羅生門

 生きて、この門を通る。


 道端の死体、白い蛆が、目と瞼の間から這い出て、供養のために来た祈祷する婆さんが、その死体の金目なものを見つけるため、ガサゴソと懐に手を入れてる。線香の煙が消えないうちに。


 門をくぐってきた像と目が合った僕は、鼻水をブワッと飛ばされて、意気消沈、その線香の煙のにおいと、唾みたいな臭いがする鼻水を、手で拭いながら、その門を、遠い目で見上げる。

 羅生門。

 生きることの、苦しみ、なんて、気取った言い方、僕はあまり好きではなく、いたって単純に、門があると考えて、そこを通るか通らないかで、あっちに来たりこっちに来たりしては、人の顔色伺い、スリにあった、痴漢にあったと泣く女の姿を、見ないようにしながら、ボタボタと垂れる汗を服の袖で拭い、ああ、羅生門、父さんも爺さんも通った道、とひとり呟き、ただ佇む。


 婆さんが、蛇にかまれた。うえ、と悲鳴を上げて、地面に倒れこみ、見ると、コブラが一匹、鎌首上げてえらを広げている。


 誰も助けようともせず、呻く婆さんはごろごろ転がりながら、道の端の側溝に落ちて動かなくなり、コブラは、悠々とゾウの足の間を通って、道端の墓標の隣にある茂みの中に消えて行った。


 死体はただ動きもせず冷たく転がっていて、ハエが残留思念みたいに、宙を行き交う。


 来てと言われていき、帰れと言われて帰る。

 僕は何かをしにこの羅生門の前まで来たのだけれど、いざ目の前にして息が詰まり、何かをするのにも、頭が真っ白になってしまって、何も思い出せない。

 かといって、このまま帰ったのでは間違いなく殺される。

 いっそ逃げてしまおうか、何もなかったことにしてこのまま暮らしてしまおうか、そう考えていると、さっきの婆さんの、助けてくれという声が聞こえる。


 最近、耳鳴りがひどいのだ。風の音だったかもしれないし、本をしまう音だったかもしれないけれど、それが人の声に聞こえてならない。
 僕の家の先祖代々が抱えていた持病、僕ももれなく持っていたらしくて、煙たがられて、息苦しくて、やっとの思いで抜け出してきた京の都、荒れ果てて、誰も僕を相手にしない。相手にしないどころか、肝心の僕も、この持病のおかげで、まともに人と話すこともできない。

 羅生門。

 生きることと死ぬこと、ずっとそれが頭の中にあって、形あるもの、必ず滅びると平家物語冒頭、思い出して、僕が欲しかったもの、それを得るために努力したこと、全部忘れてしまいそうで、そうなったら、僕に何が残るんだろうと、考えて、僕はそもそも、初めから何も持ってなかったんじゃないかと、そこで納得して、じゃあ、目の前にある、竜の装飾の施されたこの門を、通るか否か、少し考える。


 門の向こう側には、ここと変わらない景色が広がっている。
 米俵を運ぶ人、魚を背負った商人、洗濯物を頭に乗せた女、追いかけっこをして遊ぶ子供、荷物を運ぶゾウ、食べものをねだる鹿、道端で死んでいる猫、首輪をつけられて鳴く犬、すべてが今まで見た景色と何ら変わりがない。


 「くぐらないのかい」
 後ろから肩に手を載せられて、振り向くと、野盗みたいな熊の毛皮を着た男が立っていて、僕は少しのけぞった。


 「潜ったらどうなるんです」
 「さあ」

 言いながら、男は門の奥に消えて行く。

 生きて再び戻っては来れないかね、と冷たく、隣を通った男の足音が呟いた気がした。


 羅生門、生きて再び、この門を潜る。一回目は生まれた時。最後は死ぬとき。


 道端の婆さんが、今こと切れた。

羅生門

羅生門

生きて再び、この門を潜る。

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2022-06-12

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