いつか滅びゆく夏に横たわる愛に似たなにか
生まれたときから私の傍にいた従兄の菖之弼。私たちは恋人でも夫婦でもない。ただ、愛に似たなにかで結ばれている。とある男女の数十年間と、いつかは滅ぶ気怠いこの夏の午後
緑の羽根の扇風機はかたかたと鳴る。
その透き徹った回転する緑の向こうには、窓があって、夏がある。
開け放った窓から蝉の声が響く。それはなんだか、遥かなる遠いむかしから響いてくる声に聞こえる。子どもの頃、永遠につづくように思われた夏の日に聞いた、あの蝉の声のように。
「昭和の家電が丈夫だってのは、本当なんですね」
私の隣で同じく、回転する緑の羽根を見ながら菖之弼が言う。
「人間はこうもいかないけどね。何年も暗い物置に閉じ込めておいて、突然引っ張り出されて電気をあげるからさあ動いて!と言われても、出来やしないわ」
「是的」
なぜか中国語でそう同意した菖之弼は、気怠そうに枕に顔を埋める。
歳を取りました。
白髪の方が多くなった後頭部がそう言っている。
「暑いわね」
と私は言った。
もう張りなんてものはないけれど白くはある、と思っている肌のあちこちを、さっきから汗が流れていく。頭髪なんて蒸されているよう。
「京都の暑さは堪えるわ」
菖之弼は顔の半分だけを私の方に向け、にやっと笑う。
「すっかり雪国の人ですね、お嬢は」
私が煙草を咥えると、菖之弼は当たり前のようマッチを擦って火をつけてくれた。それから自分も煙草を咥え、もらい火をする。
マットレスだけを置いたそこで、黙ったまま二人で煙草を吸う。もう老齢といってもおかしくはない、死期さえ遠くない男と女で。
蝉は啼きつづけ、夏の陽はいつまでも落ちない。
「氷を食べに行きましょう」
そう言うと、菖之弼はマットレスから軽やかともいえる動きで立ち上がり、私に手を伸べる。重ねると、強く引いて私を立ち上がらせた。
「その前に水を浴びましょう」
私たちは裸のまま連れ立って、風呂場へ行く。
ここ十年ほどの間、盆になると気まぐれに故郷へ帰る。つまり帰るときもあれば、帰らないときもあるということだ。
帰ろう。
と思い立つと、私は旅行鞄にさっさと荷造りをしてしまう。夏の旅は衣服がかさばらないから好きだ。ついつい多めの服を詰めてしまう。軽くて涼やかな、夏の衣服たち。どだい、私は旅支度というものが好きな女だ。ここではないどこかに行く、という非日常と、一種の逃避行にわくわくする。少女だった頃から。
私が突然帰郷することを、夫が咎めたり難色を示したことは一度もない。なにしに帰るの?と訊くことも。
この夏は帰ることにするわ。
私がそう告げると、夫は間髪なくそれを受け入れる。
行ってらっしゃい、と。
それは、夫が冷淡なわけでも、私に最早1ミリの関心も抱いていないとかいうことでもない。寧ろその逆で、夫は私を世界中の誰よりも信頼しているし、私にしても夫を世界中の誰よりも信頼している。なにしに帰るの?と訊いたりしないことも含めて。
世の中には妻が一方的に家を空けることを良しとしない夫や、俺の飯はどうするんだ?などと意味不明な発言をする男たちがいるらしいが、幸いなことに私はその不運とは無縁でいる。私がいない間、夫はちゃんと自炊をするかどこかで食事を済ますし、洗濯機を回して干して、ゴミの日にはちゃんとゴミを出す。掃除機だってかける。男だから、誰かの夫だからそれができないなどとは考えない。夫は自立した一人の人間だし、愚か者ではない。私は彼のそんなところが好きだ。
夫は私を車に乗せて、駅やバスターミナルまで送ってくれる。トランクから荷物を取り出して、私の乗るべきバスや電車が来るまで自分の手元に引き受けてくれる。
気をつけてね。
と夫は私を送り出す。
ご先祖さんたちによろしく。
と言うこともある。私が一応墓参りなんてものをすることを、ちゃんとわかっているのだ。
行ってくるわ。
と私は手を振る。座席に着いて、夫の姿が見えるとそこからも手を振る。夫も振り返す。夏の、数日間の別れ。
故郷に着くと、私は菖之弼に電話をかける。
着いたわ。
と言うと、
おかえりなさいませ、お嬢。
と菖之弼は言う。
そうしてしばらくすると、菖之弼の車が私を迎えに来る。夫にはまったく似合わないであろうサングラスを、 自分の顔の一部みたいに着けた菖之弼。
菖之弼は私の荷物をトランクに詰め、助手席のドアを開けてくれる。
おかえりなさい、お嬢。
もう一度そう言って、菖之弼は車を走らせる。
窓の向こうの青空に、白い蝋燭のお化けみたいな、なぜそんなものを建てようと思ったのかまったくもってわからない京都タワーを見ると、帰って来た、と少し不本意ながらいみじくも、私は思う。
「暑いわ」
と言うと、菖之弼は黙って車の窓を明けてくれる。
夏風が、吹き込む。
蛇口を捻るとしばらく濁った水が出た。普段ここは――私の生家は空き家になっているから仕方がない。やがて透明な水が出はじめると、まだつめたいうちからそれを身体に浴びせた。心臓と肉体がぎゅっと縮こまるような思いがして、思わず声を上げそうになったが我慢した。菖之弼はそんな私を見て少し笑った。きっと小さい頃、この庭のホースで水浴びをした日のことを思い出したんだろう。あれは地下水だったから、真夏でもとてもつめたい水が出た。菖之弼は専らホース持ち係で、私と弟に容赦なく冷水を放ちつづけた。笑い転げる私と弟、スナイパーのようにホースの水を的確に操る菖之弼。
水はしばらくすると、熱湯のような熱さに変わった。私たちはそれを頭から浴び、汗と肉体的交接の痕跡を洗い流した。
さっぱりして麻のワンピースを頭から被ると、随分と涼しく軽やかな気持ちになった。
「氷を食べに行きましょう」
晴れやかな気持ちで、もう一度私はそう言った。
「お嬢は本当に氷がお好きで」
菖之弼は苦笑するが、そもそも私を〝氷好き〟にしてしまったのは菖之弼なのだった。
あれは、確か三つか四つの頃だった。つまり菖之弼は七つか八つで、私たちは嵯峨野にある祖母の屋敷にいた。真冬だった。先祖の誰だかの法事で、私たち親族はそこに集まっていたのだった。子どもには退屈な行事だと思われたのだろう。私たちは坊主が経を唱える部屋から追い出されて庭にいた。庭にはどっさりと、一面に真っ白の雪が降り積もっていた。私は赤い長靴を履いていたことを覚えている。
不思議なのは、その雪原に私と菖之弼以外の子どもの姿がないことだ。まだ赤ん坊みたいだった弟の姿も、他にもわらわらといた従兄弟たちの姿も私の記憶には存在しない。
あの日、静かな白銀の世界には、子どもだった私と菖之弼だけがいた。
そして子どもだった私は、なにを思ったか徐に目の前の雪を掴むと、そっと自分の口に押し込んでしまった。
食べたらあかん。
そう菖之弼の手が私の唇に伸びてきたときには、雪はすでに私の口の中で、融けて水となってしまっていた。
嗚呼、という顔を菖之弼はしていた。
おいしないわ、と私が訴えると、菖之弼は笑って、
ほな、僕がおいしくしたるわ。
任せとけ、というようにそう言った。
思えばあの頃からすでに私たちの役回りみたいなものは決まっていたのだろう。有り体に言えば私はなにか面倒を起こす側で、菖之弼はそれを片づける側にいた。それは彼が歳上だったからとかそういうことだけじゃなく、たぶん生まれ持った一種の性質だったのだ。生まれ持っての兄貴肌、一族の保護者。
実際、菖之弼はみんなから「菖兄ちゃん」と呼ばれていた。歳上だったし、親族が一堂に会する場に集まると、彼は自然子どもたちのリーダーになった。なにをして遊ぶかを決め、お菓子があれば平等に分け、年少の者に目を配った。しかしながら、私はそんな菖之弼のことを、なぜだかどうしてもみんなと同じように「菖兄ちゃん」と呼ぶことができなかった。そう呼ぼうとすると、なにかがぐっと私の喉元を押さえつけてきて声が出せなかった。それで、私は一人彼のことを「菖ちゃん」と呼んでいた。菖之弼の方も私をただ一人、「菫子ちゃん」と呼んでいた。名付けた親でさえいつも「スミレ」としか呼ばなかった私のことを、菖之弼はいつも正しくそう呼んでいた。子どもだった菖之弼は。
おいしくしたるわ、と宣言した菖之弼は、私が雪遊び用に持っていたプラスチックのコップに雪を集めるように命令した。なるべくきれいな、まだ誰も触ってへんとこの雪を集めるんやで、と言って、自分でも葉っぱの上や庭の隅の、まだ誰も踏んだり触ったりしていないところの雪をコップに入れはじめた。私は猿のようにそれを真似した。コップが山盛りの満杯になると、菖之弼は私のつめたくなった手を引いて、台所に連れて行った。菖之弼の手はあたたかかった。
あの頃、祖母宅の台所はまだ土間で、いつもカマドさん(そういう苗字だったのか、飯炊きさんだからそう呼ばれていたのかはわからない)というおばさんがいたのだけれど、あの日は誰もおらず、台所は静かでしんとしていた。遠くからわずかに、読経の声が聞こえてくる。
菖之弼は自分の唇の前に人差し指を立てた。静かにしろ、あるいは、これからすることは内緒ね、という意味だった。
彼は慣れた動作で貯蔵棚の一番下の抽斗を開けると、中から非常に重そうな、大きな瓶を引っ張り出してきた。中には金色の液体が入っていて、瓶底には梅の実がいくつも沈んでいた。菖之弼はその大きな蓋を開けると、また慣れた、勝手知ったる動きで流しの下の抽斗からレードル(大きいスプーン、と私は思った)を取り出し、中の蜜を掬うと、そっと私に微笑みかけてから集めた雪の上にゆっくりと垂らした。
私たちの小さな雪山は、わずかにその頂きを崩しながら、ゆっくりとその山肌を金色に染めていった。それはうっとりするほどに美しい光景だった。
菖之弼はそれから最初の一匙を掬い上げると、私の唇の間に差し入れてくれたのだ。
それは私の口の中でやっぱりすぐに氷解してしまったが、じっとりと甘く、そしてほのかな梅の芳りが広がった。
おいしい?菫子ちゃん。
自信たっぷりに、菖之弼はそう訊ねた。
私はそれ以来、氷の虜になったのだ。
外に出ると夏の熱気が満ちていた。門の向こうの道がゆらゆらと陽炎に揺れている。私は顔を上げ、帽子の庇から我が生家を振り返る。
大正時代、スペイン人のなんとかさんが建てたこの洋館は、建てた当時も現在も、周りの景色から少し浮いている。浮いているけれどどっしりとそこに建っていて、短くはない時の流れを受け止めている。母が亡くなって以来空き家にしているけれど、菖之弼が管理してくれているおかげでお化け屋敷みたいにはならずに済んでいる。
本当は、母が亡くなったときにこの家は手放すつもりだった。私はもうここには住んでいなかったし、今後住む予定もなかった。弟にしてもそれは同じだった。処分か売却か、それとも他になにか手段はあるのだろうかとのらりくらり姉弟で話していると、
おやめなさい。
と、菖之弼が言った。
この家は、このままここに残して置きましょう。それが一番いい。
それはほとんど断定するような言い方だった。もちろん、従兄である菖之弼には、この家の行く末をどうする決定権も相続権もない。それなのに私と弟は、「菖兄ちゃん」がそう言った時点でそれが一番正しいことのように思えてしまった。菖兄ちゃんの意見を聞いていれば間違いはない、と。
残して、それでどうするの?
それでも、私は一応そう訊ねた。あなたここに住むの?とも。すると菖之弼はあっさりと言ってのけた。
朽ちるまでここに置いておきゃあいい。
と。
言ったあとで、まあ管理は僕がしますよ、と一見矛盾するような言葉をつけたした。
私が笑うと、弟も笑った。そしてそうしよう、ということで話は帰着した。
家は私が相続をした。管理は菖之弼が行うが、私の住所には毎年四月になると土地と家屋、二つ分の固定資産税の納付書が届く。私は住んでもいない家の税金を払いつづける。おそらく死ぬまで、ずっと。この家が朽ち果てるまで。
菖之弼は私のために車の助手席を開けてくれる。車内は蒸し器にでも入れられていかのような暑さだ。運転席に乗り込んだ菖之弼は、すぐにエンジンを入れ、すべての窓を全開にする。同時に、エアコンのスイッチを入れる。音を立てて風が吹く。車のエアコンの、独特の匂い。小さい頃、私はこの匂いがとても苦手だった。三半規管は強く乗り物酔いとは無縁だったが、この匂いをかぐと吐く人の気持ちがよく理解できた。
「氷、どこに食べに行きますか?」
カーナビのモニターをなにかがちゃがちゃといじりながら菖之弼は訊ねる。
「どこでも。おいしい氷が食べられるのなら、それでいいわ」
「承知。他に条件は?」
「なるべく並ばずに店に入りたいわね」
お盆の最中の京都で並ばずに、なおかつおいしい店となれば限りがあるだろう。しかし菖之弼にとって私のそのわがままな条件は苦にもならない。
「承知しました」
あっさりそう言うと、菖之弼はサングラスをかけ、シフトレバーを切り替えてゆっくりと車を発進させる。
「そのサングラス素敵ね」
と私は言った。
「知道」
なぜか中国語で、菖之弼はそうこたえた。
私は車の窓から、そっと生家を振り返った。それは半分ほど忍冬の蔓に覆われ、たぶん私たちには認識できない速度で、ゆっくりと、朽ち果てていこうとしている。私たちの肉体と同じように。
忍冬。
それは私が生まれたときにはすでに家の外壁を覆っていた植物だった。
初夏に白い蕾がほころぶと、私と弟は競うようにしてその花の蜜を吸った。吸っても吸っても花はあとからあとから咲きつづけ、夕方にはその甘い匂いを辺りに滲ませた。
一度、そうしていると弟が花の隙間に隠れていたミツバチに膝を刺されたことがある。火がついたように泣き出した弟に、そのとき冷静に対処したのは菖之弼だった。菖之弼は例のホースを持ってくると、泣き喚く弟の膝に水をかけて患部を洗いはじめた。
突然のことに、私は弟を慰めるでも菖之弼を手伝うでもなくぼうっとその光景を見ていた。ぼうっと見ていると芝生の間を流れる水の中に、弟を刺したらしいミツバチが転がっているのを見つけた。それはもう死んでいるみたいで、静かに泥水の上を流されていた。
ミツバチは、一度針を使うたら死ぬんや。
私の方を振り向きもせず、私の視線の先を確かめたわけでもないのに、菖之弼は言った。
伝家の宝刀の使い道、間違うたみたいやな、と。
それ以来、私はミツバチを見かける度に頭の中でこのときの菖之弼の言葉が蘇るようになった。
ミツバチは、一度針を使うたら死ぬんや。
伝家の宝刀の使い道、間違うたみたいやな。
「そのサングラスいいわね」
私はもう一度言ってみる。
「あげませんよ」
「吝嗇、」
「売ってる店になら連れて行ってあげます」
「買ってくれるの?」
「まさか。自分でお買いなさい」
「吝嗇」
「どっちが吝嗇だか」
菖之弼は笑い、私も笑う。車内はやっと涼しさを感じられるようになってきた。
「『イヤー・オブ・ザ・ドラゴン』のときのジョン・ローンが、そんなサングラスしてたでしょ」
「そうでしたっけ?」
「してたの」
私はあの映画が好きで、何度も見たから覚えている。白いスーツを着て馬に跨がるジョンと、バッグから敵の生首を取り出すジョンと、ぼこぼこに殴られて上役に叱られるジョンを見るために何度もテープを巻き戻した。
「ジョン・ローンっていまなにやってるんですかね」
「知らない。私が最後に映画で見かけたときはジェット・リーと共演してまたマフィアのボスをやってたわ。で、最後にはやっぱり死ぬの」
「もう皇帝にはならないんですか?」
「なってたわ。テレビで、康熙帝の役をやってた。それ以来見ていないけど」
ふうん。
どうでもよさそうに、菖之弼は返事をする。実際ジョン・ローンのことなんて菖之弼にとってはどうでもいいのだろう。でも私は一度ジョン・ローンの名前を口に出すと、彼のことをべらべらと喋りたくて堪らなくなってしまった。
「ねえ、ジョン・ローンて孤児だったの、知ってる?」
「そうなんですか?」
「そうなの。でね、一時片腕の老女に引き取られて養育されてたんけど、ヒステリックなばあさんで、毎日打たれたり怒鳴られたりしてたらしいの」
「いまなら児相案件ですね」
「そうなの。でもそのばあさん、経済的な理由でジョンを再び孤児院に戻しちゃうの」
「よかったんだか悪かったんだか」
「でね、ジョンは十歳のとき、京劇の養成所に入学したのよ。そこで十八歳まで京劇の勉強をしたの」
「京劇の学校って、滅茶苦茶スパルタですよね。宝塚の比じゃないでしょ」
「実際どうだったかは知らないけど、そういうイメージしかないわよね。ほら、チェン・カイコーの『覇王別姫』でも、ちょっとなに?死んじゃうじゃない、みたいな折檻、日常的にやってたものね」
「煙管で口の中扱いたり?」
「磔にして尻を打ったりね」
苦労人なんですね、と菖之弼はこの話に〝落ち〟をつけてくれる。むかしから、私の着地先の見えない話に〝落ち〟をつけてくれるのは菖之弼の役目なのだ。
「調べましょうか?」
ぽつりと、片手でハンドルを操りながら菖之弼は言う。
「ジョン・ローンがいまどこでなにしてるのか、調べましょうか?」
菖之弼が言う〝調べる〟は、所謂スマートフォンでグーグル先生に訊ねて得られる情報のことじゃない。ネットでは探れない、本当に今現在の消息についてを探り出そうか、という意味だ。香港にもアメリカにもいくつか伝はあるし、それほど面倒なことでも難しいことでもないと思ったのだろう。だけど、
「いいの」
と、私は断った。
「きっとどこかで生きてくれているし、さすがに訃報があれば報道されるでしょうから」
なんせジョン・ローンだし。
と言うと、菖之弼は励ますみたいに力強く、肯いた。
「ひょっとして、『しづや』?」
車が嵯峨野方面へ向かっているのを察し、私は行き先を悟った。
「ええ、あそこなら人はまずいないでしょう」
「まだあるの?『しづや』が?」
「ありますよ。まあ毎日営業しているわけじゃないでしょうけど、我々なら氷の一杯くらい食わせてくれるでしょう。女将も健在ですし」
「あの女将が!まだ生きてるの?」
菖之弼は苦笑し、お嬢言い方、と軽く嗜めるが、自身も私の驚嘆に共感はしているらしい横顔だ。
「あの女将、もう百歳はいってるでしょう?」
「いや、九十代だと思いますよ」
「それでまだ女将をやってるの?」
「やってるんです。跡継ぎはいてはらへんし、死ぬまでやるんとちゃいますか?」
信じられない、というふうに私は目を丸くした。
「いまこの瞬間に亡くなったらどうするの?」
「まさか。せめてお嬢が氷の一杯を食べ終えるまでは生きていてくれますよ」
私がそのことを信じられないでいると、菖之弼は黙ってスギ薬局の駐車場に入って行き、車を停めてスマートフォンから電話をかけた。
すんません、絹和ですけどいまからお邪魔してもよろしいですやろか……ええ、そうです……ええ……ほな一部屋開けといてくなはれ、頼みますわ……。
菖之弼は電話を切り、安心させるように私に微笑みかける。
「大丈夫でしたよ。なにも問題はありません」
『しづや』は、嵯峨野でもかなりの奥地、直指庵よりもさらに北側の奥にひっそりとある飯屋だ。竹林を抜けた先にぽつんとあって、表向きは飯屋という呈でやっているし、実際に食事は摂れるのだがその本質は所謂一目を忍ぶ盆屋だ。当然、一見は入れない。だが私の家も菖之弼の家も代々ここを利用しているから女将は名前一つで私たちを通してくれる。
私は菖之弼としかそこへ行ったことはない。初めて連れて来られたとき、私はまだ十代だった。十代で、私は半年ほどの駆け落ち生活を終わらせたところだった。
あのときも、世界は夏で、私たちはそこで氷を食べたのだ。
遠い、でもあの頃想像していたよりもずっと身近な、むかし。
*
岡崎浩介は弟の悪友だった。
二学年先輩で、つまり私と同級生だった彼は、うちの家に度々無断侵入をしては弟の部屋に入り浸っていた。入り浸って、そこで一体二人がなにをしていたのかはわからない。だけど、それほど悪いことをしているわけではなさそうだった。たぶんお菓子でも食べながらだらだらして、マンガ雑誌か成人雑誌を読んだりしていたのだろう。二人の笑い声はよく私の部屋にまで響いてきたし、シンナーを吸ったり、大麻を違法栽培したりしているようすは微塵もなかった。だから彼が我が家に入って来ることを見越して、両親はいつも一階のサンルームの扉の鍵を開けておいたくらいだ。浩介も浩介で、いつも律儀にそこから侵入をした。窓を割るとか、鍵をぶっ壊すとか、そういうことを浩介は思いつきもしないみたいだった。
浩介は、〝不良〟だった。
それもとてもわかりやすい不良で、つまり髪を染めたり煙草を吸ったり原付バイクをぐねぐね走らせたりして、世間の誰が見ても〝不良〟とわかる行動を取った。札つきの、という表現がしっくりくる不良で、両親に言わせるとそれは一種の親切心だった。実際浩介はお人好しだった。だから弟なんかとくっついてばかりいたんだろう。
そんな浩介がある夏の午後に、たぶんわざとだが私の部屋の扉を開けたことがある。でもそこに私がいることは想定外だったのだろう。ベッドにキャミソール(あの頃はシミーズと言った)一枚で転がっている私と目が合って、浩介は明らかに動揺し、小さく「ひっ」だか、「きっ」だか聞こえる声を出した。そしてドアノブを掴んだまま固まってしまった。
「こんにちは」
と私は言った。
彼はまだ固まっており、固まっておるが視線だけはきっちりと私の胸元を見つめながら、どうも、とひっくり返った声で言った。
「弟の部屋はあっちよ」
と言うと、知ってる、というふうに肯いた。浩介は運動場を十周走らされたみたいな真っ赤な顔に汗をかいていた。
「暑いわね」
と言うと、また知ってる、というふうに肯いた。ドアノブは握ったままだった。それで、
「リボンシトロン買って来て」
と私は言ってみた。
「うんと冷えたやつがいいな」
私はもちろん、クモの巣にでもひっかかったような顔でいる浩介をその場から逃がしてあげようと思ってそう言ったのだ。確かに暑くて、リボンシトロンを飲むのにはぴったりな午後だったが、台所へ行って冷蔵庫を開ければ、きんきんに冷えたそれが入っていることは知っていた。そしてもちろん、浩介もそのことは知っていただろう。だが彼は、役目を得られて安心したように「わかった」と言うと、ようやくドアノブから手を離し、ぱたぱたとその場から去って行った。階段を降りる音がしてしばらくすると、彼のエンジンのかかりの悪い原付が走り去って行く音が響いてきた。
私は再びベッドに寝転がり、弟の部屋から盗んできた楳図かずおの『まことちゃん』のつづきに戻った。グワシ!!
私は、浩介が戻って来るとは思っていなかった。反射的にリボンシトロンを買いに行ったのだとしても、その途中で冷静さを取り戻して手ぶらで引き返してくるかそのままどこかへ行ってしまうかするだろうと思っていた。
しかし、彼は戻って来た。きんきんに冷えたリボンシトロンの瓶を片手に持って。
「『糸や』で売っとったわ」
近所の煙草屋兼よろず屋の名前を出し、そう笑顔で浩介は言った。その頭にはまだヘルメットが乗っていて、その右側面にはドン&ノーの猫のシールが貼り付いていた。私はそのあかんべーをした猫を、自分の分身みたいに思った。
私は驚いた。驚いたが、心のどこかでそれを当然のようにも思っていた。
栓抜きを持って来たのは私だった。栓は浩介が抜いて、私たちは一本のリボンシトロンを分け合って飲んだ。ずっとむかしからそうしていたみたいに。
動揺していたのは寧ろ弟の方だった。彼は私の部屋に来ると、天地がひっくり返ったみたいな、なにが起こったのかよくわからないような顔をして、
姉ちゃんなんしてんねん?
と訊いた。それから浩介を見て、
岡崎先輩、なにしてはるんですか?
と訊いた。
私と浩介は顔を見合わせて笑った。
断言するけれど、私は浩介が私に一目惚れしたからこそ浩介のことを好きになったのだ。これは見栄でも意地でもなく、厳密な事実としてそう思う。そうして私は弟から浩介を奪い、その恋を楽しんだ。楽しんで、浩介のお人好しさと自分に向けられた好意につけこんだ。
もちろん、私は無償でそれを得たわけじゃない。ちゃんと浩介を夢中にさせたし、自分も浩介に夢中になった。キスをしたし、身体も許した。煙草を分け合い、お酒も分け合った。
でも、最も重要なことを言えば、私はすでに人生に退屈していたのだ。弟がちょっと悪ぶってその退屈をしのいでいたように、私もなにかそういう〝暇つぶし〟をしたかったのだと思う。
私と弟は退屈な姉弟だった。「菖兄ちゃん」のように、私たちは将来を見据えた生き方みたいなものができなかった。退屈な上に、ばかだったのだ。
駆け落ちをけしかけたのは私の方だった。私は浩介に、彼が理解しやすいように現状を嘆いてみせた。彼はいつの間にか、お嬢さまをそのしがらみの世界から救い出す王子さまになりきっていて、ロミオのような顔をして私を迎えに来るようになっていた。
彼は私のことを「スミレ」と呼び、私は彼のことを「浩介」と呼んだ。
二人だけで暮らそう。
そう言い出したのは浩介だったのだが、言わせたのは間違いなく私の方だった。
あの日、私は京都駅の公衆電話から自宅に電話をかけた。出たのは弟で、私はちょっと遠出をするかのように、
「しばらく大阪で暮らすことにしたわ」
と告げた。
「ふうん」
無関心そうに弟は言った。
私は浩介が見つけてきたとりあえずの住所を弟に言った。別に遊びに来てほしいわけでも迎えに来てほしいわけでもなく、ちゃんとどこかで暮らすから安心してほしくてそれを告げたのだ。弟がちゃんと電話機の横のメモにそれを書く音を、私は聞いた。
「姉ちゃん、岡崎先輩と結婚すんの?」
と弟は訊いた。言い終わらないうちにブーっと、通話切れ間近の警報音が鳴って、私は十円玉をいくつか電話機に追加投入した。
「そんなことわからへんよ、まだ」
と言うと、ふうん、と弟はまた言った。それから、
「菖兄ちゃんはどないすんねん?」
と訊ねた。
「菖之弼がどないしてんな?」
「姉ちゃん、菖兄ちゃんの嫁さんになるんか思てたから」
「なんでや?」
「なんでやろ」
「菖之弼、従兄やん」
「従兄やけど結婚できるやん。四等親やし」
「四等親がなんやねんな。それに菖之弼、初芙美さんと噂あんねんで」
初芙美、というのは当時の祇園でも指折りの美人芸妓の一人だった。その芸妓と大学生だった菖之弼がデキているらしいという噂は私も耳にしていた。
「あんなんウソやで。百歩譲ってホンマやとしても、お互いただのお遊戯やろ」
「知らんがなそんなこと。とにかくうちはしばらく大阪で暮らすから」
菖之弼にもよろしに言うといて。
そう言い終わらないうちに、弟は電話を切った。私は煙草を吸っている浩介のところに駆け寄って、その腕を掴んだ。冬の終わりだったが、曇った空から雪がちらちらと降りはじめた。
楽しみやな、逐電。
遠足に行く幼稚園児みたいに、私は思った。
楽しかった。
いま振り返っても、あの駆け落ちの日々を私はそう思う。浩介はどうだったか知らないが、ともかく私は楽しかった、と。でもあの日々を楽しく感じたのは、きっとそれがいつかは終わってしまうことを、心のどこかでちゃんとわかっていたからなのかもしれない。
それははじまり、でもすべての物事と同じように、終わってしまった。
私と浩介が暮らしたのは四畳半一間の小さなアパートだった。ぼろぼろで風呂はなく、炊事場は共同、トイレは汲み取り式だった。陽当たりは悪く、部屋の中はいつもほんのりと黴くさかった。一番の楽しみは銭湯だった。私たちは「神田川」の歌詞みたいに、洗面器に石鹸をかたかた鳴らしながらそこへ通った。
浩介は昼間パチンコ屋で働いて、私は家で浩介が見つけてきてくれた内職をした。造花を作る内職だった。 私はいくつもの偽物の赤い薔薇を作った。品物を収めに行くと、作業はとろくさいが造りは丁寧だと褒められた。お金を受け取った日には、私は商店街で買い物をするついでに、肉の牛六という精肉店で必ず揚げたてのコロッケを一つ買った。確か一個五十円ほどだったが、とてもおいしかった。それは家で料理人が作ってくれるクロケットとはまったくちがっていて、ちゃんと土から掘り起こしたじゃがいもの味がした。私は口の中を火傷するのもかまわず、夢中で、店の前に突っ立ったまま揚げたてのそれを頬張った。あんなにおいしいコロッケは、あとにも先にも食べたことがない。
私は商店街で買い物をしたが、そしてどの店も信じがたいほどに安かったが、最初の頃はお金の使い方で何度も浩介に注意をされた。大丸でお買い物するのとちゃうねんで、と。
私は料理本を一冊買い、ときに失敗しながらも毎日浩介に弁当を持たせた。家計簿も自己流でちゃんとつけて、〝やりくり〟をした。私は駆け落ちしていた日に着ていた服を質に入れ、近くの洋品店で若奥さんが着ているような服と靴を一式揃えた。私は自分では、お金のない若夫婦の妻のつもりでいたが、そんなことを認めてくれた人は結局一人もいなかった。近所の奥さんたちは最初から私を遠巻きに扱ったし、挨拶をしても聞こえないふりをされた。浩介に対してはそうじゃなかったところを見ると、たぶん私一人だけのことだけが彼女たちの気に入らなかったのだ。彼女たちは私の前ではいつも徒党を組んで、私になにか苦情があるときは、代表して一人が歩み出て文句を述べた。水を使い過ぎるとか、あそこの塀に布団を干すなとか。たかが小娘である私に注意をするのに、そしていつも堂々と私を仲間外れにしているくせに、そういうときの彼女たちはひどく脅えて緊張しているみたいだった。唇を引き結び、顔を強張らせて、まるで私をふいに噛みつく動物みたいに警戒していた。私が笑顔ですみませんでした、とか、気をつけます、と頭を下げても、彼女たちは少しも緊張を解かなかった。気ぃつけや、とか、あんたのために言うてんのやで、とか捨てゼリフみたいなものを一言吐くと、そそくさと仲間のところへ戻って行って、まるで安全な檻の中に入ったみたいに、こそこそとなにか小言を言い合っていた。ママゴトみたいな生活して、とか、旦那さんお気の毒やわあ、とか。
大きなお世話や、おばはん。
と私は思ったが、もちろんそれを口に出すほど愚かではなかった。
私はよく彼女たちに憐れむような視線も向けられたが、私に言わせれば彼女たちの方がよっぽど気の毒で憐れな生き物に見えたものだ。寄せ集まってこそこそと人を貶すことに楽しみを見出だしているだなんて。
だがそのアパートで、たった一人だけ私を無視しない人物がいた。それはうちの左隣に住んでいたご婦人で、彼女も私同様にご近所さんたちからは無視するべき存在と見なされているようだった。彼女はいつもバサバサの髪をして、化粧っけはなく、顔はむっと怒っているような表情で、大きな足音を立てて階段を登った。彼女が遠巻きにされている理由は、たぶん彼女が韓国人だったからだ。そして彼女は決して日本語を話そうとしなかった。
私と彼女は別に仲良しになったわけではない。ただ彼女は私が「こんにちは」と言えば、ぎっと睨むような目を向けてはきたが頭をちょこっと下げたし、突然うちの扉を叩いて来たかと思うと、玄関に現れた私に無言でキムチの入った袋を突き出してきたり、肉料理の入った皿を突き出してきたりした。
頂いていいの?
と訊くと、相変わらずぶすっとした表情で、黙って肯いた。話さないだけで、日本語はわかるらしい。
ありがとう。
と言うと、彼女はまた肯いて、私には少々乱暴に思える音を立ててドアを閉めた。
それで私は洗ったお皿とお礼にお菓子も持って、隣を訪れたりしたのだ。
ありがとう、とってもおいしかったわ。
と私は日本語で言った。中国語なら多少はできたが、韓国語は喋れなかったから日本語でそう言うしかなかった。
彼女が肯いたのを見て、私が帰ろうとすると、彼女の手が伸びて来て私の手首を捕まえた。そしてうちに上がれ、というような仕草を相変わらずにこりともせずにする。
私が上がると、彼女は傷だらけの卓袱台に私の持って来たお菓子と、冷めた出がらしのお茶を湯呑みに入れて出した。
私たちはそこで一緒にお茶を飲み、お菓子を食べた。無言なのも気づまりだったから、私は一方的にお喋りをした。内職の話とか、商店街の話とか。彼女はときどきふんふんと相槌を打った。私が話終えると、次は彼女の番だった。なにを言っているんだかさっぱりわからなかったけれど、私はじっくりと彼女の異国語に耳を傾けた。お菓子がなくなり、お茶のお代わりも飲み干すと、それがお暇を告げる合図になった。
ただそれだけの仲だったが、 私はもちろん、彼女のことを好ましく思った。
私と浩介は喧嘩をしなかった。彼は出会ったときから一貫して私に優しく、不良らしく声を荒げたりもしなかったし、まして手を上げるなんてことも決してしなかった。それに、ばかにするわけじゃないけれど、浩介には頼まれてもそういうことができるような男には見えなかった。
私たちは毎日一緒に夕飯を食べ、並んで銭湯に通い、その日あった出来事を話し合って、夜には一つの布団に入り、することをした。
仲良し。
一見して、私たちはそう見えただろう。なんの問題もない、仲良しのカップルに。
けれど私は、浩介がだんだんと、まるで軌道を外れた惑星みたいに私から遠ざかっていくのを感じていた。ゆっくりと、静かに、彼が私から離れていくのを。
原因はわからない。ただ、同棲をはじめた浩介がときどき私に呆れ返っているらしいのは感じていた。もちろん以前から、私は何度も浩介を呆れ返らせてはきたのだ。彼にとって私は世間知らずのお嬢さまだったし、いろんなところの感覚が浩介のそれとは著しく乖離していることも知っていた。けれど浩介はいつもそのことを面白がっていたはずだった。スミレはぶっ飛んどるなあ、とか、ホンマになんも知らんのやなあ、とか言って。でもいつの間にだか、私は浩介がもう1ミリもそんなことを面白がっていないことに気づいた。面白がるどころか、本気で、心底私に呆れ返っているらしいことに。
彼はときどき、真っ暗な部屋の中で、隣にいる私を未確認生物でも見るような目で見てくることがあった。
どうしてそんな目で見るの?
と訊くと、
そんな目ってなんや?
と訊かれた。
私は、近所の奥さんたちや浩介の不良仲間も私のことをそういう目で見てる、私のことを絶対に仲間じゃない、ちがう世界の住人みたいに思ってる、と吐露してみた。
世界は一つなのに。
そう言ってみると、浩介は低い真っ暗な天井を見上げて、
そんなこと信じてんのは、君とジョン・レノンくらいのもんや。
とため息をついた。
一方で私も、夏が来る頃には浩介との駆け落ち生活に〝飽き〟を感じはじめていた。一度感じはじめると、それは穴の空いた水樽みたいに、もう止めようがなかった。止めようはなかったが、私はそれに気づかないふりをしつづけた。足元に水溜まりが出来て、徐々にその水位が上がりはじめても、私は平然な顔をして偽物の薔薇を作りつづけた。
そしてとうとう終わりはやって来た。
その日は内職の薔薇を収めに行く日だった。夏になるとそれは赤い薔薇から白い薔薇に変わっていて、私は事務員さんに勧められた、なにに使うのかわからないが板に青と白のテープを貼り付ける内職もはじめていた。私は次の内職の材料を片腕に商店街に寄り、いつものように牛六でコロッケと、メンチカツまで買ってその場で食べた。暑い日だったから、食べていると汗が溢れて流れた。するとすっかり顔見知りになっていた肉屋の息子が、よく冷えたコーラの瓶を私にくれた。嬉しかったから「ありがとう」と笑うと、彼はいつかの浩介みたいな笑顔を見せて、「ええねん」と照れくさそうに言った。
肉屋の奥さんてどんな感じかしら。
私はそんなことを考えながら帰途に着いた。アパートの階段を上り、その狭い廊下に目をやると、見慣れないうしろ姿がそこにはあった。パナマ帽を被った、アロハシャツのうしろ姿。お隣の部屋のドアは開いており、その人物は韓国人のご婦人と何事か話をしている。そして彼女が、ほら帰って来よったで、というように手で私の方を示すと、 パナマ帽がこちらを振り返った。
それは菖之弼だった。
びっくりして硬直する私に、
「迎えに来ましたよ、お嬢」
帽子を取って、菖之弼は言った。
どうして?
と私が訊ねる前に、背後から誰かが階段を駆け上がって来る音が聞こえてきた。それは浩介で、彼はパチンコ屋の制服を着たままだった。浩介は私を見、そして菖之弼を見た。その唇はなにか言いたげにわなわなと震えていたが、先に言葉を発したのは菖之弼の方だった。
「店抜けて来たんでっか?そら暑い中、ご苦労さんでした」
浩介はなぜか私を見た。どういうことや?と言っているようだったが、声にはならないようだった。黙っていると、菖之弼は私と浩介の驚嘆などお構い無しに再び口を開いた。
「長いことお嬢が世話になりましたなあ、岡崎さん。えらい迷惑かけてすんませんでした」
め、と言いかけてから、浩介はやっと声を発した。なにをそんなに脅える必要があるのだろう?と思うくらいのへっぴり腰に、ありたっけの虚勢を集めて、浩介は言った。
「なんやねんおまえ、なにしに来たんや」
だが菖之弼は、その浩介の精一杯の虚勢を無視し、私だけを見て言った。
「帰りますよ、お嬢。もう充分、楽しんだでしょう」
私が返事をしないでいると、菖之弼はゆっくりとこっちへ来て、そっと私の手を握った。
「帰りますよ」
菖之弼に手を握られたまま、私は浩介を見た。浩介も私を見ていた。
行くなよ。
少しだけ、そう懇願するような目だったが、それはどこか、もう私に、自分が行くことはない遠い別世界へと消えてほしそうにも見えた。
それで私は菖之弼を見た。
「次の内職が…」
と言うと、菖之弼は私の持っていた内職の材料の袋を取って、浩介に押しつけた。彼が木偶人形のようにそれを受け取らないでいると、その足元にぽんと置いた。そして、
「君はもう幕引きや」
菖之弼は浩介に、そう引導を突きつけた。
菖之弼は私と浩介の部屋に入ると、目に着いた荷物を適当に集め、こんなところにもう用はないとばかりにさっさと表に出た。
浩介はまだ同じ場所に突っ立っていた。韓国人の婦人も玄関のドアを開け放ったままそこに立っていた。他の部屋の奥さんたちもいつの間にか集まってこちらを見上げていた。
私たちが行こうとすると、韓国人の婦人が何事かを言って私たちを引き留めた。それはどうやら私にじゃなく菖之弼に言っているようだった。振り返り、菖之弼が何事か韓国語を返すと、激しい身振りを交えながら婦人はなにかを訴えた。菖之弼は短く返事をすると、私に履いているサンダルを脱ぐように言った。
「なぜ?」
と訊くと、
「もうここに帰って来やへんのなら、餞別にくれって言ってるんですよ」
それは別に上等でもなんでもないサンダルだった。飴色の合皮でできていて、商店街の履物店のワゴンに雑然と積まれていたものの一つだった。ただ、彼女がいつも履いているぺらぺらのビーチサンダルよりはいくらか丈夫ではあっただろう。
私がサンダルを脱ぐと、菖之弼はそれを持って婦人に渡しに行った。サンダルを受け取ると、婦人は初めて嬉しそうな笑顔を見せた。その口には犬歯がなかった。
「おおきにな、お嬢ちゃん。元気に暮らしや」
随分達者な日本語で別れを告げると、婦人は早速自分のビーチサンダルを脱ぎ、さっきまで私が履いていたサンダルに足を滑り込ませ、満足げな息をついた。私はやっぱり彼女のことを好ましく思った。
裸足になってしまった私を、菖之弼は当たり前のようにひょいと抱き上げ、すたすたと歩いてアパートから連れ去ってしまった。
まだ階段の降り口に突っ立っていた浩介は、私と菖之弼を遠いスクリーンの向こうの役者を見るような目で見ていた。
なんでやねん。
辛うじてそう呟いたあとで、浩介自身、この短い駆け落ち生活が終わってしまったことに安堵を覚えたようだった。
兄ちゃん元気出しや、プルコギ食うか?
アパートの敷地を出る前に、婦人が浩介にそう呼びかける声を、私たちは聞いた。
菖之弼はフィアットの助手席に私を押し込むと、後部座席にどうでもいいように荷物を放り入れ、運転席に座ってエンジンをつけた。
「氷でも食べに行きますか?」
私は自分の裸足の足を見つめながら、
「行くわ」
と返事をした。
そうして一粒だけ涙を流した。
するとすぐに菖之弼の手が伸びてきて、その涙を拭ってしまった。
「泣くことなんか、なあんもあれへん」
一つの物事が終わってしまったことを、私は無論かなしんだ。流した涙は一つだったが、心に突然穴が穿たれみたいに、そこを風がひゅうひゅうと吹き抜けていくような感覚があった。
車の中で、菖之弼は私になにも訊ねなかったし、私もなにも話さなかった。車の窓から遠ざかっていく大阪の町の景色を、ただ見ていた。それはどんどんと過ぎ去って、私たちの背後へと押しやられて行った。
そしてあろうことか、自分でも呆れてしまうのだけど、私は気がつくとそのフィアットの助手席で居眠りをしてしまってさえいた。目が覚めたときには、そこはもう大阪ではなく、車は嵯峨野の山道を走っていた。あの四畳半一間のアパートも、内職の材料も、牛六のコロッケも、徒党を組む奥さんたちも、韓国人の婦人も、私の履いていたサンダルも、みんな遠く遥か彼方へと過ぎ去ってしまっていた。
きっと浩介は、私のこういうところにいつも呆れ返っていたんだ。
そう悟ることはできたが、でもどうすることもできなかった。
「おばあさまの家にでも行くの?」
ハンドルを握って、真っ直ぐ前を見据えている菖之弼に私は訊ねた。
「いえ、『しづや』に」
「しづや?」
「ええ」
なに、『しづや』って。
と訊ねる前に、
「行けばわかります」
と菖之弼は告げた。
*
『しづや』に到着すると、菖之弼は車を降りて助手席まで回り、ドアを開けてくれる。あの日は、地面に私の白いサンダルが置かれ、裸足だった私は素直にそれに足を突っ込んだのだった。それは私の家の玄関のシューズボックスに入っているはずのものだったが、菖之弼は大阪へ来る前にちゃんとそれと、クローゼットにかかっていた私のワンピースを一枚持ってきてくれていたのだ。
どうせろくでもない格好してんのやろうと思て。
そのことに関して、菖之弼はあっさりとそう言ってのけた。確かに私はろくでもない格好をしていたのかもしれない。その証拠に、あの日私たちを出迎えた女将は笑顔で挨拶こそしたが、一瞬だけ私に「どこの物乞いや」みたいな視線を向けたから。私はあの日、商店街の洋品店で買った八百円のブラウスとスカートを身に着けていた。浩介との生活の名残。そして部屋に通されて女将が行ってしまうと、私はそれらをさっさと脱いで、元々着ていたワンピースを頭から被ってみた。着てみると、それはびっくりするくらい私の肌に馴染み、私をほっと安堵さえさせた。再び氷の器を持って部屋に現れた女将も、さっきとは打って変わった視線を私に向けた。まるで別人に対するように。
それから菖之弼は、私の脱いだブラウスとスカートを女将に差し出して言った。
すまんけど、これ処分しといてくなはれ。
女将はすぐに承知して、私の服を抱えるとさっさと部屋を辞してしまった。
あの服は一体どうしたのだろう?
私は少し、そのことを思う。
初めて訪れた日もお婆さんだった女将は、当たり前だがさらに歳を取っており、腰は曲がり、杖まで突いていたが、ちゃんと錫色の絽を纏い、卯の花色の帯を締めていた。
おこしやす。
そう言って、亀のような歩みで私たちを部屋まで案内した。あの日と同じ、奥の奥の離れの部屋だった。
そこがあまりにもあの数十年前の夏の日のままなので、私は眩暈を起こしそうになった。蝉の声、軒に吊るした風鈴の音。
部屋の入り口に佇んだまま、やはり歳を取った女将は少し雑談をする。
絹和の旦那さんご無沙汰どす、毎度ご贔屓にありがとうございます、えらい暑いもんでかないまへんなあ、へえ、ほんで今日はどないしまひょ。
「とりあえず氷もらえますか?」
あの日と同じように菖之弼は言う。
「へえ、氷な。なんや流行りの〝てらみす〟やら〝ますかるぽー〟やら、ハイカラなもんはうちにはできしまへんけど、よろしおすやろか?むかしながらの白蜜に小豆か、杏の甘露煮みたいなもんしかあらしまへんけんど」
歳は喰ってるけど頭はしゃんとしてるじゃない、と私は嬉しくなる。
「ええ、そういうのがいいのよ。ティラミスもマスカルポーネもいらないの」
と言うと、女将は歯のない口を見せて笑った。
「そらよろしおした。カノコさんはハイカラにゃけど食の趣味は旧式なもんがお好きどしたなあ」
カノコは私の母の名だったが、私は否定しないで笑っておいた。
今日はええ鮎と鰻もあります、蕎麦も打たせてもらえます、と事務的に案内をしてから、女将は頭を下げて去って行った。ゆっくり遠ざかる杖の音が聞こえなくなると、私は自分の背後にある、障子で立て切られた部屋を指二本分くらいそっと開けてみた。そこにはきちんと二人分の布団が伸べられており、枕も二つ。雛壇にあるようなぼんぼりも、あの日と同じだ。
「このお布団、あの女将が上げ下げしているのかしら」
「まさか。そりゃあ男衆がいるんでしょう、ちゃんと」
「菖之弼、会ったことある?私、ここではあの女将にしか会ったことないんだけど」
「僕もそうですよ。でも料理が出てくるんだから他にも人はいるんでしょう。あの女将が一人ですべてをやるのは無理でしょうから」
「だけど、まったく他の人の気配みたいなものがないわよね、ここって」
「まあ、そういうもんです。こういう場所は。なるべく人目がない方がいいんですよ」
「陰間茶屋だから?」
「なんですかそれ」
「あらやだ、菖之弼がそう言って私をからかったのよ?初めてここに来た日に。『踊りのお師匠さん覚えてはりますか?僕、あのお師匠にここでみっちりお稽古仕込まれたんですわ』って」
「ああ」
ちょっと思い出したみたいだったが、菖之弼はどうでもよさそうにポケットから煙草を取り出すと火をつけた。
「お嬢が戻って来た日か」
「あなたが連れ戻したんでしょう?」
菖之弼は煙を吐いた。
「とっくに飽きとったくせに、よう言うわ」
「だって、」
「それにあの日も言いましたけど、僕は別にお嬢を迎えに行ったわけやないんですよ。ただお別れを言いに行ったら、お嬢が『もう飽き飽きや』いう顔して現れたんですわ」
「でもあなた、ちゃんと私の靴とワンピース持って来てくれてたじゃない」
「そりゃあ」
と菖之弼はくすくす笑う。
「お嬢がそろそろ逐電にも飽きとる頃やろう思うて用意したんです」
お役に立ったでしょう?
いけしゃあしゃあと、菖之弼は言う。
あの日、私と菖之弼は寝なかった。
てっきりそうなるのかと思っていた私は、障子の先の布団を見たときも、ここがそういう店だと知ったときも別に動揺なんかしなかった。
それなのにあの日、菖之弼は私を抱かなかった。それどころか私に指の一本も触れはしなかった。
初芙美さん姐さんとどないなってんな?
そう水を向けてみたときも、菖之弼は初芙美って誰やねん、みたいな顔をしたあとで、ああ、あれはちょとしたスケープゴートです、とよくわからないことを言ってその話は終いになった。
あの日、私と菖之弼はここで白蜜に茹でた小豆の氷を食べて、しばらくぼんやりとしたあとで急に、思い立ったみたいに洛中に戻りましょう、と菖之弼は言った。
お忘れかもしれませんけど、今日は山鉾巡行の日ですよ、と。
それで私たちは『しづや』を後にしたのだ。敷かれた布団の一片を汚すこともなく。
菖之弼の屋敷に車を置いてから、私たちは人混み溢れ返る祇園祭に繰り出した。そして山鉾を見た。先頭をゆく長刀鉾の稚児さんは私たちの知らない子だったけれど、私は菖之弼がかつてあんなふうに稚児さんを務めた日のことを思い出した。当時からすると異例の抜擢ではあったのだが、ともかく菖之弼はそれに選ばれ、立派に務めを果たした。
隣の菖之弼の横顔を盗み見ると、菖之弼も自分が稚児さんだった日のことを思い出しているみたいだった。
山鉾が過ぎ去り、辺りがそれに合わせて少し静かになると、
お嬢は自分が禁忌を犯したこと、覚えてはりますか?
と、菖之弼は訊ねた。
禁忌?
と問い返すと、
やっぱり覚えてへんのですね。
呆れるわ、と言いたげに菖之弼は言った。
それは、こんな話だった。
稚児に選ばれた男児は「お位もらい」で神の使いとなると、女人禁制の生活を送らなければならなくなる。母親にも会えないし、女が作った料理も口にしてはいけない。身の回りの世話をすべて男に任せ、地面さえ歩かない。
そんなとき、私が菖之弼の屋敷にこっそり忍びこんで彼に会ったというのだ。
「お嬢は茱萸の実を手に持ってはったんです。赤い、つやつやの、茱萸の実を三つ。ほんで、僕に食え、言うたんです」
「覚えてないわ」
と言うと(本当に、そんなこと記憶の欠片すらも残ってはいなかった)、
「そうやと思いました」
諦めたみたいに菖之弼は言い、口を噤んでしまった。祭り囃子が遠のいていく。
「あなた、それ食べたの?赤い茱萸の実」
食べましたよ。
と菖之弼は言った。
食べんわけにいかんでしょう、と。
私が黙っていると、
「僕、明日から香港に行くんです」
と菖之弼は言った。
「そやから、お嬢にお別れを言いに行ったんです、今日は」
翌日、菖之弼は本当に香港に行ってしまい、私は男と逐電したせいで高校を退学になり、九月から別の高校に入り直しをした。弟もいつの間にだか、染めていた鶏冠みたいな頭を丸坊主にして復学していた。
私は誰とも恋愛をせず、高校を出て女子大に入った。女子大を卒業する間近に、世話好きの大伯母からお見合いの話が舞い込んで来た。見合いなんて、まして結婚なんかどうでもよかったけれど、滅多に入れない料亭でやるというので料理に釣られて引き受けた。一応釣書を開くと、『まことちゃん』みたいな髪型をした男性がそこには写っていた。しかも名前まで「誠」だった。
「レオナール・フジタみたいな髪型ですね」
香港から帰って来ていた菖之弼が釣書を覗き込んでそう言ったから、
「グワシ!!」
左手の中指と小指を折り曲げて、私はそう反論をした。
お見合い当日、暴食するつもりだった私は大伯母の見繕った振袖じゃなくワンピースを着た。大伯母は難色を示し、「菖さんこの子にどないか言うてくれやす」と訴えたが、
「食う気満々やがな」
と菖之弼が言うと、力なく笑って諦めた。
私はお見合いをした。結婚する気なんてなかったし、「誠」は別に私の好みでもなんでもなかった。ただ懐石料理が食べたくて、私はそこへ行ったのだ。あとは若いお二人で……と仲人が消えてしまうと、私は待ってましたとばかりに出された料理を貪った。仲居を呼び出し、酒のお代わりもすぐに持って来させた。
なんやこいつ、と思われるだろうなとは思ったし、それを狙ってもいた。私に結婚の意思はありません、と示すためにも。
だが仲居が私の酒を持って来ると、誠もビールを追加で頼んだ。あなたも要りますか?と訊き、要るとことえると、じゃあグラスも、とあっさり言った。仲居が行ってしまうと、
「よく食べますね」
愉快そうに、誠は言った。
「私、ここのお料理食べたくて来たんです。大伯母さんには振袖着ろ言われたけど、そんなん着たらお料理あんま食べられへんからワンピースで来ました」
明け透けに、がさい女みたいに言ってみたが、誠はそれを聞いて大笑いした。挙げ句、
「僕もそうなんです。お見合いなんかする気なかったけど、ここの料理食べられるって聞いたから」
と言う。
「あら、それは気が合いますこと」
私は笑い、手酌で冷酒を飲み干した。
仲人が帰って来る頃には、私と誠はぐでんぐでんに酔っぱらていた。そうして、
「スミレちゃん、今度は鴨食べに行こう、鴨。うまい店教えて」
「ええよ!お酒奢ってくれんやったら教えたるわ」
とか言いながら解散をした。
車に乗り込むと、憤然とした大伯母に「アホっ!」と頭を叩かれた。叩かれたが、酔っているし愉しかったから、私はけらけらと笑っていた。
一緒にうまいものを食べたくて、誠と結婚を決めた。
その頃香港からニューヨークに渡っていた菖之弼は、うちに電話をかけてきて「おめでとうさんです」と祝辞を述べた。友だちのいなかった私は、結婚式のスピーチを菖之弼に頼んだ。
僕、一応お嬢の親族なんやけどな、と言ったあとで、
「まあ引き受けてもええですけど、その代わりお嬢のピカソを譲ってもらえませんか?」
と菖之弼は言った。
ピカソは、まだその名前が世界に知れ渡る前に曾祖母がパリで気まぐれに買った逸品だった。太平洋戦争と、戦後の混乱期も切り抜けて、それはいまとんでもない値段になっているはずだったが、名義は私の母になっている。
「あの絵はママのなのよ」
「そやから説得してくなはれ」
「菖之弼、あの絵がほしいの?えらい高うつくスピーチのようやね」
「別に僕がピカソ飾って眺めたいわけやないんです。ただ、いまならええ買い手が付きそうやから売った方が互いのためや思いまして」
「あんな絵、誰がほしがってんの?」
「中国人ですよ。アメリカで財を成している一族の、大婆さんです」
「ひょっとして宋美齢?」
「まさか。でもまあその婆さんも紛れもないドラゴン・レディです」
「なんやねん、ドラゴン・レディて」
「気まぐれレディのお嬢には縁のない話ですわ」
「なんやねんな、気まぐれレディて」
「お嬢、フジタとの結婚、ホンマにおめでとうさんです」
結婚したあともする前も、菖之弼は私の夫のことを「フジタ」とからかいつづけている
結局ピカソは菖之弼の手に渡り、アメリカのドラゴン・レディのものになった。その後の日本経済の下降線を見ると、まああのとき売っておいて正解ではあったのだろうと思う。
お礼に、菖之弼は私の友人代表として結婚式のスピーチをしてくれた。その内容ついて、私は申し訳ないくらいにまったく覚えていないのだけど、主に私の親族が涙を流していたからきっといいスピーチではあったのだろう。夫も菖之弼にお礼を言いに行っていた。
自分に作家の才能があるとは知らんかった、没落したらスピーチライターにでも転職しよか、とシャンパンのグラス片手に夫と談笑していた菖之弼は、私と二人になると、あんな三文スピーチに心動かされるとは、お嬢のフジタは軽石より重みのない心やな、と野次った。
結婚して一年ほど経つと、私は夫の故郷である金沢に引っ越すことになった。金沢には祖父の別邸があったのだが、その洋館は古い上に辛気くさく、私たちは向かいの土地に新しく家を建てた。
私は料理学校に通った。金沢は食べ物に恵まれた土地だったし、自分でうまいものを作るのは楽しかった。それに、私の作った料理を喜んでくれる夫が私にはいた。私が自分でお勝手仕事していることを、大伯母などは良しとしなかったが、両親も弟もそんな私を愉快に思っているみたいだった。菖之弼も。
菖之弼からはときどきエアメールが届いた。届くと電話をかけて、少しの間だったが話をした。こっちに来たらかぶら寿司を作ってあげる、と私は言い、菖之弼は楽しみにしています、と言ったが、いまのところ一度も金沢にやって来ていない。
私はそのうち妊娠し、永遠にも思えた悪阻も乗り越えて、娘を一人産んだ。男児だったら私が、女児だったら夫が名前をつける約束をしていたから、夫はその小さな生き物に〝園美〟という名前を与えた。
菖之弼は電報を打ってきた。
『ご出産おめでとうございます。
お嬢のような健やかな子に育ちますように』
私が退院して自宅に戻ると、菖之弼から出産祝いの品が届いていた。チャイナドレスを模した赤いおくるみと、同じ生地で作られた小さな布靴だった。再び香港に戻っていた菖之弼に、私はお礼の電話をかけた。
「写真を見ましたよ」
と菖之弼は言った。
「お嬢にそっくりだった。顔のパーツは全部お嬢からもらったみたいですね」
「そうなの。写し取ったみたいにそっくりでしょ?」
そう嬉しそうに私が言うと、
「赤ん坊なのに賢明な判断です」
真面目な声で、菖之弼は言った。
娘はすくすくと大きくなった。彼女は顔こそ私にそっくりだったが、中身はまるで私に似ていなかった。赤ん坊のときからすでにその人の性格というものがあることに驚きつつも、どこをどうやってもその行動に私と似たところがないのが不思議だった。それは夫のそれにもまるで似ておらず、だから彼女のオリジナルではあるわけだが、私はあるときふいに気づいたのだ。
この子は菖之弼に似ているんだわ、と。
もちろん、娘は紛れもなく私と夫の子だった。菖之弼とは関係を持ったことすら一度としてなかったのだから。
けれど娘の我慢強さ、達観とした思考、冷静さ、一本筋の通った矜持の表れは、みんな菖之弼の持っていたものだった。やがて彼女が言葉を話すようになると、彼女は菖之弼のように私の行動や言動に的確な「ツッコミ」を入れるようになった。それは年月を追うごとに研鑽されていき、その言葉の選び方もまた、菖之弼にそっくりだった。
私がそのことを菖之弼に漏らすと、菖之弼は別に驚きもせずその事実を受け入れた。
「僕とお嬢は血族やからね」
やがて娘が成長していくのとともに、世代交代がはじまった。
まず妖怪ばばあみたいに思っていた祖母がこの世を去ったのを皮切りに、大伯母やその他の親族がばたばたと、まるでバトンでも渡しているみたいに亡くなった。不幸はつづく、と言うけれど、それは緩慢な速度でもって結局十年あまりもつづいた。ついに私の父が亡くなると、半年を待たずに今度は菖之弼の父上が亡くなった。その頃娘はバレエの大事な時期にあったし、娘を家に一人残すわけにはいかないので、私はたった一人で帰郷をした。
葬式で、菖之弼は立派に喪主を務めていた。突然死だったが、母親や妹のようにぐずぐず泣いたりはせず、半年前の葬儀でおろおろしながら喪主をやった弟ともちがって、きちんと背筋を伸ばして弔問客の一人一人に挨拶をした。私がお悔やみを申し上げに行くと、なぜだかふっとやさしげに微笑んでから、頭を下げた。
葬儀が終わって五日目に、私は菖之弼に電話をかけた。気晴らしになにか食べに行こうと誘うつもりだったのだ。秋だったが、どこかではまだ氷を売っているだろうと考えたりもしながら。けれど、どれだけかけても菖之弼の携帯電話は通じなかった。メールを送っても返信はなく、私は気がすすまなかったが、菖之弼の実家に電話をかけた。むかしから絹和家に仕えている家政婦さんに、菖之弼は朝から留守で帰っていない、居所もわからないと言われ、途方に暮れていると、菖之弼の妹が無理矢理に受話器を奪ったらしく電話口に出た。この妹は子どものときから兄に似ず尊大な性格で、私は苦手だった。いまも宮内庁やらに勤めているのをやたら鼻にかけているような女だったから鬱陶しく、今回も突然、
スミレ姉さんに兄の行方を知る権利なんかないでしょう?
と言い出すので辟易した。
ほな自力で探すわ、すんまへんなあ。
と電話を切ろうとすると、
私、菖兄ちゃんがスミレ姉さんと結婚せんでホンマによかったと思いますわ。
と、なぞの個人的述懐をして一方的に電話を切った。腹が立ったが、もう一度かけてなにか言い返してやるのも面倒だった。あの妹にはそういうところがあった。勝手に怒りを撒き散らしておいて、その責任からはひょいっと逃げてしまうようなズルいところが。
私はイライラしながら家を飛び出し、母のフォルクスワーゲン・ポロに乗って菖之弼の姿を求め京都中を探し回った。
そして『しづや』まで訪ねようとした私はその前に嵯峨野の祖母宅に寄った。おおむかしに、私と菖之弼が雪に梅蜜をかけて食べたあの祖母宅である。そこは祖母が亡くなって以来空き家になっており、菖之弼の管理下にあったが、近々誰だかに売却するという話だった。
辿り着くと、閉まっているはずの門が開いていて、その先の砂利敷きに菖之弼のフィアットがあった。私は運転席でほっと息をつき、その隣に車をバック駐車した。
菖之弼は庭にいた。
そしてその広い庭の真ん中で、菖之弼はなにかを焼いていた。火の傍にはこれから焼こうとしているらしい紙類や箱が積まれていて、菖之弼は火かき棒を手に、炎の前に突っ立っていた。私が来たことには気づいていただろうが、こっちを振り向こうとはしなかった。
菖之弼はじっと、憑かれたみたいに炎だけを見つめていた。
「焚き火?」
と私は声をかけた。
「そんなもんです」
と菖之弼はこたえた。
「焼き芋がしたくなっちゃうわね」
と言うと、ちょっと笑い、
「おいしいの、できませんよ、こんな火で焼いた芋は」
と言った。
「なにを焼いてるの?」
と訊くと、
「秘密です」
と菖之弼はこたえた。
「〝秘密〟を焼いているんですよ」
私は炎を見た。
つづいて菖之弼がこれから焼こうとしているものも見た。古そうな紙やノートの束、漆の文箱らしきものもあったが、菖之弼が触れてほしくなさそうなのを察して手を伸ばさなかった。
「お嬢は奔放なお人やけど、勘だけは悪くないんですよね」
私の心を読んだみたいに、菖之弼は言った。それから、
「触れん方がええです」
力強く、そう忠告をした。
穢れは触らんに越したことない、と。
菖之弼は適当に紙の束を掴むと、火の中へと放り込む。それは苦しみに身を捩るようにして灰になり、舞い上がる煙に拐われるのを、菖之弼は火かき棒で押さえつける。
「お嬢は、なんでうちの家が戦後没落もせず、土地も家屋も没収されんかったか知ってますか?」
「知らない」
「ほな、なんでや思います?」
「悪いことしたの?」
「そうですね、賢く立ち回るには悪いことできにゃならんのがこの世の掟なんでしょう」
「一体なにをしたの?」
「お嬢は知らんでええことです」
尻拭いは僕役目やから。生まれたときからそう決まっとったんです。
そう言いながら、菖之弼はさらに紙や箱を火に焼べる。
灰が舞い、 煙が秋の空に伸びていく。
「ずっと不思議やったんです」
「なにが?」
「名前です。僕とお嬢の」
「名前?」
「僕の妹もお嬢の弟も、兄弟同士でなんの脈絡もない名前ついてるでしょ」
「そうやね」
「せやのに僕とお嬢だけ、菖蒲と菫、紫の花の字が入ってる」
「どっちの花も白やら黄色やらの色もあるやんか、」
「どっちも一般的には紫の花ですよ。それに花の字が入ってるのは、一族では僕とお嬢の二人だけです」
「たまたまやないの?ええやん花の字って思たんちゃう?」
「いや、きっと意図的に入れたんです。それに、紫の花ちゅうのが、どうも……」
菖之弼は私から目を逸らした。苦痛に耐えるようにその眉間を顰める。
燃え殻が爆ぜて、開いた文箱から古い写真のようなものが飛び出した。それは瞬く間に炎に包まれ灰になったけれど、写っていたのは菖之弼の父上と私の父、それに母だったようだ。三人とも若かった。
「私、菖蒲の花好きよ」
と私は言った。
「菫の花より、ずっと好き」
菖之弼は私を見た。ちょっと驚いたような、少し呆れたような顔で、菖之弼は微笑んだ。
「お嬢は、親族のみんなからは阿呆や思われとりますけど」
「えっ、そうだったの?」
「でも僕に言わせれば、お嬢の柔軟さは、なかなか万人には得難い美点です」
「それ、褒めてくれてるの?」
「もちろん。それに、」
「それに?」
「僕は菖蒲よりも、菫の花が好きです」
そう言って、菖之弼は涙を溢した。
私はそれを拭おうと手を伸ばしかけたけど、やっぱり思い直して、菖之弼の頬に唇を寄せた。
それから私たちは、すべての〝秘密〟を灰にしたあとで、約束でもしていたみたいに、空っぽの祖母の家で抱き合った。
ことが終わると、
やっぱり焼き芋が食べたいわ、それに氷も。
と私は言った。
菖之弼は本当に可笑しそうに、大の字に寝転んで仰向き、笑っていた。
私と菖之弼は恋人ではない。人生の伴侶でもないし、過去にそうだったことも一度もない。 生まれたときから、菖之弼はただそこにいて、私もただそこにいたのだ。
夏に気まぐれに帰郷すると、私たちは睦み合いこそするが、それは世間でいうところの浮気とか不倫とか、単にそういうことをするパートナーというのでもない。私は菖之弼に触れ、菖之弼も私に触れる。彼がそこにいて、私もそこにいることをただ確かめるみたいに。これは愛ですらないんだろう。でも、たぶん愛に似た、なにかなのだ。
おまっとうさんどす。
そう言って再び現れた女将が、私と菖之弼の分、二つの氷を卓に置いていく。一つは白蜜に小豆、もう一つは杏の甘露煮。
「どちらがいいですか?」
と菖之弼は訊ねる。
「どっちも」
と私はこたえる。
「知道」
菖之弼はこたえ、私たちはそれぞれに氷を匙で掬い、せっせと口に運ぶ。それは口の中であっという間に融け、ただほの甘い芳りを残して消えていく。
蝉が啼き、軒の風鈴が揺れる。
夏はここにあり、でもこの夏もいつか、滅んでしまう。
「明日は墓参りに行きましょう」
と私は言う。
「そうですね」
菖之弼は微笑み、匙で掬った氷を、私の唇の間に差し入れる。
私と菖之弼は、いつかどちらかがどちらかの葬式に出ることになるだろう。そうしてそのあとできっと、独りになった私たちは、こんなふうにどこかで氷を食べる。それが真冬だとしてもおかまないしに。相手への弔いとして。
盆が開け、五山送り火を見届けてから、私は金沢に戻った。
夏が終わり、秋が迫る頃、菖之弼から小包が一つ届いた。
丁寧に梱包されたそれを開けてみると、中にはこの夏、菖之弼がかけていたあのサングラスが入っていた。それと同封されていた写真には、どこかのパーティー会場でジョン・ローンと肩を組む、笑顔の菖之弼が写っていた。
なによ一人だけ。
私はそう思いつつ、ごきげんな気分でサングラスをかけた。
いつか滅びゆく夏に横たわる愛に似たなにか