未定

あなたにはもう──

 僕は不幸だ。そして親不孝者だ。世間は三四にもなって子供の頃の夢を追いかけ続けている僕をなじるだろう。
 この編集者もそうだ。
 企画ブースの中、僕が一ヶ月かけて必死に書いた小説の企画書を無造作に受け取る。
 色白の肌に似合わない無精髭をうっすらと生やした痩せ型のこの男は、本当につまらなそうな顔をしながら僕の企画書をめくっている。
 僕がこの出版社と関わりだしてからもう長くなるが、彼は新顔だった
 そんな彼がこうして僕の新たな担当に選ばれたのは彼の優秀さからか、僕が彼らに舐められているのか。答えははっきりしているだろう。
「宮下さん。これ、面白くないです」
 彼は真顔でそう告げた。
 その表情からは僕に対する期待なんて微塵もなかった。前の編集者はもう少し期待をしてくれているようだったというのに。察るに、だから担当を外されたのだろう。要はこの会社は僕を見放したということだ。
 静かに息を吸って気分を落ち着け、彼の目を見る。ゴミを見るような目だ。
「次回までに改善してきますので改善点を教えていただけませんか?」
 彼はスッと企画書を僕に突き返した。
「宮下さんの前の担当者の増田さんからの引き継ぎ資料にはしっかり目を通しました。あなたの作品も全て読みました。その上での僕の意見です。──あなたにはもう伸び代がない」
 彼ははっきりと言い切った。
 もらった名刺の名前を思い出す。成田 晶(なりた あきら)、と言ったか、彼はどうもどんな仕事でもしっかりこなすタイプのようだった。
 返す言葉もない。心の中では分かっていても口に出すことを憚られた言葉だ。
「分かり……ました……」
 彼――成田から企画書を受け取り、椅子にかけたコートに手をかけた。
「僕、宮下さんの初期の作品は好きですよ」
 彼は突然そんなことを言った。
「つまらなくなったのは三作目の途中からです。あの話も題材自体は面白かったんですけどね」
 胸がグッと苦しくなった。こんなに年の離れた男に励まされている自分が情けなかった。
 「……ありがとう」それだけ伝えて僕は足早にブースから出た。
 背中にかけられた言葉は無視した。

 警備員に挨拶をして外に出る。彼ともすっかり顔なじみだった。もう、会うことは無い。
 空には来た時と同じような青空が広がっていて、世界には僕の心なんかどうでもいいんだ。という事をまざまざと見せつけられた。
 僕は無性に現実から目を逸らしたくて、僕の大好きな場所に向かう事にした。
 僕の大好きな場所、それは古本屋だ。
 駅前の繁華街を抜けて住宅街に入る。さらに住宅街を抜けて、寂れた商店街に出る。古本屋はその入口にいつも佇んでいた。
 軋むドアを慎重に開けると小さな鈴の音がする。そして、胸いっぱいに古い本特有の匂いが広がるのだ。この瞬間の形容しがたい幸福感が堪らなく好きだ。
 店主に挨拶をして、棚を見て回る。
 歴史的な名著の数々も、こうしていらなくなって売られていく。僕の本なんて売られもしない。文豪達と肩を並べるなんてそんな事、僕には出来ない。
 最近の流行について行きたくて、ライトノベルというジャンルの本を二冊買った。
 また変な本を買うね。と店主には笑われてしまった。
 こうして新しいジャンルを開拓するのも僕の趣味だ。
 また住宅街を通り抜け、今度は駅前の繁華街の外れにあるスーパーで夕食の鍋の材料を買い、日もだんだんと暮れてきた。
 こんな気分でも夕焼けの空は僕に感動を思い出させる。少年の日の思い出を。僕が物語を書き始めたきっかけを。

「ただいま」
 誰もいない部屋にそう声をかけながら後ろ手に鍵を閉める。
 靴をだらしなく脱ぎ捨て、食材を仕舞うために冷蔵庫を目指した。
 何かがいる。と感じたのは、リビングに入ってからだった。
 暗い和室の寝室の中に誰かが正座をしているのが薄らと見えた。
 幸いにもまだこちらには気付いていないようであったので、僕は護身用にキッチンにあった包丁を手にそちらへとにじみ寄る。右手には包丁、左手には直ぐに通報できるようにスマホを持った。
 だんだん近付くにつれてそれの姿が顕になる。
 メガネをかけた短髪の男性であった。顔は理知的で真面目そうであった。
 男はずっと正座をしたままこちらへと目線を向けることは無い。
 僕は恐る恐る声をかけた。
「誰だ……?」
 男は首だけをなめらかに滑らせてこちらへ向けた。
 そして「あなたがこの家の主人ですか?」と訊ねてきた。
 その不気味さに思わずたじろいだが、勇気をだして僕はもう一度だけ声をかけた。
「お、お前は誰だ?!」
 男はすっ、と立ち上がる。まるで最初から立っていたかのような錯覚を受ける。
 その瞬間、僕は気付いてしまった。男の体がまるで実態のないホログラムのように透けていることに。
 男は少しだけ頭を下げて、口を開いた。
「失礼しました。私の名前は宮沢賢治。お察しの通り、幽霊でございます」
 男は、いや、男の幽霊は、かの有名な文豪、宮沢賢治の名を名乗った。

未定

未定

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  • 掌編
  • ファンタジー
  • ミステリー
  • ホラー
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2022-06-08

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