シガレット

シガレット

 ゆったりとした音楽が流れている。
 クラシックなのか、電子オルゴールなのか。環境音楽というものか。
 白い部屋にいる。
 壁は白く、天井は白く、やや光っている。床も白いが、光っていない。目の前のテーブルも白い。テーブルの向こうにある椅子は白く、そして私が座っている椅子も白かった。私は灰褐色の服を着ていた。着ていた、というのは少し違う。着させられているというべきか。音楽が途切れると、今度は少しテンポの速い曲が流れ出した。曲調に変化があるとうれしい。私はずっと眠い。
 いつの間にか正面に知らない男がいた。何かをしゃべっているようだがうまく聞き取れない。聞き取れないが、こう、なんというか染み込むというか、にじみこむというか、じわるというか、何かとても、とても大切なことを教えてくれているように思えて、目が逸らせない。でも、見つめることもできない。視界は動かせないけれど焦点は合わせられないまま、ただ聞き取れない声だけが、まるで、そうお経のような、何かの呪文のような、絶対的な私の全て。嗚呼、これが幸福というものか。心地よい。受け入れることの悦び。この男は、そうだ。私の主人。ご主人様。正しさをくれる人。すべて間違っている私を導く完璧な存在。神。私の神。私だけの神。いつからそこにおわしましたか。今気付きました。ずっと私のそばにいてくださったのですね。これからは私がおそばにいます。いさせてください。なんでもします。全てをあなたに委ねます。マスター。ご命令を。命令をください。コマンド?

***

「いや、これすごいな」
 ゼットがVTRを見ながら言った。動画の冒頭では激しく抵抗して騒いでいたカナタが、ものの数分で大人しくなり、あとは研究者の命令のままに奇行を繰り返し、上司が止めに入らなければ陰茎を咥えさせるところまで行っていたのだから、ゼットの感想も無理なことではない。ベルトを外させたところで女試験官がハリセンで実験主任を張り倒して事なきを得た。そういえばこのあと試験官と主任は付き合ってたな。すぐ別れたけど。
「実はSODとか、じゃないよね」
「バーロー」
 時間停止ものの9割はやらせってやつかよ。そんなわけはない。この映像は自動洗脳補助機〈スクリプトーン〉の実用化3号機の記録映像だ。ゼットが次の研究で使いたいというので、そのレクチャーを行っているわけだが、一体こんなものを何に使うというんだ。いや用途は無限にあるとは思うが、どうあっても違法には違いあるまい。使うとすれば、法の外か。法の外側の皆様。外様。
「アールさ、これ量産できるの?」
「え?」
 思わず変な声が出た。ヤバそうな話だな。頭の中で、今ある試験機の数と、開発段階のレベリング、仕分け、原材料の有無と、手をつけてないブラックボックスの残数などを並べてインテグラルを回して、カレンダーに据えてみた。
「そうだな。民間に売るレベルに生産数を整えろと言われるといくつか難点はあるが、あまり知られていない軍の一機関で試験的に運用するってレベルの量産でよければいつでもいいぞ。なんならモニターテスト中のプロトタイプから2、3台貸し出すけど」
「大量生産にはネックがある?」
「ブラックボックスが足りない」
「それはなんだ?」
「えーっと、お前権限ある?」
「昨日まではBプラス。今日からAだ。マイナーだけど」
「昇進おめでとうございますゼット少佐」
「やめてくださいよアール先任少佐」
「技術士官なんか戦術士官の階級の2個下なんだからな。もっと威張ってくれないと」
「そんなルール初めて聞いた。まあいいや。Aマイナーなら聞ける情報ある?」
「そうだな。エルミタージュの件は聞いている?」
「Bプラスで聞けるとこまでは」
「じゃあ話は早い。あの交渉は成立した」
 エルミタージュ星は、地球に出入りしている他のカナタの手前、表向き政府レベルでの国交樹立は不成立ということになっているが、軍は違う。少し複雑ではあるが、敵の敵は味方、いや、敵の味方の敵は味方かな? とにかく少々複雑な軍事バランスの上で、エルミタージュ軍上層部は地球連邦軍上層部と密約を結び、銀河テクノロジー〈ギャラテック〉の横流しをはじめた。これが明るみに出ると、エルミタージュと冷戦状態にあるカンガグラ星政府あたりが騒ぎ出す恐れがある。カンガグラが動くと、同盟であるヒロミ・ヤナギサワが黙っていないだろう。エルミタージュとしては、ヒロミ・ヤナギサワが地球で暴発して、その同盟軍であるカンガグラが今後地球上で活動しにくくできたらいいと考えているらしく、いろいろ水面下で動きがあるとは聞いていた。エルミタージュが接近しているのは連邦軍の一部だけで、シビリアンコントロールの行き届いているこの惑星では、有力な国家に取り入っているカンガグラやヒロミの方が有利な状況にはなっている。ヒロミあたりはWHO経由での検体交換を盛んに行っているという噂も耳にする。これに関しては軍以外の機関も妨害工作を進めているそうだが、その辺の詳しいことは俺も知らない。
「エルミタージュから演算ユニットを一定数供与されることが決まっていて、今その取り合いをしているところだ」
「それがブラックボックスだと?」
「そう呼んでいる。まあいつもはスラングで〈シガレット〉って言ってるけど」
「タバコ?」
 俺はポケットから現物を取り出して見せてやった。
「タバコというか、箱か?」
「元はシガレットケースだったんだけど、どっかの段階でケースを略したアホがいたんだな。そのままシガレットで定着した」
「結構大きいんじゃないかな?」
 ゼットの言う通り、演算ユニットがこのサイズだと小型化が難しい。ペンサイズにしたりは時間がかかるだろう。ブラックボックスがブラックボックスのうちは、これが最小サイズにならざるを得ない。エルミタージュは軍事国家だが、技術力は発達していないので、ブラックボックスの開発や生産は行っていない。別の惑星で作られたものを買っているだけだ。製造惑星はGU傘下であるので、ブラックボックスの中身をリバースエンジニアリングしたりは禁止されている。決まった製法でただ作るだけだ。一方で地球は正式にはまだGU加盟が認められていないため、その制約は受けない。エルミタージュとブラックボックスの製造惑星は、地球で解析して、独自のブラックボックス互換機を作りたいのだ。
「話がそれたな。すまん」
「いや構わないよ。興味深い話だった」
「それで、本題としてはスクリプトーンの量産だったよな。ブラックボックス互換機が完成したら、万単位で納入できるが、それまでは二桁の下の方だと思ってくれ。それも政治的に勝ったらだ」
 数が限られたブラックボックス〈シガレット〉の部門同士での取り合いは熾烈なのだ。ゼットら戦術部の要請があるとなれば優位には立てるが、他部門だって黙ってはいないだろうし、そうそう思い通りにはいくまい。諜報部や国連機関からは〈イニシャライザー〉に使う分を求められるだろうし、参謀本部からは〈ボッカ・デラ・ヴェリタ〉量産の要請が来ているはずだ。スクリプトーンばかりが独占できるわけではない。
「政治に勝つには?」
「有効性を証明してくれ。プロトタイプを3台、いや7台回す」
「本気だねえ」
「ぶっちゃけ我が軍の切り札だと思っているよ」
「確かに強力だけど」
「真っ当な軍事力でトザマとやりあえるわけがないだろ。俺たちの優位性はズルいところだけなんでな。そこ伸ばしていかないと植民地にされてジ・エンドだ」
「わかっている」
 終始ニヤケているゼットだが、そこだけは素に戻った。ちゃんと少佐っぽい顔しているじゃないか。
「使い方の説明をしてくれ」
「あいわかった」
 俺は〈スクリプトーン〉の使用方法を少佐殿に詳しく伝えた。

***

スクリプトーンとは、洗脳補助器具の名称である。作動させると脳を〈ウェルカム状態〉に強制的に移行させる〈ウェルカムウェーブ〉が発生する。ウェルカムウェーブはごくわずかに耳鳴りのような高周波の音波があるため、音楽などでカムフラージュするとよい。ウェルカム状態になると、全ての命令を受け付けるようになる。命令=コマンドはシンプルなものだが、プログラミングにより複雑な行動を実行させることが可能である(実証実験中)。
元は、演劇界でセリフを覚えるための補助器具として研究・開発されたものだが、セクハラ的な悪用が後を絶たなかったため政府に使用が禁止されたのち、研究者ごと連邦軍が買い上げた。演算ユニットに〈シガレット〉を組み込むと性能が飛躍的に向上した。開発中の最新型では、別部門と共同開発になったことで記憶改竄装置〈イニシャライザー〉も内蔵し、行動プログラミングと同時に〈スクリプトーン〉使用中の記憶も消去できるようになった。便利。

シガレット

シガレット

  • 小説
  • 掌編
  • SF
  • 青年向け
更新日
登録日
2022-06-17

Public Domain
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