あなたや正道さんじゃないですか。木更津にいたって、決して安全ではありませんよ」
「煽っておるなぞと、見当違いなことを申すな。わしらは上様の御心を安んじ、万民を安んぜんと肺肝を砕いておるだけだ」
「その結果がどうなのです。当たり前な家庭生活さえ送れなかったばかりか、とうとう町中を巻き込んでのこの騒ぎじゃありませんか」
「やめやめ」豊が割って入った。
「もう言い争いは聞き飽きた。あたしと母さんは今夜の便で発つからさ。賊に襲われたら撫で斬りにするまでよ」
「本日撒兵到着の件、おまえたちも聞いておるだろう」
「だから慌てて荷造りしてるの。面倒に巻き込まれたくないから」
「ここは福田八郎右衛門さまの宿泊所になる。せめて昼飯の支度だけでもしてくれまいか、頼む」
 そうこうしているうちにも店先に宿札が掛けられ、女中たちもにわかに慌ただしくなってきたから、これまで奥向きを取り仕切ってきた鶴としては見ぬ振りもできなくなり、袖をたすきがけにして土間に立った。
 豊が、借りていた滑稽本を返しに朝三郎の部屋へ行くと、昼四つ時にもかかわらず雨戸が閉ざされたままで、部屋の中が真っ暗だった。
「朝ちゃん、どうしたの。具合でも悪いの」
 朝三郎は物憂げに布団から顔を出し、声をひそめた。「仮病、だよ」
「どうしたのさ、なんかあったの」
「幕臣どもが、来るだろう」と言いながらのっそりと体を起こした。「また爺様に、島屋を代表して挨拶しろ、とか言われんのが、おっくうなんよ」
 それを聞いて豊はけらけら笑った。
「ねえ朝ちゃん。あたしらと一緒に家を出たら? 江戸の長屋暮らしはきっと気楽だよ。宵越しの銭は持たない生活」
 そう言われると、すぐにでもついていきたい衝動にかられるのは、生まれ育ったこの木更津に、何の未練もないからだろう。けれども、一つだけ思い残すことがある。自分のことを義士と呼んでくれたあの万里小路局様に、どういったかたちにせよ、何かしら恩返しがしたいのだ。それさえ果たせたら、蝦夷でも琉球でも、どこへ行ってもかまわない。
「江戸の暮らしも、悪くねえけど、豊が近くにいるんじゃ、うるさくて、かなわねえや」
「あ、そういう憎まれ口を叩くんだ」
 などと暗闇でしゃべっていると、戸外が騒がしくなってきた。大勢の足音とおぼしきザッザッという物音が徐々に迫り、
「アルト!」という号令でぴたりと止んだ。
「ふらんす語だ。確か、止まれって意味」
「毛唐の、ことば、わかんのか」
「うん、少しだけね。ふーこー先生に教わった」
「いよいよ、幕臣どもが、来たか。豊、おれは寝込んでるって、爺様に、言っといてくれ」
 面倒くさそうに顔をしかめると、頭から布団をひっかぶってしまった。

 島屋の店先に、頭巾から軍靴に至るまで黒ずくめの隊士らが立て銃の姿勢で整列している。一小隊三十人ほどの先頭に、福田総督が立っていた。島屋を代表して出迎えた総三郎のことを正道が紹介すると、福田は一軍の将とは思えないほど丁寧にお辞儀をした。驚いた総三郎が地べたに平伏しかけると、笑ってそれを制した。
 撒兵隊幹部が着ている羅紗のマンテルはフランス式の軍服であるから、書院造の表座敷に福田が上がると、なんとも不思議な違和感があり、浮世離れした威厳さえ感じさせる。大変なお方がいらしたと鶴などはにわかに身が引き締まり、もはや引っ越しのことなど忘れてかいがいしく立ち回り始めたのも、封建時代の庶民の性というべきか。豊を呼び立てて、
「あんた、福田様にお茶をお出ししなさい」と藪から棒に言う。
「はあ?」と眉をしかめた豊の手は、すでにお盆を持たされている。
 女は茶運び人形か、としぶしぶ土間を出た豊に声をかけたのは、今朝がた帰省したばかりの常盤之助であった。
「豊姉ェ、元気だったか」
「ときわあ、帰ったのかえ」
 顔を突き合わせて大笑いしながら久方ぶりの再会を喜び合った。
「豊姉ェ、そそうのないようにな。福田様は撒兵奉行、徳川義軍府の総督だから。とにもかくにも偉いお方なんだ」と念を押されてみれば、徳川四天王がごとき武将の姿を想像するのはしぜんであろう。
 が、座敷に入ってみれば、色白の小太りが上座に座しており、右の耳たぶにある大きなホクロぐらいが印象的な、えらくさえない男だった。しかも、出された茶を前にして「かたじけない」と発したその声の甲高くて気色悪いことといったら、生理的に受け付けないとはこのことかと豊は思った。
 けれども福田の方は、豊の短く切った髪形がめずらしいものか、ぼんやりと顔を眺めている。目が合うと、しもぶくれした白い顔が、ぽっと赤くなった。露骨に赤くなったその顔を見て、豊は噴き出しそうになった。
 側近の斎藤閑斎が、
「いやはや大変な器量でございますな。正道殿の姉君でござるか」と感心した様子で尋ねたので、正道は慌てて首を振った。
「いえ、豊姉ェとは歳は近いのですが、兄の娘ですから、正確には、わしの姪、ということになります」
「なんと、姪」閑斎は膝を打った。「ずいぶん大人びた姪御さんにござりますなあ」
 さらさら悪気などなかろうが、豊にはこれが、年増と言われたようにも聞こえる。さらには、
「嫁いでおられるのか」と無神経な質問が続き、総三郎がこれに答えて、
「恐れながら、出戻りでございます」などと恐縮したように苦笑いしている。
 これだから男どもは、と憤懣やるかたない気分で座を退きかけたとき、福田が膝の前に両手を置いた。
「我らはここ木更津に、幕府の新たな拠点を築くためにまいりました。重代厚恩に報い、徳川臣民の安寧をはかり、五倫五常を遠境に及ぼさんがため、今しばらく、ご厄介になりまする。軽挙には及びませぬ故、何卒ご安心くだされたし」
 気色悪い声が、とても優しく響いた。豊も慌てて三つ指を付き、深く頭を下げた。
 しばし頭を下げていた二人が、奇しくも同時に顔を上げた。このとき、自分の顔も赤くなっていたことに、豊は気づいていただろうか。唐突に向き合った二人は、わけもなく笑いが込み上げた。

 四月十日夕刻あたりから府内が騒がしくなってきたのは、いよいよ江戸城の明け渡しが翌日に迫ったからである。撒兵隊の第二陣は、増田、戸田、真野ら大隊長と隊士を乗せてすでに江戸前を渡海している。他の幕軍諸隊も各々密かに江戸を離れる申し合わせをしており、夜陰に紛れ、各自武器を携えて陸続と府外へ立ち退いてゆく。
 十一日未明、下谷三味線堀の粗末な武家屋敷の門前に梶塚成志の姿があった。まだ幼い三男二女の頭を一人ずつ撫で、良い子にしておれと声をかけている。特に長男鍈太郎の若衆髷を揺するように撫でつけ、「下の子らの面倒をみるのじゃぞ」と言い含めた。
 子供らは皆、父によく似て丸顔であった。末っ子の武松はまだ乳飲み子だったから、もしやこれが今生の別れになるかもと思えば、可愛さもまたひとしお胸に迫る。そんな父の胸中を察しでもしたのか、母の腕の中でぐずって泣き出した。
「おお、武松、泣くでない。父は必ず生きて帰るぞ。そして徳川兵学校の教授となって、家族みんなで新たな時代を生きてゆくのじゃ」
 梶塚は撒兵隊の軍装に脚絆を付け、軽い振り分け荷物を肩にかけていた。惣門の外に輜重隊一個中隊が待機している。
「留守を頼んだ。そなたのため、子供らのため、名を上げ、身を立てん」
 小柄な妻の肩を力強く掴んで笑顔をみせた。ぽつりぽつりと雨が降り始めた。

 この日の正午過ぎ、勝総裁の応接により、居城及び領地献納の手続きが完了した。江戸城は新政府の手に渡り、前将軍徳川慶喜は実家の水戸へ下って謹慎することになる。
 徳川家の存続はかなったものの、誰が宗家を相続するのか、引き続き領地は江戸になるのか、それとも転封か、禄高はいかばかりか、くわしい発令は一切なかった。新政府と旧幕府の双方が、互いの出方を伺いつつ、今後の方向性を模索している最中であったのだ。この不安定な時期に武装解除に応じる諸臣などほとんどおらず、品川沖で軍艦引渡し交渉中の幕府海軍も、旗艦開陽を筆頭に艦隊七隻が房州沖へ脱走してしまった。
 先鋒総督府の参謀らが、漠然と武器弾薬の引き渡しを話し合いで成し得ると思っていたのは、天朝の威光を過信していたばかりでなく、撒兵頭の江原素六が悠然たる態度で交渉を続けていたからである。彼らは素六のことを陸軍所を代表する交渉相手と錯覚し、素六と交わした取り決めが諸隊へ布達されるものと誤解していたふしがある。おかげで伝習隊や歩兵連隊は、ことさら警戒されることなく江戸を脱することができた。
 交渉に当たっていた肥後藩の将校が、目くじらを立てて怒鳴り込んできたのは当然であろう。
「こら違背ばい。あたは江戸市中ば取締まると約束したじゃなかと」
「いやいや、それがしもたばかられたのです」素六も眉を曇らせて、撒兵隊の決起趣意書を差し出した。
「これが福田総督の執務室にありました。すでに屯所には銃一丁、兵士一人すら残っておりませぬ。わしの直属の第一大隊さえ、一兵も居らぬ」
 天野釣之丞と間宮鉄太郎も同じ席上にいる。
「我らの砲兵隊も同様です。砲も弾丸もすべて持ち去られておりました。兵は隊長の命なくば動きませぬから、恐らくは撒兵奉行の下役あたりが、隊長は先発した由とでも偽って、勝手に連れ出したものと思われます」
 素六と天野の釈明を聞きながら、なかなか真に迫っておるなと間宮は密かにほくそ笑んだ。素六はさらに熱っぽく続ける。
「我らはただちに木更津へ赴き、尊威を冒瀆する心得違いの者どもを、朝命に復させんがため、説諭致してまいります」
 その場で筆を取り、「木更津辺へ脱走の兵隊取鎮として出張」云々と、三人は連名の届書を先鋒総督府に提出し、堂々と霊岸島から船に乗り込むことに成功する。
 これより少し前、殿を勤めた堀岩五郎の第二大隊が、三隻の五大力船に分乗して出帆した。素六たちもすぐに後を追うつもりであったが、海上が時化てきており、新一郎の判断で渡海は一日見送られることになった。

 梶塚成志の輜重隊が江戸川にさしかかったころ、中隊の人数が少しばかり増えていた。というのも、無役の旗本などが甲冑を着込み、大身槍を携えて隊列に加わって来たからである。そのたびに梶塚が、
「そんなもの、脱いでおしまいなさい」と戒めた。「鉄砲で撃たれたら、鎧の細かい破片が肉中に入り、容易に取り出せなくなります。征長戦のときは、それでずいぶん多くの戦友が苦しんだものだ」
 甲冑姿の侍たちは心外とばかりにくってかかる。
「それでは何を身にまとえばよいのじゃ。百姓出の下卒と同じ筒袖段袋になれと申すか」
「御覧の通り、撒兵隊の戎服は筒袖段袋にござる」
 と言ってみたところで、家重代の鎧を道端に脱ぎ捨てていくわけにもゆかず、多くは息を切らせて脱落していった。そんな様を見るにつけ、太平の世の侍なぞやわなものだと梶塚は感じる。
 風が吹き、雨脚が強くなり始めた。「右 いち川みち」と刻まれた道標のある分岐を曲がると、少し先に〈小岩市川関所〉が見えてくる。平時なら行商人や旅人はここで厳しい人改めを受けた後、川舟に乗り込み、対岸の下総国葛飾郡市川村へと渡るのである。現代の地図に重ねると、京成電鉄の鉄橋と市川橋の中間ぐらいの両岸に御番所が建ち、役人が常駐しているのは小岩側であった。
 両国から続く元佐倉道は、夜明け前から府外へ立ち退く幕士や歩卒で混雑しており、木柵で囲まれた番所前の広場はすでに身の置き場もないほどごった返していた。下役人らが何か大声で指示を下していたが、まともに聞く者もおらず、銃槍剣戟を携へたいかつい漢らが雑談にふけりながら渡河の順番を待っていた。今朝は何時までも薄暗く、渡し場にある大きな常燈明の明りが降りやまぬ雨に霞んでみえる。
「貴殿、どこの部隊の者じゃ」
 と、どこかで見覚えのある歩兵幹部が梶塚に声をかけてきた。
 もしや、と思ったが、所属と姓名を名乗り合ってみれば、果たして歩兵奉行の大鳥圭介であった。播州赤穂の村医の出で、蘭学と英学を学んで身を立てた陪臣であるだけに、大身にありがちな、人を食ったようなところがない。この庶民的な人柄が市井無頼の徒に信頼される所以だろう。
「撒兵隊には甲冑の武者もおるのですな。洋癖家とおぼしき福田殿の兵であれば、完全にフランス式で統一されているものと思うておりましたぞ」
 これを聞いて梶塚は、はっはと笑い、一つ大きな咳払いを挟んで声を潜めた。
「勝手に付いてきた者たちにござります。下におろの旗本衆は、とんと時勢が見えておりませぬ」
「貴殿はこれから、木更津へ?」
 大鳥は撒兵隊の動向を把握しているようである。
「しからば逆にお尋ね申す。伝習隊は、これからいずこへ」
「まだ決めかねておるのです。川向こうの国府台に、歩兵連隊や御料兵、在府の諸藩士、武州流山から新撰組なども集合しておるとのこと。われらも一旦あすこへまいるつもりです」
 梶塚は興奮すると鼻の穴が大きく膨らむ。
「撒兵隊が房総に割拠しておりますれば、貴殿らは後顧の憂いなく北関東へ兵を進めることもできましょう。宇都宮辺りを目指し、東北のとば口を固めては如何か」
 大鳥も漠然と同じことを考えていたらしく、我が意を得たりと笑みを含んだ。
「そこで世上の動静を見んも、またよし、ですな」
 伝習隊の下士官が、「ささ、早う」とせかすように大鳥を川舟に乗せた。
 船頭が棹をさすと、大鳥は腰を浮かせて振り返った。
 「われらも近日中に出兵します。福田殿によろしくお伝えくだされ」
「ご武運を」
 と笑顔を返した梶塚であるが、内心では、国府台の混成集団が、徳川家の処分が正式に決定するまで遠地に去ってくれることを切に願っていたのである。大鳥が引率してきた六百ほどの歩兵は、元馬丁、駕籠かき、火消し、博徒など、市井の無頼漢を集めた傭兵であり、万が一この連中が血気に駆られて江戸の先鋒総督府に攻撃でも仕掛ければ、徳川立藩や兵学校設立の夢など、一瞬にして潰えてしまうだろう。

 同じ頃、貫義隊の隊長松平兵庫頭は、行徳街道上にケヤキの大看板を張り出している「笹屋」で、名物のうどんをすすっていた。百五十名ちかい隊士らが各々河岸の飲食店や屋台で朝食をとっている。彼らはあくまで洋式の軍装を嫌い、上は筒袖かたすき掛け、下はたっつけか義経袴、鎖帷子を着ている者も少なくない。
 一足遅れでやって来たのは浅野作造である。番傘の水を切って入口に立てかけると、兵庫頭の対面に腰を下ろした。金襴の陣羽織は、まて様から頂戴したものである。
「伝習隊や歩兵連隊は市川の国府台に集まっておるようです」
「作造、ここのうどんは噂にたがわず美味いぞ。まずは食え。戦の話はそれからじゃ」
「向こうは二千を越える兵団となりつつあります。連携を図りますか」
「たわけ。素性も知れぬ連中と同列で戦えるか。勝手に気炎を上げておればよいのじゃ。どうせ我らに付いてまいる」
 横でうどんをすすっていた斎藤常次郎が顔を上げた。
「なぜ付いてくると思われまするか」
「烏合の衆だからよ。連中に何ぞ旗印はあるか? 三つ葉葵や、菊花の紋章のごときものが。しょせん傭兵なんぞ、給金目当てに鉄砲を担いでおるに過ぎぬ。戦の大義名分が立っておらぬから、行く先すら決めかねておるのじゃ。ああいった雑兵の類は、大将の後を追うしか能がない」
 作造にもうどんが運ばれてきた。出発の時間も迫っていたから、勢いよく息を吹きかけてすすり込む。食べながら、
「行徳船を七艘ほど確保しております。これで江戸川を上れば、古河(茨城県古河市)へは一日で着きましょう」
 報告を聞いているのかいないのか、兵庫頭は店先の雨だれをぼんやりと眺めてキセルをふかしている。
「行徳といえば塩田よなあ。名所図会に描かれた汐濱を見たかったが、この雨ではのう」
 副隊長の安田幹雄が、興奮気味に暖簾を割って入ってきた。「皆々、援軍来たる」
 新たに二つの部隊が加わったのである。
 一つは〈草風隊〉。陸軍所の歩兵将校百名からなる精鋭部隊で、兵庫頭の友人、天野花蔭が隊長であった。隊士はすべて幕臣子弟。本来なら歩兵奉行の配下であるが、心情的に国府台の歩兵らと連携する気にはなれず、こちらへ来た。
 もう一隊は美濃郡上藩から脱藩してきたという四十五人。隊長は在府家老の子で朝比奈茂吉十七歳。老若とりまぜた部隊であるが、本格的なフランス式調練を受けていた。辛苦にたえて霜を凌ぐの意で〈凌霜隊〉と名乗っている。
 兵庫頭は無造作に五十両包を取り出すと、「新参の者たちにもうどんを」と縁台に置いた。二隊合わせて百五十人分ほどの追加注文であるが、いきなり言われても無理な話だ。店主が平に詫びを入れると、兵庫頭は憮然とした顔つきで、「ならば名物の中山こんにゃくを買い集めてまいれ」などと命じたが、作造が金を押し戻して、
「もう時間がありませぬ。その金は援軍の船賃に使いましょう」と諫めて立ち上がった。

 江戸川を遡上する行徳船の船団が、国府台の総寧寺辺りからもよく見えた。
 貫義隊の目的は、日光山に秘蔵されていると噂される一旒の錦旗を探し出し、これを掲げて逆に江戸へ攻め込むことである。しかし、そんな思惑を知らない大鳥圭介は、兵庫頭一行の向かう先が、ひょっとすると日光では、と察し、天皇政府の錦の御旗に対抗できる唯一の旗印が「東照神君ノ白旗」であることに気が付いた。神となった徳川家康の存在を前面に掲げれば、譜代恩顧の臣下は黙って従う他ないであろう。
「どう思われるか」
 傍らに立つ土方歳三へ大鳥が少々興奮気味に意見を求めると、
「その辺りの事はあなたにお任せします。わしはただ、戦場で死力を尽くすのみです」と不愛想に答えた。
 ダンダラ模様の制服で都の浪士を震え上がらせた鬼の副長も、今では洋装に打刀を差しており、それがしゃくにさわるほど似合っている。
 大鳥は寸刻前、その人望と歩兵奉行の肩書を以って混成軍の総督に推されたばかりであり、土方が参謀になったのも衆目の一致するところであった。

 行徳船の船縁に腰かけた兵庫頭が、キセルをふかしながら新緑に包まれた国府台を仰ぎ見ている。
「さあ、雑兵ども、わしについてまいれ」
 江戸城引渡しからたった半日で、幕軍の諸隊が総野へ散ってゆく。
 作造は兵庫頭の傍らに立ち、番傘を柄高に持ちながら、上総の方角へ顔を向けた。
 きせや木更津の者たちは達者であろうか。まて様は健やかでいらせられるか。
 撒兵隊の健闘を祈っている。

第九章  徳川義軍府

 話が少しさかのぼる。請西藩家老、鵜殿伝右衛門と田中兵左衛門の二人は二月十七日に京へ入り、勤王に二念なき証書、いわゆる「勤王証書」を朝廷へ提出している。これはあくまで一時しのぎの方便に過ぎないはずだったが、京師表の世相をつぶさに見、天皇を中心とする中央集権体制を着々と固めつつある新政府の「勢い」のようなものを肌で感じ取った両家老は、事ここに至っては、時勢に逆らわない方が賢明であると判断する。
 在京中の家老から再三藩主の上洛を促された請西藩政府は、その可否をめぐって紛糾した。政治的に判断すれば、すみやかに上京して藩の命脈を保つべきであるが、譜代の臣とすれば徳川家の雪冤を果たすべき義務がある。どちらも真っ当な見解であるため、藩論が割れた。事態の収拾に自ら乗り出した林忠崇は、封書をもって答うべき旨を藩士に下達する。十日後、多数決によって決するとしたのである。
 かつて若年寄を勤めた某老公が、林忠崇をして将来閣老たり得る器と称賛したことがある。あの評にたがわぬ名君じゃ、と諏訪数馬はあらためて感じた。藩の進退を独断で決せず、事が御家の存亡にかかわることだけに、藩士一人一人の考えを尊重しようとしているのである。しかし、側近の数馬には痛いほどわかっている。殿が君家の御危難を救いたてまつらんと、切に望んでおられることを。
 佐幕の赤心を遂げたいという、我が主の意気軒昂たる本心を、なんとしても尊重したい。数馬は上洛反対の票を固めようと連日奔走した。上役や同僚のもとを訪い、さして口の立つほうでもないのに、膝を乗り出してかきくどく。その疲労がたたったものか、横峰の嶺田家に来たときは、しきりに咳をしていた。
「おぬし、ひどい顔色ぞ。早う帰宅して休むがよい」
 隙あらば酒を酌み交わしたがる楓江でさえも、数馬の様子に少なからぬ不安を覚えたほどだった。
「先生は今度の件、如何お考えにござりまするか」膝をにじらせ、咳枯れた声で詰め寄る。
 楓江は賓師の待遇で請西藩に迎えられたばかりだ。当然この問題に一家言ないわけがなく、数馬はそれが聞きたかった。しかし意外にも、楓江の考えは慎重なものだった。
「召命に応ずる時期を逸すれば、朝敵の烙印を押されて討伐の対象とされるじゃろう。皇政維新の御仁徳が篤いうちに、朝臣となるのが賢明やもしれぬ」
「朝臣? 天皇の家臣になれと」
 楓江は無言でうなずいた。
「これはあきれた。がっかりだ。先生しらふですか。ならば飲みましょう、鶏鳴を聞くまで飲みましょう、飲まなきゃ先生はただの凡人じゃ」
 数馬がすさまじい形相で騒ぎ出したので、楓江も通い徳利を出さざるを得なくなってしまった。
「先生ほどのお方が、そんな日和見な考えしか持ち合わせておらぬなぞ、拙者には到底信じられませぬ」
 徳利を引っ掴んで突き出し、楓江に飲めと迫る。
「まあそう興奮するでない。わしとて請西候より賓師に迎えられたばかりで、軽はずみなことを申さぬよう慎重になっておるのじゃ」
「慎重になるのは重役のお歴々だけで充分です」と手づから酒を注ぐ。
「数馬、おぬし嫌な咳をしておるではないか。酒なぞ飲んだら体に毒ぞ」
「酒が毒なら、先生はとっくに死んでおるでしょう」
 襖が少し開いて、楓江の妻が控えめにたずねた。
「旦那様、何か摘み物を用意しましょうか」
「ああ。あるものでかまわぬ」
 スッと襖が締まると、楓江は身を乗り出し、小声で言った。
「ほれ、聞いたであろう。これまで口もきいてくれんかった千代が、このごろ急にしおらしくなってのう」などと鼻の下を伸ばすのだった。
「恐れながら、先生」数馬は少し咳き込んだ。「水を差すようで申し訳ござらぬが、事態は焦眉の急、何か策をさずけてくだされ。我が藩は徳川家の臣属として、如何すべきか」
 むうう。と唸りつつ、楓江は盃を重ねた。
 千代が酒肴を運んできた。後ろに従っている若い娘は女中であろうか。楓江の仕官がかない、嶺田家もようやく過日の豊かさを取り戻したようである。膳の上にはカツオの刺身、赤エビの煮つけ、切り干し大根、ワカメとわけぎのぬた、と旬のものばかり。数馬はそれを眺めて、先生もようやく安寧を得たのだなと思った。
 そろそろ酔いのまわってきた楓江が、トンッと盃を膳に置いた。
「よいか数馬、朝廷に上京を迫られるのは、請西藩という領分を所有しておるからであろう。ならばいっそのこと領地を天皇政府に献納し、我らは藩主以下揃って徳川の家僕となれば良いではないか。さすれば尊王の実も上げられ、佐幕の赤心も遂げられよう」
 数馬は思わず「ああ」とため息をついた。極論かもしれないが、確かにそれなら忠臣二君に仕えずを全うできる。林家の所領が一万石を越えて大名に昇格したのは文政八年のことであり、それ以前の家格に戻ればいいだけの話なのかもしれなかった。
「先生はやはり、酔うと頭が冴えますなあ」膝を打って呵々と笑うと、突然激しく咳き込み始めた。
 慌てて背中をさすったがおさまらず、やがて畳に血を吐いた。
「竹次郎、竹次郎」奥ノ間に向かって楓江は大声で息子の名を呼んだ。
 千代の連れ子であり、年のころは三千太郎と変わらない。楓江はこの息子を嫌ってさえいたが、今は頼れる男手が竹次郎しかいない。
「医者を呼んでまいれ、早く!」
 が、数馬の指の間から滴る血を見て取り乱した竹次郎は、すぐさま駆け出したものの土間のタライに蹴つまづいてひっくり返り、足をくじいた。
 今度は千代がそれを見て取り乱し、竹次郎に取りすがって泣き出さんばかりである。楓江は女中の名を呼んだ。
「若、医者を」
 若は着物の裾をからげると、裸足のまま戸外へ飛び出した。
 数馬はしばし苦し気な呼吸をしていたが、やがて手拭いで口をぬぐうと、
「心配ござらぬ。血を吐いたのは一度や二度ではござらぬゆえ」と笑ってみせたのだった。

 翌日も数馬は病をおして真武根陣屋へ出仕した。
 楓江が思いついた第三の選択肢を説いて回ると、さすがは古参の家柄というべきか、藩士の多くが「至極の論なり」と賛同の意を表した。これはつまり、藩論が無二の佐幕に決したことを意味する。請西藩は徹底抗戦の道を選んだのだ。
 御前へ出て低く頭を垂れた楓江に向かって、忠崇は謝辞を述べた。
「折らでもの膝を屈してまで召命に応ずるなど、屈辱以外の何ものでもないというのが予の本音であった。林家は譜代ゆえ、一度でも召しに応ずれば神君家康公に申し開きができぬ。それゆえ藩地を捨て、徳川家の家僕になるという先生のお考えを数馬から聞いたとき、身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれと目の覚める思いであった」
 なれど、この選択が正しいのか、ゆきさきに如何なる運命が待ち受けているのか、さすがの楓江にもまったくわからない。
 藩是が佐幕に一決したのを見届けると、数馬は気がゆるんだものか、再び吐血して病床に臥した。忠崇自らが見舞いに訪れ、しばしの間療養せよ、と諭すように主命を下した。

 請西藩が上京の可否をめぐって紛糾していたちょうどその頃、撒兵隊の第一陣、二陣が江戸前を渡海して来た。最後の三陣が霊岸島を出たのが四月十一日(梶塚成志の輜重分隊が出発した日でもある)、この日は朝から雨が降り、次第に風も強まっていた。三隻の五大力船に分乗したのは堀岩五郎率いる第二大隊で、もしこの脱走計画が総督府にさとられて急襲された場合、殿を受け持つ予定の屈強の部隊であった。素六らの陽動作戦が功を奏して無事の出帆となったが、沖に出てから時化に遭い、強風にあおられ下総方面の湾奥に吹き寄せられてしまった。船手頭の地曳新一郎が素六らと共に一日船出を見合わせたこともあり、悪天候の中船団を木更津までたどり着かせるほどの操船技術をもった乗り子が不在だったのもある。三隻のごぜきは寒川湊(千葉市中央区寒川町)へ避難した。
 寒川は、晴れていれば賑やかな港である。佐倉藩江戸送り米の積出し港であり、白漆喰の米蔵が建ち並ぶ様は海上からもよく見える。物流の要である都川沿いに海漕業者が軒を連ね、荷を山と積んだはしけ舟がひっきりなしにすれ違う。市場町の大和橋一帯に米や炭、各種の問屋が集中し、仲買商人街として活気を呈している。この町の繁栄ぶりこそ、佐倉藩十一万石の財力の象徴であるともいえた。が、暴風雨とあってはさすがに人の往来もまばらで、船籍不明のごぜきを迎えたのは在番の役人だけであった。
 堀岩五郎は、佐倉藩を有力な味方とみなしている。房総諸藩の動向については義勇隊経由で旗色を把握しており、殊に佐倉藩の奉幕一途さといったら、藩主自らが前将軍の討令取消を新政府に嘆願したかどで、目下京都において拘禁中なのである。風待ちの間、藩士らと親しく酒でも酌み交わそうかと軽い気持ちでいた堀は、少し立ち話しをしているうちに、彼らの不可解な動揺をその言動から察した。堀は、急ぎ中隊長らを旅籠の一室に集合させた。
「どうも、佐倉藩の雲行きがあやしい」と眉根をきつく寄せた。「藩主不在の折柄、留守政府は家老平野重久に牛耳られ、勤王へ方向転換が図られつつあるらしい」
 総州における譜代屈指の大藩が敵方になびけば、房総半島そのものを封鎖されかねない事態である。これは徳川義軍府の根幹を揺るがす危局であり、堀の決断は早かった。
「我々はこれより、陸路西へ引き返す。佐倉と木更津の分岐点にあたる船橋宿を抑え、堅固な軍事拠点を築かねばならぬ」
 さらには差図役の石井謙次郎を佐倉藩への使者に立て、木更津の福田総督の元へ急ぎご挨拶くだされたし、との伝言を託した。
 第二大隊三百人あまりが寒川を出て船橋へくり上げる途中、濡れそぼつ義の旗を掲げた梶塚成志の中隊と出くわした。
「堀大隊長、如何なされた」
「緊急事態じゃ。佐倉藩が寝返るやもしれぬ」
 さっそく歯車が狂い始めたか、と梶塚は感じた。撒兵隊は房総半島の奥に籠って動かないでいるのが得策であるのに、あろうことか大隊の一つが江戸方向へ進軍している。
「福田総督の指示を仰がなくてよいのですか」
「戦陣においては君命を待たずじゃ。容易ならざる事態ゆえ、先を急ぐ。ついては軍用金が不足しておる。手持ちの金子を譲ってはくれまいか」
「当方も路銀に余裕はござらぬ」
「沿道の村々から金穀を徴発して歩けばよかろう。我々は急ぐのだ、手遅れとなる前に」
 最後は怒鳴るように堀は声を荒げた。
 ここ数カ月、江戸が戦場になるという噂が巷に飛び交い、町人や旗本、大名の家族やその家臣らが陸続と下総方面へ疎開して来ていた。が、江戸城の無血開城をさかいに、今度は逆に総州方面が不穏となり、人々が江戸へ立ち戻りつつある。
 潮気を含んだ雨の中、梶塚中隊から荷車ごと軍用品を取り上げた第二大隊は、街道の通行人を押し分けつつ、隊伍を組んで行ってしまった。

 この悪天候を利用して、武備接収をうまくかわした勢力もあった。
 幕府海軍である。
 陸軍と同様、四月十一日付で主力艦を含む軍艦七隻を新政府軍へ引き渡す取り決めがなされていたが、当日は海上が荒れていたため、乗組員の上陸が困難という理由で延期を願い出た。新政府側がこれをすんなりと受け入れたのは、海軍総裁矢田堀讃岐守が交渉の席にいたからである。しかし翌日になると、品川沖に錨泊していた軍艦はことごとく消え失せていた。艦隊を動かしたのは副総裁の榎本武揚で、失踪の理由を一書にしたためて先鋒総督府の大原俊実卿へ届けている。内容は福田八郎右衛門の趣意書とよく似ており、要約すれば「軍艦お取上げの処置に士官が動揺しており、何をしでかすかわからないから、ひとまず房相付近に立ち退く」というものであった。恐らく矢田堀総裁の役割は素六と同じであったのだろう。艦隊脱走後に姿をくらましている。新政府軍にとって深刻だったのは、艦隊の向かった先が「房相付近(安房と相模)」、すなわち江戸湾の入り口であったことだ。
 ただちに艦隊連れ戻し命令が幕府代表の勝総裁へ下されたのは当然であったろう。軍艦引渡しを無視したばかりか、江戸湾の咽喉を抑えるという挑発行為にまでおよんでいるのだ。ここまで愚弄されては先鋒総督府の面目は丸潰れであり、これまでは格別の憐憫をもって寛典に処していたが、それも水泡に帰すであろうと怒りをあらわにした。ただし、速やかに艦隊を品川へ戻すならお咎めなしとするまで弱腰になってもいる。この状況を利用すれば、相当有利な条件で徳川家の身代を確保できるだろうが、やり過ぎても禍根を残す。この辺りの匙加減が政治の機微であり、勝は慎重に慎重を重ねているが、他の連中はどうか。榎本武揚はどこまで先を見据えて行動を起こしたのか。海軍力が幕府にとって最大の強み且つ切り札であるだけに、一度真意を確かめる必要があるかもしれない。
 数日続いた悪天候は回復しつつあったが、薄い断片雲が勢いよく吹き流れ、海上の波もやや高い。榎本脱走艦隊はすでに舷を並べて房州館山湾に錨泊している。
 この湾港を支配するのは館山藩一万石で、前藩主は陸軍奉行、老中格、海軍総裁を歴任した稲葉正巳。大政奉還後は全ての役職を辞し、家督を養子の正善に譲って新政府に恭順していた。
 館山湾は水深が深く、奥行きもあり、艦隊の拠点とするには申し分のない港である。ここを抑えれば房総半島南端と三浦半島を結ぶ江戸湾口を封鎖したも同然であり、新政府軍が顔色を失ったのも当然であった。すでに勤王の旗色を明確にしている館山藩としてみれば、敵に領海を侵犯されたわけであるが、英名の誉れ高き前藩主は榎本艦隊との軍事衝突を避けるため、表向き歓迎の姿勢で艦隊を迎え入れた。
 湾奥には造礁サンゴが分布しているほど温かな海であるが、四月の風はまだ肌寒く、雨水も混じっている。そんな冷たくよどんだ三角波を切り分けて、一隻の押送船が艦隊の旗艦開陽丸に接舷したとき、誰もそこに勝総裁が乗っていようとは想像もしていなかった。波の間で揺れ動く木造船から、巨大鉄艦の舷側へ向かって張り上げられたその声は、海軍士官なら誰しも聞き覚えのある勝安房守のものであった。
「おおい、榎本はおるか」
 報告を受けた榎本武揚が血相を変えて艦底から駆け出てきた。
「まこと勝総裁なのか」船端からのぞき込むと、赤い毛布を肩に纏い、ひとまずは笑顔をみせている勝総裁その人に間違いない。
 勝は艦梯へ飛び移ると、慣れた様子ですいすいと上って来る。
 榎本は振り返り、甲板上の士官や水兵に向かって、
「捧げぇ、銃!」慌てて号令をかけた。
 榎本武揚、澤太郎左衛門、荒井郁之助など、海軍幹部が顔を揃えて勝を出迎えたが、意外にも、その顔ぶれに数名の陸軍士官も交じっている。うちの二人は、寛永寺を出て水戸へ下った慶喜公を警護しているはずの遊撃隊士、
 人見勝太郎
 伊庭八郎
の両名であった。
〈遊撃隊〉は将軍の親衛隊である。天下はいよいよ騒然とし、事変測りがたく、先将軍の側から片時も離れてはならない立場の者たちだ。勝はなによりもまず、そのことに激怒した。
「貴様ら、何のためにここに来たりおるか!」
 他にも、遊撃隊とおぼしき若者が相当数いた。撒兵隊第五大隊長の真野鉉吉の姿もある。真野については元海軍奉行並支配世話取扱であるから、何らかの用向きがあるのかもしれないが、それにしても、看過できない状況ではある。勝はしばし陸軍士官の面々を睨みつけていたが、榎本が間に割って入って艦底へ案内した。

「釜さんよう」と、勝は榎本のことをそう呼ぶ。通称釜次郎だからである。長崎海軍伝習所では一期後輩であった。
 艦将室を見回しながら、勝はつぶやくように切り出した。「どういう料簡だい。こんな、房州くんだりへ」
「戦うためです」榎本に迷いはない。
「艦隊を三手に分け、一手が長躯して鹿児島へ乗り込み、一手が下関を衝き、九州と本州の連絡を絶つ。さらなる一手は大阪へ向かい、兵庫港を抑えます。これで勝敗は決する」
「そんなもんかねえ」
「勝さんのお叱りを受けても、こればかりは譲れませぬ」
「なあ、釜さん。あんときゃおまえさん不在だったけれども、慶喜公が大阪から江戸へ逃走した際、この開陽丸を使っただろう」
「よく覚えておりますよ。大樹公は、司令官の矢田堀さんと、艦長のわしが不在であったのに、無断で艦を出したのです。我らは大阪に置き去りにされた」と、今となっては笑い話であるかのように苦笑いしてみせた。
 勝はオランダ製のオーク材チェアに腰を下ろした。
「あんとき開陽は、暴風に遭って八丈島あたりまで吹き流され、東帰するのに数日かかっている。そのことは覚えておるかえ」
 榎本は髯をたたえた口元をにんまりと反り上げた。
「この艦は長さ四十間、幅六間半、大砲を二十六門もそなえておるにもかかわらず、嵐にあっても無傷でした。まさしく、旗艦たるにふさわしい」
「問題は、そこじゃねえんだなあ」
「と、申しますと」
「それほど高性能の軍艦が、ちょっとした風で進路を乱されちまう。我が海軍の操船技術は、実際のところ、まだその程度なのさ」
 うっと榎本は言葉をつまらせた。
「それがわからぬ、おまえさんでもなかろう」
 勝の言う通りであった。幕府は国力を挙げて一流の西洋軍艦を買い集めたが、それを縦横に乗り回すほど水兵の練度は向上していないのだ。榎本自身は開陽丸を回航するため外洋の航海を経験していたが、一般の士官や水兵に至っては、まだ実習の途中とでも言うべき現状なのである。
「鹿児島や下関と簡単に言うが、なかなかどうして、ここからは随分と遠いぜ。嵐で一隻でも沈没したり座礁しようものなら、徳川の存亡にかかわる重大事だ」
「しかし、それはそうとしても、拙者、命に代えても艦隊引渡しには応じられませぬ」
「そりゃあそうだろうよ。こちとら、そう易々と伝家の宝刀を渡してたまるかってんだ。だがね、あちらさんにも天朝の面子ってもんがある。軍艦引渡しに応じなければ寛典も水泡に帰すだろうとまで仰せだ。ここは一つ、一旦は朝命に復して品川海へ引き返し、艦隊の中でも廃船間近の中古を数隻、謹んで献納しますと差し出しゃあ、それで相手の顔も立つだろうさ。先鋒総督府にとって、今や死守すべきは己の権威だけだからな」
 榎本は口髭の先端を指でねじりながら、しばし俯いて考え込んだ。
「しからば、富士山、翔鶴、朝陽、観光の四隻は如何でしょうか。富士山丸はまだ手放すには惜しいですが、どれも小型の老朽艦です」
「そのあたりで手を打ってくれるか。さすがあ釜さんだ、ここまで来た甲斐があったぜ」
 快然たる微笑を浮かべて、勝は腰を上げた。

 上甲板へ上がると、幹部らが沈んだ面持ちでメインハッチの昇降口へ顔を振り向けた。遊撃隊の人見勝太郎に至っては、刀の柄に手をかけて勝総裁を睨みつけている。
 しかし勝は、先ほどとは打って変わったように上機嫌であり、人見や陸軍士官らに向かって、「まあ、よろしく自重致せ」などと気安く笑ってみせた。この場はもう、これ以上自分がしゃしゃり出ずとも榎本が収められると確信していたのだった。
「相変わらず風が冷てえな」などと空を見上げて襟元を掻き合わせると、もと来た艦梯を降りて行った。
 勝が去った後、さっそく人見を筆頭に遊撃隊士らが目を血走らせて榎本に詰め寄った。
「まさか勝の狸めに、説服されたのとちがうやろうな」人見は関西育ちである。
「どういう意味です」と榎本はうそぶいた。
「恭順せよとそそのかれたのとちがうかと申しておるのです」
「我が艦隊は、品川へ引き返します」
「気は確かか!」人見はこめかみの血管を浮き上がらせた。
 人見勝太郎以下三十六人の遊撃隊士は、前将軍を水戸街道の千住まで見送った後、「徳川の後家再興を基本」として徹底抗戦を誓い合い、榎本艦隊に身を投じていたのである。もとより榎本は、兵庫港を占拠して新政府軍と一戦交えるつもりであったから、鳥羽伏見の戦いで勇名をはせた遊撃隊の加勢は、願ったりかなったりであったのだ。しかし今、その初志は翻された。
 人見より沈着な印象の伊庭八郎でさえ、一歩前に出て「盟約違反ではごさらぬか」とくってかかった。
 遊撃隊士は皆、武芸の達者であったから、感情が高まるにつれしぜんと手が刀の柄にかかる。
 ひとまず榎本は、幹部らを艦将公室へ引き連れて行った。下士官が茶を運んでくるまで、黙って懐中時計のネジを巻いていた。遊撃隊の幹部が憮然としながらも、茶に口をつけたのを見計らって、榎本は意を決したように咳ばらいをした。
「我々幕府海軍は、主君の一命と、家名存続とを引き換えに、旗艦開陽を含む軍艦七隻に水夫までつけて朝廷に差上ぐる取り決めであった。なれど、艦船なくば存在意義すらない海軍としては、そう易々と武装解除に応じられるものではない。引渡しに応ずるぐらいなら、徹底的に戦い抜いて武士の花を咲かせるつもりであったし、その思いは今も変わらぬ。新政府に、脱走した我らを追撃する精鋭艦さえなかったのは周知の通りであり、一戦に及べば必勝は疑いない。しかれども、先将軍が朝命を厚く遵奉しておるかぎり、これ以上朝旨に逆らうことはできぬ。少なくとも、徳川家の処分が決定するまでは武力を発動すべきではない。先鋒総督府は、軍艦引渡しに応じなければ、寛典の処置ことごとく水泡に帰するだろうと勝総裁に迫っておるという。我らの出方次第では、上様の身に危害すら及びかねぬ。海軍の動向が、徳川家の命運を左右するに至ったこの上は、かたちばかりでも朝廷の仰せに従い、老朽艦を四隻ほど奉納して、速やかに事態を収めるつもりでいる」
 と、噛んで含めるようにじゅんじゅんと説いた。航海術の未熟さという核心部分については、全体の士気に大きく影響しかねないところであるから、胸中の秘密としたのであった。
「あくまでも」と、最初にことばを発したのは撒兵隊の真野鉉吉である。「軍艦の引渡しは、その四隻でとどめていただきたい。そして、先鋒総督府の顔を立てたなら、速やかに館山湾へ踵を返してくだされ。撒兵隊はこれより房総半島に徳川義軍府を樹立致す。これは、江戸幕府の臨時政府のようなものと思し召し下されば間違いなかろう。皆々知っての通り、上総は武蔵国に次いで旗本領の多い土地であり、それゆえ財源には事欠かぬ。また、安房を海軍の錨泊所とすれば、それ即ち江戸湾の制海権を握っておるも同然。十二分に、独立政府としての存在感を内外に誇示できましょう。我ら徳川(とくせん)の御家人は、ここを拠点として巻き返しを図るのです。本日それがしが榎本副総裁へ面会を求めたのは、海軍に全面協力を乞うためでござる。各地の脱走兵を房総へ集結させるための輸送はもとより、物流の支援、周辺地域の情報収集と提供、日和見藩への砲撃威嚇、負傷兵の収容など、出来得るかぎりの後援を求むる」
「もちろんです」と榎本は快諾した。「なれど、海軍は動きが目立つゆえ、表だった支援は致しかねる。あくまでも、陰ながら、という条件付でござるが、如何か」
 真野は少々不服そうに顔をしかめていたが、やがて納得したようにうなずいてみせた。
 納得がいかなかったのは人見勝太郎である。
「我々遊撃隊は、ただちに下船する。江戸前を行ったり来たりしておる間に軍機を失う」と吐き捨てるように言って席を立った。
 遊撃隊は甲板に集まり、車座になってどこへ上陸するかを話し合った。隊士のひとりである飯島半十郎が、
「富津に我が弟と友人がおります。しかもかの地には織本東岳と申す高名な儒学者もおり、現在は上総分領前橋藩に招かれ教育方郡奉行をされておられる。地元の里正で、すこぶる人望のあるお方でもあれば、義挙の同志に引き込めば心強かろう」と言うので、行く先はすんなり富津と決まった。
 ただ、伊庭八郎だけは、単身木更津へ寄りたいと言う。
「あすこには、おれの兄弟弟子がいてね。めっぽう腕の立つヤツさ」
 それを聞いた人見が、ひさしぶりに険しい表情をゆるめた。
「伊庭さんがそう申すんやったら、相当の手練れやろうな。せっかくですから、木更津でも募兵をかけてみてくだされ」
「木更津は不二心流隆盛の地ゆえ、剣士には事欠かぬ。達者でおるかのう、ミチタの野郎は」
 風も凪いだようであり、波が鉄艦の舷側を叩く音がおさまりつつあった。
 榎本の指示で、小型艦船「行速丸」が開陽に近付いて機関を一時停止させた。干潟の広がる内房上陸にあたって、喫水の浅い蒸気船が選ばれたのである。
 別れ際、人見は声を落として、
「志操を変ずることなきよう」と榎本の横面に向かってささやいた。
 遊撃隊士が短艇に乗り移るの見送りながら榎本は、
「ご心配には及ばぬ。徳川家に対する朝廷の御処置ぶりをしかと見届けてから、我らも行動を起こすつもりじゃ。それまでは、目立たぬやり方で支援つかまつる」と声を上げた。
 真野鉉吉が不安そうに確認する。
「榎本さん、木更津の海はほんにたまげるぐらい浅いんですよ。蒸気船なぞ出して大丈夫でござるか」
「行速丸は外輪の深さが五尺しかないゆえ、沖一里ぐらいまでなら支障なかろう。福田殿によろしく伝えてくれ。我らは海上にあって敵を牽制し続ける、とな」
 その行くや速やかなり、という句を引いて命名された行速丸は、波頭を引き裂くように快走した。人見以下遊撃隊士を富津沖で下船させ、真野と伊庭八郎が木更津沖から小舟に乗り換えるのを見届けた頃には、鏡のように静かな海が、はや西日に染まりかけていた。

 目を凝らせば、二人を降ろした行速丸が見えるほど、見晴らしのいい高台に真武根陣屋は建っている。無二の佐幕に決した請西藩は戦の準備に追われていたが、藩主忠崇は入浴前の武術稽古を怠らなかった。お国入りしてまだ日も浅かったが、三千太郎に手ほどきを受けている鎖鎌術はみるみる上達を遂げている。本来なら槍剣指導は側近の伊能矢柄の仕事であったが、藩士らは江戸表の情報収集や、上陸したばかりの撒兵隊との折衝でそれどころではなさそうだった。
 忠崇は汗ばんだ顔に手拭いを押し当てて、大きく息を吸い込んだ。
「島屋の藍染は良い匂いじゃな。汗もよく吸ってくれる。ひとたびこれを使ってしまうと、もう他のものではだめになる」
 汗拭き用の手拭いを献上するような気配りが、三千太郎にあるはずもない。このような気遣いができるのは諏訪数馬であろう。さすがは地曳家の者だと思えば微笑ましく、三千太郎はくすりと笑った。「恐れ入ります」
「三千太郎よ、そなたの実家が撒兵隊の大将の宿になっておると聞く。如何なものじゃ、あの者らは」
「わしもまだよく知らぬのです。幕士の宿泊所になってから、一度も島屋へは立ち寄っておらず、相変わらず母のところで寝起きしておりますので」
 撒兵隊は上陸後、南町の選擇寺に本陣を置き、さっそく門前に、
〈上総国木更津本営 徳川義軍府〉
と大書した旗を掲げた。新たな高札を打ち立て、四方辻々に番所を設置し、「義」と染めだした肩切れを付けた隊士らが、隊伍を組んで市中を巡邏している。近傍の村々に通達をまわし、陣屋には使者を立て、恐れ多くも大政奉還した幕府に代わり、これよりは義軍府がこの地を支配する、と宣言した。
「我が藩は、あの者たちと盟約することになるのかのう」とつぶやきながら、忠崇は丁寧に手拭いを折りたたんだ。
 もしもこの場に、楓江や数馬がいたら、きっと何か答えただろう。しかし三千太郎は、戦とか、撒兵隊とか、そんなものに露ほどの興味もなく、ただ木更津が戦渦に巻き込まれんことを憂うばかりだった。
「御殿様、どうかこの地が戦火にかからぬよう、お取り計らいくだされ」
「もちろんじゃ。なれど三千太郎、武士に二言はないと胸を張りたいところではあるが、これほど物情騒然としてまいると、不測の事態も、無きにしも非ずと言わざるを得ぬ」
「よく、わかっております」
 三千太郎は深く頭を下げた。いかに時勢に背を向けていても、木更津の町全体が風雲急を告げている。そのことを、肌で感じるところまできていた。

 西日を受けた太田山の影が、春耕期の田にかかっている。低く刈られた垣根の向こうで、鶏が赤い肉垂を揺らして歩き回っていた。雨続きであったから、ずっと小屋に入れられていたのだろう。せわしなく地面をついばんでいる。
 地曳家の土間へ上がると、義父の新兵衛が待ちかねていたように三千太郎を迎えた。
「どうじゃ、請西候の御様子は。御出陣の期日はいつになるとか、申しておらんかったか」と請西藩の動向を知りたがった。名主であれば当然で、事態に即応しなければ村を守れないからだ。しかし一方で、この地方の男たちは、差し迫る戦の脅威に本能の疼きのようなものを覚えているふしもあり、多少胸躍らせている側面がないともいえない。数え切れぬほど試合稽古を積んできた三千太郎は、他者の殺気のようなものを敏感に察知できる。
「今のところ、そのような話にはなりませんね」
「そんな流暢なことで、大丈夫じゃろうか。こっちから江戸へ攻め込むぐらいの気概を見せねえと、薩長賊に先手を打たれやしまいか」
 などとぼやく義父と仏間へ上がった。
 おりんの音が響いている間は、さすがに義父も黙っていたが、やがて膝を乗り出すと、落ち着きなく扇子を振り動かして語り出す。
「それにしてもあの撒兵隊と申すお侍さんがた、皆お若くて行儀も良く、弁天町や南片町の茶屋を見上げて通るだけで、みだりに遊興もせんそうじゃ。これは軍規厳正で、統制がとれておる証拠ではあろうが、戦となればどうなることかねえ。多少荒れくれたところもなけりゃあいかんと思わんかね。つまるところ、我ら義勇隊がおらねば必勝は期し難い」
 義父は隊士ではないが、「我ら」と親しみを込めて呼ぶ。これは新兵衛に限らず、木更津の男たち皆がそうであった。
「新一郎の話によりゃあ、このたび義勇隊の総長は、縫殿三郎先生の御指名で正道さんが相勤め、不二心流の師範らが頭取となって部隊を率いるそうでねえか。いよいよミチタも、そのわざまえで西国の奸党を震え上がらせるときが来よったのう」
 新兵衛は婿の武勇がなによりの自慢である。それゆえ、島屋門一党の中でただ一人、義勇隊の羽織を着ていない息子の去就が心配でもあり、つい気を引き立てるような言い方になる。
 義母のとみがお茶を運んできた。
「そろそろ日が沈んでしまいますよ。鶏を小屋へ入れてきてくださいな」と新兵衛に向かって言った。
 とみは三千太郎と二人きりになると、腰の下げ物を指差した。
「前からいちど聞きたかったのだけれど、それはもしや、なをの形見?」
「これですか……」と、三千太郎は帯に引っかけてある小さな巾着袋に手を添えた。「なんで、わかったんです?」
「だって、煙草入れならまだしも、あなたが巾着を持ち歩くなんて」ねえ。と笑って首を傾げた。
「こんな話をすると、またお義母さんを悲しませてしまうかもしれませんが」と断りを入れて、袋の中身を掌に出してみせた。
「なをと二人で、出産前に炒った豆です。ねんねこ茶の子に使うつもりでした。これを炒っていたときのなをの楽し気な顔がどうにも忘れられず、ずっと、お守りにしています」
「それ」と言いかけて、とみはしばし目を閉じた。
「水盃と一緒に食べてしまいなさいね。なをはそれを、まめに育てという願いを込めて炒ったのでしょうが、今はちがいます。もしも三千太郎さんが出陣するなら、まめで帰ってと、なをはきっと、そう願っているでしょう。女はね、戦なんてまっぴらなんですよ」
 三千太郎は、この数粒の豆を嚙み砕いてしまったら、そのときこそ、なをが本当に死んでしまったことになるような気がしている。

 太田山を下って、木更津の町明りが間近に見える辺りまで来ると、前から平右衛門が血相を変えて走って来た。
「ああ、やっと見っけた! えれえことになってるぜ、道場破りだ、みっちゃんを出せっつってる」
 三千太郎は袴の股立ちを取り、刀の柄を抑えて、夜道を一目散に駆け出した。
 走りながら平右衛門が忌々しそうに声を上げた。
「おれが相手になってもよかったけんどよう、やっこさん、三千太郎を出せってきかねえんだ」
 木更津の二つの道場には、各地から招集された不二心流の門弟たちが寝起きしている。八劔八幡神社の方が義勇隊の本営とされ、常盤之助などは帰郷して以来、ずっとここへ詰めていた。隊規の作成や、部隊の編制などを正道に任されており、以前のおっとりとした常盤之助とは打って変わって、今や壮士然とした貫禄さえ感じさせる。三千太郎は常盤之助の目を一目見て、ああ、人を斬ったな、と察した。そのせいかどうか自分でも判然としないが、しぜんと道場から足が遠のき、もっぱら請西候との稽古のみに専念している。
 上がりかまちを踏みつけるように上ると、正面に祀られた八幡大菩薩を背にして、講武所風の髷に精悍な顔立ちをした剣士が床几に腰かけている。それを見て三千太郎は拍子抜けすると同時に、なつかしさで胸がいっぱいになった。
「八郎か」
「よう。ミチタ」
 張り詰めていた場内が、どっとざわめいた。平右衛門は首を突き出して、
「なんでえ、知り合いか」急に力が抜けたような表情になる。
 道場の片端に控えて、鋭い眼差しを向けていた常盤之助や、会津藩士の細川、荒井両氏も、困惑したように互いの顔を見やった。
「いやね」と八郎は口角に笑みを浮かべた。「ためしてみたかったのだ。不二心流の気概を」
「八郎らしいな」
 三千太郎は顔をほころばせたが、食って掛かるように声を上げたのは常盤之助である。
「で、どうだったのです。我らの気概は」
「よいさね。昨今、他流試合を許さぬ道場がほとんどじゃ。負けて評判が落ちるのを恐れ、道場破りに金子を包む道場主さえおる。なれど、さすがは今をときめく流派と申すべきか、ミチタに代わって我こそがお相手つかまつろうと名乗りを上げる者さえ一人ならずおるのじゃから、その意気や、まことあっぱれ」と敬意を表するがごとく、平右衛門と常盤之助の方へ顔を向けた。
「特に、ミチタと見まがう、おまえさん」と、常盤之助の両眼を見据えた。
「果眼をしてるねえ。人を斬ったこと、あるね」
 常盤之助はそれに答えず、三千太郎の方へ顔を向けた。
「で、ミチタ。このお方は誰なんだい」
「心形刀流、正統次期継承者、伊庭八郎秀穎。御徒町の練武館で、三年間同じ釜の飯を食った兄弟弟子だ」
 ああ。と常盤之助は両目を見開いた。「伊庭の小天狗」
 その異名は、今や知らぬ者とていない。遊撃隊士として鳥羽伏見の戦場を駆け巡り、薩長勢をして「幕軍さすがに伊庭八郎あり」と震え上がらせたほどの剣客である。
 細川外記が身を乗り出した。
「貴殿は、遊撃隊に所属しておったはずでは」
「いかにも。今も遊撃隊士じゃ」
「上様の警護は、如何なされた」
「申し開きもできねえが、わしら敵に背を向けて千住大橋を渡るこたあ出来んかった。そいで、脱走艦隊に身を投じた次第」
「ぜひ、盟約したいものですな」
 外記が興奮した面持ちで立ち上がると、常盤之助が門弟数人に指示を下し、酒宴の支度に走らせた。

 悪天候をついて房総往還を下って来た梶塚成志の輜重中隊も、この日の午後、木更津に到着している。
 本陣となった選擇寺の本堂には陣卓子が置かれ、それを囲むように幹部らが床几に腰をかけている。最後まで江戸に残っていた江原素六、砲兵隊の天野、間宮、撒兵大隊長の増田、戸田、輜重隊の生島、義勇隊の正道など、幹部がほぼ顔を揃えていた。榎本武揚との面会を終えた真野鉉吉も帰陣して席に着いたばかりであった。
 徳川義軍府の運営にあたって、周辺諸村の有穀調査の進め方などが話し合われていたが、梶塚の報告により、堀岩五郎の独断による船橋進軍を知らされると、素六は床几をひっくり返すような勢いで立ち上がった。「それはまことですか」
 梶塚はさらに、大鳥圭介が率いる伝習隊他、国府台に集結しつつあった幕軍脱走諸隊のことなどもくわしく伝えた。
 口髭の目立ち始めた素六の顔が、みるみる引きつってゆく。
「総督」と福田に詰め寄った。「一刻も早く第二大隊を呼び戻しましょう。それでなくても江戸の総督府は、国府台の動向を注視して居るに相違ない。船橋くんだりに陣取っておっては、我らも大鳥軍の党類と思われかねませぬ」
「またれよ」と斎藤閑斎がそれをさえぎった。「もしも佐倉藩に離反の疑いがあるのなら、堀の判断は正しかろう」
 福田もこれを支持し、大きな絵地図を広げてみせた。
「船橋宿は、御成街道、佐倉街道、上総街道、行徳街道と、複数の道が交差する重要地点。ここを抑えておくことは、戦略上適切なのではあるまいか」
「三百人程度の兵でですか」素六の声はあきらかに皮肉めいている。
「街道の結節点は、敵方にとっても重要拠点にござる。そこに陣を布けば、もはや衝突は避けられませぬ。堀殿は血気にかられ過ぎておるのじゃ。福田殿、あなたが義軍府の本営に選んだのは木更津ですぞ。戦略と申すなら、房総半島の奥へ敵を引き込むのが正攻法でありましょう。下総くんだりで戦ったところで、いたずらに戦線が長くなるのみ、こちらには何の利もござらぬ」
 斎藤閑斎は人差し指で落ち着きなく卓上の隅を叩いている。
「堀は、国府台の混成軍と合流するつもりなのではないか。それならば戦略としてあり得よう」
「仮にそうだとしても、まず無理でしょうな」きっぱりと素六は言った。「二千人近い脱走兵が、いつまでも市川近辺に留まっておられるわけがないでしょう。あすこは代官領です。それだけの兵員を長期にわたって養えるほどの食料も燃料の備蓄もない。大鳥軍の大半はヤクザくずれの雇われ兵であるから、飯が食えぬとあっては士気も振るわぬ。よって速やかに東北諸藩を頼って進軍するに決まっておる。万一、堀大隊が市川へ向かったとしても、もはやそこには誰も居るまい」
 素六のトゲのある言い方に苛立たしさを隠せなくなった斎藤は、矛先を正道に向けた。
「大河内殿、このような局面に立ち至ったのは佐倉藩の動向を見誤ったからであろう。そこもとはいったい、何をしておられた」
「わしは、重役方や、藩校関係者らと、何度も会合を重ね、佐幕の素志に偽りなきことを確かめてきたつもりです」
 腹の据わった正道でさえ、事態の急変に動揺を隠せなかった。
 この時期、房総諸藩の動向など、おしなべて日和見でしかなかったのである。抗戦準備を整えつつある請西藩ですら、表向きは家老を都へ派遣し、勤王証書を提出しているのが良い例であろう。戦国時代の真田氏が東西いずれの陣営につくか悩みに悩んだのにも似て、軒並みどの藩も、佐幕か勤王かで不安定に揺れ動きつつ、確たる進退を決めかねている。
 さすがに福田も眉を曇らせ、深いため息をついた。
「もし、船橋で敵と衝突した場合、海軍の援護は期待できぬか」
 真野が答える。
「先ほどもご報告した通り、榎本副総裁は、徳川家の処置が決まるまで、敵対行動ととられるような動きは極力避けたいと申しております」
「かくなる上は、ただちに使者を差し向け、第二大隊を呼び返そう」
 福田の決断は早かった。その夜のうちに、隊中取締役の仙石釩三郎が押送船で船橋宿へ向かった。

 四月十七日は徳川家康の命日であり、福田八郎右衛門らの最初の大掛かりな仕事は、この日に東照宮祭を開催することであった。王政御一新の後だからこそ、この霊祭を疎かにすることはできないのである。「村役人光明寺へ参詣致すべし」と記された通達には、「徳川義軍府」印が捺印されている。が、実質的に開催準備を執り行っていたのは、地元を取り仕切る神徳講であった。
 総三郎はめずらしく、座敷に豊を呼び出した。
「祭りの日、来賓に赤飯を配ることになっておる。ついては、豊、手伝ってくれんか」
「はあ?」と豊は露骨に顔をしかめた。
「義軍府も神徳講も、男ばかりで、花がない」
「そりゃそうでしょ。政事や戦をするのは男だもの」
「まあ聞け。福田八郎右衛門様がそう申したのだ。男ばかりで花がない、それゆえ、おまえに祭りを取り仕切ってもらいたい、とな」
「どうゆうことよ」
「鈍感だのう。おまえが花ということよ」
と説明されて、ようやく豊の顔が少し赤くなった。

 当日の朝、朝食をとっている福田の前に豊がかしこまって座った。
「お尋ねします。なぜ、小豆でなくて、大角豆(ささげ)なのですか」
 一瞬、何のことを言っているのかわからず、福田は箸を止めて首を傾げた。
「ああ、赤飯のことですな。武家では、小豆は使わないのです」
「使わないの?」
「小豆は炊くと割れたり皮が破れたりします。それが切腹を連想させ、縁起が悪いとされておるのです」
「へええ」
「炊きあがりは小豆とたいして変わりませぬ。それと、お手数をかけますが、赤飯の上に南天の葉をのせるのも忘れずに願います。難が転じると申して、縁起が良いのです」
 思わず豊は、ぷっと噴き出してしまった。「お武家さんって、いろいろしきたりがあって大変なんですねえ」
 福田は茶碗を膳に置き、その上に箸を重ねて、居住まいを正した。
「豊さん、このたびはご協力、誠にかたじけのうござります。拙者、これから真武根陣屋へ参りますが、用事が住み次第、すぐに戻って参ります」
「福田様、そーた丁寧に頭下げなくていいからさ。御汁が冷めちゃうよ」
「様など、つけなくともかまいませぬ。福田さん、とでもお呼びくだされ」
「福田さんでかまやしないのなら、八っつぁんって呼びます」
「八っつぁん? 落語に出てくる八五郎みたいですなあ」
 白い歯を見せて、福田はほがらかに笑った。

 江原素六に充てられた割宿は、「米傳」という米屋である。ぬかでざらついた店先を出ると、貝淵陣屋から徴発してきた軍馬に跨り、町はずれの四辻で同じく騎乗した福田と合流する。
 福田を見るなり開口一番「総督、ここは駄目でござるな」と素六は声を上げた。
「木更津は、想像していたよりずっと平坦です。敵が攻めて来よったら、拠って障うべき場所がなく、退いて避くるような道もない。一刻も早く、どこか堅牢な山城に本陣を移さねばならぬでしょう」
 騎座の安定した福田に比べると、素六の馬術は見るからに心許ない。というのも、当時の武士にしてはめずらしく、素六は馬術を正式に習ったことがなかったのだ。どんなにまずしい侍の子でも、少なくとも木馬を使って乗り方ぐらいは稽古したものであるが、それさえもしたことがなかった。抜きん出て優秀な青年であっただけに、講武所の先輩や同僚たちは素六をからかうつもりで、よく馬場へ連れ出したものである。初歩的な輪乗りさえままならず、急に方向転換などをさせると、たちまちバランスを崩して落馬した。皆が面白がって素六をしごいているうちに、いつしか人並みには乗れるようになっていた。福田が一時期、騎兵隊の将校であったことを思えば、雲泥の差であろう。
 素六のたどたどしい手綱さばきを見かねて、福田が声をかけた。
「江原殿、上体が後ろに傾きすぎておる。も少し前に倒してみなされ」
 言われた通りにすると、急に体が安定したように感じられた。素六はこの一言で、乗馬のコツを掴んだ気がした。

 幕府内部で顔の広い福田でさえ、請西候と面会するのはこの日が初めてだった。献兎賜盃と聞けば、その筋目正しい家柄に畏敬の念すら覚えるが、率直なところ、房総半島に着目しなかったら、存在すら見過ごしかねない小藩である。義軍府が会見の日取りを権現様の命日に指定したのは、譜代の臣たるに訴えて、こちらの陣営に引き込もうという思惑があったからだ。
 標高五十メートルほどの台地上に建つ真武根陣屋は、木更津の町を一望の下に見渡すことができる。海からも二キロの位置にあり、本陣とするには申しぶんのない立地である。陣屋とはいっても周囲を土塁に囲まれ、大手口は枡形門となっており、城郭のごとき堂々たる建築だった。
 本殿の広間に通された二人は、下段の中央に端座した。襖と張付壁に描かれている狩野派の筆とおぼしき山水を、福田は見回すように眺めた。素六は少し伸びてきた口髯を指で撫でつつ、敷居の上にあるいかにも林家らしい兎の彫物欄間の方へ顔を向けている。御入側から足音が聞こえてくると、二人は静かに平伏した。ややあって、若者らしい声が上段の間から聞こえた。
「面を上げよ」
 顔を上げてまず驚いたのは、歌舞伎の女形のように秀麗な、藩主忠崇の面立ちである。しかもその傍らに、母堂とおぼしき女性も同座しており、明らかにその装いは、奥女中の式服であった。垂髪を数か所結んだ特徴的な髪形は「おすべらかし」に相違ない。部屋方と思しき女性も一人控えており、髪を片はずしにしている。
「こちらにおわすは、元上臈御年寄、万里小路局様である」
 福田はあっと息を飲み「恐れ入り奉りまする」と再び平に頭を下げた。
 素六の方は、それほど驚いた様子もなかった。江原家は家格こそ低いが譜代筋目であり、親戚が大奥年寄を勤めたこともある。大奥という浮世離れした世界を、割と身近に感じてきたのである。
「我が伯母、願生院をご存じ遊ばされますか」
 と尋ねると、まて様は「おお」と顔をほころばせた。「そなた、身内なのか。隠居されてから久しいが、息災でおられるか」
 などと、にわかに場を和ませることができたものの、素六は内心、この場には似つかわしくない女性の同席を、多少疎ましく感じてもいる。
 福田がかしこまって本題を切り出した。
「徳川恢復同心協力の儀、お願いにまかり越しましてござります」
 忠崇は手を膝にして、鋭い眼差しを二人に向けた。
「もとより、林家は御代々様より格別の御愛遇をこうむり、世々御恩沢に浴してまいった。主家存亡の危機にあたり、これを傍観するつもりは毛頭ない」
「なれば」とすかさず膝をにじらせたのは素六である。「この真武根陣屋をお貸し候よう、願い奉ります」
 この唐突な申し出に、さすがの忠崇も、一瞬困惑の色を浮かべた。
「ここを、義軍府の本陣と致すのか」
「城持ちの久留里藩か大多喜藩あたりが開城するまで、しばし便宜をはかっていただきとう存じます」
「すまぬが、それについては即答できぬ。重臣らに図らねば、予の一存ではお答えしかねる」
「そのほう」と、先程とは打って変わって、まて様が不快感を露わにした。「随分と、ぶしつけな物言いではないか」
 まて様の意を体したかのように、侍女の都山が身を乗り出し、素六に向かって声高にもの申した。
「聞くところによれば、そなたらは高札を取り捨て、村々の役人を御用と称して呼び出し、今後この地を支配致すべく旨、申し渡しておるとか。あげくに陣屋を差し出せとは、いささか奢っておるのではありますまいか。そなたらは一介の旗本であろう。御当家は菊の間縁頬詰めの大名であらせられるぞ。上下の別をわきまえなされよ」
「恐れながら」と、素六は表情を変えない。「それがしの家は無役の小普請支配にござりまするが、毎年四十俵の禄米をいただいております。はたまた今日、多くの旗本が鉄砲を担ぐことを厭い、知行地へ避難して無為徒食の生活をしておるにもかかわらず、俸禄だけは頂戴しておるのです。おかしなことと思われませぬか。このような制度を温存したまま、今後も幕府が立ちゆくとお思いになられますか。旗本ばかりではござりませぬ。溜の間筆頭の井伊家など、真っ先に敵に寝返ったではござりませぬか。御親藩の紀州も尾州も同様。もはや過日の主従関係なぞ体をなしておりませぬ。我ら義軍府は、君臣上下の儀則を徹底し、徳川将軍御一人を絶対的君主と仰ぎ、直参も陪臣も国の官吏となって仕える世を作ろうとしておるのです」
と、ここまではよかった。これに対して都山が、
「その世において、大奥はどうなるのか」との問いに、
「最低限の規模に縮小すべきかと」などと歯に衣を着せない。
 都山は素六に膝を向けて扇子を突き出した。
「大奥こそ、御家存続にかかわる国の基ではございませぬか。それをないがしろにしようとは、思い上がりもはなはだしい」
 気色ばんだ都山をなだめられるのは自分しかおらぬと思ったか、まて様がすかさず場をとりなした。
「本日は神君のご命日ゆえ、お殿様へ御挨拶のつもりでまかり越しましたが、折しも脱走軍の大将が目通りなされると知り、つい好奇心にかられ、この場に同席させてもろうた。女は表の話に容喙すべきではござらぬなあ」と朗らかに笑ってみせたのだった。
 忠崇もその様子を見て苦笑したように口角を反り上げたが、すぐに向き直り、まなじりを決した。
「及ばずながら、徳川家の御危難を救い奉らん。粉骨砕身、一命を投げ打つ覚悟なれば、同心協力の儀、もとより同意」
 これにより、義軍府と請西藩の盟約が成ったのである。

 間舟台の坂道を下りながら、福田がこらえていたように笑い出した。
「江原殿は、はっきりものを申すお人じゃなあ。その気質は西洋人に対しては極めて有効ですぞ。かの者らは遠回しな物言いを理解せぬゆえ」
「局を、怒らせてしまいましたかな」
「もとより拙者も同意見じゃ。後宮三千の美女なぞ、これからの時代、無用の長物となろう。真武根陣屋を接収したなら、ただちに各国公使を招いて義軍府の存在を示したい。シャノワーヌ少佐らフランス軍事顧問団による練兵も行おう」
 などと今後の方針を語っていると、沿道の先から悲鳴が聞こえてきた。二人はすかさず馬腹のあおりを蹴った。
 旅籠の店先に、抜き身を持った浪士ふぜいの者らが数人、撒兵隊の名を騙り、白昼堂々声を張り上げているところであった。
「撒兵隊はこれより、幕府挽回を図って江戸へ攻め込む。そのため、軍用金の入用三百両、徳川恢復の暁には、元金に利息を付けて返すゆえ、今すぐ借り受けたい」
 軍馬が砂を蹴立てて駆け付けると、浪士どもは慌てて逃げ出した。明らかに御用盗である。素六がホルスターからスタール拳銃を引き抜くと、福田が片手でそれを制した。
 腰が抜けたように地べたに伏している店主に向かって、「無事か、怪我はなきか」と福田は声をかけた。「徳川義軍府の内にては、乱暴狼藉、押し借りゆすりは軍規により厳しく戒めておる。今後、同様の被害に合うたなら、選擇寺の本陣へ訴え出よ」
 福田の甲高い声は、大きく発するほど芝居の台詞がかって流暢である。これが下々の耳にはありがたく響くのかもしれず、店主は振り向けた顔にさっと安堵の色を浮かべると、再び地面にひれ伏した。

 光明寺の賑わいの中心に、豊がいる。撒兵隊の若い衆に指示を下し、境内に仮設した大竈の火加減をみたり、南天の葉を選り分けている。熨斗に「徳川義軍府」と書かれた赤飯の折詰を商家の旦那や名主にくばっているのはすまとりうで、豊に駆り出されたものらしい。二人とも髪を高島田に結い、季節の花柄を染めた前掛けと、竪結びにした昼夜帯をしているあたり、江戸の茶汲娘を意識している。豊が着ているのは夏物の雪花絞りの小袖で、色白の肌に藍染の色彩がよく映えていた。この辺りの装いはすまの演出に相違なく、江戸の粋筋に劣らぬほど洗練されている。
 炊事に駆り出された若い隊士の中には、家事の経験がない者も多く、ささげに差し水を加えるタイミングを間違えたりする。そのたびに豊から「なにやってんだい、スットコドッコイ」と大声でどやされた。それでもしばらく一緒にいるうちに、皆が「姐さん」と親し気に呼ぶようになる。その姐さんたるや、指についた米粒を食べながらしゃもじを持つほどがさつであるが、南天の葉をきっちり真ん中にのせたがるようなところもある。折詰を取りに来たすまに向かって、
「ここになをがいたら、もっと美味しい赤飯を出せたのにねえ」と指を舐めながら言った。
「あの子がいたら大変ですよ。赤飯だけじゃ気が済まなくて、香の物もつけるとか、絶対言い出す」
 確信に満ちた様子でうなずいてみせると、二人は顔を見合わせて笑った。

 光明寺の本堂には、朝から神徳講の世話役たちが詰めている。ここに撒兵輜重隊の生島万之助大隊長がやって来て、しばし金銭米穀の話となった。当初義軍府は天領の蔵米を財源にしようとしていたが、そんなものでは到底政府と名乗れるような財力にはならぬ、と生島は包み隠さず言った。
「実のところ、徳川領の総高は四百万石程度しかなかったのじゃ」
 これを聞いて長須賀屋卯八は、ええッと悲痛な声を上げて、大きな目玉をひん剥いた。
「八百万石ではなかったのですか」
「勝総裁が再調査させたところ、実質四百万石ほどしかなく、しかもその半分は敵地の関西にある。旗本八万騎も、数え直してみれば実際には三万騎程度しかおらず、西ノ丸の火災で書類が焼失したため、勘定奉行ですら正確な人数を把握できておらんかった」
 三河屋の仁呑喜平次も生島の話に耳を傾けていたが、どうにも納得がいかない様子で眉をしかめた。
「ならばいったい、旗本の蔵米はどのように支給されていたのですか」
「それぞれの支配では人数を把握できていたらしい。なれど、呆れたことに、全体を見通せるような帳簿がない。義軍府が天領を支配すると申しても、そのためには郡代取扱の村方、囲い米の員数など、改めて調べ直す必要がある。当面は周辺の村々から軍用金と兵糧米を徴発せざるを得ず、おぬしら商人からも供出してもらわねばならぬ次第じゃ」
 生島がうなだれたようにうつむきかけると、喜平次はそれを叱り飛ばすような調子で言った。
「金穀のことなら我らがいかようにも致しましょう。義軍府は速やかに江戸を奪還して、公方様を呼び戻してくださればよいのです」

 光明寺を参詣した旦那衆は、義軍府の平隊士をつかまえては「いつ敵軍の襲来があるか」と戦況をたずねた。これについては隊士らも詳しいことはわかっておらず、首を傾げて朗らかに笑うばかりである。旗本や御家人の子弟ともなると、さすがに育ちが良くて温和なものだと人々は感心もし、心もとないような気持ちにもなる。
 本堂の欄干にもたれた川名里鹿は、かいがいしく立ち回る娘たちの姿を遠巻きに眺めていた。撒兵隊の進駐以来、連日神徳講の会合に追われ、男並みに戦と向き合っている最中であった。藍染の小袖を着こなす豊や、高島田の髷を見ていると、それがまぶしいほど愛らしく、自分の方はずいぶん歳を取ってしまったものだと思えてくる。
「あの方が、豊さんかしら。ほんに素敵な娘さんですねえ」
 里鹿が目を細めると、総三郎がぷっと噴き出した。
「いやいや、里鹿殿の爪を煎じて飲ませたいぐらいです」
「若さが、みなぎっておりますよ」
「お恥ずかしいかぎりです。若さしか、ない」
 総三郎は呵々と笑って襟足のあたりを掻いたりしていたが、里鹿がじっと見つめてきたので、たちまち真顔になって居住まいを正した。
「わたし、十三歳のときに父と祖父を相次いで亡くし、家督を相続するために大奥をやどさがりしました。兄二人も早くに亡くなり、甥も早死したため、わたしが跡取りになるしかなかったのです。夫との間に五人の子を授かりましたが、三人は乳飲み子のうちに早世しました。幸いにも英助と賢治は無事に育っておりますけれど、間違いなく、川名の家系は短命なのです」
 そこまで言うと、里鹿は再び視線を豊たちの方へ向けた。
「身内の死に触れるたびに、自分の死についても考えてしまいます。せめて死ぬまでに一つぐらい、何か世の中のためにできることはないか、そんなことを考えるようになりました。ですから、総三郎さんがわたしのところへ来られて、共に立ち上がってほしいとおっしゃってくださったとき、わたし、心から嬉しかった」
 総三郎はあの時、暗然たる天地に少しく光のあい差すまで、どうか我らにお力をお貸し願いたい、と言ったのだった。
「里鹿殿のおかげで、木更津は一つにまとまったのです。これからも御味方を陰ながら支え、薩長の賊徒を屠り、公方様の大権を恢復致しましょうぞ」
 と感極まって里鹿の手を取りそうになったが、慌てて引っ込めた。それを察した里鹿の方から手を差し出そうとすると、
「総督の、おなーりー」
 福田と素六の騎馬が門前に到着した。
 若い隊士らが手を止めて一斉にお辞儀をすると、福田は「ごくろう、ごくろう」と左右を見回しながら笑顔を振りまいた。
「八っつぁん、まだ赤飯が残ってるよ。お昼にするかい」
「これはよい匂いじゃ。いただきましょうかな」
 サーベル拵の刀を外して、ゆったりと縁台に腰をかけた。「江原殿もいかがじゃ」
「赤飯は、大好物です」
 りうがぱたぱた駆け寄って来ると、菜屋の品書きを差し出した。
「大将様、お赤飯だけではなんですから、総菜などもご用意致します。何か苦手な食べ物とか、ございますか」
 福田は目礼してそれを受け取り、素六の方からも見えるように紙を傾けた。
「コノシロは、いけませんな」と素六がつぶやくと、福田も深くうなずいてみせた。
 コノシロといえば体長によって名の変わる魚で、十センチ強で「こはだ」、稚魚は「しんこ」の名で知られる。江戸前で最も好まれる青魚だけに、りうは意外な感じがして首を傾げた。
 豊が芽茶を入れながら、からかうように声をかけた。「またなんかこだわりがあるんでしょ、武士流の」
「いかにも」と答えた福田は、このやりとりを楽しんでいる。「コノシロは、この城、に通じるので、この城を食うのは縁起でもないといわれておるのじゃ」
 いまいちぴんと来ていない様子のりうは、「酢味噌で食べると美味しいですよ」と言いかけたが、素六はしごく真面目な顔をして、
「我らはいま、戦場におる。縁起をかつぐのは、大事なことじゃ」とうなずきつつ、豊から差し出された熱い茶をすすった。

 福田総督に挨拶をするため、本堂のきざはしを降りかけた里鹿を、総三郎が呼び止めた。手を懐に突っ込んで、薬包紙とおぼしき小さな包みを取り出した。
「これは、わしが毎日飲んでいる蓬の粉末です」と開いて見せると、草団子の香りがした。「不二心流開祖、中村一心斎先生が愛飲しておったものです。先生は、富士山中宮で塩穀を絶ち、百ケ日の荒行をやってのけ、七十三歳で亡くなられるまで強壮じゃった。その秘訣の一つが、この粉末であったと我ら弟子は伺っております。おかげさまでわしも、この歳まで病気一つしておらぬ。あまり美味いもんでもないが、里鹿殿も、飲んでみては如何か」と差し出した。
「貴重なものでは、ございませんか」
「愛飲している門弟も多いので、大量に仕入れております」と言って、まずは一服ぶんを里鹿の手に握らせた。「早死になどせぬ。心配されんでもよい」
 里鹿は涙ぐんだ顔を見られまいと、さっと向き直り、小袖の裾をからげて、しずしずときざはしを降りて行った。

 撒兵隊の脱走を知った江戸の先鋒総督府は、東海道鎮撫総督橋本実梁、副将柳原前光両公卿の連名で、房総各藩へ向けて次のような通達をまわしている。

〈近日脱走の兇徒等、房総地方に屯集し、天威を畏れざるの次第、鎮撫のため官軍差し向けらるるの間、各藩においても応援の心得をもって臨機出兵、忠誠相励み、勤王の実効相あらわすべく候〉

 徳川義軍府へ向けられた宣戦布告と言っていい。怒涛のごとく房総諸藩の首脳部に動揺が生じた。
 この通達をめぐり選擇寺の本陣で話し合いがもたれている最中、船橋へ出張していた仙石釩三郎が血相を変えて戻って来た。
「第二大隊は船橋大神宮へ陣取り、街道上に見張番所を建て、往来旅人はおろか、駄馬の荷まで改め、厳重なる警戒態勢を整えております。速やかに帰陣されたしと手詰めの談判に及ぶこと数度、堀大隊長はまったく聞く耳をもちませぬ。佐倉藩の動向が判明するまで動けぬの一点張り……」
 バンッ、と素六は卓を叩いた。
「堀殿の早計な判断が、いたずらに先鋒総督府を刺激せしめてしもうたのじゃ」
 評議に集まった幹部は、それぞれ眉をしかめて憮然としている。素六は胸を張り出して言った。
「もし敵が襲い来たらば如何にして防戦すべきか。木更津は攻守の欠点少なからず、要害なき地勢に滞在する危険この上なし。故に、一刻も早く陣地を別の場所へ移す必要があろう。まずは砲兵隊を進発させ、久留里城を囲んでは如何か。堅固な拠点を確保せねばならぬ」
 戦線を膠着させて時間を稼ぐこと、それにより少しでも有利な条件で徳川家を存続させることが、素六ら武備恭順派に課せられている使命なのである。この時点では、徳川宗家の相続人も、藩地も、石高さえ決まっていない。未だ勝総裁の駆け引きは続いている。撒兵隊は江戸をうかがう脅威でなければならず、しかし実際に戦ってはいけない。兵力は徳川の家兵として温存しておかねばならない。
 福田が絵地図を開くと、義勇隊の羽織を着た正道が立ち上がり、扇子の先を、ある一点に向けた。
「ここに寺がございます」
 天寧山真如寺は、上総真里谷の山中にある曹洞宗の名刹で、寺域二千二百余坪、徳川幕府より御朱印寺領三十石を賜る大寺院である。その歴史は開基以来五百五十年にも及び、末寺四十九、孫寺を入れると二百有余、堂塔三十余棟、寺僧は常に五十人を下らず、格式は十万石の大名と同等であり、上総国の高野山と称されている。
「ここならば大所帯を収容できますし、久留里城、大多喜城とも連絡が取りやすい。敵軍を房総の奥へ引き込むなら養老川一帯が野戦地となりましょうが、そうとなれば前線基地としても使えます。山深き寺院なれば、要害の地形となりましょう」
 福田はじっと視線を絵図に落とし、正道が示した七堂伽藍の周辺を注意深く眺めた。この寺が建っている丘陵は、養老川下流域の平野と木更津の間に張り出しており、縦深防御に適した天険の地といえる。逆にこの地を占拠されれば下総方面への進出が困難になるだろう。福田に迷いはなかった。
「本陣を数日のうちに真如寺へ移動させよう。第四大隊は砲兵隊と共に、明朝、久留里藩へ兵を進めよ。開城勧告は戸田大隊長に一任致す」
 ちらと視線を送ってきた砲兵隊長の天野釣之丞に、素六はまばたき程度の目くばせを返した。この段階では、福田の戦略に沿って動いても問題あるまい。むしろ危急の事態は船橋宿の方であり、これをどうするかが全体の肝といえる。
「船橋の堀大隊についてであるが」と素六が言いかけたところ、
「その前に」と斎藤閑斎がことばを遮った。
「木更津上陸以来、義軍府を騙る無頼の徒が横行し、押し借りゆすりの被害が後を絶たぬ。連中は、御用金と称して多額の金子をかすめ取り、無辜の民を害しておる。我らは目下、房総諸藩の周旋に追われ、とてもこれを取り締まる余裕がない。大河内殿、義勇隊は何をしておられる。お手前らが対処すべき問題ではないのか」
 正道は、仰せの通りとばかりに頭を下げた。
「すでに不逞浪士の摘発に乗り出しております。下手人どもの目星もついておりますので、近日中に兇賊の首を御覧に入れましょう。不浄の行為は我らにおまかせくだされ」
 名誉挽回の機会だと、正道は思っている。
 佐幕で衆論の帰一を見たと思われた房総諸藩の動向が、佐倉藩を筆頭に軒並み旗幟不明瞭、改めて各藩の向背を確かめなければならない事態に陥りつつある。撒兵隊の進駐に先んじて下工作に奔走した正道にとって、これは切腹も辞さないほどの痛恨事であった。
 偽義軍の正体はすでに掴んでいる。山賭博を仕切る染谷勘八郎の手の者であり、染谷自身も奈良輪村(袖ヶ浦市)の旅籠を根城にしているらしい。これを強襲し、一人残らず縄に掛けることで、己の面目を施し、義勇隊の実力を示す絶好の機会となるだろう。正道は武者震いを覚えた。

 八劔道場に集結した義勇隊の中に、三千太郎もいる。今度ばかりは大河内の者として、師範代として、必ず参加するようにと正道に強制された。隊士らに示しがつかないというのだ。
 上座に着いた正道は、御用盗取締りについて説明し、染谷の居る旅籠に討ち入りを決行すると述べた。島屋門の名にかけて、屋内への斬り込みは師範格のみで行うという。そうなると顔ぶれは限られており、正道を筆頭に、総三郎、三千太郎、勝壽、平右衛門の名がまず挙がる。年長の幸左衛門と八剱勝秀は若い世代に花を持たせたいと辞退したが、孫左衛門は「老骨に鞭打って」と参加を表明。唯一の実戦経験者である常盤之助も推挙され、しめて七人となった。
 参謀格の細川外記や荒井直五郎も強く加勢を希望し、伊庭八郎も感興を覚えた様子であったが、正道はこれを丁寧に断り、染谷ばかりは島屋門のみで始末をつけるとの決意を示した。
 今や義勇隊の副将格のように目されている常盤之助が、若い平隊士らを見回して言った。
「奈良輪村の他にも、連中のアジトとおぼしき場所がいくつかあります。小隊ごとにそれらを探索してください。賊あらば斬り捨て御免。少なくとも、一人一殺を鉄則としましょう。合戦前の手慣らしと、刀の試し斬りも兼ねて」
 じっと耳を傾けていた長老の友野七左衛門が、身を乗り出すようにして、常盤之助に食って掛かった。
「何が一人一殺であるか。我が流派は後の先を極意とし、とどめの太刀を否定しておるはずではないか。この真髄を捨てたら、もはや不二心流である道理なぞどこにもない。今にして思えば、伊藤実心斎ただ一人が、正しかったと言わざるを得ぬ」
 そう一息に述べ立てると、突如激しく咳き込んだ。七左衛門はこの頃、加齢もあり、胸を病んでいる。
 幸左衛門に背をさすられている七左衛門に向かって、常盤之助は諭すように言い含めた。
「先師が否定したのは小なる兵法であって、我らは今、天下をかけた大戦に挑もうとしておるのです。義勇隊の行動は、間違っても小なるものではありません。薩長賊は恐れ多くも王師をくり出し、みだりに士民をおびやかし、人心を離反せしめつつある。我らは国の安危を救い奉らんがため、忠義の挙をなさんとしているだけなのです。その手慣らしとして悪党どもを斬る。そもそも試し斬りというものは、罪人の体を用いてなされるものでしょう」と、皮肉めいた微笑を浮かべた。
 七左衛門は乱れた呼吸を整えながら顔を上げると、眉間に縦皺を強く刻んだ。
「常盤之助よ、おまえは冗談でそんな言い方をしておるのか。試し斬りは刑死した者の体を使う。生きた人間の体ではない」
「お言葉を返すようですが、重罪人に限っては生き胴に処することも間々あります。義軍の名を騙り、金品略奪に及ぶような連中は重罪人でしょう。かくの如き輩を厳格に罰し、一掃しなければ、我らは天下の信を失う」
 もうよい。と吐き捨てるように言って、七左衛門は片膝をふんばらせて立ち上がった。
「中里へ帰る。このような不二心流とは、今後一切関わりとうない」
 往年の名剣士も、この頃はすっかり腰が曲がっている。三千太郎が即座に立ち上がり、おぼつかなげな足取りの七左衛門の肩に手を添えた。
 道場の外へ出ると、七左衛門は両手を腰に当てて背筋を伸ばした。霞のような雲を見上げたまま、ふっと鼻先で笑った。
「三千太郎の仲人をしたのが、もうずっと昔のことのように思える」
「おれも、同じです」
 猫背ぎみの姿勢で、七左衛門がゆっくりと歩き出す。腰には小振りの脇差しか差していない。友野先生といえば、かつては曳きずるような大刀を帯びていたものだ。
「あんな子だったかのう、常盤之助は」
 そのさびしげなつぶやきに、三千太郎は答えなかった。中里村へ続く道の両側で、人々が馬に鍬を牽かせて代掻きをしている。鼻をつくような肥しと干鰯のにおいがした。
「中村一心斎先生はナ、荒廃した農村の復興を志しておったのじゃ。治国安民之巻の原本をみたことがあるかね。先生はご自分のこのとを不二心流剣道並農家耕作教導師と記しておる。剣の修練による人としての成長と、農民の自力更生とを目指しておられた」
 この時代の剣法は「術」であって、まだ今日的な「剣道」という理念は確立されていない。これが確立されるのは明治も半ばに入ってからである。時代に先駆けて剣術を精神修養の「道」と定義した辺りに、不二心流の解釈の難しさがあり、門下混乱の一因もあった。
「もうすぐ田植えじゃなあ」と、七左衛門は気を取り直したようにつぶやいた。「野良仕事の合間にする稽古が楽しかったもんじゃ」
 中里村にたどり着くと、七左衛門は時折から咳をしながら、いつまでも長屋門の前に立って三千太郎の後ろ姿を見送っていた。それが、在りし日の七左衛門の最後となってしまった。

 染谷の一党が、奈良輪村の名主に強談をしかけてきたという。この一報は直ちに義勇隊本陣へ伝えられた。正道は、問答無用と言わんばかりに、隊士の制服である麻羽織を三千太郎の面前に突き出した。
「おれに力を貸してくれ」
 黒漆塗りの皮胴を着けた三千太郎は、藍の羽織に腕を通した。背中には「義」の文字が抜染されている。正道はそれを眺めると、感慨深げにうなずいてみせた。
 染谷襲撃は隠密の行動であり、支度も夜中に島屋の土蔵で密かに行われた。福田や撒兵隊の幹部にさえ知らせていない。自分たちの動きが相手側に漏れるのを最大限に警戒したのである。
 大柄な孫左衛門と総三郎は羽織の下に鎖襦袢を着込み、頭に鉢金をかぶった。若い者らは軽装を好み、籠手と臑当、皮胴、両腕をたすき掛けにし、白鉢巻きを締めている。
 豊もふらりと土蔵へやって来た。両刀をたばさみ、黒羅紗地に赤の縁取り、見返しに金糸で桜の柄が織り込まれた陣羽織を着て、あたかも斬り込みに参加しそうな装いであった。
 総三郎は度肝を抜かれて「おまえ……」と言ったきり言葉も出なかったが、豊は愛想笑いの一つも浮かべず、大まじめである。
「家族が出陣するんだ。あたしも手伝わせてもらうよ。外の見張りぐらいならできるからさ」
 孫左衛門の身支度を手伝っていたコンモが、意表を突かれたような顔つきになった。
「豊の言う通りだな。こうして父さんも出陣するんだ、おれも手伝わせてもらうぜ。裏口を固めるぐらいのことはできるだろうよ」と、にわかに防具を着け始めた。
 弟の縫之進もそれに倣うように鉢巻きを結んだ。手製の羽織に腕を通しながら、「義勇隊の制服は自信作なんだ。藍甕で三回染めたこの青が実にいいだろう」などと自賛している。
 正道が一同を見回すと、蔵の中の空気が、ぴんと張り詰めた。
 三千太郎、常盤之助、勝壽、平右衛門、総三郎、孫左衛門、それに豊と茂三郎、縫之進が加わった。いずれも幼少から剣に親しんできた猛者ぞろいである。
「行くぞ」
 夜陰に紛れて裏口から出ると、驚いたことに、朝三郎が後ろから付いてきた。町火消の刺子頭巾で顔を隠し、木更津南町を示す「南」の一字が背に入った刺子半纏に帯を締め、股引をはいている。
 孫左衛門はしばし感心したようにその恰好を眺めると、
「討ち入りに火事装束とは、なるほど忠臣蔵にならったか。それにしても朝、いったいどういう風の吹き回しだ」とからかうように目元をのぞき込んだが、朝三郎は何も答えず、黙って皆の後ろについて来た。
 家族が剣戟の場に赴くと知り、居ても立っても居られなくなったのだろうか。興奮のあまり頭巾の奥で歯の根が合わないほどがちがち震えており、すでにワキガめいた臭いの汗をびっしょりかいている。血を見たら気絶するかもしれないが、身内が闘う姿をこの目で見たかったのかもしれない。
 コンモが龕灯の薄明りで足元を照らしつつ先頭を歩いた。
 頭上の月は雲に隠れたままであり、草履が往来の砂利を踏む音だけが黙々と響いている。突然、
 ぷう。
 と平右衛門が放屁した。皆、声を押し殺して笑った。
 奈良輪村に着くまでの間、誰かが思い出したように笑い出すと、皆がつられて笑い出し、少し沈黙が続くと、また誰かが笑い出す始末だった。

第十章  白刃の間

 奈良輪村は房総往還の継立場で、その中心部に縦幅およそ二百七十間(四八六メートル)ほどの宿場がある。村内の家数は八十余軒と小規模で、馬四疋人足四人を常置して貨客を逓送していた。路の両側に間口が狭く奥行きの深い屋敷が整然と連なり、区画や道筋に沿って幅六尺あまりの溝が流れている。この掘割は街道以外からの旅人の侵入を防ぐため、あるいは防火や伝馬の給水、灌漑用水としても使われていた。村の東側に丘陵が迫り、西は海の方まで一面の田地、村人の半数は農耕に従事している。
 宿端の木戸を開けて迎えたのは、寄場名主の六右衛門である。賊の領袖は旅籠「釜屋」を根城にしているという。村の総代である六右衛門は世事に長けた恰幅のいい男であるが、今宵は恐怖のためか頬が引きつり、おびえた子供のように下唇が小刻みに震えている。その様子を見て、かすかな胸騒ぎを覚えた総三郎が、わしが先陣つかまつろうと言い出した。が、そこは正道も譲れないところであり、
「総長が真っ先に斬り込まないでは示しがつかぬ」
と後へ引かなかった。
 しばし小声で言い争う二人の間に立ったのは孫左衛門で、
「この場合、メンツよりも鎖襦袢を着たわしらが先に入るほうが無難」との意見はもっともであり、年長者二人が最初に釜屋へ踏み込むことになった。
 建物の背後は丘陵であるから、人の出入りは表側にかぎられる。包囲しやすい立地といえる。
 釜屋の主人が中からそっと戸を開き、総三郎らを招き入れた。正道は店先でいちど振り返り、
「もし店外へ逃亡する賊がおったら、切り捨ててかまわん」とコンモに向かって言った。
 そんなやり取りを、聞いているのだかいないのだか、後ろの方でぼんやりと眺めている朝三郎のことが、三千太郎は気が気でならなかった。
「豊姉ェ、兄さんのこと、よろしくたのんだぜ。あんかあったら、すぐこの場から逃げてくれ」
 と聞き取りづらいほどの小声で言ったのは、朝三郎の自尊心をおもんぱかってのことだ。豊もそのあたりのことはよく心得ていて、
「わかってる。心配ないよ」
 三千太郎の耳元でささやいた。
 釜屋の手代によると、染谷らは宿場の飯盛女をすべて集めて遊興にふけり、今は二階で大いびきをかいているらしい。保木多助以下、取り巻きも複数いるという。
 一同はいったんミセの間に上がり、正道が手配りを定めた。二階強襲の先鋒は総三郎と孫左衛門。自分と三千太郎は二番手。階段は勝壽、一階が常盤之助、平右衛門が大戸の前に立つ。
 旅籠一階部の通路は土間と兼用になっており、竈が複数設けられている。雨戸は閉め切られ、部屋も襖で細かく仕切られている。当然、柱も鴨居も多い。正道が声を落として皆を見回した。
「見ての通り、かなり狭い。慎重にやんべえ」
 音が響かないように鯉口を切り、静かに刀身を抜き出す。
 三千太郎は、巾着袋から豆を一粒取り出して口に入れた。心の中でいちど、なをの名を呼んだ。
「明りを灯すわけにもいかねえしな」と苦々しくつぶやいた平右衛門のこめかみが筋立ち、汗ばんでいる。
 互いの顔もよく見えぬ暗がりの中で、けいけいたる眼光を放っているのは常盤之助であった。
「もう、後の先とか、流儀にこだわっちゃ駄目だ。この狭さで斬り合うとなると、突きか、切落しか、地摺りの小技ぐらいしか使えない。一撃必殺でなけりゃあ、こっちが殺られる」
 総三郎を先頭に、まずは四人が階段を上った。梯子段がぎしぎし音を立てる。二階の細廊下も一足ごとにきしんだ。奥行き十二間の最奥部に染谷がいる。左右の客間から聞こえる高いびきは、酔いつぶれた子分どもであろう。総三郎は立ち止まると、一呼吸置いて、そっと襖に手をかけた。

 夜気の匂いに交じって、煙草の煙が流れている。縫之進が愛用の銀のキセルに火を着けたところである。それを見てコンモが笑い出した。
「おまえ、あんなに慌ただしい出発だったのに、煙草入れを忘れんとは抜かりねえな。おれにも吸わせろ」
 ひょいと取り上げると、筆を持つような手つきで吸い口をくわえた。美味そうに白い煙を細く吐きながら、釜屋二階の出格子を見上げた。
「老いたる父が鉢金かぶり、討ち入ったるは群盗の巣窟。若いおれらが見張り番たあ、面目ねえとはこのことだ」と落語の噺家のような調子で言った。
「おれも兄きも、剣よりも家業を選んだんだ。あの歳で二足の草鞋を履いてる親父がすごすぎるんだよ」
「まあな。島屋の孫左衛門といやあ、未だに今弁慶で通ってるぐらいだからな」
 と、もう一服吸い込んだとき、宵闇の中に、異変を感じた。

 豊は通りの建看板を眺めながらぶらぶらしている。
「平さんの屁、臭かったねえ」
 などと思い出したように笑い出したが、朝三郎はすでにその話題は飽きたようであり、彼なりに周囲を警戒している様子であった。
「朝ちゃんが自分からこんな物騒なところに来るなんて、意外だよねえ」
 と話しかけても何の反応も返ってこないが、豊はかまわず話し続ける。
「意外といえば、あたしもね、なんていうかなあ、どうでもいいんだけど、さっぺいの、福田の八っつぁんのことがさあ……」とそこまで言いかけたとき、宵闇の中に、異変を感じた。

 軒を並べた町屋の大戸が、一斉にガタガタと音を立てて開いた。酒屋、茶屋、菓子屋など、表を閉ざしていたはずのあらゆる店先から、抜き身をひっさげた人相の悪い連中が、わらわらと街道へ出てきた。
 ぽかんと開いたコンモの口から、吸いかけの煙がくゆる。
 縫之進はキセルを取り上げると、一口大きく吸い込んで、ポンッと雁首を叩いた。「こいつあいけねえや……」
 豊は刀に手をかけると、
「朝ちゃん、あたしから離れるんじゃないよ」つま先で土を踏んだ。

 襖をそっと開くと、総三郎は何やらただならぬ殺気を感じ、暗闇にじっと目を凝らした。奥の方でチッチッと火花が散り、燭が灯され視界が一気に明るくなる。床几に腰かけた漢が、目の前にいた。
 染谷である。
 蜘蛛柄の小袖から、赤い褌をのぞかせている。
 それを囲むように保木多助以下、腕っこきの子分どもが一尺八寸を越える法定外の長脇差を手に提げて立っていた。
 染谷は左脚を右膝の上に載せ、ややかがみ込むようにして総三郎らを見据えた。
「島屋さんよう。飛んで火にいる夏の虫たあ、このことだ。おめさんがた烏合の衆よりも、おれらの方が隠密接敵において勝っておったということよ。覚悟しな。この宿場から生きちゃあ出られねえぜ」
 三千太郎は顔色を失うと、後ずさりし、一気に階段を駆け下りた。
 一瞬、そちらへ目を向けた総三郎の真っ向めがけて、若い子分が一刀両断とばかりに打ち込んできた。総三郎は剣先が触れるほどの間合いでこれをかわすと、下段から風を起こして斬り上げる。びしゃっと血しぶきが天井まで飛び散った。これを合図としたかのように、襖のかげに潜んでいた連中が一斉に姿を現す。十人、二十人ではすまない数だった。
 平右衛門は駆け去る三千太郎に肩をぶつけられて転倒しかけると、「暗くてなんも見えねえ」怒鳴って傍らの雨戸を蹴倒した。土間を突き進んで次々と蹴倒す。そのたびにわずかずつ明るくなる視界のあちこちに剣光がちらつき、白刃を振りかざした連中が躊躇せず斬り込んでくる。平右衛門が鍔元で刀身を受け止めると、一瞬相手の面相が見えるほど、刃こぼれの火花が明るく散った。
 孫左衛門は不二心流柔術の使い手でもあり、群がる連中に拳で、肘で、骨が砕けんばかりの当身をくらわす。蹴り飛ばされた賊は襖をぶち破って悶絶した。総三郎は鉢金と鎖籠手を最大に活かして接戦し、火を噴くような突きで賊の胴を串刺しにする。奥座敷へ踏み込んだ正道は刀身を右八双にかかえて染谷に迫ったが、子分どもが盾になって拒んだ。一人斬り倒しても、また誰かが盾に加わる。
 敵の数はむしろ階下の方が多かった。逃げ道をふさぐつもりなのだ。常盤之助は手代の胸ぐらを掴んで揺さぶった。「おまえが賊の手引きをしたのか!」
 手代は取り乱したように拝みながら、ゆるしてください、脅されたのです、と涙声で訴えた。この男だけではない。宿場中が賊の片棒を担がされている。
「どこかへ隠れていろ」
 部屋の隅へ手代を突き飛ばした次の瞬間、猛然と斬りつけてきた賊を横なぐりの太刀で斬り払い、のめった体に剣先を突き立てた。
 階下の方が手薄と感じた勝壽は、だだだと階段を踏み降り、出会いがしらの賊を一刀のもとに斬り倒した。三尺幅の廊下から繋ぎの間へ飛び込むと、ばったり対峙した賊を面上から斬りおろす。顔を割られた相手は「ぐわっ」と奇妙な声をあげて仰向けにぶっ倒れた。
 切り結ぶ刃が火花を散らせ、血が壁に飛び散り、殺気立った怒声が方々で飛び交う。賊の三下奴は刃物の扱いになれていないばかりか、室内戦闘の経験もないため、多勢とはいえ義勇隊に押されぎみであった。長脇差を振りかぶれば鴨居に突き当たり、横に薙げば壁や柱にぶち当たる。この隙をとらえて正道たちは片っ端から賊を斬り捨てた。平右衛門などは障子の桟ごと撫で斬りにしている。
 三千太郎は潜り戸から街路へ飛び出すと、
「兄さん!」声を上げて視線を周囲に走らせた。
 すでに旅籠は賊に取り囲まれており、雲間からもれる月光の下でコンモと縫之進が防戦している。二人とも溝を背にして峰打ちで斬り伏せていたが、賊の数があまりにも多く、コンモが髷を振り乱して悲痛な声を上げた。
「これ以上、背刀打ちは無理だ。刀が折れちまうぜ」
 意を決したように二人は刀を構え直した。その瞬間、縫之進は目の前の賊を右袈裟一刀で斬り倒し、コンモも踏み込んできた相手の右手首を斬り飛ばした。

 豊は朝三郎をせかしながら宿場の西側へ向かっている。田地へ逃げ込みたかったのだが、六尺幅(約二メートル)の用水堀にかかっているはずの板橋がはずされている。
「朝ちゃん、ここ、飛び越えられる?」
 朝三郎は溝をのぞき込み、前方へ顔を向けた。大人なら一足で飛び越えられる幅だろう。
 背後から賊の声が迫りつつある。豊は声を励まして言った。
「朝ちゃん、飛び越えて」
 助走をつけようと後ろへ下がった朝三郎は、溝際まで走ったものの、踏み込む直前にためらってしまう。何度かそれを繰り返すうち、その場にへたり込んでしまった。肩が大きく上下し、過呼吸の発作を起こしたらしい。豊は屈み込んで朝三郎の刺子頭巾をはずすと、子供をなだめるように抱き寄せて背中をさすった。そうしているうちにも、二人は賊に囲まれている。
「おい、めちゃくちゃいい女がいるぜ。親分に差し出す前に、おれらが先に味見すべえよ」などと、これみよがしの大声だ。
 朝三郎の面相を遠目に見て、
「うわ、なんか化け物みたいなのがいるぜ」
「あれも生け捕りにして見世物小屋に売っちまうべえ」とせせら笑うのだった。
 豊は立ち上がると、袴をつまみあげ、股立ちをとった。
「朝ちゃん、そこを動いちゃだめだよ」
 賊の一人が声を上げる。「おらあ気ぃつえー女をみると興奮するんよ。ここで犯しちまおうぜ」
 薄ら笑いを浮かべながら無造作に近寄ってきた。
 豊が大きく腰をひねって刀を抜くと、鞘から走り出た刀身が弧を描いて賊の胴を払った。一瞬のことで、相手は何が起きたのかわからず、生暖かく濡れた辺りに手を当てると、腹から腸がはみ出ていた。豊は血脂の滴る太刀を大上段に構えると、真っ向からたたき斬った。

 二階の雨戸が跳ね飛び、血しぶきとともに男が中庭へ落ちてきた。孫左衛門は邪魔な人数を減らすために、賊を片っ端から外へ放り出している。総三郎も敵の襟首を掴んで中階段の手すりから突き落とした。
 正道は返り血に染まった顔をぬぐいながら染谷に迫る。
「染谷勘八郎、神妙にしやがれ」
「なかなかやるじゃねえか義勇隊。てめえら血に飢えた獣みてぇだぜ」
 染谷は子分どもをけしかけながら、茶化すように声を上げた。
 刃がぶつかり合う金属音、器物の割れる音、障子を踏み倒す音、旅籠全体が揺れている。勝壽は往来へ飛び出すと、火の見梯子まで一目散に駆けた。コンモと縫之進が店先に立ちふさがり、中へ入ろうとする新手の賊と激しく斬り結んでいる。瀕死の者、すでに死んでいる者、のたうち回って呻いている者を飛び越え、辻広場の梯子に取りついた勝壽は、てっぺんにぶら下がる半鐘を力いっぱい乱打した。木更津に向けて異変を知らせたのである。
 三千太郎は何度も大声を上げた。
「兄さん、豊姉ええ」
 西の路地の方から返す声が聞こえた。「ミチタ、こっち!」
 宿場はずれの細いわき道に、賊がひしめくように群れている。数人が振り向きざま、三千太郎の行く手をふさぐように迫って来る。「どけ!」と叫んで一刀をあびせた。鎖骨を断った感触が掌に伝わった瞬間、ついに殺ってしまった、という戸惑いがなかったといえば嘘になる。が、もはや引き返せない一線を越えたとき、理性のくびきから四肢の動作が解放され、あたかも剣舞でも舞うように左右の属性を斬り払っていた。躊躇なく群れの真っ只中へ突っ込んでゆき、斬り下ろしては逆袈裟に跳ね上げ、血煙をあげて次々と斬り倒す。
 豊は溝際まで追い詰められており、足元に朝三郎がうずくまっているのが見えている。無数の刃こぼれが残った太刀を打ち捨てると、三千太郎は腰元から鎖鎌を引き抜いた。
 鎌の柄を右手に構え、七尺の鎖分銅を左手で回す。勢いが増すにつれ鎖も分銅も見えなくなり、風を切る音だけが鋭く聞こえる。次の瞬間、放擲された分銅が賊の額に打ち当たり、鮮血を跳ね上げて尻もちをついた。恐れを知らぬ連中はそれでも死体を踏み越えて殺到してくる。三千太郎は敵の太刀に鎖を巻きつけ、ぐいと引き寄せて小手を斬る。首に搦め、あるいは足に巻き付けて引き倒し、崩れた体を力いっぱい鎌刃で掻き斬った。

「親分、こりゃあ旗色が悪くなってきやしたぜ」と、一の子分の保木多助にしては、めずらしく弱気なことを口走った。
 ケッ、と染谷は鼻で笑い飛ばし、サーベル拵の刀を引き抜く。手首を返して刀身をくるりと回し、間合いを詰めてくる正道に刺突を見舞った。
 柄に護拳がついていることで片手の操刀とならざるを得ないサーベル拵の剣筋を、正道は見抜いている。鋭い刃音を響かせて撃ち込みを払った。
「おまえら侠客は、強を誇り奇をてらう。そのような太刀を使っておるから、墓穴を掘るのだ」
 剣尖で圧迫するように正道は大きく踏み込んだ。染谷は太刀を振りかざしざま敏捷に飛び下がり、座敷の壁に背中をぶち当てた。
「天下第一の不二心流が、おまえらごとき雑流に敗れるわけがなかろう!」
 あっさりと、染谷は刀を放り出した。そして、眼前の正道を無視するかのように、その背後に向かって大声を上げた。
「おい、島屋総三郎」
 総三郎は、虚を突かれたように振り返った。
「てめえ、世直しを気取りやがって、高歩の金を貸す欲ぶけえ連中とふところ肥やしてんだろう。おれの手下は、てめえらのせいで村を追われた連中だ。この悪徳商人め」
 多分に誤解があるにせよ、総三郎は、染谷の言わんとしていることをすぐに察した。
 元来、物々交換を原則としてきた農村は、商人の勃興による貨幣経済の侵食により、一部の富農のみが肥え太り、大多数が小作へ転落、貧農から離村へ至る者があとを絶たない。これらおびただしい貧困層が、路頭に迷って反社会集団へ身を投じざるを得ないという現実は、この当時の深刻な社会問題でもあった。それを充分認識していたからこそ、総三郎は富を再分配するために神徳講を結成したのである。
 正道は、聞く耳持たぬといった形相で染谷の鳩尾を突きかけたが、総三郎が慌てて後ろから羽交い絞めにした。
「正道、命ばかりは勘弁してやれ」
「兄き、血迷ったか」
「この襲撃はとうに諜知されておったのだ。わしらの負けじゃろう」
 このやり取りを見て、染谷は開き直ったように大笑いした。
「おれあ命なんぞ惜しかねえよ。煮るなり焼くなり、好きにしな」
「こいつ!」と太刀を振り上げた正道を力ずくで押さえて、総三郎は怒鳴るように言った。
「聞け染谷、おまえだけではない、子分どももお咎めなしとしよう。そのかわり、縄張り中の手下を集めて義軍に加われ。その命、もっと大きな義のために捨てよ」
「はあ?」と染谷はせせら笑ったが、孫左衛門に押さえつけられていた保木多助が、
「親分、悪くねえ取引きかもしれねえぜ。おれも天領の出だからよ、薩長に膝を屈するなんざあ我慢ならねえし、それなりの肩書きもらってよ、いっちょう暴れてやろうじゃねえか」と、その言い草はまんざら一時逃れでもなさそうであった。
 死に急ぐのも面倒臭いと思ったものか、染谷はその場にどかりと座り込んで、
「酒もってこいや」くさくさした調子で言った。
 正道は顔を真っ赤にして刀を畳に突き立てた。
「調子に乗るな、何が酒だ」
「てめえらと盃を交わすんだよ、そんなこともわからねえのか」
 染谷も畳を叩いて怒鳴り返した。

 鎖分銅を放つたび、敵は仰向けにぶっ倒れるか、膝をついて崩れ落ちる。三千太郎は七尺四方に群がる連中を竜巻のごとく蹴散らかすと、豊に群がる兇賊に当身をくらわし、鎌柄で脳天を打ち据え、襟首を引っ掴んで頭から用水堀へ投げ込んだ。ざっと大きなしぶきが溝端の土を濡らす。水を掻きながらなおも悪態をついている賊に向かって、豊は唾を吐きかけた。
 遠くで呼子笛の音がする。急を聞いた地曳新一郎が義勇隊士を数十人引き連れ、海づたいに押送船で乗り付けたのだ。請西藩の下屋敷からも、追捕の兵が馬を駆って来援した。算を乱して逃げまわる三下どもが、あちこちで取り押さえられている。
 三千太郎は溝端に膝を付くと、へたり込んだ豊の肩に手を置いた。そして、地べたにうずくまったままでいる朝三郎の、ぜいぜいという喉鳴りを聞いて、すぐに背中をさすった。
「もう、心配ありません。賊は、みんな倒しました」
 大丈夫。そう何度もささやきながら背中をさすっていると、徐々に呼吸が整ってくる。
 三千太郎は感極まって、
「無事でなによりです」朝三郎の小柄な体を抱きしめた。
 突然、朝三郎は子供のように激しく泣き出し、触るなとばかりに三千太郎の腕を払いのけた。額に青筋を浮き上がらせ、しゃくりあげながら立ち上がると、おぼつかない足取りでその場から立ち去ってしまった。
 三千太郎の額に、汗ばんだ総髪のほつれ毛が幾筋か垂れている。それをかき上げることさえ忘れたように、茫然と、朝三郎の後ろ姿を見つめていた。涼気を含んだ風が、乱れた髪をかすかに揺らした。
 東の空が白み始めている。
 互いの体を支え合いながら、三千太郎と豊は立ち上がった。そして、疲労困憊した足を引きずるように、ゆっくりと歩き出した。
 辻で馬首を左右に引き向けている騎馬武者がいる。落ち着きなく手綱を操り、辺りへ目を凝らしていた。
「豊さん!」
 その甲高い声は、福田八郎右衛門に違いなかった。ばっと馬から飛び降りると、手にした鞭を放り出して豊のもとへ駆け寄り、顔や手をまじまじと眺めた。そして体中のどこにも傷一つ負っていないことがわかると、蒼白した太りぎみの顔に、かすかな赤みがさした。
「安堵した」
 福田の双ぼうに、武士らしからぬ、涙がにじんだ。
「八っつぁん」男のくせに……、と言いかけた豊は、ふと涙がこみ上げて、自分でもわからぬうちに、福田の背中に腕をまわしていた。

 路上に転がっている賊の屍を、地曳新一郎は寄棒で突いた。
「ついに殺ったか……」
 そうつぶやいて、石榴のように割られた生々しい創傷に見入った。
 縫之進は放心したように膝を立てて座り込み、手や顔についた血痕を拭き取ると、キセルをくわえて火を着けた。火皿を赤く光らせて大きく煙を吸い込む。
「どんな気分だ」
 新一郎は、それが知りたい。
 泰平が続いた江戸時代、刀は人々が日々目にする装具であったが、それを使って実際に人を斬った者は多くない。高名な剣士であっても竹刀稽古までなのだ。武家諸法度で武芸者同士の真剣勝負が禁じられていたからである。
 乱世はついに、実戦の機会を島屋門に与えた。いつかは自分も殺るだろう、そんなヨタ話のような予感が、新一郎の胸に現実味をおびて迫ってくる。
 縫之進は、ジッと目を凝らして刻み煙草を丸めた。
「もう、普通の生活には戻れそうにねえな。手の震えがとまらねえや」
 コンモも押し黙ったまま、歴々と刃こぼれが残る刀身をぼんやりと眺めていた。

 豊は福田と寄り添うように歩いていたが、総三郎が血相を変えて前から駆けて来たので、さっと間隔を空けた。つくづく、うっとうしい親父だと思う。
「福田様、どうかお聞きとどけ願いたし」と、総三郎は膝を付いて染谷一党の助命を請うた。さらには、あれらの者を撒兵隊の一翼に加うるべし、とまで言う。
 これまで、意固地なほど遊侠の徒の採用を拒んできた精鋭部隊であるだけに、福田は返答に窮した。が、福田と共に駆け付けた砲兵隊の間宮鉄太郎が、それは妙案とばかりに総三郎の提案を支持したのである。思うように進展しない房総割拠の打開策として、広大な縄張りをもつ染谷を取り込むことの利を説いたのだった。ここに至って福田は、傭兵の採用を決心し、
「それでは間宮殿、おぬしを歩兵頭に任ずる。傭格歩卒を指揮せよ」とその場で昇級までさせたのは、少なからぬ期待のあらわれかもしれなかった。
 間宮は内心、うわっ、余計なことを言わなければよかった、と後悔した。傭兵の隊長など、恐ろしく難儀な役回りであろう。
 分割支配地である奈良輪村の法が不明瞭だったのもあり、ひとまず請西藩兵が、捕縛した賊を四方ヶ原の獄舎へ連行することになった。
 総三郎は、脱臼したとおぼしき保木多助の肩をとり、骨接ぎの手当をしている。一瞬呻いて顔を歪ませたが、多助はすぐに安堵のため息をついた。
「すげえな。あんたこんなこともできるのか」
 総三郎は、噛んで含めるように言った。
「よいか多助、すぐに釈放してやるから、染谷をうまく導いてくれよ。任侠渡世から足を洗い、義士となる良い機会ぞ」
「壷伏せも嫌いじゃねえがな」
 肩をさすりつつ、多助は苦笑いしてみせた。
 
 孫左衛門は問屋馬から馬を一駄借り受けると、朝三郎の名を呼んだ。「疲れたじゃろう、乗ってゆけ」
 魂が抜けたようにぼんやりと突っ立ったままの朝三郎を、孫左衛門がひょいと担ぎ上げて鞍に座らせた。これを見てようやく、縫之進の顔に笑顔が浮かんだ。
「朝兄ィを軽々と持ち上げるだけの体力が、まだ残ってたんだ」
 コンモも呆れたように首を傾げた。「俺たち、まだまだ親父を越えられねえな」

 勝壽が神妙な面持ちで、溝端に向かって手を合わせている。
「この水をあめのおしはのながいの清水とさきわひたまへ」祓言を唱えると、脱衣して溝の流れに水音高く飛び込んだ。
「ミチタ、おもえも入れよ。血の穢れを祓おう」
「まだ水が冷たいだろう」
 三千太郎がたすきをほどいていると、後から正道たちがやって来て、褌一つになって用水堀に飛び込んだ。
 平右衛門は顔にばしゃばしゃ水をかけながら、
「いいもんじゃねえな。人を斬るってのは」渋面を作って頭から潜ってしまった。

「豊さん、疲れたでしょう」
 福田は、自分が乗ってきた鹿毛の馬を指し示した。「あれにお乗りくだされ」
「そんな、お偉いさんの馬になんか乗れる身分じゃないよ」
「ならば下知をくだしましょう。遠慮めさるな」
 それじゃあ仕方ないな、とばかりにツンとすました顔で、豊はあぶみに足をかけ、ひらりと鞍をまたいだ。
 捕縛された染谷一党と請西藩兵を先頭に、義勇隊も列を組んで奈良輪の宿場を後にした。大勢の住人が、南の木戸へ詰めかけて見送った。
「豊さんのお名は、豊葦原中津国(日本国の美称)から、とられたものですかな」
 あはは。と前のめりになって豊は笑った。
「そんな大げさなもんじゃないよ。おばあちゃんの名前をもらったんだ」
 馬の口を取っている福田は、馬上を振り仰いで笑い返した。
「とても、良い名ですな」
 少し先のほうに小櫃川の流れが見えている。今朝は冬がぶり返したように肌寒く、朝日を照り返す川面に、薄っすらと白い霧が這っていた。

 久留里藩三万石の居城を占拠すべく進発した撒兵第四大隊と砲兵隊は、城下の寺院に本陣を置き、戸田嘉十郎大隊長自らが使者に立った。照準を合わせた四斤山砲六門を城外に据え並べたうえで交渉に臨む。
「徳川義軍府よりの開城勧告状である」
 書状を受け取った郡奉行の二人は、膝を正してうやうやしく平伏した。大方の予想はついていたが、その内容は手厳しいものであった。

〈久留里城主黒田公、足下、祖先以来莫大なる恩禄を賜り、徳川衰運の時にいたり、朝命とは申しながら主家を捨てて王臣となり、一図に領封保有の策を計り候段……〉

 との糾弾は、いささか性急に過ぎるであろう。久留里藩首脳部は四囲の情勢を注意深く探りつつ、未だ進退を決めかねている最中であった。両奉行はこめかみに汗をにじませ、神妙にその旨を述べた。
「主君ともよくよく相談のうえ、ご返答つかまつる。何卒、いましばらく、ご回答を猶予されたし」
 そんな流暢なことを言っている段階は、とうに過ぎている。これが義軍府側の本音であった。新政府軍が房総半島へ乗り込んで来るのは時間の問題なのである。
 戸田は、じれったいとばかりに声を荒げた。
「もし敵方につくなら明日を待たずして一戦に及ぶべし。我らにつくなら兵を城中へ引き入れ、御領分の水帳ことごとく相渡しあるべし」
 両奉行は額を擦り付けるように平伏し、ともかく糧食百五十俵を差し出すことでその場をしのぎ、返答まで十日間の猶予を得た。

 この数日前、榎本艦隊の小型艦艇で富津に上陸した遊撃隊の一行も、前橋藩上総分領の富津陣屋を囲んでいた。交渉の内容は以下に同じく、徳川につくか、新政府につくか、二者択一を迫るものであった。
 伊庭八郎の盟友である人見勝太郎という青年は、京都育ちの旗本で、十九歳で十四代将軍の御前講義を任され、撃剣上覧にも加わったほどの文武両道の士である。眼光するどく、鳥羽伏見で実戦も経験している。この血気盛んな若者を迎えて渉外に当たったのは、地元の学者として名高い織本東岳であった。
 前橋藩の本領は上野国群馬郡にあり、富津は飛び地である。この江戸前に突き出た細長い岬は湾岸防備の最前線基地で、強固な陣屋と台場が築かれている。房総半島で新政府軍と一戦交えるつもりの人見は、陣屋の明け渡しを要求した。それに対する東岳の返答は、しごくあっさりしたものだった。
「ここは上総の中心から離れ過ぎております。大軍を動かす要害の地とはならぬでしょう」
 絵地図を示され掻き口説かれてみれば、なるほど東岳の言う通りかもしれなかった。ここはひとまず地勢をよく知る有識者の助言を信用すべき、と人見は即断する。後になって考えてみれば、富津に兵火が及ぶのを恐れた東岳が、体よく遊撃隊を追い払っただけかもしれない。人見は木更津にいる伊庭八郎と合流すべく、隊伍を組んで房総往還を北上した。

 軍略のうえでは、「房総諸藩を糾合し」などと簡単に豪語することもできようが、それぞれの藩が死活にかかわる政治的判断を迫られているこの現状では、たやすく連衡を実現できようはずもなく、徳川義軍府の足元が、早速おぼつかなげに揺れ始めている。
 あまつさえ、先の見通しが立たなくなりかけているこの時期に、四方ヶ原に収監されている遊侠の徒を釈放すべく、間宮鉄太郎が真武根陣屋に手続きに来たとの報告を受け、盟約したばかりの林忠崇は失望を禁じ得なかった。
「徳川義軍府などと大仰な旗を掲げたわりには、傘下に参ずる藩もなく、民心を安んずることもできず、総房三州はおろか、上総一国においてさえ何ら実質的な勢力とは成り得ておらぬ。あげくに無頼の輩を同心させるとあっては、瓦解をみるのもそう遠くないことのように思える」
 側近の伊能矢柄も同意見であった。しかし、だからといって、請西藩一万石の小勢力では何ら事を成し得ぬ、という冷静な認識も二人にはあった。
 まさか味方の請西公から酷評されているとは露とも知らず、間宮鉄太郎は四方ヶ原の獄舎へ向かった。司獄官は待ちわびたとばかりに門前で出迎え、間宮を上牢へ案内した。
「やつら、牢内に芸者まではべらせて、朝からどんちゃん騒ぎです。わしらの制止など、まったく聞く耳をもたぬ」と苦り切った様子であった。座敷太鼓の賑やかな響きと歌声が、割れんばかりに響いている。
 間宮が顔を出すと、酔いつぶれた子分どもが「一杯どうスか」などと馴れ馴れしく盃を突き出し、徳利を振ってみせた。
「たわけ」
 とあしらって、間宮は牢名主が座る一段高いところへ進んだ。そこにふんぞり返っている染谷の前に立ち、しばし無言で見下ろす。
 染谷は面倒臭そうに腰を上げ、下段へ座り直した。間宮は袴の裾をさっと内側に織り込んで、上段に端座した。
「これよりは、無法者の立ち振舞いではなく、武家の作法に従ってもらおう」と申し付けて、懐からうやうやしく辞令書を取り出した。
「染谷勘八郎、その方を撒兵差図役下役に、保木多助を嚮導役に任ずる。以下、配下の者どもは、傭格歩兵と致す。心して励むように」
 博徒、無頼漢どもが、一夜にして義軍府の歩兵となったわけである。間宮は一同の覚悟を促すように睨み据えた。
「不行跡の振舞いを致す者あらば、厳重に処置する。すなわち、即刻首を斬るゆえ、そのように心得よ」
 染谷は襟足を掻きながら片目を細めた。
「一宿一飯の恩義を忘れねえのがおれたちの世界よ。てなわけで、給金だけはちゃんと払っておくんな」
 面倒な連中を抱え込んでしまったものだと、間宮は内心辟易している。

 第五大隊長の真野鉉吉が部下を連れて義勇隊本陣にやって来たのは、奈良輪村騒動から数日を経てのことである。道場では防具を着けた隊士らが、実戦さながらの打合稽古に励んでおり、気合のこもったかけ声を盛んに発していた。
 対応に出たのは八劔勝秀宮司で、隊の兵務を取り仕切っている。真野はさっそく相談を持ちかけた。
「この辺りに鉄砲商はおらぬか」
 というのも、慶応二年に幕府が大量に海外から買い付けた小銃に不備が多く、出陣前に手入れ、もしくは修理を施したかったからだ。
 それならば、と勝秀は勝壽を呼んだ。神職の装束で現れた女性のような面立ちの青年を前にして、真野が怪訝そうな表情をしたのも無理はない。勝秀は自信ありげに言った。
「この子、いささか和銃を心得ておりまする」
 意外の感はあったが、話してみると、確かに銃にくわしい。彼の愛用の火縄銃は新品と見まがうほど手入れが行き届いており、火薬入ばかりか玉造の諸道具まで取り揃えてある。銃床に頬付けする姿勢も美しく、真野は率直に興をそそられた。
「勝壽殿、ひとつ、腕前をご披露願いたい」
 海辺の松林の中に、勝壽自前の練習場がある。そこに突き立てられた一寸八分角の的を、立放しに構えて二十間(約三十六メートル)先から命中させた。普段は名門然として慎み深い真野が、思わず手を叩いて歓声を上げた。
「お見事。新式銃でも当てるのが難しい距離じゃ」
「おれなんぞ、たいしたことありません。小糸へ行けば、日ノ本一のひなうち名人がいます。それと、鉄砲商なら久留里に小川という店がある」
「その名人、どこの家中の者か」
「猟師ですよ」
 ほう。と真野は感心したようにうなずいた。
 洋式銃の弾は椎の実型をしており、銃身内で回転が加わるように作られている。これと比べて火縄銃の弾は丸くて回転しないため、空気抵抗や重力の影響を受けやすいぶん、命中率が低くなる。しかし、その和銃をもって二十間先の小さな的を狙えるとは、外国の軍事顧問団でさえおよびもつかない技術である。火薬の原料となる硝石がとぼしい日本において、いかに一発で獲物をしとめるかという難題と向き合ってきた、猟師特有の技かもしれない。
「一度そのお方を招来して、銃術調練をいたしたく存ずる。如何であろうか」
 うーんと勝壽は首を傾げた。
「謝礼をはずめば、来ないこともないかもしれません」
「秘伝を教授してくだされるのであれば、心付けをはずんでもよい」
 勝壽は内心、七右衛門先生のひなうちに秘伝なんてあったろうか、と心もとない気がした。

 江原素六が寄宿している「米傳」の二階に、しばしば同じ顔触れが集まる。ここは秘密の談合をするにはうってつけの場所で、昼間は始終唐臼を踏む音が響いているから、辺りにはばかることなく話をすることができた。目下の急務は船橋に陣取る第二大隊をどうやって撤収させるかであったが、堀岩五郎という男はとにかく強情な主戦論者であり、何度使者を送っても頑として首を縦に振らない。船橋宿が義軍府の生命線だと主張して一歩もゆずらないのである。
 幸いというべきか、新政府軍は船橋の動向を放置している。それがなぜなのか、くわしい理由は把握できていない。実はこのとき、国府台から進発した大鳥軍や松平兵庫頭率いる貫義隊などが下野国(栃木県)で戦闘状態に突入し、江戸の先鋒総督府はその対応に追われ、南関東にまで手が回らない状況だったのだ。義軍府の首脳部からすると、不思議な沈黙が続いていたのである。
 房総往還を踏査した輜重隊の梶塚成志は、現状打開の大胆な策を打ち出した。
「いっそ、第二大隊ごと下総を放棄するのも賢明かと。我らは養老川の南に籠って動かず、江戸を伺う姿勢だけみせておればよいのです。新政府軍が東北諸藩の攻略に全兵力を投入できない状況を作り出せば充分でしょう」
 大方はこの考えに賛成であった。しかし素六は、後々のことを考えると、第二大隊を切り捨てることはできないと思っている。撒兵隊は農民や無宿者をかき集めた伝習隊とは違い、旗本子弟からなる正規軍だと知られている。それが天朝に逆らったとなると、新生徳川家の支障にしかならないからだ。大隊長の首根っこを引っ掴んででも、第二大隊を撤収させなければならない。
「堀の更迭もあり得よう」
 いやいや。と第三大隊長の増田直八郎は苦笑いを浮かべた。
「それは無理ですよ。そんなことをしたら堀さん、腹を切りますから。腹心の福田総督とて絶対にゆるすまい」
 と、議論は平行線をたどる。しばし黙考していた梶塚が、はっと顔を振り上げた。
「ならばこれはどうです。堀大隊は江戸脱走以来、ずっと臨戦態勢のままです。いったん兵に休息を取らせるという名目で後方へ下がらせ、別の大隊と持ち場を交代させる」
 素六と増田は顔を見合わせた。妥当な策であろう。
「早速わしが第一大隊を率いて船橋へ参ろう。第二大隊を撤収させた後、下総は放棄する」
 扇子の要を突き立てて、増田が絵地図の上をなぞってみせた。市原郡の中央をくねくねと蛇行する太い線が養老川である。
「この川筋を防御線として、房総半島の奥に籠っておれば、こちらから打って出ずとも我らは先鋒総督府の脅威となる。勝総裁の意にも適うというわけじゃ」

 この晩、海路から密かに木更津に入った幕臣がいる。
〈総房三州鎮静方〉阿部邦之助である。阿部は大胆にも、福田に直接非戦を説くべくやって来た。元撒兵、〈鎮静方手附〉成川禎三郎も同道している。
 二人は夜陰に紛れて「米傳」の裏木戸をくぐった。
「豪胆なお人だ」と、素六は半ばからかうように言った。「あなたにとってここは敵地でしょう。命の保証は致しかねます」
「明日にでも、福田殿と話しがしたい。一席設けてくれぬか」
 高禄の子弟にはロクなのがいないと揶揄されがちであるが、少なくとも、この阿部には当たらない。一見、商家の若旦那のような優男であるのに、肝っ玉の太さは勝総裁と似たところがある。
「すまぬが、何か食わせてくれ」
 成川と二人して、茶漬けを二杯掻き込んだ。

〈木更津の民、古来剣を好み、任侠の風ありて〉と『君津郡誌』に記されたこの土地に、〈すこぶるその術に練達し、名声大いに聞こえ、町民多くその教えを受く〉と特筆された一家がある。それが大河内家である。気性の荒い港湾都市で声望を得た一族であるから、雰囲気としては、清水次郎長一家にも通じるものがあっただろう。が、大河内の者には何やら抜きがたい品の良さがあり、それは家業である藍染が、海外から「ジャパンブルー」と称賛されるほど美しいことと無縁ではないかもしれない。あの独特な色彩が、そのまま家風であるかのような印象さえ覚える。少なくとも福田八郎右衛門の目には、そんな風に見えていた。
「まあね。あたしら藍甕で産湯を使ったぐらいだから」
 などと豊が真顔でそう言うから、福田は真に受けて目の玉を丸くした。
「うそうそ」
 豊は大笑いした。
「そりゃあウチは、染谷みたいな連中とは毛色が違うよ。もともと堅実な商人だもの、撃剣が好きというだけでね。だから、ほら」
 障子を開けると、こじんまりとした庭園がある。当主幸左衛門自らが造園したもので、小さな石灯籠や手水鉢もあり、飛石が並べられている。
「商家らしいでしょ。特別なお客さんが来たときは、この離れ座敷にお通しするんだ」
「かたじけない」
 と丁寧に頭を下げた福田の眼差しが、いつもより凛としている。
 九つ過ぎ、江原素六の案内で、阿部邦之助が島屋の大戸をくぐった。
 福田は陸軍の戎服姿で端座し、阿部が現れるまで、目を細めて庭園を眺めていた。
「お久しゅうござる」
 刀を右脇に置いて、阿部は対面に着座した。二人きりで話したいという申し入れに従い、福田も一人でいる。
 普段からあまり表情を崩さない阿部は、余計な口も利かない男であるが、このときばかりはあいさつ程度の雑談から切り出した。
「洋式歩兵の幹部は大抵、そのようなサーベル拵の太刀を帯刀されておられるが、使いづらくないのですか」
 福田は、自分の右脇に視線を向けて、ふっと鼻を鳴らした。
「フランス式伝習のなごりです。使いづらいですが、これをわしが抜くときは、敗北のときでしょう」
「福田殿、拙者はまわりくどい言い方はせぬ。撒兵隊を、動かさずにいてもらいたい」
「何故か」
「幕兵総野に散り、都下盗賊が横行し、商民は未だ恟々としておる。方今の形勢をかんがみるに、先鋒総督府の江戸進駐は失敗の観を呈しておる。もはや人心鎮撫の方策は、前将軍を江戸へ呼び戻す他なしと勝総裁が働きかけておる最中じゃ。大総督宮も、この提案に傾きつつあり、事がうまく運べば慶喜公の府内への帰還と、禄地の返還もあり得る」
「何故、寛典の処置を待たねばならぬのです。慶喜公と江戸を取り戻したいのであれば、正々堂々、戦えばよかろう」
「そのようなことを致せば、国を譲ってまで内戦を避け、謹慎しておる慶喜公の誠意が水の泡じゃ。それがわからぬおぬしではなかろう。たとえ徳川家が一大名へ降格されようとも、いずれはドイツ連邦におけるプロシアのごとく、最大軍事力を保有しておるこの徳川が、日本の盟主となるは必定。いまは臥薪嘗胆の故事にならうべきと存ずる」
「阿部殿、おぬしの申す日本は、誰のものか」
「と、申されると」
「誰の天下なのじゃ」
「天皇であろう」
「おぬしは、拙者に、朝臣になれと申しておるのか」
 豊がお茶を運んできた。
 福田は口元をほころばせて目礼したが、その眼光たるや、豊でさえ一瞬息を飲むほど、鋭く険しいものであった。
 一口茶をすすると、福田は午後の日差しに照らされた庭の木々へ視線を向けた。
「我ら幕臣は、百姓のように汗水を垂らさずとも、泰平三百年、禄を食んできたではないか。国に二君なし、忠臣は二君に事えず。大道義に反して、どうして朝臣になぞなれようか」
「そこを曲げてでも、一大名として存続する主家と、運命を共にすべきであろう」
「それがしは時代に迎合致さぬ。歴代君臣の義理を守り、眼前の敵と戦うのみ」
 重たいため息をついた阿部は、庭に視線をそらし、しばし遠い目をした。
「総房三州鎮静方という役目がら、房総諸藩の動向はすべて把握しております。請西の他、同調する藩もなく、天の気、地の勢、いずれも義軍府に味方しておるとは思われぬ。無謀な戦なぞして、あたら命を無駄になさるな」
「ここで使わぬ命なら、我らは代々何をしてきたのか。下民の膏血をすすり、不耕不織、ただ惰眠を貪っておっただけではないか。主家のために忠をいたすことが無稽であるなら、そもそも武士とは何ぞや」
 座敷の縁側に突っ立ったまま、豊は耳をそばだてている。いつもは温和な八っつぁんの物言いの厳しさに、今まで知らなかった一面を見たような気がする。難しい話はわからないが、八っつぁんの言い分の方が筋が通っているように思うのは、やはり身びいきもあるだろうか。などと思いめぐらせている自分が、いかにも女めいていて、少しばかり、自己嫌悪をおぼえてしまう。
「福田殿、お手前はフランス語に堪能で、泰西の学問にも広く通じておられる。その見識は万国交際のこれから、日本国の財産でもあるのじゃ。どうか聞いてもらいたい。わしは徳川兵学校を設立しようと考えておる。国家百年の計は、教育と兵事にあると信ずるがゆえ。どうかお手前もこの事業に加わってはくれまいか。新生日本の礎を、徳川直参の我らで築こうではござらぬか」
 話が意外な方へ向かったことに、驚きを覚えなかったといえば嘘になる。一度はフランスへ留学したいという願いも脳裏をよぎった。が、すぐさま福田が一笑に付したのは、もはや理屈を越えた赤誠以外の何ものでもない。
「お断り申す。我が恩は祖宗の基業のみ。忘恩の王臣にはなり申さぬ」
 梃子でも動かぬ気迫を、阿部は率直に受け止めざるを得なかった。誠忠無二の三河武士なのだ。これ以上、何を言えよう。
「福田殿、ようわかった。もはや止めは致さぬ。なれど、今は田植えの時期ゆえ、くれぐれも性急な軍事行動は避けていただきたい。田地を荒らせば民が飢渇に陥る」
「当然です。百姓の暮らしが立たねば、国は立たぬ」
 福田は代官の子であるから、民の暮らしをよく知っている。言われるまでもなく、作付けが終わるまで、こちらから兵端をひらくつもりは毛頭ない。
 阿部としては、その確約を得ただけで、ひとまずはよしとした。
 房総半島に屯集する撒兵隊、館山沖の榎本艦隊、上野に参集する彰義隊がいつ大挙するか、先鋒総督府は恐々としており、それゆえ勝総裁はこの状況を政治的、あるいは脅迫的に利用して、徳川慶喜の江戸還住要求を通そうとしている。この駆け引きの間だけ、脱走諸兵が大人しくしておればいいのである。新生徳川家の封地が江戸と定まれば、その後の府内四面の鎮静化は容易いであろう。
 話を切り上げた阿部が縁側に出ると、お盆を抱えたまま立ち聞きしている豊とばったり目が合った。豊は慌てて顔をそむけたが、阿部を見送りに出た福田はにっこりと微笑んで、
「終わりました」
と、小声で言った。

 島屋のような格の高い染物屋に、素六はこれまで一度も入ったことがない。
 店土間に腰を下ろすと、髷にこってりと油をつけた番頭とおぼしき男が、煙草盆とお茶を出してくれた。煙草はやらないし、なんとなく落ち着かない気分で茶を一口すすると、その濃厚な甘みに思わず舌を打った。何の銘柄かしらないが、世の中にはこんな美味い茶もあるのかと感心しきりである。商家というものは、旗本小普請組の出から見れば別世界の感がある。
 徳川義軍府の進駐以来、木更津の往来から観光客が消えた。店先の賑わいも鳴りを潜め、坦々と地元の日常だけが時を刻んでいる。帳場格子の向こうで大福帳をくくる音と、そろばんを弾く音ばかりが耳朶に触れ、音もなく揺れている藍染の暖簾の向こうから、砂利を踏む草鞋の音が聞こえてきた。
 ふわっと暖簾を割って現れたのは、義勇隊の羽織をまとった同世代の若者であった。
 常盤之助殿か、と素六は思った。しかし初対面のようによそよそしく、素六の軍服に金糸で縫い込まれている袖線をじっと見つめている。
「撒兵隊の隊長殿ですか」
「いかにも。江原素六と申す」
「大河内三千太郎と申します。少しお話をさせてもらってもよいでしょうか」
 素六が座るよう促すと、三千太郎は両刀を畳に置き、多少緊張した様子で咳ばらいをしつつ、傍らに腰を下ろした。
 奥から再び番頭風の男がやってきて、
「ミチタ、玉露でいいかい」と言うのを聞いて、素六は自分が飲んでいる茶が宇治茶であるのを知った。
「江原様」
「素六でかまわぬ」
「では、素六殿」と三千太郎は膝を正した。
「この町から、一刻も早く出て行ってもらえないでしょうか」
 出しぬけにそう言われて、さすがの素六も眉をしかめた。
「驚きましたな。住民は皆、義軍びいきかと」
「木更津は、安政年間に一度、大火事にみまわれています。火元は、ここです」
 そう言われてみれば、歴史ある土地にしては、町家が軒並み新しいことに違和感を覚えていた。
「おれの父や、親戚、町の人たちが何年もかけて復興させたんです。この町を、戦火などで失いたくない」
 素六は話に耳を傾けながら、ぬるくなった茶の最後の一口を飲み込んだ。
「わしは宇治茶というものを初めて飲んだ。やはり美味いものよなあ」
 三千太郎は黙って素六の顔を見つめている。
「この茶を将軍へ献上するための運搬行列のことを、宇治採茶使という。この御茶壷道中と道で行き当たったら、民草は通り過ぎるまで土下座していなければならぬ。なれど、今やそれも過日のこと。千代田の城を無血で明け渡したにもかかわらず、ここで戦争さわぎなどを起こせば、我が君上の素志がまったくの無駄になる。三千太郎殿」
「ミチタでかまいません」
「ならばミチタ、木更津を戦渦に巻き込みたくなければ、わしに力を貸してくれぬか」
「素六殿は、戦争に反対なのですか」
「寛典の御沙汰が仰せ出されるまで、慎重に振舞いたいと思うておる。江戸近郊で戦などを起こせば、上様の一意恭順が水の泡じゃ」
「おれにできることなら、何でもします」
「ならば船橋へ同行してもらいたい。おぬしの他にも、義勇隊の腕利きを何人か集めてくれぬか」
 第二大隊の撤収作戦は、話がこじれれば、最悪同士討ちになる可能性もある。堀岩五郎は元遊撃隊肝煎であり、剣の方も相当な腕前であった。相手に刀を抜かせないためにも、こちらも手練れの剣客を連れてゆくことで抑止力としたいのだ。
「船橋へ行くことで、戦争を避けられるのですか」
「断言はできぬが、回避できるだろうと思うておる」
「それなら、喜んでお供します」
 店の土間に阿部が戻って来ると、素六は立ち上がって刀を腰に差した。
「江原殿、わしはこれから知行地の大原へまいるゆえ、馬の手配をお願いしたい」
 そしてあらためて振り返ると、福田に会釈した。「どうか、ご武運を」
 二人の間に、冷たい壁のようなものがある。素六はそれを敏感に察したし、福田と共に見送りに出た豊も感じている。大政奉還後の幕臣にとって身の振り方は二つしかなく、阿部と福田の決裂がそれを象徴していた。どちらが正しいのか、この時点ではわからない。福田も口元に微笑を浮かべて、
「道中、お気つけて」と会釈を返した。

 その頃、阿部の連れて来た成川禎三郎が、撒兵隊の元同僚や顔見知りなどと接触し、あたかも近況を語らう体で、勝総裁の意向を含む今後の見通しをほのめかせていた。すなわち、徳川家は一大名となってこの後も存続するのは確実であり、家禄も家臣の数からみて四百万石を下回る可能性は低く、その身代にあった規模の藩兵も確保されるだろう。総房三州鎮静方の阿部邦之助様は〈陸軍重立取扱〉という新設の役職を拝命しており、徳川私設の兵学校を設立する予定である。撒兵隊士は旗本の子弟であるから、全員がその学校の教官、もしくは学生になれる資格を有している。家臣として身を立てられる程度の所領や扶持も保障されるであろう云々。
 さらにはことばの端々で、
「おぬしら、こんな房総くんだりで戦わずとも、主家の興復は成る」と強調したのだった。
 成川の話は、数日の間にあまねく隊内に行きわたるだろう。
 この勧誘にも似た呼びかけは、士気を大きく挫く反面、武士の花を咲かせんとする主戦派を刺激せずにもおかないはずであった。その者らが暗殺という手段に訴えてくる前に、阿部と成川は早々に木更津を脱した。

 地べたに散らばる桜の花びらを踏みつけて、上野東叡山に屯営する彰義隊が三千人を越す大所帯となりつつあった。元は前将軍慶喜の冤罪を雪ぐことを目的に結成された一橋家中の有志団体で、撒兵隊や伝習隊のような正規軍ではなかったが、隊士らは揃いの水色麻の打裂羽織を着、あたかも一軍のごときまとまりをみせている。徳川びいきの江戸っ子たちは先鋒総督府の存在を疎ましく思っていたから、上野の山の武威は熱狂的に支持され、吉原界隈では彰義隊士を情人に持たぬは花魁にあらずとまで言われた。隊士は日に日に勢いづいており、往来で新政府軍兵士と行き合えば暴行を加え、白昼堂々殺傷事件まで起こしている。撒兵隊と直接の連携はなかったが、江戸市中に潜伏している会津藩公用方を通じて、木更津の義勇隊とは連絡を取り合っている。
 会津藩の江戸残留組をまとめていた広沢安任が、危険人物として身柄を拘束されたのは四月の半ば頃であったらしい。取り調べもなされぬまま、和田倉門にある獄舎に収監されてしまった。そこは新政府軍に接収されたばかりの、元会津藩江戸屋敷だったところである。
「愚弄しおって」
 細川外記が声を震わせたのも無理はない。「あやつら、会津を目の敵にしておる」
 荒井直五郎が手にしているのは、同じ会津藩士、武川信臣から届いた密書である。
「武川殿らは、信意隊を結成し、彰義隊と合流したそうじゃ」
「我らと彰義隊が東西で呼応すれば、薩長賊を粉砕するのは容易かろう。一刻も早く江戸へ打って出るべきではないか」
 この外記のことばに賛同したのは、昨日木更津に到着したばかりの遊撃隊隊長、人見勝太郎であった。
「その通りやろう。速やかに行動を起こさな勝機を失う」
 口調に京都育ち特有の抑揚がある。
「富津から江戸湾を仰ぎ見て思たんじゃが、我ら遊撃隊は江戸湾を渡り、箱根で戦ったらどうやろう」
 その場に居る誰もが、あっと息を飲んだ。かつての陸軍奉行、小栗忠順が免官される直前まで主張していた戦略を思い出したからである。すなわち、幕府海軍を駿河湾に突入させ、艦砲射撃で東海道を分断し、陸軍を上陸させて中山道を封鎖し、先鋒総督府を孤立化させて殲滅する。
 人見は、薩長賊何するものぞといった調子で自説を述べた。
「榎本艦隊が動かへんのなら、遊撃隊が箱根の関まで攻め込んで街道を分断したらええ。さしたら江戸の敵は孤立無援となる」
 伊庭八郎がはっはと笑って膝を打った。
「さすがは人見さん、戦略が豪快だ。いっそ小田原藩や韮山代官所も味方につけて、主家に弓引いた尾張、紀州、彦根の野郎どもも討っちまおう」
 上座から同志一同を見回していた正道は、久しぶりに気持ちの高ぶりを感じた。撒兵隊が政治結社のごとく徳川義軍府の活動に憂き身をやつしている間に、房総諸藩の動揺はさらに深刻になりつつある。これを打開するには、やはり武力に訴えるしかないだろう。
 遊撃隊の仮宿は、島屋の裏手にある成就寺を手配した。この四十人弱の小部隊は元将軍の親衛隊、刀槍手練れの精鋭である。義軍府にとって願ってもない援軍となるだろう。
 人見勝太郎を福田総督に引き合わせようと正道が動いたとき、撒兵隊は慌ただしく全軍の移動準備を開始していた。真如寺への屯替えである。
 開城勧告に応じない久留里藩へ示威行為に出るためであり、養老川に野戦防御線を構築するためでもある。第二大隊の撤収について、福田と素六の考えは一致している。房州に自治政府を樹立するためには、何を置いてもまず拠点となる城の確保が急務であり、福田にとっても戦闘云々はそれ以降の話であったからだ。

 選擇寺の門前に掲げられた徳川義軍府の旗が、黒塗り頭巾を被った隊士たちの手によって降納されているところであった。素六の推薦で小隊長になったばかりの古川善助が整列した部下の点呼を取っている。人見勝太郎が着ている袖章の入ったダブルブレストのフロックコートを目にとめると、
「捧げえ、銃」
 自身も姿勢を正して号令した。
 正道と人見が連れ立って本堂へ入ると、ちょうど幹部らが陣卓子を囲んで軍議をしているところだった。来客を歓迎するように福田が立ち上がり、二人分の床几を持ってくるよう部下に指示を下した。
「せわしないときに、申し訳ござらぬ」
 人見は一同を見回して会釈した。
 二人が腰を掛けると、素六が口髭を撫でながら立ち上がり、正道の方へ体を向けた。
「急で相済まぬが、貴殿の隊の大河内三千太郎と、腕利きを若干名お借りしたい」
 唐突に三千太郎の名が出てきたのもあり、正道は戸惑ったように首を傾げた。
「かの者と少し話をする機会がありましてな。なかなかに頼もしい男であれば、わしの護衛としたいのじゃ」
「恐れ入りますが、三千太郎は不二心流の師範で、義勇隊では中隊長格なのです。出向させてしまうと我が隊の編成に障りがございます」
「むろん、それは承知しておる。速やかに第二大隊を撤収させて参るゆえ、その間、ほんの数日でかまわぬ」
 と頼み込まれてしまうと、佐倉藩の周旋に失敗した感のある正道としては、失態をつぐなう気持ちもあり、断れなかった。
 軍議の内容は船橋宿周辺の情勢についてであったが、撤収自体は滞りなく運ぶだろうと幹部らはみている。問題は堀大隊長が指示に従うか否かであり、万一聞く耳をもたなければ大隊の指揮権を一時的に素六に移譲するという確約を福田から得たところであった。
 話しがちょうど一区切りついたところだったのもあり、福田が世間話でもするように遊撃隊の近況をたずねると、人見は不敵な笑みを浮かべて、例の箱根進軍の構想を説き出した。
 温和な福田にしてはめずらしく、興奮を隠せない様子で卓上をぽんと打ち、
「小栗様の策にござるな。箱根と碓氷峠の関門を閉じれば、総督府はたちまち進退の拠り所を失う」と目を輝かせた。
「少数精鋭とは申せ、遊撃隊のみではいかにも兵員が少ない。なんぼか援兵を出してもらえんでしょうか」
との申し出に、福田は快諾した。
「第五大隊からニ中隊を割きましょう。これが義軍府から出せる最大人員です」
 二中隊といえば総勢百五十人であるから、大盤振る舞いの援助といえよう。
「義勇隊からも、一小隊ぶんの人数を出すつもりです」
 正道と遊撃隊の間ではすでに申し合わせができている。
 福田は、勝算ありといった面持ちで、
「渡海にあたっては、榎本艦隊の協力を仰ぐべし」と人見に向かって言った。

 江原大隊長の護衛に、三千太郎ほどの使い手を差し出すことに正道は率直なところ不満だった。作戦に齟齬が生じたとはいえ、堀岩五郎は以前からの同志であり、むしろ正道は素六の方を信用していない。そもそも徳川義軍府の理念に否定的な考えの持ち主が、第一大隊という精鋭部隊を率いていること自体に納得がいっていないのだ。彼を撒兵隊幹部に任じたのは陸軍総裁の勝海舟であるから、和平論者の手先であるという噂は本当だろう。そんな腹に一物ありそうな指揮官のところに、自分がもっとも頼りにしている身内を送り出すことに不安すら覚えている。
 しかし、実質的な副将格ともいえる常盤之助は、これについては楽観的だった。
「江原という男は傲慢で御しがたいから、今のうちに恩を売っとくといいよ。撤収作戦そのものは、二日とかからないってことだし」
 
 喇叭手が吹奏する出発の号音が選擇寺の門前で鳴り響くと、木更津一帯に分宿していた兵士らが背嚢を背負い、隊伍を組んで往来を行進した。最初の目的地は東二里ばかり先の横田村で、ここで鉄砲の名人による銃術調練が行われ、その後真如寺を目指す予定である。
 いよいよ島屋を出立すると思えば感慨深く、福田は朝飯が喉を通らなかった。豊と過ごした数日が、福田の人生にとって異性と親しく言葉を交わした唯一の時間であり、それは考えていたよりもずっと楽しく、ときに義軍府の総督という立場さえ忘れてしまうほどであった。明日をも知れぬ我が身であれば、これが今生の別れとなるかもしれず、福田は代々相伝の脇差を、豊へ形見に残しておこうとさえ思いつめている。ところが、先ほど御膳を運んできたはずの豊が、陣羽織を着、両刀を腰に差して再び現れたのである。
「豊さん……」と、福田はあっけに取られて、箸を飯碗に置いた。
「山奥の寺じゃあ何かと不便だろうから、あたしも同行するよ。いろいろ身の回りのお世話もできるだろうし、用心棒にもなるからさ」
「豊さん」ともう一度つぶやいた福田の目に、ややもすれば涙がにじみそうであった。慌てて立ち上がると、部屋の片隅に置いてある大きな行李の蓋を開けて、一式の軍服と、黒革のブーツを取り出した。
「豊さん、これを着てくだされ」
「なんだいそれ、紅毛人の着物かい」
「拙者が騎兵組にいたときの戎服です。西洋式の着物は動きやすく、履物も丈夫で、落ち枝を踏み抜くこともありませぬ」
 立襟ボタン留めのチョッキの上に、金の袖章が入ったマンテルを羽織り、赤い側線入りのズボンに騎兵ブーツという装いである。初めて腕を通す筒袖やズボンに戸惑いながらも、豊は屏風の影で身支度を整えると、そろりと畳の上をブーツで歩いた。
「思ってたより、着心地がいいかも」
「洋装を好まぬ者も多いですが、大口袴などで戦場を走り回ると裾に雑草や樹木が引っかかって動きづらいものです。西洋の戎衣は、その点よく考えて作られています」
 そして、豊の出で立ちをしばし眺めて、
「実に、よく似合っておりますなあ」と感嘆のため息をもらした。
 豊は庭へ降り立ち、足が慣れるまでしばらく歩いていた。福田は座り直して箸を持ち、そんな豊の姿をいつまでも眺めていた。

 この日、勝壽は小糸から七右衛門を呼び出し、夜明け前から横田村を目指して歩いている。
「なんでよりによって横田なんだ。あそごは、おめ、おれが鶴の密猟して問題になってるどごろだぞ」
 相変わらず垢臭く、虱でもいるものか、つづれの襟元に手を突っ込んでしきりに体を掻いている。
「七右衛門先生、疑うようで申し訳ないですけど、ほんとうに秘伝なんてあるんですか」
「心付げはずむって言ったんだっぺ。それなら秘伝はある」
「じゃあ、なんで今までおれにそれを教えてくれなかったんです」
「そりゃあ、おめは、筋がいいがら。そーたもの教えねでも、ちゃんと撃でっからな」
「これから先生が教える撒兵隊の人たちも、銃を撃つ訓練を受けてきた人たちですよ」
「だげどイノシシは撃ったごどながっぺえ。動いでるもの撃づのは難しいんだ」
 横田村惣名主、葛田藤右衛門邸を本陣として、すでに先発の隊士らが隊列を組んで待機している。
 染谷の一党にも黒の戎服が支給され、染谷と保木の二人は山型の袖章が縫い込まれた下士官の制服を着ていた。つい先日まで博徒の集団であったことが嘘のように、幕軍の一翼に溶け込んでいる。
 西洋式の軍隊らしく、装備はすべて背嚢に収められており、個々に水筒まで携行していた。それ以外の日用品は竹行李六十、長持三十個にまとめられ、弾薬類も含めて大八車十六台、馬数十頭で運搬する。物資は必要最低限の物にしぼられ、輜重隊がすべての荷を整理し、管理していた。その中には蔵前から徴発した軍用金や、西ノ丸の兵営から持ち出した金員も相当数含まれており、これら金貨や銭貨がもっともかさばる荷物なのである。
 義軍府の幹部は揃って舶来のケピ帽をかぶり、福田と請西候のみ金裏藍の陣笠をかぶっている。忠崇は縦襟の上衣に長袖の陣羽織を着、下は薄茶色の袴という姿であった。
 七右衛門が到着すると、例のごとく、
「捧げえ、銃」
と号令される。
 予想以上の規模の軍隊をみて七右衛門は圧倒されたが、こりゃあ相当謝礼をはずんでくれそうだと思えば気宇壮大な気分となり、エヘンと咳払いでもしそうな勢いで胸をそらした。
 傭格歩兵隊の中には七右衛門のことを知る者が少なからずいて、
「あれ、小糸の七右衛門じゃねえが」と、あっけにとられたのも無理はない。
 七右衛門が腕のいい猟師であることはよく知られた話ではあるが、
「先生って、まさがあいづのごどが」
 いかな大家が来るものかと多少期待もあっただけに、地元の者らは拍子抜けしたように笑い出した。
 葛田邸の縁側にいた総三郎が、「あっ」と突然声を上げたから、横にいた里鹿もびっくりして飛び上がってしまった。
「あいつですよ、密猟をしてる猟師ってのは」
「まあ」
「しょーじゅ、しょーじゅ」
 慌てて勝壽を呼び止めたが、喇叭手が礼式の曲を吹奏し始めたので聞こえていない。
 第五大隊長の真野が深くお辞儀をして出迎え、
「さっそく、秘伝をご教授くださりませ」いんぎんな口調で仮設の調練場へ案内する。
 床几に腰かけている福田と請西候、ずらりと居並ぶ撒兵隊の幹部らの面前に立ち、七右衛門は肩にかけた古い火縄銃を降ろした。勝壽はその傍らにかしこまって片膝を付いた。
「まず初めに、こんたけは言っておがなぐぢゃいげねえ。火縄は竹の皮むいでより合わせだ縄使うどいい。竹の皮で作った縄は燃やしても臭わねえがら、鳥獣にさどられるごどがねえ」
「先生」勝壽が小声でささやいた。
「撒兵隊が持っているのは火縄銃じゃないです。西洋のミニエー銃です」
「あんだ、それ」
「そんなことも知らないで、ここへ来たんですか」
「うるせえ、だまっとれ」
 七右衛門はさっと銃を構えてみせた。
「照準は銃口ど、手元を結んでねらう。鉄砲には一丁一丁ぐせがあっから、そのぐせみわげるごどが肝心だ」
 あらかじめ火薬と弾を包んである早合を銃口に入れると、素早く銃床で地面を叩く。火縄を挟んで火蓋を切ると、つんざくような銃声と共に白い煙が上がった。その間、二十秒もかからず、五十メートル先にある一寸角の的が木っ端みじんに吹き飛んだ。
 さらに、動く的も狙ってみせようと七右衛門は豪語する。隊士たちが的を掲げて走り回ったが、それらもすべて命中させた。
 最新式の洋式銃でもこれほどの命中率とはならないから、観覧している幹部らは、的が撃ち抜かれるたびに感嘆の声を上げた。
 葛田邸の縁側から参観していた女たちも、手を叩いて歓声を上げた。まさか女まで見物しているとは思わなかった七右衛門は、怪訝そうに目をこらした。いずれも庶民とは思われぬきらびやかな身なりであり、中でも掛帯に両手を入れている婦人の貫禄が際立っている。
「しょうじゅ、あいづら何者だ」
「万里小路局さまと、その侍女たちです」
 声をしぼって教えたが、七右衛門はどうでもいいといったふうにうなずいてみせただけだった。
 真野がうやうやしく歩み寄り、
「ぜひともその百発百中の秘伝を我らにお授けくだされ」と迫った。
 まずはミニエー銃を担いだ五十人ばかりの平隊士が、七右衛門を取り囲むように車座になった。
 平時であれば恐れ多い旗本の子弟らに囲まれて、さすがに緊張の面持ちとなった七右衛門であるが、大きな掌で顔面の汗をひと拭きすると、開き直るように大声を上げた。
「一発必中の秘儀は、印明を結び、九字切るごど!」
 両手の指を複雑に組み合わせながら、りん、ぴょう、とう、じゃ、かい、じん、れつ、ぜん、ぎょう、ええいッ。
「以上」
 皆、あっけにとられたように固まってしまった。
 ただ一人、万里小路局だけが袖を口元に当てて笑い出し、
「近う」と七右衛門を手招いた。
 静まり返ったその場の空気に気まずいものを感じながら歩み寄ると、総三郎が叱るような調子で、「控えおれ」と命じた。このときようやく、眼前の女が相当高位な人物であることを察し、七右衛門は地べたにひれ伏した。
「鉄砲名人の妙技を拝見できると聞き及び、ここまで足を運んだ甲斐がありました。そなたの腕前、日の本一の噂にたがわぬ。まことあっぱれじゃ。何か褒美の物をとらせたいが……」
 その用意のなかった万里小路局を気遣うように、請西候が立ち上がった。
「ならばわしが、まて様に代わって褒美を遣わそう。これを」
と、腰の大小を惜しげもなく与えたのだった。
「小笠原長宗である」
 刀などにまるで興味のない七右衛門は、とりあえずうやうやしく二振りの刀を頂戴し、小隊ごとに怪しげな秘伝を教えてまわった。中には大真面目に印の結び方を覚える者もあったが、この調練を計画した真野鉉吉は数学に造詣が深く、はなから呪法や迷信の類を信じていない。
 後で七右衛門に謝礼を無心されたが、怒鳴るがごとく、
「万里小路局から直接お言葉を賜り、請西候より佩刀を下されしうえに、まだ見返りを求むるか」と叱責した。
「なんでぇ、話が違うべ」
 千両箱の一つぐらいは貰えるものと踏んでいた七右衛門は、ひどく落胆して小糸へ帰って行った。
 が、おかげで密猟の咎めもなく、鉄砲名人として房総半島一円にその名をとどろかせることになる。その腕を買われて新政府軍から声をかけられることになろうとは、この時は夢にも思っていなかった。

第十一章 出陣の喇叭

 江戸八百八町の庶政と治安維持は、未だ御三卿の田安家に委任されたままであった。そうしているうちにも上野の山が火薬庫と化しつつあり、いつ府内が戦火にみまわれてもおかしくない事態となっている。すでに北関東では日光方面へ向かった旧幕軍と、それを追撃する新政府軍の間で激しい戦闘が行われていた。今や日本の中央政府となった太政官では戦費の捻出が急務であったが、すでに手持ちの金は払底しつつあり、豪農や富商に御用金を課したり、戦時公債のような金札を発行して当座をしのいでいる有り様であった。
 先鋒総督府参謀の西郷隆盛が、現状打開を話し合うため、汽船で京都へ向かったのは四月の下旬である。情誼に篤い西郷は、寛大な徳川処分を訴えるつもりだった。幕臣の数を考慮すれば封禄は少なく見積もっても百万石は与えるべきだし、居城も江戸城とすべきであろう。これぐらいの寛典を与えなければ民心安堵の途は開けそうにない。
 が、長州藩の総帥(桂小五郎改め)木戸準一郎がこれに反対する。徳川処分云々は、官軍の威力を発揮して、敵を掃討してからでも遅くはない。くずぐずしておれば皇国瓦解の危機に陥るであろう。新政府役員の大方も木戸の意見に賛成で、これまでの平和的穏健的態度を改め、本格的な江戸鎮定に乗り出すことが決定される。これを受けて、西洋軍事学の大家、長州藩士大村益次郎が軍防事務局判事(軍政上の最高職)の任に就いた。

 これより少し前、慶応四年四月十六日、松平兵庫頭率いる貫義隊、草風隊並びに凌霜隊が、野州小山(栃木県小山市)で戦闘の火蓋を切っていた。三隊は下総行徳から江戸川を遡上して日光を目指す途中、宇都宮から進軍して来た新政府軍と日光街道上で遭遇する。先鋒は戦時動員された笠間藩兵約五百人、甲冑に身を固めた旧装備の部隊であった。最新の後装施条銃を持つ草風隊、スペンサー七連発銃を揃えた凌霜隊にとって格好の標的である。兵庫頭は勇んで射撃号令を発しかけたが、浅野作造がまったをかけた。白昼の小山宿には逃げ遅れた人々がまだ大勢いたからだ。
「戦うなら、あの者たちを避難させてからです」
 しかし、笠間藩兵が和銃に火縄を装着し始めたため、草風隊が機先を制して発砲してしまう。旧式とはいえ数に勝る敵方の応射も激しく、宿場はたちまち硝煙で掻き曇るほどの弾雨にさらされてしまった。
 作造は継立場の馬に飛び乗ると、銃弾の飛び交う真っ只中へ馬を駆った。
「敵も味方も聞け! 無辜の者を残害してはよろしからず、逃がせ、逃がせ」
 斎藤常次郎や河合鉄五郎ら貫義隊士が銃撃の巷へ飛び出し、幼子を抱え、老人を背負い、女の手を引いて市民の避難を助けた。その間も敵味方双方の発砲は止まず、銃撃戦は増々熾烈を極めた。
 敵との間合いを詰めつつ何度か急射撃を仕掛けていた草風隊の隊長が、一向に斬り込もうとしない貫義隊に向かって声を張り上げた。
「命はかねて無きものと覚悟したに非ずや、今さら何を恐れて進まぬのか」
 これを聞いた兵庫頭が口角泡を飛ばして怒鳴り返した。
「見てわからぬか、町民を巻き込んでおるのだぞ!」
 突如始まった遭遇戦であったから、味方同士でさえ互いの状況が掴めていないのである。
 笠間藩兵は路上に大八車や板戸など、ありあわせのものを積み重ねて道を封鎖しつつあった。これを遮蔽物として正面から撃ちかけてくる。
 作造は馬の横腹に身を隠して飛弾をかわしながら、辺り一帯の戦況をつぶさに見極めて戻って来た。
「敵に伏兵あり。付近の竹藪や麦畦に隠れてこちらを伺っております。これを払わねば囲まれてしまう」
 間断ない発砲音が凄まじく、作造は大声で報告した。が、兵庫頭は首を縦に振らない。
「伏兵なぞ捨てておけ。我らの相手は正面の敵じゃ」
「正面は草風隊の鉄砲に任せましょう」
「我らこそ今日の先陣なるものを、草風隊に先駆けせらるべきにあらず」
 青筋を立てて兵庫頭は怒鳴った。自分が引率してきた友軍に、「何を恐れて進まぬ」などどののしられたことを、よほど根に持っているのである。
 作造は一段と声を高くした。
「伏兵を打ち払い、返す刀で敵の横合いを突く。さすればこの戦、我が方が勝利致す」
 そう説かれて得心した兵庫頭は、街道の側方に貫義隊を散開させ、片っ端から伏兵に斬り込みをかけた。
 笠間藩兵の後方に、同じく新政府軍に動員された壬生藩砲兵隊が八門の旧式砲を牽いて続いている。最後尾に翻る派手な軍旗は井伊の赤備え、鳥羽伏見の初戦から寝返った譜代筆頭彦根藩のものであろう。大規模な諸藩混成軍であった。
 貫義隊は伏兵を蹴散らし、この大部隊の横腹を突いて縦隊の分断を図るべく突進したが、笠間と壬生の藩兵も麦畑へ押し出し、負けじと槍を入れて応戦してくる。作造の行く手を、手槍をかざした武者が立ち塞いだ。
「我こそは、笠間藩番頭、野州一の槍名人、川崎忠兵衛である、いざ!」
「浅野作造頼房、お相手つかまつる」
 川崎の繰り出した槍を浅野が払ったとき、味方の誰かが発砲し、浅野が踏み込むより先に川崎は脳天を撃ち抜かれてその場に崩れた。
 後に「砲丸の雨霰よりしげかりければ」と記録された戦場は耳をつんざく発砲音と白煙にかすんでいる。味方にも死傷者が出始めていたが、貫義隊は白刃を振るって敵の横合いを強襲した。草風、凌霜両隊も撃ちかけながらじわじわと前進し、街道を塞ぐ遮蔽物を突破する。混成軍は小山宿北側の家屋に火をかけ、あろうことか大砲や旗差物まで打ち捨て、隊を乱して敗走した。
 初陣に高ぶる常次郎が、せかすように詰め寄る。
「一刻も早く追撃しましょう」
 兵庫頭は鉄扇で顔を扇ぎながら高らかに笑った。
「我らの行く先は日光廟じゃ。捨てておけ」
 この戦闘が、旧幕府勢力の初白星となった。
 首級十、大砲八門、弾薬数荷を得た三隊は、翌日の夜、小山宿西方の大平山で東照宮祭を執り行っている。
 同日、木更津では徳川義軍府がこの祭りを主催していた。光明寺で豊が赤飯を炊いていた日がそれである。今は横田で七右衛門があやしげな印を結び、九字を切っているところだ。

 撒兵隊が銃術調練をしている間、義勇隊は横田神社で小休止していた。刀槍部隊であるから、銃の極意を学ぶ必要がなかったからである。
 出陣の支度を整えた隊士らが八十人ばかり、木陰で昼寝をしたり、音頭を囃して剣舞に興じたりと、思い思いに過ごしている。義と染め抜かれた揃いの羽織を着て、下は裁付袴か切袴である。刀に柄袋をかぶせた三千太郎が拝殿の階段に腰かけると、奥から正道が出てきて傍らに座った。
「江原様のもとへ行くのか」
 どこか寂しげであった。このごろ正道は目に見えて消沈している。
「おれはなあ、ミチタ。正直なところ房総諸藩の煮え切らない態度にまったく失望している。薩長が入府するまでは、どこもこぞって佐幕を標榜していたんだ。それがどうだ、今や請西以外、どの藩も旗幟を明らかにしない。これじゃあまるで、おれがホラを吹いていたようじゃないか。義勇隊の面目が丸潰れだ」
 まっすぐな男だけに、諸藩の政治的駆け引きに翻弄されて戸惑っているのだろう。三千太郎は顔を傾けて、フッと笑顔をつくった。
「少なくとも、不二心流の同門は、マサ兄ィがホラを吹くような男じゃねえって、みんな知ってるよ」
 小さくうなずいた正道の顔に、ひさしぶりに赤みがさしたようであった。カヤの樹上からヒバリのさえずりが聞こえてくる。
 隊士らの賑やかな剣舞が突然ぱたりと止み、境内にどよめきが起こった。二人が鳥居の方へ視線を向けると、洋装姿の豊が蛇の目傘を片手にふらりとやって来たところだった。常盤之助、平右衛門、縫之進も一緒である。
 正道は途端に笑い出して立ち上がった。
「豊姉ェ、外国にでも行くのかい。よく似合ってるぜ」
「あたしもね、退屈だからついて行くことにしたよ」
「そいつぁ心強いな」
 豊が傘を持参してきたのは、そろそろ雨季が近いからだろう。
 慶応四年は、四月が二度ある。三年に一度の閏月が入るからで、あと数日もすれば閏四月。五月はその翌月へ繰り越され、十三カ月で一年となる。
 皆が拝殿に上がり込むと、勝壽と総三郎も後からやって来た。
「赤っ恥もいいところさ」
 七右衛門を横田へ連れて来た勝壽は、穴があったら入りたいぐらいである。「いたたまれなくて逃げて来たよ」
 そんな勝壽を気遣ってここまでやって来た総三郎は、幕軍将校の格好をした豊の姿を見て、愕然とした。
「豊、まさか、おまえ……」
「止めたって無駄だからね。みんな出陣するんだもの、あたしだってじっとしておれないよ」
「じっとしておれ!」
「するもんか!」
 今にも掴みかからんばかりの二人の間に正道が割って入った。
「兄キも、豊姉ェも、へだてなき不二心流の門人だろう、皆で力を合わせてこの国難に立ち向かおう」
 ひとまず拝殿の内で車座になると、常盤之助が皆の顔を見回した。眉毛がきりりとつり上がり、今では他の誰よりも剣士然たる貫禄がある。
「豊姉ェも来てくれたことだし、もう一度陣容を確認しよう。撒兵隊の戦略では、敵を上総へ引き込み、養老川の北側で迎撃する。よって義勇隊の主力は八幡宿か五井村辺りに軍営を張ることになると思う。別動隊は遊撃隊の道案内も兼ねて館山へ向かい、榎本艦隊の支援を得て伊豆へ向かう。南房総の佐幕派有志や諸藩から、さらなる金穀と武器弾薬を徴収し、募兵をかけながらの道中になる。頼んだぜ、茂ぅ兄ィ」
 この役回りは商売がら交渉上手なコンモにとって適役であろう。
 別動隊の隊長は総三郎が務める。不二心流正統三世と目される総三郎が直々に乗り出すあたり、箱根遮断作戦にかける周囲の期待は大きい。
「今のところ義軍府の本陣は真如寺になる予定だけど、近日中に久留里城が落ちるはずだ。おれたちが到着するころには、第四大隊と砲兵隊の手で開放されてるんじゃないかな。さて、意外にも」と言って常盤之助は苦笑した。
「先陣はミチタが切る。第一大隊と本日出陣。まあ、撒兵頭の江原様とミチタが行くんだから、船橋撤収については何の心配もなさそうだ。五井辺りで帰りを待ってるよ」
 三千太郎は軽くうなずくと、正道の方へ顔を向けた。
「素六殿に、腕利きを若干名連れてこいと言われている。何人か連れて行ってもかまわんか」
 正道もこの案件については難しく考えていない。
「いいさ。人選はミチタにまかせる」
 平右衛門が真っ先に手を挙げた。
「みっちゃん、おれを連れて行ってくれ。先陣の栄誉にあずかりたい」
 おれも行く。と勝壽も名乗りを上げた。
「七右衛門先生の件で義軍府のお歴々に顔向けできないからさ」
 おれも行くべかな、と呑気なことを言っているのは縫之進である。
「奈良輪村の騒動以来、なんだか日常に戻れねえんだ。仕事にも身が入らねえし、戦争中は戦争をしている方が楽かもしれんしな」などと、銀のキセルをくゆらすのだった。
 この三人を連れて行けば問題ないだろう。三千太郎はこれで充分といった面持ちでうなずいてみせた。
 ただ一人、浮かない顔をしているのは総三郎である。
「豊、おまえは何しに行く。物見遊山ではないのだぞ」
「そんなことわかってるよ。福田様の身の回りのお世話と、用心棒を兼ねて行く」
 おや、と総三郎はようやく察した。豊のやつ、福田八郎右衛門様のことを好いておるのかもしれぬ。いや、いくらなんでもそれはなかろう。我が娘ながら豊ほどの容姿であれば、たとえば市川團十郎とか、三代目歌右衛門とか、その手の男を好むのではなかろうか。いやいや、あいつの好みなど知れたものではない。
 むうう。と首を傾げつつ、総三郎は豊の顔をしげしげと眺めた。そしてもう、この件には触れなかった。
 コンモが、いつもの鬢を撫でつける仕種に笑みを添えた。
「おれら、道場で育ったようなもんだけどよ、まさか一族揃って戦場に赴くことになろうとは、子供のころは想像もしてなかったよなあ」
 皆でひとしきり笑った後、豊が眉根を寄せて同座の顔ぶれを眺め渡した。
「縁起でもないけど、これが最後になったりしないよね」
 さっきまで晴れ間の見えていた空が、いつのまにか密雲におおわれていた。寒の戻りなのかもしれず、風がやや冷えてきたように感じられる。
 境内の方々がにわかにざわめき出した。鳥居をくぐってやってきたのは黒羽二重の紋服を着た幸左衛門である。金襴の陣羽織をまとった孫左衛門と、両腕をたすき掛けにして牡丹の入れ墨をのぞかせた地曳新一郎を伴っていた。大先生のお出ましに、門下一同、身の引き締まるような緊張感と、なんとも言えない心強さを覚えもする。
 いつにも増して柔和な笑みをたたえた幸左衛門が拝殿の階段をゆっくり上がって向拝に立つと、その場にいる誰もが襟を正して起立した。
 横田神社に結集した義勇隊士は、不二心流の精鋭である。愛弟子たちを見送りに来た幸左衛門の心境は、我が子を戦場に送り出す親の気持ちと変わらない。しばし感慨深げに一人一人の顔を眺め渡していたが、やがて納得したようにうなずいてみせた。
「我が流派は、江戸の三大道場などと違い、流祖以来、剣の遣いを誇らず、みだりに喧伝することもなく、練気養心に努めてきた。治国安民の大道を説く先師の至誠は天に通じ、今や不二心流は房総一の剣門である。出陣にあたって思い起こしてほしい。我らの流儀は守りの剣法であり、受けて勝つの太刀、すなわち、今まさに府内を蹂躙する奸賊を打ち払うにふさわしい太刀であることを。上様と郷土を守るため、皆々、存分に戦ってくるがよい」
 正道が一歩前に踏み出し、拳を振り上げた。
 えい、えい、
 おお!
 水盃を交わした後、先陣を切る四人が出立の準備を整えていると、風呂敷包みを抱えたりうが慌てて神社の石段を駆けてきた。
「ああ、しょうじゅさん、まにあった」
「すまない、りう。走らせてしまったな」
 包みを開くと、宮廷の武官が着るような錦の裲襠が畳まれており、装束、腰帯、袴も重ねられている。かねてよりこの日のために用意した勝壽の戎服で、動きやすいよう衣の袖を筒袖に縫い直したのはりうであろう。着替え終えた勝壽の出で立ちを見て、平右衛門がはっはと笑った。
「お雛様の御随身みてえだな」
 裲襠は、長方形型の貫頭衣であり、小豆色の金糸で織られた生地に八劔家の神紋が縫い込まれている。勝壽にとってこの戦は、命をかけた神事なのであり、新政府の神祇事務局に逆らえばどうなるか、白刃飛弾に身を晒すことで神託を得ようとしているのだ。この場にいる誰もが勝壽の心意を察しており、平右衛門も「お雛様」などと口走った後で自分のことばの軽率さに気が付いた。三千太郎や豊が咎めるような視線を送って来たからでもある。
 縫之進は黒縮緬の頭巾を襟巻にして首に巻き、金の縁取りのついた韮山笠を目深に被っている。奈良輪村で人を斬って以来、どことなく、いつも浮かない。それは平右衛門にしても同じであり、今回三千太郎に同行するのも、江原素六が恭順派の幕臣と聞き及んでのことであった。四方ヶ原の獄舎に投獄されたときから幕府などとうに見限っていたし、奈良輪村以来、人を害する虚しさを知ってしまった。心中密かに非戦論者となっていたのだ。
 第一大隊は地形の下調べもかねて陸路船橋宿へ向かうという。街道の混雑を避けるため、第三大隊以下は横田にて野営、翌日の出発を予定している。
 身支度を整えた三千太郎を激励するように地曳新一郎が肩を叩いた。
「ミチタには、なをがついてる。なにがあっても、守ってくれるさ」
 いよいよ四人が社殿を出て鳥居の方へ歩き出すと、堪えきれなくなったりうが、袖に目を当ててせきあげた。
 勝壽は周りの視線をはばかるように立ち止まり、りうの耳元にそっと顔を寄せた。
「瀬を早み岩にせかるる滝川の、われても末に逢はむとぞ思ふ」
 りうは水洟をすすり上げながら、首を傾げた。
「百人一首の中にある歌だよ。岩にせきとめられた急流が、二つに分かれてもまた一つになるように」と言って、勝壽は微笑んだ。
「必ずりうのもとへ帰ってくるから」
 わっと再び泣き出したりうの体を支えた豊が、鳥居を出た四人に向かって声を上げた。
「とっとと用事を済ませて戻ってきな」
 空をおおっていた密雲が少し割れ、突き刺すような光芒が田地の一角を明るく照らしている。その方向へ向かって、三千太郎たちは第一大隊の出発に加わるべく歩き出した。

 義勇隊付会津藩士の細川外記は、銃術調練の間中、注意深く撒兵隊の様子を観察していた。総房三州鎮静方、阿部邦之助と福田総督との会談以来、隊内の士気がいちじるしく低下しているという噂は、あながちそらごとではないかもしれない。銃を構える隊士たちの目に、
「覇気がない」
 と外記は断言する。同藩士の荒井直五郎も、そう言われてみれば、確かにそうかもしれないと感じた。
 外記は会津藩公用方の、現代風にいえば外交工作員であったから、人心観察にぬかりはない。
「阿部邦之助が帰順工作をしたのだろう。わしは、上総に残って撒兵隊を監視する」
 外記も荒井も、総三郎の別動隊と共に箱根遮断作戦に参加する予定だった。
「そこまで深刻な事態なのか」荒井は念を押した。
「薩長が彰義隊の討伐に打って出ぬのは、撒兵隊の動向に脅威を感じておるからじゃ。もし徳川義軍府が瓦解致せば、すぐさま上野は戦争となろうし、万一彰義隊が破れもすれば、敵は総力を挙げて会津を潰しにかかるだろう」
「外記よ、そこまで深刻なのであれば、わしも残ろう」
「それにはおよばず」と外記は笑みを含んで首を振った。「幕府の威衰えたといえども、東海筋を遮断致せば、関東の士気は大いに奮い立つであろう。おぬしは箱根の山のてっぺんから、天下の変をうかがってまいれ。それに、安房への道々、家中の墓参りをしたいと前々から申しておったではないか」
 荒井直五郎は会津藩士でありながら、未だ本藩を見たことがない。父は江戸湾沿岸防備のため富津陣屋に駐留した会津藩士であり、彼はその赴任中に生まれた。元服して江戸在番となった荒井は、本国へ行く機会を得ないまま今日に至っている。
 異郷の地で亡くなった藩士らの墓が、富津近辺にいくつもある。把握しているものだけでも二十基は下らず、彼らの墓標には「会津藩」とか「会津之士」と刻まれているが、内海警備の管轄変更後は墓参する者もいなくなり、はや無縁墓となりつつあるのだった。荒井はそれを嘆き、いつも外記に憤まんをぶちまけていたのである。
「墓参りをしてこい」と外記が言ったのは、それをおもんぱかってのことでもある。
 荒井は苦笑いを浮かべつつ、遠い目をした。
「わしが箱根で戦死したら、ついに会津の地を見ることなく終わるのだなあ」
「縁起でもないことを申すな。我らは薩長に勝利して、堂々と会津本国へ凱旋するのだ。おぬし、鶴ヶ城を見るまでは意地でも死んではならぬぞ。我が御城の美しさたるや、断然、日ノ本一じゃ」
 細川外記の実家は会津若松城下、郭外の上堀端通りにあり、白壁と赤瓦の城を間近に見て育った。
「故郷を守るためなら、房総の地に果てることも辞さないが、できる事なら、鶴ヶ城のそばで死にたいものじゃ」
 酒を痛飲するたび、外記は口癖のようにそう言う。

 撒兵隊の士気の低さに気付いていたのは外記ばかりではなかった。林忠崇も、敏感にそれを察していた。無二の佐幕に決して以来、請西藩士の眉間に宿るがごとき闘志が感じられない。もとよりこの銃術調練が茶番であるにしても、それがあたかも戯れ事のようにさえ見えてくるのは、撒兵隊士らの緊張感のなさの表れではないか。期待を裏切るばかりの徳川義軍府の不甲斐なさに思わずため息を漏らした忠崇は、調練を遠巻きにする見慣れない一団があることに、ふと気付いた。その隊長格とおぼしき洋装の若武者もこちらをじっと見つめている。忠崇は、側近の伊能矢柄に小声で話しかけた。
「あの隊はどこの所属であるか。確かめてまいれ」
 はッ、と発した伊能は、義軍府の幹部らをはばかるように来賓席の後ろを通って隊長らしき者のところへ向かった。すぐに戻ってくると、何事もなかったような顔つきで、そっと耳打ちした。
「かの者らは、元奥詰の遊撃隊です。殿へ謁見を求めております」
 不思議と胸が高鳴った。改めて遊撃隊の方へ顔を向けると、あちらも色めき立っているのが伺われる。
 七右衛門が真野大隊長に追い出されるように退散すると、福田総督が恐縮した面持ちで話しかけてきた。
「お粗末な演習でありましたこと、平にご容赦くださりませ。あのあやしげな九字の呪文は、進発の大挙を賀する、鉄砲名人から供された戦勝祈願であったと思し召し下され。義軍府はこれより行動を開始致す。つきましては請西候の御出馬を乞い奉ります」
 忠崇はつと立ち上がると、襟元を正しつつ、福田の方を見ないで言った。
「我が方は一万石の小藩とは申せ、挙藩一致で事に当たらねばならぬ故、なかなかおいそれとは動けぬ。今しばらくご猶予願う」
 声の調子から、冷めたものを感じる。請西藩関係者の義軍府への応対が、日増しによそよそしくなってきていると福田も察しつつあった。駕籠に乗り込んだ万里小路局の一行も、ついに一言も挨拶を交わすことなく葛田邸を後にした。遊撃隊も立ち去ると、後には撒兵隊だけが残った。
 村人から届けられた酒樽を、傭格歩兵らが勝手に飲み始めている。それを間宮鉄太郎が鉄鞭を振り回しながら怒鳴り散らしていた。平隊士の多くは鉄砲を杖にして、ぼんやりと考え事でもしているようにたたずんでいる。
 第一大隊ばかりは休む暇もなく、出陣の支度を整えて、小隊長の古川善助が点呼をとっていた。
 身なりに無頓着な素六の軍帽は、いつも心なしか斜めにずれている。口髭を撫でつけながら、相変わらず険しい顔をして福田のもとへやって来た。背後に義勇隊の羽織を着た青年を連れている。
「総督、そろそろ出発致します」
「義軍府の今後は、おぬしの智謀にかかっておる。首尾よう果たしてきてくれよ」
 と、これはお世辞でもなんでもない。劣勢に立たされている福田は、互いの立場を越えて、今こそ直参の絆を信じる他なしと心に決めおり、中でも深謀遠慮型の素六のことをもっとも頼りにしているのである。
 常盤之助かと見まがう容姿の青年は、双子の兄の方だろうと察した。以前から不二心流随一の手練れと噂に聞いていた、あの三千太郎であろう。
「江原大隊長の護衛を頼みますぞ」
 喇叭手が出陣の吹号を高らかに鳴らすと、第一大隊の三百人が一斉に歩調を揃えて前進した。紐式軍靴が地面を踏みつける音が整然と響き、肩からかけた葵紋入りの胴乱が足並みと共に揺れている。徳川歴代の神霊よ、ご覧あれ、これぞ世禄恩顧の家臣団、幕軍精鋭部隊の勇姿にござります、と福田は心の中で叫びたい思いであった。

 請西藩領横峰の高台に、「へエミヤシ」という屋号の農家がある。姓は吉村、当主は代々「平右衛門」の名を世襲した。平右衛門屋敷が訛ってへエミヤシと呼ばれており、ここに婿に入ったのが他ならぬ嶺田楓江である。惣領の竹次郎は千代が前夫との間にもうけた子で、歳は三千太郎と同じであった。当然、
「そろそろ竹次郎に縁談を」
と、この頃千代はよくその話題を持ち出す。
 というのも、楓江が請西藩の賓客になったからであり、しかるべき家筋から嫁を迎えることも、あながち高望みではなくなったからだ。
 楓江から見れば竹次郎は愚鈍で、一日土にまみれて畑仕事をする以外、なんら抜きんでた特技も教養もない。どうしても三千太郎と比べてしまうから、ことさら竹次郎がつまらぬ男に見えてもくる。あんな者のところに、嫁ぎたがる女なんぞいようか、などとは、さすがに面と向かって千代には言えないが、少なくとも、請西藩士に縁を取り持ってもらうつもりなど毛頭なかった。
 へエミヤシで寝起きする女中の若も、年の頃は竹次郎と変わらない。小糸の百姓の娘であるから、鉄砲名人七右衛門と同郷である。子だくさんの家に育った若は、口減らしを兼ねて出稼ぎに来ているのだった。
 楓江は縁側で諸肌を脱いで、若に灸をすえさせている。ようやく生活が安定してきたからか、近ごろは養生のためにそんなことをするようになったのである。
「西洋医学と比べたら、まやかしのようでもあるが」などと自虐的なことを言ってはいるものの、もぐさの燃える匂いが嫌いではなかったし、若と語らう一時を楽しんでもいた。
「お灸があるだげ、まだいいほうですよ。わだしの村なんか、近所の祠が病気の神様で、そごで祈るほがなんにもねえんです」
 楓江は灸点の熱さに顔をしかめつつ、下を向いたまま笑った。
「若は灸をしたことがないのか」
「したごどありません」
「兼好法師も、必ず灸すべしと申しておる。三里の灸にでもすえてごらん」
「さんりのきゅう?」
「万病に効くツボじゃ。足のここにある」
と自分の膝下あたりを指差した。
 若が小袖の裾をたくし上げたので、楓江が指で位置を示してやった。
 軽くまるめたもぐさをそこへ置くと、若は自分で火を着けて、赤く燃えてゆく様をじっと見つめた。
「熱くないか」
「熱いけんど、気持ぢいい」
 細くて白い脚である。
 反対の脚にもすえた。肌が強いのか、それほど熱く感じていないようだ。
「なんだが元気になっていぐ気がする」
 そんな若の横顔を眺めつつ、楓江はぼんやりと、若と二人で晩年を過ごしたら、穏やかで、幸せなのではあるまいか、などと興の趣くまましばらく妄想にふけっていた。ふと竹次郎の顔が目に浮かび、我に返った。親と子ほども歳が違うのだ、なにを血迷うておるのか。そう心の中で叱咤した楓江は、若の膝頭から目をそらした。
 玄関先で大きな声がした。
「至急、参上されたし」
 真武根陣屋からの使役であった。
 手早く身支度を整えた楓江が式台に立つと、黒漆塗りの権門駕籠が用意されていた。わしも偉くなったものじゃな。未だ感慨深く思う日もある。

 小櫃川の川幅はそれほど広くないが、ちょっとした河岸段丘であるため、大勢が渡河するときはなかなか大変である。横田での銃術調練を観覧し終えた請西候の一行は、遊撃隊を引き連れて小櫃川の川岸へ向かった。水を田地へ引き込むのが難しい地形であるから、この時期は土俵で流れを堰留めたり、大きな水車があちこちに設けられギイギイと音をたてている。
 渡し守の義衛門という老人は、請西藩関係者には気遣いもするが、遊撃隊への対応は露骨なほどぶしつけだった。川越人足でにぎわう下流の渡しとはちがい、普段は利用者もまばらな中流域の渡船場であるだけに、いちどにどっと人が押し寄せて、すっかり泡を食っているらしい。遊撃隊は元将軍の親衛隊であるから、格としては請西藩士よりも丁重に扱われてしかるべきなのだが、仔細を知らぬ義衛門は、歩卒を見下すような態度をとる。
 その様子を、林忠崇はじっと観察していた。
「このままでは無礼打ちにされてしまいます」
 見かねた伊能矢柄が動きかけたが、忠崇はそれを制した。「まあ、待て」
 人見勝太郎と伊庭八郎の両隊長は、義衛門の指示に従い、隊士を二列に整列させた。しばらくすると、これまで憮然としていた義衛門がにわかに笑い出すほど、何やら親し気に話しかけている。よほど可笑しい冗談でも飛ばしているのか、隊士らも声を上げて笑っていた。その屈託のない笑い声が、いかにも若々しく、爽やかであった。
「矢柄、見よ」
 忠崇は目を細めた。
「隊下の兵士よく命に従い、隊長両士、威徳並行の人物ではないか」
 伊能も同感であった。遊撃隊は少数精鋭の部隊であるだけに、大所帯の徳川義軍府と比べれば軍規も厳正、志操堅固の集団であろうと思われる。そう感じさせるだけの、意気と力強さに溢れていた。

 徳川の遠祖を兎の吸い物でもてなしたと伝わる林家は、長押の釘隠しさえ兎の装飾である。畳の縁にも兎柄とおぼしき意匠が凝らされ、家筋の誇りが陣屋の随所に見て取れた。入側を通って楓江が大広間に入ると、洋装の若武者が二人、下段で威儀を正している。すでに忠崇とは打ち解けている様子であった。
「事が重大ゆえ、先生の御意見を伺いたい」
 鳥羽伏見以来、怏々として楽しまなかった請西候が、今日はめずらしく活気だっている。
 まずは才子風の好男子が、京訛りの弁舌も爽やかに、箱根遮断作戦の概要を一通り述べた。
「今ここにあって敵を迎え撃つより、速やかに房総諸侯を連合し、兵を借って相模へ渡海するのが得策。小田原藩、韮山代官所を味方に付けて大いに兵威を張り、東海道の諸侯を説き、従う者は力を合わせ、拒む者はこれ伐つ。さしたら御家再興難きにあらん」
 その眼差しは確信に満ちている。
「申し遅れました。それがし、二条城詰め鉄砲奉行組同心人見勝之丞が嫡男、勝太郎と申します。遊撃隊一軍の隊長を務めとります」
 もう一人も役者のごとき美丈夫である。
「それがし、第二軍隊長、伊庭八郎秀穎。心形刀流宗家、伊庭秀業が嫡男にござる」
 楓江は思わず、眉目秀麗な両人と三千太郎の面ざしを重ねた。
 扇子を膝下に突き立てた忠崇は、けいけいたる眼光を楓江へ向けてくる。
「請西は小名の家格なれど、君家を思う気持ち骨髄に徹す。先生、いかがであろう。予は遊撃隊と義盟を結びたい」
 楓江はしばし黙考した。
「攻めて必ず取る者は、その守らざる所を攻むればなり。江戸以西は天皇政府の掌中にあれば、箱根の守りも手薄となっておるはず。その軍略、公算大と申せましょう。殿が出馬するだけの価値はございます」
 楓江の賛同を得た忠崇は、白面を紅潮させた。
「一藩を挙げて復仇の一念を貫き、及ばずながら微忠を尽くしたい」
 人見と伊庭は畳に手をつき、ほとばしるような笑みを浮かべて平伏した。

 遊撃隊と提携を誓った後、大広間の下段には楓江だけが残った。ようやく去就を決した忠崇は晴れ晴れとした様子であったが、ややあって、しばし考え込むようにうつむいてしまった。
「徳川義軍府との盟約を反古にして、予の決断は、不義であろうか」
「ご心配遊ばされまするな。我らは敵の後方をかく乱しにゆくのです。大局的にみれば、同じ戦略の下にございます」と楓江はうなずいてみせた。頭の中に房総から相模湾にかけての壮大な絵地図が浮かんでいる。
「さてもこの戦、なかなかに危険な賭けとなりましょう。万一、小田原藩十万石を味方にできぬとなったら、我が軍は、遠征先で孤立無援となる」
「さすがにそれは杞憂であろう。一万石の我らですら決起するのを見て、恩顧譜代の大藩が、奮発せぬはずはない」
 高禄の藩主こそ、いざとなれば忠臣の面目を見せると忠崇は信じている。
「むしろ憂いは、我らが進発した後のこと。錦旗に弓引く災いにより、民を水火に投じることになりはしまいか。予は、三千太郎と約束したのじゃ。木更津を兵火にさらさぬよう努力致すと」
「三千太郎は殿の鎖鎌の師匠でありましたな」
「今は船橋へ出張しておるが、戻り次第、我が手勢に加えるつもりじゃ」
 三千太郎も一足先に出陣した。いよいよ自分も請西候に従い、国を二分する戦に身を投じる。楓江は、感慨深く目を細めて大広間を見回すと、にわかに居住まいを正した。
「殿の憂いについてでござりまするが、忌諱をはばからず、小臣の存念を申し上げます。もし、一藩を挙げて御出陣遊ばすなら、民に禍根を残さぬためにも……」と言いかけて、口ごもった。
「かまわぬ。申してみよ」
 楓江は天井を振り仰いで瞑目すると、深く吐息をついて正面を見据えた。
「恐れながら、この陣屋は、焼いて行かれませ」
 意外の感に打たれたように、忠崇は、ハッと顔をこわばらせた。
 確かに、その通りであろう。陣屋を焼き払い、生きて再び戻らぬことを示すことで、領民がいらぬ嫌疑をかけられずに済む。陣屋ひとつと引き換えに、木更津を、戦渦から守れる。
 楓江は、身を乗り出すように膝をにじらせた。
「それだけの御覚悟が、ありまするか」
 請西立藩からわずか十八年。兎の意匠で飾られた陣屋は、まだ壁や柱の色さえくすんでいない。たった二代とはいえ、歴代藩主の夢の跡に火をかけるなど、さすがに断腸の思いがする。
 忠崇の唇が、かすかに震えた。しばし頭を垂れていたが、やがてまなじりを決して顔を上げた。
「徳川家の御危難を救い奉らんと欲するのみ」
「立派な御決断にござります」
 楓江が平伏すると、忠崇は扇子の要を握りしめて、ぐっと涙を堪えた。

 一万石の規模であると、藩士の総数は八十人ほどである。撒兵隊の二小隊ぶんほどの兵力しかない。が、報恩尽忠の意志を貫く二十一歳の藩主以下、藩士の多くは君臣の大義に殉ずる覚悟であり、いやがうえにも結束が固い。請西兵は遊撃隊の第三軍となり、藩地を捨て、公然と錦旗に刃向かう。藩主自らが脱藩し、藩士揃って浪人となる道を選んだのである。これは、驚天動地の大事件といっていい。戦後、三百諸藩中、請西藩ただ一藩のみが取り潰された事実を先に記しておきたい。それぐらい、忠崇の行動は突飛であり、勇気ある決断であったのだ。

 請西候の悲壮なる覚悟がわからぬ福田ではない。徳川義軍府との盟約が破棄された事実は残念であったが、むしろその赤誠を讃えたいとさえ思った。第五大隊から二中隊を遊撃隊に随行させる取り決めもあるから、本質的な協調路線が崩れたわけでもない。それよりも現時点での懸念は、大原に本陣を構える総房三州鎮静方をどうすべきかであった。そこが南関東における徳川家士の致命的なほろこびであり、一刻も早く阿部邦之助の活動を封じる必要がある。
「そのためには、大原の北に位置する一宮藩(長生郡一宮町)一万三千石を篭絡する必要がある」と福田は説いた。内々に呼び出した使番を、使者に遣わすつもりでいる。
「その辺りの事情はよくわかりましたが、ほんとうにおれでいいのけ」
 そう不安そうに眉をひそめたのは高峰嬌四郎である。
「おれは武士ではねえので、作法も言葉遣いも、家筋の込み入った事情も、何もわかりません。ほんなんで、この大任を果たせるらか」
 福田はにっこり笑ってうなずいてみせた。
「もはや正攻法で交渉に臨んでも、のらりくらりとはぐらかされるばかり。おぬしのような口達者がまくしたてた方が、かえって実を挙げるであろう」
 などと、変な期待を抱かれてのことである。
 名誉ある使者の大役を任された嬌四郎は、太閤記のような出世を夢見る若者だけに、高ぶる興奮を抑えきれない様子で地べたに伏した。
「恐悦至極! 蘇秦、張儀がごとき弁舌をもって、一宮藩をお味方に引き込んでめえります」

 西上総に不穏な動きありと、総房三州鎮静方も察知している。大原の若山村蔵屋敷に陣営を整えた阿部邦之助は、徳川義軍府の攻撃に備え、さっそく農兵の取り立てに着手した。
 折よく近在の和泉村(いすみ市)名主渡辺太左衛門方に、名うての剣客が滞在しているとの噂を耳にした阿部は、席暖まるに暇あらず、自ら馬を駆ってその人物に会いに行った。
「非常取締警衛のため、窮余の一策として、郷邑の農民からなる一隊を創設したいと思うておる。つきましては、先生に、撃剣及び練兵のご指南を仰ぎたい」
「いや。廻国修行の途上なれば、固くお断り致す」
 すげなくあしらわれたが、阿部は涼しい顔を崩さなかった。
「実心斎先生、この申し出を断る道理はないでしょう。拙者が取り締まっておるのは、お手前の一族が加担しておる脱走兵ですよ」
 開き直ったようにそう言われると、なるほど我が一門の不祥事だけに、知らぬ存ぜぬでは済まない気もしてくる。
「しかし、わしは、信条として殺人剣は遣いません」
「先生の兵法は、守りの太刀でありましょう」と、その辺りの事は事前に調べている。「自衛のための農兵隊であれば、防御の剣風こそ、妥当なのです」
 地元の騒動を避けるように外房方面へやって来た実心斎は、太平洋を眺めるこちら側にいても、時勢の波からは逃れられないということを悟った。世話になっている名主の太左衛門も義気の強い男であったから、先生いっちょうやるっぺと大いに乗り気で、実心斎はあれよと農兵隊の隊長に祭り上げられてしまった。

「素振り三年」
 などと、一応は口にしてみたものの、そんな流暢なことを言っていられるようなご時世ではなかろう。
 大原一帯は相給地ではなく、旗本阿部家単独の支配地である。庶流三家の分地合計が一万石となり、規模としては大名に比肩する。しかしあくまでも知行所であるから、有事の場合、兵力の不足が問題になってくる。これを補うための農兵取立であり、志願者には名字帯刀をゆるし、玄米二俵が支給されるという。阿部領では文久二年の兵賦令で組合銃隊を編成した経験があり、銃を扱える農民は少なくない。むしろ銃に力を入れ過ぎて剣の扱いに不慣れな者の方が多い。実心斎が抜擢されたのはそのためだった。
 名字帯刀など一見魅力的な条件かと思われたが、組合村組織から半ば強制的に集められた農兵の士気は低く、不満の声すらあがっている。
「農民安穏に土地産業保づだめの農兵取立などどおっしゃるが、今は農繁期です。こうた時期に稽古などやらされでは、生業が立ぢ行がなぐなる」
 村々の名主に抗議される始末だった。
「領民の訴えもようわかる。なれど、天下の風雲いよいよ急なれば、一刻も早く農兵を運用せねばならぬのじゃ。先生、くれぐれもお願い致す」
 大身の阿部に頭を下げられては如何ともしがたく、実心斎は陣屋に集められた百人ほどの強壮な男たちの前に立たされている。
「そのようなわけで、剣術というものは、素振りを三年やって、ようやく初伝の腕となるわけです。とは申せ、明日のこともわからぬこの時世、三年も木刀を振っておる暇はない」
 と、実心斎にしては精一杯冗談めかした言い方をして場を和ませているつもりであるが、男たちは揃って憮然としている。
「ほうろく調練でもするか」
 ほうろくとは、ふちの浅い素焼きの土鍋のことである。これを兜に縛り付け、木刀で打ち合い、先に割った方が勝ちという演習である。安政の頃、講武所で爆発的に流行し、見物群衆山の如しと評判になったこともある。本来なら騎馬武者の競技であるが、これを白兵戦でやってみる。
 面籠手、竹具足で身を固めた隊士らを東西に分け、最終的に大将のほうろくを打ち割ることで勝敗を決する。
 初めのうちは渋々やっていた者たちも、何度か対戦するうちに目の色が変わってくる。しぜんと見物人も集まり、年頃の娘たちが黄色い歓声をあげるようになると、いやがうえにも闘争心が沸き立つものだ。竹刀舞踊に陥りがちな素人の剣術稽古も、これならば即実戦に活かされるだろう。上覧に訪れた馬上の阿部は、実心斎に視線を送って満足気にうなずくと、少なからぬ酒肴料を農兵隊本陣に置いていった。

 撒兵隊の本隊が、新緑の匂いに包まれた真如寺の軍営に着到したとき、そこから南へ二里余り下ったところにある久留里藩の城門は、まだ開いていなかった。未だ藩論が沸騰し、旗幟を明らかにできずにいる。血気にはやる若い藩士らは断固佐幕を主張しており、若年の藩主に近侍する家老らは慎重論を掲げて譲らない。この藩の場合、佐幕と尊皇の間で揺れているというよりは、そもそも藩主黒田直養その人が勤皇の志を胸中に秘めていたふしがある。それを表明したくても、撒兵隊に包囲されている現状では言うに言えないのだろう。そんな藩主の心情を察している藩老たちは、できる限り軽挙妄動を避けるべく、それこそ体を張って義軍府との開城勧告交渉を長引かせているのだった。
 
 福田総督が哨兵に笑顔を見せながら真如寺の山門をくぐると、待ちかねたように監察役の仙石釩三郎が一行を出迎えた。
「総督、もう埒が明きませぬ。一発大砲をぶち込んで、目に物を見せてやりましょう」
 戸田第四大隊長はこの日も久留里城で交渉中であり、砲兵隊長の天野釣之丞に至っては体調不良を訴えて城下の寺に籠っているという。
 休む間もなく本堂で軍議が持たれた。
 城から馬を駆って戻って来た戸田嘉十郎も加わり、ひとまず進捗が報告される。
「天朝へ加勢然るべきか、徳川方へ御味方よろしかるべきか、封書にて差し出すべき旨を、各々配下に達したとのこと。御家の一大事なれば、黒田候御自ら、藩士銘々の存意に耳を傾けたいとのことです」
 それを聞いて仙石は思わず卓を叩いた。
「もはや久留里は信用ならぬ! 砲丸を天守に撃ち込むべし」
「恐れながら」
 と声を上げたのは、生島万之助輜重隊長の後ろに控えていた梶塚成志である。
「いたずらに砲なぞ放てば、藩兵は防備を厳にし、下手をすれば反撃を招くやもしれませぬ。そうとなれば、前線の兵站が危うくなる」
 福田もこの意見に同調した。
「船橋宿から第一、第二大隊が撤収するまで、攻撃は控える。その間、付近の丘に厳重な哨戒線を布くように」
 この役目は第五大隊の真野大隊長に任された。
 増田率いる第三大隊は早急に久留里西往還道を進んで姉ヶ崎へ向かう手はずとなっている。市原郡椎津村(市原市)を居所とする鶴牧藩を味方に取り込むためである。
 鶴牧一万五千石の遠祖水野家は、徳川家康実母の家筋であり、間違っても勤皇などとは言えない家柄であると義軍府側は認識している。小規模ながらも城主格の大名であり、一万七千坪の陣屋は名目的に鶴牧城と呼ばれていた。「鶴牧」という呼称は当地の地名ではなく、水野家の江戸藩邸が早稲田鶴巻にあったことに由来する。義軍府は鶴牧藩兵と共闘することで養老川の防衛線を強固なもの足らしめんとしていたが、この藩もにわかに旗幟不明瞭となったため、第三大隊が急ぎ示威行為に出る必要があったのだ。
 第三大隊は真如寺で小憩すると、久留里藩主が参勤交代のために整備した西往還道の坂を下って姉ヶ崎へ向かった。義勇隊もこれに加わり、正道と豊を本営に残して出陣した。

 ぽつぽつ、と小雨が降って来た。
 蛇の目傘を開いた豊は、同行している男の頭上にかざしてやったが、そんな配慮に気付く間もなくせかせかと先を急いで行ってしまった。丘の下の大きな農家の前で立ち止まると、
「ごめん。徳川義軍府輜重隊兵糧方、小林萬蔵でござる」と大声で名乗った。
 あせっている。
 六百名内外もいる隊士の炊事をするのに、真如寺の庫裡にある釜の数では到底足りないことがわかったからだ。
 農家の主は屋号「出来山」、武井惣左衛門といった。小作米一千俵、山林三百町歩を持つ大名主である。紋服を羽織って慌てて門口に出てくると、
「こぢらがら御挨拶に伺ったのに、わざわざご足労おがげします」と深く頭を下げた。
「兵食等請に応ずべし」
 小林は出し抜けに申し付けた。
「こらこら。武士はどうしてそう横柄なんだろうねえ」
 改めて豊が頭を下げた。
「釜が足りないんですよ。助けてもらえませんか」
「心配なさんなくていい。さっそぐ、ご用意いだします」
 ここの住民も、やはり徳川びいきなのだった。

 武井惣左衛門ばかりでなく、同じ真里谷村の豪農前田源五兵衛なども駆け付けて、即席の大かまどを四十数個も作り、女たちが炊出しの手伝いに集められた。このあらましを聞いた福田総督は村人の厚意に謝意を表すべく、自ら武井屋敷に足を運んだ。
 徳川義軍府の総大将じきじきのお出ましに、人々は慌てて土下座しかけたが、福田は「かまわぬ、かまわぬ」と片手を左右に振った。
 降ったりやんだりしていた雨も今はやんでおり、親たちが連れて来た子供らがかまどの周りを走り回っている。よそ見をしたまま勢いよくぶつかってくる子もいたが、福田は笑って頭をなでた。
 惣左衛門が揉み手をしながらかしこまり、女房に「お茶を」と耳打ちした。
 縁側の、真菰で編まれた円座に腰を下ろすと、かいがいしく炊き場を取り仕切る豊の姿が見える。
 小林萬蔵が駆けて来て、片膝を付いた。
「総督のわざわざのお出まし、誠にかたじけのうござります」
「米は、足りておるのか」
「率直に申しまして、御用切迫。しかれども、ここの名主らが三百俵供出してくださいました。これもひとえに日光廟の御神慮にござりましょう」と目を潤ますのだった。
「その旨、会計方に伝えよ。借用証書を与えねばならぬ」
 薪の煙と炊煙が、湿った空気にゆっくりと溶け込んでゆく。その匂いが山林の香と入り交じり、なんとものどかな山里の夕暮れであった。
 惣左衛門の女房がうやうやしく茶を運んできた。一口飲むたびに福田は、「うまい」とうなった。
「あれ、八っつあん、来てたの」豊が振り返った。
「ねえ、可笑しいったらありゃしない。みんなあたしのこと、男だと思ってる」
「まさか。豊さんはどう見ても……」と言いかけて、福田もハタと思い当たる。いったいどこの娘が西洋の戎衣なぞ着ていよう。髪も短く切り詰めているし、事情を知らぬ者が見れば絶世の若衆と思っても無理なかろう。
 思わず福田も噴き出した。
「あたしやっぱり、女としちゃ終わってるのかねえ」
 豊も笑って縁側に腰をかけた。
「ここは山菜が豊富だよ。夕餉に、わらびかふきを使って何か一品作ってあげようか」
 己が戦場にいることを、福田はややもすれば忘れそうであった。いや、そもそもここは戦場なのだろうか。自分が撒兵隊などを引き連れて来なければ、泰平二百有余年、静かな山村のままではないか。
 豊と出会って以来、これまで感じたことのなかった感情が時々胸をよぎるのだ。事態が差し迫りつつあるこんな時でさえ、このままここでひっそりと暮らせたら、などと、愚かな感慨を抱きもする。
「豊さん」
 福田は思いつめたように豊の顔をのぞき込んだ。
「拙者の実父は川上金吾助と申して、長らく各地の代官を勤めておりました。弘化四年の善光寺地震、嘉永七年の大飢饉に際し、独断で大規模な減免を行い、農民の救済に尽力しました。領民からその善政を讃えられ、生神様として祀られておるのです。今でもかの地へ参ると、川上社や川上大明神というものがある」
「へえー、偉い人なんだねえ」
「拙者は、父のようでありたいと思うてきた。至仁至愛の心を以って、万人の生活を安泰にする道を行わしめんと志してきたのです。拙者が小栗上野介様に教えを乞うたのは、広く産業を起こし、国力の増強を図らんとする師のお考えに共感したからであり、仏語を学んだのも、そのため以外の何ものでもござらんかった。しかるに……」
 なんでこんなところで百姓に御用米を供出させ、かまどまで作らせ、炊出しに人々を駆り出させているのだろう。福田はしばし、ことばがなかった。喉元に込み上げてくるものがあり、胸が締め付けられるように苦しい。
 まばたきもせず、絶句したままの福田を見て、豊はぽんと縁側から飛び降りた。
「よし。ふきの酢味噌を作ってあげる」
 福田のよれた陣羽織を片手で直しながら、にっこり笑ってみせた。

 撒兵隊が木更津を出て、内陸の丘陵地帯に入ったとの情報は、勝海舟陸軍総裁の耳にも入っている。この事態は歓迎すべきであり、海上から視認できない場所へ移動することで、ますます新政府軍の心理的脅威となるだろう。この時期、小山で勝利した旧幕府混成軍は宇都宮城へ寄せて死闘を展開しており、兵馬悍強と謳われた会津藩兵もいよいよ北関東へ繰り出している。これとは別に、利根川沿いを北上して来た約千人規模の幕軍が岩井(茨城県岩井市)で先端を開き、官軍主力の薩軍に撃破されるも敗残兵が抵抗を続けており、総野の戦況は益々混迷を深めていた。
 なにより新政府軍にとって頭が痛いのは、天領の多いこの地域では、住民が幕軍兵士のことを「脱走様」と呼び、何くれとなく支援を惜しまないことだった。それによっていつまでも関東を圧伏できない先鋒総督府内部には厭戦気分が広がりつつあり、勝による前将軍の江戸召還要求も実現しそうな気配をみせている。強硬派の大村益次郎軍防事務局判事もまだ着任していない。
 ようやく思惑どおりに事が運びつつある勝のもとへ、再び撒兵隊に関する続報が届いた。養老川河口の海岸付近に、大隊規模の兵団が姿を現したという。船橋へ向かった第一大隊か、鶴牧藩と折衝するために出て来た第三大隊のことであろう。思わず勝は、
「べら棒め」
と口走った。
 目下戦線は奥州街道に沿って南北に長く伸びており、その背後を撒兵隊に衝かれることを先鋒総督府は極度に恐れている。この心理的不安を煽ることで有利な講和条件を引き出してきただけに、撒兵隊に目立たれては困るのだ。明らかな軍事行動が開始されれば話し合いの余地など無くなり、窮鼠猫を噛むごとく新政府軍も火蓋を切るだろう。榎本武揚が海軍の暴発を抑え、山岡鉄舟らが必死になって上野彰義隊の鎮撫に努めているのも、徳川宗家の復権まで、あと一歩のところにきているからだ。
 勝はすぐさま武総取締役の松濤権之丞を呼んだ。
 松濤は、江戸の民政及び治安維持を委任されている御三卿田安家の家士であり、文久三年に遣仏使節の随員として海外を見聞したこともあり、勝が片腕とも恃む恭順派の幕臣である。岩井で敗れた脱走兵の武装を解除すべく松戸の金ヶ作陣屋へ入っていたが、馬首を返して江戸へ戻って来た。
「ここに至って撒兵が、不穏な動きをみせていやがる。困った野郎どもだよ」
「船橋にも一部が宿陣しているとの報告を受けています。江戸へ討ち入るつもりでしょうか」
「いいや、素六や増田がいるかぎり、そんな阿呆なこたあしねえだろう」
 そうは言ってみたものの、確信は持てない。
「何か思惑があるにせよ、今は下手に動かれちゃあ困るんだ。済まねえが松濤、使者に立ってくれんかえ」
「もし士官どもがこちらの意に従わなかったら、如何致しますか」
「文字が薄い連中じゃねえから、諭してわからんこともなかろうが、万一手に余るような事態ともなれば、おまえさんの専決に一任する」
 さっそく松濤は、護衛の荒田平之丞を伴って出立し、霊岸島から七丁艪の押送船に乗り込んだ。相変わらず雨がぱらつき、波も高く、どうやら今年の天候は不順であるらしい。

 山越えの道をズンズン行くと、栗の花のにおいに混じって潮の香りがしてくる。外房の海蝕崖に出た永峰嬌四郎は、生まれて初めて太平洋を見た。諏訪湖より大きな江戸湾よりも、さらに大きい。大きいというより、海の向こうに陸がない。水平線を端から端まで眺めて、この世の果てみてえだと思った。が、大志を抱く青年の詩情を揺さぶる壮観でもある。功を天下に立つると意気込んで、見晴らしのいい高台に建つ一宮陣屋に乗り込んで行った。
 徳川義軍府の印が押された開城勧告状は予想していたよりずっと効力を発揮した。嬌四郎は上座に据えられて、家老たちが一段下がって平伏する。一宮藩一万三千石は、八代将軍吉宗の側近が藩祖であり、現当主は四代目加納久宜、家督を継いだばかりの二十一歳であった。この家は代々開明的であり、全国に先駆けて洋式兵法を取り入れ、海岸防備の砲台を設置したことでも知られている。眼前に太平洋が広がっているだけに、外国の脅威を肌で感じる環境なのだ。久宜は時勢の赴くところに従い、先鋒総督府が駿府に入った三月の時点で勤皇証書を提出している。表立った行動にこそ出ていないが、完全に勤皇藩になっていたのである。
 しかし、一万三千石程度の兵力で徳川義軍府と敵対するのは無謀であると藩政府は判断し、嬌四郎を丁重に迎え入れた。表向きは佐幕のそぶりを見せる他なかったのだ。
 嬌四郎の方も、なめられちゃいけないと思っているから、いきおい口ぶりが横柄になる。
「尋問の筋がある。藩主に目通り願いてえ」
「御用の向き、主人に代わり、我らがお伺い申し上げます」
 家老の小泉重兵衛以下、重臣たちが平に頭を下げた。藩主久宜は江戸在府中で、国元にいない。
「なぜおまえさん方は徳川義軍府の本営にまかりこさぬ。父祖代々の恩顧ある徳川家に殉じ、我らと共に王師に抗することこそ、人としての節ずら」
「一藩浮沈の事態であれば、なかなか藩論がまとまらぬのでござります」
「大小を腰にして育ったあんたらが、何を優柔不断なこん申しておるのか。直ちに兵を纏め、我が陣営に馳せ参ずるべきずら」
 嬌四郎の胸に、いささか快感が込み上げてくる。上下姿の上級武士が、顔さえ上げられずに縮こまっているのだ。さすがに気分が高揚し、少しばかり歌舞伎的な節回しになってしまう。
「君恩に奉ずるはこの時なるぞ。朝廷の威をかる薩長の輩と一戦交えるべし」
 じりっと一膝寄って申し付けると、家老らは打ち伏したまま言いよどんだ。
「恐れながら、いましばらく、時日をかしていただきとうござります」
「ならん! 加納家は譜代大名なのだから、決して徳川家をおろそかにできんはずだ。異志がねえのなら、すぐに返事をしろし」
「もっとものことながら、一日だけ、せめて一日、ご猶予くださりませ」
 しばし押し問答が続いたが、武士というものは、なんと頑固なものだろう。嬌四郎は根負けした。明朝までに返答せよと申し付けて、交渉は中断した。
 それにしても、お武家さんに一泡吹かせてやっていい気味だ。乱世も悪くねえなと嬌四郎はご満悦であった。家老らが用意した旅籠で足を休める前に、少しばかり辺りを散策してみようという浮いた気持ちにもなる。
 陣屋は外房往還に面し、宿場では市も開かれて賑わいをみせている。海岸線に沿って植えてある防砂防風の松林が遠望できた。地引網漁と茶の栽培が盛んな土地で、一宮川河口の蜆の養殖が特産品である。蜆は将軍に献上されていたそうだが、今後はどうなるだろうか。領内にある玉前神社が観光名所であり、ここは上総国の一之宮でもある。嬌四郎の足は真っ直ぐそこへ向かっていた。ぜひとも戦勝祈願をしておかねばなるまい。

 一の鳥居をくぐってふと顔を上げると、雲間から太陽が覗いていた。こりゃあ縁起がいいやと石段を上る足取りも軽やかに、お賽銭も天保通宝の一枚ぐれえ入れておかっかと戎服の下の胴巻をごそごそ探りながら二の鳥居をくぐる。社殿はさほど大きくないが黒漆塗りの権現造り、屋根は銅板葺きという堂々たる構えである。夏ともなれば浜降り神事で有名な、いかにも漁師町らしい雰囲気の神社であった。
 一度は手に取った天保通宝を引っ込めて、一文銭を賽銭箱へ投げ入れると、傍らの立札が目に留まる。そこに書かれた由緒によると、祭神はタマヨリヒメ命、初代天皇の母であるという。打倒王師を神社に祈願するなど罰当たりではねえずらか、とためらったが、すでに入れてしまった一文ぶんの願いは聞き遂げてもらわざぁと柏手を打った。その瞬間、嬌四郎の背後に忍び寄る者があり、口をふさがれ、押し倒されてたちまち捕縄にかけられた。
 一宮藩士に無礼打ちにされるのだ、と嬌四郎は色を失った。目隠しされ、身動きも取れず、ああ、武士の真似事などするんじゃなかった、助けてくれ! さるぐつわの下から、必死にうめき声をたてた。 

 しばしの時が流れ、疲労で意識が遠退きかけたとき、ようやく目隠しがはずされた。そこは農家の奥座敷とおぼしきところであり、床几に腰を据えている男が目の前にいる。商家の若旦那のような面立ちをしているが、脇に侍を数人従えていた。さるぐつわをはずされると、嬌四郎は堰を切ったように声を上げた。
「命だけは勘弁してくれ。おれはただ命令されて一宮へ来ただけだ。佐幕とか尊皇とか、ほんな主張は一切ないし、あんたらを愚弄するつもりなど毛頭なかっただ。ゆるしてくれんけ」
 目の前の男は怪訝そうな顔をして、わずかに首を傾げた。
「その見苦しい態度、そなた、武士ではないな」
「そうだ。武士ではねえだよ。おれは甲州の医者の息子で、武家とは一切関係ねえだ」
「武士ではないのに義軍府の使者を勤めるとは、おぬし、それなりの才子なのであろう」
 と言われればまんざらでもなく、
「ほりゃあ、そこらの俗輩とは少しばかり頭の出来が違うかもしれんけど」などと、少々したり顔で頷くのだった。
「わしは、総房三州鎮静方、阿部邦之助である。そなた、命が惜しくばわしに従え」
 嬌四郎は額を擦り付けんばかりにひれ伏した。
「ただちに義軍の本陣へ戻り、一宮藩は佐幕の素志を貫徹する故、外房方面に憂いなしと虚偽の報告をしてまいれ。また、砲兵隊の天野釣之丞に、できる限り撒兵隊と一線を画し、殺伐の事態に至らぬよう申し伝えよ」
 嬌四郎は仰天した。
「ほれでは徳川義軍府に負けろて言ってるも同じだ」
「いかにも。負けろと申しておるのじゃ。直参が犬死せぬよう速やかに幕軍を解体し、水陸軍人並びに子弟の俊秀なる者を集め、国家百年の計を樹てるべく、徳川兵学校を開校する。新たな世に処する人材養成を主眼とし、漢学、洋学、数理、図画、体操練兵等の課業を授け、学生諸子を朝野に輩出せんと欲しておる」
「それこそ……」と言いかけて、嬌四郎は涙をにじませた。
「それこそおれが求めてたものだ。おれは学問で身を立ててえ。学を修めて出世してえ。おれは武士ではねえけんど、撒兵隊では下役並ちゅう役職にもついてる。どうかおれを、その学舎に入学させてくれんけ。お願いだ」
 阿部は表情をなごませると、鷹揚にうなずいてみせた。

 城山の頂上に、二層二階の天守閣が見えている。築城にあたって連日雨が降ったという故事から、久留里城は別名「雨城」とも呼ばれていた。今年はその名にふさわしく、連日小雨が降りやまない。藩庁は麓の三ノ丸御殿にあり、城下は平素、交通の要衝として栄えている。この土地は房総半島のちょうど真ん中に位置し、陸路の結節点となっていた。これをみても、徳川義軍府の企図が、まずは房総支配にあったことがうかがえる。なんとしても久留里城を手に入れたい上層部は砲兵隊の総力をここへ投入している。大手門前に据えられた砲はいずれもフランス製の前装式四斤山砲であり、城内の藩兵を震え上がらせた。
 この一座六門を率いる隊長は天野釣之丞であるが、着陣以来、一度も現場に姿をみせたことがない。砲兵隊そのものも付近の寺院や旅籠に分営して前線をうかがう様子もなく、雨除けの油紙をかぶせた砲の傍らに若干名の歩哨を立たせているだけであった。初めのうちは久留里側も、これは何かの策略ではないかと疑っていたが、寄せ手の士気が実際に低いという事実においおい気が付き、開城勧告に応じない理由の一つとなっている。
 監察役の仙石釩三郎が、砲兵隊の本陣となっている真勝寺の縁廊下を踏み鳴らし、僧房の一室へ乗り込んだ。
「天野殿、貴殿はいったい何をしておられるのです。ずっとここへ引き籠っておるだけではありませぬか」
「病であると申しておる。おぬしは指図役下並であろう。砲兵頭のわしに物申すか」
 病臥中であるはずの天野は、脇息にもたれかかって何やら洋書を読んでいる。仙谷は膝を乗り出すようにして詰め寄った。
「撒兵隊は軽歩兵であり、砲兵隊と協同行動をとるものとされております。大砲のない撒兵なぞ、幕軍の主力たり得ませぬ。歩砲同列、火力あっての我らなのです」
「そのようなこと、おぬしに指南されずともわかっておるわ。先日の軍議で久留里城を攻めぬと決めたのであろう。本営の方針に従っておるまでよ」
「第三大隊が姉ヶ崎方面に繰り出しております。もし決戦となればそこが主戦場となります故、砲兵隊も一部を割いてご出陣されたし」
「ならぬ」
 天野は洋書を閉じて声を荒げた。
「久留里の包囲を緩めれば、城兵が打って出て来るやもしれぬ」
「包囲ですと?」仙石は思わず失笑した。「大砲を大手門の前に並べておるだけではありませぬか」
「無礼もの!」天野は脇息を払い飛ばした。
「一門三十発程度の弾量しかないのじゃ。ひとたび攻城戦ともなれば、攻撃正面に火力を集中するのが常套戦術であろう。一門たりとも他に割く余裕なぞないわ。わかったら、とっとと立ち去れい」

 真如寺の本営に戻った仙石は、福田総督の顔を見るなり、
「てんで話になりませぬ」吐き捨てるように報告した。
「天野隊長ばかりでなく、砲兵隊自体も、勝総裁の息がかかっておるとみて間違いありませぬ。二腹持っている部隊をあのままにしておくのは危険にござります」
「なにか打つ手はあるまじきか」
 いつもはそんなそぶりをみせない福田でさえ、額に手を当ててうなだれてしまった。
 幹部らは腕を組み、しばし黙然としていたが、正道がつと立ち上がった。
「わしが天野を斬ってきます。必要とあらば下士官どもも斬って捨てる。無用の冗兵を除き、士気の回復を図りましょう」
「まてまて」
 同じ徳川臣僚を討ち果たすことに、誰もが心情的な拒絶感を示した。しかし正道は一同を見回して、
「事態は焦眉の急、是非曲直を争っている場合ではありません」
 きっぱり言い切って、一座を下った。
 誰も正道を止めなかったのは、もはや天野の粛清は避けて通れないと認めていたからかもしれない。むしろ問題は、隊長亡き後、誰が砲兵隊を指揮するかである。
「間宮殿」
 福田の顔も苦渋に染まっている。
「そなたはもともと砲兵頭並じゃ。天野隊長の後を引き継いでくれぬか」
「わしは傭格歩兵隊を任されたばかりです。そこまで手が回りませぬ」
 苦笑にも似たため息を、間宮鉄太郎は漏らした。
 またしても生島万之助輜重隊長の背後に控えている梶塚成志が、「恐れながら」と控えめに進言した。
「仮に砲兵隊が二心を抱いておるにせよ、天野隊長の申しておることにも一理ございます。陣地を引き払えば、久留里藩はますます自重中庸の態度を決め込むのではありますまいか。砲は大手門前から動かさぬが賢明」などと、詭弁もいいところだと自覚している。梶塚は、何としても義軍府の暴発を抑えたい。無事にこの難局を切り抜けて、阿部邦之助の提唱する徳川兵学校設立にかかわりたい。彼の脳裏にはいつも、江戸へ残してきた妻と幼い子供らの顔が浮かんでいる。家族の未来を守るためなら、知恵をふり絞って生き残る覚悟を固めているのだ。
 陣卓の前へ進み出ると、梶塚はじっと絵地図に目を凝らした。房総往還沿道の地形を思い出しつつ、しばし計略をめぐらす。
「目下、第三大隊が姉ヶ崎に向かっておりまするが、鶴牧城を見下ろす丘の上に姉崎神社がございます。ここに砲を一門ばかり据えておけば交渉を有利に運ぶ脅威となりましょう。当面、我らに必要な砲はこの一門のみであり、間宮様の傭格歩兵にこれを牽かせ、久留里の攻城砲は据え置きとする。如何でござろう」
 鶴牧藩の城(陣屋)を前哨基地にすることができれば、養老川の防御線はいっそう強固なものとなり、たとえ討伐軍が押し寄せても戦線は膠着するだろう。勝総裁の見通しを信じるなら、この間に寛典の御沙汰が仰せ出され、前将軍の江戸帰還がかなうはずであった。フランス製四斤山砲も、少なくとも五門は無傷のまま温存できる。梶塚が眉間に気迫を込めて視線を送ると、間宮もその意図を敏感に察し、
「なるほど仰せの通りにござるな。しからば急ぎ久留里へ向かい、砲一門を牽いてまいろう。ついでと申しては何であるが、天野隊長を問責してまいる故、その処分についてはしばし保留としてくだされ」
 と、天野の助命にまで言及した。
 福田も内心では天野を死なせたくなかったから、むしろこの提案を歓迎し、間宮に隊長以下砲兵隊の処分を一任した。今のところ恭順派の思惑通りに事が運んでおり、梶塚と間宮はようやく自分たちが主導権を握りつつあると感じた。

 「鶴牧藩」と聞くだけで、誰もが畏敬の念を覚える。それぐらいこの藩の存在は天下に知られている。藩主水野忠順は学問を奨励し、藩士は八歳から二十五歳まで藩校「修来館」に在学することが義務付けられていた。漢学一科に算法や筆道、刀槍などの武芸も兼修する。動員兵力百人ほどの小藩であるにもかかわらず、学問所奉行や教授方など、教育に携わる官吏が二十人もいたというから、その好学ぶりは半端ではない。司馬遷の注釈書として知られる明版『史記評林』に増訂を加えるという編述事業に巨額の藩費と歳月を費やしており、全国三百諸藩の中でも抜きん出る教育水準で知られていた。およそどの藩の藩校でも、修来館の動向が時おり話題に上ったほどである。
 
 鶴牧藩庁の門前に植樹されているソテツが、いかにも温暖な内房らしい風景だと増田直八郎は思った。
 西に遠浅の海が広がり、東に標高二百メートルばかりの房総丘陵が迫っている。地図上で俯瞰すると、養老川の下流に開けた沖積平野の南端に位置しているのがわかる。この立地は兵站基地としても有効だし、いざとなれば詰めの城にもなるだろう。なによりも、と増田は考える。いかに敵方が好戦的であったとしても、学問の殿堂たる鶴牧藩の陣屋に火をかけたりはしないはずだ。いささかあこぎな言い方をすれば、この藩を味方に引き込むことで、巨大な知的財産を人質に取るようなものであった。結果として戦争を回避する盾となるだろう。
 増田が面会を申し入れると、城代家老の寺嶋高重が直々に応対に当たった。その交渉態度は他藩と同じく中立的であり、曖昧な返答で話をはぐらかし続ける。増田は自分の本心が恭順であることをほのめかしたが、寺嶋はむしろ誘導尋問を警戒するかのように懐疑心を強めるばかりであった。
 そうしているうちに、第三大隊の本営が置かれた一乗山妙経寺に、梶塚成志と生島万之助隊長が輜重隊を率いて着陣した。
「今しばらくお待ちくだされ。間宮様が到着次第、姉崎神社に一門据えて砲台とします」
「結局は、脅しつけるしかないのか」増田はほろりとつぶやいた。

 到着早々生島は、湯茶をすする間さえ惜しむように、
「養老川周辺の実地検分をせねばならぬ」と増田をせかした。一刻も早く兵站支援体制を構築する必要があったからだ。
 三人は馬を駆り、川筋を下流から見て回った。
 養老川は大きく蛇行しながら江戸湾へ注いでいる。両岸に田植えの進んだ水田が広がり、晴れた日は筑波山も遠望できる見晴らしの良い平坦地である。
 馬上、生島は、
「これはいけませんな」と、繰り返しつぶやいた。
「見通しがききすぎる。ここで敵を迎え撃つとしたら、広大な野陣を布くことになる。防御線は十四町(一・五キロ)にも達するであろう」
 梶塚も地図と指南針(コンパス)を眺めながら顔を上げた。
「兵站基地は、鶴牧城の他にもう一か所必要になるでしょうな。ここから東へ十八町(二キロ)先の、永津村辺りが適地かと」
「急ぎ周辺の村々から金穀を徴発し、新たな陣地を構築せねばならぬ」
 言わずもがなのことであるとは知りながら、増田は生島に声をかけた。
「やはり村民から軍用金の調達をせねばならぬか」
 眼鏡を取り出した生島は、鞍の上でせわしなく算盤をはじいている。増田に目もくれずに答えた。
「村民ばかりか鶴牧藩にもさっそく五百俵ほど供出してもらわねばならぬでしょう。ここを死守せんとするなら、第一大隊、第二大隊の来援がどうしても必要になる。第三大隊と義勇隊だけでは、率直に申して勝利は期し難い」
 薄暗くなりかけた空の下で、生島は目を凝らしつつ算盤の珠を加えていた。
 養老川の下流は、川幅に比べて河床が浅く、ゆったりと水紋が流れてゆく。
 あくまでも勝総裁の方針に従うつもりの増田は、ここを戦場にする気は毛頭なかったし、梶塚も同様の心構えである。が、生島が算盤を傾けてご破算の音をたてるたびに、かすかな胸騒ぎを覚えるのはなぜだろう。養老川の一帯が、あまりに静かであるからだろうか。

第十二章 総州にかかる雲

 船橋といえば宿場遊女が有名である。これは全国どこの街道でもそうであるが、ある種の旅籠屋には飯盛女と呼ばれる女給がいて、揚代を出せば性の相手も勤めた。船橋の妓は旅人の袖を引いて「しべえ、しべえ」と迫る。しよう、の方言だ。江戸から成田山新勝寺へ参拝する観光客は、これを行も帰りも聞くことになるから、四べえと四べえを足して「八兵衛」などと揶揄した。寺社参拝ついでの遊興は俗に精進落としと呼ばれ、男らは潔斎後の羽目はずしを大らかに楽しんだものである。
「大神宮あり。八兵衛名高し」という船橋宿にあって、堀岩五郎率いる第二大隊は、福田総督の布告に記された「もし酒色に迷い不行跡の振る舞いなど致す者これあり候ては義軍府とは決して申し難く」という細則を厳守している。駐屯以来、八兵衛を買うような兵は一人もおらず、茶屋にさえ出入りしていない。取締りが厳重に過ぎるのか、宿場全体が活気を失ったように静まり返っていた。
 第一大隊が船橋大神宮の鎮座する高台の下に到着すると、すでに番所が設けられていた。形式的であるにせよ、抜き身の槍を手にした歩哨に誰何の声を向けられる。
「撒兵頭、江原素六である」
 守備兵らは両の掌をももの脇にぴたりとつけて敬礼した。
 一行を笑顔で迎えたのは、第二大隊第一中隊長、堀江信助であった。
「本営は神宮に定めてござるが、堀大隊長は本陣にてお待ちしております」
 本陣とは、公用の旅舎のことである。
 馬から降りた素六は、配下の中隊長四人と、護衛の義勇隊士四人を連れて堀江の後に続いた。
 素六が問責に来たのだと、堀江は思っている。再三にわたる撤退命令を堀大隊長が無視してきたからだ。それゆえ、少しでも場を和ませたいのであろう、神宮下の西鳥居で足を止めて、
「ここが歌川広重の諸国名所百景に描かれた景色にござる」と振り返って言った。
 江戸湾最奥の船橋は、参勤交代や成田詣での宿場町として栄え、海老川の下流に海運業も発達し、江戸かと見まがうほどの家数である。堀江は西参道前の往来へ体を向けて、
「ここより成田街道と上総道が分岐します」と、これもわざわざ両道の方角を指し示して説明した。
 船橋の立地は今でいう「ジャンクション」であり、成田街道が行徳道と合流し、神宮下で上総道に分かれ、さらに前原で東金道とも分岐する。久留里と同じく交通の要衝であった。それゆえここを簡単に放棄できなかったのだと、堀江は暗に示したかったのかもしれない。
 海老川の細い流れにかかる橋を渡ると、葵紋の幔幕を張り巡らせた本陣があった。関札が掲げられ、他の者の宿泊は差止められている。
 大名気取りか。と素六は不快感を覚えた。

 関札に「徳川義軍府宿」と書かれており、玄関前の広場に小隊規模の兵士が叉銃休憩していた。素六を見て慌てて起立しかけたが、気遣い無用というそぶりを片手で示した。
 堀もさすがに上段の間の使用は避けており、素六らが通されたのは書院である。木更津駐留の折、福田総督が紺屋、素六が米屋を宿舎にしていたのと比べると、雲泥の差であろう。こういったところに堀岩五郎の出自の良さが表れているのかもしれない。五百石取り両番筋の出であり、講武所では素六と同役の砲術教授方を勤め、一時は御三家の紀州藩にも出向している。撃剣の腕も立ち、将軍親衛隊たる遊撃隊の肝煎でもあった。
 撒兵隊の大隊長の序列は、素六が撒兵頭(大佐)、他は頭並(中佐)であるから、堀大隊長もそこは礼式を重んじて座の右側に端座している。第一、第二大隊の将校らが向き合うと、開口一番、素六の詰問が始まった。
「本営からの再三にわたる撤退命令にもかかわらず、何故これを無視し続けたか。幕府陸軍刑法に将校の罰則がない故、今度ばかりは不問に付するが、その方らの勝手な振る舞い、本来ならば許すまじき所業である」
「お言葉を返すようでござるが」と、堀も素六を睨み据える。
「治乱の定まるところは会津藩の勝敗にかかっておる。四藩(薩・長・土・芸州)は全力を傾けて会津を潰しにかかるであろう。賊臣もし会津征伐に下ることあらば、我らはその背後を突かんとす。これが義軍府の戦略であったはず。福田総督も決起趣意書に書いておる。官軍もし襲い来たらば、一同発奮、よろしく大義の旗を立て、速やかに禍根をとり除くべく、会津並びに東北諸藩と連携し、兵を江戸へくりこみ、もって徳川恢復の志願をとげんと欲するのみ、と」
 素六は黙したままうなずいてみせた。堀は続ける。
「背後を突くにせよ、江戸へくりこむにせよ、佐倉藩が賊方へ下れば元も子もない。十一万石の軍勢が房総半島の出入り口を塞ぐことになる。佐倉城の位置を、今一度、とくとご覧あれ」
 幕僚が畳に広げた絵地図の上に、堀は指揮杖の先端を向けた。
「総構えと馬出しを構えたこの城は、ひとたび敵の手に落ちたら、たやすく抜けぬ。故に我が大隊は、事態が最悪の域に至らぬよう、佐倉と江戸の連絡を絶つべく、ここ船橋を押さえておるのじゃ」
 宿役人が運んできた茶を、素六は一口すすった。
「ひとまずは堀殿の申すこと、ようわかった。して、佐倉藩との交渉に進展はあったのか」
「悪化の一途をたどっておるのが実情」
 堀は忌々しそうに顔をしかめた。

 最初の使者、撒兵差図役石井謙次郎を佐倉藩に遣わしたのは寒川上陸の直後であり、対応に出たのは重役の熊谷左膳。石井は言葉を尽くして説得に当たっている。
「かねて会津藩との申し合わせもあり、不日幕府の大権を恢復せん手配にて、房総の諸侯いずれも応援を約さる。御当家も、大河内正道をしてすでに義兵を挙ぐるとの盟約あらば、速やかに来援願いたし」
 熊谷は、不承不承に答えた。
「藩主は前将軍の助命を歎願するため上京の途次にあり、この様な相談に及ばれては朝廷から嫌疑を受ける懸念もある。さらにまた同僚も不在ゆえ、委細を申し送り、しかと確たるお答えに及び申さん」
 国元では予想もしていないことであったが、藩主堀田正倫は、この時すでに新政府の手によって幽閉の憂き目にあっていた。尊皇と奉幕の両立し難き折柄、歎願の儀は、かえってあらぬ疑いをまねいてしまったのである。
 青天の霹靂ともいうべき難局にあたって、急きょ藩政を執ったのは老臣平野重久であった。
 二度にわたって幕府老中を勤めた前藩主堀田正睦の懐刀であり、日米修好通商条約の締結や将軍継嗣問題などに直接かかわった経験もある。先代亡き後も次代の正倫を支えてきたが、思わぬこの失態である。平野は京師で天下の大勢をつぶさに洞察し、時勢の赴くところ、朝臣とならぬかぎり家名存続は図れないと悟った。その決意を秘めて帰国し、藩内の佐幕派と真っ向から対立する。
「慶喜公の一意恭順に従い、徳川氏のために勤皇を尽くさねばならぬ。軽挙妄動は慎め」
 という平野の主張は、藩校成徳書院の諸生を中心とする佐幕派を激怒させた。この一派こそ正道と盟約した義軍府の同志である。平野は臆することなく彼らの主張する旧幕加担論を、「僻論である」と一蹴したのだった。
「徳川氏に報ゆるは、別にその道あり。勤王は、いやしくも日本の臣民として違うべからず。かの薩長の二藩、今はしも王師である。努々これに抗すべからず」
 下手をすれば藩内抗争に発展しただろう。が、折しも奥羽の諸藩が連衡して会津を援けるとの情報に接し、血気にはやる藩士らは奥州に赴き本藩の正義を明らかにせんと脱藩してしまったのである。これにより、佐倉藩は徐々に尊皇の旗幟を明らかにしてゆく。
 熊谷が「しかと確たるお答えに及び申さん」と保留にしている件について、平野はもとより返答などしなかったため、堀大隊長はしびれを切らし、二人目の使者、撒兵指図役古田新十郎を派遣している。刻々と尊皇に傾きつつある佐倉藩の動向を察知した古田は、焦りもあったのだろう、平野に取りすがらんばかりに食い下がり、
「もし官軍から命あって撒兵隊を討てと言われたら、貴藩は遠慮なく我らを御討ちなさるか。我らが危急のときも傍観して御救い下されぬか」と訴えた。
 老練な政治家である平野は、この口吻を察するだけで充分だった。徳川義軍府は総州にて孤立しつつあると確信したのである。
「さような事を容易く独断で返答致しかねる」
 以後、古田との面会に応じていない。
 堀大隊長としては、古田が戻ってくるまでは交渉継続中と判断する他なく、古田は再度の面会を求めて城下に留まり続けているという状況であった。

 それでなくても気難しい素六の顔が、みるみる険しくなる。
「佐倉藩との交渉が暗礁に乗り上げておるなら、ただちに撤退すべきではないか。東征軍が江戸川を渡ったら、我らはたちまち挟み撃ちに合う」
「その点は心配無用」堀は指揮杖で絵地図の上を指し示した。
「国府台に参集した大鳥軍、江戸川を遡上した貫義隊などは宇都宮で交戦中であり、誠忠隊、忠義隊、純義隊他、後発の諸隊も利根川を渡って戸頭方面へ進軍中である。総督府は野州掃討にかかりきりで、ここら一帯は空白地帯になっておると申してよい」
「我が方の哨戒線はどこまで張っておる」
「鎌ヶ谷から正中山法華経寺にかけて」
「これまでに、先鋒総督府からの接触はなかったか」
「一度ばかり」
「如何ような応対を致した」
「追い払った」
 素六は思わず声を荒げた。
「足下に総督府の使者を追い払う権限はない。いったい先方は何を申してきた。恭順の呼びかけであったか」
「武装解除、並びに叛逆首謀者三名の引渡し」
「叛逆首謀者? それは、誰のことか」
「江原大隊長、天野砲兵隊長、間宮鉄太郎殿」
 素六は眼をみはった。
 しばしまばたきするのも忘れて茫然としていたが、はっ、と思い当たる。
 撒兵隊の江戸脱走の際、最後に総督府との交渉に当たったのが、この三人だったのだ。確か、こう言ったはずだ。
「我らはただちに木更津へ赴き、尊威を冒瀆する心得違いの者どもを、朝命に復させんがため、説諭致してまいります」
 木更津辺へ脱走の兵隊取鎮として出張云々、と連名の届書を提出し、堂々と霊岸島から船に乗り込んだのだ。
 総督府は地団駄を踏んだのだろう。こちらからすれば方便だったとはいえ、虚偽の届書に名を連ねた三名こそ、幕軍大量脱走の首謀者とみなされたわけである。
 しまった。素六はほぞを噛みたい思いだった。

 悪いことは続くものである。ちょうどこの時、斥候が本陣に駆け込んで来た。
「申し上げます。誠忠隊以下、戸頭方面へ進出の友軍、岩井にて敗北。目下流山辺りを敗走中」
 卒然と堀が身を乗り出した。「して、敵の動きは」
「備前岡山藩、安濃津藩の小隊が江戸川を渡りましてござります」
 幸いにも薩長土の主力部隊ではなかったが、いよいよ新政府軍が目前に迫って来た。矢切の渡し付近が渡河地点だとしたら、すでに松戸か市川に布陣しているだろう。
 第一大隊の中隊長の中でも、特に気性の荒い渡辺儀左衛門が声を上げた。
「撒兵頭の江原大隊長を引き渡せなぞ、奸藩どもは我が徳川義軍府を愚弄しておる。敵がまだ小勢のうちにこちらから打って出て、江戸川の向こうへ追い払ってやりましょう」
 そうだ、今のうちにやってしまいましょう、という声が書院に満ちた。
 素六の動揺はまだ治まっていないが、一気に好戦的になった場の空気をただちに鎮めなければならないことだけは、わかっている。
「堀田家中が交渉に応じないのであれば、佐倉藩はすでに天子の政府に下ったも同然である。我らは今、背腹に敵を迎えておる」
 儀左衛門はそれでも納得がいかない。
「流山の敗走兵と合流し、松戸方面に陣を張れば、新宿(葛飾区)や千住辺りに進駐している薩長賊を牽制できます」
「渡辺、控えよ。我らの目的を忘れたか」
との叱責に反応したのは、儀左衛門よりも堀の方である。「第一大隊の目的とは何ぞや」
「持ち場の交代である。第二大隊は姉ヶ崎まで後退し、しばし兵を休めよ。これは義軍府本営からの命令じゃ」
 たちまち堀は血相を変えた。
「戦うことが士大夫の第一義ではないか。休息なぞいらぬ。事ここに至って腑抜けたことを申されるな。今は第一、第二大隊の総力を挙げて敵に対処すべきときである」
 この主張に賛同する中隊長もあり、本営の方針に従うべしとする中隊長もあって、甲論乙駁のやり取りが続いた。
 素六の後ろに控えていた三千太郎が、
「ちょっといいですか」
と、言葉を差し挟んだ。
 絵地図の傍らに歩み寄り、そこに描かれている総州の地形や地名に視線をはわせる。
「もし第二大隊が休息を潔しとしないなら、戦略的にここへ陣を移したらどうでしょう」と指し示した場所は、市原郡の牛久宿だった。
「ここから真如寺までは一里半ほどです。鶴牧藩との距離も約四里ほど。ここにおれば、ひとたび養老川で合戦があれば敵の横合いを突けるし、もし佐倉藩兵が外房の茂原側から進軍して来ても即応できる位置にあります。山あいの宿場だから、敵の目にも付きづらい」
 不二心流の師範は各地へ出稽古に赴くため、この近辺の地理に明るかった。平右衛門などは茂原に近い本納村の出であるから、三千太郎は声を上げて念を押した。
「平さん、どう思う」
 中腰で進み出た平右衛門も絵地図の傍らに膝を付いた。
「ああ、みっちゃんの言うとおりだ。牛久に兵を置いときゃ、敵さんにとっちゃあ手痛い一手となる」
 素六は内心、三千太郎の機転に感心した。なるほど、腕っぷしだけの剣客ではない。
 第二大隊の中隊長らも、牛久の位置を地図上で注意深く確認した後、
「ここは義勇隊の指示に従っては」と堀を説得しにかかった。東西からの敵を迎え撃つには好都合の場所だろうし、山あいに移動することでしばし休息もできると判断したのである。
 堀は立ち上がり、黙って書院から出て行ってしまった。それが堀流の同意の仕方なのであろう。

 縁廊下へ出た堀に誰かが背後から声をかけた。振り返ると、首に黒縮緬の襟巻をした義勇隊士である。いかにも通人気取りの商人ふぜいだと堀は思った。
「堀さん」
「さん、とは何だ。無礼であろう」虫の居所が悪い。
「失礼。堀様」と縫之進は素直に訂正した。「さっきの話ですけどね」
「なんのことじゃ」
「戦うことが士大夫の第一義、休息なぞいらぬ、ってやつですよ」
「それが如何した」
「武士はそれでいいかもしれないが、町民には手心を加えてください」
 堀は、襟巻が何を言っているのかわからない。
「撒兵隊の取締りが厳しすぎて、船橋の町が死んじまっている。そりゃあね、堀さんから見りゃあ飯盛女の八兵衛なんざ卑賎に過ぎねえかもしれんけど、あの姐さんたちにだって生活というもんがあるんです。商人は利益を取ることによって成り立っている。宿場の木戸を閉ざして商いの邪魔をしていたら、旅籠も茶屋も家産が破れちまいます。家族を養う途を失って、老幼路上に横死することになる」
 精悍な顔立ちをした青年が、眉間に怒りを凝らしているのを見て、堀は意外にもうろたえた。将来は町奉行になる道も開けた家柄の出であるが、商民のことなど何も知らない。同世代とおぼしき襟巻にそのことを叱責されて、ハタと自分の心得違いを悟ったのである。
 気恥ずかしいような気がした堀は、話題を唐突に縫之進の首元に向けた。
「なぜ町人は、好んで襟巻なんぞつける」
「あ、これですか。これね、襟巻じゃないんですよ。頭巾を首に巻いているんです」
「頭巾なのか」
「ええ。昔から被り物は、何度も禁令が出されています。面体を隠し候頭巾をこしらえ、途中被り候者、停止の儀、ってね」
「それは町の者が顔を隠して遊郭に通ったりするからじゃ。頭巾を被った連中がそこら辺りをうろうろしておったら物騒であろう」
「だから被らず首に巻くのが粋なんです」
「おぬしも廓に通うのか」
「とんでもない。おれは物心ついたときから不二心流と藍染しか知らない。それ以外のことは、なんも知らないです。型付けもやりますから、仕事がらお洒落には気を配ります」
「お洒落……」
「撒兵隊の制服だってお洒落じゃないですか。その襞付き裾の上着」
「これか。マンテルなんぞ着たくて着ているのではない。フランスの軍事顧問団が軍服装備一式を幕府に献上したことで、このような格好をさせられておる」
「その縦襟の留め具をはずして頭巾を巻いたら、さらに引き立つと思うな。堀さんは背丈があって、首もいい具合に長いから」
「そんな町人みたいなまねができるか」即座に堀は否定した。
「武士だって、与力や同心は皆お洒落ですよ」
「あやつらは不浄役人じゃ。袖の下をせしめて贅沢をしておる」
「いやいや、堀さんだって八丁堀の旦那に劣らないぐらいお洒落ですよ。講武所風の月代も奇麗に剃っているし、髯だって痛いのを我慢して毛抜きで処理しているとみた」
「おぬし」
「さっきの話ですけどね、どうすか岩さん、これから町に出て頭巾を買いに行きませんか。それが町人を助けることになるんですよ」
 いつの間にか「岩さん」などと、実にブシツケなやつだと思いながらも、なぜか堀は縫之進の言動に引きずられつつある。
 連れ立って閑散とした往来へ出ると、縫之進は真っ直ぐに呉服屋の暖簾をくぐった。やや躊躇したように堀も敷居を跨ぐと、番頭が体を縮こませて深々と頭を下げた。
「お店にある頭巾をみんな見せておくれ」
 帳場に腰を掛けると、縫之進は岩さんもどうぞとばかりに板敷をぽんぽんと叩いてみせた。
「そういえば、撒兵隊の襷と肩の小ぎれはおれが染めたんです。いい色に仕上がっているでしょう」
 銀のキセルの吸い口をくわえると、縫之進は慣れた手つきで一つまみの煙草葉をまるめた。
 番頭の手で、ずらりと頭巾が並べられる。当世風の高級品ばかりである。
「やっぱりお武家さんは山岡頭巾がいいかな」縫之進は一通りながめながら紫煙をくゆらせた。
 これまで生きてきて、堀は頭巾など一度も買ったことがない。とんだ出費になりそうだから、少しは物色してやろうという気持ちにもなる。竹田頭巾、宗十郎頭巾、角頭巾など、一口に頭巾といっても様々な種類があるのを知った。
「おぬしがしているそれと、同じものはないか」
「粋だね岩さん。おれもね、袖頭巾が一等似合うと思ってた。さて、色はどうします」
 種々の色合いを手に取って、堀の襟元にかざしてみる。
「戎服だし、あんまり派手にするのも憚られるかな。それにしたって御納戸茶じゃ地味すぎる。八丈絹の黒なんてどうです」
 この男が選んだものなら何でもよさそうだと堀は思っている。
 試着すると、縫之進が注意深く首元のよれ具合や皺の感じを整えた。堀はその間、きまり悪そうに天井を見上げていた。
「よし。完璧」
 一歩下がって縫之進がうなずいてみせると、番頭も深く相槌を打った。
「ほんに、よくお似合いです」
「それじゃあこれに決まりだ。番頭さん、おいくら」
「いや、そうはいかぬ」慌てて堀は胴巻に手を突っ込んだ。
「お近づきのしるしです」
 縫之進は首を横に振って堀の手を押し戻した。

 船橋大神宮の正式名称は意富比神社といい、その境内摂社に八劔神社もある。縫之進が堀と呉服屋の暖簾をくぐったころ、勝壽と平右衛門も連れ立って往来へ出た。かつて将軍家に魚貝類を献上してきた御菜浦である船橋は、木更津と並ぶ湾内きっての漁港でもあるのだが、今は非常時とばかりにひっそりと静まり返っている。神宮の石段を上り、さらに高台にある常夜灯から一帯を見下ろすと、海寄りの漁師町と宿場町が、街道を境にしてはっきりと棲み分けられているのがわかる。遠く北西から東にかけての台地上に幕府直轄の放牧地があるため、海から内陸にかけての広々とした景観が見事であった。
「しょーじゅのその格好よ、お雛様の御随身みてえだとか言っちゃったけどよう、やっぱ神域に入るとそれらしく見えるな」
「下総国一宮の香取神宮は、天朝の御一大事に寸尺の功を立てんと、早々に幕府を見限ったって。どこの神社も朝幕どちらに味方すべきかを迫られているから、きっとここの神職も迷っているだろうな。おれは義勇隊の方針に従うけど、もしそれが神意にかなわないようなら、泰然として死に就きたいと思ってる」
 神妙な面持ちで八劔の摂社に手を合わせた。
「だったらしょーじゅ、悪いこたあ言わねえ。幕府の肩なんぞ持たねえこった。死ぬことにならあ」
「どうして」
「だってよう、お上なんざあ、からっきしだらしねえじゃねえか。八州様だのお代官様が賊党や狼藉者を取り締まれねえから、腕っぷしの強いおれらが加勢してやってるだけのことよ。朝幕どちらが正しいかっつったら、どっちが正しいかわからんけども、新しいほうがいいに決まってる。そっちのほうが希望を持てるぜ」
 街道筋の商家の多くが、昼間のうちから暖簾を下げ、戸を固く閉ざしている。吊下看板を眺めながらあてもなく歩いていると、名物の焼蛤屋が一軒、路上に煙を漂わせていた。
「こうた美味そうな匂いなのに、あんで誰も買わねえんだ。おい、兄ちゃんたちよう」平右衛門は歩哨の兵士に声をかけた。
「あにが悲しくてそんなとこ突っ立ってんだ。これじゃあ宿場の商売あがったりだ。あんたらもこっち来て食え。少しは銭落とせ」
 誰かがそれを言ってくれるのを待っていたとばかりに、若い平隊士がいそいそと集まって来た。皆、胴巻から銭貨を取り出し、焼き立ての蛤をはふはふと頬張りながら、タレのしみた串まで舐めた。
 その時、若駒とおぼしき栗毛が一頭、平右衛門たちを蹴散らかさんばかりの勢いで駆け抜けていった。本陣の前で急停止すると、鬣を振り上げ、いななきながら後ろ脚で立ち上がる。鞍から飛び降りた斥候が表門をくぐった。
「あんかあったのか」
 串をしゃぶりながら平右衛門がつぶやいた。

 堀大隊長不在とあって、斥候は書院棟にいた素六の元へ駆け込んできた。
「流山敗走中の友軍、すべて敵方に下りましてござります」
 行軍の装いを解いた素六は、割り振られた部屋に古川善助小隊長と三千太郎を呼び寄せたばかりであった。斥候は続ける。
「岩井方面における我が方の損害は大きく、隊長藤沼幸之丞以下、百三十名あまりが討死。一方、敵の死傷者は十にも満たず。敗走部隊は各地にて降伏し、松戸で三七五、千住で二百有余、本日流山にて三百人が投降勧告を受け入れた模様」
 まるで、赤子の手をひねられたかのような惨敗ではないか。新政府軍の主力は野州の掃討に出払っているのだから、南関東の残存部隊は予備兵力に過ぎなかったはずである。素六は悄然と肩を落した。
 それにしても、主家に忠心ある幕軍諸隊を、いともたやすく篭絡した敵側の大将は誰か。幕府憎しで凝り固まった長州藩士ではなさそうであり、仁徳併せ持つ人物に相違なかろう。その者と接触することができれば無益な武力衝突を回避できるかもしれない。
「して、流山における敵の将は誰ぞ」
「淡路藩、立木兼吾と申すもの」
 斥候が下がった後、素六は人差し指で落ち着きなく膝頭を叩きながら沈思にふけった。
 一刻も早く下総から立ち退くべきであるが、このままでは佐倉藩に背後を衝かれる恐れもある。むしろこちらから新政府軍へ和平交渉を持ちかけて、のらくらと降伏条件を話し合っている間に、朝廷から前将軍へ寛典の沙汰が下されるのではあるまいか。が、立木兼吾なる将士に面会を求めたくとも、叛逆首謀者とされた今となっては、こちらから接触すれば捕まりにいくようなものだ。
 この辺りの経緯を知らない三千太郎は、素六が黙考している間、江戸脱走前後の事情を古川善助から小声で説明されていた。
「難しいことではないですよ」三千太郎はあっけらかんとした調子で言った。
「脱走兵を説諭してくると言って江戸を出たなら、まだ説諭している最中と言えばいいじゃないですか」
 ハッ、と素六は顔を振り上げた。その通りだ。この斬新な意見に、善助は思わず吹き出した。
「なるほど、難しく考えぬほうが賢明ですな。第一大隊が船橋に兵を進めたのも脱走兵鎮撫のためと説明すればよい」
 鬱屈とした素六の胸中に一縷の望みが生じたとき、ちょうど平右衛門と勝壽が焼き蛤の包みを持って戻って来た。素六は勝壽が着ている錦の戎衣をあらためて眺めると、官軍に使者を立てるならこの者が適任、と感じた。ヤマトタケルの由緒を持つ神社の嫡流を無下には扱わないだろう。
「おれなんかで良ければ」と勝壽は快諾した。
 素六は善助に命じて一丁の洋式銃と胴乱を用意させた。
「おぬしは鉄砲名人の一番弟子であったな。このスペンサー連発銃を護身用に持って参るがよい」
「こんな最新式のもの、おれが使ってもいいのですか」
「この銃は最鋭の利器なれど、輸入品の専用弾薬しか使えぬ故、撒兵隊の制式銃としては用ゆるを得ず、宝の持ち腐れだったのじゃ」
 この、世界初の連発銃はレバー操作で排莢装填がなされ、従来の前装式銃と比べて十倍以上の発射速度を誇る。勝壽は手元のレバーを試みに動かしただけでその性能をおおよそ理解できたから、感嘆のため息をもらしつつ、誇らしげに三千太郎らを見回した。
 素六は宿役人に命じて小机を持ってこさせると、墨を磨らせて二通の書状をしたためた。一通は立木兼吾宛で、これを勝壽に託し、伝馬を駆って流山へ向かわせる。もう一通は間宮鉄太郎並びに天野釣之丞へ宛てた私信で、こちらは早馬を走らせた。

 馬の尻を叩いて久留里城へ向かった正道の後を、間宮鉄太郎が追い駆けている。正道は本気で天野砲兵隊長を斬るだろうから、間宮は染谷勘八郎を連れて真如寺を出た。
「おまえは刃物沙汰に慣れておるだろう。いざとなったら腕ずくで正道殿を止めよ」
「内輪モメしてる場合なんスか、義軍府は」
「いらぬことを申すな」
 憮然と答えると、間宮は慌ただしく馬首を久留里方面へ引き向けた。
 間宮たちの後を追い駆けるように、素六の出した早馬が久留里西往還道の土を蹴立てて疾駆している。叛逆首謀者三名の件を知らせるためであり、このような時間軸で出来事が進行している。
 一足先に城下に着いた正道は、砲兵隊本陣の真勝寺へ向かわず、まずは第四大隊が陣を取る妙長寺へ入った。
 久留里に到着次第、問答無用で天野を斬るつもりであったが、馬を走らせている間にやや落ち着きを取り戻していた。そもそもこの件は、久留里藩が城を明け渡せばいいだけの話であって、交渉の進捗を把握する方が先決であった。
 大隊長の戸田嘉十郎は見るからに疲労困憊しており、幕僚たちの顔つきも皆けわしい。久留里城の占拠こそ徳川義軍府樹立の要であるから、交渉累日に及ぶ事態に焦燥感をつのらせている。久留里側も藩の存亡がかかっているだけに、軽挙妄動を恐れて進退を決することができないままである。
「もう手詰まりじゃ」
と、戸田が正道に本音を吐露した。
 義軍進駐以前、正道は何度か久留里にも足を運んでいる。そのとき盟約を交わした杉木良太郎という若い藩士を妙長寺に呼び出した。
「あのときはっきりと、尊藩は佐幕に一決したはずでしょう。杉木さんとは誓紙も取り交わしている」
「面目ござらぬ」杉木の顔が痛憤に歪んでいる。
「先日行われた入れ札の結果によれば、藩士の多くは佐幕なのです。なれど姑息な老臣どもが保身に走って大義を知らず、未だ義兵を挙ぐることに躊躇しております」
「ただちに名分を正し、義軍府の軍門へ下るべし。杉木さん、今すぐご重臣方へそのように伝えてください。もし徳川多年の恩に報いる気がないのであれば、この正道、大筒を貴藩の城へ撃ち込みます」
 杉木を城へ向かわせた後で、正道は真勝寺の山門をくぐった。僧坊の襖を乱暴に両手で押し開くと、脇息にもたれかかって読書に耽っていた天野がギョッとして顔を振り向けた。
「突然なんじゃ、無礼であろう」
「そちらこそ袖手傍観、明らかに職務怠慢でしょう」と、刀の柄に軽く手を掛ける。
「よせ、何のまねじゃ」
「大筒の撃ち方を教えてくれませんか。そしたら斬りません」
「は?」
「交渉が手切れとなったら、おれがこの手で撃ちます」
 ほとんど脅迫する体で天野を外へ連れ出すと、大手前に据えられた砲一門の油紙をはずした。
「簡潔に、要点だけお願いします」
 天野は渋々弾丸入れから尖頭榴弾を取り出した。
「断っておくが、大砲は鉄砲と異なり、一人で操作するものではない。この四斤山砲は一門につき砲手六人、移動用の馬が二頭がつく。そのぐらいの知識は頭に入れておけ」
 あからさまに横柄な口ぶりで、発射薬の詰め方、仰角の合わせ方を説明する。
 そうしているうちに、郭外の家並みを抜けて間宮と染谷が到着した。また、これに追いつくように早馬も駆けて来た。
 染谷が馬上から正道に言い放った。
「おい島屋、剣客が砲兵なんか斬っちゃいかんぜ。砲などしょせん、刀の使い方も知らねえ阿保のやることだ。情けをかけてやれ」
 間宮も馬を降りるなり染谷に向かって大喝した。
「阿保とはなんじゃ、砲身に仰角を持たせるためには高度な算術の知識が必要になる」
 唯一、顔を引きつらせているのは船橋からの伝令で、間宮の前で片膝を付き、素六からの書状を差し出した。
「いやはや、天野殿が無事でなにより」などと、書状を開いたところまでは笑顔もあったが、紙面に落とした視線を上下させると、間宮の顔からたちまち血の気が引いた。
「天野殿……」
 書状を持った手がかすかに震えている。
 天野も一読すると、もはや驚きを通り越して失笑を浮かべた。
「つまり我ら三人は、朝敵になったのか」
 書中、素六が記している「目下脱走兵説諭の次第と申し開き候へば問題これなく候」の文言に望みを託すこともできようが、賊名を着せられた前将軍の心中たるや如何ばかりであったか、今更ながら我が身にひしと迫ってもくる。間宮は引き続き武備恭順を貫き、上様の江戸ご帰還まで尽力すべしとあらためて思う。
「天野殿、鶴牧藩との交渉のため、威嚇用に砲を一門お借りしたい。付属の人馬も供してもらえまいか」
「このうえ砲なぞ動かしたら、天朝に対して身の潔白が立たなくなる」
 天野はこれ以上罪科に問われるような行動に出ることを恐れた。今すぐ新政府軍に降伏したいぐらいであったが、それをしたら砲兵本陣まで乗り込んで来た大河内正道に斬られるだろう。
「身の潔白とは、何のことです」
 そう正道に詰め寄られると、とっさのことばが見つからず、天野は押し黙ってしまったが、ややあって、
「砲を持って行きたくば好きにせよ。なれど、我が部下は一人たりとも遣わさぬ」と、こればかりは譲れぬという口吻で言った。

 朝幕両軍の動きを、佐倉藩宿老、平野重久が注視している。流山方面が鎮定されたことで、新政府軍はいよいよ本腰を入れて船橋の撒兵隊に矛先を向けてくるだろう。
 江戸の先鋒総督府はすでに、東海道鎮撫総督橋本実梁、副将柳原前光両公卿の連名で、房総各藩へ通達をまわしている。
〈近日脱走の兇徒等、房総地方に屯集し、天威を畏れざるの次第、鎮撫のため官軍差し向けらるるの間、各藩においても応援の心得をもって臨機出兵、忠誠相励み、勤王の実効相あらわすべく候〉
 これが布告されたのが東照宮御祭の時であり、房総諸藩の旗幟が軒並み不明瞭となる事態も、これを境に始まった。
 佐倉藩は春日局にまで遡る譜代であるだけに、家中の低意、今なお奉幕の意志なるよし、と平野も痛いほどわかっている。しかし、本藩の危機は藩主堀田正倫が宗家存続を訴えるために上京し身柄を拘束されたところから始まっており、佐幕か尊王かなどという二択とはそもそも趣きを異にしている。平野は事あるごとに、時には声を荒げてその旨を諭し続けていた。
「主人を死地に捨て、勝手に幕軍に加勢すべきにあらず!」
 藩主を人質に取られているも同然なのだ。選択肢などあるわけもない。なんとしても尊皇の実を挙げ、京師におられる正倫公を御救いせねばならぬ。
 平野は総州の絵地図を眺めながら考えている。もし撒兵隊が船橋を引き払って上総方面へ立て籠もってしまったら、官軍は房総半島の奥へ引き込まれ、兵力の分散を余儀なくされるだろう。そうなれば今後の会津討伐の大きな支障となるのは確実であり、下手をすれば官軍敗走という事態を招きかねない。新政府が瓦解すれば、正倫公が道づれにされるのは目に見えている。
 天井を見上げた平野は、扇子の折りをぱちんぱちんと鳴らした。
 官軍の進攻が始まるまでの間、城下にとどまっている古田新十郎との交渉を再開したらどうであろう。同盟を結ぶ可能性を仄めかせば、十中八九、連中は船橋にとどまるはずだ。官軍が江戸川東岸に布陣するまで撒兵隊を引き付けておけば、成田街道上で挟み撃ちにすることもできる。これこそ、勤王の実効をあらわす最善の策であろう。
 平野は使番を呼び出し、古田の止宿する旅籠へ遣わした。

 撒兵の第一、第二大隊を合わせると六百人にもなり、船橋の宿泊施設だけでまかなえる収容規模を越えてしまっている。西へ一里十五町(五・六キロ)行ったところに本八幡の宿場があるから、素六は一時的に第一大隊をそちらへ移すことにした。あくまでも「一時的」な措置であり、古田新十郎が佐倉から戻り次第、第二大隊は上総牛久へ屯替えとなる手はずである。
 ところが、第一大隊が本八幡へ向かって動き出した直後、古田から交渉再開の知らせが届き、堀岩五郎が撤収作業に待ったをかけた。佐倉藩の藩論が佐幕に傾きつつあり、徳川臣属の義を明らかにせんと、にわかに同盟の話まで持ち上がっているという。思いもよらぬ展開に第二大隊は色めき立ち、再び好戦的な気分が盛り上がる。第一大隊所属の渡辺儀左衛門中隊長も、このまま市川の渡しまで突出して敵を迎え撃つべし、と素六に詰め寄った。
 素六は本八幡の手前で行軍を停止させ、ひとまず中山法華経寺を仮本陣とした。今のところ情報が錯綜としているが、万一、佐倉藩の加勢が虚偽でなく、新政府軍がこちらの和平交渉に応じなかった場合、江戸にもっとも接近した第一大隊が最前線に立たされることになる。素六が寺院に陣を構えたのは、少しでも防御に有利な場所にいるべきと判断したからであった。
 この時、縫之進は堀と共に第二大隊にいて、勝壽は流山の高木参謀の元に到着したころであろう。
 房総は古くから日蓮宗の盛んな土地であるから、平右衛門は下総中山に来られたことをひどく喜んでいる。
「ありがてえこった」
 正中山法華経寺は、日蓮大聖人が最初に教えを説いた場所で、そのことを知らない総州人はいない。広大な寺域に向かって平右衛門は仰々しく手を合わせた。
 参拝客が「赤門」と呼ぶ山門は、聞きしに勝る重層銅葺きの見事な楼門である。ここをくぐると塔頭寺院が両側に軒を並べ、加賀百万石の前田家が寄進した丹塗りの五重塔が見えてくる。古木百株と物の本にも紹介された桜の林は噂にたがわぬ優美さであった。
「あんかもう、死んでもいいって気持ちになるねえ」などと、感激もひとしおの平右衛門を見て、三千太郎はからかうように笑った。
「平さん、そんなに信心深かったか」
「どうだい、あの祖師堂の立派なこと。まさにここは天竺じゃねえか。そう思えるのが法悦よ」
 そんな平右衛門と連れ立って歩いていると、自分が従軍中であることを、三千太郎もふと忘れそうになる。もしここになをがいたら、きっと名物の中山こんにゃくを食べたがるだろう。自分でも作ると言い出すに決まってる。両手いっぱいにこんにゃく芋を抱えたなをの笑顔が目に浮かぶようであった。三千太郎は口元に笑みを浮かべて、葉桜の繁みをまぶしそうに見上げた。

 江戸湾を漕走する押送船から、水主の威勢のいい掛け声が響く。護衛役の荒田平之丞は船端に寄りかかって吐いていたが、武総取締役の松濤権之丞は海外渡航の経験もあり、この程度のしけには慣れている。貝漁にいそしむ打瀬船の白い帆が沿岸のあちこちに見えており、今のところ房総半島は平時と変わらぬ様子をみせていた。
 丘陵の裾が海へ没している辺りが姉ヶ崎だろう。その沖合にさしかかるころ、館山方面の海上に一隻の汽船が姿を現した。日の丸の惣船印を掲げた幕籍の軍艦であった。
「蟠竜か」
 最寄りの湊に上陸するつもりだった松濤は、ここで急きょ予定を変更し、接舷して艦長の松岡磐吉を訪うことにする。
「よく蟠竜とわかりますね。軍艦なんてどれも同じに見える」荒田は手拭いを口に当てたまま言った。
「あの船は元々、英国女王から贈られた遊覧船なのじゃ。砲艦に改造したとは申せ、未だ外装に気品があろう」
 蟠竜の艦梯をよじ登ると、上甲板に立った松岡艦長が、水兵に号令をかけて出迎えた。
「松濤殿、ひょんなところでお会いしますなあ」
「撒兵隊の鎮撫に向かうところじゃ。あの者らの消息をご存じか」
「一部の部隊が北へ動いておるようですが」
「どう思われる。連中、江戸へ討ち入るつもりであろうか」
「いや、我らの知るかぎり、それほど大胆な行動に打って出る気配はなさそうです」
 松岡は、二人を艦将室へ案内した。
 蟠竜の艦内は元が王室の遊船であるだけに、いたるところに絢爛たる彫刻が施されており、壁一面に大きな鏡も設置されている。荒田はめずらしそうにそれらを眺め回し、松濤はかつて使節として訪れたマルセイユやパリの街並みを思い出している。
 優雅な猫脚のダイニングテーブルを囲んで三人は腰を下ろした。まるで洋館の一室にいるようであり、ここが江戸前の海上であることを忘れてしまいそうである。卓上に茶托が置かれると、日本茶の香りに郷愁すら覚える。
 松濤は湯呑を口に運ぶと、
「松岡さんは咸臨丸で渡米した当時、測量方の士官でござったな」と懐かしそうに目を細めた。
「まだまだ未熟者です。それゆえ、日々操艦訓練に励んでおります」
 幕府海軍の実力は、未だ艦隊戦闘を行えるほどの水準に達していない。薩摩や佐賀の私設海軍も同等であり、この当時は個艦同士の一騎打ちが主であった。後に操船の名手と称えられた松岡磐吉は、房総の沿海でその技術を磨いていたのである。
 海軍が把握している徳川義軍府の動向を一通り伝えると、松岡は空になった湯呑を茶托に戻し、にわかに神妙な面持ちになった。
「松濤殿、くれぐれも油断めさるな。撒兵の幹部は品行方正なれども、軽輩の中には物のわからぬ猪武者がおるやもしれぬ。貴殿にもしものことあらば、これは徳川家の失態のみならず、日本国の大きな喪失となり申す」
「いやいや、ありがたいお言葉でござるが、そのように大げさな……」
「大げさではござらぬ。西洋の事情に通じ、仏語に堪能なる貴殿が、世に益ある者たるは歴然。御馬先で討ち死するならまだしも、是非も分かたぬ激徒の手にかかりでもしたら、それこそ犬死と申す他なし」
 傍らの荒田平之丞を顧みて、
「くれぐれもぬかるでないぞ」と強く念を押した。
 蟠竜の航海日誌には、このあと二人が房総へ上陸した旨が記されている。

 間宮鉄太郎が久留里から曳いてきた砲一門は、上総丘陵に鎮座する姉崎神社の境内に据えられた。菰をかぶせた砲車を西側へ向けると、目の下が崖になっている。
「あれが、鶴牧城か」
 染谷が指差す方向に、瓦を葺いた陣屋が見える。
「こっから撃って、当たんのか」
「余裕じゃ」
 間宮鉄太郎が菰を引きはがすと、無機質な青銅製の砲身が現れた。
「おぬし、砲なぞ阿保のやることと申しておったな。これが阿保に扱えるシロモノかどうか、やってみるか」
 面倒臭え、と染谷は思ったが、一の子分の保木多助が乗り気である。
「面白そうじゃねえか。親分、やりやしょうぜ」
 砲兵隊が一人も人員を割かなったことで、ここまで砲を挽いてきた傭格歩兵十数人が、にわかに砲兵下士官の役をこなすことになる。
 発射薬の詰め方、伝火薬への点火、さく杖の使い方等、一通りの操法を説明した間宮は、照準を鶴牧城に合わせながら言った。
「この砲は、よほどのことがなければ撃たぬ」
「あんだよ、撃たねえなら、使い方なんぞ覚えるこたあねえじゃねえか」
「あの陣屋には、唐の貴重な文献や、顕学の学者があまたおる。あくまでもこれは、示威が用途じゃ」と砲身を叩いてみせる。
「だったら砲手なんざあ、いらねえだろ」
「ここは戦場ぞ。撃たぬとは言い切れぬ」
 間宮はそう答えながら崖際の参道に立ち、辺り一帯を遠望した。
 この地点から東へ十八町(約二キロ)のところに、梶塚成志が兵站基地を設けたばかりである。永津村の豪農、露崎半四郎の屋敷を屯所とし、近隣から金穀を徴発している最中であった。木版刷りの地図を広げて確認すると、第三大隊の防衛線は養老川河口から南の丘陵台地まで五十五町(約六キロ)ほど。梶塚の基地はその最右翼に位置している。
 増田直八郎は鶴牧藩領にほど近い妙経寺に大隊本部を構え、義勇隊は養老川の対岸へ渡って北東部へ進出していた。孫左衛門、常盤之助らは五井村の旅籠みなと屋に宿営している。
 市原郡は一見して要害なき地形であり、第三大隊三百人と義勇隊、傭格歩兵の一部だけでは、明らかに守備範囲が広すぎる。単眼の望遠鏡をのぞきながら、間宮は心もとなさを感じた。

 下総の中山法華経寺にも、にわかに緊張が走る。
 白い毛帽子を被った男が、少数の手兵を引き連れて山門をくぐった。肩に錦の小切れを付けている。
 ただちに古川善助が、この不意の来訪者について報告する。
「歌舞伎の連獅子みたいな恰好をしておりますが、新政府軍の将士です」
 素六は深いため息をついて、眉を曇らせた。
 小隊にも満たない人数で来たというから、朝裁を伝える使者であろう。叛逆首謀者の捕縛が目的に相違ない。
 いつもは冷静な素六も、相手が官軍であるだけに、心の動揺を隠せなかった。
 渡辺儀左衛門が激高して陣卓を叩いた。
「おのれ、よくもぬけぬけと敵地に乗り込んで来おったな」
 騒ぐな、とばかりに片手を突き出した素六は、黙考したままうつむく。
 ややあって、顔を上げると、卓を囲んでいる大隊幹部らを静かに見回した。
「天朝に申し開きすべきことがある故、わしはただちに出頭する。もしものことあらば、第一大隊の指揮権は、第一中隊長、亀里鉄五郎が引き継ぐべし。三千太郎、おぬしは護衛として同行せよ」
 護衛ばかりでなく、とっさの機転にも期するところがある。
「変名を用いよ」
 軍帽を被りながら素六が言った。
「万一、徳川義軍府が賊軍とされた場合、連座の罪が身内に及ぶこともある。おぬしは元々商民じゃ。武家の巻き添えとならぬよう、身元を伏せておくがよい」
「なら、加藤千太郎と名乗ります」
「早いな」
「不二心流の中村一心斎先生が加藤雲龍と名乗っていたことがあるんです。その加藤と、三を取った自分の名を合わせました」
 すでに新政府軍の将士が通されている客殿本院に足を踏み入れる直前、
「わしもお供致す」
 渡辺儀左衛門が追い駆けて来た。
 素六は露骨に顔をしかめた。大隊一の武闘派に同席されては、まとまる話もまとまらなくなる。
「ここはおぬしの出る幕ではない。控えよ」きつく押しとどめたが、儀左衛門は聞く耳を持たず、むしろ心外とばかりに声を荒げた。
「わしが警戒しておるのは敵ではなく、大隊長の方なのじゃ。こう申しては何であるが、大隊長はいつも腰が引けておる。王師何するものぞという気概を見せねばなりませぬ」
 同席を拒むなら、この場で腹をかっ切るとまで言う。三千太郎が間に入り、
「あにかあれば、おれが外へ引きずり出しますから」と素六に耳打ちした。

 憮然と床几に腰かけた新政府軍の将士は、なるほど歌舞伎の毛振りで使うようなふさふさとした被り物をしている。黒色木綿製の軍服に、派手な錦の陣羽織を羽織っていた。
「備前岡山藩、森下立太郎と申す」
 居丈高にも聞こえる口ぶりである。
 素六たちの視線は、森下の被っている毛頭へ向けられる。森下もまた、その反応が当然だろうとばかりに鼻で笑った。
「家康に過ぎたるものが二つあり、唐の頭に本多平八。お忘れになられたか」
 そういうことか、とわかってみれば、たちまち腹も立ってくる。
 家康に過ぎたるものとは、ヤクの毛を植毛した鉢兜と、徳川四天王の一人に数えられた、猛将本多忠勝のことをいっている。忠勝が殿を勤めた一言坂の戦いの折、武田信玄の近習が詠んだと伝わる有名な落首である。ヤクはモンゴルなどに生息する長い毛に覆われた牛で、徳川家はその貴重な毛を大陸経由で輸入し、兜や武具に付けて装飾するのを好んだ。いわば家中の流行りといってよく、多量の在庫が江戸城に貯蔵されていたのである。先鋒総督府は、これを使って指揮官の軍帽を作ったのだ。
 幕臣からしてみれば、君家の財産を押収されたばかりでなく、犛牛の毛など徳川には過ぎたるもの、とこれ見よがしに挑発されている感もある。素六も儀左衛門も胸中穏やかならざるものがあった。
 森下の目つきも、敵愾心に満ちている。
「前回、船橋では門前払いを食らわされた。撒兵隊は天朝の威をも畏れぬとみえる」
 会談の空気は最初から険悪だった。
「江原素六。手前は恐れ多くも虚偽の届にて大総督府を謀り、歩兵の脱走騒ぎを扇動した。これに相違ないな」
「虚偽とは、何を根拠の仰せにござるか。それがしは未だ、脱走兵の説諭に努めております」
「ならば何故、撒兵が船橋を占拠しとる」
「大方は上総の山中に留まっておりますが、船橋の一大隊のみ騎虎の勢いを止められず、目下説諭を加えておる次第」
 素六はことばを選んでいる。非戦の意志を悟られれば、傍らの儀左衛門が騒ぎ出すからだ。森下と儀左衛門、双方の顔色をうかがいながらの説明となる。
 森下は、じれったいとばかりに声を荒げた。
「天朝の怒りをかしこむなら、三日以内に兵器弾薬を差し出し、降伏せよ」
 たちまち儀左衛門の顔色が変わった。が、ここで席を蹴ったら戦争である。すかさず三千太郎が切り出した。
「撒兵頭の江原様をして、これだけ手こずらせた問題です。どうして三日程度で武器の受け渡しに応じるでしょうか。これではまるで天兵の方から戦をしかけているとしか思えない」
 森下の表情が、明らかにたじろいだ。「めっそうもないことを申すな」
「船橋の叛徒は殺気に満ちています。三日以内などと脅したら、もう制しようがありません。そうなれば天下は、同胞相食む大動乱に陥ります。それでもいいんですか」と迫った。
 森下は指揮棒で片手を打ちながらしばし考え込み、つと立ち上がる。
「武備接収はひとまず保留としよう。今後の対応は、他藩の参謀と協議したうえで申し渡す」
 苛立たしげに白い毛頭をなびかせて、客殿本院から立ち去ってしまった。
 外はすでに薄暗く、鐘楼堂で暮れ六つの鐘が打たれている。
「加藤千太郎、あっぱれじゃった」
 素六が笑い出すと、儀左衛門も勝ち誇ったようにうなずいた。
「白毛の大将、かなり動揺しておりましたな」
 今さえ乗り切れば、流山へ遣わした勝壽が淡路藩士立木兼吾と渡りをつけてくる。同じ官軍でも、彼なら和平交渉に前向きな姿勢を見せてくれるだろう。素六はほっとため息をつき、赤く染まった雲井の彼方に目を向けた。

 同じ刻限の空を、鶴牧藩主水野忠順も眺めている。あろうことか徳川義軍府は、姉崎神社の境内に大砲を据えた。動員兵力百人未満の小藩にとって、この一門の火力は脅威である。陣屋地を囲むように密集する武家屋敷と森林は、ひとたび出火すれば、海風に煽られてたちまち延焼する危険を孕んでいる。領内を砲撃されて学問の聖堂を失い、無辜の民を塗炭の苦に陥れるわけにはいかない。忠順はその思いを、家老の手嶋高重に告げた。
 手嶋は自ら妙経寺へ赴き、膝を詰めて増田直八郎と対面する。
「弊藩は、貴殿の要求に従い、徳川義軍府と同盟致す。なれど、ゆきさき如何なることがあっても、御先鋒殿と軽々しく戦火を交えないでいただきたい」
「肝に銘じましょう」
「貴殿も存じておろうが、鶴牧版史記評林は、三十年の歳月と、巨額の藩費を投じた校訂事業じゃ。あと数年もすれば上梓の運びに至る。版木や膨大な資料、儒者どもの安全について、くれぐれも、お骨折りを願う」
「鶴牧版は校勘が優れておると、すでにもっぱらの噂です。たった一藩で、よくここまでやってこられましたなあ」
「漁網の繕いをしてまいった」
「は?」
「弊藩とて多分に漏れず、財政は火の車。故に、それがしの家は漁網の内職で家計を補っておる。史記の精緻な注釈書を作ることが君上の信念であるかぎり、諸下僚共、この事業を完遂するためなら、どのような辛苦も厭わぬ」
 初めて手嶋が笑顔をみせた。
 筆頭家老が内職までして学問事業を推進している。このような藩を戦火に巻き込んでしまったら、生々世々、蛮行のそしりを受けるだろう。増田は痛切にそう感じた。

 ようやく、養老川一帯に防御線が築かれたことで、第三大隊の指揮官が妙経寺の庫裏へ集い、今宵ばかりは大樽の鏡をぬいて祝宴をあげる。
 物資補給地を設営し終えたばかりの梶塚成志や、宿場巡邏の任に当たっている義勇隊の常盤之助、細川外記らも招集を受けてやって来た。
 皆、ひさしぶりの酒に舌鼓を打った。梶塚などは大の酒好きだから、増田や生島に勧められるまま豪快に盃を空にしてゆく。
 間宮鉄太郎の横で、ひとり渋面を作っているのは染谷である。
「あんだよ、酒の席に女も呼ばねえのか」
「ここは水戸光圀公も宿泊したと伝わる古刹じゃぞ。女人なぞ呼べるか」
「肴も割子弁当だけか。しけてんなあ」
 燗徳利を手にした梶塚が大股で膝行してきた。
「間宮様、久留里の首尾は如何にござりました」
「事なきを得た。天野殿も無事じゃ」
「まずは上々」
 しばらくすると、仙石釩三郎がツツと増田のそばに歩み寄り、何やら耳打ちをする。即座に増田は居住まいを正した。
「武州取締役、松濤権之丞様のお出ましである」
 皆一斉に箸を置き、朱塗りの弁当箱をさっと脇へ寄せると、水を打ったように平伏した。
 羽織袴の平装で現れた松濤は、荒田平之丞を伴い、上座で威儀を正した。
 撒兵隊は脱走兵であるから、詰問の使者であることは誰しもわかる。緊迫した空気が室内を満たした。
「面を上げよ」
 荒田が命じると、撒兵隊の指揮官らは神妙な面持ちで顔を上げた。常盤之助や細川外記などは、睨むような目つきで上座を見据えている。
「その方ら、上総地方を徘徊し、土民難渋致し候と聞き及ぶ。その意図するところは何ぞや」
 増田は、松濤来訪の真意を察している。撒兵隊が北上した理由を探りにきたのであり、一連の行動が、勝総裁の武備恭順路線から反れていないかどうかの確認であろう。
「恐れながら、徳川の冤を雪ぎ、多年の恩に報じ仕りたき志願にござります。社稷を安んずること叶いますれば、五常の道を堅く守り、人気惑乱を起こすようなことは決して致しませぬ」
 これで伝わるとわかっている。果たして松濤は安堵したようにうなずき、
「くれぐれも、殺伐のことなきよう、軽挙妄動は慎むように」そう申し渡して立ち上がりかけた。
「お待ちくだされ」
 誰かが突然声を上げた。
 松濤と荒田は、眉をしかめて座り直す。
「それがし、松平肥後守家中、細川外記にござります」
 面詰するかのように、じりっと膝を詰めた。
「軽挙妄動とは、如何なる意味にござりましょう」
「君上の御焦慮を思うなら、一旦の怒りにまかせて動いてはならぬ」
「これは異なことを」外記は失笑した。「ただ恐懼して薩長の乱暴を見過ごせと仰せか」
「頭が高い」荒田が刀のこじりを上げる。
 しかし、手を膝にしたまま外記は身じろぎもしない。
「上様は賊名を避けんがため、長州藩との確執も、鳥羽伏見の件も、今日の変に至る一切の責任を会津藩になすりつけて退居された。幕閣も揃って姦雄の鼻息をうかがい、おめおめと首を延べておられる。そもそも天怒を犯し奉ったのは前将軍家ではないか。会津一藩を人身御供にして軽挙妄動を慎めとは、虫が良すぎる話であろう」
 うっ、と松濤はことばを詰まらせた。外記は続ける。
「ここにおられる方々は、一剣をもって天下を正そうと府内を脱した義軍にござる。貴殿は恥ずかしくないのか。この危急に際して、赤心奮発すべき臣士が、戦々恐々として殺伐のことなきようなどとは、慨嘆の至りにござる」
「控えよ!」荒田が立ち上がった。「そなた陪臣の分際で、無礼打ちにされても申し開きできぬぞ」
 外記も刀を引き寄せたが、千鳥足の梶塚が、ふらりと二人の間に割って入った。
「怒り上戸、泣き上戸、酔い方にもいろいろござりまするが、なにをかくそうそれがしは、踊り上戸にござる」と満面の笑みを浮かべて、ぱっと扇子を開いた。
 とうふう夜にさく花千樹……などと、いい声で吟詠しながら踊り出したが、たちまちふらついて、あろうことか松濤の膝元で嘔吐した。
「これは、平にご容赦。飲み過ぎてしもうた」
 梶塚がわざと指を入れて吐いたことに、増田は気付いている。すかさず松濤のそばへ膝行するや、
「濡れ手拭いをこれへ」配下に命じ、梶塚のそそうを深く詫びた。
「代わりの御召し物をご用意致します」
 自ら先に立ち、松濤を座敷の外へ連れ出した。
 後に続いた荒田は、つと振り返り、幹部らを睨み据えて怒鳴った。
「上様のお達しに従い、恭順の真意を朝廷に徹すべきこの時期に、家来が主命を用いず、勝手に兵を動かし、あげくに雁首を揃えて酒に興じておるとは何事か。速やかに散会せい」
 その場が凍りついたように、寂と静まり返る。
 一人、また一人と指揮官らが座を立った。
 間宮も春子鯛の昆布じめを一切れ口に入れると、そそくさと帰り支度を始めた。
「おいおい、あんたらにも大義があるんじゃねえのか。あんなこと言われて、黙って引き下がんのかよ」
 染谷がけしかけるようなことを言ったが、間宮は意に介す様子もなく、梶塚を抱き起して出ていった。
 後には染谷と、外記と常盤之助の三人だけが残った。
「なんかおかしくねえか」と突っかかるような口調で染谷が言った。「撒兵の連中、士気が低すぎる気がするぜ」
 外記も同感とばかりにうなずく。「拙者も以前から、それが気にかかっておる」
 寺僧が数人やってきて、吐瀉物で汚れた畳の清掃を始めた。そこへ再び荒田が姿を現す。
「細川、松濤様がお呼びである。ついて参れ」
 三人は一瞬顔を見合わせたが、外記は躊躇せず、荒田の後に続いた。
「まさか、斬るつもりじゃねえだろうな」
 染谷は声を落として、呑みかけの徳利に手を伸ばした。
「やりかねないな」常盤之助も眉を曇らせた。

 外記が庫裏の奥の間へ通されると、袴をはきかえた松濤が待っていた。あたかも仕切り直すような笑顔を見せると、下座を示して座るよう勧める。
「そなた、先ほどは殺気充満であったが、少しは落ち着いたか」
「それがし、ずっと落ち着いております。躁急なのは貴殿の従者の方でありましょう」と皮肉を込めたが、荒田は無言のまま傍らに侍る。
 松濤は、諄々と説いた。
「志那(中国清朝)は同胞憤争し、その虚に乗じて西洋諸国に領土を蹂躙された。今や我が国も、同じ轍を踏まんとしておる。これを避けんがため、前将軍は恭順謹慎、御一身を捨てて世の無事を図っておられる。大樹公の意を解せず、みだりに干戈を動かしてはならぬ」
 外記は鼻を鳴らして失笑した。
「大樹、連樹を捨つ。これまで滅私奉公してきた会津藩に敗責を取らせて、ご自分だけ助かる算段であろう」
「君臣の義を正すなら、前将軍の過ちは、臣下たる会津中将の過ちであろう。いま弊藩のなすべきことは、藩公の城外閉居、鳥羽伏見謀主の首級を大総督宮に差し出すことである。さすれば藩の命脈は保たれる」
「笑止の沙汰じゃ。薩摩藩邸を焼き討ちした庄内藩を筆頭に、東北諸藩は皆会津に同情しておる。やがて東日本に軍事同盟が結成され、朝廷政府と一戦交えることと相なろう」
「たわけたことを申すな。最新兵器で武装した新政府軍とまともにぶつかって、勝てると思うておるのか」
「方策はある。あと半年もすれば会津に雪が降る。土佐や薩摩の兵は南国育ち。寒気肌をつく中で苦戦を強いられるは必定」
 松濤は、しばし黙して外記の顔を眺めた。こやつ、本気じゃな。
武総取締役の権限を、いよいよ公使せねばならぬ局面かもしれない。松濤の脳裏に、勝総裁の指示が浮かぶ。
〈手に余り候わばひそかに召捕り御処置等も苦しからず……〉
「そこもとが総州におるのは、東北諸藩と策応して、先鋒総督府と戦うためなのか」
「そうありたし」
 この会津藩士は、前将軍が御赦免になったとしても、徳川義軍府を焚きつけて一戦を試みるだろう。
「平之丞!」
 松濤が声を上げると、荒田が素早く身を乗り出し、外記の左脇に置かれた佩刀を奪い取った。
「上意である」
 立ち上がりざま松濤は刀を抜いた。その時、次の間の襖が乱暴に開け放たれ、耳をつんざく発砲音が響いた。松濤は、腹を押さえて崩れ落ちた。
「こんなことだと思ったぜ」
 短銃から立ち昇る硝煙を、染谷はふっと吹いた。
 外記が荒田の手元に踏み込み、激しいもみ合いになった。そこへ、常盤之助の刀が一閃、荒田の背中を抜き打ちに斬っておとす。外記が身をひるがえすと、荒田は横倒しにたおれ、両目を開いたままぴくりとも動かなくなった。
 松濤はうめきつつ、うずくまったままである。
「おい、会津。首を取っちまえよ」染谷が松濤の頭をつま先で小突いた。
 脇差の柄に手をかけた外記が、紋服の襟首を掴む。
「みだりに、軽挙するな……」苦し気な息の下で、なおも松濤は恭順を説いた。
「主家を思うの情は痛いほどわかる。なれど、もし、戦端を開かば、数万の生霊が損ぜられ、良民たちまち塗炭に陥る。同胞相争う間に外国の侵略を蒙り、邦地を奪われるような事あらば如何にするか。よくよく条理を明らかにせよ」
 ふと、外記の内奥に武士の情けがよぎる。
「あにもたもたしてんだ」
 染谷は短銃を松濤の頭に突き付けた。ダンッ、と乾いた炸裂音が響き、血と脳漿が飛び散った。
「早く首を取れ。それを晒して撒兵どもに気合を入れてやれ」
 常盤之助が外記の傍らに膝を付き、首を落としやすくするために松濤の頭を押さえた。
「こいつ、勝の回し者です。してやったりじゃないですか」
 外記は吹っ切るように大きく息を吐くと、口を一文字に結んで、脇差の鞘を払った。
 発砲音を聞きつけた増田らが、何事かと奥の間に駆け付けた時、松濤、荒田両人の首は、すでに胴から離れていた。
 増田はこの惨状を見て「ああ」と悲痛な声を漏らした。
 間宮も、梶塚も、色を失って立ち尽くした。
 松濤の首を提げ持った外記が、勝どきでも上げるように大声を発した。
「姦臣、斬戮せしめたり!」
「馬鹿な……」
 さしもの増田でさえ、声が震えた。
 荒田の髷を掴んで提げている染谷に向かって、間宮が激語した。
「無礼者、両士は徳川御連枝の臣であるぞ。御首級の扱いにそそうがあってはならぬ。渡せ」
「おめさんがたよ、あに血相を変えてんだ。薩長と戦う気があんのなら、こんな駄武者を二人ばかし斬ったところで、痛くもかゆくもねえはずだろ。それとも何か、腹に一物あるってのか」
 と迫られて、とっさに返すことばがみつからない。二つの首を持って引き揚げていく三人を、黙って眺めている他なかった。
 梶塚は力なくしゃがみ込み、目の前にある遺骸の、まだ生々しい首の断面を見つめた。これが松濤の胴なのか、荒田のそれかわからない。絹地の紋服を見る限り、松濤かもしれない。
 先鋒総督府は目下、江戸の民政を御三卿の一つ、田安家に委任している。松濤も荒田もその臣であり、勝総裁の股肱となって脱兵取締り鎮撫方を委任された者たちである。彼らを斬ってしまったということは、
「官軍に、喧嘩を売ったも同然……」
 梶塚は深いため息とともに、茫然とつぶやいた。

 外記が筆を取り、捨て札に貼る斬奸状をしたためたのは、この日の未明である。

〈この者らの罪状、今さら申すまでもこれ無く、死を惜しみて苟安を貪り、大逆賊、勝安房へ同服致し、将軍家を不義に引き入れ、有志の間を離間せしめんとす。天地に容れざるべき奸賊なれば、誅戮を加え梟首せしむものなり。〉

 妙経寺山門前に獄門台が設けられ、二つの首が白木の板の上に並べられた頃、どんより曇った東の空が、幾分明るみかけていた。

第十三章 市川・船橋戦争

 閏四月に入ってからも降ったりやんだりの空模様が続いている。
 中山法華経寺の門前に立っている番兵に誰何された勝壽は、馬上晴れやかな調子で答えた。
「江原大隊長の使者、八剱勝壽。先鋒総督府参謀、立木兼吾様をお連れして戻った」
 楼門の下に馬を繋ぎ、勝壽の先導で境内に入る。立木は赤い錦の陣羽織に黒い毛頭を被り、歩卒二名は黒の筒袖段袋、頭に尖った鉢振りを被っていた。いずれも肩に淡路藩の袖印を付けている。
 訓練中の小隊が動きを止めて堵列し、捧げ銃の姿勢をとった。あちこちに小銃が叉銃してあり、ぴりっと殺気立つ空気が張り詰めているが、すでに立木の人柄に触れている勝壽は、この戦争は回避できると確信している。
 立木は本院の大客殿に通された。
 この交渉を待ち望んでいた素六は、佩刀を携えず、中腰で進んで客殿の廊下に端座した。付添いは加藤千太郎こと三千太郎一人である。
 立木はからからと笑った。
「そんなにかしこまらんでつかい。こちらで話そう」
 と、もっと近くへ来るよう手で示した。
 武家の作法どおり畳に敷物は布かれていない。素六と三千太郎は膝行して座り直す。
 立木の従者と座を連ねている勝壽が、くだけた調子で言った。
「江原様の身の潔白は、おれの方からも伝えておきました」
 素六はかえって恐縮し、あらためて座の中央へ平伏する。
 小坊主が捧げてきた茶を、立木は静かに喫した。
「書状は読ましていただいた。お手前も立場上、苦心尽力をされたようじゃな。仔細は大総督宮に報告済みや。撒兵隊は方向を誤り、官軍に反抗しとるが、武装解除に応ずるなら、天朝として格別の御恩情をもって、これまでの経緯は不問に付す。もし武器引き渡しが困難であったら、御三卿の田安家を介してかまわぬ」
 素六は心中、ほっと胸をなで下ろした。これ以上望めないほど、平和裏な提案であろう。
 立木兼吾は天誅組事件にも関わったことのある古参の志士である。維新後は長野、福岡の初代県知事、横浜裁判所長を歴任し、何度か大規模な民衆暴動を収拾している。彼のすぐれた調停能力は、すでにこの頃からその片鱗を見せていた。
 先鋒総督府としても、必要以上に撒兵隊を刺激したくなかったのだ。上野に屯集する彰義隊は四千人に達していたし、奥州地方の諸藩が一致して事を起こすという噂もある。むしろこの時点では官軍の方が形勢不利ですらあったから、まずは前線指揮官の素六を畏服させることで、徳川義軍府を骨抜きにしようと目論んでいる。
 素六もまた、官軍は微勢とふんでいたから、武器引き渡しの交渉を長引かせつつ、正大の御処置が下されるのを待てばよいと考えている。恐れているのは叛逆首謀者として朝敵の名を負うことのみであった。

 江戸の霊岸島を発ってからすでにひと月、奔走日夜に及び、ずいぶん長いこと湯に浸かっていない。二度目の交渉を終えた素六は、立木を見送った後、古川善助を伴って銭湯へ行った。
 ふと、父上は息災か、などと家族の面影が浮かぶのも、武力衝突を回避できそうな形勢となりつつあるからだろう。二人とも着流しに雪駄ばき、脇差一つを帯してぶらりと楼門を出た。こんな無防備な格好で見知らぬ町を歩けるのも、義勇隊の手練れ三人を帯同しているからだ。
「軍装をとくと、ほっとする」
 窮屈だった体を開放するかのように、善助は大きく伸びをした。
 まだズボンやチョッキに慣れていないのである。幕府がフランス式の兵制を取り入れてから二年、本格的な調練が始まってから一年、撒兵隊などといってもにわか仕込みの銃隊に過ぎず、指揮官さえ洋式戦術を頭で理解したばかりの段階なのだ。背嚢を背負うことにも、肩から弾薬盒や吊り剣ベルトを下げることにも、まだなじんでいない。
 平右衛門は番台でぬか袋と手拭いを買うと、真っ先に石榴口をくぐった。
「冷えものでござい」と声をかけて入る。入浴前は体が冷えているため、肌が触れたらごめんなさいよ、と先客へ断りを入れるのがエチケットなのだ。平右衛門は熱い湯にどっぷり首まで浸かると、「くうう」と低く唸った。
「江原隊長よう、十文で風呂に入れる世の中を作ったのは、徳川幕府のお手柄だと思うぜ」
 いつもは憮然とした素六も、湯気の中で眉を開いてくつろいでいた。
 湯上りに二階の座敷へ上がり、番頭に酒を運ばせた。素六自身は下戸であるが、今宵は酒でも振舞いたい気分だった。
 特に、立木兼吾と渡りをつけてきた勝壽はお手柄であるから、手づから酌をしてねぎらった。童顔で、酒など飲めそうに見えないが、後になってみれば一番多く飲んだのは勝壽で、中山こんにゃくの田楽を頬張りながら、平右衛門と善助が酔いつぶれるまで飲んだ。
 素六は、このとき初めて三千太郎に「徳川兵学校」の構想を話した。
「もし、この戦争を回避できたら、幕府の俊秀を集め、文明の学術を講ずる学舎を建てたい」
 三千太郎は飲みかけの猪口を置いて深くうなずいた。
「立派です。先行きの不透明な時代に、ちゃんと前を見据えている」
 素六は飲めない酒をちびりと舐めて、苦笑した。
「わしが講武所の砲術科にいた頃、西洋式戦闘術は『散兵教練書』という文献で習った。この本は俗に、長門練兵書ともいう」
「長門? 長州藩のことですか」
「そう。長州の大村益次郎という蘭学者が訳した洋書を使っておったのじゃ。我らは今、その長州を敵に回しておる」
 素六は食べかけの田楽を口に運びつつ、自嘲気味に笑った。
「幕府陸軍なぞと申せばたいそうな感じもするが、一夜漬けの歩兵隊が、用兵にかけては一歩も二歩も先んずる西国雄藩に勝てるだろうか。実際、長州征伐で敗北を喫し、あれから三年、幕軍の練度が長州藩を上回ったとは、到底思われぬ。それゆえわしは、勝総裁の恭順路線が正しいと感じておる」
 素六ら脱走軍の幹部は、大村益次郎が先鋒総督府の参謀長に就任すべく、東下の途上にあることを知らない。
「わしは、上様に寛典の御沙汰が仰せ出されたら、兵を解くことにやぶさかではない。その時まで、支えてくれ」
「もちろんです」
 三千太郎はかっきり頭を下げて、飲みかけの酒をぐっと干した。

 早くも総州には密偵が入っているらしい。三度目の交渉に同席した備前岡山藩の森下立太郎が、昨日ようやく芽生えかけた和やかな雰囲気を、はなから潰しにかかる。
「船橋方面は未だ不穏である。門番所を建てて路を塞いでおるだけでなく、竹矢来を組み、四方に胸壁を築き、小濠までつくっとる。木下街道の鎌ヶ谷辺りまで兵を配備しとるとあっては、血気にかられとると判断する他なし。江原殿、おぬし誠に和平を望んでおるのか」
 そもそも船橋の第二大隊は、上総牛久へ屯替えとなる予定だったのだ。直前になって佐倉藩家老平野重久の術中に陥り、再び軍事同盟の可能性を信じて動かずにいる。素六にとっても痛いところだった。
 加藤千太郎こと三千太郎が、「そのことについては」と間に入る。
「誤解があるようですが、我らが防御を固めているのは、間違っても官軍に対してではありません。現在、西上総地方にあって、江戸へ攻め込む気配をみせている、撒兵隊主力の動きを抑えんがためです」
 お見事、と素六は心の中でつぶやき、さらに補足する。
「船橋は交通の要衝であり、街道の結節点にござれば、まずはここを封じておくことが喫緊の大事であった由、ご理解願いたし。目下軽挙に及ばぬよう、徳川義軍府の将士らを説服しておる次第」
「ご尽力に痛み入る」
 と頭を下げたのは、立木兼吾の方であった。
 この三度目の交渉に赴く前、先方総督府参謀、長州藩士木梨精一郎は、森下、立木両将に対し、朝議に計った指示を下している。
「従容説諭して、もって兵器を収むべし。快意軽挙して、我より兵端をひらくことなかれ」
 新政府軍の戦場はすでに奥州街道に沿って細長く伸びており、南関東へ割く兵力が不足していた。追々編成を整え、弱冠十八歳の公卿、柳原前光が房総鎮撫総督に任ぜられるのは、まだ少し先のことである。
 官軍側も弱腰であったからいいようなものの、和平交渉中に船橋の大隊が戦闘配備に付いているなど、確かにおかしな状況であった。素六は勝壽を呼び出した。
「速やかに大神宮の陣地を引き払い、兵を牛久まで下げるよう伝えて参れ」
「突っぱねられたら、どうします?」
「これは福田総督の命でもある。徳川義軍府が決戦地と定めたのは養老川の線じゃ。第二大隊は牛久にてその右翼を担う。異議を押しはさむことかなわぬと申し伝えよ」
「はッ」
 と歯切れのいい返事をすると、いつの間にか自分が武士っぽくなってきたなと勝壽は思った。さっそうと馬に打ち跨がると、これもなかなか様になっているような気がする。船橋へ向かって、一散に駈けた。

 梅雨のはしりの曇天が低く垂れこめている。誰しもくさくさした気分に陥りがちだが、堀岩五郎をいっそういら立たせているのは、佐倉藩の緩慢な対応のせいである。同盟を結ぶと申し出ておきながら、しかるべき老席の者が船橋へやって来ない。至急ご挨拶下さるべしと催促すると、事態容易ならざれば議論百出、たやすく決すべきもあらず、と口を濁す。ならば手切れと伝えれば、力を戮す、という。
「それが政治ってもんじゃないかねえ」
 縫之進は肩をすくめた。
 茶化しているわけでもなく、さりとて事態の窮迫ぶりを理解しているわけでもなさそうなこの男の反応が、なぜか堀の心を落ち着かせる。
 常夜灯のある見晴らしのいい高台に、二人は肩を並べて立っていた。
「今日は何を首に巻いておるのだ」
「ああ、これね。岩さんお目が高いねえ。藍の生葉で染めた絹布さ」
「まったく、おぬしは洒落者であるな」
「岩さんも、疲れているわりにゃあ二枚目だ。水髪の髷が色っぽいぜ」などと、からかうのだった。
 水髪とは、油をつけず、水のみで整えた髪のことだ。船橋駐屯以来、ずっと鬢付け油など使っていないし、そんな心の余裕もなかった。
「おぬしは何故ここにおる。他の者は江原のところだろう」
「あんでだろうねえ。岩さんの、そのぴりぴりした緊張感に興味があるからかなあ。仕事ってもんは、つねに命がけだ。こんなことお武家さんに言ったら叱られるかもしれないが、おれも命をかけて藍染をやっている」
「その布、おぬしが染めたものなのか」
「そうさ。今日は蒸し暑いから、首元を涼しく見せたいと思ってね。岩さんはもう頭巾を首に巻かねえのかい。だったらこれを巻いてみなよ」
 縫之進は首の綿布をほどいて、それを堀の首に巻き付けてやった。こんななれなれしいことをされて大人しくしている自分のことを、堀自身が不思議に思っている。
「申し上げます」
 と部下の声がしたので、堀は一歩下がって縫之進との間隔をあけた。
「第一大隊からの使者です」
 振り返ると、新式のライフル銃を担いだ勝壽だった。
「使者って、しょうじゅのことかえ」縫之進が大笑いした。

 この日の夕刻、事態が思わぬ方向へ進展する。
 三度目の交渉を終えて本八幡の宿所へ引き返した両参謀が、再び血相を変えて中山法華経寺に戻って来た。素六を呼びつけると、森下は掴みかからんばかりの勢いでまくし立てた。
「田安中納言が家臣、松濤権之丞が姉ヶ崎にて斬られたと聞く。手を下したるは義軍府の者、如何なることか説明せよ!」
 素六にしても、寝耳に水である。姉ヶ崎に進駐しているのは増田直五郎の部隊だ。梶塚成志もいる。そんな馬鹿げたことが起こるはずもない。
 森下はこめかみに青筋を浮かべながら続けた。
「江戸取締りを御委任仰せつけられし田安家の臣を斬ったとあらば、もはや交渉の余地なぞあるまい」
「待たれよ、それがし、そのようなことは存じておらぬ」
 が、いかに素六がことばを尽くしても、このような事態となれば、撒兵隊が臨戦態勢を解かない理由も自ずから憶測され、さすがの立木兼吾でさえ不信感を抱きつつある。森下は白い毛頭を振り乱して詰め寄った。
「おぬしは一方で恭順の意を示すか思やあ、裏にまわって守備を固めとったんじゃろう」
「めっそうもござらぬ。どうか落ち着いてくだされ。松濤殿の件、それがしは一切あずかり知らぬ」
 ただちに仔細を確認し、引き続き恭順に努めると必死に森下をなだめて、素六はひとまず二人を帰陣させた。しかし、この夜のうちに、新政府軍は臨戦態勢を取り戦闘準備にかかった。

 素六のもとへも、翌朝になって早馬が到着した。松濤暗殺の状況や、実行犯など、くわしいことは何一つわからない。が、斬奸状の写しを読むかぎり、もはや致命的な事態に立ち至ったことは確実であった。
 素六は写しを三千太郎に手渡した。そして文中の「大逆賊、勝安房」の部分を指差し、深いため息を漏らした。
「徳川義軍府に恭順の意志なし、ということを宣言したようなものじゃ」
「もう、手遅れですか」
 素六は眉間に指を押し当てて、唸るように考え込んだ。
「ともかく、大規模な軍事衝突を避けるため、何をおいてもまず第二大隊を撤退させることが先決じゃ」
 平さん、平さん、三千太郎は振り返って声を上げた。
「ひとっ走り船橋に行ってくれないか。もう一刻の猶予もない、急いで撤退しろってケツを叩いてきてくれ」
「承知」
 平右衛門は問屋馬の馬を躍らせて船橋へ向かった。
「それで、第一大隊はどうするのです」
「交渉を続ける」
 素六は軍帽を被った。

 新政府軍の幹部らは、本八幡の料亭「中村屋」に集まっている。ここは備前岡山藩兵の宿舎でもあり、房総方面の前衛本部でもあった。江戸川筋に配備されていた諸藩混成軍の指揮官が、急きょ招集されている。備前岡山、筑前黒田、伊勢安濃津、日向佐土原の四藩である。ここに、江戸市中取締りをゆだねられている田安家の家臣、五十嵐清七郎も加わり、長らく放置されていた徳川義軍府の掃討について昨夜から軍議がもたれている。
 そこへ、素六が三千太郎を伴って直談判に現れた。
「指呼の間で軍議なぞ開かれては、いよいよもって脱走兵を鎮めることが困難となります。一旦、江戸川西岸へ兵を引いて下さりませぬか」
 森下は、もう騙されぬとばかりの血相で素六を睨みつけた。
「恭順の意志あらば、降伏の法式として、武器を残らず差し出すべし」
「撒兵隊士の所持する武器は、個人の所有物にて、わしの一存では回収なぞできぬのです。どうかそこをご理解いただきたし」
「しからば」と森下は座敷の奥をかえりみた。
「五十嵐殿、貴殿が田安家の名において、武器を回収して参られよ。さすれば大総督宮の格別の思召しにより、撒兵隊の江戸帰還をゆるし、兵卒の処分も各家謹慎にとどめよう。回収した銃器は、後日持ち主に還付する」
 五十嵐は額の汗を拭いつつ、口ごもった。
「恐れながら、この期に及んで脱兵らが、田安家の命令を聞き入れるとも思えませぬが……」
 素六も同感である。しかし森下は、頑として譲らず、それができぬなら戦端を開くのみ、と言い切った。
 万策尽きた素六は、五十嵐と、立木兼吾を連れて法華経寺に戻って来た。
 この頃には、松濤権之丞横死の噂は士卒の知るところとなっており、佐幕の素志を貫くべしと気炎を上げている者もいる。五十嵐が説服を試みて祖師堂の外陣に立つと、渡辺儀左衛門が刀の柄に手をかけて怒鳴った。
「もはや談判の余地なし。我らは忠義の挙をなさん」
 士卒からも「その通りじゃ、帰れ、帰れ」と野次が飛んだ。
 五十嵐はたちまち恐れをなし、
「これでは、松濤の轍を踏むことになる」と匙を投げた。
 立ち去りかけた五十嵐の袖を、素六が引き戻すように掴んだ。
「君臣の道義を説いて、田安家の御職掌を遂行してくだされ、それしかもう手がござらぬ」
 野次は一層激しくなり、石まで飛んでくる。このままでは暴徒に虐殺されかねないと立木兼吾は感じた。
「江原殿、相済まぬが、これで手切れじゃ。同胞相争うんは誠に忍びないことやけんど、どうか、ご武運を」
 五十嵐と連れ立って向拝の階段を足早に下った。
「三千太郎、お二方を安全な場所までお連れ致せ」
 ますます激しくなる野次と怒号の中で、素六は虚脱したようにそう命じた。

 縫之進の助言によって、船橋の宿場は平常通りの営業を再開している。それでも往来の人影はまばらで、門番所の警戒もゆるんでいない。平右衛門は関を突っ切ろうとしたが、歩哨が抜身の槍で制した。
「第一大隊からの使者だ、怪しいもんじゃねえ。急いでっから通してくれ」
 が、合印も標識木版も身に着けておらず、哨兵の方も規則に従って「通せぬ」と言い張る。義と染め抜かれた羽織は義勇隊のものであるから、確認のために縫之進が呼び出された。
「よう、平さん」
「ヌイやんよう、武士ってやつぁ、どうしてこうも融通がきかねえんだろうな。それあそうと、急ぎの用だ。とっととここを引き払って牛久へ行きな。敵が攻めて来っから」
 縫之進と共に門番所まで出て来た堀岩五郎がそれに答えた。
「伝令かたじけなし。なれど、我が隊は今しばし動けぬ」
「なに流暢なこと言ってんだ、戦が始まんだよ」
「佐倉藩出兵の諾否を問い、しかるうえにて陣払い致す」
「そんな時間ねえっつの!」
 平右衛門が声を荒げると、縫之進がなだめるように言った。
「いま、しょうじゅが馬を飛ばして確認に向かってる」
 佐倉藩十一万石が戦いの帰趨を決すると確信している堀は、ぎりぎりまで交渉の進展を見守りたいのである。
「いずれにしても、はやあしねえと命取りになるぜ」
 馬の平首を叩きながら、平右衛門は眉をしかめた。

 伝馬を馳せて佐倉城下に入った勝壽は、義軍府側の交渉役、古田新十郎を連れてさっそく藩庁へ向かった。古田はこれが最後通牒とばかりに声を励まし、
「援兵として急ぎ人数を差し出されたし」と迫ったが、執政の平野重久はこの期に及んでなおも回答をはぐらかし、藩論未だ紛々擾々として決せず、と答えた。
「戦う気なんてないんですよ。早く船橋へ戻りましょう」
「いや、敵味方の区別をしておかねば、虚に乗じて背後を衝かれる恐れもあろうし、堀田家中は御家筋別段なれば、我らの困苦切迫の状、お酌みくだされぬとも思い難し」
 などと、望みを捨てきれずにいるらしい。

 中山法華経寺から五十嵐清七郎と立木兼吾が追い払われるように戻って来ると、森下立太郎はこれをもって交渉決裂と判断した。
「撒兵隊、必戦の覚悟あり」
 先鋒総督府へ急使を派遣し、各藩軍に戦闘配置を発令する。
 備前軍、本八幡。
 安濃津軍、市川。
 福岡軍、行徳。
 佐土原軍、鎌ヶ谷。
 森下による、三方面から撒兵隊を挟撃する作戦である。
 翌、閏四月三日払暁、号砲三発を合図に鎮圧を開始する旨を申し合わせ、指揮官はそれぞれの陣所へ戻った。

 敵状偵察に出た物見の兵から、続々と由々しき事態が報告される。素六はすぐに、自分たちが包囲されつつあることを悟った。非戦のために心肝を砕いてきたというのに、ついに任務を貫徹できなかったばかりか、最前線の陣頭に立たされている。もはや、腹を切って詫びる猶予すらない。
 素六はただちに第一大隊の指揮官を招集した。生き残る手段はただ一つ、
「奇襲を掛ける他なし」
 成田街道の絵地図を広げ、指揮棒で新政府軍の布陣を示す。この状況で第二大隊を上総牛久へ後退させ、しかる後、第一大隊を撤収させるためには、
「夜陰に紛れて本隊を本八幡へ押し出し、別動隊をもって市川の背後を衝く」
 それを聞いた第一中隊長の亀里鉄五郎が眉を曇らせ、地図に描かれた道筋を目でなぞった。
「第二大隊はそれで逃げ切れましょうが、我らはここで退路を断たれてしまうのではありますまいか」
 と亀里が指を置いたところに「海神」と書かれている。
 市川と船橋を結ぶ成田道が行徳街道と合流する地点に海神村がある。
 南と北から福岡と佐土原の軍が攻めて来れば、東西に向かって走る成田道はここで寸断されるだろう。それは素六も承知している。それゆえ新政府軍へ先制攻撃を仕掛け、市川・本八幡方面を攪乱した後、返す刀で海神へ突っ込み、敵中突破する作戦なのである。
 第一中隊所属の小隊長として軍議に加わっている古川善助は、生粋の恭順派である素六に付き従ってきただけに、意外の感に打たれもする。いざ戦うとなったら、こんなにも大胆な作戦を振るう大将であったか、と声を出さずにくすりと笑った。
 渡辺儀左衛門などは、我が意を得たりとばかりに奇襲作戦に賛同したが、亀里は慎重な態度を崩さない。
「兵の分散は望むところではあらねど、せめて一小隊ばかりは海神の守備に充てておくべきでしょう」
 素六もそこは冷静さを失っておらず、第一中隊から各務八十八の小隊を派遣することにした。
 本八幡攻撃軍は、渡辺儀左衛門中隊、中村小源次中隊、間宮左近中隊を合わせて約三百名。別動隊は亀里中隊の約八十名で、大隊長の素六自らが率いる。
 法華経寺を出て海神三叉路へ向かった各務小隊の動きは、すぐさま新政府軍の斥候によって探知された。本八幡にいる森下立太郎もここまでは第一大隊の動向を捉えていたが、閏四月三日未明は月明りもなく、下総台地は漆黒の闇に包まれており、これ以上の軍事行動はなかろうと判断した。

 弾薬盒の中身を確認しながら、素六は三千太郎に話しかけた。
「結局、このような次第となり、戦を回避できなかったこと、誠に面目なしと思うておる。なれど、速やかに事態を収拾致すがゆえ、おぬしもわしと共に最善を尽くしてくれ」
「鞭声しゅくしゅく夜河を過る、という歌がありましたね」
 義勇隊の羽織を襷でくくり上げながら、三千太郎はふと、そんなことを思い出した。
「川中島の歌じゃな。縁起でもない。武田軍は夜襲に失敗したのだぞ」
 素六は笑いながら刀を腰に差した。縁起でもないのに笑っているのは、さすがに気が高ぶっているからだろう。
 三千太郎は腰の巾着から豆を一粒取り出して、そっと口に入れた。奥歯でゆっくりと噛みしめながら、なを、守ってくれよ。心の中でささやいた。
 手伝人足として徴用されている鉄三という男を善助が連れて来た。地元の若者で、牛尾中店という妓楼の使用人であるという。
 素六は遊侠風のその若者をしばし眺めると、龕灯を一つ掲げて言った。
「明りは、これのみ。おぬし、この闇夜の中、枝道をつたって我々を市川まで先導できるか」
 尻を端折った若者は、「褒美をはずんでおくんなまし」と自信ありげにうなずいてみせた。

 徳川義軍府の命運を左右する佐倉藩は、南関東の学都と称えられるほど学校教育に熱心な御家柄で、藩校「成徳書院」の中には最先端の蘭方医学塾(後の順天堂大学)まで開設されていた。が、学府の宗たるはやはり官学の儒教であり、しかるべき儒学者が藩政に深くかかわってもいるのも佐倉藩らしい傾向といえる。平野重久の側近に続徳太郎という学者がいて、この人物が儒士参謀として軍事に携わっている。勝壽は一計をめぐらせて、続に面会を求めた。
 町奉行所に呼び出された勝壽は、そこで続と対面し、対するなり下役人らの面前で、声を上げた。
「我らは礼をもって来たり乞うを、使者をいつまでも放置しておく尊藩の御対応は、明らかに礼を失するものでしょう」
 続はうっとことばを詰まらせた。儒学における最も重要な規範は礼である。これを欠くと非難されたら立つ瀬がない。勝壽はその心理を衝いたのだ。続は使者の申し分に理があると感じた。これはもう、包み隠さず答えるしかなかろう。
「弊藩は出兵の意なければ、応援を辞せる。撒兵隊の隊長に、よからんように御申し達せられるよう……」
「この期に及んでお味方できずとは、言語道断の次第でしょう。背盟を恥じるのであれば、せめて武士らしく、撒兵隊の背後を衝くような卑怯なまねはしないと約束してくれませんか」
「承知した。そのように計らおう」
 言質を得た勝壽は、すぐさま伝馬に飛び乗った。
 古田新十郎はあくまで城下に踏みとどまるという。
「佐倉は譜代なれば、意気佐幕の者少なからず。城下にとどまって同志を募る」
 ご武運を。と言って二人は別れた。古田のその後の消息はわからない。
 馬乗り提灯を腰に提げた勝壽は、鞭鐙を合わせて船橋へ馳せた。

 龕灯に火が灯される。明りはこれだけである。牛尾中店の鉄