ホールドキューブ

箱管理者


私の次の配属先は箱の管理ルームというよく分からない部署であって。
そんな仕事ありですか先輩ーってちょっと文句言ってみたけど、お前みたいな飽きっぽいヤツこそ適任だまあ頑張れって言い残して行っちゃったし。
確かに飽きっぽいけど、そこそこ真面目なのに。

管理ルームには私以外にも数人所属している。
ここは簡単に言えば住み込みの仕事場みたいなもので。
作業部屋としてパーティションで区切られた空間が個々に与えられている。
台所、お風呂、水洗トイレ、冷蔵庫は共有らしい。
私たちは24時間ここに缶詰なわけだ。
私は真っ直ぐ自分のスペースへ向かう。
テーブルひとつ。ブラウン管のテレビひとつ。ポストひとつ。毛布、絨毯。
あといろいろよく分からないものたちが転がっている。
やかん、ドライヤー、パチンコ玉、じょうろ、スタンドライト。
あ、ゲーム機もある。ソフトもある。
ノートパソコンもあるじゃない、これで暇にはならないかな。
テーブルの上にパソコンを置いて起動させる。
ふと前を見ると、壁に大きな張り紙が。


【条件】
・人口が100人を超えてはいけない
・人口が10人をきってはいけない
・全員を平等にしてはいけない
・過剰な知恵を与えてはいけない
・住人の生産は定期的にしなければいけない


おっと忘れていた。
私の初仕事は、箱の確認だった。
空間の一番奥にある、黒い箱。
ふわふわと浮いている。
倒れていたスタンドライトを掴み、箱を照らす。

私、テルゾノの任務は、箱の住人の管理である。

how to manage

管理と言っても、決して真面目に行ってはいけない。
あくまで不真面目に、いい加減に、大雑把に。
なんともめんどくさいものだ。
ある程度の管理はパソコンから操作できる。
人数を管理し、必要なものは箱に投げ込めばいい。
初期状態であればその他諸々の設定が必要だがこの箱は不要。
既存のデータを引き継いでいるので、ある程度社会はできていた。
この黒い箱の仕組みは、正直どうなっているのか分からない。
ただ私は操作を知っている。それだけなのだ。

ゲーム感覚のリアルな飼育でいいと先輩は言っていたけれど、そんな風にはまるで思えない。
彼らは個々が独立している。
彼らは感情を持っている。
彼らは欲望を抱いている。
ただ漠然と、生きるために生きている。
この箱の住人たちは、あらゆる部分が欠落しているけれども――人間なのだ。
人間なのに、人間扱いしてはいけない。


黒い箱をパソコンの隣に浮かべ、私は考えた。
彼らを生かすためには取り敢えず衣食住の完備。
うーんどうしよう。
現在人口68人。
狭い社会の3分の1が砂漠。
あとは緑に囲まれたコンクリートの建物たち。
衣類はデフォルトでついてることにしよう。
ほら皆当たり前のように服を着ている。
うん、良い感じ。
自炊させるのも悪くないけど、知能レベルが高くないからなあ。
電子機器を預けるのも怖い。
電気ひくのもめんどくさい。
というわけで市場に定期的に食料を補充することにした。
肉を買え、買うために働け、働くためにある程度は学べ。
家を建てたり食材を運んだりで職もあるだろう。
うん、良い感じ。
住むところは与えなくてもよさそうだ。
彼らは規則正しい生活を送っている。
日照時間さえ間違えなければ、時間通りに起きて時間通りに眠りに就いてくれる。
うん、良い感じ。

カタカタとコーディングを済ませ、ビタミン剤を口に放り込む。
思い立ったら雨を降らせて、植物が枯れないようにしよう。
それくらいで充分なんだから。
溜息ひとつ。
私ってめんどくさがりだなぁ。
これで今日の仕事は終わり。
よし、寝よう。

加工機能


パーティションの向こう側が騒がしい。
隣の管理者が箱を潰してしまったのだと。
あーあ、かわいそうな箱の住人たち。
私はあなたたちを助けることはできなかったけど、自分の箱くらい自分で守ってみせるよ。
格好良いこと言っても、有言実行できる自信が私にはないのも事実だけどね。


現在人口65人。
さて10人くらい人口を増やそうか。 
住人の生産方法は至って簡単。
私が10人の人間を適当に思い描くだけ。
アンテナのついたバンドをつけて念じると、ディスプレイに不細工な男女が10人。
エンターキーを押して生産完了。
うん、良い感じ。


箱の管理で重要なのは、人口である。
増えすぎてもいけない。
減りすぎてもいけない。
住人の生産は定期的にしなければいけない。
ということは、必ず『減らす』ということをしなければいけないのだ。
私はこの瞬間が一番嫌い。
人殺しするみたい。
でも、しょうがないから、加工機能を使うの。
死にかけてる住人を加工して食肉にする機能。
なんて残酷なんだろう。
でもしょうがない、それが一番効率的なのだから。
住人に知恵を与えすぎてはいけないのだから。
私は加工機能を使うたびに思う。
この黒い箱の住人たちを、大切に思おうと。

予兆

カタン、と音がした。
被っていた毛布から顔を出し、音の犯人がポストであることに気がつく。
ここ1週間毎日のようにポストに届くもの。
新聞と、封筒。
ボサボサの髪を撫で付けてポストを開ける。
親愛なるテルゾノと書かれた、オレンジ色の封筒。
親友のメルミヤからである。
綺麗に書かれたその文字を見て、私は頬を緩ませた。
中には写真が1枚だけ。
美しい夜景をバックに、笑っている2人の女性。
『イルミネーション綺麗だったね』の文字。
何もかも私と正反対な、メルミヤ女史。
私の大好きな、親友。
コルクボードに貼られた手紙や写真は私の宝物。
うん、良い感じ。
私は彼女に、決して返事を書かないけれども。



2日間ほど、備え付けのTVゲームに夢中になってしまった。
嫌な予感がしつつ久し振りに箱の中を覗くと、勿論荒れ放題だった。
木々は枯れている。
街は廃れている。
住人たちは職をなくして彷徨っている。
直ぐ様ひいふうみと数え、10人は動いているのを確認して取り敢えず一安心。
現在34人、弱肉強食を生き抜いた者たちか。
山積みになっている死体をスコップで掬い上げ、加工機能でリサイクル。
うわー市場が襲われている。
弱肉強食の社会になってしまったよ先輩。
強い者しか生き残れない、か。
弱い者は、死んでいくしかないのか。

ダイビング


私は発見した。
このTVゲーム、ただのゲームじゃなかった。
私の意識と箱の住人の意識を繋ぐことができる隠し機能がついていた。
試さずにはいられない。
私そっくりのアバターをインストール。
わくわくしながらスイッチオン。
荒れ果てた黒い箱の中、住人たちはどうやって生きているのだろう。


うわあ、ひどい。
見るに耐えない光景が広がる。
大人たちは食料を求めて奪い合う。
子供たちは喉が渇いたと言って泣いている。
老人はいない。
あっそうか、寿命を短く設定したんだっけ。
市場に入荷される食物、あれは人間を加工したんだぞ。
それに群がり貪っている大人たちを見て吐き気が込み上げてきた。
路地で子供たちが泣いている。
さすがに可哀想だ。
そうだ、水をあげよう。
私は管理者だから水を注げる。


実体がコーディングする。
座標を合わせて水を流し込む。
子供たちは両手いっぱいに水を飲むと、ありがとうと言って去っていった。
なんだか心地いい。
美味しい、お姉ちゃん、ありがとう。ありがとう。
そう言う子供たちの顔は不細工だったが、笑顔は可愛らしかった。
お姉ちゃん、人が倒れてる。
服をひかれて振り向くと、汚れた人間がひとり、地面を這っていた。
私は駆け寄る。声をかける。
もし、そこのあなた。
お水はいかが。
これが私と僕の出会いだった。

アイ


バンドを外す。
荒い呼吸を整える。
髪を片手で梳く。
砂っぽくない、ここは現実の世界。
24時間がとても有意義に感じた。
なんだろう、この幸福感。
ひとりの少年と仲良くなった。
目の悪い、小さな少年。
歩くことのできなかった彼の手を取って。

足を出して。
前へ踏み出してごらん。
次は逆の足よ。
ほら、捕まって。
歩けるわ、自分の足で歩けるのよ。
おめでとう。
ありがとう。

ぎこちなく笑う、彼が愛おしくて。
この胸の高鳴りはなんだろう。


 テルゾノさーん、人間が生活するのに必要な物はなんだと思いますか?
 衣食住じゃないですか?
 夢がないなーテルゾノさん。
 先輩はなんだと思うんですか?
 そりゃー、決まってるでしょ。
 『愛だよ。愛』


現在人口89人。
私は住人たちから敬われる存在になっていた。
奪うことしかできない住人たち。
与えることのできる私。
そりゃあ、立場が違うのだから、当然なのだけれども。
すっかり私はこのポジションに魅入られてしまった。
私は愛される存在になれたんだ。

"melmier"


現実の私は、常に人の影に隠れていた存在だった。
いつでも助けてくれる誰かがいて。
いつでも守ってくれる誰かがいて。
いつでも信じてくれる誰かがいて。

でも私は、本当は、惨めだった。
ずるい女だといじめられたこともある。
お前はなにもできないくせにと大勢から罵倒されたこともある。
そんなとき庇ってくれたのも、彼女だった。
嬉しかったけど、辛かった。


メルミヤは完璧だった。
頭脳明晰才色兼備、才能溢れる人だった。
そして優しかった。
どこまでも優しかった。
あんなに美しくて、あんなに可愛らしくて。
なんでもできて、なのに性格もよくて。
スター性があって、人に好かれて。
そんな人がどうして私といてくれるのか、分からなかった。

あの人が嫌いと私が言えば人付き合いをやめてくれた。
お金が欲しいと私が言えば小切手をくれた。
貴女の彼が好きと私が言えば譲ってくれた。
自分が嫌いと私が言えば悲しんでくれた。

その残酷過ぎる優しさが、私を蝕んでいた。

いつまでも友達でいようね、って。
私が守ってあげるから、って。
メルミヤは私の隣に居続けた。
学校が離れても。
職場が別でも。
立場が違っていても。
私は彼女のようになりたかった。

箱の中で、私はまるで彼女のようだった。
皆に必要とされて。
感謝されて。
無条件で優しさを振りまいて。
皆に、愛されて。
こんなに心地の良いものだったなんて。



前髪が鼻の先くらいまである彼は口元で感情を表現する。
今までずっと無表情だったせいか、顔の筋肉が硬い。
ぎこちなく笑うその顔が、とても好き。

私は決めていた。
この黒い箱の管理をし続ける者として、初めての試みをしようと。
住人に、愛を与える。
愛し愛されることで生きる希望を持たせる。
なんて素敵なんでしょう。
これは私にしかできないこと。
彼はまだ小さいけれど、物事を純粋に見ている。
ゆっくり育てたい。
もっとたくさんのことを教えてあげたい。
いつか柔らかく笑って欲しい。
ただの箱の住人だけれども、彼ならきっと。
そんな夢を、私は抱いていた。

其れは脆くも儚く崩れ去り


ある日私は彼に眼鏡を与えた。
ちょっとルール違反だけど、構わない。
彼は目が悪いのだから。
眼鏡という異質なアイテムを素直に受け入れる彼。
そうだ顔を拭いてあげよう。
綺麗にして、眼鏡をかけて、きっと似合う。
湿った布を取り出して彼の前でしゃがむ。
前髪をずらす。
閉じられた目は長い睫毛に縁取られている。
ゆっくり顔を拭く。
あら、綺麗な肌じゃない。
そういえば、彼も私が生産した住人のひとりのはず。
彼の顔は私の妄想のひとつ。
自分の顔にコンプレックスを持っている私は、何故か住人を皆不細工にしていた。
でも彼は特別だから、あとでコードを直してみよう。
それで変わるかもしれない。
頭のいい子に育てよう。
そしていつか彼が私の愛を受け入れてくれたら―



手が止まった。
綺麗になった彼の顔に、私は見覚えがある。
だって彼女は涙を流すとき、両目を伏せるから。
あなた、誰?
そんな綺麗な顔、ひとりしか知らない。
あなたは、メルミヤ?
途端に、羞恥心が込み上げてきた。
やだ、私、メルミヤの前で、自慢気に、自分をつくって振舞っていたの?
落ち着こうと、息を呑む。
抑えていたものが全て、零れ落ちてしまいそうで。

「あなた、女の子だったの?」
メルミヤと私は親友。
そう思っていたのは私だけだったと気づいた。
貴女が私を管理ルームという牢獄に閉じ込めたときから。
「そんな綺麗な顔で、あたしを見ていたの?」
顔がコンプレックスになったのは誰のせいだと思っているの?
知らないよね、知ろうとも思わないよね。
私はメルミヤの引き立て役だから。
「目が見えないなんて嘘でしょ?いつもあたしを、嘲笑っていたのね?」
侵入してたの?
上司の特権?
貴女はいつだってそう。
常に私を監視している。
優しい微笑みの仮面を被って。
その仮面の下で、私を見下していたんでしょ?



私は崩壊した。
目の前にあるものを信じたくなくて。
殴って、殴って、殴って殴って、殴った。
わ、わたし、わたしはほんとは、メルミヤが、メルミヤが―



「嫌い」



「嫌い!嫌い!大嫌い!大嫌いよ!いなくなれ!いなくなれ!」



メルミヤがいなければ。
メルミヤがいなければ。
メルミヤがいなければ。
目の前にいる、メルミヤがいなければ。


メルミヤは今にも泣き出しそうな顔をして、去っていった。
その顔はあまりにも切なそうで、苦しそうで、綺麗だった。
見たことのない、表情だった。

投獄の理由

私は実体のほうからアバターとの同期を切断した。
アバターだけ箱の中に置いてきて、現実に戻ってきた。
呼吸が荒い。
鼓動が早い。
メルミヤ、メルミヤ、メルミヤ、メルミヤ!!
バンドを乱暴に外してパーティションから飛び出す。
向かい側のパーティションから声がした。
おいおいどうした?どこに行くんだ!?
管理ルームから出ちゃいけねぇんだぞ?!
私は管理ルームの扉から外へ出た。
髪を振り乱して走る。
目的地へ向かって真っ直ぐ走る。
どうしても、確認しなければいけないことがある。



走って走ってやっと辿り着いたひとつの部屋の前。
分厚い扉を勢いよく開く。
「メルミヤ!!」
「あら、テルゾノ?どうしたの?」
そこには、豪華なソファに優雅に座るメルミヤ女史の姿。
あどけなさは消えすっかり大人の女性となった彼女は、社長になっていた。
私はスーツ姿のメルミヤを見て、はっと我に返ってしまった。

「メ、メルミヤ、貴女が、私の箱に」
「えっ本当に?それは嬉しいわテルゾノ!!」
言葉がうまく出ないまま話してしまった、しかしメルミヤの反応は予想外のものだった。
「良かった、心配だったの。テルゾノの心の中に私はいないんじゃないかって」
瞳を潤ませて笑うメルミヤは心の底から喜んでいるようだった。
「でも私信じてたわ。貴女の無意識の中にきっと私はいる。だって私たち」
親友だもの。

呆然と立ち尽くす私をメルミヤは優しく抱きしめた。
頭が真っ白になった。
あの箱の中にいたメルミヤは、メルミヤではなくて、私の無意識が生産した箱の住人。
メルミヤと彼は、異なる存在?

「メルミヤ、ひとつ、聞いていい?」
「なぁに?テルゾノ」
「どうして私を管理ルームへ異動させたの」
「うふふそれはね、確信が欲しかったからよ。貴女の中に私がいること」
もう充分だわ、テルゾノ、私の隣に戻ってきて。
貴女は管理ルームに帰らなくていいのよ。

私は諸々の感情の処理を放棄した。

脱獄者


あれから3日後。
私は機械的に生活していた。
明るくなったら目覚めて、お腹が空いたら食事をして、呼ばれたら返事をして、日が落ちたら眠りに就く。
まるで彼らのように。
彼らとは一体なんだったのだろう。

ご機嫌なメルミヤ。
私の大好きな親友、メルミヤ。
「テルゾノ、管理ルームにはもう行かないでね」
管理ルームってなんだっけ。
「うん、分かった。でもなんで?」
私は何かを忘れてしまった。
「今荒れ放題だからよ。精神異常者は怖いもの」
にっこり微笑むメルミヤに、誰かが重なって見えた。
「メルミヤに似ている人がいる?」
「やだテルゾノってら。箱の住人となんか一緒にしないで。アレはただの実験材料よ?」
箱の住人。
メルミヤ。
実験材料。
何か、いや、誰かを忘れてしまっている気がする。

壁に手をついて歩き続ける。
真っ白な壁が続く通路。
確かもうすぐ、あそこだ!
私はその扉を開けた。



管理ルームの中は以前の様子と激変していた。
パーティションは倒れ、書類は吹き飛び、グラスの破片、煙草の臭いもする。
管理者がいない。
ひとりもいない。
どこにいるの?
私の、私の黒い箱はどこにあるの?

「あー、裏切り者だ」
「裏切り者が帰ってきた」
「おかえり裏切り者」
私の作業部屋だった場所に、管理者たちが群がっていた。
「何を、しているんですか?」
今まで同じ部屋の中で共同生活を送っていたはずなのに、会話したのはこれが初めてだった。
「お前の箱をいじめてた」
「パチンコ玉いっぱい落とした」
「ドライヤーで乾かした」
「住人たち殺し合いを始めた」
「今煙草の灰を降らせて焼き殺してるところだ」
ぞくりと、背筋が凍った。
箱の中の叫び声は外から聞くことはできない。
一歩近付くと、足元にたくさんの写真が散らばっているのに気付いた。
黒い箱の住人たちの写真だ。
「観察だ」
「観察してたんだ」
「お前の箱の住人、面白い」
「お前の箱の住人、自我が発展している」
「だから感情の起伏が激しい」
「俺たちの箱、叫び声ひとつあげないから面白くない」
3日間。
私は箱の管理をしていなかった。
恐らく箱の中では2年程経っているはず。
何気なく1枚写真を拾い上げてみた。
するとそこには、見覚えのある人物が映っていた。
「メルミヤ・・・じゃない。これは」
彼だ。
少し逞しくなった彼が。
大きな剣を振り上げて。
ああ、なんということだろう。
彼の首には私のあげた眼鏡がぶら下がっているではないか。
「そいつ、面白い」
「そいつ、水ひとり占めしてた」
「そいつ、自我育ちすぎ、危険」
「だから今さっき、水を枯らしてやった」
もう彼らを恐れている場合ではなかった。
彼が生きていた。
自我が育っていた。
私のことを、覚えていますか?
大切にしていた水を失って、正気でいられるはずがない。
純粋な彼は必死に消えた水を探すだろう。
行ってとめなければ。
とめなければ。
私が彼を助けてあげなきゃ。
バンドはどこ?
今行くわ、待ってて。



「ああ、脱獄者だ」



こんなカタチで会うことになるなんて。

彼と私


ビーッビーッビーッ
聞き慣れない警報が唸った。
赤いランプが点灯する。
その下には同じく赤い文字が。
『脱獄者です。直ちに箱の中に戻してください。穴を塞いでください。』
脱獄者。
箱からの脱走者。
それは、彼だった。



管理者のひとりが、彼をつまんで引き抜いた。
呆然としている小さな彼。
メルミヤと同じ顔だった彼は、今ではもう青年の顔をしていた。
「炎を入れるのは飽きたな」
煙草の灰を降らせていた男が言った。
「この前みたいにパチンコ玉を流し込もうぜ」
「芸がないな」
「水が欲しいようだからヤカンで注げばいいさ」
パチンコ玉がじゃらじゃらと音をさせる。
それを投げ入れたの?
彼らにとってそれは巨大な隕石が落ちてくるのを同じ。
太った女性がヤカンに水を注ぐ。
「その前に人数を減らさないと」
箱に片手を突っ込む。
そして何かを掴みとる。
「そーれ切って焼いて加工して逆戻り」
「知らないとは言えこんなものよく食べてるわよね」
加工機能。
それは、箱の住人が、決して見てはいけない工程。
なのにどうしてか彼は、今このタイミングで、眼鏡をかけた。
「ばーらばらばら。さーたんとお食べ」「ほら、ヤカン沸かせて」
まな板の上に落とされる死体の山。
その頂上に、私がいた。
私のアバターの、死体があった。


『…はは、ハハハハハハハハハハハハッ!!アーハハハハハハハッ!!』


彼が、狂ったように、笑い出した。
ああそうか、彼は見てしまったんだ。
世界の仕組みを。
彼の視線は、私の死体を捉えていた。
彼は、私が死んだと、知ってしまった。



「だめ、だめ!見せないで!彼に、私を見せないで!!!!」
私は叫んだ。
羞恥心とでもいうのだろうか。
私は現実世界で生きているけれど、まな板の上に転がっている私は紛れも無い私自身で。
そうだ、彼は、箱の中で。
私を好きでいてくれた。



私は狂ったように笑い続ける彼をつまんで、箱の中に投げ入れた。
彼に、食材にされる私を見続けてほしくなかった。
それ以上に、私が彼を、見ていたくなかった。
狂ったように笑う、彼を。
私が見たかった彼の笑顔は、そんなものじゃない。
私が彼に見せたかったものは、そんなものじゃない。



「何するんだ裏切り者」
「裏切り者のくせに」
「これからが面白いところなのに」
「ヤカンが沸騰したら箱に注ぐのに」
「そうだお前、管理者権限放棄してくれよ」
「僕らが上手に箱で遊べないだろ」



私は笑った。
多分、笑った。
無理矢理あげた口角は、震えていた。
私はナイフを取り出した。
管理者たちは恐れおののいた。


「この箱は、私のだ」


私は多分、笑った。
脳裏に焼き付いて消えない、彼の絶望した顔。
こんなはずじゃ、なかった。




テルゾノは死んだ。
管理者たちを殺して、その死体の山の上で。
まな板の上で死んでいた彼女のように。
黒い箱は、消えていた。


ーENDー

ホールドキューブ

ホールドキューブ

  • 小説
  • 短編
  • ミステリー
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2012-12-19

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

Copyrighted
  1. 箱管理者
  2. how to manage
  3. 加工機能
  4. 予兆
  5. ダイビング
  6. アイ
  7. "melmier"
  8. 其れは脆くも儚く崩れ去り
  9. 投獄の理由
  10. 脱獄者
  11. 彼と私